緊張感があってよかったよね
どろりとした、まるで結晶の呪いのような嫌悪と憎悪の感情を募らせる力。それを遠方に察知したアストラは飛び起きた。
全部屋が和室となっている平屋の一室から眺める外は、すで夕暮れ時となっている。
だが、禍々しい力を感じ取って飛び起きたせいか、アストラには落ちる陽が平穏の終わりを告げるフクロウのようなものにしか感じられなかった。
セイバーに報せよう。そう思い立ち上がった時、駆け足で廊下を走る足音が彼の耳に入る。
「アストラ、すぐに出発です!」
部屋の前に飛び出したダークスーツを着た彼女の声に答えながら、着心地のいい『絵画守りの長衣』とその下から『ダークスーツ』にアストラは着替えて彼女を追う。
一瞬で変わったように見えるといってもセイバーは目の前で着替えられたのが不快で眉をひそめたが、そんな場合ではないと彼を先導するように門へと走る。
開いた門から見えるのは、銀色の車。その後部座席にはアイリスフィールが乗っていた。
「乗ってください」
運転席へ乗り込むセイバーに促されてアストラが乗ると、彼女はアストラがドアを閉めた瞬間にエンジンをかけてアクセルを踏み込んだ。
「飛ばします。しっかり掴まってください!」
最高速で市街地を禍々しい力に向かって走る車の中で、アイリスフィールは前の座席に腕を伸ばして体を止め、シートベルトをしていないアストラは四肢に力を入れて踏ん張るのであった。
セイバーの運転する車はものの数分で冬木市を分断する川――未遠川までたどり着くと、ハリウッド映画さながらのスピンターンを用いて川沿いの通りで急停車した。
ドアを開き切るのも待たずに彼女は車を飛び出すと、その先に魔力の源がいるであろう川の堤防へと走る。
周囲は濃霧で覆われており、サーヴァントかそのような存在でなければ周囲の状況を把握することはできないだろう。
アストラはというとセイバーの代わりにアイリスフィールに車から降りないように告げると、『上級騎士』の装いに着替えてセイバーの去った方向を見つめる。
堤防の上に立つセイバーが話す相手は、声からしてキャスターらしい。彼が相手となれば面倒な事態になるだろう、とアストラは確信してアイリスフィールに『黒金糸のローブ』を手渡して上からでも着るように言った。
スカートからフードまで一体となった『黒金糸のローブ』は軽い上にそこそこの防御力もあるため、急場しのぎとして彼女に着せさせるのは丁度いいと思ったからだ。
「これは……」
その古さ故かアイリスフィールは少々興味を持った目でそれを見たが、危険が迫っていると思い出してすぐにそれに頭を通して着た。
「これでいいの?」
そう言う彼女を目にしたアストラは、そのすらりとした体型からこの服を着ていた呪術の師――クラーナを思い出した。
呪術の祖。であり、七人のイザリスの魔女の娘の一人のクラーナ。その彼女はどこに消えたのだろうか、と彼女の身を案じたが、彼はすぐにアイリスフィールから視線を外す。
「どうかした……?」
だが、アイリスフィールはその視線に気づいたらしく心配そうにアストラに問う。
その問いに彼は「何でもない」といったようなはぐらかす言葉を述べると、『鉄の指輪』も彼女に渡した。
『伝説の騎士王レンドルが身に着けていた指輪は、持ち主を鋼のように固くする』
伝説の一文が脳裏をよぎり、そういえばセイバーも騎士王だった。と思い出すと同時に、子供のころは騎士王レンドルの御話は大好きだったと、アストラは忙しく思い出に浸った。
だが、その緩んだ糸を断ち切るスピードで、一気にそびえる山のように川の中の魔力が膨れ上がる。より深く、毒々しい色をした霧が堤防の向こうから溢れ出し、辺り一面を異界の光景へと変えへゆく。
毒はないようだが不気味さや、その中から何かが飛び出してくるかもしれないという恐怖心が煽り立てられる光景だ。
だが、それに注意がいかなくなるほどの恐ろしいモノが、ゆっくりと常況とは大きく異なる未遠川から起き上がりつつあった。
「大きい……!」
近くに渡された、冬木市のシンボルともいえる赤い大橋。高さはそれの数倍、幅はそれと同等の見上げると頂点が見えないような山のような全体像。色は毒色。巨大なタコと言っていい容貌をしているが、その臭いは潮の匂いなどではなく異界の臭気だ。
『混沌の苗床』のような、何もかもが醜悪な生き物。このようなモノを市街地に出現させたキャスターをアストラは本気で恨むと同時に、この化物の体内にいるであろうキャスターをどう仕留めるか思い悩んだ。
『混沌の苗床』を倒す際には、エネルギー源とされていた『イザリスの魔女の娘』を包んでいたオーブを破壊して弱体化させた。だが、この生物に何かが取り込まれた形跡はなく、弱体化させて中心部を破壊するという戦法をとる事が不可能に思えるのだ。
その時、アイリスフィールを庇いながら思い悩むアストラの耳に、空を駆ける車輪の音が入った。
「よお、アストラ。いい夜だな、と言いたかったがそうはいかんらしい」
タクシーのような気軽さで二人の横に留まったライダーの戦車は、牽引する神の牛が一頭欠けている。
そういえば一頭を仕留めたのだった、
「征服王……!」
そして、河川敷にいたセイバーも彼の魔力を感じたのか、それとも戻る気でいたのか、この霧の中でも分かる金髪を輝かせながら一直線に跳んで来た。
その手には、見えない剣を握りしめて。
「おお、騎士王ではないか。……それと、今夜ばかりは休戦だ。こんな化物の存在が、看過できるわけがあるまい
さっきから一夜の盟を組もうと、呼びかけ回っておるところだ。すでにランサーはこちらに向かっておる」
「他のサーヴァントは?」
「アサシンとバーサーカーは論外として、アーチャーは馴れ合いじみた事に賛同するようなタマじゃないからのお」
聖杯戦争においての一晩の同盟という背中を刺されそうな事柄に少々不安を覚えたアストラであるが、そのメンバーに不安はないので征服王との会話はセイバーに任せることにした。
魔術師との一晩の盟などは信用できないと言い切れてアストラも結びたくはないが、ライダーやランサーなら問題ないと思えたのだ。
「了解した。こちらも共闘に異存はない。しばしの盟だが、共闘を誓おう」
当然の同盟を受けたセイバーにアストラは順調だな、と思いながらアイリスフィールに同盟に何か問題があるかと聞いた。
彼女は数秒逡巡したが、凛とした姿勢で口を開く。
「アインツベルンは休戦を受諾します。ライダーのマスター、よろしくて?」
アイリスフィールは殺し合いをした仲だというのに、快諾しようとするアストラが分からなかったのだ。無論、セイバーとライダーにも疑問を抱いたが、彼らは交戦していない。
だが、アストラは舞弥からの話によると、交戦したらしい。アストラは壊れた物を魔法で直しているようだが、本来は二頭立てだった戦車の牛を一頭屠られたことに、ライダーは何の遺恨も感じないのかと。
だが、そんなことを顧みず、共闘しようとしている彼らを見ると、そういうものと思ってしまう。
「僕も賛成だけど……。火力もそうだけど、上から見た感じあの化物のせいで川の水が増えて飛べないと辛いぞ
アインツベルン、あんたらに策はあるのか? 戦った事があるんだろ」
そう言うライダーのマスターが言うとおり、川は現在増水して大海魔と言うべきモノに近づくには飛べでもしないと沈みそうなのだ。
「ともかく速攻で倒す他ないわ。今はキャスターの魔力で現界を保ってるのでしょうけど、あれが人を取り込んで自給自足できるようになったら手におえない。
アレにとって、冬木市はただの餌場なのよ」
「なるほど。陸に上がって食事を始める前に、やつを叩かんといかんわけか」
ライダーは難しそうに唸る。
アストラは、キャスターは恐らく奴の体内で魔力を供給し続けている。ならば、人が食われる前にそれを叩けば問題ない、と言った。
「だがなあ、分厚い肉の壁だ。どうする?」
「そんなもの、引きずり出せばいいだけのこと」
ライダーの疑問に答えるように、暗闇から声が聞こえた。
輝く輪郭から始まり、実体化を終えたのはランサーだ。
「名も知らぬ戦士よ。俺以外には名乗っているそうだが、これが終わり次第語ってもらうぞ。
生き返った、不死のカラクリもな」
突如現れたランサー。彼はアストラの蘇生を一度目にしているのだ。
その事に踏み込んだ言葉に、アストラが凍りつく。
「アストラ……?」
しっかりとランサーの言葉を聞き取っていた、アイリスフィールがアストラを見た。
だが、彼は顔を逸らし、沈黙を貫く。
まさか今それを言われるとは夢にも思っていなかったアストラは、突然すぎるランサーの首をはねてやりたくなった。
そこにいる全員が、兜ごしにアストラの顔を突き刺す。
その視線がかつて自分が不死院に行くまでに幾度となく浴びせられた憎悪の視線に思え、アストラは眩暈を覚えた。
この土地での不死の扱いを知らぬからこそ、アストラには恐怖がある。彼は不死であることを恨んではいないが、知られて虐げられることを恐れている。
彼は、あくまで人間なのだ。
「――――アストラ、アイリスフィールは任せました」
だが、セイバーは何もなかった様子でそう言った。
「……ああ。やつを露出させてくれれば、俺の槍が獲物を外すことはない。頼んだぞ」
「おうよ、今回ばかりは坊主が気絶せんか心配だが、空を駆けるのはお手のもんだ」
何もなかったかのように進む会話に、アストラは困惑した。
だが、これはわざと話を逸らしてくれたのだ。そう理解し、アストラの中でこの化物を倒そう、という気持ちが大きくなった。
「私は湖の乙女の加護で水の上を歩けますが、ランサーとアストラは?」
セイバーの問いに、ランサーは無論不可能だと答える。
アストラはそんなことはできない、と少々考えた後に断言した。
「では、援護をよろしくお願いします」
「セイバー、一番槍はいただくぞ!!」
水の上であろうと走破できる二人。戦車で大海魔へと走るライダーとセイバーは、一足先に大海魔へと突撃を開始した。
具体的には、襲い掛かるバスほどの大きさの足を雷で焼いたり、切り裂いたりしているのだが。
自分もできる援護をしよう、とアストラは『粗布のタリスマン』を手にする。そして、『雷の大槍』を放とうとしたところ。
「――――戦士よ、すまなかった。少し考えれば、知られたくないことだというのは分かったはずだ」
何が、と言うほどアストラは呆けてはいない。
彼はただ、問題ない、と一言返して前を見ていた。
「だが、お前は肉体があるのだろう。我々は聖杯戦争が終われば座に還るが、お前は……!」
魔術師たちの中に残された、不死と知られた男の末路。それが、幸福になるなど到底思えない。戦士として評価する者が消えた現世に残されたこの戦士は、いずれ魔術師に。
ランサーはそう考えたのだ。
だが、アストラは自分も元の場所へ帰る、と言う。ランサーが"元の場所"について問う前に、帰れなかった時は責任をもって飯を食わせてくれる人がいる、と冗談めいた口調で言った。
「…………分かった。生きてくれ、戦士よ」
真剣な眼差しで敵にそう言うランサーにアストラは呆れると、手に『雷の大槍』を出現させ、話は終わりだという意思を見せつける。森で出した時とは違い、巻き添えを恐れないアストラにできる最大出力。連続した使用など到底不可能だが、それは彼の最大火力であると断言できる。
「すごい……」
大海魔も警戒するほどの、太陽の光の王の長子の力の質。信仰心がずば抜けているというわけでもないアストラが使う事でかなりの弱体化を遂げているが、アイリスフィールが瞠目し、ランサーが息を飲む。
使うための大きな隙を考えればあまり実用的ではない"槍"なのだが、大きな的に当てるには何も問題は無い。
左半身を前に、槍を持つ手のある右半身を後ろに。腰を回し、肩を振り、その手に持つ五メートルほどの戦神の槍を投じる。
線香花火の音をもっと早く、強くしたような雷鳴を周囲に轟かせながら、一直線に大海魔へと向かう。
だが、無抵抗に受ける的ではないようで、セイバーとライダーを相手していた触手がその軌道上へと雪崩のように殺到した。
本体に当たるのを避るため、数メートルほどの太さの触手へと槍が衝突する。雷の槍との接触に一切の拮抗は無く、水滴がつくる波紋のように雷を残していくつもの触手を貫き続ける。そして、触手の群の先へとその身を進ませた。
着弾。そして、周囲には醜悪な大海魔の叫び声と、その後方には毒でもあるのではないかという体液が消えゆく雷の槍の速さに乗って飛び散った。しかし。
「――――ダメか!」
ランサーの言うとおり、大海魔のその身に空いた数メートルの穴はその図体には小さすぎ、その核となるキャスターには当たらなかったようだ。オマケに、その再生力は異様に高いようで、すでにその孔は塞がりかけていた。
真摯な信仰心を持つ上に、太陽の戦士としてアストラとは比べものにならない回数の人を助けた太陽の騎士ソラール。彼ならば一気に大海魔の身を削る事ができ、自分と違い何度かは続けて打てただろう、とアストラは奥歯を噛み締める。
現に、彼の槍は触手を貫きはしたが、それに雷を削り取られて威力が落ちてしまっている。そして、彼は一度最大出力で放ったのなら、そう何度も『雷の大槍』を撃てないのだ。
そして、セイバーとライダーはアイリスフィールと共にいるアストラに注意が集中せぬよう、一呼吸の間にに大海魔へと攻撃を再開している。
この図体の相手では、自分は何もできないも同然。ならば、とアストラが霊体を召喚するために白サインを探そうと地面に視線を向けた途端、全身を舐められたような悪寒を感じて後方を見た。
遠く、川を渡る赤い橋。その上で、剣を引きずる黒い騎士。
アルトリウスだ。
アストラは大声で、ランサーにアイリスフィールを守るように指示を出す。そして、川の中央で戦うセイバーに向け、バーサーカーが近くにいると大海魔の鳴き声にも劣らぬ大声で叫んだ。
そして、砕かれる剣と盾をしまって『アルトリウスの大剣』を右手に持ち、左手に『呪術の火』を持つ。発動する呪術は『内なる大力』。発動の段階に入ったそれをアストラは手のひらの中に抑え込むと、その熱で手をほぐしながら剣を両手で握った。
『内なる大力』は炎の力を直接取り込み、本人の力を数段上昇させる呪術だ。その補助を得ることができれば、アルトリウスと接戦――いや、圧倒できるかもしれない。
だが、ほとんどの不死がその呪術を、できることなら使わずにおきたいと思っているほどの負荷がある。
足元の白いサインに限界数である二回答えたアストラは、それを背後に赤い橋へと猛進する。
その音に気付いたアルトリウスが首を上げ、獣の視線がアストラの姿を射抜いた。
「■■■■■■■■■■■■!!」
騎士の砲弾のような跳躍にアスファルトが砕け、剣の交わる爆発のような音が濃霧を吹き飛ばした。