薪となった不死   作:洗剤@ハーメルン

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言峰

 霞がかった思考は時間が経つと徐々に晴れてきた。

 そして澄み切った思考に戻った後に、その鈍化が何を意味するのかが本能的に分かってしまった。最後に近づくにつれてその霞はゆっくりと深くなり、理性はきっとその濃霧の中に飲まれてしまうのだ。

 不死者になってから曖昧であった死というものが、人間であったころのように現実味を増してくる。とはいえ、恐ろしいはずのそれの感触は心臓の鼓動のでもあった。

 

 

 

 下水道の拠点へ戻る頃には、すっかりとこの特徴的なヘルムにも慣れてきた。『霧の指輪』と『静かに眠る竜印の指輪』を用いてゆっくりと時間をかけて戻ってきたので、第三者による追手も見当たらない。 しかし念のために一度後ろを振り返ってから、アストラは静かに扉を開けた。

 案の定というべきか、光を漏らさぬためのボロ生地のカーテンと汚れた床の間から、一人分の影法師が見える。

 

「戻ったか」

 

 カーテンに手で隙間を作りながら抜けると、長方形の天板の机とセットになった朽ちかけた椅子に座っている言峰がいた。何やら報告書らしきものに目を落とし、アストラとわかりつつも目を向けようとしない。アイリスフィールはどうやら奥の部屋にいるようで、細い寝息が聞こえた。

 

「ライダーとの戦闘、どうだった」

 

 その書類に何が書かれているのかはアストラが知る由もなく、戻ってきたということは勝ったということなのだがここまで無関心でいられると気分が悪い。

 アストラは少々荒く、あるものを目障りに動くペンを狙うように放った。細長い、大きな鍔の付いた柄は天板を殴る重い音を響かせると、ちょうど言峰の視線と書面の間に止まった。

 

「……これは何だ?」

 

 一目見ればこれが何か、言峰綺礼には分かりきっている。だからこそ問う。

 その問いに、アストラは息をするように答えた。自分の持っていた聖剣――『アルトリウスの大剣』であると。

 そう告げると言峰はまさに言葉を失ったようで、ペンを置くと柄を手にとって眺めだした。そしてしばらくの間の後に。

 

「つまりお前は、セイバーの聖剣――『約束された勝利の剣(エクスカリバー)』と打ち合える剣を失ったということか」

 

 悩ましそうに口にする言峰の言葉に誤りはない。破壊された『暗月の弓』と違い、『アルトリウスの大剣』はアストラがライダーの固有結界に対抗するためにあたりを一掃する"巨大な爆薬"として使ったのだ。誰かの剣のように光波が出るのならばこんな必要はなかったのだが、あの時のライダーには不死への対抗策からくる"自信"があった以上は仕方がない。

 セイバーの持つ『約束された勝利の剣』は、刀剣としては最上位の代物。『アルトリウスの大剣』というその性質が鏡写しのような武具であったからこそ対抗できていたのだ。更にその剣の性質は"聖剣"。打ち合うには劣ろうとも同質の剣(つるぎ)か、対極の性質を有したものでなくては話にならない。

 とはいえ、アストラにも考えがないわけではない。狂気に飲まれたアルトリウスが遺した『深淵の大剣』。アレは"聖剣"が深淵に飲まれたものだ。アルトリウスとの打ち合いでは深淵で強化された彼の膂力もあったが、その力に終始圧倒されていた。ならば、武器としては対等以上ではないのか。

 そうアストラが声に出さずに思案していると、待ちくたびれた言峰が口を開いた。

 

「なんにせよ、私の案ずることではない。私の相手はセイバーではないのだからな」

 

 言峰の狙いは衛宮切嗣ただ一人。目的は、切嗣の見つけた"得たもの"というのを問うこと。極端な話ではあるが、彼はそれ以外に興味が無いと言ってもいい。

 アストラはそんな言峰綺礼の言葉を同意することで受け流すと、更に奥の部屋の入り口である扉へと目をやった。

 すると、これは聞かねばなるまいということが出てきた。アイリスフィールと何を話したのか、だ。アストラは彼女がいるであろう部屋を指しながら言峰にそれを問う。

 すると、僅かではあるが言峰は視線を泳がした後、平静の声で切り出した。

 

「あの男についてだ。……あの女は、衛宮切嗣が願うのは恒久的平和だという」

 

 無感情な声。だがその声色は、徐々に怒りを含んだものへと変貌する。

 

「おかしいだろう? あの男は平和を願うとい、アイリスフィールという"良き妻"を犠牲にするとも言う。

 だというのになぜ、それを犠牲にしてまで世界の平和などというものを願うのだ!!」

 

 金切り声のような怒号を発し、勢いに任せて自らの髪を引きちぎる。裂けた頭皮から流れた血が、彼の目元のそばを通って流れた。

 自らと同じ、自信のような空虚な人間。そんな男が何かを得た。それで自らも答えを得られ、救われる。そう思っていたというのに。

 

「そんな馬鹿馬鹿しい理想ですらない願いなど、聖杯であろうと叶えられるものか!!

 そんなものに! やつは何もかも捨てると言う! 愚かな理想のために切り捨てるばかりのことを繰り返し! ついには妻まで捨てる気だあの男は!!」

 

 心底悔しそうに。心底恨めしそうに。心底憎そうに言峰は叫ぶ。

 そこでアストラは察した。彼はきっと、すべてを拾おうと生きてきたのだと。神の教えの下僕となり、救えるものはきっと救って生きてきたのだ。

 だが、彼のほしいものを持っていたのは、彼が救おうとしたものを切り捨ててさらに大きなものを救おうとする男だ。憎まないはずがない。怨めしくないわけがない。悔しくてたまらないことだろう。

 言峰は息を切らし、壁に手をついてうめき声を漏らす。激昂を通り越して怒り狂い、叫び続けた結果だ。

 この様子の彼と対面したアイリスフィールの安否が気になるところではあるが、アストラはそれを頭から追い出して言峰に言った。戦うのかと。

 

「……当然だ。戦う理由ができた。あの男は、あまりにも癇に障る」

 

 言峰はきつく拳を握りしめた。依然として虚空を丸めたような瞳であったが、そこには強烈な怒りが宿っている。

 それを窘めようとした口を開いた途端、言峰はしかしと声を出した。

 

「アイリスフィールを餌にする。バーサーカーとアーチャーが脱落する前ならばこの女もまだ聖杯にはなりはしないだろう。

 それを踏まえた上で衛宮切嗣に是非を問う。何を切り捨てるのかを」

 

 譲歩のように言う彼であるが、これは譲歩と言わないのではないか。そう呆れるアストラを尻目に言峰は言葉を続ける。

 

「そのためにはあの久宇舞弥という女とセイバーが邪魔だ」

 

 だから、どうにかしろと言った。

 アストラとしても――指示したのはきっと切嗣であろうが――セイバーに文句の一つは言いたいところであるから彼女と戦うのはいい。舞弥に関しても気絶させておけば問題ないだろう。

 しかし、言峰にとって問題なのはきっと邪魔をしに現れるであろうバーサーカー陣営とアーチャー陣営の者達だ。この二つの陣営に限って共闘という手段を取るようには思えないのだが、もしもの場合が恐ろしい。アストラとしては先に因縁のあるバーサーカー陣営を潰したいところだ。

 しかし、言峰の計画では真っ先にセイバー陣営と戦う必要がある。他の陣営が脱落し、その魂を取り込んだアイリスフィールが衰弱しきるその前に。

 セイバーと戦い言峰も切嗣と話した後はおそらく言峰はアストラのそばには居ないだろうが、そこはあまり問題ではない。今の問題はどこにセイバーたちをおびき寄せるかだ。

 

「それについてだが、一つ候補がある」

 

 そう言い、言峰綺礼は冬木市の地図を取り出した。

 

「冬木にある聖杯の降臨が可能な霊脈は四つある。一つは遠坂がアインツベルンに提供したと言われる柳洞寺。二つ目は遠坂邸。三つ目は冬木教会の建つ丘だ」

 

 指を指す位置はそれぞれ市内を転々と離れ、周囲には住宅地などない孤立した場所。

 しかし、四つ目を指す言峰の指は住宅地の中心と言える位置に止まった。

 

「そして、最後がここ冬木の市民会館。誰の物でもない、ノーマークとも言ってもいい場所だ。

 ここに衛宮切嗣をおびき出す」

 

 その言葉にアストラは眉を潜めた。そこは住宅地の中心であると。

 

「だからこそだ。なりふり構わぬ衛宮切嗣や間桐雁夜は戦えるだろうが、時臣師は決してアーチャーをここで戦わせようとはしないだろう。そうなれば残った全ての陣営が一同に介しての乱戦、などという自体は避けられる。

 間桐雁夜の目的は時臣師だ。我々でも聖杯でもない」

 

 結構なことだ。だが、聖杯を扱う以上は時臣も出てくるのではないかとアストラが再び問うと、もちろんと言峰は付け加えた。

 

「時臣師に限ってそれはありえない。きっと今でも私を弟子として信じきっているはずだ。

 一通手紙に"私と衛宮切嗣を戦わせてくれ"と懇願すれば、きっと一騎打ちを見逃してくれるはずだ。もしかすれば間桐雁夜が邪魔せぬように戦ってくれるかもしれん」

 

 自分を信じていると断言しながらも利用するとは、腹の底まで真っ黒である。

 本人は師の信用を利用しているということに罪悪感はないのかと思ったが、言峰はきっと離反した時点でそれを割り切ると決めたのだろう。もし彼がそれに罪悪感を抱いているのであれば、全てが終わった後にでも本人に直接何かを言うはずだ。

 

「しかし、お前はいいのか? 間桐雁夜が召喚したもう一人のバーサーカー。あれはお前の世界の者なのだろう?」

 

 始末しないでいいのか、と言峰は言う。

 しかし、アストラにとってそれはそう急ぐことでもなかった。きっとアルトリウスはこちらの気配を察知している。

 あちらの準備が整うのはきっと明日か遅くても明後日。そうなればこちらが襲撃されるというのは目に見えていた。

 

「……つまり、我々が明日市民会館でセイバーと戦うとすれば、必然的に三陣営の戦いとなるわけか」

 

 なぜ早く言わなかったと目で訴える言峰であるが、それは特にこのような戦場を体験せず複雑な作戦というものを経験しなかったアストラの未熟さであり、ずっと一人で――またある時は"ここで何をするか分かっている者たち"と――"何をするかわかりながら"戦っていたからでもある。

 

「まあいい。ともかく今日中に時臣師に書状を送っておく。となれば明日には市民会館に切嗣と相まみえるだろう」

 

 同時にセイバーとバーサーカーにも。うまくいけばセイバーと共闘するかたちでバーサーカー陣営を相手取ることができるはずだ。

 きっと自分が相手取るのはアルトリウス。セイバーはバーサーカー。負けるとは思わないが、終わった頃には両者とも満身創痍でありそうだ。そしてその時に言峰綺礼は、衛宮切嗣は生きているだろうか。

 そういう風にしてくれ、といったようにアストラは言峰に同意した。

 

「では、私は明日に備える」

 

 椅子から立ち、背を向けた言峰にアストラは声をかけた。聖杯戦争が終わったら何をしたいのかと。

 それに言峰は足を止めず、アイリスフィールのいる奥の部屋へと向かいながら答えた。

 

「衛宮切嗣はあるものを捨てるというのだ。ならば私が捨てたものを拾うのも一興だろう」

 

 本気かどうかはわからない答えではあったが、アストラは妙な納得を覚えた。そして自分は薪になるかどうか今一度覚悟を改めねばならぬと、時間の少ない人間のように考えるのであった。


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