落ちこぼれの拳士最強と魔弾の姫君   作:柳之助@電撃銀賞5月10日発売予定

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第16拳「人間になって、貴方に恋をしたいです」

 

「レ――レキィッ!!」

 

 目の前で、伸ばした手の先で。何もつかめない、間に合わなかった手の先でレキが崩れ落ちる。その華奢な身体が崩れ落ち、胸からは鮮血が舞う。どさっ、という音が大して大きくもないはずの音が耳に届いた。

 

「っ、あ、あ……!」

 

 駆け寄って、抱き上げる。

 軽い。

 恐ろしく――彼女の身体は軽かった。

 抱えたせいで腕が濡れる。彼女の血で。彼女の――命の滴で。

 

「な――なんで! なんで、こんなことをッ……!」

 

 叫んだ先は言うまでもなく。

 俺の師匠。黒い男。『拳士最強』――握拳裂。

 

「なんで、か」

 

 彼は俺たちを口の端に笑みを浮かべながら一瞥し、降り始めの雪空を眺める。

 

「その問いに応えるのには……時間が掛る。そんなことは後回しでいいだろう。他にやることが……あるのではないか?」

 

「っ……!」

 

 そう言って、俺たちから背を向けて屋上の縁へと足を運ぶ。

 

「致命傷だが――助かるかどうかは五分五分だ。私でも解らん。どちらにせよ」

 

 言って、沈みゆく太陽を眺め。

 

「日没には武偵高に来い。そこで話を付けてやろう。お前はここで――見届けるがいい」

 

 何を、とは言わずに。握拳裂は屋上から飛び降りて消える。あまりにも唐突で、呆気ない。自分が殺しかけたレキにまるで目もくれず、半年ぶり会った俺にすら碌に言葉も交わすことなく立ち去った。相も変わらず掴みどころが無い。

 いや、今はそんな場合ではなくて。

 

「レキ……レキ、レキ!」

 

 腕の中の少女の名前を呼ぶ。琥珀の目は伏せられ、全身の力は無い。胸元の中心に風穴が空いているのだから当然といえば当然で。素人目に見ても解る。

 明らかに致命傷だった。

 致命傷。

 命に到る――傷。

 

「っ……!」

 

 唇を噛みしめる。何かしなければならない。だがどうすればいいのかが解らない。救急車を呼ばなければならない。でも俺は今携帯電話を持っていない。それは壊れて病室に置いてきたからもうどうしようもない。ならばレキの携帯を借りればいいのか、いや、それよりも俺が抱えて走った方がいいのか。

 解らない解らない解らない。俺には何も――解らない。

 

「そう、いち……さんっ」

 

「レキ! 喋るな、今すぐ、どうにか……救急車を呼ぶか、運ぶかするから……!」

 

「いえ、それより……も」

 

「黙ってろ……あぁ待てよ、そうだ」

 

 気だ。

 気がある。生命力を戦闘力に返還した力。なんの才能も持たない俺が、今の強度を持つことが出来る理由。俺を支える力。それは単純に膂力に回すだけではない。適量を怪我に流し込めば応急処置くらいは出来る。致命傷による重体を、重傷にするくらいはできるのだ。勿論、流す気が多すぎたりすれば肉体の組織や細胞やらを傷つけるし、少なすぎたら当然意味が無い。昔からそうやって痛い目あってきた。

 でも、それなら――

 

「――――どれだけ、流し……込めば、いいんだ……?」

 

 俺の気を。他人の生命力を。レキに、死にかけの彼女にどれだけ流しこめばいい?分量を間違えればいうまでもなく悪化する。こんな状態で悪化すれば死ぬしかない。でも。それでも、じゃあ。なにが適量で、どれだけの量を流し込めばいいというのだ。他人にこの治療法を試したことなどない。一度も――ない。

 だって俺は――独りだったから。

 戦友も友達も仲間も。誰もいない。誰もが違う。那須蒼一は――どうしようもなく独りぼっちだったのだ。

 

「っ、あ……あぁ……っ!」

 

 口から漏れた声がなんなのか気付かなかった。それが嗚咽であるなんて。ましてやそんなものが自分からこぼれているなんて。

 

「……蒼一さん」

 

「レ、キ……俺は……」

 

 レキは伏せた目を空けて、琥珀の瞳を俺へと向ける。

 そして、

 

「これで――いいんですよ」

 

 そんなことを言う。

 

「な、なにが! 何がいいって言うんだよ、解ってるのかお前。この傷は間違いなく致命傷だぞ……! 放っておいたらお前は……!」

 

 死ぬんだぞ。

 その言葉を、何故か俺は言う事が出来なかった。

 

「……死ですか」

 

 代わりにレキが言った。いつも通りに、碌に感情を感じさせない声で。

 

「死ぬ……死……。私は……死にませんよ。死ねません。死ぬことすら赦されない」

 

 ――だって私は生きてすらいなかったから。

 

 そんなことを言った。

 

「……なにを」

 

「蒼一さんだって……解っていたでしょう? 私は……ただの人形です。生きてなんか、いない」

 

 それは俺がずっと思ってきたことで。彼女を見る度に、彼女と関わる度に俺はそんなことを思ってきた。

 人形女。風の操り人形。意志も感情も持たない女。どうしようもなくどうしようもなくどうしようもない。間違えて海に出てしまって、生き延びてしまった淡水の魚。馴染むことなく、受け入れることない社会不適合者。

 でも、それは――俺だって同じことだった。

 

「“風”に言われるままで、何も考えなくて、何も感じなくて、ただ流れに身を任せて。私はそんな風に生きて……動いてきたんです。そんな私が、死ぬなんてできませんよ」

 

「なんだよ……それ。なんでこんな時に」

 

「こんな時だから……ではないでしょうか」

 

 レキの口の端が僅かに、ほんのかすかに歪んだ。あるいはそれは笑みのようなものだったのかもしれない。

 瞳は段々と胡乱になり、押さえた傷口から血が止まることは無い。

 

「昨日……蒼一さんがいなくなってしまって……私は変な、気分になりました。何ももたいないはずの私が、何もかも要らないはずの私が。“風”だけのはずの私が……貴方がいなくて……おかしくなりました。多分これは――寂しい、ということだったんでしょうね」

 

 初めてだった。レキの口から、レキの感情について聞くなんて。当然だ。俺はこれまで、レキに感情がないって決めつけてきたんだから。感情が生まれてくればいいな、なんて勝手な事を思っていたのだ。

 でもそれは俺の勘違いだったのだ。

 始めから彼女にもちゃんと感情は意志はあったのだ。それを知らなかっただけだ。解り合えないって勝手に決め付けて、もうちゃんとある心を無視して勝手な、余計なことをしていた。

 

「レ、キ」

 

「ありがとうございます」

 

 なのに、そんなことを言う。彼女の何もかもを蔑にしてきた俺に。レキは有難うだなんて。

 

「なん、で」

 

「今私が……感情があるのは貴方の、蒼一さんのおかげだから、です」

 

「違う……違うぜそれは……俺は何もしていない、いや余計な事しかしなかった!」

 

「そんなことないです」

 

 一緒にお菓子を食べた。

 一緒にご飯を食べた。

 一緒に本を読んだ。

 一緒に歩いた。

 一緒に任務をこなした。

 一緒に眠った。

 一緒に起きた。

 

「貴方は――それだけのことをしてくれました」

 

「っ……! なんだよ、それは……っ」

 

 そんな些細な事を、そんな誰でもできることで、こんな時に俺に礼を言うなよ。

 

「俺は何も出来てない。何もしていない。何時だってそうだ。今も間に合わなかった……七年前もそうだ。俺はアイツの……妹を助けることさえできなかったんだ……!」

 

 七年前も、今も。俺は変わらない。成長しない。俺の時間は――あの時から止まってしまったのだ。妹を残して、独りだけ生き残って。

 

「俺はお前に何もしてやれなかった……!」

 

「してくれましたよ。誰でもよくなんかなかった。他の誰かじゃ嫌です。他の誰でも無い蒼一さんでないと」

 

 言いながら、口から血を吐く。

 

「レキ……!」

 

「聞いてください」

 

 動こうとした俺をレキが服を掴み止める。

 たったそれだけで、俺は止まってしまう。

 

「那須蒼一さん」

 

「なん、だよ……」

 

「契約を解消しましょう」

 

 レキと那須蒼一の契約。

 無感の姫君と落ちこぼれの拳士の誓い。

 愛も絆もない――偽りの外装するらない伽藍堂の誓約。

 それを解消しよと、レキは言う。

 

「すいませんすいませんすいません……本当にすいませんでした。あんな、あんな契約だなんてとても言えない言葉で貴方を縛って。そしてなによりあんな口約束を私は、幸いだなんて思って――すいません」

 

 誓って、結んで、祈って、望んで、私は幸いでした。

 そう言って彼女は笑う。口の端から血を零しながら。

 

「私と結婚してくれて、ありがとうございました」

 

「なんだよ……なんだよそれッ」

 

 俺は、俺は、俺は。なんなんだ。

 

「解らない……解らないんだよ……俺は……、なんでそんなことを言うんだよ。違う、違う、違うんだ……!」

 

 俺はそんなこと言って貰える価値なんてない。俺はどうしようもない奴なんだよ。解ってるんだよ、俺が屑ってことは、本当はずっと知っていた。昨日遠山だって言っていた。いろんな奴が俺に手を差し伸べてくれたのに、俺は全部振り払った。見ないふりをした。必要な言って棄てたんだ。痛々しい、酷い、みっともない中二病だ。今だって、お前になんて言えばいいのか解らない。人は自分のことしかできないって天狗になって、他人と関わらないような口実作っていただけのなのだ。

 

「死ぬなよ、俺はアンタに何もしてやれていないんだから……!」

 

 俺は自分のことすらできていない。他人の力になるなんて、誰かに何かをするなんて夢のまた夢だ。

 

「……蒼一さん」

 

 それでもレキは俺の名を呼ぶ。少しずつ彼女の身体から温もりが抜けていく。命の熱が――消えていく。それは周囲に降り積もる雪のせいだけじゃない。

 

「貴方は……貴方の為に生きてください。わたしことなんか忘れてください、そうやって、生きてください」

 

「ふざけんなよ……お前、勝手に人の部屋乗り込んできて、勝手にパシリにして……なのにっ、なのに忘れろとかふざけたこと言うんじゃねぇよ……」

 

 無理だ。そんなの無理だよ。たった二か月だけど、それでも俺たちは二か月一緒にいたんだから。

 もう、忘れるなんて無理だ。

 

「……すいません」

 

「謝るなッ!」

 

 掌に気を集める。このままではどうしようもなく死んでしまう。だったら――ほんのわずかの可能性に期待するべきだ。

 

「諦めるなよ。今からお前に気を流し込むから、そしたら病院に運ぶ。勝手に諦めて死のうとするんじゃねぇよ」

 

「……蒼一さん」

 

「動くな喋るな黙ってろ!」

 

 レキは俺の言う事を無視した。

 無視して、俺の頬に触れた。

 透明の滴が伝う――俺の頬に。

 

「泣かないで、ください」

 

「……え?」

 

 言われて始めて気が付いた。頬を伝う水滴に。目からあふれる涙に。

 

「なん、で……俺が……なみ、だ……?」

 

 この俺が? 涙? 泣いている? 七年前泣くことすらできなかった俺が?

 

「もし……死ななかったら……」

 

「死なない! 死なせるかよ! まだ、まだ間に合う!」

 

 気を集めることは集めたが、しかしこれでいいのか迷う。多すぎたら死ぬ。少なすぎても死ぬ。間違えない量を見極めなければならないのだ。

 

「もし、助かったら……私は、色々な事、したいです。こんな時だから、理解できます。世界はこんなにも色づいている。空は青くて、海も青くて。私は、こんなことすら知らなかった」

 

 白が混じる灰色の空を見上げながらレキは言う。

 

「もしできるのならば、蒼一さんともっといろいろなモノを見てみたいです、貴方と楽しいことも、辛いことも、苦しい事も色々な事を……分け合いたいです」

 

「ああ、あぁ、いいぜ。色々連れてってやるよ、世界は広いから……俺もお前も知らないことばかりだから……そんな……そんな……!」

 

 最後の言葉みたいなことを言わないでくれ。

 頼むから、止めてくれ。俺は、誰かの死は大嫌いなんだ。

 

「寒いです……でも温かい。蒼一さんは……温かいです」

 

 そういうレキは冷たい。血が抜けて、雪がレキの熱を奪う。流れ溢れる血液は白く染まりつつある屋上の不可侵の領域となる。

  

「レキぃ……」

 

 涙の滴が落ちる。もうどうしようもないくらい涙が溢れていた。頬を伝い、顎に達し、抱えたレキの血と混じって行く。

 

「そう、いちさ、ん」

 

 虚ろな瞳で、掠れた声で、それでもレキは俺の名前を呼ぶ。

 

「こんな……こんな……こんな時じゃないと、感情とか意志とか想いとかそういう……一番大事なことに、きづくことができない、どうしようもない、馬鹿で、人を撃つことにどうしようもなくすがって、“風”に全部任せて、自分では何一つ考えなくて、動こうとしなくて、笑顔の一つも浮かべることのできない、生きる価値の無い、どうしようもない女ですけど……」

 

 しっかりと俺の目を見て。

 はっきりと――笑う。

 

「人間になって、貴方に恋をしたいです」

 

 

 

 




不語。

こういう時にだらだら語るのは無粋じゃねーかなと思うので最低限に。


アンケは明日の午後十二時までで締めきります

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