「暑苦しい! アンタはわざわざアタシに引っ付くな!」
ギリギリギリと音が聞こえてきそうな程に頬に当てた手を押しのける。
―――鬱陶しい。
アリサが首を軽く左右に回せば、それを避けるようにアリシアが移動する。
なぜにコイツは先程からやたらとアリサの背後に立とうとしてくるのか。
「いーやーだー!」
しかし、遠ざけようとしただけ抵抗が激しくなることにアリサは眉を顰めた。
「あーっ! いつまでアンタは実の母親避けてんのよ! ほんっと面倒くさいわね!」
「……長い長い時間を掛けて刻みつけられたトラウマは消えないのだよワトソン君。ご覧ください。あの目、表情だけは柔らかいのに目が虚ろで時折狂的な光を宿してるんだよ。ギッラギラだよ」
「アンタの母親だもんね」
「その理屈だとこの大天使アリシアちゃんの母親というだけでママが偉大すぎる存在に……」
「あ、そういえば清水にお土産頼まれてたっけ……というかメイドの癖にアタシをお使いに使うのはどうなのよ」
「わーたーしーのーはーなーしーをーきーいーてー!」
「……アンタどんだけ構って欲しいのよ」
アリサは嘆息しつつ、サクラへと視線を向ける。
カウンターに腰掛けるサクラ、そしてプレシアからは口元こそ動いている癖になぜか一切声だけが聞こえない。
「あの声が全くこっちに聞こえない謎現象、アンタの母親の仕業でしょう」
サクラ、そしてアリシアのスキルも魔法も言葉にしがたい気持ち悪さや条件付けが必要になる場合があり使い勝手が悪いことが多い。
例えば『フェアリーブレス』。肉体的、魔法的なあらゆる能力を引き上げるが夜中だとぼんやりと全身が発光して怖いだとか屋敷で頻繁に使われる『巻き込まれヒール』によって消滅したアリサの初期の虫歯はどこへ行ったのだろうかなどどこまでも意味のない疑問等は時々言いようのない気持ち悪さとなる。
「もう楽にしてあげるしかない」レベルの病人がブレイクダンスし始めるような規格外の治癒の力で初期の虫歯を治して罪悪感に苛まれるアリサは小心者なのだろうか。
少なくとも痛くない麻酔なんて目じゃないとか開き直れるような神経をアリサは持てなかった。
「ママの結界かなにかじゃないかなー」
アリシアはオレンジジュースをジュルジュルとストローで吸い上げながら答える。
こんなピンポイントに使い勝手の良い魔法をサクラが持ってるはずがないというアリサの確信は当たっていたようだ。
半径数キロに渡って踏み込んだものを癒す聖域を造るだとかは出来そうなのに盗み聞ぎ防止の魔法は「まぁ無理だな」と即断出来てしまうあたりも残念だった。
「結界まで張っていかにもな話してるのに気にならないの?」
「……うーん。なのはちゃんけしかけて乱入する?」
「なのは、行きなさい。骨は拾ってあげるわ」
「なんで!?」
突然話を振られたなのはが酷く動揺した声をあげる。
それも当然である。というかそもそもの話、翠屋は喫茶ではあってもヒャッハーしてよい闘技場ではない。
「……違うよなのはちゃん。これは一人で訓練しているだけで最近行き詰まりを感じているであろうなのはちゃんへの気遣いなんだよ」
「アリサちゃんそこまで私のこと分かって……って違うよね! 絶対違うよね!」
「そんなことないわよ。もしもアンタがいつか魔法世界……ミッドチルダに渡りたいって言うならアタシが止めても無駄でしょ」
「アリサちゃん……」
「だからアンタが全力のサクラとプレシアさんを相手取って勝てるくらいになったらアタシもアンタを安心して送り出せるわ」
表情に影を滲ませて沈痛な面持ちで語るアリサ。
アリシアはまんまとアリサの口車に乗せられて頬を興奮で上気させているなのはに憐れむような眼差しを向ける。
そして顔を伏せたまま深刻そうに語る、しかし口元だけが邪悪に歪んだアリサを眺め、「無理ゲー」と呟いた。
「……えっ、無理なの?」
呟くような小さな声ですずかはアリシアに問う。
すずかからしてみればなのはもサクラもプレシアも一纏めにして『魔法使い』だ。
「……我が家のママンはあんなんでも大魔導士とかちょっと痛々しい異名で呼ばれるようなお方なんだよね。しかもわざわざ全力のサクラって言うあたり魔法の縛りなしっぽいしもうこれアリサ行かせる気ないよね」
「えー……」
「見てくださいよあの無駄に感動的な演出。『私、頑張って強くなるから!』ってなのはちゃん騙されてるよ……アリサ、絶対あの憂いを秘めてるっぽい表情の裏でほくそ笑んでるよ。親友に対する仕打ちじゃないよ……」
いつの間にやらアリサの腹芸は進行していたようで、目元を潤ませたなのはと柔らかい微笑みを浮かべたアリサが小指を絡ませてなにかの約束を交わす光景は傍目から見れば微笑ましい光景。
それが一瞬邪教かなにかのろくでもなさげな儀式に見えてすずかはそっと目を逸らした。
「そ、そんなことないよ。アリサちゃんはなのはちゃんが心配なだけ、だよ?」
目を逸らしたままぼそぼそと口元で言葉を霧散させるすずか。
手段が汚いことと手際が無駄に良いことなどには特に触れなかった。
それと同時にアリシアは最も近い場所にあった魔力が霧散したのを感じた。
魔力を扱うこと、魔力を感じることに関してはアリシアは才を持っていた。
それと同時にサクラがリンカーコアを持つにも関わらずミッドチルダの魔法を扱うことが困難である理由も薄らと理解しはじめていた。
アリシアとサクラを結ぶパイプ、それからはサクラがMPと呼ぶ膨大すぎるエネルギーとサクラのリンカーコアから精製される微量な魔力が混じり合って流れてきている。
元々持つ力が巨大すぎて比較すれば酷く劣る量の魔力を存在を完全に把握出来ていないのだ。
だからこそ過剰すぎない力を持つアリシアが魔力を掌握することが出来る。
サクラ風に言うならば所謂『死にスキル』である。
「頭が痛いわ」
ふと我に返るとプレシアが顎をカウンターに乗せて突っ伏している。
「ママ、どうしたの?」
「いえ、たいしたことじゃ……いやたいしたことなんだけれども……そうね……楽な仕事だと思っていた案件が大事に発展してしまったというか適度に手を抜いてのんびりしようと思っていたらアテが外れてしまったというか……」
プレシアは重い溜息を吐きながら言葉を濁した。
「……はぁ。お会計は済ましてくるからこの子ちょっと借りていい?」
プレシアは両脇から腕を通してひょいとサクラを持ち上げ、アリサへと向ける。
「汚さないできちんと返してくださいね」
まるで人形のように大人しく抱えられているサクラの視線の先には最後の一欠片となったシュークリーム。
一言も言葉を発さずひたすらに熱視線を送る。
「サクラ、あーん」
アリシアはその一欠片をサクラの口元に寄せる。
「……あっ、ん」
二人の背中が遠ざかっていく。
そして、退出を知らせるベルが鳴り響いた。
勝者の口元にはクリームが。
口元のクリームをぺろりと舐めとる。
コンマ数秒。華麗な動きで愛娘からの『あーん』を奪い取ったプレシアは満足げに熱の籠った吐息を吐き出した。
今だけは手元で恨めしそうにプレシアを見上げてくる桜色のことも忘れられそうだった。