「ああ、アルフィー。君は残りたまえ」
そう魔法薬の先生であるスネイプが告げたのはクリスマス休暇が明けてしばらく経った日の午後。本日最後の授業が終わり、『忘れ薬』の調合実習を終えて直ぐのことだった。
調合キットと大鍋を抱えて退室する生徒に混じっていたアリィは、ドラコとの談笑を中断して教卓の前まで引き返す。
ドラコを初めとする蛇寮生やハリーといった獅子寮生の関心を僅かに集めるも、その興味本位な視線はスネイプの一睨みで黙殺される。蜘蛛の子を散らすように退散する最後の生徒が扉を閉め終え、漸くスネイプは口を開き、その深く重い声を紡ぎ出した。
「校長が君に話があるそうだ」
「ダンブルドアが? なんだろ」
思い当たる節が無いように首を傾げ、過去の行動を遡り始めるアリィを見下ろすスネイプの目は冷たい。
まるでそれは、呼び出しを受ける理由などいくらでもあるだろうと言っているようで。事実、スネイプがそう考えるのも無理は無い。それ相応のことをこの天災はしているのだから。
「三階の廊下を通れなくした件では?」
「アレはただ綺麗にしてあげただけじゃん!? 善意でやってあげたのに叱られるなんて訳分からない!」
まだ魔法界入りを果たす前。偶然開発してしまった『ぴかぴか極上ワックス』なる清掃薬品の話をドラコと行い、効果を示すのに手頃な場所として白羽の矢が立ったのが薄汚れていた三階の廊下だった。
文句の付けようが無い程ピカピカにされた代償に、廊下は摩擦ゼロの氷上と化してしまう。どういう原理か魔法的な処置を受け付けない不思議なワックスを消すために中和剤の作製を義務付けられたアリィは、現在使用可能となった古い調理室で中和剤製作の真っ最中。
今から作製場に直行して鍋の様子を見るつもりだったが見事に出鼻を挫かれた訳だ。
「大広間のシャンデリアについては?」
「落としたのはピーブス。それを芸術的に生まれ変わらせて、景観の美化に貢献したのが俺」
カラーボールみたく四六時中カラフルな光を発するクリスタル製のシャンデリア。古城という雰囲気をぶち壊す上に、その凄まじいほどの光量と衝撃的な色からサングラスを装着しなくては大広間を通れなくなってしまった。
ついでに『おしゃべりキノコ』と呼ばれる音を録音再生する機能を持つ植物も使われているため、エンドレスで自前の歌声が流れる始末。しかもその歌が壊滅的に酷い事が腹立たしさを助長させた。まあ、シャンデリアの件は魔法史の授業を欠席してまで撤去を命じられ、既に対処済みなのだが。
「君の料理を食べて入院したクィレル教授は?」
「……嫌な事件だったよね」
二日前に行われたお料理クラブの最初の活動。何十年も使用されず、教員からも忘れさられていた調理室で生まれた悲劇。
完成品の見本として持ってきたつもりが間違えて双子の製作した悪戯クッキー(天災の魔改良済み)を誤って持ってきてしまい、顧問特権で見本を食すことを許されたクィレルは今朝漸く退院した。
データを取るために希釈の一切されていないオリジナル魔法薬の原液が使用されたのが何よりの不幸だ。
お陰でクィレルは声帯が麻痺してしまい、しばらく筆談を余儀無くされた。
ちなみにお見舞いクッキーを手渡しに行き、冷や汗が滝のように流れる表情で丁重にお断りされたのが昨日の夜のことだった。
「……付いてきたまえ」
よくもまあたった二日間でこれだけの騒ぎを起こせたものだ、ああ今更か、という感想を抱きながら、幼いトラブルメーカーを連れて校長室へと向うスネイプ。
生徒の寮生活を正しく指導する立場にある寮監として、スネイプの心労はここ数ヶ月で積み重なるばかり。
こういったトラブルが発生する度に苦情や愚痴を一身に受けている彼からすれば、この優秀であり問題の多いアルフィー・グリフィンドールという人物は本当に厄介だ。
だから彼はローブのポケットから小瓶を取り出し、その中に詰まっている胃薬を何粒か口に放り込む。
胃薬を必要とするなど初めての体験だった。心労で胃がキリキリするなど、学生時代や危険な任務に就いていた禁句さん全盛期時代でも感じたことが無いというのに。
「ハエ型ヌガー! ……あれ?」
「バタービール」
「そっか、合言葉って定期的に変わるんだ」
校長室は醜悪なガーゴイル像によって守られている。
そのガーゴイル像を退かし、背後の壁から螺旋階段を出現させる合言葉は、アリィの推測した通り定期的に変わっていた。
この合言葉を設定するのはダンブルドア本人であり、知らされるのは教員だけ。そもそも校長室への入り口など基本的に生徒へは明かされない。
それでもアリィが校長室の仕組みを知っていたのはクラブ開設のサインを貰うために情報収集を始めた結果、とあるポルターガイストから懇切丁寧に詳しい仕組みを教えてくれたからに他ならない。
螺旋階段を上り、ノックをしてから樫で出来た扉を開けた。
「校長、連れて参りました」
「ご苦労じゃったのセブルス」
歴代校長の肖像画が沢山並び、小さな小物で溢れ返る円形の校長室に一人の老人の姿があった。
シンプルに見えて匠の業が窺える椅子に座り、紡錘形の華奢な足の付いた机の上で両手を組み、いつもの微笑みを見せるダンブルドアに一礼して、スネイプは役目を終えたと言わんばかりの表情を見せて退室する。
棚に飾られた組み分け帽子やテーブルの横に据えられた止まり木で惰眠を貪っている不死鳥に目移りし、様々な誘惑に打ち勝って漸くアリィはダンブルドアと向き合った。好奇心旺盛な子供を面白そうに観察していた老人に気を悪くした素振りは見られない。
「わざわざすまんのう、アリィや」
「どしたの?」
端に寄せられた椅子が自動で滑り込み、対話をするために腰を下ろす。バックの中からワラビ餅と水筒のお茶を取り出し、第三者から見れば完全に祖父と孫のやり取りであろう仲の良さを見せ付けて、ダンブルドアは本題を切り出した。
「しばらくの間、グレートポチ太郎を貸して――」
「却下!」
流石のダンブルドアも話の途中で腰を折られるとは思わなかったのか、断固拒否の証として両手で×印を作るアリィに少し固まる。
周囲で野次馬と化していた歴代校長の何人かが盛大に転ぶという芸人真っ青のリアクションから復活するまでの数秒。校長室は確かに氷河期を迎えていた。
「……理由くらい話しても?」
「オーケー」
ホッと安心の息を吐くダンブルドアというのも中々レアな姿に違いない。
「理由は他でもない。あの廊下で守護している物を再び守って欲いのじゃ」
「えー!? 賢者の石を守る役目はもう終わったんでしょ!? 何で今更!」
この場に他の教員達が居れば目を丸くして驚いただろう。ホグワーツでもトップクラスの重大秘密をアッサリと口にしたアリィに驚愕しつつも、それよりも興味が打ち勝ったのか。まるで答え合わせを願う子供みたいな表情で、ダンブルドアはアリィを見た。
「ほう、いつから気付いていたのじゃ?」
「クリスマス休暇前から。ニコラス爺ちゃんが関わってて貴重なものなんて賢者の石くらいしか思い浮かばないって。それに本人も肯定したしさ」
これはハリー達がクリスマスに入る直前に得た情報だった。どんな貴金属をも黄金に変え、人を不老不死にする『命の水』を生み出す錬金術の秘法。賢者の石の練成に唯一成功した錬金術師がニコラス・フラメルという人物だ。
クリスマス前に送った手紙の返事から、既にアリィは匿っているモノの正体を教えてもらっていた。ニコラスもここまで知っているのなら隠しても意味がないと判断したのだ。
そしてそれは、ダンブルドアから守護者の中にアリィが加わり、とびきりの罠を仕掛けてくれた事を教えられたからこその感謝の気持ちだった。
「さよう。ここでは現在、ニコラスから依頼を受けて賢者の石を守っておる。ニコラス本人は石を必要としていないのじゃが、どうも賢者の石を狙っている不届き者がいるらしくてのう」
魔法界一安全と豪語されたグリンゴッツでは力及ばすと判断し、ニコラス・フラメルは昔からの友人に賢者の石の守護を頼んだ。ニコラス自身は賢者の石に固執していない。それでも不老不死という、多くの権力者が到達する強欲な夢を可能にする賢者の石を狙う者は多かった。
何故ニコラスが今頃になって保管場所を変えようと思ったのかは定かでは無い。それでも何かが起きてからでは遅いため、迅速な対応が求められた。
そして話は最初に戻る。
「わしとしても再びグレートポチ太郎に守護を頼むのは心苦しいのじゃが、生憎と最後の仕掛けと考えていた鏡が使用不可能になってしまったのじゃよ」
「………………え?」
今度はアリィが呆気に取られた。
予想外にして身に覚えがあり過ぎる事柄に魂までをも凍り付かせる。罪悪感で胸が一杯になり、人生でもトップにランクインするだろう狼狽ぶりと大量の汗を魅せる姿など、先程のダンブルドアよりも余程レアな姿だ。ハリーでさえ、ここまでうろたえる姿は見たことが無いに違いない。
「グレートポチ太郎は罠の最深部に配置するため魔法で眠らせるつもりじゃ。期間は今学期中まで。本人は寂しさや空腹を感じることもない」
三頭犬は最深部に置かれる賢者の石を直接守護する関係上、今までみたいに餌を毎日与えることが出来ない。そのために侵入者が来た時だけ目を覚ます特殊な魔法を施すつもりだと語るダンブルドアだが、詳しい話をアリィは聞いていなかった。
否、聞きたくても耳を素通りしてしまうのだ。
何故ならダンブルドアの微笑の後ろに鬼が見える。実際、ダンブルドアはアリィ達が鏡を壊したと考えていない――その狼狽ぶりから関係があるのかと邪推し始めているが――ので被害妄想なのだが、壊した張本人には静かな怒りに見えて仕方が無い。
アリィにはダンブルドアの副音声がハッキリと聞こえていた。
鏡の件は気付いているぞ小童
まあ、何度も言うが被害妄想である。そして脅されていると勘違いしているアリィに断わるという選択肢はありえなかった。
「しょ、しょうがないな! 会えないのは寂しいけど、全ては賢者の石を守るため! 喜んで協力させてもらうよダンブルドア! ポチ太郎も分かってくれるよ、きっと!」
今すぐ連れて来ますぜ大将と言わんばかりに。バビョ~ン!という効果音まで聞こえてきそうな勢いで退室するアリィ。
第二のみぞの鏡が入手出来るのは今年の夏。それまでの間、愛犬との別離が確定した瞬間だった。
◇◇
「寮監が賢者の石を狙ってる? んなまさか」
「本当よ……って、前にもこんな話をしたわよね?」
「奇遇だねハーさん。なんか俺もデジャヴった」
若干内容が違っても、やり取りの感じに差は感じられない。厨房の近くに作られた、一般教室並みの広さの調理室でクラブ活動に勤しんでいる生徒に混じり、調理台の上に並んだチョコレートのデコレーションを話し合っていたアリィとハーマイオニーは、いつの間にかそのような会話をしていた。
もう何年もの付き合いである馴染みのエプロンを身に付けるアリィと、部費で購入したエプロンと自前の三角巾で栗色の髪を纏め上げるハーマイオニーの会話に気付く者は誰もいない。
部員達はそれぞれ三・四人のペアになって固まったチョコの飾り付けに必死になっているため、一番前の調理台にいる二人にも気を払う余裕がないのだ。
「ハリーが見たのよ。スネイプがクィレルを脅して、貴方の仕掛けた罠について調べていたらしいわ」
三日前に行われた獅子寮VS穴熊寮のクィディッチ戦後に目撃した、スネイプとクィレルの不穏なやり取り。その詳細を聞かすにつれアリィの表情は疑問で満たされていく。
天災の頭脳を持ってしても、何故スネイプがクィレルを脅すか分からなかった。
「罠は俺とダンブルドアしか知らないっていうのは寮監も知ってるのに? それに閉心術を教えたのは寮監だよ」
「クィレルは貴方の仕掛けた罠について何かを知っている。スネイプはそう判断したんだわ。……もちろん、どんな根拠があってかは知らないけど」
実際はトロール研究の第一人者であるクィレルをハロウィン事件の犯人と断定し、教員が対処に追われている間にアリバイの無かった彼が禁じられた廊下に向ったと推測して行動を起こした訳だが。そのスネイプの行動の意味も理由もアリィ達には分からない。理論に基づいての推測や考察が得意な二人が集まっても、真相を解き明かすのは不可能だった。
「アリィ! 私達のデコレーションを見て頂戴!」
「分かった! 待っててアンジェリーナ!」
このアリィが復活させた料理クラブの活動日は週三回。月水金の放課後、そして一日掛かる大掛かりな菓子を作る際は休日を使う場合もある。
基本、参加は自由。ただし活動日の前日までに、参加希望者は大広間にある掲示板に貼ってあるポスターに自身のネームプレートを貼る必要がある。
そうして人数を把握してから厨房で材料を融通してもらうのだ。
ちなみに今日は乙女の聖戦である二月十四日を目前に控えているため全員参加。
日本企業の策略は日本贔屓の天災により、異国の魔法少女達にも浸透していた。
当然、恋に生きる少女達の勢いは凄い。
「その次はこっちよ!」
「あいよパンジー!」
「こっちもお願い!」
「アイサー! ちょっと待っててねハンナ!」
当初は寮の違いから火花を散らすグループもあったが、部長の『クラブ条項第一条、皆仲良くすること』発言により沈静化。菓子作りという共通の趣味や興味も相まって、発足から二ヶ月経った現在、仲の悪かった寮生達にも変化が見られている。
この前の活動ではパーバティ・パチルとラベンダー・ブラウンの獅子寮コンビ、パンジー・パーキンソンとダフネ・グリーングラスの蛇寮コンビという不倶戴天同士が同じ料理台に着くものの、特に問題も無くアップルパイを仕上げている。
口数は少なく最低限の会話しか行わなかったが、それでも口喧嘩を行わず無言で協力し合ったという事実だけで奇跡ものだろう。
それにアンジェリーナ達クィディッチ選手三人娘に混じり、今日はハッフルパフの代表選手が一緒にチョコを作っている。試合から数日しか経っておらず、まだ敗者側としては色々と思うことがあるだろうに笑い合いながら作業に没頭している姿は、何とも言えない不思議な温かみがあった。
その光景を見渡し、ミス・ストッパーは感嘆の息と共に微笑を溢す。
「――やっぱりアリィは凄いわ」
「何が?」
「いいえ、なんでもないわ。それよりもアリィ、お菓子の材料代は本当にアレだけで大丈夫なの?」
「大丈夫だって。ちゃんと計算してるし、それに足りない分はじっちゃんや知り合いの伝手で滅茶苦茶安く仕入れられるから」
この分だと寮の隔たりを超えた付き合いが出来る日も近いだろう。即ちこのクラブは、云わば未来の縮図。千年間もの長い歴史で成し遂げることの出来なかった全寮揃って結束を実現させる架け橋。
何年か、はたまた何十年後か。この仲睦まじい活動は、近い未来での結束を期待させるに相応しい光景だった。
「まあ、とにかく寮監には注意してみるよ。ありがとねハーさん」
◇◇
「――ってな話をある情報筋から知ったんだけど、先生が俺の罠について知ってるって本当?」
「な、ななななんのことだか、わ、私にはサッ、パリ……っ!」
もちろん実名は伏せているが単刀直入に当事者へ訊く神経は、勇気を通り越して無謀や愚直の言葉に尽きる。見事に部員全員が立派なチョコを作り終え、調理室の鍵を顧問であるクィレルの下に返却しに来たアリィは、ついでとばかりにクィレルの自室兼研究室に居座っていた。
「寮監に脅されたってのも?」
「わ、私とセ、セブルスの仲は、りょ、良好です」
ティーポットと湯気の立つカップが二つ置かれた小さな台を脇に、そしてノートを広げればそれで一杯になるような小さなテーブルを挟んで対面に座る両者は、テーブル上に乗っけられたあるモノから視線を逸らさずに会話を続けている。
そのためアリィは言葉をどもらせながらもギラついた視線を向けているクィレルに気づかなかった。
「だよなぁ。……あー、また負けた!? もう一回勝負!」
「い、良いで、しょう」
観察するような気配を一瞬で消し、クィレルはアリィと同じようにテーブル上に展開されていたチェスの駒を所定の位置に戻していく。
こうしてアリィとチェスを行うのは今日が初めてということではない。部長と顧問という関係になってからは自然と付き合いも多くなり、それに伴いティータイムの時間も増えてくる。
意外なことにチェスが初めてだという少年は初試合でボロ負けし、そのことが悔しいのか時折こうしてチェス勝負を挑んでくるのだ。
結果は今のところクィレルの十五戦全勝。あれだけ天才的な頭脳を魅せ付けておいてチェスが弱いなど、本当に意外の一言に尽きる。自寮やロンにも勝負を挑んで全敗しているアリィが強くなるのは、まだ遠い未来であるようだ。
本人の知らない所で散々な目に遭っていたクィレルがコレを機にストレス発散に努め、多大な優越感に浸っているのは内緒だ。彼の立場に少しでも同情するならば、決してむなしいとか、小さい奴とか、蔑んではいけない。
「早く今学期が終了しないかな。ああ、廊下の最深部にいるポチ太郎に会いたい。……まったく、普通ならわざわざホグワーツに侵入してまで賢者の石を盗ろうなんて思わないって」
「そ、そうでしょう、か?」
「そうだよ。永遠の命なんて馬鹿らしい」
自陣のポーンを動かすアリィからは本当に賢者の石に対する興味が感じられない。
その全てを否定しきった口調と表情は、実にその石を欲してやまない者達を苛立たせる。漏れそうになった害意と殺意を寸でのところで押し殺し、クィレルはさりげ無さをアピールし、しかし目は笑っていない表情でチェス盤から目を逸らさない幼子を見続けた。
「で、ではき、君は不老不死に、興味がな、無い、と?」
「一度きりの人生だから皆必死になるんだよ。だから世の中を楽しく笑って生きて行こうって思えるんだ」
悔いの無い人生を送るために全ての者が必死になる。その熱意と活力が世の中を繁栄させ、文化と技術を進化させる。
例え今できなくても不老不死なんだからいつか出来るようになるさ。
不老不死なんだから時間は沢山あるし後でやれば良い。
こう一度でも考えてしまえば、それはもう堕落への始まり。不老不死は様々な熱意を奪っていく。
「そんな人生、つまらないじゃん。惹かれる要素はどこにも無い」
全力で生き、全力で楽しむ。それでこその人生だとアリィは笑い、残りの紅茶を一気に呷った。
「…………い、以前から思ってい、いたことですが」
「うん?」
仕掛けてきたクィレルのビショップにどう対応しようかと考えていたアリィは、ここで初めてクィレルに視線を向ける。
その憤怒や困惑、様々な感情が混じるために愛想笑いを浮かべる、彼の歪な表情を見るために。
「き、君はと、とてもではないが、ス、スリザリン生に、見えない」
「あー、多分俺がスリザリンに入れた大きな要因は血筋だから」
彼はその名の通りグリフィンドールの血を引く者のはず。そう心の中で再確認し、疑問を形作る前に、アリィは誰にも話していない真実を口にした。
本人からすれば、それは別に隠す必要などないことだった。
「俺、グリフィンドールだけじゃなくてスリザリンの血も引いてるんだって」
実にあっけらかんと重大な事実を口にして、彼はクィレルとその主の驚愕ぶりに気付かぬまま、紅茶のお代わりを注ぐために席を立つ。
簡易キッチンでお湯を注ぎ、背を向けるから、アリィはクィレル達の動揺と秘密の会話に気付かなかった。
「……ひ、一つだけき、訊きたいのですが……」
ご主人様に今すぐ訊ねろと命じられ、忠実な僕は実行に移す。
――コレは彼の主人がアリィを初めて目にした時から疑問に思っていたことだった。それ自体は今の話とは何ら繋がりは無いが、何となく今問い質すのが正しい気がしたのだ。
それは彼――クィレルに取り憑くヴォルデモートが、自身と同じ血を有するアリィを、改めて強力な魔法使いだと認めたからかもしれない。自分と同じ偉大な魔法使いの血を引くからこそ、この天災は何をしても不思議ではない。そう納得し、自分の血筋を過大評価した末に、彼は抱いた考えに確信を持つために下僕へと命じた。
そして背中越しに掛けられた声に振り向くこともせず、続きを促したアリィは、
「――トム・リドルという名に聞き覚えは?」
今までの震えた口調とは全く違う、芯の通ったような強い口調を耳にした。
その彼とは思えない強きの姿勢と意志に当てられ、一瞬誰に言われたか分からなかったアリィは、首を傾げながらポットを持って振り返る。
そこに居たのはいつものように震え、何かに怯えている闇の魔術に対する防衛術の教師の姿。
その姿にどこか安心感を覚えつつ、先程の問いに答えるべく口を開く。
「無いよ。 誰それ?」
誤魔化しの類ではなく、その名前は本当に聞いたことが無い名だった。開心術や真実薬を使わずとも、アリィが本当に知らないのは表情から読み取れる。
「…………し、知らない、のなら、い、良いのです。わ、忘れて、くだ、さい」
なら、興味を持たれる前に話を早々に打ち切るまで。
最後の忘れろという指示はアリィだけに向けられたものではなく、クィレルへの言葉でもあった。
『俺様の勘違い、なのか?』
闇の帝王は記憶を遡り、内心首を捻るが頭を切り替える。この名を知るのは自分だけで良い。
結局、蜘蛛の巣のように頭に引っ掛かるこの疑問に決着を付けることは、残念ながら叶わなかった。