ハリー・ポッターと魔法の天災   作:すー/とーふ

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第九話

 談話室のソファーに身体を沈めているロン・ウィーズリーは、物思いに耽る表情で床の絨毯の一点を見詰めていた。

 自身がとある少女にしてしまった行為が脳裏を過ぎり、その度に彼は苦悶の表情を取ることとなる。友人と手分けして彼女を探しても無駄に広い校内を完璧に捜索するのは難しく、もしかしたら寮に帰ってきているかもという望みを込めたが、結果は見ての通りだ。

 彼の暗い表情が全てを物語っている。

 

「……ハァ……」

 

 出来ることなら、まだ戻ってきていない友人が彼女を連れて帰ってくれれば。そう願いを込めてから脱力し、更に身体をソファーに委ねる。

 身体と共に心まで罪悪感に沈んでいった。

 

「ロン、何辛気臭い面してんだよ」

「まあ、何があったか知らないけど。これでも食って元気だせって!」

 

 後ろから肩を叩かれる。振り返って見れば、そこに居たのは自分の兄である双子達。フレッドとジョージだ。

 肩をバシバシと何度も叩かれ、彼等の友人であるリーが笑顔でバスケットを差し出した。

 

「これは?」

「「噂の天災からの差し入れだ」」

「ここにいる皆にも配ってくれだってよ」

 

 無言で暫しの間カップケーキを見詰め、ゆっくりとロンは手を伸ばす。

 この暗い気持ちを食べることで誤魔化そうと考えたロンに続き、談話室にいた生徒全員がカップケーキを手に取り始める。

 ハリー達のお陰でアリィのお菓子は有名になっており機会があれば食べてみたいと誰もが思っていたのだ。

 こうしてカップケーキがこの場にいる全員に行き渡り、ロンが口にしようとした所で、

 

「ダメだよロン、ハーマイオニーはどこにも……フレッド、それは?」

 

 皆が一斉に食べ始める前に、ハリーが寮に戻って来た。

 

「アリィからの差し入れだ。皆で食ってくれってよ」

「ハリーも食べるだろ?」

「ほら」

「………………」

 

 リーに差し出され、それを受け取ったハリーの目は物凄く懐疑的だった。とても胡散臭そうな目をしている。

 しかしその目に気付く者は誰も居らず、改めて美味しそうなお菓子を食べようと口を開き、

 

「あの悪戯大好きのアリィが、わざわざハロウィンの日にお菓子を差し入れ? しかもフレッド達の手渡しで」

『うッ!?』

 

 ハリーの呟きを聞いた全員の動きがピタリと停止した。

 そして穴熊寮の彼等のような宝物を見る目は、セドリックのように爆弾や毒薬を見るような目に変化していく。

 視線をお菓子から配布人に移す頃には、彼等の眼に批難の色が含まれていた。

 その視線に圧され、思わず三人は一歩後退して冷や汗を掻く。

 

「おいおい。ちょっと待てよ皆、俺達を疑ってるのか?」

 

 当たり前だ、と言いたげな視線にたじろぎ、ジョージはバスケットに残っていたカップケーキを一口で完食する。それにフレッドとリーも続く。

 しばらく待っても何も起きないことに皆は心の底から安堵した。

 

「「ほら。これで不安は無いだろ?」」

「人の好意は素直に受け取っとくものだぜ」

 

 毒味をした双子とリーの言葉が決め手となり、談話室にいた生徒全員がカップケーキを頬張り、その極上の味に舌鼓を打つことになる。

 それは獅子寮を除く他三寮も辿った道だ。

 そして、獅子寮の者はまだ知らない。

 この時、少し早くカップケーキを口にしていた三寮で、阿鼻叫喚な光景が繰り広げられていたことを――。

 

 彼等はそれをカップケーキを食してから五分後に身をもって知ることになった。

 最初の犠牲者は意外な人物だ。

 

「そんじゃ俺達は自室に……ぐわへっ!?」

 

 階段に向おうとしたジョージの頭上に何かが浮かび、それが赤く点灯したかと思えば、唐突に身体を浮かせて反転し、頭から真っ逆様に落下する。

 続いてフレッドとリーの頭上にもあのマークが――黄色と青色のビックリマークがそれぞれ出現し、点灯後直ぐに同じ末路を辿った。

 そして効果はカップケーキを食べて五分が経過した者全員に現れる。それは押し寄せる波のように。

 談話室に居た者は例外無く、盛大に身体を転倒させた。

 

「な、なんなんだコレは!?」

「身体が勝手に……きゃっ!?」

 

 頭から落ちたにも関わらず彼等にダメージは見られない。注意深く観察すれば、地面に衝突した頭部がスライムのように凹んでいることに気付いただろうが、全員が自分の身体に起こった不思議を理解するのに必死で気付かない。

 痛みは無く、ただ勝手に身体が逆さまになって転倒する。

 それには時間差があるのか連続して転倒する者も居れば、最初の発動から全く変化が見られない者まで見受けられる。

 事態の収拾と仕掛け人を断罪する目的で、双子の兄であるパーシー・ウィーズリーが声を張り上げた。

 

「おい、フレッドとジョージ、それにリーも! いったいこれはどうなっているんだ!?」

 

 叫んだ後に彼もまた身体を転倒させる。ゆっくりと身体を起こすパーシーに答えることもせず、仕掛け人達は揃って首を傾けた。こんな事態、彼等にとっても想定外なのだ。

 

「おいおいおいおい、俺達は事前に中和剤を飲んで……」

「まさかアレは嘘で俺達もターゲットの内なのか!?」

「そんなのってアリかよ!?」

 

 ここで漸く彼等も自分達が騙される側だと気付く。全ては、元々疑われないためにカップケーキを食べるよう仕向けていたアリィの計画通りにことは進んだ。

 

「ねえ、コレを見て!」

 

 白のビックリマークを頭上に浮かべるパーバティ・パチルが見つけたのは、『フレッド・ウィーズリーへ』と宛書された赤い手紙。

 これには魔法族出身者が例外なく凍りつく。

『目くらまし術』を掛けられてバスケットの底に貼り付けられていたのは、全ての人が恐怖する厄介な手紙。恐怖の象徴である吼えメールは彼女の手から放れ、自動的に談話室に舞い上がった。

 そして手紙の封印が解かれる。

 

『はーい、どうだった!? 俺の特製カップケーキの味は!?』

 

 手紙から響くのは高笑い交じりの子供の大声。ドヤ顔が如実に想像でき、凄く聞き覚えがある声に、この声の主を知っている者は憤りを感じる前に天を仰いだ。

 ああ、教師や幼馴染の彼だけでなく、ついに自分達も被害に遭うことになるのかと。

 

『もう効果は発揮された? それは口にしてから五分後に効果が現れる、名付けて『転倒薬』というオリジナル魔法薬が仕込まれた特製お菓子だったのだ!』

 

 転倒薬。

 元は異物が体内に侵入してから短時間の内に時間が巻き戻る様に排出を図るタイプの解毒薬に用いられる、稀少素材の反転草を軸にし、再生と破壊効果を繰り返す『リンネ草の根』と十数種類の材料を加えたオリジナルの魔法薬だった。

 すなわち反転草の効果成分をリンネ草で破壊し、しかるべき時を経て再生させる。あとは効果発動の繰り返し。

 転倒薬の効果が発動し、次にまた効果が発動する時にタイムラグが発生するのは、効果の再生に時間が掛かるからだ。

 更に調合時に加えた『浮遊クラゲ』は身体がひっくり変える時に作用し、ゴムのように身体が伸びる『柔軟ナメクジ』は地面に衝突する寸前に頭部をスライムのように柔らかくする。

 

 痛みはなく、ただランダムに身体が上下に反転する悪戯用の魔法薬。それがアリィの開発したオリジナル魔法薬第一号『転倒薬』だ。

 

『持続効果時間は約半日! このままだと皆は楽しみにしていたハロウィンパーティーを時たま上下逆さまにひっくり返りながら過ごすことになっちゃうよ!』

 

 今から二十数年後、とある人物の幼馴染は自身の息子にこう語ったと云う。

 

 

 

 

 

 ――確かにあの時、皆の怒りで時空が歪んで見えたんだ。

 

 

 

 

 

『解毒薬が欲しかったらパーティーまでに俺を捕まえてみるんだね! わーっはっはっはっ!』

 

 転倒薬を摂取した時間に差はあれど、混乱する生徒達がタイマーセットされていた吼えメールを耳にしたのは同じタイミングだった。

 

「……アリィ、君ってやつは……っ!」

 

 同刻。

 心優しい者が集まる寮で、皆に悪夢を配ってしまったことに罪悪感を覚える一人のイケメンがピンク色のマークを浮かべながら呟き、

 

「……グリフィンドールめっ!」

 

 知的な者達は噂の天災の被害に遭い、初めて戦慄し、

 

「アリィ、あの駄犬ごと外出したから変だと思えば、こういう理由だったのかっ!」

 

 出て行く際にお菓子を配るよう頼まれたルームメイトは、心の底から怒気を溜め、

 

『…………』

 

 最後にお菓子を食べた獅子寮の者達は、無言でプルプルと身体を震わせる。

 

 十月三十一日の十四時十五分。

 この時、

 

『…………あ、あの野郎ぉおおおおおおおおおおおおおーーーッ!?』

 

 

 

 被害に遭った総勢八十人の心は雄叫びと共に一つとなった。

 

 

 ◇◇

 

 

 

 ホグワーツ内が大きな騒動に巻き込まれている時。彼女は一人、地下室の女子トイレに閉じこもって溢れる涙を袖で拭っていた。

 もうどのくらい泣き続けたかも分からず、彼女の目は痛々しく充血さを増していく。

 彼女――ハーマイオニーの中では、とある男子生徒の言葉が何度も繰り返し再生されていた。

 それは、彼女の心を抉る一突きの槍。何度も考えないようにしていた、目を逸らしていた真実。

 友達がいないという事実を真っ向から突き付けられたからこそ、彼女は一人になれる場所で弱音を吐いていたのだ。

 悲しみを打ち明ける相手がいないが故に。

 

「……何かあったのかしら?」

 

 もう一年分は泣いた気がするハーマイオニーは顔を上げる。

 先程からどうも外が騒がしい。

 悲観になるのも一時中断。彼女は涙を完全に拭い、頬を一度叩いて気合を入れてから、引き篭もり生活を脱する。

 そして、

 

「え?」

 

 その信じられない光景に間抜けな声が漏れる。

 彼女の目は驚愕で大きく見開かれた。

 待ち受けていた光景とは――、

 

「アイツは居たか!?」

「どこにもいねえ! 少なくとも自室に戻ってないのはドラコが確認済みだ!」

 

 トイレ前の廊下で二人の生徒が話し合う。こればっかりは珍しくもなんともない、他愛無い日常風景の一つに過ぎない。

 そう、それが獅子寮と蛇寮の生徒でなければの話だが。

 

「俺は一階を探すっ! お前はこのまま地下を探れっ! じめじめとした所が好きなお前等にとって、ここは庭みたいなものだろうからなっ!」

「命令するなよグリフィンドールの正義馬鹿がっ! てめえこそさっさと探しやがれっ! 頭でっかちの脳筋馬鹿が集まるお前等には、どうせ駆け回ることくらいしか出来ないんだからなっ!」

 

 互いの口調は悪辣そのもの。しかし普段感じる憎悪の色は若干和らいでおり、違う視点から見れば、ただ単に『喧嘩するほど仲が良い』を体言する者達が交わす挨拶の応酬に見えなくもない。

 先程までの悲壮感など消し飛ばし、口をぽっかりと開けて、走り去る二人を驚愕の眼差しで見詰めることしか出来なかった。

 

「……な、何があったのいったい?」

 

 混乱する頭でお得意の推理と考察を行おうとするも呆気なく失敗。それほど今の光景が信じられず、また彼等の頭上にあったビックリマークも混乱に拍車を掛ける。

 もう、何がなんだか分からない。

 

「ハーマイオニー!?」

 

 声を辿って横を見れば、そこには知り合いの彼がいる。そして、その半歩後ろにいるのは、

 

「……ハリー……それに……」

 

 ハリーの後ろには彼とは違い、白のビックリマークを頭上に浮かべるロンがいた。

 自分が引き篭もる原因となり、そして真実と直面させてくれた彼女の知り合い。

 二人の視線は同時にぶつかり、直ぐにお互いが横に逸らす。

 しばらく無言が続いた後、先に口を開いたのはロンの方だった。

 

「……ごめん。僕、君に酷いことを言った」

 

 モゴモゴと動かされた口から紡がれるのは謝罪の言葉。何度も何度も心の中で呟いた言葉を、漸く音にする。彼もまた自分の非を認め、事実と向き合った。

 

 正直のところ、頭上のビックリマークがシリアスさをぶち壊しているのだが。

 それを指摘するほどハリーも野暮ではない。

 

「……いいえ。事実だもの。私の方こそ、今までごめんなさい」

 

 長い間ずっと黙っていた彼女も真っ赤に腫らした目のまま謝罪する。

 自分が生真面目で融通が利かない性格で、これまでの容赦無い言葉と態度で相手を不快な気持ちにさせていたことを認めたからだ。

 お互いが謝罪を口にし、次の拍子には微かに笑い合う。仲直りが出来て気持ちの晴れた友人達を、ハリーも黙って笑顔で見守っていた。

 

「それよりも、いったい何があったの?」

 

 説明要求を行う彼女に二人は事の顛末を語り出し、そして話を終えて直ぐ、彼等三人は同時に走り出す。

 苦楽を共にし、一緒に行動するだけで、人とはいとも簡単に友人と成れる。

 被害が被害なだけに手放しで喜べないが、奇しくもこの騒動はそれを証明したのだった。

 

 

 

 ◇◇

 

 

 

 城内は混乱の極みにあった。

 直接被害の無かった者達も今や逃走劇と噂から事態をほぼ正確に把握している。

 高みの見物を決め込む算段で廊下に出た野次馬達も今はとばっちりを恐れて全員が自寮に退避していた。

 教師陣が校長の『しばらく様子見』発言により頼りにならない今、信じられるのは自分の足と仲間のみ。

 寮など関係無く彼等は複数人で行動し、チーム一丸となって幼い子供を追いかけた。

 

「アリィはどこだぁああああああああっ!」

「くっそ、あのガキんちょ! 地味な悪戯を仕掛けやがってっ!」

「流石は双子とジョーダンを騙しきっただけのことはある。ちくしょぉ、なんて厄介なっ!」

 

 無数の階段が集まる大広間前で生徒達の怒声が響く。

 共に緑、イエロー、青色のネクタイをしている上級生達。もう何度目になるか分からない転倒を繰り返し、彼等のフラストレーションも溜まるばかり。

 

 そしていつ決壊しても可笑しくない怒りのダムを心に持つ彼等に、頭上の階段から声が届く。

 それは仲間の声。携帯電話等の通信手段を持たない彼等が配置した仲間の連絡人だ。

 

「おい、グリフィンドールなら噂の三頭犬に乗ってこっちに向ってるぞ!」

 

 手振りで指差す方向を向けば階段から黒い影が躍り出る。掴まりバー付の鞍を付け、幼い飼い主を背中に乗せた三頭犬が、今まさにこちらへ向っている所だった。

 

「はっはっは! 駆けろポチ太郎! 俺達は今、一陣の風となっているのだぁああああっ!」

 

 嬉々として主人を乗せる三頭犬は放たれる呪いの光線を巧みに避け、三人の間を縫って駆け抜ける。

 例え当たっても生徒の放つ呪いに三頭犬が動じるはずもなく、誰もポチ太郎の走りを止められない。

 連絡手段が甘いこと、そして長年の悪戯で培った逃走術。様々な幸運と技術をフル稼働させ、アリィはかれこれ二時間もの逃亡を続けていた。

 

「見つけたよアリィっ! ちょっとオイタが過ぎたようだね!」

「悪戯もこれで終わりだぁあっ! 『インペディメンタ 妨害せよ』」

 

 大広間から階段を上がり、二階を爆走するアリィの前に立ち塞がったのは友人であるミリセントと六年生のレイブンクロー生。

 相手の動きを阻害し、行動を鈍らせる赤い光線が放たれる。

 それをアリィは実に軽い調子で、

 

「ほいっと」

 

 頭を下げることで避け、

 

「そりゃっ」

 

 バーから手を離して腰のワイヤーガンを引き抜く。杖を持つ方とは逆の手で構え、射出。

 吹き抜けになっている現地点から数階分上の廊下の手摺りにフックをひっかけ、二人の頭上を飛び越えた。

 

「にゃははははっ! あばよ、とっつぁ~ん!」

 

 高速でワイヤーを回収するアリィの下の廊下を愛犬が駆けている。

 ここからでは主人の降り立つ廊下に辿り着けないため、少し迂回してから合流する気なのだ。全く持って賢い犬である。

 

「到着!」

 

 手摺りに手を駆けて四階の廊下へと着地する。

 前後を階段で挟む独特の形。そこからどちらに逃げようか考え、実行する前に、

 

「こらアリィ! よくも俺達も騙してくれたな!」

「中和剤なんて嘘だったじゃねえか!」

 

 アリィを挟み撃ちにする形で双子がそれぞれ逃げ道を塞いだ。

 ちなみにリーはこの場にいない。今から三十分前に偶然アリィを発見し、連絡を取る暇も無く速攻で縄にグルグル巻きにされた彼が空いた教室で発見されるのは、今から一時間後のことだった。

 

「オッス、兄弟。仲間だった者が敵になるってシチュエーション、結構良い演出だと思わない?」

「「思うかっ!?」」

 

 双子ならではの息の合った否定。大袈裟にがっくりと肩を落としてうな垂れる子供を尻目に、双子はどんどん包囲網を縮めていく。

 更には四人の生徒も合流し、総勢六人がアリィを取り囲んだ。

 

「そう? そりゃ残念」

 

 伏せていた顔を上げる。

 不敵な笑みと悪戯っ子の目をする、その将来のイケメンを約束されたような幼顔を、アリィは余裕綽々に上げて見せた。

 

「五、四、三……」

 

 いきなりカウントダウンを始める子供に恐怖と警戒を覚える六人。アリィの目が向いているのは黄色のマークを浮かべるフレッドに、彼と同じ黄色と緑のマークを浮かべる女生徒と男子生徒のいる正面前。

 

「二、一……ゼロ!」

 

 カウントを終えると同時に走り出す。

 その際に自作の煙玉を使って煙幕を張り、後方のジョージ達には反撃を躊躇わせる。

 その間にアリィはフレッド達に肉薄していた。ゼロになると同時に転倒した、フレッドと女生徒に笑いかけながら。

 

「な、このっ!?」

「その色はあと十二秒で転倒するから気をつけてねー」

 

 捕まえようとした男子生徒の手を潜り抜け、小動物のようなすばしっこい走りで包囲網を抜ける。

 彼等のマークの色は全部で十種。それは調合の際に加えたリンネ草の根の量による違いから出る色であり、ということはつまり、転倒が何度も起きるパターンも十通りあることを意味している。

 十二時間もの長い間に起きる転倒の回数と発生時間を秒単位で十パターン記憶している彼は、本当に無駄な所で天才的な記憶術と正確な体内時計を披露していた。

 

「ポチ太郎!」

 

 途中、お気に入りである主人のルームメイトに出会って顔を舐め回し、行動不能に追い込んだ結果、充分なスキンシップを行ったという意味で隣にいた女生徒から嫉妬の眼差しを受けるというイベントが発生したが、特に問題も無く三頭犬は主人と合流した。

 しかしこの三頭犬は多くの生徒も引き寄せた。

 総勢三十人。

 この逃走劇にピリオドを打つべく多くの生徒が駆けつけている。ジョージ達は引き離したにしてもここまで来るのは時間の問題だった。

 前方からは大人数の足音が聞こえ、後方には同志率いる捕獲部隊が待ち受けている。

 

「よしよし、いっぱい集まってきた」

 

 それでもアリィの笑顔が崩れることは無かった。

 前方の曲がり角から一人目が姿を見せた瞬間、彼は地面に最後の煙玉を叩き付ける。先程の白煙とは違い今度は黒煙。

 その目くらましに身体を隠してから。

 

「『ジェミニオ そっくり』」

 

 自分そっくりのダミーを作成し、それを愛犬の背に乗っける。

 もと来た道を逆走してフレッド達の方へと走り去る愛犬とダミーを見送って、アリィは背にしていたトロフィー室にその身を滑り込ませた。怒声混じりに駆け抜ける振動が扉沿いに座って聞き耳を立てるアリィにも伝わる。

 十秒も経たない内にトロフィー室前は静けさを取り戻した。

 

「ふう。これで少しは――」

 

 汗ばんだ額を袖で拭う彼の耳に、

 

「ひゅーん、ひょいよ!」

 

 聞き覚えのある女性徒の声が届き、

 

「『ウィンガーディアム・レヴィオーサ 浮遊せよ!』」

 

 これまた聞き覚えのある男子生徒の声が届いた。

 

「あ! ちょ、取れない! 届かない!?」

 

 トロフィーが収められているケースの影に隠れていた者の手により、アリィの短い杖が宙に浮く。

 それは低身長のアリィでは決して届かない位置まで浮き上がり、ぴょんぴょん跳ねる彼の手が届くことはない。

 杖さえ無ければ彼は悪知恵の働く危険な道具を持った子供に過ぎないのだ。充分に脅威だけれども。

 

 するとジャンプした彼が着地する前に、背後に忍び寄っていた者の手により拘束される。

 脇に手を差し入れて、高い高いをするような手付きで持ち上げるのは、彼の幼馴染だった。

 

「アリィ、今回は少しやりすぎだよ。ロン、僕が抑えているから身体検査をお願い」

「杖は私が持つわ」

 

 バッグ、杖、ワイヤーガン、制服に仕込んでおいた手榴弾各種に用途の分からない色々なもの。彼の武装がどんどん剥がされていく。

 細身のハリーにすら力で勝てないアリィは、ここで諦めるしか選択肢が存在しなかった。

 

「あーあ。捕まっちゃった。俺がここに来ること分かってた?」

「君の行動パターンくらい分かるよ。何年間、僕が君に振り回されてきたと思っているの?」

 

 思考のトレースなどお手の物。

 天才的な頭脳や発想まではリンク出来ずとも悪戯中の行動パターンくらいなら予測可能だ。

 長年の付き合いで養った高精度の先読みだった。ちなみに使う度に心の涙を流しているのはハリーしか知らない。

 

「このトロフィー室は普段誰も訪れない。だから隠れ家に打って付けってことで最初に捜索されたんだ。アリィだったら、皆の裏をかいて確認済みの部屋に逃げ込むって思ったよ」

「流石は親友。全部お見通しってことか」

「うん。フレッド達を庇って、たった一人の主犯になろうとしたこともね」

 

 最後の確信めいた言葉に、ロンとハーマイオニーは意外性から驚愕を表にした。

 

「……何のこと?」

「今回の騒動でかなり減点を食らうでしょ? アリィだけならスリザリンから数十点分……多分、君が今まで稼いだ分を失うだけで済むと思う。これなら、まだスリザリンは首位に立てる」

 

 しかし、それが双子とリーとなると話が違う。

 元々がアリィほどに寮の点数を稼いでいない彼らが大量失点を受ければ、毎年優秀な寮を決める寮杯争いからグリフィンドールが最下位に転落するのは確定事項であり、最悪の場合、彼等は獅子寮生の恨みを一身に受ける事態になっただろう。

 なにせ今までの悪戯とは次元が違うのだ。だからアリィはそれを防ぐために、彼らを共犯から被害者の位置に陥れた。そうハリーは予測していた。

 

「相変わらずハリーって面白い予測を立てるよね」

 

 結局まだ付き合いの浅い二人は、のらりくらりとハリーの言葉を有耶無耶にしたアリィの真意を図りきれなかった。

 

「ハァ……寮の点数を気にするくらいなら、こんな悪戯しなければ良いのに」

「何言ってんの。折角の悪戯肯定日なんだから悪戯しないのはハロウィンに対する冒涜だ。それに誰も俺にお菓子をくれなかったし悪戯されて当然っ! むしろお菓子が貰えなくて悲しかったのは俺っ!」

「開き直った上に逆切れっ!?」

 

 言い合いを繰り広げ、騒ぐ彼等は気付いていない。

 共通の敵を捕獲するために彼等生徒は寮という垣根を越えて共闘した。

 犬猿の仲で知られる獅子と蛇が手を取り合い、協力し合う。この嬉しくも気持ちの悪い異常性に彼等はまだ気付かない。

 果たしてこの悪戯には他寮とのチームワーク性を高める、という狙いが隠されていたのか。それとも、ただの偶然の産物だったのか。

 それは、この幼い悪戯仕掛け人にしか到底分からないことだ。

 しかし例え偶然でも故意だったとしても、全てが上手い方向へ進んだことは確かな事実。

 これも全てを巻き込む天災の成せる技。多大な影響を及ぼす、暴風の効果。

 

 

 

 

 

 校長室で微笑む老人の思惑通り。この騒動を経て、生徒は身内以外との協力という言葉を知った。

 

 

 

 

 

 

「でもさ、パーティーまで少しは時間潰せて楽しかったでしょ? あ、ロン。そのビンの中に入ってる青い飴が解毒剤だから皆に配ってあげて」

 

 ビンにぎっしり詰められた飴玉を即座に口へ放り、ビックリマークが消えてから、ロンはトロフィー室から走り去っていく。

 大声でアリィ捕獲を叫ぶロンの言葉はたちまち伝播し、ホグワーツは勝利の雄叫びに包まれる。

 勝利の余韻に浸り、事態の根源を捕まえられた自分を誇り、ハリーは満足そうに頷いた。

 そして今度はとびきりの笑顔を親友に向ける。

 心なしか、天災の肩がビクっと震えた。

 

「さてと。アリィ、これから起こることは分かるよね? ハーマイオニー、お願い」

 

 親友を地面に下ろし、役者を自分から友人にバトンタッチ。

 トロフィー室から廊下に出て、アリィは初めて背後の女性徒の顔を見上げた。

 そして直ぐに頬を痙攣させる。

 

「えっと、ハーさん? その可愛さ倍増の怖さ百倍な笑顔は、ちょっと好きくな――」

 

 半歩前に出たハーマイオニーの表情に慄く彼に、

 

「正座」

 

 音符が幻視されるほど可愛らしく。そして見る者全てを魅了する最上級の微笑みを持って、彼女は一言そう告げた。

 

「………………はい」

 

 よく正座なんて知ってたな、という疑問を浮かべながらも、流石のアリィもこれには従わざるを得ない。

 問答無用で実行させる魔力(恐怖)が彼女の言葉には込められていた。

 流石に彼女の背後に邪神の類が見えれば無意識に身体が従ってしまうのだ。

 

 

 

 ――こうして、生徒の認識を天使から悪戯好きの小悪魔に変えた大騒動は幕を閉じる。

 集まった被害者全員の前で繰り広げられた三時間のお説教は、反省という言葉を知識でしか知らなかった彼に『もう二度とお菓子で大掛かりな悪戯はしない』と誓わせるほど凄く、精神的ダメージを与えるものだったと云う。

 

 

 

 

 

 余談だが、この事件と目撃者の証言がきっかけで彼女の名前が『天災の天敵』、『学校の守護神』、『ミス・ストッパー』という様々な二つ名と共に伝説と化し、全生徒から尊敬の念を抱かれることになるのだが。

 まさか疎まれていた自分が重宝される未来が来るなど想像出来なかったに違いない。

 

 しばらくの間、廊下には少女の説教と悪戯小僧がすすり泣く音だけが響き渡った。


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