言峰とアストラは教会を去った。
残った遠坂陣営がアインツベルン陣営と先の市街での宝具について教会で会談を行い、何らかの制限を科させるというのは時臣氏の性格をして明白だと言峰は思ったからだ。
移動はアストラの手で。逃亡先は言峰の決定で。異世界の魔術と代行者の潜伏術を用いたその行動は、衛宮切嗣としても捉え難いものだった。
そして翌日。予想通りに遠坂時臣は冬木の管理者としてアインツベルンを教会に招き、セイバーの対城宝具『
「わかりました。アインツベルンはその条件を承諾します」
アインツベルンのマスターとして来たのはアイリスフィール。当然セイバーも居、遠坂時臣もアーチャーを連れてきている。
「礼を言う。
続けて、アーチャーのマスターとしての提案をしたい」
魔術礼装であるステッキで冷たい床を叩き、時臣は言う。
「今回の聖杯戦争。あまりにもイレギュラーな参加者が多すぎる。聖杯を得るは堕ちた間桐などではなく、アインツベルンか遠坂でなければならぬというのにこの事態は問題だ。
その上、外様であるライダーのマスターも健在している」
間桐陣営のアルトリウス。言峰陣営になったと言うべきアストラ。
この両者が手を組めば、打倒遠坂もアインツベルンもあり得てしまう。万が一にもそのようなことは無いが、遠坂時臣は”万が一”もなくして挑むのが常の男だった。
「つまり、私たちはほかのマスターが脱落するまで不可侵ということで?」
「ああ、そう思ってくれ。
……もちろん、言峰綺礼も今となっては私の息のかかった監督役ではない。会い
遠坂時臣は言峰綺礼が離反したのが、父を殺した衛宮切嗣を倒すためだと思い込んでいる。神父の死体が、言峰綺礼の監督役の引き継ぎを辞する書置きと共に教会の地下に安置されていたからだ。
ならば、下手に彼らに監督役殺害のペナルティを科せるよりも、敵討ちをさせるべきだと思ったのだ。それに、銃の見つからない銃弾での殺害などに確固とした証拠はなく、預託令呪が消えているだけでは他のマスターがやったのではないかとシラを切られるだけだ。
故に、セイバーの宝具を封じさせる意外に言峰に助力できることはないのである。
「それは本当に貴方達にとっても?」
「当然だ。とはいっても、監督役の任の引き継ぎを放棄した理由など知れているがね。
そうだろうアインツベルン?」
眉ひとつ動かす事なく時臣は答える。璃正神父を殺したのはお前たちだろう、と言峰綺礼についてこれ以上触れさせないようにすることを狙いながら。ペナルティをアインツベルンに負わせることを捨ててまで、言峰に肩入れしようとしたのだ。
アインツベルンもこれは予想の内。こちらも牽制となる一言を告げる。
「アインツベルンからも離反者が出ています。名前はアストラ。服装は騎士甲冑か黒いスーツ」
その言葉に時臣は目を見開き、アーチャーが歯ぎしりをした気がした。
おもちゃを無くした上に、ペットに逃げられたといった顔だ。
時臣はアストラを知っている。アサシンが存命の折りにはその人間離れした戦闘力に感嘆し、所持する宝具とも言えるものに驚愕していたからだ。そして、アストラが陣営を裏切った理由を知らない時臣は、アストラを聖杯戦争のためにアインツベルンがあたため続けていたホムンクルスか何かではないかと考えた。
市民を好き放題に巻き込み、マスターを殺害するという戦法がルール外となったアストラには使えるのだ。自分が勝たなくとも命を落とそうとも、アインツベルンを勝たせるという目的ならば彼に達成できる。ようは、セイバー陣営以外を殺せばいいのだから。
「なるほど、こちらも裏切り者にふさわしいそれ相応の対応をしましょう」
「ええ、期待しているわ」
アストラに対しての不安を抱きながら、中身のない言葉を贈り合う。
両者にとっても、アストラと言峰綺礼が本当に袂を別ったか分からぬ以上は不安が大きい。
もちろん、アイリスフィールと共にいるセイバーも複雑な感情を抱いていた。アストラが去り、言峰綺礼がいないのだ。前者はセイバーの宝具で裏切り同然の攻撃を受け、後者は父が謎の死を――恐らくはマスターによる他のマスターへの預託令呪の配布を避けるために――遂げた。こうなれば、二人が手を組んだ可能性は高くなる。これは彼女側の皆が考えたことだ。
切嗣はそれについて特に言及しなかったが、今日の昼間に会った時には三画の令呪が二画残っていた。セイバーが使われたと感じたのは、二画の令呪であるのに。
こうなれば犯人は彼しかいず、彼女の予測は正しいものとなる。アインツベルン陣営だけを狙う新たな陣営ができたと言っても過言ではなくなってしまうのだ。
アストラが敵対したことに対してセイバーは後ろめたさと自責の念しか感じない。一瞬で二画の令呪を使って抵抗する間もなく決行させた切嗣を恨む気持ちもあるが、やはり実行した武器と腕を持つ自分に対する気持ちの方が大きかった。
死徒のような不死ならば拘束するしかないだろうが、それとは違うアストラには確実に殺す方法があるのだ。剣をもってアストラを打ち倒すのはセイバーにとっても骨ではあるが、一度殺すことができればいい。そういう方法なのだ。
できることなら戦いたくはない。だが、必要に迫られればセイバーはやるだろう。しかしそれでもまずは話し、和解策を探そうとする。
セイバーは良くも悪くもそういう人なのだ。当然、相手が刃を向ければ年端もいかぬ子供にでも応戦する人でも。
冬の森の地面に落ちる木の葉。数メートル以上にも積もったもみ殻。廃車場の無数の車両群。
それらを凌駕する数のアルミ缶のような蟲が、間桐邸の地下では蠢いている。
間桐の魔術師の修行の場。『蟲蔵』、そう称される拷問場のような場所だ。
「ガ……ギギッ…………」
数メートルほどの底。その中心に不自然な光景が広がっていた。
壁によじ登るように、必死にもがいて床に粘液の道を作りながら蟲が逃げようとしているのだ。本来ならただの餌。それにしか過ぎないうつ伏せに倒れた男に背を向けて。
「これはまたずいぶんと醜くなったものだな、雁夜よ」
底に落ちぬ、そこへつながる階段の上。後ろに回り込む階段ではなく廊下も兼ねた場所だが、言うなれば劇場の二階のような特等席。
そこに杖をついてしゃがれた声を上げるのは間桐臓硯。数百年も存在する人外に”成った”者であり、実質的な間桐家の当主である。
「ゾ……オ……■ン…………!!」
怨敵。まさにそれを見るといった様子で顔を上げた。
その顔は、熱病の末期患者のように酷い様である。
「カッカッ。しかし、出来損ないらしい姿は様になっておるぞ」
間桐雁夜。アルトリウスを召喚した際に間に生まれたパスを通じ、深淵に肉体を侵された。
彼は魔術を行使するために体内に蟲を無数に入れていた。髪の色が抜け落ち、左半身は醜く歪み。余命一ヶ月となっていたその肉体。そこに深淵が入り、肉体はさらなる変化を余儀なくされていた。
左の指先から鎖骨までの骨が裂け、逆巻きになるように皮膚を貫いたそれがさらに伸び、先端を残して包み込むように爛れた肌がそれを上った。真っ白に染まっていた左の眼球はその奥から花のような物が生え、白い顔に黒い肉の花が咲いている。
右半身といえば避難した蟲が蠢き続け、避けた肌が深淵による回復効果で歪な再生を続けている。時には本来の姿からかけ離れた蟲が、肉と皮を突き破って姿を現すのだ。
「不死。お主のはまさにそれであろうが、疎ましくもなんともないわ」
引きずり続ける左足からは絶えず血か毒かもわからぬ黒い物があふれ出し、床に触れては煙になって消えてゆく。
四肢自体の形も歪んでいるおり、そのゾンビをも超えた容貌は地獄の重罪人だと言っても通じることだろう。
この原因となったアルトリウスは今、蟲蔵と同じ階にある小部屋に押し込まれている。理性を失った騎士は主人の命令のみを忠実にこなす。
その対象が今はグウィンではなく間桐雁夜なのだ。脳を深淵に乗っ取られたと言ってもいい以上、餌を与えるものを優先するのは当然である。
しかし、バーサーカーを顕現する魔力も、雁夜から吸い出されているのだ。二日持てば御の字であろう。
暗い下水道。
それらをつなぐ木製の傷んだドアが、蝶番から声を上げながら開いた。
中からは一切の光も漏れず、下水道の影に紛れたそこに入る者も出る者の姿も無く閉ざされる。
「会談は有耶無耶に終わったようだ。時臣氏と教会を設計した者には感謝せねばならんな」
声と共に、闇にまぎれる黒色のカソックを纏った言峰が姿を現した。そして、声は通るが光が通らないもう一枚のドアを開け、その中に入る。
第一次聖杯戦争直前に教会によって作られた、知る人ぞ知る小さな拠点。監督役を父に持ち、優秀な男であった彼が知っているのは当然のことである、
言峰は木の椅子に座った。軋む音が立ったが、壊れることはない。
一方、アストラは部屋の中にこもりっきりで言峰の黒鍵のうち三本を『楔石』による全体性能の向上を図っていた。
作業をしながら片手間に、セイバーたちはどんな様子だったかとアストラは問うた。
「セイバーの顔に現れてはなかったが、平静ではなかったな。目が懺悔室を訪れる者のそれだった」
十中八九、アーチャーもそれに気づいているだろう。とアストラは言った。
「当然だろうな。財の象徴のような男だ、アーチャーの観察眼は鋭いという物ではない」
だが、と言峰は続ける。
彼は絶えず人を観察してきたため、人の感情の変化は身近な人ならば予想できた。自分と違う人々に、絶えず羨望の念を抱きながら。
「それを時臣氏に伝えたりなどは絶対にしないだろう。その上、時臣氏本人はそのような微細なものに気づく性質でもない」
アストラは時臣という男がすごく憐れに思えてきた。弟子が離反した上に、サーヴァントがまったく協力的ではないのだから。
「ともかく、我々は期を見て衛宮切嗣に接触する。いいな?」
もちろん、とアストラは言峰に賛同する。
それに、元よりそれも視野に入れて動いていたようなものだ。裏切った以上、アインツベルンに尽くすという選択肢が外れて言峰へと傾いただけである。
「それで答えを得られれば私はこの戦争から離脱するが、お前はどうする?」
アストラは既に答えを考え出していた。
完成した強化版の黒鍵を床に置くと、可能なら帰るべき場所に帰り、不可能ならばお前について行く。と言った。
現時点では言峰しかいないというのもあるが、彼の一生涯が気になるのである。
「そうか。せいぜい、どっちのキョウカイにも見つからないようにするのだな」
にやり、と意味ありげな笑みを浮かべながら言峰は言う。
アストラとしてはもう追われる生活というのはこりごりであるのだが、追われるだけの理由があるのは彼も自覚できる。魔術師にとっては垂涎モノの存在であるのがアストラなのだ。
一方で自覚がないのだろう。が、自分の意気消沈を目にして口角が吊り上りつつある言峰に、アストラは思わず苦笑いを浮かべた。
「どうした? 心配することはない。私はそういった手回しは得意でな。聖杯戦争の混乱に乗じればある程度はどうにかできるぞ」
生き残る。これはまだ分かる。だが。
混乱は起こらない方がいいだろう、とアストラは言った。
すると、言峰は一瞬だけ目を見開くと、すぐに目を閉じて言った。
「…………ああ、そうだな。その方がいい」
溜息を吐き、彼は顔を手で覆う。
それを見てアストラは思い出した。自覚する。つまり、そうであることを肯定してしまうと引っ張られてしまうのだ。
だがそれは逆の場合もある。
偽物だと自分が分かっているなら本物になろうとすればいい。なりきっていればいつかは成れる。アストラはフォローを入れるように言った。
「私はこれまでもそうしてきたつもりだ」
それは自覚していなかったからだ。それに、偽物でも本物よりも責務を果たしているならそれは本物より素晴らしい。
「それはただの綺麗事だ」
否定する言峰。しかし、具体的な反論ではない。
アストラは返答として。いつだって嘘みたいな綺麗事はあるし事実の一部でもある。そう言った。
「あくまで前向きに行けと?」
鼻で笑う言峰に。ならばお前は何を信じて、何のために生きる。と聞いた。
すると、思い出を想起するように目を細めた後、アストラに背を向けた。
「気分が悪い。少し休ませてもらう」
さらに奥へと向かう言峰。
うまくいったか。そう思いながら、アストラはその背に次はどうするか軽く聞いた。
「聖杯の”器”。それをお前に奪ってきてもらう。それを餌に衛宮切嗣を待つ」
器?
「ああ、お前も目にしたことがあるだろう。
セイバーのマスターを名乗っていたアインツベルンのホムンクルスだ。名は、アイリスフィールといったか?」
息を飲んでアストラは立ち上がり、 その肩を掴み、アストラは思わず言峰を引き止めた。そして、聖杯の器というのはどういうことなのか、と問い詰める。
アストラは知らない。が、切嗣が、言峰が知っていて隠していたこと。
やはり情報は小出しにされるらしい。
「聖杯とはただの器。前回の聖杯戦争ではそれ自身に自衛能力がなかったために戦闘中に壊れてしまった。
だから、今回アインツベルンは聖杯を”ホムンクルス”にしたのだ」
聖杯に成ればどうなる。
「聖杯はある意味消耗品だ。となれば、どうなるかは決まっている」
アストラはしばし思案した後、回避する方法はないのか。そう聞いた。
「生まれた意味。アレはそれを果たすだけだ。それがなければ生まれもしなかったのだから、本人も納得しているだろう」
そのために生まれたから納得している。そんなわけはない。
神の都合で生贄にされる人間たちが。奴隷として生まれた人間たちが。『不死の英雄』となる人生を奪われた者たちが。皆がみんな納得などしているものか。
「納得がいかないか。ならば、どうする?」
苦しげな表情を見、腕組みをしながら問いかける言峰。だが、アストラに今反論するに足る手段はない。
となれば、アイリスフィールを連れてきて調べるのが得策か。アストラは医者ではない上にホムンクルスの肉体と言うのをしらないが、様々な神の都の遺物がある。
また、彼女が生存するという事は聖杯が現れないということであり、言峰の願いはかなわなくなる。だが――――
アストラは新たな課題について思考をフル回転させながら、言峰の提案を受け入れてアイリスフィールを拉致する事を決めた。その時の彼の表情は苦しいもので、言峰の表情は少し機嫌がよさそうなものであった。
ついったー:@SenzaiNoshi
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