ブーツの底がアスファルトを叩く。
コツコツと鳴り響く軽快な音色。それは幾度なく停止し、一定のテンポで行き来を繰り返す。
子供用の小さなブーツで音楽を奏でる少女、フェイト・テスタロッサは右へ、左へと時折溜息を吐きながらうろうろとしといた。
落ち着きのない視線で時折厚手の上着の裾をきゅっと掴む仕草を繰り返すフェイトはやがて意を決したように振り返った。
「……ど、どうしよう。……あぅ。なのはになんて言って会えばいいんだろう。だって私、すっごい敵対しちゃってるよ。今更どんな顔して出ていけばいいのかなぁ」
右往左往しているフェイトを眼福とばかりに表情筋を緩めながら眺めているのが二人。
「我が娘ながら犯罪的な可愛さよね」
元テロリストの重犯罪者が犯罪的な可愛らしさという言葉を用いたことでアリサの頬が引き攣った。
小学生がツッコムにはあまりにもブラックで過酷な状況である。『貴女は重犯罪者で娘さんは犯罪的な可愛らしさですか! HAHAHA!』などと言えるほどアリサははっちゃけた性格はしていないし疲れそうなのでしたくなかった。
「ほら! ほら!生まれた時からずっと憑いてたけどやっぱりうちの妹様は可愛いよね!きっとアリサだってああやって純粋な時期が……なさそうだね。……うん。ごめん」
――もうやだこの親娘。
アリサの肩を掴んで前後に揺さぶってくるアリシア。かっくんかっかくんとアリサの頭も前へ後ろへと、髪が乱れる。
加えて付け足すならばアリサにだって純粋な時期くらいはあった。具体的には紗羅を姉のように思い、慕っていた時期である。ちなみにアリサの中では満場一致で黒歴史認定が下った。
可及的速やかに忘れたい。
「……シアの癖に生意気ね」
アリサは無言で赤いポシェットからアリシアのコントラクトカードと油性のマジックペンを取り出した。
この赤いポシェット、クリスマスに行なった身内でのパーティーの際にサクラから贈られたもので、見た目以上にものが入る上にパンパンに物を入れても羽のような軽さを誇る珍品である。
『手づくり』とサクラが言ったことで今更製作系のスキルの存在をアリサは思い出した。どうせファンタジー素材なんてないのだから使えないと無意識化でスルーしていたのだが宝石に鉱石、糸や布などの汎用性のある素材の存在を忘れていた。
最もそんなことを考えていたのも大分後であり、当のアリサは崩壊寸前の表情筋を抑えるために柱に頭部を打ち付けて額から赤々とした血を流しながら『さ、サクラにしてはまぁまぁね』などとのたまった。その場に居合せたなのは、すずか、アリシアは当然ドン引きであった。
今にも泣きそうな顔でサクラが傷の治癒をしていたのが多少アリサの心残りであったが次は額を打ち付ける時は力加減に気をつけようと反省するだけに留まった。
「アリサ、それはやめよう! 教科書の歴史上の偉人みたいにカードの私にヒゲを加工とするのだけはやめよう! アリサの教科書に落書きしたのは謝るから! ねっ!?」
教科書の落書きに関しては初耳である。
アリサは必ず、かの邪智暴虐の悪霊を除かなければならぬと決意した。
アリサの目の前には翠屋の看板。そして未だにその前をうろつくフェイト。時折の来客にわたわたと手を振りながらその場を退く仕草が一際プレシアとアリシアの庇護欲を誘っている。
「もうコイツラの相手は嫌……サクラ、サクラ……?」
アリサは精神の安定を求めるべく、視線をさまよわせた。前を見れば翠屋の看板の前でうじうじと悩んでいるフェイト。隣を見れば飽きもせず延々とフェイトを目で追うプレシア。
そして後ろ手に目の粗いロープで縛られて、冷たいアスファルトの上で転がるアリシア。
「まったく、サクラったら先入っちゃったのかしら」
まだ肌寒い季節にも関わらず僅かに滲んだ汗を払うようにアリサは額に掛かった汗を拭った。
「ねぇ!? それって一瞬で友達を縛り上げた人間が言うセリフじゃないよね!?」
いい運動をしたとばかりにロープの余りをポシェットにしまい込むアリサに対してアリシアは吠えた。
「……友……達……?」
「その『信じられない!』みたいな目もやめよう!」
「話は変わるんだけど魔導師の使い魔って人型になれるならそれって奴隷みたいなものよね」
「アリサって小学生だよね! 発想が真っ黒でビックリだよ! 使い魔…………リニス……ごめんね、リニスゥ……」
縛られたまま、虚ろな目で虚空を見つめ始めたアリシア。意図せずアリサはアリシアの大量のトラウマのうち、かなりヘビィそうな一つを掘り当てた。
アリサは死んだ目のまま縛られて転がっている少女という社会的に危うい爆弾をその場に残したまま、フェイトの元へと向かった。
「……はぁ。 アンタもいつまでもうじうじと悩んでんじゃないわよ。怪我もしてないのにその程度のことでなのはがうだうだ言う訳がないから」
「……本……当?」
「本当よ。賭けてもいいわ」
やはり照れ隠しで額から流血する少女は言うことが違った。
「……いやいや、そもそも私に対する反応とフェイトに対する反応のあからさまな違いはどうなのさ」
十年単位で鍛えられた形状記憶合金メンタルのアリシアが即座に復帰してツッコんだ。何時の間にかアリシアを縛っていたロープは外れていた。
「結構キツく縛ったはずなのになんで抜け出してるのよ」
「んふふー、アリシアちゃんはアストラルでマテリアルなスーパー使い魔さんだからね!」
「ほら、フェイト。早く入りなさいよ。あとが詰まってるんだから」
「……う、うん。入るね」
「あの……アリサさんや……無視しないで……」
意を決したフェイトは翠屋のドアを開いた。
からんからんとドアに誂られたベルが可愛らしい音を立てる。
そこそこに込み入った店内は人に溢れ、活気を見せている。アリサはカウンター席になのはとすずかが並んで座っているのを見つける。
「というかサクラが居ないんだけど本気でどこ行ったのよ」
溜息を吐き出しながらぼやくと同時にアリサの服の裾が引っ張られた。
「アリサ、あれあれ」
アリシアの指差す先には数人の大人が固まっていた。なのはとすずかの隣、しかし、集まっているのはだれもかれもそれなりに歳のいった男女。そのせいでその奥に居たサクラに気づくのに時間が掛かった。
その中心ではサクラがぼんやりとカップの中のコーヒーに口をつけていた。
「…………にが」
少し口をつけただけでサクラは眉をへの字にして表情を渋くした。
そして、次にシュークリームに齧り付き、その端に小さな歯形を付けた。
「…………あま」
一瞬で表情を綻ばせたサクラ。それはじっくりと観察しないと分からない程の差であるが、サクラの言葉が柔らかいそれに変わったことで誰しもが察した。
それをサクラの座るカウンターの隣から横目で眺めていた徹夜明けなのか目元にクマを作ったくたびれた印象のスーツを着た中年の男は穏やかな笑みを浮かべて椅子から立ち上がって後ろに並んでいた老婦人に席を譲った。
「食べるかい。おじさんはもうお腹一杯でね」
「……いい、の?」
「あぁ」
「……ありがとう」
しかもなぜか一つ新たなシュークリームをサクラの皿の上に重ねて。
「…………にが」
再びコーヒーに口を付けて唸るサクラ。
苦いのならばミルクと砂糖を入れればよいものを、入れないのは本人なりにコーヒーの苦味を堪能しているのだろうか。
「…………あま」
老婦人もまた暫くすると満足したかのようにいくつかサクラと言葉を交わすと飴玉を一つ握らせて去っていく。
そしてすぐに別の人物が老婦人の座っていた席に座り込む。
◇
「…………なにあれ?」
アリサは理解出来ないというふうに呟いた。
事実全く理解出来ない。
「なんて言えばいいのかしらね。大人になってしまうとどうしようもなく眩しく見えるものってあるものなのよ。まだ貴女たちくらいの歳じゃ分からないでしょうけどね」
プレシアはどこか遠い目をして呟いた。
なんとなく哀愁漂う表情をしていたが結局アリサには『この人結局何歳なんだろう』以上の疑問は浮かばなかった。