「ん、お布団を干すにはいいお天気」
荷物持ち、という名目で八神家にやってきたサクラは八神家の庭にてはやての寝室から持ち出して来た布団一式を干していた。
アリサが学校へと通っている間、一日の殆どを鮫島や沙羅と過ごしていたサクラ。
それによって、やたらとハイスペックな執事とメイドに普段から様々な技能仕込まれている。
故に、足の不自由なはやての普段行き届きにくい所に目が行ったのも仕方がないことだった。
しかし、それよりもはやてには気になってしょうがないことが存在した。
「…おかしい。メイドさんがホバー移動しとる」
視線を彷徨わせながら呆然とするはやて。
サクラの足元には浮遊する巨大な光の歯車。
それを乗りこなすサクラはひょいひょいと布団を物干し竿へと掛けていく。
一枚サクラが布団や毛布を干す度に横へとスライドしていく光の歯車、『セイントギア』。
数多のモンスターをその回転で薙ぎ払ってきた筈の歯車は今となってはその回転を完全に止め、浮遊する踏み台と化していた。
「…お日様、ぬくぬく」
サクラは降り注ぐ柔らかな日差しに目を細めたまま、掛けたままの毛布に抱きついた。
はやてからはその表情に幸福感が満ち溢れているように見えた。
「あの…もしもし、サクラさんや。流石に毛布に顔を押し付けられると匂いとか、その、わたしの羞恥心がですね。ってそのまま寝たらあかんって!」
立てかけた毛布越しに両腕をだらんと垂らしながら背中から太陽光を浴びているサクラを見てようやく我に帰ったはやて。
今ツッコムべき所は違うような気もしたが年頃の乙女的にまずはそこだった。
その上放っておけばただでさえ普段からとろんとしているサクラの瞼は更に落ち、光合成を始めそうだった。
「…はやて、恥ずかしい?」
そこでようやくサクラは手を止めてホバー移動する歯車に乗ったままはやての元へと移動する。
「人によってはむしろご褒美かもしれんね。ってそれ!その足元のそれなんなんや!」
はやてはビシッとサクラの足元へと指先を向ける。
正確には足場にされている光る歯車に向けてだが。
「…ろーらーすけーと?」
「確かにロールしそうやね。でもローラースケートって縦回転なんよ。明らかにそれ横回転しか出来へんよね」
縦回転する歯車に乗っていればもはやそれは大道芸の領域だ。
それはそれでネタ的に美味しいようなと思い始めたはやてを他所にサクラは口を開く。
「はやて、サクラのおまじない見たから。サクラ、本当は魔法使い」
「……ほんまもんの魔法使い?」
「ほんまもん…多分、そう」
サクラが歯車から降りると同時にソレは光の粒子となって消えていく。
おまじないも含めてここまで見せられたらはやてとしても信じない訳には行かなかった。
「…なんという。サクラには魔法少女属性まで付いとったんか」
はやての感想も色々とおかしかった。
サクラは属性はインフレどころか闇鍋へとはやての中で残念な進化を遂げていた。
「はやての話、サクラには難しい」
きょとんとした顔のサクラは只々首を傾げるだけだ。
「この平和な世の中でのファンタジーの需要がいまいち不明」
「…んぅ?平和…多分、大体平和」
「ちょっと待ちぃ!その多分とか大体とか不安になってくること言うのやめてくれへんかな!?」
はやてはサクラの煮え切らない答えに戦慄する。
非日常に片足を突っ込んでしまったのではないかとはやては思わず不安になった。
「…はやて、青い宝石は見つけても食べちゃ、めっ」
「せやね。拾い食いはあかんよね。わたしも気をつけんと…って誰がそんな怪しいもんを食べるかっ!」
「…んっ、はやては出来る子。サクラはなでなでする」
サクラは無表情のままはやての髪をぽむぽむと撫でる。
「残念ながらわたしにナデポは効かへんよ?」
「なでぽ?サクラはなでなで、嬉しい」
「…むしろわたしの目の前に効きそうなのがおる。むしろわたしがなでなでしたい。このメイドさんお持ち帰りしたい」
やはりサクラがチョロイン枠だと考えたのは間違っていなかったとはやては確信した。
「サクラ、アリサのだから、お持ち帰りは出来ない」
「……既にお手つき、やと?」
衝撃の新事実にはやては目を見開く。
はやては物語の中のお約束のようにサクラを流浪の野良メイドだと思い込んでいたのだ。
当然ながらサクラは理想のご主人様を探し求めている訳ではない。
「ある日主人公の元に訪れる魔法メイド。そこから始まる不思議ファンタジーライフが…わたしは主人公にはなれへんかったよ…」
ペタンと膝に両手をついて前傾姿勢のままぼやくはやて。
どうやら大分斜め上の方向のファンタジーライフを夢想していたようだ。
「…サクラ、元からメイドだった訳じゃない」
その言葉にはやては再びの衝撃を受けた。
それが本当ならそのアリサとやらはとんでもない変態さんなのではないだろうか。
「魔法メイド男の娘趣味。そのアリサとやらはとんでもない業の深さを背負っているのではないやろか」
はやての中でまだ見ぬアリサへと魔法メイド男の娘趣味という恐ろしいレッテルが張られた瞬間だった。
もはや風評被害といったレベルではなかった。
この場にアリサが居れば必死で否定するだろう。
成り行きなのよ。仕方がなかったのよ。と繰り返すだろう。
そして恐らく毎日サクラを抱き枕にして眠りに就いていることは言わない。
つまり、内情をよく知る人間から見れば風評被害ではないのかもしれない。
「アリサ、犬耳が好き」
サクラの自然と放った言葉がはやての想像に拍車を掛けさせる。
「気持ちは分からんでもないけど、もう手遅れかもしれんね」
諦観と困惑の混ざり合ったはやての呟きは誰にも届くことなく消えていった。
「でもなんで最初はおまじないってはぐらかしとったのに今になって魔法使いって教えてくれたん?」
ふとはやての中に芽生えた疑問。
おまじないと誤魔化しを続けるなら光の歯車にも乗らず、なにも言わなければ良かったのだ。
はやてからはおまじないについては一度も触れなかったし触れていいのかも分からなかった。
「…ん、サクラも言うつもり、なかった」
「だったらなんで――」
「はやて、サクラの友達だって思ったら、なんだかここがおかしくなった。ちくちくして、なんだかへんてこ」
きゅっとメイド服の胸の布地を押さえるサクラ。
その表情は困惑に満ちていて、はやてには言葉が出なかった。
「サクラ、バグってたかもしれない。でも今は直った。とても不思議」
はやては思わず先程とは一転して穏やかな顔付きに変わったサクラに思わず目を奪われた。
それを振り払うようにはやては頭を振るとキリッと表情を整えて告げた。
「サクラ、ちょっとだけぎゅっとしてもええか?」
欲望のメーターが振り切れたはやては自重を遠い彼方へと投げ捨てた。
「…んぅ?サクラ、はやてならいい」
はやては視線を合わせるようにして屈んだサクラを正面から力の限り抱きしめた。
本人の許可を得たことではやてのネジは完全に弾け飛んでいた。
「最高やね!本当に無垢っ子は最高や!」
「…む、むぅ…はやて、苦しい」
その後、はやてによる抱きつきという名の拘束は三十分足らず続いた。
残ったのはほくほく顔のはやてとデフォルメにするなら目がバッテンになる程ぐったりとしたサクラ。
どうやらサクラの新たな友達は一癖も二癖もあったようだ。