というコンセプトの下、完結まで頑張っていきます。
それでは、今日も鴉天狗が絡んできます、スタートです。
空が青い。雲が白い。太陽が……って、太陽って赤と黄色どっちなんだ?
そんなことを考えながら、『彼』は今日も畑の中央に立っていた。
ぼろい笠とぼろい着物を身に纏った『彼』は、ぽけーっと空を見上げていた。身体の中から一本の棒が飛び出していて、その棒は畑の中央にブッ刺さっている。この棒を除ければニンジンの一本ぐらい植えられそうだが、それは言うだけ無駄なこと。この棒は『彼』の体重を支えるためのものであり、『彼』の存在を示すためのものであるからだ。
ただ立っているだけと思われる『彼』の唯一の仕事は、この畑の作物を外敵から護ること。鳥が来たら全身全霊で威圧して追い払い、それでも駄目なら自分の両手に繋がれている紐を全力で揺らすのだ。この紐には今まで撃ち落された複数の鳥の死体がぶら下げられていて、この紐を揺らして死体を強調することにより、鳥たちにこの畑が危険であることを伝えるのだ。まぁ、別に危険なんて一ミリも無いけど。
自分を作った人間の子孫たちがせっせと仕事に励んでいるのを眺めながら、『彼』は満足そうに微笑みを浮かべる。――うん、今日も平和な案山子日和だ――と。
そしてまた、『彼』はぽけーっと空を見上げる。いや、ぽけーっと言うより、空を眺めつつも監視をしているのだ。これだけは譲れない。心地いい陽気とかゆっくりとした雲の動きのせいで凄まじいほどの眠気が来ているのは否定しないが、それでもこれは監視なのだ。
『彼』は重くなっている瞼を必死に押し広げながら、太陽を笠で隠して空を見上げる。
「うん。今日も平和な案山子日和だ」
☆☆☆
畑仕事を終えた人間達のうちの一人が、汗を拭いながら『彼』の元へとやって来た。
相も変わらず感情の乏しい表情で立っている『彼』の足元に鎮座している岩の上に皿を置き、その人間は満面の笑みを浮かべながら『彼』にこう語りかけた。皿の上には、大きなおにぎりが一個だけ。
「今日も畑を護ってくれてありがとうなぁ。この握り飯ば食べて、明日もこの畑を護ってくだせぇ」
「…………」
人間の言葉に、『彼』は答えない。
当たり前だ。『彼』は人間にとって田畑を護る案山子であり、会話を楽しむための友人でもなんでもないのだ。
田の神、農業の神、土地の神――という三つの呼称を持っている
『彼』に向かって手を合わせ、人間は皿の横に竹筒を置いた。中には、透き通った水が入れられていた。
「案山子が握り飯なんちゅうもんを食べれるとは思わんのやが、アンタはいつも綺麗さっぱり平らげてくれちゅう。もしかすっと、アンタはほんまもんの九延毘古様なんかもしれんなぁ」
「…………」
人間の言葉に、『彼』は答えない。
ただ、黙って両腕を少しだけ上下に揺らした。しゃらんしゃらんという音が鳴り、それに合わせて鳥の死体も上下に揺れた。何とも滑稽な光景だなぁ、と『彼』は笠の下で薄ら笑う。
子どもだったら泣いて逃げるであろう光景を前に、人間は数秒間ほど目をしばしばと開閉させ、
「あっはっは! こりゃ驚いた。まさかほんまに案山子が動いとるように見えるとはなぁ。長生きはしてみるもんじゃのう」
「…………」
人間の言葉に、『彼』は答えない。
「そんじゃ、また明日」人間はもう一度だけ『彼』に向かって両手を合わせ、畑の外へと歩いて行った。自分が丹精込めて育てた作物を踏みつけないように気を付けながら、人間は遠く遠くへと去って行く。そんな人間の背中を、『彼』は黙って見送っていた。
人間の背中が完全に消えるまで見送った『彼』は、「ふぅ」と小さく息を吐いた。まるで一日の疲れを吐き出すかのように、『彼』は小さく息を吐いた。そんな『彼』は――まるで人間のようだった。
だが、それは有り得ない。『彼』は人間ではなく案山子なのだ。畑にただ突っ立って作物を見守り、空からやってくる外敵を牽制する。ただそれだけのために創られた『彼』が、様々なことを為せる人間であるはずがない。『彼』は腐っても案山子、朽ちても案山子なのだから。
人間が去ってから数分が経ち、太陽が山の向こうに沈み始めた。鴉天狗やら河童やらが暮らしている妖怪の山の向こう側に、黄色と言うより赤色と言う方が正しい太陽がゆっくりと沈んでいく。
幻想郷。
妖怪や神様や幽霊や亡霊や魔法使いや妖精や仙人や。人々から存在を否定されてしまうそのような非常識な連中の楽園とされる、非常識な理想郷――それが、この幻想郷だ。
幻想に生き、幻想を生み、幻想を生かす。全ての幻想を護るために造られたこの幻想郷は、平々凡々とした日常からはとてつもなくかけ離れているような世界である。妖怪が人を喰らうのは当たり前、人が妖精をいじめるのは当たり前。――そして、人外と人間が同じ寺子屋に通うのも当たり前。
神を信仰したい時は、実際にその神に会いに行ける。
妖怪を怖れているときは、妖怪退治を生業とする巫女に依頼する。
仙人になりたければ、そこら辺にいる仙人に弟子入りすればいい。
肝試しの為に墓場に行けば、陽気な幽霊たちが全力で怖がらせてくれる。
魔法を使いたいならば、魔法使いに弟子入りすればいい。
そんな有りもしない幻想を有りもしない現実と置き換えた理想郷こそが、この幻想郷なのだ。
故に、案山子である『彼』に自我があるのも別にそう珍しいことではない。ぶっちゃけた話、『彼』に自我があることを知っている輩は結構いる。人里に数人、妖怪の山に数体、魔法の森に二人、博麗神社に一人。他にもさまざまな連中が、『彼』が普通の案山子でないことを重々承知している。
だが、『彼』は自分の主人の前ではただの人形――案山子であり続ける。喋られても動かず、話しかけられても答えず、触られても微動だにしない。別に主人のことが嫌いなわけではない。ただ、『彼』は約束したのだ。自分を作った一人の少女と、一つの約束をしただけなのだ。
――たとえ私が死んでも、案山子としてこの畑を護っててくれる?――
当たり前だ、と『彼』は今でもすぐに頷ける。その答えに迷いはなく、彼の意志に歪みはない。
自分は人間ではなく案山子だ。四六時中畑に立って、ただぽけーっと畑を見守る案山子。そんな案山子に言葉なんて必要ないし、動作なんて必要ない。案山子はただ黙って畑を見守っていればいいのだ。
だが、普通の案山子と違い、『彼』には言葉と動作が与えられていた。一人の少女の願いが詰まった案山子は、一人の少女の願いによって『彼』へと変貌を遂げたのだ。
少女の幻想が形となった、たった一人の木偶の坊。
少女の幻想を護る為に生み出された、たった一人の朽ち男。
少女の幻想に全てを捧げた、たった一人の
神の憑代だから自我を持ったのか、それとも憑代を求めた神だからこそ自我を持っているのか。その答えは、誰一人として分からない。『彼』にも分からないし、今は亡き少女にも分からない。ただ言えることは、『彼』は少女の幻想通り、ここに立ち尽くして畑をずっと守り続けるということだ。
太陽が完全に山の向こうへと行ってしまい、畑が漆黒の闇に包まれた。鳥は鳥目で夜が苦手だから、『彼』の仕事は今この瞬間に終了したということとなる。――まぁ、だからなんだという訳でもあるのだけれど。
朝だろうが昼だろうが夜だろうが、『彼』は畑を護り続ける。自分の居場所であるたった一つの小さな畑を、『彼』は寝る間も惜しんで護り続ける。――まぁ、転寝してしまうことが多いのだけれど。
古き良き日本の様な幻想郷の夜空は、言葉では言い尽くせないほどに美しい。名前も知らぬ無数の星々が作り出す、絶妙な芸術品。光を失い闇に染まった幻想郷の夜だからこそ、この美しさが堪能できるというものだ。
『彼』は相も変わらず両腕を真横に伸ばしたまま、『棒の上で組んでいた両脚』を棒の下にググッと伸ばす。狭い棒の上に腰を下ろし、『彼』は脚の関節をゆっくり解していく。
一通り屈伸運動を終えたところで、『彼』は「ふぅ」と息を吐き――
「あやや? もう案山子ごっこは終わりですか?」
「うるせー黙れ。俺は案山子だ。それ以上でもそれ以下でもねーんだよ」
――音も無く現れた少女に、なんとも乱暴な言葉を放った。
その少女は左手でメラメラと燃える炎が点された松明を持っていて、その松明の炎は少女の姿を余すことなく照らしていた。
濡れそぼった鴉の羽のような黒髪に、無邪気というか活気に満ち溢れたぱっちりとした黒い瞳。頭の頭襟と赤い高下駄風の靴が特徴的で、無数の紅葉が彩られた半袖シャツと白いフリルのついた黒いスカートを身に纏っている。腰には特徴的な形状の扇子が差されていて、右手には『文花帖』と記された手帳が所持されていた。
だが、そんな特徴を一蹴できるほどの異常な特徴を、その少女は持っている。
鴉の羽と寸分違わぬ巨大な黒い翼を、その少女は背中から生やしていた。
「相変わらず胡散臭ぇ翼だな、ソレ。鴉なら鴉らしく、俺を怖がってどっか遠くへ行ってくれ」
「あやや。随分な対応ですね、案山子さん。毎晩貴方の慰めものになっているこの私に、その口の利き方は果たしてどうなんでしょうかねぇ?」
「誤解を招くよーな言い方すんじゃねえ! 誰がお前みてーなガキで慰められるか!」
「オイちょっとそのツッコミ待てコラ」
あからさまにイライラした様子の『彼』の言葉にカチンと来たのか、少女は額にビキリと青筋を浮かべ、『彼』に向かって人差し指を突きつけた。
「この美少女たる私に向かってその言い方は一体どういう領分ですか! 貴方のことを記事にしたことでこの畑の訪問客が増えた恩を、忘れたわけではないでしょうね?」
「その増えた訪問客のせいで俺の仕事が倍増しちまってるわけなんだが……ッ!? 不法侵入及び盗難の罪で地獄送りにしてもらってもいいんだぞ……ッ!?」
「あ、こんなところに相も変わらずおにぎりがありますね。いただきまーす」
「オイコラ話聞けよ!」
ビキビキビキィ! と額のあちこちに無数の青筋を浮かべる『彼』を華麗にスルーし、少女は『彼』の足元に供えられていた握り飯を遠慮することなく頬張った。半分に食い散らかされた握り飯の中から、梅干し特有の香ばしい香りが漂ってくる。
「はぁぁ」と『彼』は顔に手を当てて溜め息を吐き、少女の頭に軽く手刀を落とす。
「で? 今日は何しにわざわざこんなところまでやって来たんだ、鴉天狗な新聞記者さん?」
「『清く正しい鴉天狗』なこの私、
そう言って、少女はくいっと水を飲んだ。
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