紅の剣士と水の巫女   作:ドラ麦茶

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7・剣士

 ジュリアが目にしたのは、壊された家屋と、逃げ惑う人々だった。

 

 直感的に悟った。山賊の襲撃だ。

 

 ――いや、それにしては早すぎる。

 

 ジュリアが山賊から逃げ出してから、まだ3時間も経っていない。あれからあのヤーザムという山賊の頭が隠れ家に戻り、準備を整え、この村を襲撃するには無理のある時間だ。それに、襲撃の規模があまりにも小さすぎる。教会の前から見た限りだが、山賊の姿を1人も見かけない。また、壊された家も3件ほど。それも、窓や扉を破られた程度だった。

 

 恐らくこれは、山賊本隊――と呼んでよいものかどうかはジュリアにはわからなかったが の襲撃ではない。数人か、多くて10数人の山賊だ。ジュリアは、冷静にそんなことを考えている自分に驚いた。

 

 と、その時、教会のとなりの家から、大きな物音と、子供の悲鳴が聞こえてきた。その家は ユベルの家だった。

 

 ジュリアは、咄嗟に走り出していた。

 

 扉は壊されていた。鍵がかけられているのを、力ずくで蹴り開けた そのような壊れ方だ。中を覗く。しかし、誰もいない。また聞こえる悲鳴。今度は、外から聞こえた。ジュリアは家の裏にまわった。いた! ユベルだ。家の壁を背にし、膝を抱き、震えている。涙を溜め脅える目には、背の高い屈強な男が映っていた。男は、飢えた獣のような目でユベルを見ている。口元に浮かぶ、下卑た笑み。

 

 ――――!

 

 その顔を見て、ジュリアは息を飲んだ。

 

 背中に、冷たいものが走る。

 

 鼓動が徐々に激しくなる。

 

 その男は、1ヶ月前にジュリアが戦ったあの男 。

 

 山賊ゴメス!

 

 恐怖が蘇る。

 

 剣を持つ手が、自然に震える。

 

 ――どうする?

 

 そう考えた。考えた後で、この後に及んでそんなことを考えている自分が、心の底から嫌になった。

 

 ――どうするかなんて決まってるでしょう! 助けるのよ!

 

 意を決した。ここで逃げたら、この先生きていく意味がない――それほどの決意。もちろん、自分があの男に殺される可能性も、十分にあるだろう。だが、それでも戦わなければならない。

 

 剣を抜きはなった。

 

「その子を放せ!」

 

 あらん限りの声で叫んだ。

 

 山賊がこちらを向く。目が合った。気力が萎えそうになるが、無理矢理振り絞る。ともすれば逃げ出しそうになる両足を、しっかりと、大地に食らい付かせる。山賊はジュリアの姿を見、眉を潜めた。楽しみを邪魔された、そんな表情。しかし、それも一瞬。あの、不快な笑みが浮かぶ。

 

「へへ……いつかのねえちゃんじゃねぇか。生きてたのか」

 

 新たな獲物を見つけた獣の表情で、ジュリアを見る。「で? なんの用だ?」とぼけたような口調。この男は知っているのだ。ジュリアの剣技を。ジュリアが人を斬れないこと、戦えないことを知っていて、あえて、挑発するような口調。

 

 確かに、あの時は斬る勇気がなかった。戦う力がなかった。今でもそれは変わらないかもしれない。しかし――。

 

「その子を放しなさい」

 

 今度は低く、ゆっくりと言った。

 

「懲りないな、ねえちゃんも」山賊は笑う。「まあ、こんなガキを相手にするよりはマシだな」

 

 山賊はジュリアに剣を向けた。ジュリアの体を緊張が駆け抜ける。しかし、逃げ出したりはしない。

 

「ユベル、逃げなさい」山賊を見据えたまま言った。

 

「でも……おねえちゃんは……」震える声で言う。

 

「大丈夫よ」ユベルの目を見て、にっこりと微笑んだ。

 

 ユベルは立ち上がり、しばらくジュリアを見つめていたが、背を向け、振り返らずに走りはじめた。

 

 ユベルの姿が見えなくなって、ジュリアは改めて山賊に向き直った。剣を構える。

 

 その姿を、山賊は面白そうにみつめる。あの時と同じだった。剣を構えず、杖のように地面に突き刺している。口元に浮かぶ下卑た笑み。ジュリアを侮っている。

 

 ジュリアは大きく息を吐いた。手に持つ剣を見つめる。

 

 不意に浮かぶ、エンテの顔。

 

 ――この剣で、いろんな人を、護ってあげてください。

 

 鋭い目で、山賊を睨む。

 

 ――シスター……やってみます。

 

 そして、突進した。

 

 肩に溜めた剣を、相手の首筋めがけて降り下ろす。山賊は悠々とその一撃を受け止めた。飛び散る火花。ジュリアはすぐに次の行動に移った。狙うのは脇腹。だがその攻撃も、山賊は軽々と受け止めた。

 

 5度、剣が交わり、ジュリアは一旦間合いを外した。

 

「へへ、相変わらずとろい剣だな、ねえちゃん」山賊の笑う声。山賊は悟った。この女は、あの時と同じく、人を斬る覚悟ができていない、と。余裕の笑みが、顔に浮かぶ。それを見たジュリアは――。

 

 ジュリアは、自分でも不思議な程、落ち着いていた。自分の攻撃は、全て受け止められた。あの時と同じく。しかし、あの時と違う手応えも、感じ取っていた。

 

 相手の動きが、見えたのだ。

 

 山賊の剣は早かった。しかし、以前ほどの脅威は感じなかった。攻撃は全て防がれたが、自分の剣の早さが、相手のそれを下回っている訳ではない。

 

 だが、その事に、山賊は気づかない。すでに己の勝利を確信したかのように、笑っている。

 

「今度はこっちから行くぞ」山賊が剣を構えた。

 

 それに呼応するかのように、浅く腰を落とし、身構えるジュリア。

 

 ――大丈夫、落ち着いて

 

 自分に言い聞かす。

 

 相手の剣は、それほど早いわけではない。初めて戦った時は全く手がでなかったが、あの時は、初めての実戦に戸惑いがあった。人を斬ることへの恐怖。斬られることへの恐怖。生まれて初めての命のやり取りに、恐怖を感じていた。いや、それは今でも変わらない。今でも死ぬのは恐いし、相手の命を奪うのも恐い。

 

 しかし。

 

 それを乗り越えることができれば、自分にも、他人を護ることができるのだ。

 

 エンテのように――。

 

 山賊が動いた。

 

 鉄の塊のような剣をふりかざし、向かってくる。

 

 ジュリアは慌てなかった。下唇を噛み、じっと、敵の剣を見る。チャンスを待つ。

 

 振り下ろされる剣!

 

 ――今だ!

 

 ジュリアが動いた。わずかに身を左に反らせ、山賊の剣を持つ手を狙い、気合いと共に剣を打ち下ろした!

 

 がしん!

 

 響き渡る、金属音。

 

 飛び散る火花。

 

 両手が痺れる。剣を落としそうになるジュリア。気力でそれに耐える。この剣は、絶対に放さない!

 

 山賊は――。

 

 信じられないといった表情で、目の前の女剣士を見ている。その手に、あのごつい剣は握られていなかった。剣は、宙を舞っている。勢いよく回転しながら弧を描き、やがて地面に突き刺さった。

 

 それを確認したジュリアは、素早く相手の首筋に剣をあてた。

 

「ひぃっ!」山賊が、その屈強な体格に体格には不釣り合いな悲鳴をあげた。

 

 そして静寂――。

 

 肩で大きく息をしながら、ジュリアは、自分より頭ふたつ分大きな山賊を見上げた。「まだこの村で暴れるかしら?」

 

 山賊ゴメスは大きく首を振る。そして、2、3歩後退すると、踵を返し、全速力で逃げ出した。その姿を見たのであろう。他の場所で暴れていた子分たちも、あとを追うように逃げていく。

 

 ジュリアは大きく息を吐いた。とたんに全身から力が抜けた。地面に膝をつく。しばらく茫然と剣を見つめていた。やがて、胸の内に沸き上がる、熱い思い。

 

 ――あたし……勝ったんだ。

 

 そう思う。倒すことはできなかったが、追い払うことはできた。それでも十分だった。自分にも、人を護ることができたのだから。

 

 鼓動が激しくなるのが判った。自然と笑顔が浮かぶ。叫びたくなった。叫んだ。陽が大きく傾き、色彩の抜けかかった、空に向かって。力の限り。

 

 だが――まだ全てが終わったわけではなかった。

 

 


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