よつばと侍   作:天狗

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&登山

 茂はあさぎと虎子と共に登山をしていた。美女二人と野獣一匹という不思議な構成ではあるが、この三人組にしてみれば、いつもの事だ。何かおかしな点があるとすれば、茂が二人分のザックを背負い、虎子を横抱きにかかえていることだろう。

 

夏休みの最後に出かけよう、という事であさぎが企画したのだが、三人とも既に貯金を使い果たしていた。そこで余り金のかからない旅行を、という事で登山を選んだのだ。テントなどの基本的な山登りの道具は伊藤家が所持しており、寝袋や登山向けの服装などは各々が所持していたため、かかる費用はキャンプで使う食材費とガソリン代くらいのものである。

 テントやコッヘル、意外と重い食材を当然のように茂が一人で持ち、着替えや水、携帯食料などはそれぞれのザックに入っている。登山は一泊二日の予定で組まれ、一日目の昼を麓で適当に食べ、午後いっぱいかけて山頂前最後の山小屋の前でテントを張って一泊。翌朝登頂して昼前に下山完了。三人の体力と山の高さを考えると、余裕をもって組まれたスケジュールだと言えた。

 登山の隊列は先頭から虎子、あさぎ、茂の順だ。先頭を歩くのは、体力があるのはもちろんだが、後続の者たちの様子に気を使える人物であるのが望ましい。そのため、体力は最もあるが、気遣いとは無縁である茂が最後尾、副リーダーの位置に陣取っている。いかに気が利かないとは言え、さすがに前を歩く二人を抜いたりはしないと期待されての事だ。彼には最後尾を歩いていて、何か気づいた事や注意を促したい事があればリーダーに伝える、という仕事もある。虎子がリーダーになったのは、単純にあさぎと比べて体力がある、という理由があるだけではない。あさぎを気にしつつ、写真を撮るタイミングを自分で選べる、という器用さがあるからだ。

 

 登り始めて数時間ほど、細い登山道がぬかるみ始めると、滝の音が聞こえてきた。水量は多くないのか、それほど大きな音ではない。三人は休憩のついでに見物に行く事にした。各々携帯食料や水を飲み、しばし休憩の後、出発しようとした時だった。虎子が濡れた岩に足を滑らせて挫いてしまったのだ。幸いな事に咄嗟に茂に抱えられた事で水に落ちる事はなかった。己の体よりもカメラの無事を最初に確認したのは虎子らしいところだろう。

 怪我の具合を確認したところ、足首が少し腫れていた。軽く曲げる程度なら問題ないが、体重をかけるのは難しそうだ。虎子は平気な顔を保とうとしていたが、仲の良い二人には隠せなかった。

 とりあえず折れてはいないようなので湿布を貼って応急処置をし、今後について話し合ったが、三人の意見は珍しく一致しなかった。怪我をしてしまった事による後ろめたさか、それとも混乱していたからか。「ここで待っているから二人で登ってきて。」という一泊の予定を忘れ去った虎子の意見は二人に即座に却下された。あさぎの意見はここで下山する、というものだ。至極真っ当な意見だが、次に出た茂の提案で悩む事になる。

 「俺が虎子を担いで登ればいいんじゃないか?」

 「…いや、さすがにそれは無理だろ。」

 「でも、シゲだしなぁ。」

 あさぎは呟きながら、それぞれの持ち物を確認した。仮に茂の案に乗るとして、どう荷物を分配し、彼がどう虎子を担いでいくのが最善かを考える。彼が虎子をおんぶするのだとしたら、茂の荷物は前に回すか、あさぎが持たなくてはならないだろう。ザックを前に回せば彼は前が見えなくなってしまうし、三十キロ以上ある茂の荷物をあさぎが持つ事などできない。別の方法ならばどうだろうか。沈黙のあと、あさぎはにやりと微笑んだ。虎子はその表情を見て何か嫌な予感を感じた。

 「なぁ、やっぱり下山しないか?」

 「大丈夫よ。シゲは虎子ぐらいなら軽いもんよね?」

 「あぁ、全然問題ないぞ。」

 「ならさ、シゲが虎子をお姫様抱っこすればいいんじゃない?」

 「なっ!」

 絶句したのは虎子だ。茂は彼女の反応を見て首を傾げると、何か思い出したのか、慌てだした。

 「セクハラとかじゃないぞ!」

 「そこじゃねぇよ。」

 そもそも彼女は、茂が自身を性的な目で見るなどと夢にも思っていない。ただ恥ずかしいだけなのである。あさぎもそれを分かっており、普段クールでボーイッシュな虎子が照れているところを見たくて、このような提案をしたのだろう。

 「いつまでも話し込んでたら日が暮れちゃうよ。」

 そう言いながらあさぎは虎子のザックから着替えなどの軽い荷物を抜くと、自分のザックに移した。軽くなったザックと茂のザックをバックルでつなげると、さっさと出発の準備を済ませてしまう。その様子からあさぎの企みに気づいた茂は、一つため息をつきつつも、虎子のザックが接続された自身のザックを背負い、虎子を促した。

 「ほら、首に手回して。」

 「お、おう。」

 虎子は片足で立ち上がると、屈んだ茂の首に手をかけた。彼は彼女の背中と膝の裏に手を回すと、一気に持ち上げる。虎子はその慣れていない感覚に「うわっ!」と声を出してしまうが、屈強な筋肉に覆われた茂の安定感は半端じゃない。

 「どっか痛かったりしないか?」

 茂に問いかけられ、虎子は少し身動(みじろ)ぎすると、彼の首に回していた腕をはずした。体格に差がありすぎて、肩が圧迫されていたからだ。手持無沙汰になった両手は組んで腹の上に下ろした。

 「うん、大丈夫。」

 一行は出発の準備も済み、再び登山を開始した。

 

 「本当に疲れたら言えよ。」

 「だから大丈夫だって。」

 このやり取り回数は既に二桁を数えるほどになっている。二人の前を歩いていたあさぎはくすりと笑った。

 「でも、虎子はよく足を怪我するね。こないだの花火大会でもしてたし。」

 「そうだな。意外とドジだと判明した。新しい発見だ。」

 茂に抱かれているのに慣れたのか、自然な様子だった虎子が不機嫌そうに視線を下に向けた。

 「たまたまだから。別にドジとかじゃないし。」

 「そうかなぁ。シゲのがうつったんじゃない?」

 「うつるか!…でも本当にすごい筋肉だな。」

 あからさまに話題を逸らした虎子は、握りこぶしを作ると軽く茂の胸板を叩いた。

 「まぁな。虎子はガリガリだな。」

 「まぁね。」

 「今でこそゴリゴリだけど、シゲも昔は細かったよね。」

 「あぁ、写真でしか見た事ないな。いつからこんな体格になったんだ?」

 虎子が見たのは綾瀬家のアルバムで見た写真だ。父の仕事や性格の都合上、茂は旅行に行く事がほとんどなかった。剣道の試合や出稽古の関係で遠征する事はよくあったのだが、観光などにはとんと縁がなかった。それがあさぎと仲良くなってから変わり、茂の育つ環境を知った綾瀬家が家族旅行に誘ってくれるようになったのだ。旅行先は多岐に渡り、海やプールの写真もあった。そこでかつて細マッチョだった頃の茂を見られる。

当時の彼はあさぎよりも身長が低く、自分よりも背の高いあさぎを肩車し、自分とほとんど身長の変わらない風香にいじられていた。アルバムの写真に写っている茂の表情は、そのほとんどが困っているか驚いているかである。その中で笑顔を見せている写真は大体恵那と接している時のもので、虎子は彼にロリコン疑惑を抱いた。

 「高校くらいかな。背が伸びて試合の勝率も上がってきた頃だよ。」

 「はぁ、細マッチョのままの方が良かったのに。」

 「何でだよ。ないよりある方が良いだろ。虎子もそう思うだろ?」

 「私を馬鹿にしてるのか?」

 どうやら虎子は綾瀬姉妹の豊満さに少々の嫉妬を覚えていたようだ。

 「恵那ちゃんもいつか大きくなるのかな。」

 「ん?そりゃそうだろ。何言ってんだ。」

 会話の微妙な変化に茂は気づかない。彼の対人関係の苦手意識の原因はここにあるのかもしれない。

 「ふふ、シゲは本当に悩みとかなさそうだよね。」

 「失敬だな。俺にだって悩みぐらいあるわ。」

 「へぇ。例えば?」

 「どうも風香の友達に惚れられたらしい。」

 突然、あさぎが立ち止まり、茂を振り返った。虎子も驚いた様子で彼の顔を見上げている。

 「…なんだよ。」

 「嘘でしょ。」

 「ホントだし。ついでに言えば勘違いでもない…と思う。」

 「よし、休憩ついでに色々取り調べさせてもらおう。」

 あさぎはそう言うと、ザックを下ろした。

 

 女性二人による苛烈な取り調べを受け、茂はしまうーと図書館で会った時の話をした。普通に聞かれても話したのだろうが、面白がっているあさぎと無表情な虎子の様子に何故か気圧されたような印象を受けた。

 「なるほど。確かにそれは勘違いじゃなさそうだ。」

 「まさかしまうーがねぇ。付き合っちゃえばいいのに。」

 「いやいや、そんな事できないだろ。相手は女子高生だぞ。」

 あさぎに交際を勧められ、あり得ない、とばかりに手を振って茂は答えた。

 「何で?初心(うぶ)な現役女子高生と退廃的な恋愛を楽しむなんてそうそうできる事じゃないわよ。」

 「おっさんかお前は。ってか何で退廃的って決めつけるんだ。」

 茂のツッコミを無視して虎子はあさぎに質問した。

 「しまうーって子は可愛いのか?」

 「そうね。ちょっと天然なところも可愛いわ。」

 「ふぅん。で、女子高生って理由だけなのか?」

 あさぎに問われた茂は、腕を組んでしばし考えた。

 「そりゃあ、何つーか、お互いの事よく知らないわけだし。それに何度か会話してみて、恋愛対象として見れる気がしないんだよな。」

 「相変わらずクソ真面目ね。普通の男なら喜んでランバダでも踊りだしてるところよ。」

 「いや、それ普通じゃねぇだろ。」

 「で、それの何が悩みなんだ?」

 「この間、日渡さんと話した時に、文化祭に誘われたんだよ。で、何か断りづらくて行く約束しちゃったんだよな。」

 それを聞いたあさぎと虎子は茂の頭を両側から叩いた。強めに叩いたのだが、彼には全く効いていない。むしろ、叩いた掌がジンジンと痛む。

 「お前は駄目な奴だ。」

 「そうよ。付き合う気もないのに期待させるような事して。」

 「わかってるよ!だから、付き合う気がないってどう伝えればいいか悩んでるんだろ。」

 再びあさぎと虎子は彼の頭を叩いた。

 「贅沢な悩みだな!」

 「相談に乗る気もなくなるわね!」

 「そもそも相談してないだろ!ほら、もう行くぞ!」

 茂はザックを担ぐと、虎子を抱き上げた。

 「わっ!」

 「ちょっと待ってよ!」

 虎子は驚きの声を上げ、あさぎは急いでザックを担ぎ、先を歩く茂を追いかけた。

 

 「虎子、もうつくぞ。」

 茂に軽く揺すられ、虎子は目を覚ました。進行方向を見ると、山小屋が見えた。どうやら気づかないうちに寝入ってしまったようだ。それに気づいた虎子は頬を赤らめた。

 「ごめん、寝てたみたいだ。」

 それを聞いたあさぎは何度も頷いた。

 「わかるわ。風香と恵那も小さい頃はよく虎子みたいに寝てた。揺り籠みたいなもんね。」

 そんな小さい子供と一緒にするな、と言いたいが、事実寝てしまっていた虎子は反論できない。

 登ってきた三人に気づいた山小屋の主人が駆け寄ってくると、虎子の様子を尋ね、足首を診た。足首の腫れはだいぶ引いており、これならば明日に治っているだろう、と笑って教えてくれた。虎子は横抱きにされているのを見られて恥ずかしくなったのか、茂の胸板をパンパンと叩いた。

 「…降ろしてくれ。」

 「ん、じゃああそこのベンチに座っとけ。明日まで無理しないようにな。」

 虎子をベンチに座らせた茂は、ザックからテントを取り出し、素早く設営する。これは登山に出発する前に伊藤家の庭で父に徹底的に叩き込まれた成果だ。虎子は久々に煙草に火をつけると、胸いっぱいに吸い込んでから煙を吐き出した。あさぎはその隣に座り、茂の作業風景を眺める。

 「夕飯は私が作るよ。全然疲れてないし。」

 「そう?じゃあ任せようかな。あ、そうだ。全然写真取れなかったんじゃない?」

 「なんか、それどころじゃなかったからな…。」

 首に提げたカメラを構えた虎子は、作業している茂の写真を撮った。夕日が山の稜線(りょうせん)に沈みかけており、茂の姿は影のようになっている。

 「こうして見ると頼りになるお父さん、って感じなんだけどね。」

 それに虎子は何も答えなかった。

 

 食事を終え、しばし談笑した三人はテントに入った。寝袋に包まれ、広めのテントに三人並ぶ。

 「襲わないでよ。」

 「襲うかい!そのネタ何回目だよ!」

 「定番みたいになってるから、もう止められないの。」

 あさぎと虎子はクスクスと笑った。

 「そういえば、茂の好みの人ってどんなの?」

 「何だよ、急に。」

 「しまうーがダメなら、何か理想のタイプでもいるのかと思って。」

 茂はそれを聞いて首を傾げた。

 「うーん、そういうのはあんまり考えないようにしてたからなぁ。」

 「どうして?」

 「何か一つでもいいから、やり遂げたかったんだ。昔の自分に戻りたくなくて、絶対的に自信になるものが欲しかったんだよ。」

 「それは剣道じゃ駄目なのか?」

 虎子の言葉を聞いて、茂は何か気づいたようだ。

 「…あぁ、そうだな。それは確かに自信あるな。」

 「じゃあさ、私と虎子だったら、どっちがタイプ?」

 「ん?そりゃあ、いてっ!」

 茂が言おうとした時、彼の額を虎子が叩いた。勢い余って、目に指が入ってしまったようで、屈強な彼もさすがに痛かったようだ。

 「蚊が止まってたよ。」

 「目がぁ…!」

 深夜にも関わらず、騒々しいテント内であった。

 

 「あー!あー!あー!」

 「よつば、すげぇ泣いてるけど、大丈夫か?」

 「あぁ、まぁ何とかするよ。」

 「しょうがねぇか。じゃ、俺はあさぎさんを誘って牧場に行くかな。」

 「誘えないくせに。ってかあさぎさんは確か山に行ってるって聞いたぞ。」

 「…誰と?」

 「茂くんと。」

 「あー!あー!あー!」


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