空が白むまであと数刻。まだまだ満天の星空の下を進む一つの影があった。
夜を明るく照らし出す満月に優しく見守られ、眼下に広がる雲海上を進む姿はまるで大海を泳ぐ魚の様。プリベット通りを出発して数時間、ハリー救出作戦を完了させた彼等はウィーズリー家のある『隠れ穴』を目指していた。
車が空を飛ぶなんてファンタジーなんだかそうでないのか分からない現象が繰り広げられている車内では、ウィーズリー兄弟が訪れてからの楽しい一時をハリーに説明しているアリィの姿があった。
「――ってな事があった訳よ」
「秘密の仕事場、か……やっぱりあの絵画が入り口だったんだ」
後部座席の真ん中で納得しているハリーは何度も頷いて理解を示す。監禁生活を送っていた割に肌の血色が良いのは、当然ながらアリィの差し入れ食料と適度な睡眠、そしてゲームにデッキ構築と、外に出られない不自由な身の割に夏休みを満喫していた所為である。
対してこのまま二徹に突入しそうなアリィも元気一杯。目の下に隈も作らず夜食代わりのビスケットを齧っている。
これもデイモン直伝の栄養ドリンクの効果。小瓶のラベルに毒々しい髑髏マークが描かれている件に関しては、もう何年も前にツッコミを入れ終えているのでハリーもわざわざ指摘しなかった。
「それで、あれから何か干渉はあった?」
「なーんも。魔法省からも連絡無いし、ドビーって屋敷しもべ妖精の情報も無し」
魔法省からの通告以来、未だ誰からも手紙は届いてない。当然ドビーに関しての情報も集まっていなかった。分かるのは屋敷しもべ妖精が単体で行動する例が少ない事からバックに誰か魔法使いが居そうという事ぐらいだ。
「屋敷しもべを持ってるのは魔法族の旧家で金持ちだって相場が決まってる」
「そんでよ、そいつらは主の命令に絶対服従。ついでに自立的な行動ってのも滅多に無い」
行きとは違い帰りの運転をしているジョージと助手席のフレッドが会話に混じる。誰だか知らんが全く持って腹立たしいと鼻を鳴らす双子の意見に反応するのは右側の後部座席に座るロンだ。
「じゃあハリーを学校に戻したくない魔法使いがいるってこと?」
「その通りだ弟よ」
「ハリー、心当たりは無いのか?」
ロンとアリィに挟まれながら拳を口許に添え、しばらくの間シンキングタイムに入るハリー。眉間に皺を寄せて考えること数分。零れたのは彼等にとってある意味馴染みの深い者の名前。
「僕と敵対しているのはマルフォイだけど……」
彼を嫌っているという点ではスネイプの線も浮上するが、クィレルからハリーを守っていたという功績が彼を候補から除外する。排除するなら先学期のいざこざで亡き者にしている可能性が高いからだ。
そうなると幾度と無く対立しており、そしてスネイプ家とは違い旧家で金持ちという条件に当て嵌まるのはドラコ・マルフォイしかいなくなる訳だが。しかしハリーの言葉には自信が無い。
言った張本人もドラコ説は否定的だ。
「ドラコじゃないって」
「うん、言っておいてアレだけど、僕もアリィと同じ意見だ」
ハリーが候補から外した理由。それはドラコのルームメイトであるアリィの存在が大きかった。
最初はどうあれ今のドラコはアリィに気を許している。アリィが悲しむ事をドラコがするとも思えない。アリィのために不倶戴天の敵であるハリーと協力体制を敷くぐらい、ドラコはアリィを気に掛けているのだ。
そしてドラコの線が消えるとなるともう目ぼしい候補は思い当たらない。元々『生き残った男の子』を嫌う者は少なく、アリィを御せる数少ない者の一人として学校関係者から頼りにされているハリーを害そうと考える者は早々いない。
何よりハリーは他寮との交友事情がアリィと違ってそう明るくないため、候補を挙げようとしても思い付かないのだ。
「こりゃ慎重に動く必要があるな」
「とりあえず親父やママには話せねえな。下手したらこの件の裏が取れるまで無理やり休学させられちまう」
事件の重大さを鑑みれば大人に知らせなければならないが、下手をすれば保護の名目で身動きが取れなくなってしまうのは、ハリーとアリィにしてみれば拷問も良いところだ。
二人は学校を愛している。
何が起こるか分からない奇想天外で幸福な未来が無数に枝分かれしている、可能性の宝庫。心の底から楽しくて、ちょっとだけ刺激があって、友人達のいる夢みたいな学び屋。それが彼等にとってのホグワーツで、特にハリーにしてみれば長年夢見た理想郷だ。
そして好奇心の塊であるアリィもホグワーツに行けないとなると禁断症状が出て暴れかねない。
二人にホグワーツを休学する選択肢は無い。例え恐ろしい危機が迫っていると忠告されたとしてもだ。
「ヘドウィグが戻ってきたらダンブルドアに手紙を出してみるよ」
「あ、ついでに俺にも貸して。ドラコやハグリットに手紙送っとかないと」
だから彼等はダンブルドアに知らせておく事にする。
未来予知とも思える先見の明を持ち、二十世紀最凶最悪の魔法使いが恐れた唯一の人。彼に頼るのが一番安心出来る。
それに生徒を守るためあらゆる防衛対策が施されているホグワーツなら下手に敵も手出し出来ないに違いない。校内で何か危険があればダンブルドアが事前に察知し、そして事前対策もしてくれるだろう。ダンブルドアには全幅の信頼を置くことが出来た。
「あとアリィの護身用グッズもある。時と場合によっては魔法よりも頼りになると思う」
「確かにハリーの言う通りだ。アリィの閃陽弾なら下手な魔法より速い」
「ロン、閃陽弾じゃなくて閃光弾」
更にアリィも護身用道具を沢山作ると意気込んだ所で空の旅は終わりを迎える。目的地付近に近付いた車はゆっくりと降下を始め、朝靄の掛かった田舎の通りに着陸した。
「さーってと、辛気臭せえ話はそこら辺にして!」
「そろそろ到着だぜお二人さん!」
田園や牧場が広がる田舎町。そこから少し離れた場所まで車は走る。プリベット通りとは比べ物にならないほど静かな場所だった。
「それにしても、もうだいぶファンタジー慣れをしてきたつもりだったけど、まさか車が飛ぶなんて思いもしなかったよ」
「透明化のステルス機能とか実に興味深いね。これを改造したウィーズリーのおっちゃんとは気が合いそうだ。今度――」
「アリィ、ミサイルや自爆機能といった魔改造は禁止だからね」
「…………ハハハ、ナ、ナンノコトカナー」
ハリーのジト目に視線を逸らし、あからさまな口笛を吹くアリィ。その案採用と盛り上がる双子と絶対に止めてくれと喚くロンの反応が実に対称的。着々とロンも天災被害者の道を歩みつつある。
そして車内が賛成と否定派に別れて論争する内にゴール地点が見えてきた。
「二人とも。アレが僕達の家だよ」
その家はマグルの常識に当て嵌めればありえないと断言出来る形だった。
元々は小さな家に無理やり部屋を増設したような、一見して倒壊の恐れを抱いてしまうほどデコボコな一軒家だった。
きっと魔法的な何かでバランスを保っている家は、見る限り摩訶不思議な超常現象に溢れていそう。まだ出会わぬ不思議に期待し、これから過ごす楽しい日々を想像して、ハリーとアリィに笑みが生まれる。
約五時間の道のりを走破して漸く二人は『隠れ穴』に辿り着いた。
「おーおー、バーノンおじさんが見たら憤慨しそうな庭だね、こりゃあ」
「おばさんだったら悲鳴を上げて卒倒しているよ」
随分失礼な感想を抱くアリィとハリーだが、それも否定出来ない程この庭は荒れていた。雑草天国荒れ放題のかなり広い庭を横切りボロボロの車庫に停車する。
長時間の乗車で固まりきった身体を伸びや屈伸で解し、積んでいたトランクケースを二つ取り出してから、ゆっくりと五人は車庫を後にした。
「おーし、とりあえず車も置いたし……ママにする言い訳でも考えとくか?」
「……いーやフレッド、ここは潔く平謝りする方が得策な気がしてきたぜ」
「あ……ぁあ、やばい……やばいよ。――ママの雷が落ちる」
頬を引き攣らせるジョージに次いで家の方を見たフレッドとロンは絶句する。放し飼いにされている鶏を蹴散らしながら一直線に車庫まで近付く一つの影。兄弟とは似ても似つかない恰幅の良い身体はダンプカーの如き勢いで、アリィ達の記憶にある優しそうな風貌は鬼の形相という言葉が相応しい。
ウィーズリー家最大権力者、モリー・ウィーズリーの怒声が響き渡った。
「ロンッ! フレッド、ジョージッ!」
名指しされた三人だけでなくあまりの恐怖に他二名も凍りつく。正に蛇に睨まれた蛙。脱水症状を心配する程の冷や汗。
アリィにとってはハーマイオニーに叱られて以来の恐怖体験だ。
「車で向うなんて何を考えているのッ!? もし誰かに見付かったらどうするつもりだったのかしら ッ!?」
モリーとしても電車等のマグル的移動手段で迎えに行く分には文句無かった。
もしマグルに見付かったらどうしよう。
もし『マグル製品不正使用取締法』に違反する改造車を魔法使いの誰かに見られ、通報されたらどうしよう。
もし事故にでもあったらどうしよう。
沢山の心配事が思考を支配し、不安で不安で堪らなかった。無事に帰還した嬉しさが強い反面、危険な事をした息子達に対して怒りも強い。
その怒りと不安を沈静化させるため直ぐにフレッド達は行動を開始する。それが火に油を注ぐ行為とも知らずに。
「大丈夫だってママ。ちゃんと雲の上を通って来たから」
「透明化も使ってたし、バレないバレない」
楽観視する双子にモリーの顔が赤くなる。頭部から蒸気が迸りそうな勢いだ。
「ごめんなさい、ウィーズリーおばさん。でもアリィなら忘れ薬ぐらい常備しているから、もし見付かっても大丈夫ですよ」
「ごめん、おばちゃん。でも何故バレたし」
「「ホントに持ってるのッ!?」」
「お黙りッ!」
一喝。
そして一糸乱れぬ綺麗な土下座を見せる面々。
双子のニワカ日本知識とアリィの存在によって、彼等は土下座が世界でも最大級の謝罪方法である事を知っているのだ。
モリーは土下座を知らなかったが誠心誠意の謝罪である事は雰囲気から察したらしい。その行動に不気味さを感じて一歩後退し……ぶっちゃけドン引き寸前の表情をするも、ほんの少しだけ目尻を緩めている。
馬鹿息子達と一緒に土下座を決行している客人に掛ける言葉は、今までとは打って変わって優しく、柔らかかった。
「ふふ、別に貴方達を責めている訳じゃないのよ。ハリー、それにアリィも、よく来たわね。歓迎するわ」
オフクロという言葉が似合う母の包容力を見せる笑み。慈愛に満ちた表情でアリィ達を立たせ、歓迎の気持ちも込めて二人をハグするモリーに、ハリーは少しだけ驚いた。
そして直ぐにこの温もりを甘受して、感動する。母親を知らないハリーにとって、彼女があまりにも理想像に近かったからだ。
「お世話になります。ウィーズリーおばさん」
「よろしくおばちゃん」
「ええ。こちらこそ」
ほのぼの空間を形成する三人。特に二重人格を疑う程の変わり身を見せたモリーに不満を表すのはロン達だ。
「ちょっと待ってよママ! 何で二人にだけ態度が違うの!?」
「二人が車を飛ばして迎えに来いとお願いした訳じゃないからですッ!」
ゼロコンマで鬼の形相に変わったモリーを見て再び土下座する三人。
そして、
「さあ、朝御飯にしましょう」
「「イエス、マム」」
振り向き様の煌びやかな笑みに思わず敬礼してしまう 客人達。
とりあえずウィーズリー家のヒエラルキーピラミットの頂点を理解した二人は『逆らってはいけない人ランキング』にモリーを上位ランクさせ、にこやかな笑みを浮かべる彼女の後を追って家へと入る。
そこは裏口だったのだろう。小さな扉を潜った先は台所だった。
家族全員が食事を摂れるよう巨大な木製テーブルが中心に設置されている所為か、ただでさえ手狭な台所は更に小さく感じられる。
流しの上では宙に浮かんだスポンジが自動で皿を洗い、壁に掛かった時計には時刻の代わりに単語が書かれ、家族を表す計九本の長針がそれぞれの行動を指していた。
一目見て普通じゃないと判断出来る純魔法使いの家を見てアリィとハリーは興味心から目をキラキラと輝かせる。ハリーが毎日のように通っていたアリィの家も魔法使い宅な訳だが、彼の家は機械製品の宝庫と化しているため魔法使いの家という気がしないのだ。
「おばちゃん、俺も手伝う」
「あ、僕も手伝います」
隅々までダイニングを見渡して称賛した二人は、冷静を装いながらも称賛の声に照れていたモリーを手伝うため流し台に向う。
普段兄弟達は自発的に家事を手伝うという事をしない。自発的に協力を買って出た彼等の善意に感涙する寸前だったモリーはソーセージを焼いていた手を止め、微笑みながら振り返った。
「まあ、優しいのね。でも良いのよ、お客様なんですから。――そこの馬鹿息子達は食器も準備出来ないのッ!?」
『はい、ただいま!』
さりげなく席に着こうとしていた三人は機敏な動きで食器類を準備。そしてテーブル中央のバスケットにアリィ持参の手作りパンを盛った所で、モリーは沢山のソーセージやオムレツなんかをアリィ達の皿に滑り込ませた。
客人二人に盛られた量がウィーズリー兄弟に比べて倍増しなのが夫人の心情を物語っている。
「でも、元気そうで良かったわ。金曜までに連絡が無かったらアーサーと二人で迎えに行こうかと思っていたのよ」
「あー、それもアリだったなぁ。そしたらおもてなしも出来たし」
「またチャンスがあるよアリィ」
その場合はハリーだけ不参加になるので次の機会に持ち越しだと笑い合う。
こうして時たま談笑し、頻繁に兄弟三人がモリーの叱責を受けた所で、直ぐ隣の階段から足音が聞こえてくる。
その音に気付いた全員が視線を向けた先に現れたのは一人の少女だった。
寝起き直ぐなのかピンクのネグリジェ姿。背中まで伸びる兄弟と同じ赤毛をフサフサと揺らし、鳶色の瞳に滲む涙が眠気に敗北気味である事を主張する。
もう少し成長すれば充分美人になるだろ容姿には薄くそばかすが広がるも、それも可愛らしいチャームポイントの一つに過ぎない。
彼女の名はジニー・ウィーズリー。今年からホグワーツに通う七人兄妹の末子だ。
「おは――キャっ!?」
しかしジニーが上げたのは挨拶ではなく、悲鳴。食卓に着くハリーを見た瞬間に茹蛸と見間違うほど赤面した彼女は直ぐにUターンして階段を駆け上る。
ドタバタではなく、ドカガタンッ、と。
手摺りや壁に手足をぶつける音を響かせるほどの慌てぶりだ。
「……今の娘は……」
「ジニーだ。僕の妹。去年駅で見ただろう?」
頭上にクエスチョンマークを浮かべるハリーにミルクを飲みながら答えるロン。実際ウィーズリー家の面々にしてみれば彼女の反応は予想内なので混乱は無い。
そして平然と食事を進める彼等に混乱するハリーに発言をするのは、この少年。
「ハリーのファンだっけ?」
「ぶっ!?」
予想外な発言に思わずハリーはカボチャジュースを噴出した。ゲホゴホッと咽る彼に兄弟三人が追い討ちを掛ける。
「そーそー。もう熱烈過ぎて顔が沸騰すんじゃないかってぐらい惚れこんでんぜ」
「我が妹ながらミーハーな所があるからな」
「きっと君のサインを欲しがるよ」
顔をにやにやさせる双子とロンを見て、それが事実だと知ったハリーの顔も赤くなる。異性に表立って好意的な反応をされるのが初めてだったからだ。そして自身のボキャブラリーの許す限りハリーをからかおうとした面々は、悪の大魔王すら一睨みで瞬殺しそうなモリーの目を見て無言を貫く。
それは『サイン用にハリーのブロマイドは準備済み』と言い掛けたアリィすらも閉口させる凄まじさだった。
その後は無言の朝食が続き、数分後には全員の腹が満たされる。たらふく食べ、ついでに徹夜だった事が祟ったのか。大きな欠伸を一発かましたロンは自室に向かうため席を立ち、それにハリーも続こうとした所で、
「お待ち。いったいどこに行く気かしら?」
モリーの笑顔に全員の時が停止した。
「どこって……部屋で休むんだよママ。僕達徹夜だったし」
「ロン、それは徹夜したあんたが悪いんです。罰として、休む前に庭小人を駆除しなさい。あんた達二人もよ!」
絶望した表情のロンに強制労働を強いた後、モリーはこそこそと階段を上がろうとしていた双子を一睨み。全身に電流を浴びた様にビクッとした二人は直ぐに裏口を飛び出していく。よほどモリーの怒りがトラウマらしい。
「俺も行く! 庭小人見たい!」
それにいつものショルダーバックを持ったアリィが続いた。
「ハリー、貴方はロンの部屋で休んでいなさいな。疲れているでしょう?」
「僕も手伝います。庭小人って見たこと無いから興味がありますし」
疲れもある。眠気もある。自分だけ休むという引け目もある。そして何より、
「…………アリィが何をするか心配だし」
ボソッと呟いた言葉はモリーの耳に届かない。
結局ハリーが二階に行くのを拒んだ理由はアリィにあった。あのキラキラとした空蒼色の瞳に、もはや未来予知の域に達しつつある彼のトラブルセンサーがビビッと反応した所為だ。
「まあ、なんて優しい子なのかしら。本当に良い子ね」
そんな経緯を知らないモリーは乾いた笑みを浮かべるハリーに気付かず涙を流して感動する。そして頑張れという意味の込められたビスケットの入ったバスケットやカボチャジュースを手渡され、ロンと一緒に庭へと飛び出した。
「そんな楽しいもんじゃないんだよハリー。そりゃあ、マグルの生活に慣れてたハリーにとっては珍しいかもしれないけどさ」
「駆除ってどうやるの?」
駆除という単語から殺虫スプレーが脳裏に浮かぶ。
撒布された薬品で昇天する小人も想像すればシュールな図だ。脳内でデフォルメされた絵だからこその感想であろうが。実際したらかなりの地獄絵図、トラウマ必須の光景であろう。
そしてリアルな想像までしてしまい身震いするハリーにロンが真実を伝える。
「簡単さ。連中を逆さにしたまま振り回して、目を回させるだけで良いんだ」
「………………は?」
庭小人の頭は人間と比べてあまり良くない。視界を惑わせば巣の在り処を見失って地上を迷子になってしまう程に。
だから定期的に目を回させることで巣に戻れなくして数を減らすのが庭小人の駆除法だった。時間が経てば巣に戻るが、それでも数日は時間は稼ぐ事が出来る。
しかし、これはあくまで人道的な優しい手段。酷い場合はそれこそハリーの想像以上の非道で庭小人は駆除されている。
一時的に数を減らす事を奨励し、実行しているウィーズリー家の人格者具合がよく分かる。
「ハリー、どっちが遠くに飛ばせるか競争しよう。アリィも誘ってさ」
「そうだね。でもまずは――」
ウィーズリー家の庭は広い所為か手入れがガサツだ。蛙が沢山住み着く池は緑色に濁り、雑草は伸び放題。土が剥き出しの部分は荒地の様に乾いていた。ハリーはそんな庭の中央に視線を向ける。
「ゲットぉおおおおっ!」
――まずは、あの自由人をなんとかしよう。
庭の中央で大きな網を掲げ、庭小人を捕獲している幼馴染を見て額に手をやるハリー。その流れが手馴れ過ぎていてロンも憐憫の視線を抑えきれない。
「アリィ、そんなことしなくても良いんだ。庭小人は目を回させるだけで良いんだよ」
「え、知ってるよ?」
キーキー喚く二十センチ程の小人を観察しながらアリィが答える。二人が視線を天災の足元にずらせば小さな鉄製の檻まで準備されているのだから用意周到も良い所だ。
おそらくショルダーバックの中に分解して入れていたと推測し、疲れたように頭を振るハリー。
そしてアリィは噛み付かれないように注意して小人を檻に放り込み、誇らしげに胸を張る。爽やかに汗を拭う姿はほのぼのとするも脱力感が込み上げてくるのは何故だろう。
「おらアリィ、もう一匹追加だ!」
「あと何匹いればオッケーだ?」
「うーん、もう充分かなぁ」
こちらに走り寄ってきた双子の手には小人が捕獲されている。庭小人は好奇心が旺盛。人間を見れば自ら近寄ってくるので捕獲するのに苦労は無いが、何だか駆除という目的からだいぶ逸脱している気がしないでもない。
檻の中で暴れている小人二匹をノート片手に観察するアリィの瞳が怪しく光る。今まで何度も。それこそ毎日のように見てきた光だ。
「あー、多分いつものアレだと思うけど、一応訊くよ? 庭小人を捕まえてどうするのかな」
「生態調査!」
知識だけの存在だった庭小人を直に観察するアリィは大変テンションが高い。喚き散らす二匹にワハハと笑いかけながら手を動かし、瞬く間に仕上げていくスケッチ画は見事の一言。
グリンゴッツのゴブリンをミニマム化したような顔つきに、ジャガイモに似ているデコボコの禿頭。二頭身の身体には布切れみたいな衣服を纏っている。
芸術的な画力センスを持って二匹それぞれのスケッチを一ページずつに描き、更に事細かな特徴を加えていくアリィは、
「――断面図載せたいな」
本当にさりげなくボソッと呟き、空気を殺す。
「うん、とりあえず時折見せるマッド魂を引っ込めようか」
決定ではなく、あくまで願望。
流石に非道な生物実験を行った過去――ピーブスという未遂は除く――は無いので本気とも思えないが、何事にも過ちというものがこの世界には存在する。
アリィの言葉を理解出来たのか目に見えてガクガク震える小人達が哀れで、ついハリーは釘を刺していた。小人達にはハリーから後光が見えているに違いない。
「や、やだなぁハリー。俺がそんな酷いことする訳無いじゃん。爪とかを採取して道具や薬に使えないかなって調べるだけだよ。あ、あと魔力の波長検査とかもやってみたい」
「よそ様の家なんだからね、自重しないとハーマイオニーに言いつけるよ」
「うぐっ……あ、圧力に屈して研究なんてやってられっかー!」
決して逆らえない恐怖の魔王的な存在を引き合いに出され、その禁じ手にアリィが吼えた。庭小人に関心を抱く生物学者が少なかった所為か、彼等の詳しい研究報告が少なかったからだ。
「ちょっと檻に入れて数日間飼うだけだよ! 良いじゃん、ちょっとは躾をした方が良いってフレッド達も言ってるし! ほら、あそこでビスケットをくすねてる奴とかなら良いっしょ」
「確かに三匹の方がキリが良いかもしれないね」
「ハリー!?」
見事な掌返しにツッコミを入れるロン。
ブルータスお前もかと叫んでいるような表情はロンのみで、ビスケットを齧る庭小人を速攻で捕獲するハリーの姿が、ロンに仲間がいない事を決定付ける。
食べ物の恨みは恐ろしく、良い意味でも悪い意味でも天災の影響を受けているハリーが中々黒い部分があるのを充分に理解しているロンだが、流石に一瞬で賛同側に回るのは予想外だった。
こうしてト○キチ・チ○ペイ・カ○タと名付けられた庭小人が庭の片隅で飼育され、一週間に亘り生態調査される事になった。
何を好んで何を嫌って食事をするのか。一日の活動時間はどのぐらいか。人語はどの程度話せるか。そしてクイズ等を出して知能指数を調べると共に、デイモンの作業部屋で見つけた特定生物の魔力波長を測定・記録する水晶玉で三匹の魔力を調査する。
その生態調査は傍から見て気色の悪いものがあったらしい。普段はお馬鹿で物怖じせず好奇心旺盛な庭小人も、遠巻きに見てアリィの所業に度々震え上がったという。
余談だが、その研究に付き合わされる姿にシンパシーを感じたハリーが時折ビスケットを差し入れしたので彼等に大層懐かれるようになったとか。
そしてアリィの噂が仲間内で広がったのか。この件以来庭小人がアリィを見ると庭から逃げるようになったため、アリィ似の案山子が製作されてモリーにかなり喜ばれる事になったのは、また別の話である。
◇
庭小人の生態調査をする片手間にアリィ達が駆除をやり終えたのと、ウィーズリー家の大黒柱アーサー・ウィーズリーが夜勤から帰宅したのは同時だった 。
ダイニングでお茶を出されたアーサーは仕事疲れを癒すために深く椅子に座り、古びけた眼鏡を外して眉間を揉む。僅かに残っている赤毛は疲労の所為かより一層薄く感じられ、たった一夜で老けて見えた。
それでもアーサーは疲労感たっぷりだった表情を笑顔に変える。対面に会いたかった客人達がいるためだ。
「いやはや、それにしてもよく来たね二人とも。歓迎するよ」
改造車で迎えに行った事に関しては不安を抱き、小言の一つや二つ呈したが、モリーに散々絞られただろうと判断したアーサーは、それ以上フレッド達を叱る事はしなかった。怒りよりも、やはり無事に帰ってきた事を喜ぶ気持ちの方が強かったからだ。叱責よりも安堵の気持ちの方が強く表に出てしまう。
そして車の飛行具合を訊ねてモリーの怒りを買うというお茶目な面もあった。
「ロン達からは頻繁に君達の事を聞いていたよ。ハリーもそうだが、君とも是非話をしたいと思っていたんだ」
アーサーは自他共に、それこそ魔法界に知られる程のマグル贔屓。昨夜も九件の抜き打ち調査を行って違法改造のマグル道具を押収している。そして納屋に保存されているマグル道具と改造車からも分かる通りアーサーはマグル道具に興味津々。
彼は待ち望んでいたのだ。マグルの技術に精通している魔法使いを。
「俺も俺も! 後でおっちゃんのコレクションを見てみたい!」
「勿論だとも! 私も是非マグルについて教えてもらいたい!」
まるで長年付き添った友の様に語り会う夫にモリーが呆れている。その事にアーサーは気付かない。夫人や双子とのやり取りを聞いていたハリーが首を傾げている事にも。
「ねえロン、あの改造車も充分違法だと思うんだけど……」
これだとおじさんは自分自身を逮捕する事になるのではないかという疑問に思ったからだ。
「違法になるのは不正使用。パパが言うには所持している分には罪に問われないんだと」
「じゃあ僕達がやったのって……」
「完全に違法」
ハリーとロンのコソコソ話が一段落した所で技術者二人も落ち着いたらしい。
小気味良いハイタッチの音が鳴り響く。
「アリィ、君とは気が合いそうだ」
「こちらこそ」
そして固い握手。アーサーは良いアドバイザーを、アリィは新たな理解者を得た瞬間である。
モリーはアーサーの悪癖にうんざりしながら夫の朝食作りに取り掛かり、双子はアリィが寝泊りする自室を片付けに大掃除の真っ最中。
そしてダイニングに残されたハリーとロンは、
「…………ロン、君のお父さんって――」
「フレッド達のパパだって事が良く分かるって言いたいんだろ? みなまで言わないで……マジで」
マッドの目をしている二人を見て、同時に溜め息を吐くのだった。