第二九話 前夜
新暦75年、4月。
雨の降る中、ミッドチルダ中央部を走る路線バスに、1人の少女が乗車した。
(――全くもう、ちゃんと天気予報見とくべきだったわ……)
少女、ティアナ・ランスターは溜息をつく。
バスに乗るまでに、少し雨に濡れてしまったのだ。
ツインテールに結った髪がしんなりしていて、このまま放置したら少なからず傷んでしまう。
(そういえば兄さん、よく言ってたな……)
『せっかく綺麗な髪なんだから、ちゃんと手入れしないとダメじゃないか』
まだ幼かった頃の思い出だ。
今は亡き兄が少し怒ったように言っていた。
そんなことを思い出すのも、つい先ほど兄の墓参りに行ってきたばかりだからだろう。
管理局員として働いていた兄、ティーダ・ランスターは数年前、職務中にその命を落とした。
ティーダの死後、マスコミの報道で彼の上司が語ったのは、凶悪な犯罪者を追っていたティーダへの労いではなく、局員でありながら犯罪者相手に遅れをとった無能者、という罵倒。
ティアナはその報道が悔しくて仕方がなかった。
亡き両親に代わって、忙しい管理局の仕事をしながら自分を育ててくれた兄が、どれほど苦労していたのか知っている。
執務官になることを夢見ていた兄は、いつの頃からか試験を受けなくなった。試験の勉強は続けていたのに、だ。
幼いティアナがどうして試験を受けないのかと問えば、ティーダは微笑みながら彼女の頭を撫でて誤魔化した。
あの頃よりも成長した、今なら分かる。
執務官はエリートだが、その分非常に多忙な役職だ。
次元犯罪者を追って長期間世界を飛び回ることも多々あり、ティーダがそれになるということは、幼いティアナを一人にしてしまうということでもある。
兄は自分のために、夢を真っ直ぐに追うことを止めたのだ。
勉強を続けていたのだから、恐らくティアナが独り立ち出来るようになってから試験に臨むことを考えていたのだろうが、それも今となっては叶わぬこと。
死者は何も語らず、残された者はその想いを想像することしか出来ない。
(――だからこそ、私が証明するんだ)
ランスターの弾丸は、全てを撃ち抜く。
兄から教わったシャープシュートの技術は、ティアナの魔導師としてのメインウェポンだ。
彼が無能ではなかったと示すために、自らを凡人と評するティアナが磨き抜いた武器。
管理局員として働き始めて二年。
兄が果たせなかった夢、執務官になるという目標のために邁進してきたティアナに、活躍の機会が与えられた。
バスに揺られながら、ティアナは自分の通信端末でニュースサイトを立ち上げる。
そこにあるのは、とある部隊の新設に関する記事。
『時空管理局 古代遺失物管理部 機動六課が設立』
ティアナと、そしてコンビを組むパートナーが揃ってスカウトされた新設部隊は、控え目に言ってもエリート集団だ。
陸海空、あらゆる場所から招聘された優秀な人材が揃い、部隊の隊長陣は軒並みオーバーSランクの一級魔導師ばかり。
そんな中で凡人である自分がどこまでやれるのか。
不安はある。
しかしこれは、願っても無いチャンスなのだ。
教導隊でも屈指のエースと呼ばれた空戦魔導師。
莫大な魔力に高い指揮能力で、戦場を支配する魔導騎士。
そして様々な難事件の解決に立ち会ってきた、世界を飛び回る現役の執務官。
そういった面々をこの目で見て、後々の糧にすることができる。
一年という限られた時間で、どこまで自分を高めていけるのか。
そんな部隊が、明日から始まるのだ。
今日はその報告のための墓参りで、兄の墓前に立つことで改めて自分の目標を確認してきた。
(……もっともっと、頑張るから)
だから見守っていてほしい。
兄のために、自分のために。
その想いは、きっとどんな困難でも撃ち抜けると信じている。
ぐっと手に力を入れた拍子に、ニュースサイトが別の記事に飛んだ。
あ、という気の抜けた声が出るが、すでに新しいページが開かれている。
(……へぇ、今日だったんだ)
開かれたニュースは、とある聖王教会騎士の勲章授与に関するものだった。
『聖王教会騎士団 『盾斧の騎士』ササハラ ケンセイ氏へ、【竜滅勲章】を授与』
という見出しが目につく。
ここしばらく、広い範囲の管理世界で現地魔法生物の凶暴化が頻発して起きていた。
原因は未だ不明で、気性の穏やかな生物から危険度の高い生物まで様々な魔法生物が暴れており、その影響で多くの負傷者が出ている。
管理局でも当然その対応をしたものの、いかんせん範囲が広すぎた。
その足りない人手を補うために、友好組織である聖王教会へ支援を要請したのだが、その中でも一人の騎士の活躍が甚大であるとして、管理局から勲章を授与することが決まったのである。
ニュースは画像付きでその騎士のことを紹介しており、聖王教会の騎士服に身を包んだ青年が勲章を受け取っている写真が載せられていた。
(……この人のどの辺りが『優しいお兄さん』なのよ、バカスバル)
写真に映っている青年は、画像でも伝わってくるかのような清廉な覇気を纏っており、まさしく『騎士の中の騎士』と言ってもいいだろう。
近年目覚ましい活躍を見せるこの青年のことを、実際に会ったことこそないものの、ティアナは少しだけ知っていた。
きっかけは、コンビを組む少女が以前にテレビ中継を見ながら言った言葉だ。
『――あ、ケンセイさんだ』
ポロっと零した少女の目は驚きに包まれており、何故ここに、と言わんばかりであったが、ティアナはそれ以上に驚いて、少女を張り倒した。
テレビ中継されていたのは、その年の航空戦技競技会のエキシビジョンマッチであり、少女の憧れの人が出るから、と言われて一緒に見ていたのだ。
まさかその対戦相手までも少女の知り合いだとは思わなかった。自分とコンビを組む少女の交友関係が理解出来ない。
聞けば普段『定期検診』に行く病院でよく顔をあわせる仲であり、
『えっと、ケンセイさんは、優しいお兄さん、って感じかな?』
と能天気に言っていたが、その戦いぶりを見てそんな印象は持てなかった。
試合そのものは負けてしまったが、教導隊のエースを相手に空戦で互角に渡り合い、途中はむしろ押していたほど。実力伯仲で、どちらが勝ってもおかしくないように見えた。あれで陸戦が本領だというのはどうかしている。
戦う前から獰猛な笑みを浮かべていたが、戦っている時の彼はそれ以上だった。あまりにも猛々しく、苛烈で、その上あの『黒鎧』と武器の禍々しさである。とてもではないが、『優しいお兄さん』なんて冗談にしか思えない。
少女はそんなことで嘘を付く人物ではないため本当のことなのだろうが、それでもその印象を100%信じることは出来なかった。
ティアナが乗るバスは都市部を突っ切って、機動六課の隊舎がある港付近に向かっている。
それなりに綺麗な隊舎ではあるのだが交通の便が悪く、都市部へ行くにはバスを利用するか、自前の車かバイクを用意しなければならない。
陸海空の試験的な合同部隊で様々な制約があることは分かっているが、もう少し考えて欲しくもある。
そんなことを思っていると、バスが停車した。目的地に着いたわけではなく、まだ途中のバス停だ。
転送用ポートが設置されている施設の目の前のバス停だけあって乗り込んでくる人物はそれなりに多く、ガラガラだった車内はほぼ埋まってしまった。
これは相席になるかもしれない、とティアナが隣の席に置いていた荷物を足元に移動させたところで、声を掛けられた。
「――すみません、相席よろしいですか?」
見上げればメガネを掛けたスーツ姿の男。特徴らしい特徴は、ミッドチルダではあまり見かけない真っ黒な髪と少し明るい茶色の瞳ぐらい……なのだが、
「……」
「……あの、自分の顔に何か付いてます?」
首を傾げる男性の声でハッとする。
初対面の相手の顔をジロジロ見続けるのは、あまり行儀のいいことではない。
「す、すみません。何だか、何処かでお会いしたことがあるような気がして……」
咄嗟に言ってから後悔した。
どこか見覚えのある顔だというのは確かなことだが、これでは一昔前のナンパの誘い文句だ。
男も呆れるだろう、と恐々反応を見る。
「――君は……」
少し驚いたように何かを言いかけ、しかし最後までは口にしなかった。
「あぁ、いや、なんでもない。気にしないでくれ。……所で、結局相席しても良いのかな?」
「あ、はい!どうぞ……」
お互いに微妙な雰囲気にはなったが、それほど気にする必要もないだろう。
男性は苦笑しつつも言葉遣いが柔らかくなっており、少なくとも不愉快には思っていないようだった。
失礼、と断ってからティアナの隣に腰を下ろし、スーツの内ポケットから通信端末を操作し始める男性。
その横顔を、自身も端末を操作しながら横目で観察する。
(……ほんと、何処かで見たことがあるような気はするんだけど……)
美形、というほどではないがそれなりに整った顔立ちで、あまり見ない黒髪。少し吊り気味の目。
メガネのせいか理知的な雰囲気があり、最初の声の掛け方も非常に丁寧な言葉遣いだったが、卑屈さは欠片もなかった。
自分に自信があるのか、常日頃から礼節を重んじているのかのどちらかだろう。
更に、よく見ればスーツは既製品ではなく体型に合わせたオーダーメイドであり、革靴も良く手入れされている。
今は亡きティアナの兄は基本的に管理局の制服が仕事着だったが、時折スーツで仕事に行くこともあった。
民間企業との業務調整などの際は威圧感を出さないように、とのことで、着こなしやスーツのブランド等もそれなりに気を使うのだと話を聞いた覚えがある。
今隣に座っている男性は物も着こなしもしっかりしていて、なるほどこういうことかと理解する。
服装だけでも品位が伝わり、誠実さを測ることが出来る。
大手企業のサラリーマンか、はたまた若い実業家かもしれないと考えたのだが、それなら自分が見覚えがある、というのもよく分からない。
その上、男性が使っている通信端末もまた不思議だった。
(……あれって確か、何年か前に発売された型落ちの端末よね……?使いやすい、って話も特には聞かないし、なんでスーツとかにはお金掛けてて端末は旧式なのかしら……)
非常に発達した科学技術を誇るミッドチルダにおいて、通信端末という商品は市場の入れ替わりが激しく、割と直ぐに買い換えるのが一般的だ。
魔導師の生命線とも呼べるデバイス開発の副産物として、優れた情報処理能力のある通信端末であってもそれなりに安価で、むしろ手作業で生産されるオーダーメイドのスーツの方が数倍の金額がかかるだろう。
ビジネスマンなら通信端末にもお金を掛けていて当然だと思うが、もしかしたら何か思い入れのある端末なのかもしれない。
(……ま、私だって兄さんから貰ったおもちゃの銃を未だに持ってるし、人それぞれよね)
結論に達し、不躾な観察を続けてしまったことを恥じる。
視線に気付かれて不愉快な思いをさせてしまったかもしれないと、もう一度男性の横顔をチラ見しようとした、その瞬間だ。
キキーッ!
大きなブレーキ音を立てて、バスが急停車した。
数人の乗客が対応出来ず、進行方向につんのめる。それは完全に油断していたティアナも同じことで、慣性に従って目の前の座席に突撃するところだった。
それが現実にならなかったのは、横から伸びてきた腕に支えられたからに他ならない。
「大丈夫か?」
「あ、はい、ありがとうございます」
一瞬の出来事だというのに、男性は慌てることなくティアナの体を腕一本で留めている。 体に触れた腕は見た目以上に力強く、ティアナをしっかり確保していた。
しかし、バスが急停車とは一体何事なのか。
そう思っていたティアナの耳に、腹の底に響くような発砲音が飛び込んできた。
ギョッとする乗客一同。
そして停止したバスの前方ドアを蹴破って、ギラついた目をした男が侵入する。
男は荒い息を吐きながら周りを見回し――近くにいた10歳前後の少女を引き寄せた。
「――てめぇら、大人しくしろ!!」
怒声と共に少女に光沢のある黒い物体――拳銃を突きつける。
それに驚いた乗客が数名、パニックになって動こうとした瞬間に男は拳銃をバスの天井に向け、
バンッ!
撃った。
「大人しくしてろって言っただろ!!」
唾を飛ばしながらの、再びの怒声。
間違いなく本物の、時空管理局によって所持や使用が厳しく制限されているはずの火薬式銃、質量兵器。
それを手にした男が、自分たちの乗っているバスを占拠したのだ。
「おい!バスを出せ!」
少女に拳銃を突きつけた男が、運転手に叫ぶ。
目の前に人を容易に殺傷出来る兵器があり、少女が人質に取られている。
バスの運転手に、その命令を拒むことなど出来るわけがなかった。
(……状況が、悪過ぎる)
それがティアナの感想だ。
相手は一人だが本物の質量兵器を所持していて、年端もいかない少女が人質になっている。
バスは男の要求通りに走り出し、外からの救援を待つのも時間がかかりそうだ。
ティアナは、バスジャック犯の顔を見たことがある。
それは管理局内で定期的に回覧される指名手配の人相書きで、記憶に違いがなければ、この男は既に二人の民間人を撃ち殺している。
入手経路不明の拳銃を使って宝石店に強盗に入り、警備の人間と通り掛かった一般人をあっさり射殺したのだ。
そのまま行方を眩ました男は今日に至るまで発見されなかったのだが、数日前管理局に目撃情報が入り、捜査が進んでいたはずだ。
隠れ家付近まで捜査の手が伸びてきたことに焦り、バスジャックという行動に出たのだろう。
正直な話、拳銃はティアナにとって大した脅威ではない。
魔導師の基本装備であるバリアジャケットは物理的な衝撃に対してかなりの強度を持っている。魔力を纏わせた斬撃や打撃など、もしくは許容値を上回る衝撃であれば貫けるが、単純な物理作用しか引き起こさない、そして物理エネルギー量もそれほどない拳銃程度であれば、真正面から食らっても余裕で弾くことが出来る。
しかしそれは、『ティアナ』にとっては、というだけでしかない。
バスジャック犯が人質にしている少女を始めとした、このバスに乗り合わせた大半の人間にとっては、 拳銃とは自分を殺傷しうる『兵器』なのだ。
その上、場所も悪い。
路線バスという閉所空間では大きな動きは制限され、少しでも不審な動きをすれば犯人に見咎められるだろう。
既に二人を殺している犯人だ。そうなった場合、容赦なくティアナを撃つ可能性が高い。
弾丸はバリアジャケットに弾かれる。
――その弾丸が跳弾して乗客に当たらないと、誰が保証できるというのか。
(……迂闊に動けないし、犯人が念話を傍受出来ないとも限らない。むしろ質量兵器を手に入れて人を殺しておいて、未だに捕まっていない犯人なら傍受機くらい持ってる可能性が高い)
魔導師が使う念話は便利であるが、傍受しようと思えば割と簡単に傍受出来る。
助けを呼ぶことも、出来そうにない。
ここは様子を見るしかないか、と。
ティアナが静観の姿勢を取ろうとした時だ。
「――タイミングは任せる」
小声で。
隣の男性がティアナに向けて囁く。
え?と声を上げる暇もなく、男性は立ち上がった。
当然、犯人には見えている。
一瞬で男性に銃口を向け、叫んだ。
「おい!勝手に動くんじゃねぇ!」
その様は普通の少女の恐怖を煽るには十分で、人質に取られている少女は目に涙を浮かべている。
「すまない、しかしこれだけは提案させてほしい。――私が代わりに人質になるから、その子を放してあげてくれないか?」
「は?」
両手を上にあげ、無抵抗を示しながら。
この状況にあって冷静な、笑みすら浮かべていそうなほどの声だった。
ティアナには男性の顔も、犯人の表情も見えない。
(……あれ?『見えない』?)
気付く。
男性は不審に思われない程度の位置で、犯人とティアナの間に入るように立ち上がっており、ティアナには犯人が見えない。
それはつまり、犯人からもティアナが見えないということだ。
バスの座席と男性の姿でティアナは完全に隠されていて、この状況ならば、
(――デバイスを起動させることも、魔法を準備することも、出来る!)
先ほど立ち上がる直前に言った『タイミング』とは、そういうことだろう。
男性は犯人を刺激しすぎない程度に話を続けており、少女がこのまま泣き出してしまったら犯人としても面倒臭いだろう、そちらには武器があり、走り続けるバスの中で管理局も手を出してこないだろう、誰が人質でも問題ないはずだ、と語っている。
(……なんで私が魔導師だって知ってるのかは分からないけど、このチャンスを無駄には出来ない)
男性が犯人の注意を引いている間に、素早くデバイスを展開した。
自作の銃型デバイスは処理能力こそ低いものの、魔力の少ないティアナが最大限の力を発揮できるようにカートリッジシステムを搭載し、射撃系魔法の狙いを付けやすくするなどの、細かいチューニングされている。
欲を言えば、誘導弾制御に高い能力を発揮するインテリジェントデバイスがほしいところだが、あんな高級品を役職もない平管理局員が買えるはずもない。身寄りもなく、入局からそれほど年数の経っていないティアナには、手製のこれが精いっぱいだ。
そのデバイスで使用する魔法は、ティアナが最も得意とする直射射撃魔法の応用技。魔力で空気を圧縮して打ち出すエアバレット。
誘導弾の方がより正確に犯人を狙えるが、移動し続けるバスの中は常に座標が変わり続けている。自分の能力では、制御にミスが出るかもしれない。
魔導師相手では心もとない威力しか出ない空気の弾でも、質量兵器に頼るしかできない魔力の乏しい犯罪者相手であれば十分で、なにより、射角上犯人に見えてしまう単純直射弾よりも隠密性が高い。意識しなければ目では負えない不可視の弾丸という、堅実な選択肢を選んだのだ。
チャンスは一発限り。
その上時間も多くはない。
(……大丈夫)
体には緊張から力が入り、呼吸も安定しているとは言い難い。
それでもティアナは、撃つと決めた。
この程度の危機を乗り越えられないようでは、なんのために管理局員になったというのか。
(――ランスターの弾丸は……)
全てを撃ち抜く。
その言葉を思い浮かべ、
(――エアバレット、ファイアっ!)
トリガーワードは脳内で。
引き鉄を引く動作と思考領域を連動させ、放った。
魔力によって圧縮された空気の弾丸が、バスの座席の隙間から解き放たれる。
素早く、そして正確に。
ティアナが得意とする、シャープシュートの名に相応しい一撃だ。
軌道は完璧で、純魔力弾ほどの威力はないが無色透明で不可視。その上ほぼ無音と言っていいほどの隠密性。
やはり犯人はそれに一切気付くことはなく――
ガタン!
と、バスが揺れた瞬間から、ティアナの思考は自分でも信じられないほどに引き延ばされた。
走行中に石でも踏み越えたのか、僅かに揺れた車内。
犯人の頭に向かって一直線に駆ける弾丸。
揺れた車内で、――合わせて動いた犯人。
完璧だったはずの軌道から、ほんの少し。数センチだけ、犯人の頭が動く。
たったそれだけだ。
それだけで弾丸は、犯人の後ろの支柱へ吸い込まれた。
バンッという空気の弾ける音が響き、犯人が支柱を見、気付いた。何者かによって攻撃されたのだと。
そして一瞬でその何者かを断定する。
「っ、てめぇか!?」
視線と銃口が両手を上げて立っている男性へ戻る。
その激情のまま、犯人は指先を動かした。
(っ!!)
そういった全てがティアナの視界の中、スローモーションで流れる。
撃ったのは自分だ。
その人はやっていない。
それなのに弾丸は、無慈悲にティアナの前に立つ男性へ向かう。
人を容易く死に至らしめる鉛の弾。
その脅威は、
バシッ!
乾いた音を立てて役目を終えた。
それに続いて、え?と間の抜けた声を出したのはティアナの口だ。
目の前で起きた光景が信じられなかった。
撃った犯人も唖然としているが、それも仕方がないだろう。
音速を超える弾丸を掴みとられるなんて、想像もしていなかったのだから。
「――ふっ!」
掴んだ弾を地に落とし、一息、大きく息を吐きながら男性が駆けた。
犯人は呆然としていて、その動きに対応出来ない。
瞬く間に接近し手刀で拳銃を持つ手を打ち払い、脅威を取り除くと同時に、もう片方の手で人質になっていた少女を引き離す。
その衝撃で犯人も我に返ったが、もう遅い。
男性は右足で犯人の足を払い、体勢を崩して組み付いた。
「んがっ!?」
顔面から床に押し付けられた犯人が、哀れな悲鳴をあげる。
流れる様な一連の動作に、ティアナも他の乗客も、人質になっていた少女ですら唖然としていた。
そんな中で男性はふぅ、と息を吐くと、
「運転手さん、バスを道路脇に寄せて止まってください。すぐに管理局員がくるはずです」
犯人の腕を極めながら冷静に、そう告げた。
男性に言われるままにバスが止まってから数分後、管理局の地上部隊が到着した。
バスジャックの始まりを見ていた民間人からの通報を受けて出動したのだが、現場に着いた時には既に事件が解決していたというのだから遣る瀬無い。
男性から要請されて、犯人をバインドで縛っていたティアナが身柄を引き渡し、事件は終わった。
のだが、
「――すまない、後日改めて事件の詳細を聞きたいんだが、日程を決めるために部隊の上司に連絡を取ってもらえないか?」
と丁寧に言われてしまった。
既にティアナが身分を提示しているため、明日から始まる新設部隊の所属なのは相手も知っている。
しかし、まだ始動していない機動六課の所属だからこそ、この状況で誰に連絡を取ればいいのか、ティアナも地上局員も分からなかった。
普通の部隊なら、当直勤務の者が通信に出られるのだろうが、機動六課の正式稼動は明日からだ。
確実に連絡の取れる相手が見つからない。
明日から直属の上司となる高町なのはに連絡しようかと思ったのだが、今日は休日である上にもう夜も遅い。
かのエースオブエースへこんな時間に連絡を入れていいのかどうかと、ティアナと地上局員が揃って頭を悩ませていた時である。
「――それ、自分でも構いませんか?」
声を掛けてきたのは、別の局員に事情を聞かれていた、犯人を確保した男性だ。
見れば彼に事情聴取していた局員が、ガチガチに固まって敬礼をしている。
「あ、局員の方でしたか。……すみません、身分証を提示してもらっても?」
話の流れ的に、男性も管理局員なのだと理解した地上局員の言葉に、
「えぇ、……と言っても、所属は今日からなんですけどね」
朗らかに返す。
今日から?と首を傾げた地上局員に、スーツの内ポケットから取り出した端末の空間投影で、身分証を提示した。
「…………は?」
それを暫し見つめた後、あんぐりと口を開けて、間抜け面を晒す局員。
「……え?えぇ?」
身分証と男性の顔を交互に見て、そしてハッと我に返って敬礼する。
「し、失礼いたしました!」
その対応の変わり様に首をかしげるティアナと、苦笑する男性。
「その、御活躍は常々耳にしているのですが……」
「まぁ、気付かれない様に変装している訳ですから。それに、自分が今日から管理局にも籍を置くということは、まだ公開されていませんし」
だから仕方がない、と笑う男性。
「……しかし、メガネと服装だけでここまで印象が変わるというのも、その、凄いですね」
「それほど特徴のある人間ではありませんし、公の場に出る時は必ず騎士服でしたからね。今の所名乗らないで気付いたのは、友人を含めて数人しかいません。……まぁ、そのうちの一人は君なんだが」
最後の言葉は、地上局員ではなくティアナに向けられていた。
「え!?えっと、その、すみません……確かに何処かでお会いしたような気はするんですが……」
男性の言う『気付いた』とまではいかない。何処かで会った、若しくは見たことがあるのは確実なのだが、どうにも正体が浮かんでこない。
「そうなのか?てっきりバレてると思ってたんだが……」
バスに乗ってすぐ、顔を合わせた時の反応で気付いていると考えていたらしい。
では改めて、と。
男性がメガネを外し、名乗った。
「―― 一年間だが、聖王教会騎士と時空管理局員を兼務することになった、ササハラ ケンセイ3等陸尉相当官だ。明日から機動六課に、教導出向扱いで配属される」
顔を見て、名前を反芻し、今日何度目のことか分からない驚きを顔に浮かべてしまった。
見覚えがあるはずだ。
出会う直前に、彼の写真をニュースサイトで見たばかりなのだから。
「……平たく言えば、君達新人フォワード陣の教官だな。まぁ、俺も教官としては新人だから、高町1尉とヴィータ2尉がメインでの指導になるとは思うが」
ニュースの写真での毅然とした顔付き、とまではいかないが、仕事用に意識を切り替えた顔は、先ほどまでとは印象が大違いだ。
しかし顕正はその顔付きを崩し、悪戯っぽく笑う。
「ともあれ、それが始まるのも明日からだ。そのためには、まず先に片付けなくちゃならない問題がある。……ティアナ・ランスター2等陸士、それが何か、分かるかな?」
突然そう問われて、しばし考え、そして顕正が出したヒントに気付く。
顕正は苦笑しながら右腕の腕時計をトントンと叩いていた。
もう夜も遅い。
もともと兄の墓参りを終えた時間が遅かったのもあるが、バスジャックに遭遇したせいで更に遅くなってしまっている。
ティアナは問われた問題に、正しい答えを返した。
「……寮の門限が、時間ギリギリです」
突発的に起きたバスジャック事件を解決したばかりとは思えない問題ではあるが、顕正は頷いた。
「そう、そういうことだ。配属前日に門限破りなんて、部隊長にどんな嫌みを言われるか分からん。可及的速やかに帰隊しなければならない……」
もっともらしく神妙な顔付きだが、もちろん本気で言っているわけではない。
場を和ませるジョークの類なのだろう。
運が悪かったとはいえ、バスジャック犯への攻撃を外して、周りには見せないように落ち込んでいたティアナへの配慮だ。
会ったばかりではあるが、ティアナにも顕正の人柄が見えてきた。
(……うん、確かに、あんたの言ったとおりだったわ)
寮で自分の帰りを待っているだろうコンビを組む少女の、にへら、と笑う顔が見えた気がした。
なお、結論から言うと、運良くタクシーを拾う事ができたので門限には間に合った。
しかし門限ギリギリになって心配していた寮母のアイナ・トライトンから、
「……そういう事情があったのなら、連絡してくれれば大丈夫ですし、ササハラ3尉相当官と一緒なら、尉官権限でティアナさんの門限を一時的に引き延ばす事も出来るのですけど……」
という指摘を受ける事になるのであった。
はい、やっとSts編が始まりました。
ここからは原作があるので少しは展開が楽になるかなー、と思っています。
そしてごめんなさい。
また二か月以上も期間が空いてしまいました。もうそのうち四半期に一話とかになるんじゃないか……。
ちょっと仕事で忙しいのが続き、最近は家に帰ったら艦これのデイリーを消化して寝るだけの毎日です。綾波かわいいよ綾波。
出来るだけ早く次の話を上げたいところですが、もはや迂闊に月一更新すら言えない状況です。
超不定期更新が続いておりますが、皆様の御期待に添えるように頑張っていきます。
あ、あと、読者の方に提督がいっぱいいてビビりました。
それではまた次回。