村に戻ったジュリアは、山での出来事を村長に話した。ヤーザムは改心していなかったこと。エンテを連れ、山に帰ったこと。そして、自分ひとりで逃げてきたこと。
聞いた村長は、吸いかけの煙草を床に落とし、茫然とジュリアを見つめた。落とした煙草が床を焦がし、焦げ臭い匂いが部屋に充満するが、そのことにも気づかない。
無理もなかった。
エンテ同様、彼も、そして村人全員が、あの男 ヤーザムが改心したと信じていたのだ。これで山賊に脅えることもなく、平和に生活できると思っていたのに。平和な生活どころか、山賊にこの村の所在を知られる結果となってしまった。それだけでなく、エンテを連れ去られてしまった。村にとって、最悪の事態となった。
ジュリアは、ただ謝るしかなかった。泣きながら、頭を床に摩り付け、ひたすら謝る。謝って許されることではないが、今の彼女にはそれしかできなかった。だから、謝り続ける。
そんなジュリアを、村長は、そして、村長から話を聞いた村の人々も、決して責めることはなかった。皆口々に、「ジュリアさんが悪いのではない」と言う。しかし、ジュリアにはそれが却って苦痛だった。皆から罵られ、非難の声を浴びせられる方が、まだいい。自分はエンテを見捨てたのだ。それなのに、誰も、文句のひとつも言わない。これも、エンテの影響だろうか。そう考えると、余計に罪悪感を感じてしまうのだ。
――村を出よう。
村長の家を後にし、教会へ向かう道を力なく歩きながら、ジュリアは決心した。これ以上、この村にはいられない。今となっては行くあてなどないが、それでも村を出よう。もちろんそれは、エンテを、そして、山賊に襲われるかもしれないこの村を見捨てることになるのかもしれない。しかし、自分がいたところで、何の役にもたてないだろう。むしろ、いない方が良いのだ。
教会の扉を開け、薄暗いホールへ入る。普段なら祈りを捧げる人が後を絶たないこの教会だが、今は、誰もいない。エンテが山賊に捕らわれたことは、すでに村中に知れ渡ったことだろう。これからのことを話し合っているはずだ。
マルス神像の脇を抜け、短い廊下を進む。つきあたりが、ジュリアが使っている部屋だ。中に入り、村を出る支度を整える。支度とは言っても、最低限の旅の道具が入った小さな袋と鎧、それだけだった。
部屋を出て、再びホールへ戻る。と、玄関のところに誰か立っていた。薄暗くて顔はよく見えないが、どうやら子供のようだ。すぐに、誰か判った。
「ユベル……」少年の名を口にする。
ユベルはジュリアを見て、少しだけ悲しそうな顔をする。それが意味するところを悟り、ジュリアの心は痛んだ。
ジュリアが戦士だと知って、興奮していたユベルの姿を思い出す。「山賊をやっつけてね」と、笑顔で言った少年。しかし、あたしにそんな力は無かった。山賊を倒すどころか、彼が姉のように慕っているエンテを護ることさえできなかったのだ。彼の心は、どれだけ傷ついているだろう。想像もできない。
しかしそんなユベルも、決してジュリアの事を責めようとはしなかった。
「ジュリアお姉ちゃん、これ――」ユベルはジュリアに向かって微笑むと、一振りの剣を差し出した。
「これは……?」
「お姉ちゃんの怪我が直ったらプレゼントするって、エンテさまが、ヴェルジェで買ってきたの」
それだけ言うと、ユベルはジュリアに背を向け、走っていった。引き止めて何か言うべきか、とも思ったが、かける言葉が見つからず、ただ見送るしかなかった。
少年の姿が見えなくなって、ジュリアは、受け取った剣を見つめた。立派な剣だった。以前ジュリアが使っていたものよりも長く、幅も広いが、驚くほど軽い。ジュリアの細腕でも、十分に扱えそうだ。かなりの名刀に違いない。鞘から引き抜いてみる。と、鞘の間から1枚の紙が落ちた。なんだろう? と思いながら広い、四つ折りのその紙を広げてみた。そしてジュリアは、はっと息を飲む。
それは、エンテからの手紙だった。
ジュリアさん。
怪我が治って、本当に、良かったです。
そのお祝い、と言うよりも、怪我がまだ治っていないのに、いつも私を手伝ってくれるお礼に、この剣をプレゼントします。
剣のことは私にはよくわからないから、店の人が奨めてくれるのを買っただけです。気に入ってくれると良いのですが……。
ジュリアさん。
私はジュリアさんがうらやましいです。
私には力がないから、神に祈ることでしか、人を救うことができません。
でもジュリアさんは戦士だから、戦うことができる。
戦うことで、誰かを護ることができるんですよね。
それって、素敵なことだと思います。
ジュリアさん。
あつかましいお願いかもしれませんが。
この剣で、いろんな人を、護ってあげてください。
エンテ
短い手紙だった。短いが、しかし、今のジュリアには、その言葉のひとつひとつが、重くのし掛かる。
“戦うことで、誰かを護ることができるんですよね”
胸が痛い 心臓に、氷の刃をつき立てられたような痛み。全身の力が抜けていく。体を支えられなくなった両足が、床に膝をつく。うなだれ、肩を小さく震わせるジュリア。手紙に、涙がこぼれ落ちた。
――シスター。あたしはそんな人間じゃありません。
戦うことで誰かを護る。きっと、普通の戦士はそうなのだろう。しかし、あたしは護れなかった。エンテも、村の人も、誰も、護れない。それどころか、戦うことすらできなかった。
“私には力がないから、神に祈ることでしか、人を救うことができません。”
――そんなことはありません!
大きく否定する。
彼女のおかげで、これまで何人の人が救われただろう。あたしも救われた。1ヶ月前に命を救われたし、今回も、あたしを山賊から助けてくれた。自分の身を犠牲にして。力がないのは、あたしの方 。
“この剣で、いろんな人を、護ってあげてください”
――――。
涙が止まらない。
あたしは誰も護れなかった。逃げてばかり。今も逃げようとしている。この村と、エンテを見捨てて。
結局――。
あたしは、自分を護ることしか考えていないのだ。
自分が死にたくないから逃げる。自分が傷つきたくないから戦わない。
――最低だ……あたしは。
それなのに。
誰も、あたしを責めない。村の人も、そして恐らく、エンテも。
――でも、それでいいの?
自分に問う。
この問いに対する答え次第では、自分は生きている資格がないと思った。
と――。
ジュリアは、教会の外が騒がしいことに気がついた。
何かが壊れるような音。響く笑い声。時折聞こえる悲鳴。
胸騒ぎを覚え、ジュリアは教会を飛び出した。