薪となった不死   作:洗剤@ハーメルン

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青い星

 砂漠が消える。陽炎のように揺らめき、蜃気楼のように。重ねた絵画の一枚を燃やし、その裏が見えるように。ジワリ、と冬木市の街並みが滲み出してきた。

 暗雲立ち込める、星ひとつ見えぬ空。街灯と、ヘリの誘導灯。そして、いくらかの民家の灯りが灯る市街の光景。それを一望できる高台の上へと、アストラは再び舞い戻ったのだ。彼が固有結界に引き込まれた位置とは少しのズレがあったが、それはライダーも同じであった。

 アストラは崖側に立ち、ライダーは市街のネオンを背負う彼に向かい会う形で膝をついている。

 

「――――まったく、少し攻めすぎたわい」

 

 荒い息。口元から漏れる血液。ライダーの左わき腹は大きくえぐれ、その右目は鮮血で塗りつぶされていた。

 数多の兵が謀らずしも彼の盾となったと言え、彼が受けた爆発はあまりにも大きく、ライダーがそれに近づきすぎていたのだ。

 とはいえ、それを起こした人物よりは遠い。アストラといえば、立っているのが奇跡と言えるほどであった。

 右腕は肘まで。左腕は肩まで。頭部はその四分の一ほど。ボロボロとなった鎧の下の体には、裂傷や火傷が数えきれないほどの量が刻まれている。これでも”生きている”のは、一重にライダーの死を認めていないからだろう。

 とはいっても、もう長くないのは確実だ。彼の目はライダーを睨んではいるが、光は無い。ブレもなく立っているが、その姿は幽鬼のよう。そしてなにより、胴や足に空いた風穴や、千切れた腕の傷口は未だ生々しいというのに、一切の血が流れていない。

 すでに、肉体は死んでいるのだ。彼をつなぎとめているのは、この今もすり減らされ続けている心だろう。

 

「不死身というのは悪くないと思っていたが、お前を見る限りはそう良いものでもなさそうだ」

 

 アストラを見て、ライダーは言う。

 虫の息となっている彼が死なないアストラを見てそう漏らすのは、彼を見たライダーはこう考えたからだ。

 

 『王の軍勢』との接触と時といい、この男は言動と生き方が合っていない。これではまるで、魔術師の糸に操られるゴーレムのようだと。

 

「なあ、アストラよ。お主は本当に世界を救いたいのか」

 

 アストラは答えない。赤い光が微かに灯る目をライダーに向けつつ、足腰の砕けたライダーへと歩み出す。

 アストラに答えるための思考回路が今残っていれば、何かを口にしただろう。

 

「いや、キャスターの奴と戦ったとき以来、何かが変わっておったな。

 今、お主は何のために戦っておるのだ?」

 

 吐血。同時に、吐き出される魔力の塊。

ライダーに死期は近づいている。あの爆発が、ライダー――サーヴァントの核である霊核に致命的な損傷をもたらしたのだ。

 

「まったく、これだけ問いかけているというのに理性がないとはな。」

 

 それを自覚していたライダーが、震える足を抑えながら立ち上がる。

 二度目の死を迎える前に。頼りない小僧を残して消える前に。やることがあると、心から思ったのだ。

 折れた剣。夢の中のような虚脱感の中、手のひらに引っかかっていたそれを決して取り落さぬように握りしめる。アストラは、すでに彼の正面に立っていた。

 彼がその顎でライダーに食い掛かるより早く、折れた剣はその見た目にそぐわぬ勢いで空を切る。

 首を伸ばしてきた者の、首を狙い振られる|剣(つるぎ)。刃に晒された首がどうなったか問うなど愚問というものだ。

 

 アストラは絶命した。

とはいえ不死の彼である。すぐではないとはいえ、じきに目覚めるであろう。

 剣を鞘に納める。そして、首の無い死体に近づき、それを担ぎ上げて頭は脇に抱えた。向かう先は高台の手すり。その下へ、彼を投げ捨てるつもりだ。

 ライダーとて戦士の亡骸を奈落に放り落とすと言うのは気が引ける。とはいえ、それよりも大切な、決して邪魔されたくないことができたのだ。

 

「まあ、悪く思わんでくれ。こうなってしまった以上、優先すべきものが変わったんでな。

 それに、負けた以上はお前を殺さん。これでお相子だ」

 

 一歩歩くごとに、足元を濡らす血は増える。膝から崩れ落ちそうになる。

 だがそれでも、ライダーは歩みを止めない。

今からは邪魔をさせないが、かわりに命をくれてやる。そう言わんばかりの行動であった。

 手すりの前に辿り着くと、ライダーは街並みを眺めた。

 

「もし戻れねばお主はこの世界で生きることになるのだろう。多少肩身が狭くなるだろうが、坊主のような口うるさいのがいてもそう悪くは無いぞ」

 

 そう言って、ライダーはアストラを宙に放った。

 

「さらばだ不死の英雄よ。機会があれば、お主の世界を征服してみるのも悪くないかもしれんな」

 

 返答もなく、アストラは真下に落下する。その先は森。ほかの者に見つかるという事はないだろう。

 

背を向けてライダーは口を開いた。

 

「坊主。出てこい」

 

 呆れを含んだ優しい声色。そんな声に引っ張られ、坊主と呼ばれたマスターは離れた木立の中から姿を現した。

 『王の軍勢』の解除。その世界に居た者がどこに出るかは、発動地点から遠くなければある程度決められる。ライダーはマスターを木立の中に隠していたのだ。

 

「ラ、ライダー!」

 

 マスターはみっともなく声を上げた。

 彼の息は切れ、目は虚ろ。きっと、相当な魔力をライダーの回復のために回していたのだろう。とはいえ、青年の魔力はそう多くなく、霊核を損傷したサーヴァントの回復などは到底かなわない。

 彼がライダーに与えたのは、もう一度立ち上がる力だった。

 

「……まったく、逃げろと言ったではないか」

 

 そう呟くライダー。それを聞いたマスターは、歩く足で地面を踏みつけるほど激昂した。

 

「何言ってんだよ! お前を見捨てるなんて、できるわけないだろう!!」

 

 何を言っている。親しいものが自滅的なことを言った時のように起こるマスター。それを見たサーヴァントは、痛みを忘れて笑った。豪快に。心から。

 その笑いを聞いたマスターは、きょとんとした顔をする。

 

「――――のう、坊主……いや、ウェイバー・ベルべット」

 

 残り少ない時間を悟りつつ、ライダーは切り出した。

 

 

 

 

 

 

 ライダーの戦闘より数十分。それを知らぬセイバーは与えられた二輪駆動車に乗り、人気のない市街を独りで走り回っていた。アイリスフィールを探すためである。

 空の暗雲は晴れて星々が顔をのぞかせていたが、セイバーの心に立ち込める暗雲は未だに晴れそうにもない。明るく光る月も、どこか妖しく見えるほどだ。

 アストラが消えてから、時間はそう経っていない。だが、起こった事態はあまりにも大きい。久宇舞弥は気絶させられ、アイリスフィールは攫われた。そして、アストラが下手人であったと舞弥は言う。

 だがしかし、こうも言っていた。自分は重傷を負って意識を失っていたはずなのだと。

 彼女の衣服は損傷が激しく、蔵には大量の舞弥の血痕も残されていた。となれば、誰かが治療を施したということしか考えられない。

 誰が?。切嗣はそう問わず、私が問うと状況からしてアストラだと言っていた。

 

「なぜ……」

 

 離反したのは分かる。しかし、何故アストラは言峰綺礼と手を組んでいるのだろう。

 切嗣曰く、言峰綺礼は危険な男。彼をしてそう言わしめる男とは、いったいどのような人物なのだろうか。

 アストラは今までの行動から、舞弥を助けていたからその線は薄いとする。しかし、その男はどうなのだろう。捕らえたアイリスフィールに、辱めを与えるということはないのだろうか。それとも、もっと猟奇的な――――。

 歩道を、俯きがちに少年が歩いていた。

 そこまで考えた時、セイバーは慌てて車体を横にして勢いを殺した。

騎乗スキルが成せる技術。それを使ったのも、すれ違った唯一の歩行者の顔を見たからだ。

 

「止まりなさい!」

 

 セイバーの、怒声にも似た声。それをいきなり投げられたというのに、青年に驚いた様子は無かった。落ち着いた呼吸で、ゆっくりと振り返る。

 

「セイバーか」

 

 電柱に備え付けられた街灯に照らされた彼の顔。そこに生気がないわけではない。しかし、青年はどこか気だるげな声を出した。

敵のサーヴァントだというのに、ライダーを連れていないというのに、逃げようとする素振りすらない。

停車したことにより、単車のエンジンの音がいくらか控えめなものとなった。

 

「……ライダーはどうしたのですか?」

 

「死んだよ。聖杯戦争に勝ってもいないってのに、えらく満足そうに」

 

 ウェイバーは即答する。だが、先ほどとは打って変わり、その目に悲しみの色が混じった。

 それを見とめつつも、触れる事無くセイバーは会話を進める。

 

「ライダーを討ち取ったのは?」

 

 残念です。とは言わなかった。情が移ったとは言わないが、そう悪い気持ちを抱いていたわけでもない。しかし、征服王イスカンダルはライダーのサーヴァントであり、自身はセイバーのサーヴァントであるからだ。

 

「アストラだよ。あいつ、ほんとにアンタやアインツベルンのマスターを裏切ったのか?」

 

「ええ、残念ながら」

 

 会話が続かない。楽しく談笑するつもりなどないのだが、この青年にはどこか放っておけない雰囲気がある。

 それもこれも敵だというのにらしい敵対もせず、むしろ酒を飲み交わして共闘をしたのが原因であろう。ライダーと相対して戦うのならば躊躇う事はなかったが、目の前にいるのはライダーに大幅に魔力を削られた青年だ。

 それに、直感からして彼はもうすでに敵ではない。

 

「これからどうするのですか?」

 

 探るような問い。それに、躊躇いがちではあるが青年は答えた。

 

「…………教会に行って庇護を受けたいところだけど、あそこはどうも信用できないからな。この街に来てからお世話になっていた人達にも迷惑はかけられないし、僕にもう令呪は無い。

 ここを発つ準備でもするよ」

 

 手の甲を見せつけるように差し出された右手。そこには令呪の跡が確かに存在したが、肝心の魔力の欠片は一画たりともなかった。

 

「それはアストラとの戦闘で?」

 

 セイバーは問う。令呪とは膨大な魔力の塊だ。それを三画も一度の戦闘で使い切るなど、尋常ではない。

 しかし、事情は少し違ったようだ。

 

「ああ。といっても、僕はその……未熟だからな。ライダーに魔力が足りなかったのを、令呪で充填した。”そいつを倒せ”とも願ったよ」

 

 けど。とウェイバーは続ける。

 

「ライダーは、刺し違えようとしなかった。やろうと思えばできたはずなんだ。せっかく、人があいつの倒し方を考えてやったっていうのに……!」

 

 憤りを感じつつも、ウェイバーはそれを受け入れていた。ライダーの決断を信頼しているのだ。押さえてきた感情が、一気に溢れ出しそうになる。

 今にも涙を流しかねない。そんな様子を尻目に、セイバーの関心を惹いたのはべつのことだった。

 

アストラ(不死)を倒す方法……」

 

 セイバーはいつでも発車できるようにしていた単車のエンジンを、完全に止めた。

 

「それは、どのような手段なのですか?」

 

 アストラを殺したい。そのような気持ちはセイバーにはない。

 だがもし、万が一の時のため、知っておきたかったのだ。ウェイバーは返答に窮することはなかった。

 すでに自分には出来ない以上。彼女がアストラを殺すとは思えない以上。教えても構わないと考えたのだろう。

 

「別に、できるのはライダーだけに限らない。サーヴァントなら絶対。魔術師も、もしかしたらできるやつがいるかもしれない」

 

 ウェイバーは、盗み聞きするものがいないか少々気にする素振りを見せながらセイバーに言う。

 

「人間だってそうなんだけど、治りかけの状態はそんなに外部からの攻撃に強くないんだよ。”死んでる”状態だっていうんなら、それ以上に寝てる時みたいに無防備なはずだ」

 

 顎に手を当てつつ、スラスラと語る。

 それは一度同じことを話したのだろうとしても、やけに板についていた。

 

「ライダーが言ったんだよ。サーヴァントの自分は生粋の魂喰らいだから、下手したらお前を危険に晒すって。

 それで閃いたんだ」

 

 ここまできて、セイバーもウェイバーが何を言わんとしているか理解した。この青年。一見頼りないと思っていたが中々鋭い。

 

「死んでいる状態のアストラなら、サーヴァントは人間のを喰らうのと同じように魂を喰い放題なんじゃないかって。どれだけ不死だっていっても、それは肉体の話だろ?

 だったら、この手段で倒せるはずだったんだ」

 

 とはいえ、マスターとしての技量は――魔術師としての技量は未熟というものだったようだ。

 自分の未熟を責めるような、ライダーの死を嘆くような悲壮感に染まった顔を一瞬見せた。

 

「……私にライダーの敵を討てとでも言うのですか?」

 

 だが、セイバーが口にしたのはそのような言葉。慰めの言葉をかけるわけにもいかず、かけられる関係でもない。だが、青年は敵だったが、今は敵でも味方でもないただの令呪もサーヴァントを失ったマスターだ。

 暫しの逡巡の後、ウェイバーは頭を横に振った。

 

「違う、そんなんじゃない!」

 

 そして、いつの間にか目じりいっぱいに溜まっていた涙をぬぐって言う。

 

「もし敵対したときにアンタに勝ち目が無くなるだろ! このままアストラが勝ち残るのが癪なだけだ!!」

 

 それは私がアストランに負けるという侮辱か。そう怒りと共に反論したくなったセイバーであったが、確かに決定打がないということを考えて歯ぎしりで済ませた。

 自身の最大火力である『約束された勝利の剣』――つまり対城宝具を生き延びたのだ。下手をすれば、その上とされる対界宝具でも生き残るかもしれない。そうなれば、蘇生が可能な彼を殺す方法は無いに等しい。

――――もっとも、セイバーがアストラの不死の欠陥を知っていればそうは思わなかったろう。

 

「……なるほど。貴方の気持ちは分かりました。

しかし、戦うとなれば私は負ける気はありません。私にとって当面の問題はアーチャーです」

 

 多種多様な宝具。それらを英霊が苦戦する速度での射出。彼が見せた宝具は十数の武具と飛行する黄金の船のみであるが、それだけの宝具を使っていればそれが全てというわけはあるまい。下手をすれば無数の宝具を所持しているであろう。

そして、マスターは御三家の一つ遠坂のマスター、遠坂時臣。過剰なまでの用意周到さとその成功で知られる男だ。

優秀も優秀であるマスターと、今聖杯戦争に置いて最大の脅威と思われるサーヴァント。この組み合わせがこの時点で残っているというのは、恐ろしいことこの上ない。

 

「アーチャー……」

 

 大海魔の胴体を大きく抉ったアーチャーの宝具。その射出をアサシンの時と合せて二度も目にすれば、あの威力の物を何発も打ち続けられるかもしれないという推測が湧いてくる。

 ライダーを失ったウェイバーには既に関係のないことであったが、その存在に背筋が凍るのは当然であった。

 

「ですが、それは私の問題で今の貴方が考えるべきは自分の事です。負けた貴方には関係がありません。

 おかしなことは考えず、大人しくこの街を去った方が良いでしょう」

 

 この街に安全な場所はありません、とセイバーは言う。

 それを聞き、ウェイバーが怪訝そうに眉をひそめた。彼女の言い方がおどかすようなものだったからだ。

 

「……言っただろ。僕はもうここを発つ。

 ライダーがせっかく生かしてくれたんだ。それに、命じられもした。僕は生きなきゃならない」

 

 生きること。それが現在の彼の優先事項。とはいえ、それに反するようにセイバー――敵のサーヴァントと話しているのは、逃げられないという一つの理由ではないだろう。おそらく、橋の一件で彼女をある程度信用するようになったのだ。

そのマスターへはどうか知らないが。

 

「ともかく、僕はもう脱落だ。どうせならアーチャーやバーサーカーじゃなくてアンタたちが聖杯を取ってくれよ」

 

 わざとらしく、少し表情を和らげて言う彼。それにつられてセイバーはクスリと笑みを浮かべた。

 

「では、急いでいるので行きます。

 ……もしアイリスフィールを見かけたら、使い魔をよこしてくれると嬉しい」

 

「えっ、ああ。分かったよ」

 

 アイリスフィールを探しているというセイバーに驚いた青ウェイバー。それを尻目に彼女はまだ余熱のあるエンジンをかけると、もう用はないと言わんばかりに反転して元のルートへと戻っていった。

 ウェイバーが一瞬だけ見止められたその顔つきは、笑みとは正反対のものであったという。

 

 

 

 

 

 

 

 血の気が戻る間隔。頭痛。体への微妙な違和感。それを感じながらアストラは目を開けた。

 真っ暗な周囲。ぬかるんだ地面。折れて落ちた枝。なんとか立ち上がると、まずそれらが目に入った。

かろうじて見えるのは光が刺す自分の周囲数メートルの範囲といったところで、それ以外は何も見えない。とはいえ、状況からして自分はここに落ちてきたのだろう。

 続けて自分がぼろきれとなった鎧しか身に着けていないことに気付き、少々迷った結果『太陽の戦士の鎧』を身に着けた。まともな防御力を持ち、行動の邪魔にならないのはこれぐらいだったのだ。特徴的なヘルムが前面を開ける事もできない視界を確保しづらいバケツ型のものであるが、これは慣れるであろうからあまり問題はない。

 

 少しの問題は、感傷を誘う前面に描かれた太陽のシンボルであろうか。

 

 アストラはざらざらとした塗料を撫でながら、この鎧を着ていた男を思い出した。太陽を探していたあの騎士だ。

 彼の理由はいったいなんだったのだろうか。彼は、なんのために薪になろうと戦っていたのだろうか。

 

 ――どこか、思考の回転が鈍い。不死の代償が色濃くなってきているのだろう。ソウルは底を尽きずとも、先に脳がやられてしまいそうだ。

 

 アストラは一抹の不安を抱きつつ、真上を見上げる。

 枝が折れて生まれた、井戸の底から仰ぎ見るような丸い空。その中心の北極星がより輝いて見えた。

 




遅れました

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