落ちこぼれの拳士最強と魔弾の姫君 作:柳之助@電撃銀賞5月10日発売予定
「レ――レキィッ!!」
目の前で、伸ばした手の先で。何もつかめない、間に合わなかった手の先でレキが崩れ落ちる。その華奢な身体が崩れ落ち、胸からは鮮血が舞う。どさっ、という音が大して大きくもないはずの音が耳に届いた。
「っ、あ、あ……!」
駆け寄って、抱き上げる。
軽い。
恐ろしく――彼女の身体は軽かった。
抱えたせいで腕が濡れる。彼女の血で。彼女の――命の滴で。
「な――なんで! なんで、こんなことをッ……!」
叫んだ先は言うまでもなく。
俺の師匠。黒い男。『拳士最強』――握拳裂。
「なんで、か」
彼は俺たちを口の端に笑みを浮かべながら一瞥し、降り始めの雪空を眺める。
「その問いに応えるのには……時間が掛る。そんなことは後回しでいいだろう。他にやることが……あるのではないか?」
「っ……!」
そう言って、俺たちから背を向けて屋上の縁へと足を運ぶ。
「致命傷だが――助かるかどうかは五分五分だ。私でも解らん。どちらにせよ」
言って、沈みゆく太陽を眺め。
「日没には武偵高に来い。そこで話を付けてやろう。お前はここで――見届けるがいい」
何を、とは言わずに。握拳裂は屋上から飛び降りて消える。あまりにも唐突で、呆気ない。自分が殺しかけたレキにまるで目もくれず、半年ぶり会った俺にすら碌に言葉も交わすことなく立ち去った。相も変わらず掴みどころが無い。
いや、今はそんな場合ではなくて。
「レキ……レキ、レキ!」
腕の中の少女の名前を呼ぶ。琥珀の目は伏せられ、全身の力は無い。胸元の中心に風穴が空いているのだから当然といえば当然で。素人目に見ても解る。
明らかに致命傷だった。
致命傷。
命に到る――傷。
「っ……!」
唇を噛みしめる。何かしなければならない。だがどうすればいいのかが解らない。救急車を呼ばなければならない。でも俺は今携帯電話を持っていない。それは壊れて病室に置いてきたからもうどうしようもない。ならばレキの携帯を借りればいいのか、いや、それよりも俺が抱えて走った方がいいのか。
解らない解らない解らない。俺には何も――解らない。
「そう、いち……さんっ」
「レキ! 喋るな、今すぐ、どうにか……救急車を呼ぶか、運ぶかするから……!」
「いえ、それより……も」
「黙ってろ……あぁ待てよ、そうだ」
気だ。
気がある。生命力を戦闘力に返還した力。なんの才能も持たない俺が、今の強度を持つことが出来る理由。俺を支える力。それは単純に膂力に回すだけではない。適量を怪我に流し込めば応急処置くらいは出来る。致命傷による重体を、重傷にするくらいはできるのだ。勿論、流す気が多すぎたりすれば肉体の組織や細胞やらを傷つけるし、少なすぎたら当然意味が無い。昔からそうやって痛い目あってきた。
でも、それなら――
「――――どれだけ、流し……込めば、いいんだ……?」
俺の気を。他人の生命力を。レキに、死にかけの彼女にどれだけ流しこめばいい?分量を間違えればいうまでもなく悪化する。こんな状態で悪化すれば死ぬしかない。でも。それでも、じゃあ。なにが適量で、どれだけの量を流し込めばいいというのだ。他人にこの治療法を試したことなどない。一度も――ない。
だって俺は――独りだったから。
戦友も友達も仲間も。誰もいない。誰もが違う。那須蒼一は――どうしようもなく独りぼっちだったのだ。
「っ、あ……あぁ……っ!」
口から漏れた声がなんなのか気付かなかった。それが嗚咽であるなんて。ましてやそんなものが自分からこぼれているなんて。
「……蒼一さん」
「レ、キ……俺は……」
レキは伏せた目を空けて、琥珀の瞳を俺へと向ける。
そして、
「これで――いいんですよ」
そんなことを言う。
「な、なにが! 何がいいって言うんだよ、解ってるのかお前。この傷は間違いなく致命傷だぞ……! 放っておいたらお前は……!」
死ぬんだぞ。
その言葉を、何故か俺は言う事が出来なかった。
「……死ですか」
代わりにレキが言った。いつも通りに、碌に感情を感じさせない声で。
「死ぬ……死……。私は……死にませんよ。死ねません。死ぬことすら赦されない」
――だって私は生きてすらいなかったから。
そんなことを言った。
「……なにを」
「蒼一さんだって……解っていたでしょう? 私は……ただの人形です。生きてなんか、いない」
それは俺がずっと思ってきたことで。彼女を見る度に、彼女と関わる度に俺はそんなことを思ってきた。
人形女。風の操り人形。意志も感情も持たない女。どうしようもなくどうしようもなくどうしようもない。間違えて海に出てしまって、生き延びてしまった淡水の魚。馴染むことなく、受け入れることない社会不適合者。
でも、それは――俺だって同じことだった。
「“風”に言われるままで、何も考えなくて、何も感じなくて、ただ流れに身を任せて。私はそんな風に生きて……動いてきたんです。そんな私が、死ぬなんてできませんよ」
「なんだよ……それ。なんでこんな時に」
「こんな時だから……ではないでしょうか」
レキの口の端が僅かに、ほんのかすかに歪んだ。あるいはそれは笑みのようなものだったのかもしれない。
瞳は段々と胡乱になり、押さえた傷口から血が止まることは無い。
「昨日……蒼一さんがいなくなってしまって……私は変な、気分になりました。何ももたいないはずの私が、何もかも要らないはずの私が。“風”だけのはずの私が……貴方がいなくて……おかしくなりました。多分これは――寂しい、ということだったんでしょうね」
初めてだった。レキの口から、レキの感情について聞くなんて。当然だ。俺はこれまで、レキに感情がないって決めつけてきたんだから。感情が生まれてくればいいな、なんて勝手な事を思っていたのだ。
でもそれは俺の勘違いだったのだ。
始めから彼女にもちゃんと感情は意志はあったのだ。それを知らなかっただけだ。解り合えないって勝手に決め付けて、もうちゃんとある心を無視して勝手な、余計なことをしていた。
「レ、キ」
「ありがとうございます」
なのに、そんなことを言う。彼女の何もかもを蔑にしてきた俺に。レキは有難うだなんて。
「なん、で」
「今私が……感情があるのは貴方の、蒼一さんのおかげだから、です」
「違う……違うぜそれは……俺は何もしていない、いや余計な事しかしなかった!」
「そんなことないです」
一緒にお菓子を食べた。
一緒にご飯を食べた。
一緒に本を読んだ。
一緒に歩いた。
一緒に任務をこなした。
一緒に眠った。
一緒に起きた。
「貴方は――それだけのことをしてくれました」
「っ……! なんだよ、それは……っ」
そんな些細な事を、そんな誰でもできることで、こんな時に俺に礼を言うなよ。
「俺は何も出来てない。何もしていない。何時だってそうだ。今も間に合わなかった……七年前もそうだ。俺はアイツの……妹を助けることさえできなかったんだ……!」
七年前も、今も。俺は変わらない。成長しない。俺の時間は――あの時から止まってしまったのだ。妹を残して、独りだけ生き残って。
「俺はお前に何もしてやれなかった……!」
「してくれましたよ。誰でもよくなんかなかった。他の誰かじゃ嫌です。他の誰でも無い蒼一さんでないと」
言いながら、口から血を吐く。
「レキ……!」
「聞いてください」
動こうとした俺をレキが服を掴み止める。
たったそれだけで、俺は止まってしまう。
「那須蒼一さん」
「なん、だよ……」
「契約を解消しましょう」
レキと那須蒼一の契約。
無感の姫君と落ちこぼれの拳士の誓い。
愛も絆もない――偽りの外装するらない伽藍堂の誓約。
それを解消しよと、レキは言う。
「すいませんすいませんすいません……本当にすいませんでした。あんな、あんな契約だなんてとても言えない言葉で貴方を縛って。そしてなによりあんな口約束を私は、幸いだなんて思って――すいません」
誓って、結んで、祈って、望んで、私は幸いでした。
そう言って彼女は笑う。口の端から血を零しながら。
「私と結婚してくれて、ありがとうございました」
「なんだよ……なんだよそれッ」
俺は、俺は、俺は。なんなんだ。
「解らない……解らないんだよ……俺は……、なんでそんなことを言うんだよ。違う、違う、違うんだ……!」
俺はそんなこと言って貰える価値なんてない。俺はどうしようもない奴なんだよ。解ってるんだよ、俺が屑ってことは、本当はずっと知っていた。昨日遠山だって言っていた。いろんな奴が俺に手を差し伸べてくれたのに、俺は全部振り払った。見ないふりをした。必要な言って棄てたんだ。痛々しい、酷い、みっともない中二病だ。今だって、お前になんて言えばいいのか解らない。人は自分のことしかできないって天狗になって、他人と関わらないような口実作っていただけのなのだ。
「死ぬなよ、俺はアンタに何もしてやれていないんだから……!」
俺は自分のことすらできていない。他人の力になるなんて、誰かに何かをするなんて夢のまた夢だ。
「……蒼一さん」
それでもレキは俺の名を呼ぶ。少しずつ彼女の身体から温もりが抜けていく。命の熱が――消えていく。それは周囲に降り積もる雪のせいだけじゃない。
「貴方は……貴方の為に生きてください。わたしことなんか忘れてください、そうやって、生きてください」
「ふざけんなよ……お前、勝手に人の部屋乗り込んできて、勝手にパシリにして……なのにっ、なのに忘れろとかふざけたこと言うんじゃねぇよ……」
無理だ。そんなの無理だよ。たった二か月だけど、それでも俺たちは二か月一緒にいたんだから。
もう、忘れるなんて無理だ。
「……すいません」
「謝るなッ!」
掌に気を集める。このままではどうしようもなく死んでしまう。だったら――ほんのわずかの可能性に期待するべきだ。
「諦めるなよ。今からお前に気を流し込むから、そしたら病院に運ぶ。勝手に諦めて死のうとするんじゃねぇよ」
「……蒼一さん」
「動くな喋るな黙ってろ!」
レキは俺の言う事を無視した。
無視して、俺の頬に触れた。
透明の滴が伝う――俺の頬に。
「泣かないで、ください」
「……え?」
言われて始めて気が付いた。頬を伝う水滴に。目からあふれる涙に。
「なん、で……俺が……なみ、だ……?」
この俺が? 涙? 泣いている? 七年前泣くことすらできなかった俺が?
「もし……死ななかったら……」
「死なない! 死なせるかよ! まだ、まだ間に合う!」
気を集めることは集めたが、しかしこれでいいのか迷う。多すぎたら死ぬ。少なすぎても死ぬ。間違えない量を見極めなければならないのだ。
「もし、助かったら……私は、色々な事、したいです。こんな時だから、理解できます。世界はこんなにも色づいている。空は青くて、海も青くて。私は、こんなことすら知らなかった」
白が混じる灰色の空を見上げながらレキは言う。
「もしできるのならば、蒼一さんともっといろいろなモノを見てみたいです、貴方と楽しいことも、辛いことも、苦しい事も色々な事を……分け合いたいです」
「ああ、あぁ、いいぜ。色々連れてってやるよ、世界は広いから……俺もお前も知らないことばかりだから……そんな……そんな……!」
最後の言葉みたいなことを言わないでくれ。
頼むから、止めてくれ。俺は、誰かの死は大嫌いなんだ。
「寒いです……でも温かい。蒼一さんは……温かいです」
そういうレキは冷たい。血が抜けて、雪がレキの熱を奪う。流れ溢れる血液は白く染まりつつある屋上の不可侵の領域となる。
「レキぃ……」
涙の滴が落ちる。もうどうしようもないくらい涙が溢れていた。頬を伝い、顎に達し、抱えたレキの血と混じって行く。
「そう、いちさ、ん」
虚ろな瞳で、掠れた声で、それでもレキは俺の名前を呼ぶ。
「こんな……こんな……こんな時じゃないと、感情とか意志とか想いとかそういう……一番大事なことに、きづくことができない、どうしようもない、馬鹿で、人を撃つことにどうしようもなくすがって、“風”に全部任せて、自分では何一つ考えなくて、動こうとしなくて、笑顔の一つも浮かべることのできない、生きる価値の無い、どうしようもない女ですけど……」
しっかりと俺の目を見て。
はっきりと――笑う。
「人間になって、貴方に恋をしたいです」
不語。
こういう時にだらだら語るのは無粋じゃねーかなと思うので最低限に。
アンケは明日の午後十二時までで締めきります
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