ハリー・ポッターと魔法の天災   作:すー/とーふ

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第十五、十六話をまとめて投稿しました。
お気に入りから飛んできた方はご注意ください。


第十六話

(……まさか、こんなあっさりと……私の努力はいったい……)

 

 目の前で起こった出来事を受け入れられず、クィレルは言葉も無く立ち呆ける。

 確かに少し考えれば分かる事だった。あんな罠、誰が見ても厄介な事この上ない。そう考えれば、彼もこの仕掛けの可能性を思慮に入れておくべきだったのだ。

 しかし、それも仕方の無い事かもしれない。クィレルと禁句さんは誰もが認める優秀な頭脳の持ち主。優秀であるが故に複雑な迷路でさえ正しい道順さえ知れば一発で覚えてしまう。

 だからこそ、この一般人に配慮した仕掛けなど予想出来なかった。凡人を理解出来る天才などそうはいないのだから。

 

「先生?」

 

 所狭しと並んでいた無数の壁は消え、充満していた煙も中和された廊下内で、アリィは背後を振り返って首を傾げる。

 罠を解除しても自分のように進まず、入り口付近に突っ立ったままのクィレルに疑問を抱いたからだ。

 

「い、いえ。お、おお驚いてしま、って」

 

 それプラス以前忍び込んだ時の苦労と醜態を思い出して心の中で唇を噛み締める。失敗と愚かさを棚に上げた八つ当たり衝動に駆られるも、殺意を瞬時に心の奥底に封印して歩き出した。

 

「あれ、先生は扉の位置を知ってんの……って、そっか。部屋は広くなってるけど扉のある方角は変わってないもんね」

「え、ええ。こ、ここここは、け、検知不可、能、拡大呪文、が、施されてい、いますから」

 

 検知不可能拡大呪文の効果は対象空間の拡大化。

 例えば正四角形の部屋を拡大するとしよう。その四隅と中央に印を置いて拡大呪文を使った場合、呪文は物体のある座標にも干渉し、その印は拡大された室内の四隅と中央に設置されることになる。

 その違いは拡大前後の部屋を比べれば明らかだ。イメージとしては『四隅を引き伸ばされた』に近い。拡大された空間内にあるモノは、拡大前にあった場所から直線に伸びた先に位置しているのだ。

 だから扉の位置が変わっても扉のある方角までは変わらない。

 下へ向かう唯一の扉があるのは廊下の中央。なら例え拡大されても扉の位置が拡大空間の中央付近にあると推測するのは難しい事ではない。

 中央を悟らせないための迷路と反転草だったが、今は全て消えているので分かって当然。中央付近にダミーを幾つか設置しているが、見通しの良くなった今、どこが廊下の中央かは一目瞭然だった。

 

「グ、グリフィンドー、ル君。パ、パスワードが……」

「ああ、それはね」

 

 先行して扉に到達していたクィレル。彼に追い付くよう歩いているアリィが正解を告げる。

 

 漸く辿り着いた本物の扉。

 床よりも数cmほど沈んだ先に、まるで窪みに嵌め込まれたかのように侵入を阻む扉が設置されている。これまた窪んだ形の取っ手が二つ付き、その下にダイアル式の十桁パスワードが埋め込まれているそれは、偶然にも数ヶ月前にクィレルを挫折させたのと同じ扉だった。

 

「――だよ。分かんないもんでしょ?」

「……ハ、ハハ…………ハァ…………」

 

 彼の幼い口で紡がれた正解に、またも脱力感が込み上げてくる。がっくりと肩を落とすクィレルからしてみればショックで倒れなかったのを自分自身で称賛したい程だ。

「でも注意し……って、ちょっと待った先生!?開ける前に――」

 

 渇いた笑い声を口から量産するクィレルが取っ手に手を付けた瞬間、アリィは弾かれたように彼の下へ走り出す。

 今なら扉を開ける前にギリギリ間に合う。そう信じたい。

 到着する前に正解を告げ、注意を促すのが遅れてしまった自分を呪いつつ、体当たりをぶちかまして強制的に範囲外へ押し出そうとする。

 

 

 

 ――そしてアリィの頭突きがクィレルの脇腹に突き刺さる寸前で、扉が開いたのだった。

 

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 

 本来なら寝静まっている筈の深夜に廊下の暗闇から囁き声が漏れてくる。

 天災達が侵入してから遅れて三時間。妨害を図った同僚さえも突破して、命知らずの三人が禁じられた廊下の前に到着していた。

 

「ハリー、本当に行くの?」

「ねえハリー。いくらスネイプでも事前情報無しにアリィの罠を突破出来るとは思えないわ」

 

 透明マントを取り去ったロンとハーマイオニーの言葉は不安と説得心に満ちていた。

 いくら言っても意見を変えようとしない強情な友人を心配してここまで来た二人が、正真正銘最後の説得に取り掛かる。

 自分達が行かなくても大丈夫。アリィの罠を突破なんて出来ない。一夜限りの辛抱だ。ある意味、誰よりもアリィを信頼している彼の心に響かせる説得の言葉。しかし、それでも彼の意思が折れる事は無かった。

 

「なら二人は戻って良いよ。僕一人で行くから」

 

 二人の心配を歯牙にも止めず、何か他の事に思考を裂いているハリーの碧眼に宿るのは、強い決意の光。

 脱いだ透明マントをポケットに仕舞い、説得が耳を素通りしているハリーは頭の中でシミュレーションを開始する。

 今から立ち向かわなくてはならないのは本来なら絶対に回避しなくてはならない死地。何があっても不思議ではない罠の巣窟。だから思考は止めたりしない。

 

「ハリー」

 

 とりあえず杖を取り出すハリーだが、しかしその手をハーマイオニーが掴み取った。

 自分達の説得に耳を貸さない頑固者の注意を向けるため、両手で包み込むように右手を掴み、その深緑の瞳を真っ向から見詰める。

 これには流石のハリーも一旦思考を中断させるしかなかった。

 

「ハリー、もう一度考え直して。アリィや先生方が仕掛けた罠が満載なのよ? いくらスネイプが例のあの人の援護を受けていたとしても、そう易々と突破なんて――」

「問題はそれだけじゃないんだっ」

 

 切羽詰った表情のハリーは少しヒステリック気味に言葉を遮る。そこには何故分かってくれないんだという怒りが含まれるが、よく考えればもう一つの懸念材料について説明していない事を思い出した。

 

(そうだっ、何をしているんだ僕は。こんな時こそ冷静にならないといけないのに)

 

 確かに少し回りが見えていなかったらしい。

 反省し、頭を冷やしてから、ハリーは賢者の石とは別に気になったことを口にする。

 あの未だに忘れられない親友の特上の笑みを思い浮かべながら。

 

 幸い、話した甲斐があったようだ。

 

「よし、じゃあさっさと行こう! こうしてる間にもスネイプが賢者の石を手に入れようとしてるかもしれないだろ、違う?」

「そうね。私もアリィの笑顔が凄く気になるわ」

 

 アリィの笑顔についてと、おそらく校長不在の内に何かやる気――おそらく侵入行為――だという推測を語った後は早かった。

 何だかんだ言ってハリーを放っておく気がさらさら無かったロンはまだしも、消極的な意見をガラリと変えたハーマイオニーには、二人して少し面を食らってしまう。

 

「うん、まあ……あれだよね、ロン」

「ハーマイオニー……君はこんな時でも『学校の守護者』なんだね」

 

 おそらくストッパーとしての義務感が発動したのだろうと納得しておく二人の目は、まるで仕事中毒者を見るような生暖かい目と酷似していた。

 責任感の強い彼女の事だ。賢者の石も気になるに決まっているが、彼女の中では天災絡みの方が重要度と危険度が高いのだろう。

 あながち間違いだと断定出来ないのが恐ろしい。

 

「よし、じゃあ賢者の石を取りに行って、多分いるだろうアリィの様子も見てこよう。二人共、本当に良いね?」

 

 ハリーの最終確認に力強く頷く二人。

 様々な不安要素に押し潰されそうになる心を奮起させ、賢者の石を守るため、アリィの暴走?を止めるために立ち上がる。

 互いの意志を確認し合い士気を高め、ロンが取っ手に手を掛けた。

 そこを、

 

「待った。ハーマイオニーは一番後ろに居て」

 

 戦いへの第一歩を、ハリー・ポッターが止めた。ロンの手を掴み、神妙な表情で首を横に振るハリー。その危機感を煽る表情に文句を言う筈が無い。

 素直にロンは一歩下がる。

 

「ここはハリーに従いましょう」

「僕も天災行動学の第一人者に従う」

 

 何かと取り仕切るハリーに不満を抱かないのは、彼の持つカリスマ性も一役買っているだろう。しかし、やはり一番大きな要因は、彼が天災の幼馴染だという歴然とした事実。

 幼い頃から天災の被害に遭い、身と心に傷を負いながら彼の行動を記憶に刻み付けた者の言葉を、誰が無碍に出来るというのか。

 もの凄く納得し、そしてほんのちょっぴり同情の色も混じった眼差しを受けながら、ハリーは過去の記憶をトラウマと共に呼び起こす。

 しばらくブツブツと小さな声で呟く彼は、沢山のシミュレートを終えた上で、杖を自分の顔に向けた。

 

「『バテスタ 泡で包め』」

 

 杖に注がれた魔力をエネルギーに呪文が完成する。いきなり何をしているんだという二人の視線を感じつつ、ハリーの頭が泡の膜に包まれた。

 必死に泡頭呪文を練習するゲームオタクに付き合った結果、ハリーだけでなくルームメイト全員が泡頭呪文を習得している。泡頭呪文の習得難易度が低いという理由もあるが、大体は泡頭呪文を強制練習させたディーンのお陰だった。

 そして怪訝な眼差しを向ける二人を納得させるために、問われる前にハリーは理由を告げる。

 

「以前アリィが学校の職員室に立て篭もった時、入り口にガスを仕掛けていた事があったんだ」

 

 その時の状況を聞けば聞くほど二人の表情は面白いように青褪めて、納得するようにコクコク頷く。毒ガスが仕掛けられている確証が無いにも関わらずロンが慌てて泡頭呪文を唱える当たり、その事件がどれだけヤバイかを物語っていた。

 その泡頭呪文が術者の頭だけを対象にしているだけにハーマイオニーは『ガッテムっ!』と叫びそうな表情で頭を抱えている。

 難易度が低く一年生に習得出来るレベルとはいえ、それでも数時間単位の練習を必要とするので、今ここで彼女が呪文を使えるようになる可能性は低い。

 例え学習面で優秀な彼女でもだ。

 

「ロン、行こう」

「どんと来いっ」

 

 よって男子二人が前を固め、女子一人が後ろに下がるという陣形を取った。

 念のため扉の両脇に立つ彼等から、更に数歩分下がった場所でハーマイオニーが見守る中、『せーのっ』の掛け声と共に扉が勢い良く開かれる。

 古く、それでいて木の軋む耳障りな音を立てながら開かれた扉からは、微かに無臭の白煙が漏れていた。

 

「やっぱりそうだ。煙が漂ってる!」

「君はそのまま外に出てろっ!」

 

 慎重に廊下内への侵入を果たした二人は辺りに立ち込める白煙に気付いて注意を促す。二人に数泊遅れて中に入ろうとしたハーマイオニーは即座にUターン。真正面に立たず扉の脇に身を置き、漏れてくる煙をローブの裾やらでパタパタと扇いで被害を逃れる彼女は、危険地帯に突入した二人に負けじと声を張り上げた。

 

「ハリー、ロン。中はどうなっているの!?」

「迷路だ……迷路になってる!」

「それに凄く広い! 以前入った時以上だ!」

 

 アリィに一度解除された罠は既に機能を復活させている。地下へと降りる際、再度罠を起動させたのだ。

 

「それにしても……コレって……」

 

 廊下にびっしりと並ぶ巨大な壁の数々に圧倒されるハリーと同じ気持ちなのか、ロンもポカーンと口を開けて唖然としている。

 薄暗く、とても巨大な迷路。いくら時間を掛けても無駄だと言っているような、探索に入るのも馬鹿馬鹿しいと感じてしまう予想外な罠に早速二人の心は挫け掛けた。

 彼等は探索に必須な紙やペン、コンパスも持っていなければ、クィレルのように道標呪文を開発していない。

 明らかに準備が不足してい彼等が迷路に挑んでも末路は見えていた。

 

「ハリー、この中を進むなんて無理だ。時間も足りないし道が分からないんだから進みようが無いよ」

「…………」

 

 ロンの呟くような諦めの声に反論出来ず、そのまま入り口付近で立ち尽くす事しか叶わない。何が仕掛けてあるのかも分からない迷路に勝算も無しに飛び込むのは、勇気どころか無謀。愚の骨頂。馬鹿のやること。

 それでも手を考えようと頭をフル回転させるハリーの耳に、再び呟き声が届いた。

 

「それに地図無しでこんなのを進むなんて無茶だって。……でも、僕達には無理だけど、やっぱりアリィやダンブルドアは迷路を全て把握してるのかな?」

 

 何気ない呟きでもそれが道を切り開くきっかけに成りえる。唐突に差した光明に反応する者が一人いた。

 

「ねえ、入り口の周りに何か仕掛けとかって無いかしら!?」

 

 問い掛けたのはハーマイオニーだ。

 突入して直ぐに唖然と立ち尽くしたのが幸いし、入り口付近に立っていた彼等の会話を彼女も聞いていた。

 フッと沸いた不幸中の幸い。彼女に遅れてハリーも気付く。その、ハーマイオニーの思い至った結論を。

 

「そっか、そうだよ! きっとあるはずだ!」

「ちょっと待ってよ二人共。僕にも分かるように説明して」

 

 訳が分からないと混乱するロンにハリーとハーマイオニーが簡潔に説明した。

 決め手になったのは最後の部分。即ち、アリィとダンブルドアなら道順を覚えているのかもしれない、という予想。

 その発言を聞いて彼等は考えた。つまり彼等のような超絶天才以外は、地図を片手にしなければ扉まで辿り着けないのでは無いか、という推測だ。

 

 賢者の石を守る罠を仕掛けたのはアリィだけではない。最難関だろう第一の罠を抜けた先に、第二、第三の罠が侵入者を待ち受けている。

 その調整や魔法の再発動のため、又は不測の事態に対し、他の教員達だけで廊下に入らなくてはならない時がくるかもしれない。秘密保持のために地図の作成など論外。そうなると、迷路を把握しているだろうアリィかダンブルドアが一々付き添わなくてはならなくなる。きっと二人が付き添えない時を想定して罠解除の仕掛けを用意している筈だ。

 ハリー達はそう結論付けた。

 

 ちなみにクィレルは自分の仕掛けた罠に不備が生じたかもしれないと嘘を付き、その点検のためにアリィかダンブルドアに付き添いを頼み、迷路の道順を把握するという作戦を考えた事があった。まあ、それはクィレルを連れずにダンブルドアが一人で確認に行き嘘がバレるのがオチだとお蔵入りになった作戦だが。

 

 

 閑話休題。

 

 

「……つまり、他の先生達のために罠を解除する仕掛けがあるかもしれないってこと?」

「うん。可能性はあると思う」

 

 そして罠解除の仕掛けがある根拠はもう一つあった。

 それは不足の事態が生じた場合、アリィやダンブルドアはわざわざ迷路を進むという面倒な手段を取れるのだろうか、という疑問だ。

 不測の事態とはおそらく一分一秒を争う緊急事態。そのような中、地道に迷路を走破するのはナンセンス。

 なら迷路を排除する仕掛けがあっても不思議ではない。自分の首を絞めるような罠を残す程、彼等の頭はおめでたくないのだから。

 

「あれ、でもその解除法って魔法である可能性もあるんじゃ」

「魔法での解除という可能性はおそらく無いわ。ロン、あなた忘れてない? 賢者の石を守っているメンバーにはハグリットもいるのよ」

 

 ハグリットは学校を退校処分された際に杖を叩き折られ、魔法の使用を禁止された。実はその折られた杖をピンクの傘に仕込んで度々魔法を行使しているが、それは基本的に許されていない禁止行為。

 ダンブルドアが魔法省に許可を取ることで例外的に認められている処置を、今回も施したかは定かでは無い。それでも、きっとダンブルドアは許可を取っていないだろう。

 手続きが面倒な事もあるし、何よりハグリットは魔法が得意では無いのだから。ハグリットでも簡単に扱える魔法を重要な場所の解除法に設定するはずがない。

 

 以上の推測を聞き、絶望した表情だったロンの顔も喜色に満ちてくる。閉ざされたと思われた道が切り開かれ、その要因となったのが自分の発言だったのが、彼は嬉しかったのだ。

 

「よし、そうと決まれば行動あるのみだ!」

「ロン、君は右側の壁沿いを探して。僕は左側を探す」

 

 説明が終わって直ぐ、二人は入り口付近を入念に探し始める。壁の一部がへっこまないか。何か不審な点が無いか。床のタイルに変化は無いか。

 彼らは探し続ける。

 

 

 ――彼等はクィレル達が辿り着けなかった可能性に到達してみせた。そして、探し始めて程なくして、その閃きと行動の苦労が報われる事になる。

 

 

「あった、あったぞハリー! 黒くて細いロープが吊るされてる!」

 

 その縄は入り口から僅か数メートルの所に存在した。

 子供の小指ほどの太さしか無く、とてつもなく長い。仕掛けがあると断定し、目を凝らさなくては到底見付からなそうな縄は、壁沿いに天井から真っ直ぐに垂れている。色が黒なのも迷彩に一役買っていた。

 

「ロン、とにかく引っ張ってみて」

「だ、大丈夫だよね!? 実はダミーでした、とか。そういうオチは無いよねハリー!?」

「………………」

「黙るなよっ!?」

 

『いいから早くしろ』という無言の視線と『早くやれ』と言っているようなプレッシャーを廊下の外から感じ、自然と涙が浮かんでくるロン・ウィーズリー。

 心臓のバクバク感が凄まじく、かつて無いほど早鐘を打つ。双子の悪戯道具を味わう時とは違う恐怖を彼は感じていた。

 おそらくロンの目には、あの縄が邪気を纏っているように見えている事だろう。

 

「ああ、もう! どうにでもなれっ!」

 

 ロンはロープの先端に手を伸ばし、大きい結び目を強く掴む。そのまま勢いに任せるように引っ張ったそれは、何の抵抗も無くすんなりと引っ張られた。

 ウェクロマンチュラの加工糸を芯に使われた特製の縄。引っ張られたその先を見る事は叶わないが、それでも大きなガコンッという音が、罠の変化をハリー達に知らしめた。

 それは天井を伝い、様々に枝分かれして足を伸ばしていく。先程の大きな音は数十メートルも離れた所の外壁に空いている煙の噴射孔を無効化した音だった。

 引っ張った事で留め金が外れ、支えていた鉄製の蓋が重力に従って弧を描くように左下へスライド。大きな穴にぴったりと蓋をする。そうする事で煙の噴出が納まったが、その代わりに同じくらいの穴がポッカリと顔を出した。そして直ぐに噴出される青い煙。反転草の煙を中和する煙だ。

 

「見てよハリー。迷路が下がってく!」

 

 ロン達の見ている通り、巨大な迷路が音を立てて床に納まっていくのは壮大な光景だった。あの縄は噴出孔の留め金を外すだけでなく、舞台劇などで使用される『奈落』と呼ばれる舞台仕掛けを起動させるための留め金を外す役割もあったのだ。

 すのこが横にスライドし、出現した穴に次々と収まっていく迷路達。機械類を一切使用出来ず全てをカラクリで行う必要があったが、カラクリ技工とは発明家の殆どが最初に手を出す基礎分野だ。

 機械弄りを始める前に沢山の技術をデイモンから教わり、もとい単純なギミック盛り沢山の玩具を製作したアリィにとって、今回は規模こそ過去最大なものの仕掛けの難易度は下の下。施した魔法を除けば材料の調達と丈夫な縄の作製の方が手を焼いた程だった。

 とにかく、そのような経緯を当然知る由も無く。ハリー達に立ちはだかっていた迷路は数十秒で無力化される。

 空気を清浄した青い煙も周囲に解け込み、泡頭呪文を解除しながら、改めて二人は広々とした空間を隅から隅まで見渡す事が出来た。

 

「……迷路と煙が無くなったけど」

「虱潰しになんか探していられないぜ。そんな時間なんてあるもんか」

 

 迷路の代わりに現れたのは大量の扉。まさに一難去ってまた一難という光景に二人は揃って両手両膝を着きたくなってくる。

 実際、目に見えて落ち込む二人は、もう大丈夫だと見るや廊下に入ってきたハーマイオニーの存在に気付かなかった。

 

「この前よりも広い空間。これ……おそらくだけど検知不可能拡大呪文に違いないわ。本で読んだもの。なら、元々あった位置の方角は変わらない筈……」

 

 アリィを真の天才とするならば、彼女は正真正銘の秀才。料理クラブで頻度は減ったものの暇さえあれば本を読んだり勉強に勤しんでいた彼女は、脳内書庫から拡大呪文の記述を洗い出した。

 

「きっとアレだわ! この入り口から真っ直ぐ進んだ所にある扉。アレがきっと本物よ! 以前はポチ太郎の足元に扉があったんですもの。間違いないわ!」

 

 俯き気味だった顔を上げて彼女の指差した方向を見る二人の目には、再び希望が見えた事により活力が戻っていく。絶望し、希望を見出し、またもや絶望する。それを何度も繰り返してこられたのを『幸運』の一言で済ますのは容易い。

 それでも、きっとそれだけは無い筈だ。

 ハリーが煙を想定しなければおそらく最初で詰んでいた。ロンの一言が無かったのなら罠解除の仕掛けに気づけなかった。ハーマイオニーがいなければ膨大な時間を無駄にしていた。

 三人が揃って初めて乗り越えられる困難と苦労。三人がいたからこそ最大の難関をここまで突破出来たのだ。

 

「パスワードだわ」

「ハリー、何か心当たりは?」

 

 そして三人は最後の難関に取り掛かる。

 偶然や幸運では決して開かない、解除不可能なアルファベット二十四文字による十桁パスワード。

 扉を開かなければ今までの努力が水の泡。心情的にも状況的にも避けなければならない結末を回避すべく、ハリーは必死に過去を振り返った。

 誕生日。大好物。嫌いなもの。記念日。マグルの学校での学籍番号や過去使用していたパスワード。しかし、その中に十桁のモノは存在しない。全然心当たりが無かった。

 

「……ダメだ。何も思い浮かば――」

 

 諦めかけたその時、ハリーは一つの考えに思い至る。そんな事がありえるのだろうか。流石にそれは無いだろう。否定から入るが、逆にこの考え以外ならお手上げと言っていい。

 少し考え、そして答えを得る。

 

「もしかして。いや、でもコレは……」

「ハリー?」

「何か思いついたのね?」

 

 可能性で言えば、全然アリ。むしろ意表を突くという観点から見れば、とてもアリィらしい仕掛けだと言える。ネタ晴らしをされ、掌で踊らされた時に脱力感を味合わせるのがアリィの『悪戯』なのだから。

 

「迷路とか変な煙とか色んな罠を仕掛けているけど、アリィの本質は悪戯小僧なんだよ」

 

 だからこそ、この人をおちょくった様な手を思いつく。

 友人二人が固唾を飲んで見守る中、ハリーはパスワードに手を振れず、直接窪んだ取っ手二つに手を掛けた。そして、見た限り両開きの扉を、ほんの少しだけ横に押す。

 アリィの手で木製から鉄製に改良された扉には、ほんの数ミリ分だけ横に隙間が出来ていた。

 

「やったわハリー!」

「流石は天災の親友!」

 

 両開きに見える構造も、パスワードも全てフェイク。スライド式という方法を隠すためのカモフラージュに過ぎない。扉や取っ手が窪んでいたのも、全てその所為。正に悪戯小僧の発想だ。

 

「待って! ハーマイオニー、君は念のため離れていて。ロン、君は僕と一緒にこっち側へ回るんだ」

 

 意気揚々と扉に手を掛けようとしたロンを慌てて制す。なにやらデジャブを感じるやり取りだが、それ以上に気に掛ける事が沢山あった。それが今だ。

 

「まだ油断は出来ない」

 

 再び泡頭呪文で顔を覆い、改めて取っ手に手を掛ける。意図を察したロンも泡頭呪文を使ってからハリーに続き、取っ手に手を掛けた。

 

「「扉を開けた先には――」」

 

 息を合わせ、一気に扉をスライドさせる。その場を離脱して直ぐ――赤い煙が穴の直ぐ横から噴出した。

 

「――ガスがあるって訳ね。まったく、あの子ったら……」

 

 煙の噴出が終わってから、周囲に残留する煙を脱いだローブで扇いで遠くに飛ばす。当然、煙を遠くにやるのは泡頭呪文に守られている二人の作業だ。

 

「でも、流石だわ。私もまだまだね」

「普通はここまで予想出来ないって」

 

 やるべき事は全て終わった。扉の先にぽっかりと空いた穴を見詰めながら二人はハリーを称賛する。穴の中、入り口に近い部分から外に飛び出しているロープが、おそらく迷路と煙を再始動させる仕掛けだと当たりを付けていたハリーは、さも当然のような顔をしていた。

 

「それはまあ、皆とは年季が違うからね」

 

 誇る訳でもなく、悲しんでいる訳でもない。何の感慨も見せず淡々と呟き、自然に今までの苦労と経験を受け入れている姿に感服する。それと当時に当然と言い切る姿に二人の目頭が熱くなる。

 まだ十一歳なのに一般人の背負う無駄な苦労一生分を体験しているような気がしてしまう。

 この件が終わったら心から労わると共に、今年の誕生日は良い物を送ってあげようと心に誓う二人だった。

 

「と・に・か・く! これで僕達は最難関を無事突破した訳だ」

 

 改めて不憫な人認定を受けてしまったハリー。二人分の視線に耐え切れず、わざとテンションを上げてみせる。実際、彼等は天災の罠を突破したのだ。

 普通なら感涙するほどの快挙である。

 しかし、

 

「でも、いったい何のガスだったのかしら?」

「さあ? でも、アリィの事だし」

「……きっと、ろくでもないモノに決まってるよ」

 

 テンションを上げてしまった分、気落ちした時の落差が酷かった。まだ初めの罠を突破しただけに過ぎない。

 それなのに、この事件解決後に感じるような疲労感はなんなのだろうか。疲労の色が濃い分、達成感や満足感も無いに等しい。

 まだコレが始まりに過ぎないと云うのにだ。

 

『……ハァ……』

 

 ハーマイオニー、ロン、ハリーの三人は、深い深い溜め息を吐くのだった。

 

 


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