薄ぼんやりとした意識と気を抜けば持って行かれそうになる柔らかな微睡み。
しかし、彼女が意識を覚醒させると同時に感じたのは若干の物足りなさだった。
「……くぁ」
彼女、アリサの口から漏れ出たのは小さな欠伸。
それを噛み殺すことなく吐き出す。
どうせ今は誰もアリサのことなど見ては居ないのだから。
「…あぁ、そういうこと、ね」
――なるほど。サクラが居ないのね。
自分一人しか居ない部屋を見渡して納得したのかアリサは目を細める。
意外にもサクラの朝は早い。
早朝から100%中100%の力で動いてちょいちょいとバテるのがサクラの日常となっている。
帰宅したアリサが洗濯物と一緒に干されているサクラを目撃することも珍しくはない。
最近はそれにシアが追加されているがアレはうっかり太陽光で成仏しないのだろうかとアリサは考えてから上体を起こした。
「全く。あたしから逃げ出すことばかり上手くなっているわね…。次は両手首を引っ掴んで寝てやろうかしら」
手早く身支度を済ませながらぼやくアリサ。
どう考えてもそれはやりすぎだったが只でさえストッパーが緩み始めているのに加えて寝ぼけ混じりのアリサは特に疑問に思わなかった。
「あっ、アリサ、おはよー!」
数分後、未だ残る眠気を噛み締めながらリビングへと現れたアリサへと声を掛けられる。
やたらと目立つ水色のネクタイを締めたシアが小さな体とは不釣り合いに大きな木製の椅子に腰掛けて両足をぶらぶらと揺らしていた。
「ええ、おはよう。サクラはどこに居るの?」
「流石アリサ。アリサはサクラ至上主義者だよね……」
「んなことないわよ。アレはある意味で弟みたいなものだから」
アリサは憮然としながら疑心で溢れかえっているシアの視線を躱す。
「なるほど。私は頼りになるお姉ちゃん枠ということかぁ」
「なにトチ狂ったこと言ってるのよ。アンタ、今年でうん百歳とかだったりするんじゃない?」
「どうしてそんなお婆ちゃんどころじゃないことになってるの!?」
まるで意味の分からないシアは唖然とする。
なにがどうなればそんなことになるのかシアには理解出来なかった。
「アンタそっくりの子を最近見たことがあるんだけどアレってシアの子孫かなんかなんじゃないの?」
「記憶取り戻して実は子持ちだったとか大往生したお婆ちゃんとかだったら私はどうすればいいんだろう…」
戦々恐々として呟くシアの顔色は真っ青だった。
しかし、なにかに気づいたのか沈んでいた表情を明るくする。
「いやいや、私ってほら、若いから!なんというか、見た目が!」
どう見積もってもシアの外見は十代に届くか届かないか。
それを力説すべく声を張り上げるシア。
しかし、対照的にアリサの言葉は冷ややかだった。
「幽霊の見た目なんてアテにならないわよ」
シアは巨大な椅子の上で体育座りになってどことなく淀んだオーラを出し始める。
「うぅ…いっそのことその子を探してみようかな。でも本当にそんなんだったら私は……」
霊体ロリババア疑惑を向けられたシアの瞳から感情の色が消える。
シアの言葉には若干の恐怖の感情すら含まれていた。
「話は変わるんだけど、ドッペルゲンガーって都市伝説があって自分そっくりの人を見たら死ぬらしいわね」
「死ねと!?アリサは私に死ねと言ってるの!?」
「もう死んでるじゃない」
「あっはっはー、そうだったねー」
ひとしきりシアを弄ったことで満足したアリサ。
くるくると一変する表情を楽しげなものに変えて笑うシア。
お互いに冗談を交わし合う。そんな悪友のような関係が構築されつつあった。
「そういえば記憶といえばさ、私ってサクラと会ったことってあったっけ?」
「…別に毎日会ってるじゃない」
アリサは困惑しながらも答える。
まさか本当にお婆ちゃんでボケてしまったのだろうかと思わず不安になる。
「うーん。温泉の時より前かな?多分気のせいなんだろうけどね」
「本当にボケが始まったのかと思ったじゃない」
「まだ引っ張るんだね。そのネタ…」
出来ることなら年齢については考えたくないシア。
鮫島より年上という事態だけはありませんようにとひっそりと両手を合わせて祈った。
「で、結局サクラはどこ行ったのよ」
「わんこたちのご飯あげに行ったからそのまま遊んでもらってるんじゃないかな」
遊んでもらっているという表現にアリサがツッコミを入れようと思ったが大体合っているかと思い直す。
暫らく他愛もない会話を交わすアリサとシアだったが見慣れたメイド服の沙羅が妙に慌てた様子で現れるのを目撃して会話を止める。
「清水。珍しいわね、アンタがそんなに落ち着きなく入ってくるなんて」
アリサの言葉に基本的に完全無欠メイドを貫いている沙羅の表情に初めて困惑が浮かぶ。
「いえ、その…ジュエルシードとやらを見つけてしまいまして柄にもなく取り乱してしまいました」
沙羅の掌の上に純白のハンカチに包まれた青色の宝石――ジュエルシードが鎮座していた。
完全無欠のメイドも流石にひょんなことから見つけてしまたジュエルシードの扱いについては困るようだ。
「……はっ?アンタそれどこで見つけたのよ!」
暫し呆然としていたアリサは瞳に鋭い光を宿して叫ぶ。
「サクラが出した洗濯物のポケットから出てきました」
その言葉と同時にシアがすすっと目を逸らしたのをアリサと沙羅は見逃さなかった。
気まずそうな顔をしたシアへとアリサと沙羅のジトっとした視線を向けられる。
観念したのかシアは早くも口を開き始めた。
「…その、ですね。結局ジュエルシードってなのはちゃんが学校に行っている間に処理出来るのはサクラと私ぐらいな訳ですよ。それに私も魔法が試し打ちしてみたかったしなー……なんて?」
「割りと分からなくもないです。それで使ってみて気分はどうでしたか?」
「いやー、あれは中々爽快感があるね。でもでも、MPとやらの総量が少ないのかあんまり撃てなかったよ。割と地味なのしか使えなかったし」
ちょっとお試ししてきました感覚でジュエルシード狩りが行われたなどアリサは知りたくはなかった。
着々と海鳴が修羅の国と化しているのではとアリサは不安になる。
魔法少女に元幽霊、そして代表格のサクラ。非日常的存在はもうお腹一杯だった。
「しかし、回収してポケットに入れたまま洗濯ですか。ポケットティッシュとかだったら危なかったですね。全く、サクラはうっかりさんですね」
紙屑が他の洗濯物にくっついて大変なんですよと微笑む沙羅。
アリサはそれをありえないものを見る目で見つめる。
「…アンタらの感覚は狂ってると思うんだけど自覚ある?」
「別に普通じゃないかな?」
「お嬢様は冗談がお下手ですね」
アリサの言葉を朗らかに笑いながら受け流す二人。
自覚がないことを確認したアリサは特に気にしないことにした。
どうせヤツらにマトモに付き合っても疲れるだけなのだと一人納得する。
私立聖祥大学付属小学校屋上。
去り際の春の陽気と時折吹く柔らかな風。
アリサを含めた三人の少女はそこで昼食のお弁当を広げていた。
「…という訳でこれがジュエルシードよ。どうせサクラが持っててもロクなことにならないでしょうから渡しておくわ」
朝から巻き起こったジュエルシード騒動にひとまずの決着を付けたアリサ。
その掌の上には沙羅が手渡したままの純白のハンカチに包まれたジュエルシードが乗せられていた。
「あ、あはは…お疲れ様でした」
乾いた笑いを漏らしながらなのははハンカチを受け取る。
反応が消えたことでフェイトに回収されたと思い込んでいたジュエルシード。
もしかしたらとは思っていたがサクラが回収していたことはなのはにとっては幸運だった。
なのはの労いにアリサは嘆息しながら自らの弁当箱へと手を伸ばす。
「あれ?アリサちゃん今日はその、普通のお弁当なんだね」
ごくありふれた白一色の簡素なプラスチックのお弁当箱。
おかずには綺麗に並べられただし巻き卵にタコさんウインナー、アスパラのベーコン巻き。
極普通の一般家庭のお弁当のような様相が広がっていた。
「サクラが料理の練習を兼ねて作ってるからね」
「…なのはにはサクラちゃんが料理出来るとは思いませんでした。本当にごめんなさいサクラちゃん」
「…まぁそう思うのも無理もないわよね」
最初はアリサも恐ろしくて堪らなかったがサクラのレシピ本を丸暗記するという荒業によって生まれた品々は意外にもマトモだった。それ以外にも出所不明のレシピもあるがアリサは特に気にしていない。
ステータス振りやスキル決めで一歩間違えば大惨事になるというサクラの経験はマニュアル通りにするという点で基本に忠実だ。
それ故に独創性はないがそれなりのものを作るということに関してはサクラは及第点に達していた。
「…違うよ。アリサちゃん、大事なのはそこじゃないんだよ」
唐突にすずかは凛とした口調で言い放つ。
一瞬で周囲に静寂が広がる中、すずかは静かに腰を上げ、立ち上がる。
そのまま自身の行儀の悪さを自覚しながらも指先を真っ直ぐにアリサへと向ける。
「こう、サクラちゃんが早起きしてちょこちょこと厨房を走り回ってお弁当を作ってたって事実が一番大事なんだよ!なんというか、想像すると可愛いよね」
何事かと身構えていたアリサはその言葉にガックリと肩を落とす。
今だけは普段から真面目な口調で斜め上のことを語るメイドと先程のすずかの姿が一瞬ダブって見えた。
「すずかはやけにサクラのことを買うわね」
「むしろ物理的に買ってもいいよ」
「ぜっっったいに売らないわ!」
生粋のお嬢様二人の会話は斜め上だった。
二人共元気だなぁとのんびりと考えながら若干の悪戯心の湧いたなのははアリサのだし巻き卵へと箸を伸ばす。
気にならない程度の焦げ目を残しただし巻き卵を口に運んで感想を一つ。
「…うん。美味しい。でもこれお砂糖入ってないのかな?あんまり甘くないけどこれはこれでいいかも」
だし巻き卵の味がお気に召したのか、なのはは頬を緩ませる。
アリサとすずかのやりとりが終わる頃には昼食時間は残り少なくなっており、アリサは慌ててお弁当を口に運ぶことになる。
それによってなのはがお弁当を味わって食べるべきだとすずかに同調したことでアリサは更なる苦難を強いられることとなった。
可愛い×の子がお弁当をくれるのはよくあるテンプレ(迷走)
だし巻き卵に砂糖を使わないのは関西風。つまりレシピの出所はそういうこと。