「……………………」
おねーさんが私の作った照り焼きを食べてから三分たった。
ひたすらモグモグと咀嚼を繰り返すおねーさんは終始無言のままで、見守る私とオセロットの額には汗が滲んでいる。
奇妙な緊張感がまったく途切れない。美味しかったのか。それとも不味かったのか。それすら意思表示してくれないおねーさんの態度に喉だけが乾いていく。
高校入試の面接はこういう雰囲気なんだろうか。私は義務教育しか受けてないから分からないけれど。
「メンチ……お味のほうはいかがですの?」
業を煮やしたオセロットがついに声をかける。高まる緊迫感。いつの間にか魚をとって戻ってきていた受験生たち。
謎のプレッシャーに半笑いを浮かべる忍者。心配そうに木陰から見守るひげのおじ様。気にせず小声で会話しているゴンくんとキルアくん。やたらと神妙な顔つきで生唾を飲み込むクラピカ。ツッコミを入れるレオリオ。気持ち悪いヒソカ。気色悪いヒソカ。気味悪いヒソカ。気分悪いヒソカ。
どうやらメンチという名前らしいおねーさんがゆっくりとオセロットに視線を向ける。次の瞬間、彼女の瞳から流れ落ちたのは一筋の涙だった。
「ちょ、メンチ!? なんで泣いてるんですのッ!?」
慌てふためくオセロット。ざわつく受験生。とっさのことにリアクションできない私。
さめほろろと泣きながら、メンチおねーさんは両腕を大きく広げてよたよたと私に近づいてくる。後ずさろうか迷う私を、彼女はぎゅむっと抱きしめた。
完全無欠のプロポーションをぞんぶんに味わうことのできる立ち位置。この人の見た目レベルは相当高いから決して抱擁されることが嫌だとは思わないが、しかし急に来られても嬉しいより先に戸惑うだけだ。
困惑を読み取ったのか、メンチおねーさんは両腕に込める力を増しつつ叫ぶ。
「美味しかったよぉー!! 子供の頃にたまたま食べてから、もっかい食べたいってずっと思ってたのぉー!!」
「そうか……喜んでいただけたようで何より」
二十歳を超えた女性とは思えない言動。だが、ここまで取り乱すほど美味しいと感じてもらえたなら私の合格は確実だろう。ちらりと目配せすればメンチおねーさんは頷いてくれた。
「合格。他の人に作りかた教えちゃ駄目だから、こっち来て」
ぽろぽろと零れ落ちる透明な滴を手の甲で拭いながら、もう片方の手で私を担ぎ上げてソファーに向かう。この体勢になるのは今日だけで三回目だ。そのうち二回は女に持ち上げられているのだから、この世界の女がどれだけ力持ちかよくわかる。
ソファーに放り投げられた。上質なスプリングが軋む感覚。前世で幼い頃よく行ったラブホテルの安っぽいベッドとは違って、ずいぶんと金がかかっていそうな造りだった。
長い脚を持て余すようにメンチおねーさんも私の隣に座る。いつまでも横になっているわけにはいかない。私も上半身を起こしてきっちり座ろうとしたが、何故か遮られた。そのままメンチおねーさんの太ももに頭を乗せさせられる。
……膝枕だ。
花に吸い寄せられるミツバチの如く私の黒髪へと手を伸ばし、さらさらと梳きながらメンチおねーさんは柔らかな笑を浮かべた。
「ご褒美よ。うふふっ。ありがとう、あれって思い出の味だったのよ。私の母さんも美食ハンターなんだけど、五歳の誕生日に照り焼きを作ってくれてね。もう忘れられないくらい美味しかったんだから」
「へぇ……私とそのお母さんの照り焼き、どっちが美味しかった?」
「お母さんに決まってるじゃない。でも、アンタが作ったのも美味しかったわよ。美食ハンターになるなら指導してあげる」
「勘弁してくれ。おねーさんの指導なんて現代っ子の私にはきっと苦行だぜ」
付き合いたての恋人同士のような体勢で語らう。
ここにはいない母親を想って浮かべるおねーさんの笑みは、私には決して浮かべられない暖かなものだった。
……己に対する自信に満ちあふれた笑みならば私も得意だ。けれどもそれは「どうせお前は私に惚れるだろう?」とでも言いたげな高慢な女の笑みで、こういう誰かから注がれた無償の愛を思い返す幸せな女の笑みではない。
私にはできない顔をする。そんなメンチおねーさんに少しジェラシーを感じて、思わず顔を背けた。
「キルアくん、ゴンくん、レオリオ、クラピカ、オセロット。頑張れ。照り焼きはそこまで難しい料理じゃないから、コツさえ掴めば大丈夫だ」
膝枕されたままの状態で五人にエールをおくる。
私の言葉で自分だけ魚をとっていないことにやっと気付いたらしく、オセロットは「目の保養してる場合じゃありませんわ!」と慌ただしく駆けていった。あいつもかなりの面食いだ。しかも男女の見境なしときた。
しばらくおねーさんの太ももを枕にぼーっとしておく。
その間、レオリオさんが捌いてもいない魚の丸焼きに謎のソースをぶっかけたものを持ってきたり、キルアくんがこじゃれている割にあまり美味しくなさそうな魚料理を持ってきたりと、色々あったが合格者は一人も出なかった。
タイミングを伺っていたのか人波が途切れたところでハゲの忍者登場。自信満々に差し出された料理はしっかりとした照り焼きに見えたが、食べたメンチは顔をしかめた。
「……ダメね。先に思い出の味なんて食べたせいで、ちゃんとしたものが出てきても美味しいと思わないわ」
「はあ!?」
「さすがはハンゾー。流れが変わってもハズレくじを絶対に引くその苦労人属性。ぶれませんわ」
納得できない様子で絶叫するハゲ忍者。無事に帰ってきていたオセロットの発言から察するにハンゾーというらしい。彼は苦労人属性なのか。たしかに裏っぽい空気感に混じって人の良さそうな雰囲気も漂っている。きっと将来的には清濁併せ飲んだうえで自分なりの希望と幸福をゲットするタイプに違いない。
ちなみにオセロットの服装はまたもや変わっていた。灰色とピンクの、毒々しいコントラストのメイド服だ。もうツッコミは入れない。
「おいおい試験官のねーちゃん! いくらなんでも理由がそれってのは横暴すぎねーか!?」
「しょうがないじゃない! 美食ハンターたるもの、自分の味覚には正直に生きなきゃ!」
「正直すぎるにもほどがあんだろ! おい、そっちのねーちゃんもなんとか言え!」
「さすがはメンチ! アタクシたちにできないことを平気でやってのける! そこに痺れる憧れる! ですのッ!」
「褒め称えろとは言ってねぇ!!」
私を間に挟んでぎゃーぎゃー言い争う三人。後ろの受験生たちも不満げではあるが、ハンゾーさんとオセロットがあまりにもうるさいから噛み付きあぐねているみたいだ。
そうして大人しくしているのが正解だと思う。メンチさん、キレると怖いうえにキレやすそうって風に見えるし。というかズボンの中に包丁が隠してあるのに気付いてしまったから私も気が気じゃない。機嫌をとるために静かに撫でられておこう。
……なんだかなぁ。こういうことやってると、前世とあまり違わない生き方してるような気がしてくるぜ。
いや、今世じゃ体は前も後ろも清いままだ。自分から言い寄っているわけでもない。甘えて金をせびってるわけでもない。恋心を弄んでもいない。
うん、いけるいける。まだまだ大丈夫だ。この程度のスレ具合なら似たような同年代はきっといるはず。私の“私を愛してくれる友達たくさん欲しい願望”を達成できる確率は絶望的じゃない。
まずは仲良くなれそうなレオリオ・クラピカ・ゴンくんともっと距離を近づけつつ、ちょっと敬遠されているキルアくんになんとかして友情を感じてもらおう。頑張れ私。命をかけて友達作るぞ。
ちょっと無駄に緊張しつつ心の中で何度目かの決意表明。
私が思考の海でぷかぷか浮かんでる間に話は進んでいたようで、なんか建物の外に上空からじーさんが飛び降りてきた。
凄まじい砂煙だ。思わず咳き込む私。そんな私を急いでソファーに移し、メンチおねーさんは慌てて立ち上がった。
「ネ、ネテロ会長!」
あの強靭そうな老人が会長。メンチおねーさんはハンター試験の試験官だから、この場合の会長は十中八九ハンター協会の会長ということ。つまりはお偉いさんか。
ぱっと見た印象は仙人の一言に限る。元いた世界だと、ヨーロッパよりむしろアジア系の佇まいだ。でもネテロって名前なら少なくとも日本近辺の人じゃない。
……視線がメンチおねーさんの胸に向いてるあたり、悟りとは無縁の性格そうだけどな。天下一品のボディを前にすれば熟練の戦士も形無しか。
この人、さっきの飛行船から墜落して着地するパフォーマンスが無くてもわかる。メンチおねーさんとオセロットより強い。それどころかヒソカよりも強者の風格を感じる。
さすがは噂に名高い心源流の創始者。飄々とした様子でメンチおねーさんと会話を続けながらも、一部さえ隙がない。いや、あったとしてもきっとそれはフェイク。調子に乗って突こうとした瞬間、カウンターでどぎついのを喰らってご臨終すること間違いなしだ。
私もソファーから立ち上あってオセロットたちのほうに近づく。照り焼き……のように見える黒焦げたテカテカの珍魚を地面に置いてくずおれているオセロットは、その隣で死にそうな顔をしているクラピカと二人で愚痴りあっていた。
「自信があったわけじゃないけれど……でも作り上げた瞬間に不合格の烙印を押されるとは思いませんでしたの……」
「レオリオと同レベル……あんなこの世のものとは思えない料理と同レベル……」
「どういう意味だゴラァッ!」
「元気だして三人とも! 俺とキルアなんて皿ごと投げられちゃった!」
「けっこう上手いこと出来たと思ったんだけどなー」
……なんだかとても楽しそうで会話に混ざりにくい。
思わず足を止めて、ぐっと拳を握り締めた。こういう時ってどうやって会話に入ればいいんだろう。冷や汗かいてきた。
可愛い子ぶっても格好つけても友情は育まれないよな。自然体でいくのが一番なんだろうけど、そもそも自然体でいくと玄人女臭が抜けきらない。
十九歳で死んでから今が十四歳、女として生きた時間のほうが長かったんだから。今はほとんど素で生きてるけど、それでも意識的に少年っぽく振舞うように心がけている。
この振る舞いが意識せずともやれるようになった時が、祝園踊子とオリヴィエ=ガルヴィーノが上手く混ざり合って馴染んだ時なのだろう。すなわちその時まで私の自然体はお預けだ。
「おーい、オリヴィエー! 合格者一名じゃひどいから再試験やるんだって! すっごく大きな飛行船だよ!」
「んなトコでつっ立ってねーではやく来いよ。お前は再試験しなくて良いだろうが、ここにいると三次試験が受けられなくなちまうぞ」
優しいゴンくんと、ああ見えて面倒見のいいレオリオが私を手招きする。
……こうして誘ってくれると物凄く近づきやすくなる。リードの上手い男が奥手な女にモテる理由を改めて実感しながら、私は止まっていた動きをやっと再開させた。
再試験。ここから近い場所でメンチおねーさんのお好みとなれば、例の卵が有名な谷にでも行くのかな。
あとでオセロットに聞いておこう。
かなり飛び飛びですが、やっとゆで卵を食べに行けそうです。
ところでメンチさんってどのくらい強いんでしょう。