化譚   作:吉田シロ

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三、猪狩りに精を出す事

 昼でもなお暗い山林の中を、不吉な地響きが遠くから近づいてくる。周囲の狩人達が、弓を構えた。それの進行方向に、ベキベキと木々が倒れていくのがわかる。木々はまっすぐこちらへ倒れてきて、狐人達は無言でそちらを睨み付けたまま、動こうとしない。

 地響きと木々の倒壊はどんどんと近づいてきて、轟音と共に姿を現した。猪だ。巨大な猪だった。熊よりも大きいのではないかと思わせるような、強いて言うなら大型バスほどもある、ありえない大きさの猪。これはもうモンスター扱いしていいのではないかと思う、常識外れの巨体だった。

 山中の開けた場、木こり小屋を中心としたそこに躍り出たそいつは、大きく身体を震わせ、一声ビィウと鳴いた。鼻を鳴らすような威嚇音だった。背には無数の矢が突き立っていたが、巨大猪はそれを気にすることなく狐人達に向ってもう一度威嚇をし、頭を低くして駆け出そうとした。俺はその瞬間に太刀を引き抜き、猪に向って駆け出した。

 猪が反応するよりも早く、俺の身体は猪の身体まで到達し、振りかざした太刀の切っ先は狙い通りに猪の額を貫いた。

 

「どおりゃぁああっ!!」

 

 猪が走り出すのと、俺が柄まで押し込むのは同時だった。俺はその場で腰を落とし、踏ん張りながら、太刀を両手で掴んだまま、力の限り頭上に跳ね上げた。額に突き刺さった太刀を視点に、冗談みたいに巨大な、大型バスに近い質量が、空中に飛び上がる。そのまま巨大猪は、頭上の木々の枝を破壊しながらくるりと180度綺麗に回り、背中から地面に叩きつけられる。何かが押しつぶれるような音がした。

 後ろを向くと、額に太刀を柄までめり込ませた巨大猪が、口から血の混じった泡を吹き上げ、ばたばたと手足を滅茶苦茶に振って痙攣しているところだった。

 

「お見事!」

 

 狩人達が手に持った縄をひっかけ、手際良く巨大猪の身体に巻きつけていく。遠くに止めていた大八車をガラガラと引いてくる音がした。

 

「ところでこれ、どうやって持って帰るんだ?」

「期待しておりますよ、イチ様」

「俺かよ!!」

「はは、冗談です。我らも一緒に引きますゆえ」

 

 わいわいと騒ぎながら、狩人達がその場で猪の解体を始めるのを手伝う。何しろ、巨大すぎて乗らないのだ。ここらの野生動物はサイズがおかしかったが、今回は本当に群を抜いてでかすぎる。狩人達が血抜きを始める。前に手伝って血まみれフィーバーになったので、俺はもうそこらへんは手伝わない。仕留める時に腹などを叩いて内臓が破れ、のちのちにえらいことになったので、なるべく頭を狙うのも覚えた。

 記憶は全く戻らないのに、猟師知識だけ増える。猟師としてならやっていけそうな気もしてくる。モンスターハンターが職業選択にあるなら、それもいいかもしれない。喰ってはいけるはずだ。

 相変わらず現実味のない身体能力は、猪ぐらいなら全く問題ない事を示した。この身体なら、大型バスぐらいまではぶん投げられるっつーことか。地味っていやあ地味だけど、なんていう馬鹿力だか。

 

 

 

 

 あれからあっという間に二ヶ月過ぎた。あっという間すぎた。進展は何もなかった。白狐族の屋敷の一角に住まわせてもらって、畑仕事を手伝って、たまに狩りに手伝いに行って、田舎暮らしだけは満喫した。

 いつまでも名無しは不便だと、いつの間にかイチと呼ばれるようになった。正式にはイチハル、漢字で壱春。男名に聞こえたが、男名でも女名でも使える名なのだそうだ。イチさんとかイチ様とか里の連中に呼ばれて、そろそろ自分の名前だと思えるぐらいには馴染んできた気もする。

 

 

「お帰りなさい、イチ様」

「ただいまです」

 

 解体した猪の一部を乗せて大八車を引いていくと、里入口でニキと会った。畑仕事の帰りか、肩にかついだ籠には葱と菜っ葉など野菜がみっしりと入っている。このお姫様は普通に畑仕事をする。小さな一族だからか、彼女は野良仕事も家事も普通にこなす。時代劇のお姫様って普通そんなことしないよなあ。庶民派というか、なんというか。

 大八車を覗き込んだ彼女は、まあすごい、大きな猪ですねと猪の頭を見て目を丸くした。

 

「今日のは特に大きかったな」

「イチ様が鮮やかに一撃で仕留めましてね。こうズバァと」

「今回は猪を放り投げましたよ。吃驚しました」

「それにしても、こいつは角も大きい。これだけの品なら細工物にも色々出来そうですね」

 

 わいわいと騒ぐ狐人達から抜けてニキの傍に行くと、ニキは俺の格好を見て少々顔を顰めた。ニキや里人が着ているのは着物をアレンジした、着物、と言い切るには少し変わったデザインの物だ。俺が今着ているのは作務衣や甚平ぽい狐人の上衣にあわせた細めの袴。っていうかズボン。あとサラシ。最初はきっちり彼女達と似た着物を着ていたのだが、だんだんめんどくなってきてサラシ巻いて上を着てズボンはいてりゃいいやーとなってきた。どんどん着崩れてきているので、ニキとしてはもうちょい女らしい綺麗な格好をさせたいらしい。

 別に生乳出しているわけでなし、露出が高いわけでもなし。ガサツだといえばガサツなのだが、そこまでみっともない格好でもない、とも思う。猟師達は似たような格好の奴が多いし、動くには女らしい格好は不向きなのだ。あと帯が苦しい。

 

「イチ様、肩のところほつれてます」

「あ、山の中でひっかけたかな」

「髪の毛にもいっぱい葉っぱをつけて……」

「ごめんなさい」

「どうしていちいち草の実とかも全部つけてくるんですか、貴方は。あんなにすばやく動ける方が」

「これでも山歩きに慣れた方なんですが……」

「もう、早くお風呂に行ってきてください」

 

 服を汚してきた子供のように怒られる。最初は蝶よ花よと大事に扱われていたはずなんだが、もう最近は大きい子供扱いだ。ニキの年はわからんが、どう見ても十代後半、俺より年下だろうに、妹弟のような怒られ方をする。いや、お母さんと子供かもしれない。しっかり者の妹に怒られるおにいちゃんぐらいのポジションがいいです。妹がいたか知らんけど。

 

「イチ様。今日は猪鍋にしようかと思いますが、いかがですか?」

「あ、はい。この前喰ったの美味かったんで、楽しみです」

「よかった」

 

 ニキが笑う。飯は美味い。ニキは可愛い。村人達の顔も区別がつくようになってきた。狐面もよく見れば色々と個性がある。ここに居る意味は相変わらずわからないが、異世界トリップ物語としては、実に地味で、平和だ。王族のケモミミ美少女の姫様をドラゴンから颯爽と助けて、一緒に住んでます、というのを素でやってるのに、なんかもう、萌の一片もない清々しさ。

 何もなく、穏やかで、平和。俺はどこの誰で、何のために、何故、ここにいるのだろうか。あんなに悩んでいたことにも、女であるということにも、慣れてきてしまった。いやゴメン嘘ついた。ちょっとまだ女であることは慣れない。主に巨乳的な意味で。サラシつけないで走ると痛いし、肩こるし、巨乳マジいらねえ。ありがたがる男の気が知れない。

 勝手知ったる屋敷内、風呂に向うと、更衣室で土埃などで汚れた服を脱ぎ、入浴中の札を立てて中へ入った。大きな共同風呂もあるのだが、普段は小さい個人用を使わせてもらっている。

 髪をまとめ、身体を流して湯船に浸かる。ふぇえい、とおっさんくさい声をあげながら、俺は温かいお湯の中へ身体を沈めた。胸が浮くのがジャマくさいが、手足を伸ばし、湯の快楽にしばし浸かる。

 あー風呂のある世界でよかったなー。

 ぶくぶくと半分沈みながら、俺はしばらく湯の中に沈んでいた。

 

「二ヶ月かあ……」

 

 長いはずなのに、あっという間に思える。何も進展はしていない。記憶の欠片すら戻らない。その代わり、どうでもいいことだけは覚えている。カレーの作り方とか、やりこんでいたゲームとか。

 どんな人間でどんな生活だったのかは、全然思い出せないのに。

 大体、何故俺はここにいるんだ。物語ならば、意味があるはずだ。これは、物語なのだろうか。ひたすらに日常だけが続く、穏やかな物語か。そこに、俺と言う登場人物はどういう役割で出てくるんだ。そもそも、何か役目や役割はあるのか。

 たとえば、異世界に召喚された主人公ならば、勇者として魔王などと戦うような役割があるんだろう。

 どう考えてもこの世界に魔王も勇者もいない。超自然的な存在、竜とかでかい獣とかはいる。ただの野生動物的な扱いを受けてるのがちとアレだが。

 ここは、和州という国なのだそうだ。日本のように島国で、本州といくつかの大きな島と無数の小島で構成されていて、本州の東南にこの里は位置しているらしい。地図も見せてもらったが、どれくらいの縮尺なのかがわからないので、日本と比べてどれぐらいの広さなのかはわからない。

 人間以外に狐族のような人以外の種族、あやかしも多く、細かい種族数は数え切れないといわれた。竜の中でも、この前の水竜のような獣のようなものもいれば、知能が高く、コミュニケーション可能な一族もいるらしい。

 大型モンスターはこの辺にはあまりいない。他所に行けばいるかもしれない。和州中央に政府があり、大きな都がいくつもあって栄えており、海岸沿いに出れば大きな港や漁村などもある。

 魔法的な事としては、狐族、特に一族上位クラスの銀狐系は変身能力があるそうだ。他にもあるのかもしれないが、教えてくれたのはそんなところだった。

 あやかしはファンタジーで言うところの亜人なのかとも思ったが、モンスター的な存在もあるしで、人間以外の異種族をざっくりあやかしと言っている可能性もある。

 俺のような竜と戦えるような人間は普通にいるらしい。なんだよ、普通にいるのかよ、と割りとがっかりしたのは置いておこう。武術や剣術を修行し、道を極めた剣士や武人なんかは野生の竜を狩れるのだそうだ。

 つまり、うわーい、異世界トリップチートだーみたいなことは全然なかったわけで、俺が現在誇れるアドバンテージとしては村人の狩りをお手伝いするときに便利な人、ぐらいの意味しかなかったわけで、これは本当けっこうながっかり具合だ。そっか……この世界には大型バスを投げ飛ばす人間がごろごろいるのか……。考えたらモンスターを狩るゲームなんかも無茶スキルの狩人はゴロゴロいるわけで。

 うーむ。困ったことに当面の目的も目標もない。生活は今のところ安定している。元の世界に戻ろうにも、まず、どうやって来たのかもわからない。

 俺はぶくぶくと沈んだまま、水面下で唸った。時空を越える魔法使いとかそういう存在を探すべきなんだろうか。そもそも魔法職がいなさそうなこの世界でそういう存在っているんだろうか。ニキの変身能力も、どうも種族固有っぽいし。それに、戻るべき場所がいまいちわからないまま探して、それで戻れるもんなんだろうか。記憶回復の手段を探すべきか?

 

「しかし、動機がないんだよな……」

 

 生活基盤安定してて、居心地は悪くなくて、記憶を取り戻さないといけないという焦りもあまりなく、知らない世界を放浪するぐらいならここでずっとほのぼの田舎暮らしでも悪くないのだ。多分俺は冒険するタイプではなく、安定を求める性格だったんだろう。この手の人間が最初に生活基盤を安定させると動かない、といういい見本かもしれん。ゲームやテレビがなくても、意外となんとかなる。夜は夜で手伝いもあるし、あまり退屈、というのはなかったりもする。最近は職人連中の仕事を覗きにいったりもして、それなりに楽しい。異世界の知識を持ち込んで便利に暮らそうとかそういう発想もないのは、俺が現状不便をしていないからでもあるし、多分専門的な知識がないせいでもある。

 女になったのはまだ慣れないが、そのうち身も心も女になって、誰か人間の男と結婚したりとかあるんだろうか。うーん、ないわ。ホモじゃないし。いや、身体は女なんだから、どちらかというと今はオナベなんだろうか。わからん。

 考えても答えは出ない。ここ二ヶ月考えても出なかった。あと二ヶ月考えても出ない気がする。適当に身体と髪を石鹸で洗い、俺はそそくさと風呂を出た。出来れば髪は切りたかったのだが、ニキにえらい剣幕で怒られた。褌とパンツの中間のような下帯を履き、浴衣を巻きつけて脱衣所をあとにした。

 

「お、いい匂い」

 

 台所に隣した座敷に顔を出すと、香ばしい匂いがふんわりと広がった。囲炉裏の真ん中にはぐつぐつと煮え立つ大きな鍋。狐人の女達と一緒に膳を並べていたニキが振り向いて、笑いかけてきた。

 

「今日の猪は、脂も乗ってて良い肉でしたわ。里の者も今日は皆ご馳走でしょう」

 

 屋敷で働く者たちもわいわいと集まってくる。両親がいないせいか、ニキは食事を使用人達全員と一緒に取るので、食事時はいつも賑やかだ。

 

「そういえば姫様、出立はいかがされます?」

 

 狐人の一人が椀に鍋物を分けながら聞いてきて、ニキは何故か聞かれて俺のほうを見た。

 

「イチ様。私と都へ参りませんか?」

「都?」

「ええ。年に二度、一族の長は都へ参らねばならぬのです。納税や報告などを兼ねて。向こうにはいくつも道場があるので、ここにいるよりはわかることも多いと思うのですが……」

 

 言いながら、少しすまなそうにニキは目を伏せた。

 

「この二ヶ月。私は命をいただいたというのに、何もお返しもできず」

「い、いや! 十分良くして貰いましたよ! 俺みたいな胡散臭い人間を信用してくれて、生活も面倒見てくれて、この里の人達も優しくしてくれたし!」

 

 周囲の狐人達もすまなさそうな空気を出し始めそうになったので、俺は慌てて手を振り、大声でそれらを遮った。そう、十分良くしてもらった。ここでずっと住んでやっていってもいいかなと思う程には。記憶が戻らず、元の世界に戻れないとしても、変わりにここでやっていけるなら、それも悪くない。でもそれを言ったらまたよろしくない空気になりそうなので、黙っておく。

 

「とりあえず、俺もついていっていいなら是非お供させてください。どんなところか見てみたいです。護衛もできますしね。記憶はまあ……戻るときに戻りますよきっと。大した問題じゃないですって」

「イチ様……」

「馬の用意はしておきます。イチ様のお荷物も明日、姫様と一緒にまとめましょう。ね、姫様」

「路銀と、着物、保存食なども多目に用意しないといけませんね。姫様、明日から忙しくなりますわ。この里には姫様以外に人の形をした者がおりませんので、着物も仕立て直さねばなりませんし」

 

 空気を読んでくれた使用人達の言葉に、泣きそうな顔をしてケモミミをぺたりと垂らしていたニキの顔が、少し明るくなった。

 

「そ、そうですね! イチ様のお着物も新調しましょう。箪笥の中身を検分しないと。山の猟師みたいな格好で出かけるわけにも行きませんし」

「え、駄目ですかアレ」

「ありえません! 大体、武人の方はあまり着物に頓着しないと聞きますが、イチ様は酷すぎます! 女性として最低限の身だしなみを」

 

 調子の戻ってきたニキに押されて、俺は降参し、女性達はどんな服がいいかなどと姦しく言い出し、男性陣は少しばかり肩をすくめた。俺もその中に混じって、避難する。女三人寄ればかしましいというが、まさしく、こういう時は男は口は出せない。いくら女の形をしていても、やはり男でしかないのだなと思う。それに、この村に骨を埋めてもいいとは思うが、知らない場所に行くのは少し楽しみだ。大都会、どれだけのものなのか。

 夕飯が終わり、馬番に鞍の乗せ方を聞き、明日からの仕度を思ってその日は早めに寝た。猪鍋は案外柔らかくて、美味かった。あれぐらい美味いなら、また捕りに行こうと思いながら、布団に潜り込んだ。

 

 

 

 

 

 夜中に、目が覚めた。


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