私には同居している人が居る。彼はこの家の家賃や光熱費を私が出していると思っているが、実際は彼が宇宙で稼いだ莫大なお金を地球のお金に換金しそのお金で払っている。なのでこの家も彼の物と言えよう。
仮に私のお金だとしても巡り巡って彼の物になるので問題ないし関係ない。なぜなら私は彼の奴隷だからだ。
そう、わたし御門 涼子ことドクター・ミカドは、雪ヶ丘有里の所有物である。
なんて言うと私のご主人様は怒るので心の中でいつも忠誠を誓っている。
自分がある組織に連れ去られ実験をさせられていた頃、毎日簡単に死んでいく実験動物と自分の心。生きている意味も見失い組織の目を盗み死のうとしていたとき、彼が助けてくれた。
後から聞いたところ組織に掛けられた懸賞金とムカついたからが理由であって、わたしを助けたのは単に気まぐれ。自分の宇宙船に連れて行ったのも死にたそうな顔がムカついたから。
「殺してください」
「なんで?」
「わたしにはもう生きている価値がないから」
「じゃあ勝手に今死ねよ。頼むってことは殺して欲しいんじゃなくて助けて欲しいんだろ。だったらそう言えよ」
「わたしが許しても彼らが許さない! 解剖されながら死んでく子や注射をされながら悲鳴を上げる子! みんな、みんな死んでいった、わたしが殺したの!」
「そうだな、お前はクズだ。誰かを殺し、そのことから逃げるために自分も殺そうとしてる。それすらも逃げてオレに殺せとせがむくらいだ。どうしようもないクズだ」
「じゃあわたしはどうすればいいの!」
「奇遇だな、オレも宇宙一のクズなんだよ。いいよ、オレが貰ってやる。オレのことだけ考えて生きろ。常にオレの為に考えてオレの為に行動してオレの為になることだけしろ。後悔とかしてる暇もないくらいこき使ってやるよ。お前は奴隷だ」
これが彼との最初の記憶。わたしを組織から救い出してくれた時、彼が救世主……王子様に見えた。それがまさかこんな人だったとは思わなかった。しかしわたしも単純で、その頃は売り言葉に買い言葉。彼の言うことを必死でこなし、訳の解らない注文に死ぬ物狂いで食らいついていた。悔しいけど、彼の言うとおり後悔なんてしている暇がなかった。
そんな生活が続いて、いつからか彼からの無茶な命令が無いことに気付いた。何でだろうと思ったが、聞ける筈も無いので代わりに彼を観察することにした。見ていると解ることがある。
彼はとても弱い人間だった。脆いと言っていいのかもしれない。彼には愛がない。家族や仲間を欲していて色んな人と仲良くなったり打ち解けようとする。でも一定より内に入ってくる人を必死で拒もうとする。わたしに対してもそうだったのかもしれない。
宇宙でも類を見ないほどの強さを持つ彼。そんな彼の内に秘めた弱さにひどく惹かれた。彼に愛を知ってほしいと。
そして色々な旅をして今に至っている。今でも彼に愛を知ってほしいという気持ちは変わらない。変わったのは彼への愛情の大きさくらいかしら。好きで好きで気が狂いそうになるなんて体験を自分がすることになるなんて思わなかった。
私は彼を愛している。
そんなことを考えている御門のことなど露知らず、有里は久々の鍛錬に心を沸かせていた。このトレーニングルームは特別に作られた頑丈な部屋で草野球ができるほどの広さがあり、色んな環境を再現できるシステムが備えられており今は岩が乱雑に置かれた大地に設定されている。
そんな場所で有里は普段着に身を包み柔軟体操をしている。そこから少し離れた場所でフル装備を着込み愛刀を構える男が一人、ザスティンだ。
今回鍛錬の相手に選ばれ早朝にも関わらず呼び出されていた。ザスティンとしても地球の生活に戦闘の勘が鈍っていることを自覚していたらしくすぐに了承の返事が来た。
この二人の鍛錬は何度も行われていて今回で327回目。ザスティンの戦績は289敗38勝だ。かなり負け越している上にこの38勝も剣を用いた決闘スタイルで、有里が剣を使いたいと持ちかけたもので何でも有りの戦いでは一度も勝てていない。
それでも挫けず向かってくるザスティンが有里も嬉しく宇宙にいる頃は度々こうして一緒に鍛錬をしていた。
「久々ってことで軽くね。それじゃ始めるか」
「お願いします」
言い終わるや否やザスティンは構える。頭を戦闘モードに切り替え意識を全て有里に集中させる。一挙手一投足、目の動き一つ見逃さないつもりで有里の出方を伺っていた。
が、瞬時。有里の姿が消える。まるで途中で書くのをやめてしまったパラパラ漫画のように。
後の先を取ろうとしていたザスティンは心を乱す。いくら有里が強く速いとしても、視界の端ですら捉えられないとは思っていなかった。
反射的に辺りを見回そうとする首を意識で押さえ込む。その動きが有里相手に自殺行為であることをザスティンは度重なる対戦で知っていたからだ。しかし一度揺さぶられた心までは抑えることはできない。そのほんの一瞬の間、まばたきよりも薄いその時の隙間に滑り込むようにザスティンの目の前に有里が現れる。
「まず一勝」
重厚な鎧にそえられた手のひら。地面から伝わる力に腰の捻りを加え腕の力を足す。内側へ染み込むような悪魔の一撃を加減無く叩き込んだ。
「――――っ」
声を出すこともできずザスティンは30mほどを一瞬で吹き飛んだ。何度も地面を擦りながら飛び、大きな岩へぶつかる。爆発のような土煙が上がりザスティンの体を飲み込んだ。
有里は自分の体の感触を確かめるように手のひらを見つめている。地球に来た時は走ることも辛かった体がこうして動けるようになったのは御門のおかげだ。が、ここのところ調子がいいのはリト達との生活も大きく関係していると御門は思っている。普通の星の普通の生活。本人も気づかない根っこの部分で有里がそれを望んでいることを御門は知っていた。しかしまた違う部分で有里は戦いも欲している。
現にこうして少し良くなった程度の体をザスティン相手に暴れさせているからだ。有里の中にある矛盾に御門は心を苦しませていた。
「寝てると死ぬぞ。次行くぜ」
「覚悟っ」
土埃が爆散し雷の如き速さでザスティンが飛び出す。それよりも速く有里も走り出していた。その顔に浮かぶ獰猛な笑みを御門は見た。唇を噛み締め己の無力を嘆きながら、御門はそれを見た。
「あはははは、いやぁやり過ぎたやり過ぎた」
そう言って彼は検査マシーンの中で笑っている。あの後五時間休みなく殺し合いまがいの殴り合いを続けた彼は突然倒れた。同じく気絶寸前だったザスティンを彼の部下に運んでもらい、私も有里を診察室へと運んだ。
その時すでに有里の体温は70°を越しており全身からは赤い湯気が立ち込めていた。慌てて回復マシーンの中へ放り込みレベルを最大にする。彼が無茶をして体を壊すのはもう何度もあったことだけどまだ慣れない。もしこのまま彼が起きなかったら私はどうなるだろう。考えるだけでも恐ろしい。
私にできるのは彼の体を癒すこと。心までは癒せない。
数時間で体力を回復し、いつものように検査マシーンに入れられあっけらかんと笑う彼。その笑顔がまるでひび割れたガラス細工のようで、どうしようもなく悲しくなる。
彼は私の心に安らぎを、体に幸せをくれる。私は彼に何をしてあげられる? 治療薬とナノマシンを注ぎ込んであげるのが私の精一杯。彼もそれを私に望んでいる。それでいいの? じゃあ彼の心は誰が癒してあげられるのだろう。
……やはり計画を始めるしかないようね。彼には幸せになる権利があるし私にはそれをする義務があるわ。彼が望むと望むまいと幸せにしてみせる。彼が私にしてくれたように。
「え、このボロ切れみたいなのザスティン? どうしたの」
「あ……い、え」
「朝出掛けてさっき帰ってきたらこんなだったんだよね。それに何があったか言わないし」
「んー、多分有里っちとバトってきたんじゃないかな」
「はぁ? 有里と?」
「前にもこんなことあったし。デビルークにいた頃はもっとボロボロになってたけどね」
「だってザスティンって……地球にいるとただの漫画家のアシスタントって感じだけど、すっげー剣士なんだろ?」
「そだよ。デビルークじゃパパの次に強いんじゃないかな。他の星を入れてもすんごい強いみたい」
「そのザスティンをここまでボロボロにするなんて……あの病弱・やる気無しキャラの有里がなぁ」
「ちょーっと信じられないよね。話には聞いたけどさ」
「そのバトルっての今度見たいな。有里は嫌がるだろうけど」
「有里さん秘密主義なとこあるよね。カッコつけたがりっていうか、強がりっていうか」
「へー、美柑結構有里のこと見てんだな」
「美柑って有里っちのこと好きなの?」
「はぁ?!」
「うおっ! まじ!?」
「ばっっ! 違うし! 意味わかんないこと言わないでよねララさん!」
「あ、の……わた、しは?」