翌朝――。
村を覆う朝靄が薄れ始め、ようやく太陽が力を取り戻しかける時間。普段ならば、まだ温かい寝床でまどろんでいるはずの村人達が、今日は教会の前に集まっていた。
「ジュリアさん、本当に行きなさるか」村長は心配を隠せない様子で、ジュリアに訊いた。
「はい。元々、私の蒔いた種です。私がやらねばなりません――」ジュリアは村長を真っ直ぐに見つめ、答えた。決意は固い。
「おねえちゃん、がんばってね」ジュリアの前にユベルが進み出て、言った。ジュリアは、少年に向かって、にっこりと微笑んだ。
彼女は、再びトーラス山に向かおうとしていた。
エンテを助けるために。
自分の弱さのせいで、自分の甘えのせいで、彼女は捕らわれてしまったのだ。助けなければならない。あたしを護ってくれた、救ってくれた、あの人を。危険は承知だった。だが、ジュリアは恐れはしなかった。山賊全員と戦うわけではない。隠れ家に潜入し、エンテを連れ出すだけなのだから。
そして、エンテを救い出した後は――。
ジュリアはすでに決意していた。
この村、いや、この国を出て、本土 リーベリア大陸に戻る、と。あたしを罠にはめたあの男に、報いを与えるために――。
ジュリアは、エンテから贈られた剣を強く握り締めた。
「大変だ!」
突然の声に、人々が驚く。見ると、教会の近くにある見張り塔の上で、青年が慌てた様子で叫んでいた。「山賊が攻めてくる!」と。
村人達は互いに顔を見合わせ、表情を凍らせた。何人かの村人が、見張り塔に向かって走る。一番最初にたどり着いたのはジュリアだった。古い木組みのはしごをもどかしく登り、青年の指し示す方を見た。
細い山道を、大勢の山賊が下りてくる。ここから見えるだけで数十人。実際は倍以上いるかもしれない。ジュリアは舌打ちした。あの山賊は、昨日追い払った山賊ゴメスが仕返しのために連れてきたのか。あるいは、頭目のヤーザムが率いているのか。判らない。判ったところで意味はないのだ。どちらにしても、この村が襲われるのに変わりはない。
「村のみんなをどこかに避難させてください」見張り塔を登ったばかりの村長に向かって、ジュリアが言った。
「ジュリアさんはどうなさるつもりじゃ?」心配そうに訊く。
「なんとか……戦ってみます」
「できるのかね?」
「――――」
ジュリアは、すぐに答えることはできなかった。さすがに、1人であの人数を相手に戦うのは無理だろう。しかし、やらなければならないと思った。逃げるわけにはいかない。あたしが戦うことで、この村の人を護れるかもしれないのだ。だから戦う。
ジュリアは意を決し、塔から下りようとした。だがその時。
「あっちからも何か来ます!」
最初に塔の上にいた青年が、北の方を指した。皆の視線が、そちらに集中する。
北の方角は、なだらかな平原が続いている。その地平線の彼方に、馬に乗った戦士の姿が見えた。確認できるだけで数十騎。こちらに向かってくる。
「ヴェルジェの騎士隊じゃないのか?」誰かが言った。一瞬の間をおいて、沸き上がる歓声。ついに、王国が山賊退治に乗り出した! これで我々は救われる! 口々に喜びを現す。
しかしジュリアだけは、その騎士隊がヴェルジェの兵でないことに気がついていた。騎士隊の掲げているはたは、ヴェルジェのものではなかったからだ。騎士が掲げているのは、青き聖竜の紋章。それは、リーベリア4王国の1国、リーヴェ王国のものだ。しかし、リーヴェは先のゾーア帝国との戦争で滅亡している。そんな今、あの聖竜の紋章を掲げる人物は、1人しかいない。
――まさか……ラゼリアのリュナン公子。
ジュリアは、胸の鼓動が早くなっていることに気がついた。
ラゼリアの若き英雄・リュナン。
後に世界を救うこの少年との出会いが、ジュリアの運命を、大きく変えようとしていた――。
(紅の剣士と水の巫女 終わり)