案山子を説得することに無事成功した射命丸文は、ここにきて予想にもしなかった問題に直面していた。
――それは。
「歩行不可な案山子さんマジ案山子さんです……」
「それ、悪口言ってんのか愚痴言ってんのか判断つかねーんだがとりあえず殴っていいよなっつーか殴る」
「ちょ!? そんなことしたら二人揃って地面へ向かって真っ逆さまですよ!?」
大きな翼を羽ばたかせながらツッコミを入れる文に、案山子は「チッ」と吐き捨てるように舌を打つ。
創られてから一度も歩行したことがない案山子は、考えるまでも無く地面の上を歩くことができなかった。予想はしてなかったが凄まじい程に納得できてしまう現状に、全
案山子が歩行できないとなると、移動するためには文の飛行能力が必要不可欠となる。むろん、文が案山子を抱えた状態での飛行、ということになるのだが。……まぁ、それでもちょっぴり幸せそうな文は大してきついとか思っていないようだけど。
案山子の身体に抱き着くように飛びながら、文はあっけらかんと言い放つ。
「畑から出たことがないとなると、案山子さんの身体には無数の汚れと黴菌が繁殖してるという訳ですかねー?」
「人形にもカビが生えんだし、俺もそんな感じなんじゃねーの? まぁ、とりあえずは自分の匂いなんて分からねーけどさ、俺」
「ぶっちゃけ、凄い臭いです。このまま落としてもいいですか?」
「胸揉むぞこの野郎」
「…………」
パッ←文が手を離す音。
バタバタバタ! ←案山子がエアウォークする音。
結論。
地面に向かって真っ逆さま。
「バッ!? な、なにしとんじゃわれェえええええええええええええええッ!」
「おーおー良い落ちっぷりですねぇ、案山子さぁん。このまま勢いよく落下死しちゃいなYO!」
「俺が悪かった! 俺が悪かったからそんなイイ笑顔で見捨てよーとすんな! これマジで洒落になってねーッ!」
「えー。でもでも、今の案山子さんって臭いから掴んじゃうと私まで臭くなっちゃうことに……今までありがとうございました! お達者で!」
「ちょ!? マジで放置なんかコレ!? っつーかテメェ猟銃のコト絶対に根に持ってんだろ! これ猟銃の仕返しだろ!」
「………………あややぁ?」
「お前これ無事に生還したらぶっ殺す!」
したり顔でペロッと舌を出す文に怒りを覚えながらも、歩けない案山子は地面へと勢いよく落ちていく。
☆☆☆
結局、地面に直撃するギリギリのところで文に助けてもらった案山子は、妖怪の山にある文の自宅へとやってきていた。もちろん、文にはどぎつい拳骨を参回ほど喰らわせている。あの時の案山子さんの目はマジだった、と後に涙目で文が語ることになるのだが、それはまた別のお話。
案山子と文がここに来た目的はただ一つ。
汚れと黴菌の苗床となっている案山子の洗浄だ。
「いきなり風呂入れとか言われても……今まで一度も入ったことねーから、身体の洗い方とか微塵も分かんねーんですけど……?」
「とりあえず汚れでも落としてください」と脱衣所に放り投げられた案山子は、ブツクサ文句を言いながらも、長きに亘り風雨にさらされ続けたせいでボロボロになってしまった装束を脱いでいく。正直そのまま燃えるゴミとして廃棄処分した方が環境のためになるのだろうが、このぼろ雑巾しか持っていない案山子にそのようなエコ精神なんてものは微塵も存在しない。これしかないからまた着る、ぐらいにしか思っていないのだ。
脱いだ装束を籠の中に放り込み、浴室へと足を踏み入れる。歩けないと言っても流石に一歩ぐらいなら問題ない。最悪、地面を這って動けばいいし。
浴室は幻想郷には似合わない洋風な作りになっていて、意外と大きい浴槽までもが併設されている。こんなのどこに売ってたんだろうか、という素朴な疑問が浮かぶが、なんてことはない。これは件の発明河童が趣味で作り上げた浴室なのだ。もちろん、蛇口の水は温度調整が可能となっている。河童の科学力は幻想郷一ィィィ! という叫び声が聞こえた気がした。
「体を洗う、体を洗う……この布切れみてーなの使えば良いんかな? でも、これだけで汚れ落ちんのか……?」
何もかもが初めてな案山子にとって、身体を洗うというイージーな行為ですら難易度エクストリームなミッションと化してしまう。歩けない何も知らない何もできない、という悪循環が三拍子そろった今の案山子は、正直言ってお荷物同然だった。やはりこの案山子は畑の中央で鳥類を撃ち落すのが向いている。
さて、どうすればいいのだろう。体を洗えと言われたのは良いのだが、やっぱり方法が分からない。なんか見たことも無いケースがたくさん並べてあるが、とりあえず『シャンプー』とは一体全体何なのだろう? 浴槽を洗浄するための道具か何かなのだろうか。
とにかく何もかもが分からない、といった様子で困惑する案山子さん。
そしてそんな状態でちょうど五分ほど居続けていると――
『案山子さーん? 全然水音が聞こえてきない気がするんですが、どうしましたー? もしかして、身体の洗い方が分からないとかじゃないですよねー?』
「…………そのまさかだよ滑稽だろ笑えよ笑えばいいだろあーっはっはっはって笑えばいいだろ!」
『あややー……流石にそこまで無知だとは思ってなかったですねー』
ぷくくっ、と笑いを堪える鴉天狗の様子が扉越しに察せてしまい、案山子の額にビキリと青筋が浮かび上がる。
――すると。
『このままでは埒があきませんからね。仕方がないので――私が洗ってあげましょう!』
は? と案山子が間抜けな声を出すよりも早く――
――浴室の扉が勢いよく開け放たれた。
驚き慌てた様子で扉の方を振り返ってみると、そこには肌の上にタオル一枚というあられもない姿になった清く正しい鴉天狗の少女の姿が。豊満ではないが形は整っている胸がタオル越しにはっきりと視認出来てしまい、思わず顔を逸らしてしまう。
案山子は彼女から視線を外して俯きがちに、
「……バッ、バカじゃねーの、お前!? 何いきなり入ってきてんだよ! しかも裸で!」
「あやや? だって服を着てたら汚れちゃうじゃないですか。それに、さっきの飛行で私も汗を掻いてしまってますからね。どうせあなたは一人では身体も洗えないことですし、ここで私もついでに汗を流せば一石二鳥っぽくないですか?」
「二鳥どころか鳥の大群が全羽クラッシュされとるわ! あまりの威力に跡形も残ってねーぐらいだわ! つ、つーかせめて服着ろ! ココお前ン家なんだから部屋着ぐれーあるだろ!?」
「そりゃ確かにありますけど……あややぁ? もしかして案山子さん、照れちゃってますぅ? 鳥の天敵である案山子さんが、鴉天狗である私の裸を見て、照れちゃってる感じですかぁ?」
直後。
案山子の頭の中にあるのかないのかよく分からない脳みそ付近から、何かが勢いよく引き千切れる音がした。――俗に云う、堪忍袋の緒とか言うヤツだろうか。
「あぁん?」額に数多の青筋を浮かべ――頬や眉間にも浮かんでいる――ひくひくと頬を引き攣らせる案山子さん。あまりの迫力に文が思わず一歩引いてしまうが、案山子はそんな彼女の手を掴むことで逃走を妨害する。ひゃっ! と文は女の子らしい悲鳴を上げる。
案山子は怒りマークが溢れに溢れた笑顔を文の眼前に突き付け――
「テメェの裸見たぐれーで興奮するわけねーだろーが。――今ここでそれを証明してやらぁ!」
「――――――――、え?」
――文の肢体を包む白い布を、勢いよく剥ぎ取った。
呆気にとられすぎているせいで動けないのか、文はただただ茫然と案山子の顔を見つめるのみ。
形の整った胸の先はツンと立っていて、程よい肉質の太ももの間には逆三角形の股間が露わとなってしまっている。無駄な脂肪が無いおかげで見事なくびれが出来上がっていて、逆に程よい脂肪のおかげで美しいヒップラインが描き出されている。すらりと長い両脚は、まるでモデルのように細かった。
完全無欠の素っ裸を前に、一気に冷静になる案山子さん。さっきまで頭に血が上っていたからか、冷静になって思ってみると、自分は凄くダメなことをしてしまったのではなかろうか。年頃の少女を素っ裸にさせるとか、どこの変態だよ。
困惑と混乱のせいで状況把握が遅れていたのか、文の顔が数秒経ってやっとのことで赤く染まっていく。目尻にはうるうると涙が溜まってしまっていて、口はわなわなと震えている。心成しか、肩も震えているような気がする。
全裸で怒りに震える鴉天狗と、ギリギリ全裸未満で青褪める案山子。かつてここまでミスマッチな光景が存在しただろうか。――まぁ、二人の容姿は人間のそれと大して変わりないのだが。
なんとかこの状況を打破しなくてはならない。直感でそう悟った案山子はそっぽを向きながら頬をポリポリと指で掻き、
「い、意外とエロい身体してんだな、お前」
「~~~~~~~~ッ! し、死ねぇ!」
全力で殴られた。
☆☆☆
案山子と鴉天狗が妙なラブコメを披露している頃、博麗神社にて。
霊夢不在のために一時的に仕切り役となってしまった霧雨魔理沙は、せっせと指示出しに精を出していた。
「あー……えっと、秋姉妹はそこの梅の木の下にシートをあるだけ敷いてくれ! ――って幽香ぁ! 一人だけ雑草眺めてサボってんじゃねぇよ! お前は提灯を垂れ下げる係だろうが! はいっ、ブーブー文句垂れないっ!」
基本的には自己中でマイペースな妖怪たちに、魔理沙の神経がガリガリと削られていく。
やけに長かった準備期間を経たというのに、宴会の準備はまだ八割方しか終了していない。文の計画が順調に進んでいるのならば、件の案山子と文が博麗神社に来るまで、そう時間は残されてはいない。早くて三十分、遅くて一時間。そんなあまりにも短すぎる残り時間で、彼女たちは宴会の準備を終えなければならない。
霊夢に予め渡されていた宴会時の位置取りが記された紙を片手に、魔理沙は声を張り上げる。
と。
「あらあら、結構出来上がってきてるじゃない。流石は宴会好きの妖怪たちですわね」
「……私じゃなかったらショック死してたぞ、今の突発的な登場」
「涙目で胸を抑えながら言われても、説得力ありませんわね」
「うるさいんだぜ」
何の前触れも無く魔理沙の真横の空間に隙間が開き、中から全体的に紫色の雰囲気を醸し出す――金髪の美女が現れた。
彼女の名は
この幻想郷の管理者にして、幻想郷最強の妖怪と言われている――年齢不詳のスキマ妖怪だ。
スキマから上半身だけを飛び出させ、大きな扇子で口元を隠す紫。相変わらずどこまでも得体の知れない紫を前に、魔理沙は疲れたように溜め息を吐く。
「で、今日は一体何しに来たんだ? 言っとくけど、霊夢は今不在だぜ?」
「それは重々承知してます。というか、今日は宴会なんだから、お酒を飲みに来たに決まっているじゃない。せっかく外の世界のお酒を持ってきてあげたというのに、随分な対応ですこと」
「お前は胡散臭ぇから疑う分には限りねぇんだよ。――で、本題は何だ?」
「……………………鋭い子は嫌いじゃないわ」
全てを射抜くような視線を向けてくる魔理沙を見て、紫はパチンと扇子を畳む。
紫は全てを見透かすような瞳を細め、更にその瞳で魔理沙の瞳を射抜きながら――
「件の案山子の『正体』についての、獲れたてぴちぴちな情報をお届けに参りましたわ」
――妖艶に美麗に華麗に笑った。
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