ハリー・ポッターと魔法の天災   作:すー/とーふ

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第十七話

 

 予想以上に時間を食ってしまい、ついでに精神的疲労をたっぷりと味わったアルフィー・グリフィンドールとクィリナス・クィレルの二人は最後の部屋までの短い通路を歩いていた。

 進むにつれ両脇の燭台からは火が灯り、その明かりが徒労の溜め息をたっぷりと零す二人の横顔を照らす。実際、彼等が最奥の部屋を目指して三時間以上が経っているため、その疲労はかなりのものだった。

 特にアリィの焦りっぷりは尋常ではない。侵入してから三時間が経ったという事は、それはもう零時を迎えているということ。早く愛犬の無事を確認して賢者の石を取り出さなければ親友達が来てしまう。

 仕掛けた罠は容易く突破出来るほど優しい代物ではなし、並みの魔法使いでは突破出来ないものだと自負している。それでも、あちらには親友がいる。赤ん坊からの付き合いで、自分の性格や罠を熟知した理解者(苦労人)。

 彼と友人達の力が合わされば突破されてもおかしくない。そう思うからこそアリィは先を急いだ。

 普段の悪戯とは毛色が違う。流石にあの罠で親友達を四苦八苦させようと思える程、この天災は非道ではないのだから。

 

「やっと最後かぁ。まったく、酷い目にあった」

「――、――――。――」

 

 やれやれと首を振るアリィを咎めようとするもクィレルの口からは声が出なかった。

 普段の演技も忘れて罵詈雑言の限りを尽くそうとしても、喉は自身の声を発してくれない。

『ガラガラ草』。

 それが扉に仕掛けてあった赤いガスの正体だ。

 クィレルが以前に経験した、食す事で声帯を麻痺させ、声を出せなくする毒草。その乾燥させた毒草と抽出液を用いた特製ガスの所為で、彼だけでなく一緒にガスを吸ったアリィも声を出せなくなっていた。

 これが数時間もの時間を無駄に費やした理由だ。

 

「あー、まだ喉が痛い……やっぱり原液なんて使うもんじゃないな。先生、あの時はごめん」

 

 迷路の先に仕掛けてあった『悪魔の罠』は暗闇と湿気を好むという性質があるので、常に携帯しているフラッシュバンとライターによる火でやり過ごし。続く『空飛ぶ鍵』は双子座と普通の箒を用いて二人がかりで捕獲した。優れた箒操作技術があれど動体視力等の身体能力は一般人の域を出ないため、数千羽もいる羽鍵の中から古くて大きな鍵を見つけ出すのは予想以上の苦労を強いられた。

 全て全く同じデザインにしないのは本人にも見分けが付かなくなる恐れを無くすためだろうが、それならそれで本人にしか分からない魔法の痕跡なり印を残せば良いだけだ。

 帰ったら進言しようと心に決めるが、そうなると忍び込んだのがバレるので、やはりこの案は墓場まで持っていく事を決意する。

 

「――――――。――」

「ごめん先生。何て言ってるか分かんない」

 

 吸い込んだガスの量に違いがあり、持続時間に差が生じている。

 

 薬草学のスプラウト。妖精魔法兼呪文学のフリットウィック。次に仕掛けられていた変身魔法のマクゴナガル。

 その巨大チェスがここまで時間を食ってしまった最大の理由だった。

 魔法使いのチェス。即ちそれは手を使わずに音声で駒を動かす事を意味する。箒とは違い思念と言葉の二つがあって初めて起動するのだ。

 これだけ聞けば手動で動かせば良いのではないか、と考える人がいるだろう。しかし今回は巨大なため二人がかりでも動かす事が出来ず、マクゴナガルが魔法移動を受け付けないよう駒に細工を施してしまった。

 

(あんなこと言わなきゃ良かった)

 

 ハァ、と溜め息を吐き、数ヶ月前を回想するアリィ。

 基本的にアリィは先生方の仕掛けた罠を知らないが、何事にも例外が存在する。その例外がマクゴナガルの巨大チェスだった。

 どうせなら他の仕掛けとも関わりのある効果を及ぼす方が盗人は対処し辛いんじゃないか、という提案の下に仕掛けられたのが『ガラガラ草』の仕掛けであり、あのガスはその先に待ち受ける巨大チェスを動かせなくするために仕掛けられた。

 

 悪戯仕掛け人として人を殺める罠は作らない。それが彼の信念であり、絶対に譲れない一線。その制限内で頑張った結果が迷路であり、マクゴナガルとの連携なのだ。

 

(まあ、今更言っても仕方ないけど……でもなぁ)

 

 幸いだったのは吸い込んだのが少量だったため効果の持続時間が短かった事だろう。だから足止めを二時間半ほど食らうだけで、アリィは紙で指示を出すクィレルのお陰で巨大チェスに打ち勝つ事が出来た。

 その二時間半の待機時間がここまで疲労を感じる一番の原因だ。

 

 けれども、その苦労も漸く報われる時がくる。

 

「お、アレが最後の部屋だ! 待ってろポチ太郎!」

 

 続くトロールによる門番はクィレルが配置したものなので楽勝。スネイプが仕掛けた謎解きはその性質上たった一人しか先に進む事が出来なかったため、初めにクィレルを先に行かせてから部屋を出て、再度出現した薬をアリィが用いて後を追う、という方法を取った。

 その際クィレルが律儀に部屋の外でアリィを待っていたのは、最後に待ち受ける罠が三頭犬だと理解しているため、アリィを何かに利用出来ないかと考えたからである。

 無言呪文というモノが存在する通り、呪文によっては詠唱せずとも精神力と魔力のみで発動出来る呪文が存在する。しかしそれでも実際に詠唱するよりは効果や威力が少なからず弱まるし、何より強力無比な最凶の呪い『許されざる呪文』は無言呪文ではない。

 戦力的な意味で三頭犬の飼い主であり声も取り戻した天災を待つのがベストと考えたのだ。

 少なくとも声を取り戻すまでアリィと離れるべきではない。闇の主従はそう結論付けた。

 

「ポチ太郎! やっと会えた!」

 

 その部屋は『飛鍵』の部屋に比べれば手狭に感じるが充分なスペースが確保されていた。

 燭台が幾つも壁に掛かっている点では今までの部屋と大差無い。蝋燭の明かりの所為で室内が橙に照らされているのも、石版タイル式の石床にも共通点がある。

 違うのは二点。中心に行けば行くほど緩やかな下降を見せるすり鉢状の部屋構造と、中心に置かれる台座を守るように立ちはだかっている巨大な三頭犬の姿。

 これだけが異なった。

 

「ポチ太郎、俺だよ俺! 分かるでしょ!?」

 

 あの狭い通路を進む内に侵入を察知。仮死状態から目覚めた獰猛な猛獣が牙を見せ付けた。あまり歓迎されていない雰囲気にクィレルは杖を取り出し、アリィは思わず手首の腕飾りへ左手を滑らせ――それ以上のモーションは起こさない。

 

「ポチ太郎!」

 

 それは飼い主として譲れないラインだ。

 愛犬を信頼せずに飼い主を名乗れるか、否。コンマ数秒レベルで結論を出したアリィへの返答は、身体の芯から震え上がる地獄の咆哮。

 その勢いは大型車の突進にも勝る凄まじいものだった。風がうねりを上げ、小さな身体に突風が叩き付けられる。風圧だけで吹き飛ばされて何度も何度も後転をする事になった少年は、目を回しながらも奇跡的に怪我は無かった。

 何故なら、

 

「ぶわ……っ!? ちょ、待って、待った! ストップ! 止ま……ちょっと待てってば!?」

 

 何故なら、この巨大な三頭犬は飼い主にじゃれているだけなのだから。

 

「分かった! 分かったって! ぶはっ、三方向から舐めるな!」

 

 全身を涎塗れにしながらアリィは叫ぶ。

 仮死状態だったポチ太郎からすれば普段通りのスキンシップ。アリィにしてみればご無沙汰な感触。それでも大きさが段違いなため、今まで通りの行いでも規模と被害は大いに異なる。

 アリィはミサンガの『動物避け』を外していない。『動物好かれ』の力に頼らずとも既に彼等の絆は強固なものとなっている。類稀な忠犬が愛する主人に牙を剥くなどありえない。

 

「あれ、こんな首輪付けてたっけ……って、ス トップ! その人は違う! 敵じゃない!」

 

 一通りのスキンシップを楽しんだ後、使命を思い出したかのように獰猛な顔を見せてクィレルに飛びかかろうとした愛犬をアリィが止める。

 しかし、その行為が失敗であった事を彼は直ぐに悟る。

 三頭犬へ反射的に杖を掲げたまま後退を続け、台座に身体をぶつけてクィレルは止まった。

 

「先生?」

 

 何故、クィレル教授は中心に置かれる台座へ――その上に置かれる拳大の塊。赤黒い光沢を放つ賢者の石の方へ向かい、あまつさえ手に取っているのか。

 一度貴重な石を見てみたかった、という訳ではない気がする。見るだけなら、あんなにギラついた欲に塗れた眼は見せない。

 何かがおかしい。そう思って再度声を掛ける寸前、クィレルは着ているローブをはためかせる。

 ポケットから取り出したのは小さな玩具。それを彼は優しく地面に置いた。

 

「『エンゴージオ 肥大せよ』」

 

 タイミング良く『ガラガラ草』の症状は消え去った。

 隠す必要は無いと気弱な先生の仮面を剥がした闇の魔法使いは、巨大化させたオルゴールを起動させる 。その古ぼけたオルゴールが奏でる緩やかな子守唄は聴く者を和やかにし、音楽に弱いポチ太郎でなくても眠気を誘うメロディーは、直ぐに巨大な三頭犬を夢の世界に旅立たせた。

 

「……まさか」

「どうした、グリフィンドール。何か言いたい事でもあるのか? 」

 

 目に見える程の動揺を見せてワナワナと震える幼子に冷徹な笑みを投げかけるクィレル。

 思い返せば涙を流さずには語れない程この天災には辛酸を舐めさせられた。

 アリィの笑顔を崩せた事が嬉しく、心の中に愉悦が広がる。漸く少しは仕返しが出来たかと内心で高笑いを決めるクィレルだが。

 

「そのオルゴールって爺ちゃんが発明した『ねむねむオルゴール』でしょ!? お買い上げありがとうございます!」

「私が言うのもアレだが少しは空気を読んだらどうだっ!?」

 

 至福の時は一気に最下層まで叩き落とされる。

 敬愛する曽祖父が発明したものを把握するのは孫として当然の務め。ふくろう販売のバートランド・ブリッジス製作一覧を読んだアリィは、そのオルゴールがデイモンの製作した数少ない『まとも』な一般製品である事を見抜いていた。

 赤子に絶大な効果のある子守唄を流すオルゴール。送料費込みで3ガリオンと4シックル。大手玩具メーカー『エグバード・ウェスリー社』にて絶賛発売中である。

 

「……まあ、いい。貴様には本ッッ当に言いたい事が山ほどあるが、時間が惜しい 」

 

 こめかみをピクピクと引き攣らせるも鋼の自制心で破壊衝動を抑えつけ、今のやりとりを忘れる事にしたクィレルの判断は正しいだろう。

 迷路の件とか反転草とかフラッシュバンとかガラガラ草とか色々と文句を言いたいが、今はそれ所では無い。

 左手で賢者の石を鷲摑みにしたクィレルは嬉しくて仕方が無いという表情で杖先をアリィに向ける。

 印象をガラリと変えた姿に武器の矛先が自分に向えば、いくら人を疑う事をしないアリィでも気付いてしまう。その、予想外にして悲しい真実に。

 

「あー、もしかして…………賢者の石を盗もうとしてるのって先生だったりする?」

「いかにも」

 

 即座に肯定され、アリィがあちゃーと額に手を置いて天井を仰ぐ。さりげなくポチ太郎を足で小突いて起こそうとしてもこの巨体が動じる筈も無く。やっと今の状態が絶体絶命のピンチである事を自覚した。

 

「動くなよグリフィンドール。動かなければ、苦しむ事は――」

「やなこった!」

 

 アリィの決断は迅速だった。

 まるで西部のガンマンのように右手を素早く自身の腰に這わせるアリィ。制服のローブが捲れる際に現れたのは、杖、作業用ベルト、作業用ポーチ、そして――改造エアガン。

 言葉と呪文を言い切る前にエアガンを引き抜き、護身用のエアガンをクィレルにポイント。安全装置を外し、トリガーと見せかけた発射スイッチを押し込んだ。

 

「うぎゃっ!?」

 

 しかし結果は色々と予想外の一途を辿る。

 エアガンとは思えない銃声が轟き、一発しかないタバスコ弾が勢い良く射出された。

 引退した一流の錬金術師であるニコラス・フラメルが友人の孫に頼まれて製作した超弾性合金のバネの弾性は凄まじく、たった一発で銃身部分が爆発する。バネに蓄勢された莫大なエネルギーに強化プラスチックが耐えられなかったのだ。

 バネやら強化プラスチックだかが四方八方へと飛び散っていく。顔と両手に裂傷を作る程度で済んだのは不幸中の幸いと言えるだろう。

 そして盛大に尻餅を着くも、まるで磁石のようにクィレルの顔面へとタバスコ弾が射出されたのは奇跡としか言えなかった。

 しかし、

 

「『プロテゴ 守れ!』」

 

 間一髪。弾はクィレルに当たる数センチ手前で不可視の盾に阻まれる。

 これで装備はタスキ掛けにしているショルダーバックの中だけ。きっと相手はバックから新たな武器を取り出す隙を与えてくれない。

 そう思ってもアリィのやる事は決まっている。しかし予測通り、バックの中に手を差し込むと同時に杖が眉間にポイントされた。

 

「愚かだぞグリフィンドール。脆弱なマグルの玩具が私に通じると思ったか?」

 

 口が弧を描き、犬歯が見える程の野獣の表情を見せるクィレルには、正直身の毛がよだつ思いだろう。

 それでも恐怖に震える事もせず、気丈にも敵意満々な表情をアリィは見せ、頭の中で生存ルートを手繰り始める。

 生きる事を諦めず巨敵に挑もうとする姿は正に勇猛果敢。血筋など関係無く、彼にもグリフィンドールの適正があると知らしめる姿だった。

 

「ダンブルドアが戻ってくるまでに立ち去らなくてはならないのでね。さらばだグリフィンドール」

 

 愛犬を起こして共闘する=オルゴールの破壊が絶対条件。

 一時撤退=背後を見せたが最後。

 話術で時間稼ぎ=話す気など見られない。

 得意呪文の行使=杖を構え、呪文を言う。その前にクィレルが攻撃する方が速い。

 

 現実は非情だった。

 優秀であるが故に様々な方法を瞬時に手繰り、優秀であるが故に圧倒的に無理難題である事を理解してしまう。

 万事休す。悪の手先が杖を振り被り、少年は目をギュッと瞑り顔を背けた。

 

「『アバダ――』」

『待て、クィレル』

 

 そこに第三者の声が掛けられる。今までの脳内会話ではなく初めての肉声。

 クィレルは久しぶりに聞く生の声に戸惑いを見せ、アリィは初めての声に首を傾げる。

 そして目の前にいる敵にも首を傾げなくてはならなかった。クィレルの動揺が明らかに異常だったからだ。

 

「ご、ご主人様! 待てとはいったい……」

『その小僧とは……俺様直々に話す』

 

 それでも身体を心配する下僕の気遣いを底冷えする邪悪な声で一蹴し、謎の声は有無を言わさぬ強制力を見せ付ける。

 主の声質に怯え、アリィに背中を向けたクィレルは自身のターバンを解き始める。ゆっくり、ゆっくりとターバンが解かれると、嫌な薬の臭いがアリィを不愉快にさせた。

 そして、

 

『久しいな。アルフィー・グリフィンドール』

「いや……人面瘤に友達なんていないんだけど……誰? どうなってんのそれ」

 

 クィレルの後頭部にあったのは『顔』だった。

 顔は蝋のように青白く、赤く血走った眼と独特の鼻孔はどこか蛇を連想させる。正真正銘のホラーを目撃しても、ユニコーンの血と下僕への寄生により辛うじて生存と言える状態の彼――ヴォルデモートを見ても、どうやって人の後頭部に張り付いてるのかを興味津々に考えている辺り、アリィは正真正銘のマッドだった。

 

『惚けているだけか……俺様の勘違いか……まあ、この際後回しで構わない』

「あ、もしかして禁句さん!?」

 

 その偉そうな口調と邪悪な姿から推測を口にした途端、なんとも言えない沈黙が二人分訪れた。

 クィレルだけでなく、あの闇の魔法使いさえも嘆息させるアリィ。侮りがたし。

 

『………………小僧、貴様がスリザリンの末裔というのは本当か?』

 

 結果、ただでさえ疲れているので、例の禁句さんは先程の言葉を聞かなかった事にした。その判断はおそらく正しいだろう。少々プライドを傷付けられたかもしれないが、この変人の塊にいらぬ怒りを抱く方が無駄なのだ。

 相手にすると疲れるし、それ以上に優先しなければならない事があるのを彼は分かっていた。

 

「さあ? 伝次郎がそう言ってただけだしなぁ」

 

 伝次郎。その名が誰の事か禁句さんにも分からなかった。名前からして東洋人。なら知らなくても仕方がないと、ホグワーツを脱出してから伝次郎について調べようと禁句さんは決めた。

 

『エルヴィラ・マーケットは確かスリザリンに所属していた筈だ。可能性はゼロではないか……』

 

 敵対する組織の構成員くらい禁句さんも把握している。エルヴィラとその夫のトバイアスは、自ら手に掛けただけでなく重大な予言に関係していたかもしれない夫婦だったため、禁句さんの記憶に深く根付いていたのだ。

 特にエルヴィラをよく覚えていた。

 スリザリン生である癖に獅子寮の者とも仲良くし、あろう事かグリフィンドールと結ばれて自分と敵対した女。伝次郎に続き、改めて彼女の名を調べる者リストにアップする禁句さんだった。

 

『小僧……いや、アルフィー』

 

 闇の魔法使いが優しく少年の名を囁く。

 酷く衰弱した弱々しい口調でも、彼の言葉に人を惹き付ける何かが宿るのをアリィは認めた。

 人間以下の姿に成り果てていても、彼のカリスマ性は健在。

 

『俺様と共に来い。その頭脳、その血筋。俺様の下にいるのが相応しい』

「やなこった。お前は俺とハリーの父ちゃんと母ちゃんを殺したから嫌いだよ」

 

 過去何人もの人を魅了し、騙し続けてきた禁句さんの言葉を、アリィは切って捨てる。

 そして、この会話がアリィの血筋を裏付ける決定打になった。

 アリィの発言は良いとして、クィレルはご主人様の言語が理解できなかったからだ。彼の耳にはシューシューという蛇の鳴き声にしか聴こえない。

 

 名前を呼ばれるなんて不愉快だと眼で語るアリィ。その不遜な姿に憤りを感じる事もせず、禁句さんは盛大に笑い出した。

 

『決定的だな。蛇語が分かるという事は、お前は本当にスリザリンの血を引いているらしい』

 

 ワザと蛇語で語りかけ、推測を確たる証拠にした禁句さん。俄然、勧誘する言葉にも力が篭る。

 

『アルフィー、よく考えるんだ。俺様とお前は親戚同士、家族も同然だ。……俺様を手伝ってくれないか? 家族が、こんな誰かの身体を借りなければ生きていられないなど、優しいお前は心を痛め――』

「だーれが家族だ! 俺の家族は爺ちゃんとポチ太郎と伝次郎だけ! 俺の父ちゃん母ちゃんも、ハリーの父ちゃん母ちゃんを殺したお前なんて家族なんかじゃないやい!」

 

 確かめるまでもない。本心からの怒声が周囲の空気を振動させ、少年の周囲に風が巻き起こる。あまりの戯言に我を失い、魔力が暴走したのだ。

 

「そもそも家族云々は寄生動物を卒業してから言えってんだ。サナダムシの親戚と家族同然なんてまっぴらゴメンだよ、まったく!」

 

 悪態を続ける事で徐々に落ち着いてきたのか。魔力の暴走も終息の一途を辿って風も収まっていく。はっきりとした拒絶の姿勢に、禁句さんは長い沈黙で返す。

 

『……そうか、本当に残念だ』

 

 今世紀最大の闇の魔法使いは、心から残念がっていた。

 

『アルフィー。その俺様以上の頭脳も、貴重な血も……魔法界の財産が失われるのは、本当に残念でならない』

 

 禁句さんが敵視するのは自身に歯向かう者とマグルのみ。それ以外の同胞は、特にアリィのような由緒正しい魔法族を禁句さんは大切に思っている。

 アリィが敵対の道を進む事を嘆いているのは、紛れも無い彼の本心。

 

『最後に最も愚かな選択をしたな、アルフィー・グリフィンドール』

 

 話はこれで終了。主人の沈黙の意味を察したクィレルはアリィの方へと向き直り、その杖を掲げる。

 その時、

 

「アリィ! それに……クィレル!? まさか、あなたが……っ!?」

 

 実に十数分遅れでハリー・ポッターが到着した。急いで来たため彼は全身汗だく。肩で息をし、呼吸を乱していても、ハリーは目の前の予想外を彼なりに理解して直ぐに受け入れる。

 これもまた散々アリィに付き合わされて『予想外』に耐性が付いている所為。アリィとの付き合いは間違いなく、彼を残念で可哀想な理由で成長させていた。

 

「そうか。ここまで来たかポッター」

『ああ……ハリー・ポッター。逢いたかったぞ、ハリーよ』

 

 主役が揃った事で二人の悪役は雄弁に語り出す。

 気弱な姿を装い演技していたこと。スネイプはハリーを守っていたこと。その経緯と計画を語り出すのは、悪役として妥協出来ない美学なのかもしれない。

 時間が無いにも関わらず、彼等は自分に酔ってネタ晴らしを止めたりしない。

 しかしアリィ達は二人の話を全然聞いていなかった。

 特にハリーは冷静だった。危険な時ほど冷静沈着を心掛けなければならない事を彼は熟知している。

 これもまたアリィのトラブルに巻き込まれて学んだ教訓だ。腹の奥底で燃え上がる復讐の炎を封印し、情報整理と対策に努めた。

 

「あれがラスボスと禁句さん。賢者の石を持ってる。そっちは?」

「ハーマイオニーと……もしかしたらロンも、ダンブルドアに手紙を送っている筈だよ。でも、いつ来るか分からない」

「うわ、どうしよ。催眠ガスとかって『泡頭呪文』で無効化されそうだし」

「呪いなんてまだ全然習ってないんだ。挑んでも勝てる訳ないよ」

「この際、逃げる? 禁句さんはノミもどきだから、実質敵はクィレルのみ。あー、でもポチ太郎を一人置き去りにも出来ないしなぁ」

「閃光弾やクリスマス前に言っていた改造エアガンとかは?」

「全部使ったし壊れた」

「あちゃー」

「人の話を聞けッ!」

 

 堂々とした作戦会議をしている二人を赤い閃光が照らした。

 分かりやすい怒りマークを額に浮かべたクィレルの杖から放たれた閃光は一直線に宙を走り、寝ている三頭犬にぶち当たる。

 その呪文はポチ太郎の付けている首輪を正確に切り裂き、破片を周囲に散らし付けた。

 

『人の話は素直に聞くものだと教わらなかったか?さもないと、この三頭犬がどうなっても知らないぞ』

「とか忠告しながら『切り裂き呪文』を使うなんて鬼畜だぞ! 悪魔、外道! ポチ太郎が怪我を負ったらどうしてくれる!?」

「人質を取るなんて卑怯だぞ! 話を無視されたからって癇癪を起こすなんて!」

「やかましいっ!」

 

 その天然の返しにクィレルの顔が怒りで真っ赤になる。

 しかし、怒りを感じているはアリィも同じ。ポチ太郎への攻撃は流石のアリィもキレさせた。

 

「そもそも散々人の迷惑になることばっかりしやがって! 我儘も大概にしろ! 自分の都合で他者を振り回して良いと思ってんのか馬鹿たれめっ!」

「「お前が言うな!?」」

『貴様が言うな!?』

 

 三人分の魂のツッコミが木霊した。この時ばかりは三人とも心を一つにした。

 そして肩を盛大に揺さぶって文句を叫び続けるハリーと頭をガクガク揺さぶられて目を回す寸前のアリィを見ながら、主従コンビは再度声を張り上げて注目を集める。

 

 もう容赦はしない、警告は無しだ、と。再びポチ太郎に狙いを定めたクィレルに対し、アリィは直ぐさま下手に出た。

 

「ちょっと待ったクィレルさん! とにかく、俺達は逃げも隠れもしないからポチ太郎の解放を要求しますですよ、はい!」

「ちょっと待ってよアリィ!? 『達』って何っ!?」

「ポチ太郎を見捨てるなんて出来るのか? いや、否! だからハリーも俺と運命を共……に……」

「そんなの勝手に決めないで……よ……」

 

 二人分の声は次第にしりすぼみを見せ、仕舞には完全に沈黙してしまう。

 熱々の状態から急に冷え切ったように態度を変えた二人を怪訝そうに見たクィレルは、その二人が見ている方向へ視線を移し――直ぐにピシリッと音を立てて石化した。

 何故なら、先程千切れ飛んだ首輪の破片に混じり、赤黒い鉱石が石床に転がっている。おそらく首輪に隠してあっただろうソレは、先程台座にあったモノと瓜二つな形をしていた。

 そう、よくよく考えれば、あんな分かりやすい所に本物を置くだろうか。普通は置かない。

 今盗人が左手に持っているのが偽物と分かり、何とも言えない沈黙が三人にして四人を包み込んだ。

 

『何をしている! 速く手に入れろ!』

 

 禁句さんの言葉が合図となり、まずはクィレルが。それに一瞬遅れる形でアリィもベルトから杖を引き抜いた。

 

「「『アクシオ 賢者の石よ来い!』」」

 

 魔法と魔法の鬩ぎ合い。同質の魔法が小さな鉱石を奪い合う。

 腕は互角。絶妙な均衡を保ちながら賢者の石は宙に停滞した。

 

 

 ――その隙を、彼は見逃さない。

 

 

「うわぁあああああああっ!」

 

 言葉にならない雄叫びを上げてハリーがクィレルへと突撃する。

 魔法も何も無いただの乱戦にもつれ込み、腰へ体当たりを食らったクィレルは注意を賢者の石から外してしまった。

 そして腰にしがみ付く少年を退かそうとして悲鳴を上げる。ハリーの顔に押し付けていたクィレルの手が、火で炙られたかのように黒く炭化し始めたからだ。

 

「ハリー!?」

「い、いから! 賢者の石を……早くッ!」

 

 しかしハリーへのダメージも尋常ではなかった。クィレルに触れられた瞬間に額の傷が激痛を発し、その苦痛に表情を歪ませる。

 それでもチャンスを棒に振る事をせず、クィレルが注意を外した瞬間、力を振り絞り賢者の石を手元に引き寄せる事に成功した。

 

『待てアルフィー。ハリー・ポッターがどうなっても良いのか?』

 

 だが代償も大きかった。

 ハリーは仰向けのまま床に大の字で叩きつけられ、その両手をクィレルに踏まれて身動きが取れないでいる。

 苦痛で涙を溜めるクィレルは殺意に塗れた目でハリーに杖を向け、怒号を上げた。

 

「グリフィンドール! 賢者の石をこっちに渡せ。さもなければ、ポッターを殺す!」

「アリィ、渡したらダメだ!」

 

 殺気に満たされた視線と痛みに耐える懇願の視線が絡みつく。二種類の視線を浴びるアリィは決意した表情を取り、その奇跡の石を左手に胸の前へ掲げ――、

 

「ほいっ」

 

 

 ――工具ベルトから引き抜いたトンカチを、賢者の石へと振り下ろした。

 

 

『………………は?』

 

 目を点にする三人を置き去りにアリィは再度トンカチを振るう。

 三度、四度、そして五度目の衝撃で賢者の石に皹が入り、六度目を振り下ろす所で、

 

「な、何をしている!?」

 

 クィレルが慌てて奇行に走った少年を止めた。

 

「いや、渡してもハリーが殺されそうだから、どうせなら石を壊しちゃおうかなと」

 

 その自信満々で名案だと確信している表情が彼の本気具合を物語っている。

 屈託の無い天使のような笑顔を見て三人はこう思うのだった。

 

 え、躊躇無くそれをやるの? 何それ怖い、と。

 

 しかし、確かに名案である事を否定出来ない。

 だから、

 

  「アリィ! 僕の事はいいから石を壊して!」

「よし来た任せろ。万が一の時は俺が墓石のデザインを考えてやる!」

「死人に鞭打つのは止めてよっ!?」

 

 死ぬ覚悟を決めた途端に生への渇望が込み上げてくる。ハリーはやはり生き抜く事を決めた。これでは死んでも死にきれない。未練を残してゴーストにでもなってしまいそうだ。

 

『待てアルフィー! 石を壊すとニコラス・フラメルが死ぬぞ!』

 

 そして最後の一撃を振るう寸前に掛かった言葉で、アリィが動くのを止める。

 石を破壊すると命の水を精製出来ない。それは命の水で命を繋いでいるニコラス・フラメルの緩やかな死を意味していた。

 もしかしたら賢者の石が悪の手に渡るくらいなら死を選ぶかもしれないが、自分の一存で知り合いの命を脅かすのは凄く躊躇われた。

 その隙を、この邪悪な者は見逃さない。

 

『アルフィー。良い子だから石をこっちに渡せ。そうすれば、ハリーは解放しよう。約束する』

「アリィ! 絶対に渡しちゃダメだ!」

 

 悪魔の囁きと正義の声にアリィは初めて困惑を見せる。

 ここまで迷い、泣く一歩手前の表情を見るのはハリーも初めてだった。

 だからハリーは親友が泣かなくても良いように。今までの借りを清算するために。

 抗うことを決意をした。

 

「アリィ! 賢者の石を持って逃げるんだ!」

『避けろクィレル!』

 

 腰と足を振り上げる。両手を踏みつけている魔法使いの腹へ強引に蹴りをかます。

 禁句さんが見ていたがもう遅い。クィレルはバランスを崩し後ろに倒れかけ、拘束を逃れたハリーが素早く起き上がる。

 そしてクィレルの顔面に両手を押し付けた。

 

「あ、あぁあああああああ!?」

『馬鹿者! 殺せ! 始末しろ! 殺せ、石を奪えぇえええ!』

 

 クィレルは苦痛に満ちた悲鳴を上げ、接触に伴い再発した傷跡の激痛にハリーが必死に耐える。

 顔は焼き爛れ、直視出来ない素顔となったクィレルが激痛で暴れる。

 正気を失い、四方へと乱雑に杖を振り、呪いを撒き散らした結果、

 

「あ」

 

 無意識に放たれた呪いの光線が立ち呆けていたアリィを貫く。

 赤い光線が目を焼き、正体不明の呪いで冷たい石床に倒れこむまでに、もう少年の意識は暗い闇へと堕ちていた。

 

 

 

 


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