始業式
四月七日。
雲一つない青空。輝く太陽の光が地上へ降り注ぐ。暖かな日差しを受けて地上の生命はより活き活きとしているようだ。街の沿道に植えられた桜の木はすっかり花開き、街の景色を色鮮やかに彩っている。
そんな街に出てきている人間は様々で、腕時計を何度も確認しながら歩くスーツの男性やイアフォンで音楽を聞きながら携帯を弄りバスを待つ若者、朝から玄関前の鉢植えに水をやる奥さんなど各々がそれぞれの朝の時間を過ごしている。中でもよく目に付くのはデュエルアカデミアの制服を着た学生だ。男子は青のブレザーに臙脂色のネクタイ、紺のズボンを、女子は赤のブレザーに黄色の細いリボン、黒のスカートを着用している。仲の良い友人を見つけると彼らは「おはよー」「久しぶりー」「元気してた?」と挨拶を交わし一緒に学校に向かう。
そう、今日は学校の始業式の日だった。
「はぁぁぅ……」
周りでは快活な挨拶が交わされる中、俺は大きなあくびをしていた。
約一ヶ月弱の春休みの最中も狭霧の仕事がある日は午前8時には起こされる生活を続けていたのだが、学校が始まると起床時間がさらに一時間前倒しになって辛い。2時ぐらいまで起きてデッキの調整やら依頼のスケジューリング、雜賀や治安維持局とのやり取りなどをする生活を少し改めるべきか。ここのところはさらにサイレント・マジシャンのデュエルアカデミアの入学手続きなどもあり立て込んでいたせいで、体に気怠さが残っている。
そう、いつもなら俺の傍らで浮遊しているサイレント・マジシャンは今居ない。今日からデュエルアカデミアに転入する手筈なので、一足先にデュエルアカデミアに向かっているのだ。今日を迎えるのが楽しみだったのか、昨晩からそわそわと落ち着かない様子だった。
ちなみに彼女はデュエル実技の特待生としての転入なので学費は最小限に抑えられた。入試当日、彼女にしては珍しく“必ず成し遂げてみせます。マスターは安心して待っていて下さい”と強い言葉を残していったのが印象に残っている
「…………」
しかし四六時中俺の側に居るサイレント・マジシャンが居ないというのはどうにも慣れないものだ。別段会話を普段から多くしていた訳では無いが、かといって居なくなられると何かが足りないという感じがする。まぁこれもこの生活をしていればその内慣れる事だろう。
そんな事を考えながら歩いていると校舎に着いた。下駄箱前の張り紙には新しいクラスの張り紙がされている。なんでもここのクラスは学年末のデュエル実技試験の成績順で毎年変わるシステムになったとか。それも一昨年から赴任してきた教頭のハイトマンとか言うヤツが来てからの事だそうだ。幸いデュエル実技の成績だけは学年でトップなので、そのシステムによって何か不自由を被った事はない。今年も無事トップクラスに配属され奨学金も受け取る事が出来た。
「…………」
教室に入ると既に半数以上の生徒が来ているようだった。仲の良いグループで集まり、立ち話をするグループや椅子に腰掛けて話すグループもいれば、一人で読書に勤しむ者や勉学に励む者も居る。ドアが開いた事でグループで話をしていた人間から一瞬こちらに視線が向けられるが、直ぐに視線を戻して話に戻っていった。大方まだ来ていない仲良しグループの人間が入ってきたのか確認しただけだろう。当然挨拶を交わす間柄の人間など学校には居ない。
席は名前順になっているため、俺の席はいつも窓側の最後尾と決まっている。人との接触を避けるにはお誂え向きの席だ。春休みの課題しか入っていない薄っぺらな鞄を席の脇に置き、今日も今日とてHRが始まるまで睡眠学習に入る事にした。サイレント・マジシャンの入学で忙しくなる事を見越して、ここ一週間は丸々依頼の受注をしなかったおかげで今日の放課後は完全にフリーだ。デッキの調整の事であれこれ悩む事無く何も考えずに寝られそうである。しかし、何も考えないで目を瞑っている時程、周りの話し声というものは聞く気が無くても入ってきたりするのだ。
「なぁ、今週の“月決”もう手に入れたか?」「あん? 発売日は今日だろ? まだ買ってないわ」「実は俺……一昨日フラゲを完遂したのだ」「でかした、軍曹! それでブツは?」「……ここに」「こやつ……出来るっ! 早く中身を!」「焦るなよ、番長。早漏は女の子から嫌われると言うだろう?」「黙れよ、童貞野郎」「うっ! だが、俺の受けたダメージと同じ分だけお前にもダメージを与える!」「ぐあぁぁっ!! って、こんな茶番は良いからとっとと見せろや」「そうであった。まずは表紙だ」「うぉぉぉ!! ミスティぱねぇ!! 谷間エロっ!!」「そうであろう? 流石はデュエリストモデル! ドレスもまた実にたまらん!」「あぁ! この表紙だけでも三冊買う価値はある」「同意だ。……実はもう、家に二冊買ってある」「流石軍曹、抜かりねぇな。俺が一目置くだけの事はある」「よせ、照れる。しかも今月は女性デュエリスト特集、全106ページ! あらゆる職業の隠れ美人デュエリストにインタビューだ!」「神か? 神なのか?!」「中でも注目の記事は……これよ!」「おぉ!! 明日香先生じゃん! 全然この年を感じさせない肌にこの美貌、そしてこのパイ乙と太ももの肉感! くぅ〜そそるねぇ!」「おい、脳筋番長! お前の目は節穴なのか? 写真じゃない! ここの記事を読め、記事を」「あ? んな記事なんて二の次だろって、えぇぇぇぇぇ!! 何? 明日香先生、ここ来んの?!」「そうなんだ! 生で明日香先生がいらっしゃるのだ! これは大ニュースだろ!」「やべぇ! えぇっと、カメラの準備は出来てるか、軍曹! 明日香先生を見るのは当然だが、後にも残るものが欲しいぞ」「無論だ、既にレンズもしっかり磨いている」「流石は軍曹! そう言った隙はないな! それで、他に何かないのかよ」「それはだな……」
「…………」
ね、寝れない……こうも隣で馬鹿騒ぎされると全く寝付けない。
こいつらが騒いでる“月決”とは月刊決闘者と言う雑誌の略称で、幅広い層のデュエリストに読まれている人気雑誌の一つだ。プロデュエリストは勿論、この二人が話しているような様々なデュエリストにスポットを当てているので、デュエルに本格的に関わりを持たない人でも手に取りやすく、その評判はよく耳にする。よく耳にするのだが、このタイミングにおいては耳に入ってくるこの評判を憎んだ。
誰かこいつらを止めてくれないか……
そんな俺の願いが聞き入れられたのか、この二人の会話に割って入る救世主が現れた。
「ちょっとアンタ達!」「む? なんだソバ子」「ソバ子って、私のそばかすの事言ってんの?! 相変わらず失礼ね! 人の気にしてる事あだ名にしないでくれる!」「あぁあぁ、分かった分かった。我々は今忙しいんだ。後で相手してやるから、それでよかろう?」「“それでよかろう?”じゃ無いわよ! アンタ達うっさいのよ! 教室には女の子も居るの! それなのに校則違反のそんな雑誌なんか持ってきてデカい声で騒いで! 少しは周りの事も考えなさい! 大体ねぇ、アンタは昔から————」
素晴らしい。そう俺は心の中で賛辞を贈っていた。どうやら女子の誰かが隣の騒ぎを収めにきてくれたようだ。女子特有の甲高い声が少し耳に響くが、これでこの場が収まるのなら安いものだ。残り時間何分とも分からないHRまでの、貴重なスヤスヤタイムの確保に希望の光が見えた時、状況はさらに動き出す。
「————良い? 分かったら返……事…………っ!」「あぁ、分かった……ってどうしたのだ?」「いや……その……この人……」「ん? あぁ、キングの秘書やっている人か。いつもキングしか見てなかったからちゃんと見てなかったが、よく見ると滅茶苦茶美人であるな」
「………!」
「ねぇ……その人、名前なんて言うの?」「ん〜どれどれ……狭霧深影さんと言うらしいが……それがどうかしたのか?」「そう。狭霧深影さん……ね……」「おい、番長。なんだか急にソバ子がしおらしくなったぞ。心なしか顔も赤いように見える。熱でもあるのか? ……って番長?」「はぁ……」「……どうしたのだ、ため息など吐いて。それに先程から一言も話していなかったが」「……軍曹、こいつはダメだ。この瞳の輝き、紅潮した頬。間違いなくこれは恋をしてやがる」「何だと!? そうなのかソバ子?」「なっ!? あ、あんた、何勝手なこと言ってんのよ! そ、そ、そんな訳無いじゃない!!」「ソバ子な上に貧乳と来て百合とは……そんなんだから需要がなぼへっ!」
ドムッ! と言う低い音と同時に腹の底から空気が吹き出す音が響く。
「フンッ!」「うぅっ……み、鳩尾に……」「番長、今のはお前が悪い」
あからさまに不機嫌であるという風な足音が遠ざかっていく。見事な腹パンを貰ったらしい番長と呼ばれていた男が再起不能になったことで、ようやくこの騒ぎも終息を見たようだ。こうなったのもソバ子(仮称)のおかげである。これでやっと何も考えずに一時の休息が得られると思い、心地よい微睡みの中に意識を落とそうとした時、
「おはよう、みんな揃ってるか?」
担任の教師が教室に入ってくるのだった。ちくしょう。
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「今年からの新クラスと言うことだが、まぁ去年とメンツはほとんど変わってないみたいだな。担任も引き続き俺だ。もう見飽きてるだろうが今年もよろしく。でまぁ、早速連絡事項に入りたいところなんだが……その前に今日から新しくお前達の仲間になる転入生を紹介する」
担任のその言葉から新学年でのHRが始まった。当然、転入生と言う言葉で周りはざわつき始める。美男・美女に期待を膨らませる者もいれば、それに冷や水を浴びせるような現実論をぶつける者、我関せずとどうでも良さげに頬杖をつく者など反応は様々だ。残念なことに期待通りの美少女がやってくることを知っている俺はこれからの騒ぎになると予想し、両手で頬杖をつきながら自然に両耳に手を添えていた。
「入って良いぞ」
「はい」
鈴が響くような声。聞いていて心地の良い返事と共に彼女は教室に足を踏み入れた。そしてその姿を見た瞬間、ざわつく生徒の声は止み、全ての視線が入ってきた彼女に集まる。中には喋ることを忘れてしまったのか、口を半開きにしたまま固まっている者までいた。
そんな教室の様子に気付かず、彼女は担任から受け取ったチョークを使って自分の名前を黒板に書いている。黒板に縦に大きく字を書いているとその艶のある長い白の髪がふんわりと揺れる。こうして制服姿を見るのは初めてだったが、女子の赤の制服を着ると髪や肌の白さが際立って見えるな。
「や、山背静音です。今日から一緒のクラスで一生懸命頑張っていくので、よ、よろしくお願いしますっ!」
一生懸命頑張っていく……か。なんとも要領を得ない挨拶だが、それはまた実に彼女らしい。余程緊張しているようで自己紹介は噛み噛みだった上に、お辞儀をするその動きもガチガチに固かった。そんなことでは笑われてしまうぞ?
しかしそんなサイレント・マジシャンの挨拶を受けても尚、クラスの反応は固まったままだった。まるで魂まで抜けてしまったかのように呆然とサイレント・マジシャンを見つめている。教室に静寂が続く中、担任もまさかこんなことになるとは思っていなかったようで反応に困っていた。そしてそれは俺も同じだった。まして顔を上げたサイレント・マジシャンは何か不味いことをしてしまったのではないかと不安そうな表情を浮かべている。
パチ……パチ……パチ……
そんな空気を打ち破るように渇いた拍手の音が教室に響く。
いや、誰もが音を立てないでいる中、堂々と音を立てると言うのは勇気がいるものだ。拍手をしながら現在進行形で妙な汗が流れているのを感じていた。
音の出所が俺だと気が付いたサイレント・マジシャンは意外に思ったらしくキョトンとした顔に変わる。それは担任も同じだったらしく意外そうな顔を浮かべていた。
それから間もなく一人、また一人と思い出したかのように拍手が連鎖していく。そして最後は生徒全員からの盛大な拍手へと変わった。どうやらクラスの人間も彼女を受け入れてくれたようだ。それに心の中で安堵しながら、改めて教壇の上に立つサイレント・マジシャンを見る。
「……!」
心臓に悪い。全く良い笑顔だった。
彼女の心の純粋さが滲み出た朗らかな笑みを向けられ、クラスの男子の心が恋のピストルで撃抜かれた擬音が聞こえたような気がする。事実胸を押さえて悶える男子が二名程視界の端に移った。
「じゃあ山背。お前は名前順の出席番号の最後だから、あの窓際に座ってる一番後ろの八代の後ろの空いてる席に座れ」
「はいっ!」
サイレント・マジシャンが移動するとクラス中の視線が彼女に合わせて移動していく。そんな視線を気にすること無く歩いてきたサイレント・マジシャンは俺の斜め前で一旦歩を止めると、小さく礼をしてから俺の後ろの席に着く。ここで、ようやく彼女がこの苗字にしたのかが分かった。初めから俺の後ろの席を取るためだったようだ。
「それじゃあ、来たばっかの山背に学校の事を色々教えてやってくれ。学校の案内はそうだな……丁度席が前の八代、頼めるか?」
「っ! ……はい、問題ないです」
まさかそんな役が担任から回ってくるとは予想外だった。向こうからしたら重度のコミュニケーション障害の持ち主と思われているだろうに。いや、寧ろそうだからこそ、これを機に少しでも俺の対人コミュニケーションを改善していこうという向こうの計らいなのかもな。
ただ正直俺の都合でここに入学する事になったサイレント・マジシャンには、せめてなるべく自由にここで生活させてやりたいと思っている。勢いで了承してしまったが、こう言ったクラスメイトと関わる重要なイベントは俺ではなく、なるべく早くクラスに馴染めるよう他の生徒がやった方が良いだろう。
「ちょっと待った!!」
割って入るように声が起きたのは俺が丁度そんな事を考えている時だった。その声の主は勢い良く挙手したまま立ち上がると言葉を続ける。
「その役、是非この俺に任せてくれ! 熱い闘魂アカデミア案内を届けてみせる!」
「待つんだ、先生! おっぱい星人の番長にそんな役目を任せてはならん! 代わりに俺が出向こう! 一分の隙もない綿密なアカデミア案内の計画は既に出来ている!」
「現在進行形で鼻血を出してるヤツに言われたくねぇな、軍曹!」
「違う! これは決してやましい事を考えていた訳ではない! ただ……そう、うっかり戦艦の角に鼻をぶつけただけだ!」
「あんた達本当うっさい! こんな男共に任せておけないわ! ここは女子を代表して私が案内役を務めさせてもらうわ! 女子が気になる所が分かるのはやっぱり同じ女子だけよ!」
「「百合は帰れ、ソバ子!!」」
「なんですってぇ!!」
あれよあれよと言う間に大騒ぎになっていた。担任は頭を抱えため息を吐き、他のクラスメイトは面白くなってきたとばかりにその光景を楽しんでいた。サイレント・マジシャンもこの光景を見てクスクスと笑っている。ただ俺だけはこの状況に顔を引きつらせていた。
このままではあの三人のうちの誰かがサイレント・マジシャンを案内することになる。クラスに馴染めるように他の生徒が案内した方が良いと思っていたが、この三人に任せたら案内という名目で何をされたものか分かったものではない。そんな危機感を感じて俺は考えるよりも先に口を動かしていた。
「先生」
「「「…………っ!」」」
あれだけ騒がしかった教室が俺の一声で一斉に静まり返る。一年間自分から発言をしたことがなかった人間が突然発言するとこうなるのか。周りの生徒からの視線が一斉に集まり誰も口を開かないという状況は少々辛いものがある。担任も俺からの発言に少し驚き固まっていた。
「な、なんだ、八代?」
「俺にやらせて下さい」
「「「…………っ!?」」」
「ふむ……じゃあ山背。お前が案内役を選ぶと良い」
「え?」
担任の一声でようやく我に返った案内立候補者たちはサイレント・マジシャンに自分を指名してくれとアピール合戦を始める。周りの生徒はサイレント・マジシャンが誰を選ぶのかと注目していた。
そんな周りからの視線にサイレント・マジシャンは戸惑っていた。それぞれの立候補者たちに視線を向け、最後にどうしたら良いかと視線で俺に訴えかけてくる。それの返事は敢えてしなかった。最後の選択はサイレント・マジシャンに任せようと思ったからだ。それから少しの間が空いてサイレント・マジシャンは口を開いた。
「えっと。じゃ、じゃあ…………八代君。よろしくお願いします」
「……あぁ、わかった」
「「「えっ? えぇぇぇぇえ!!」」」
教室に叫声があがったのは直ぐの事だった。
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あの後は始業式の会場であるホールに移動し、校長やら来賓の見知らぬ年寄りのどうでもいい話を聞いたり、校歌を歌ったりを一通り終え始業式を済ませた。始業式を終え教室に戻った後は担任からの今後の授業の連絡を二三受け、最後に春の課題を回収して解散となった。
だが俺は当然そのまま帰宅と言う訳にはいかず、自分から申し出たサイレントマジシャンの学校案内をした。しかし学校案内と言っても常に精霊状態で俺の側に居た彼女からすれば全て既知のものであり、そんな彼女に改めて学校案内をすると言うのは無駄な時間という以外の何物でもなかった。ただ移動する度にサイレントマジシャンに集まる好奇の目は未だしも、俺に向けられる男子からの嫉妬の視線はなかなかに鬱陶しかった。尤も何故だか終始キラキラとした笑顔のサイレントマジシャンを見れば、そんな煩わしい視線などどうでも良く感じられた。
「ありがとうございましたー。またのご来店をお待ちしていまーす」
そんなこんなを乗り越えて俺とサイレントマジシャンは間延びした何とも気持ちのこもっていない挨拶を背に本屋を出るのだった。筆箱ぐらいしか入っていない鞄のおかげで買った本が嵩張らずに済む。
「マスター」
「マスターはよせ。他に誰もいなくても実体化してる時は八代で統一しろ」
「すいません……では、や、八代君」
「なんだ?」
「珍しいですね、雑誌を買うなんて。何を買ったんですか?」
「……今月の月刊決闘者だ。狭霧さんが取材されたらしい。それでちょっと気になってな」
「そうですか」
サイレントマジシャンは俺の返答に不思議そうな顔を浮かべていた。確かに普段の俺らしからぬ行動であるのは自覚している。ただどうにも最近は少し狭霧に避けられている気がしてならない。
それはやはりあんな事があったからか。あの時は確かに色々大変だった。泥酔してフラフラの体を支えれば色々と当たるし、足がもつれた拍子に押し倒されるし、しまいにはあんな事を迫られるし……とにかく大変だった。
俺としては狭霧に避けられたところで生活に問題はないのだが、何分狭霧の家で世話になっている身だ。狭霧の生活に影響が出るのならなんとかしなければならない。だから狭霧と普通に話すための話題作りとしてこれを買ったのだ。
一応サイレント・マジシャンにあらぬ勘違いを与えないよう、念のため購入する際は決して表紙を表にすることなくそのまま鞄に入れた。
表紙を飾っているのは今世界でも注目されているデュエリストモデルのミスティ・ローラ。抜群のスタイルと美貌を兼ね備え、世界中の男性を虜に女性からは羨望の眼差しを向けられているとか。今回の表紙でも胸元の大きく開いたワンレッドのドレスを見事に着こなしていた。が、主観では狭霧もサイレント・マジシャンも負けないくらいの美人ではないかと思う。
「……? 私の顔に何かついてますか?」
「いや、そうじゃない。そう言えば、初めての学校はどうだった?」
「あっ、はい! とても楽しかったです! 最初はクラスに受け入れてもらえるか不安だったんですが、その……マスターが拍手を最初にしてくれたおかげで皆さんに温かく迎え入れてもらって……それに学校案内まで率先してマスターにしてもらえて、本当に幸せでしたっ!」
「! そ、そうか、それは良かった……それとマスターはやめろ」
「あっ……すいません」
至近距離での幸せ全開な笑顔の不意打ちは反則だ。思わず顔を逸らしながらも呼称のマスターの訂正が間に合った。まぁサイレント・マジシャンがアカデミアを楽しんでくれているのなら良かった。
現在二人で練り歩いているのはシティの繁華街。普段は依頼がない限りは直帰していてあまり出向く事が無い場所だったため、目に映る店の一つ一つが新鮮に映る。時刻は昼前なので街を歩く人々は少ない。しかしそれにしても二人で並んで歩くだけでも数少ない視線が時折サイレント・マジシャンに向けられるようだ。あまり目立ってしまうと今後動き辛くなる可能性があるので、何か対策を考えた方が良いかもしれない。
隣を歩くサイレント・マジシャンは変わらず視線を気にした様子は無い。少し俯き気味に歩く彼女の横顔を眺めていると、ふと何かを思い出したかのように彼女は顔を上げ、足を止めた。
「そう言えば、今朝登校する時に少し気になった事が……」
「何があった?」
「誰だか分からないんですが、ずっとこっちを見てる男の人が居たんです」
「……今も見られまくってるが?」
「えっ? あ、いや、こんな視線じゃ無くてですね。もっとこう……なんて言うんでしょうか、私の外見ではなく“私”を見ると言いますか……」
「……場所を変えよう。詳しく聞く必要がありそうだ」
止まっての立ち話だと視線を集める上に誰に聞かれるか分からない。近くで目に入った喫茶店に足を運ぶ事にした。腰から一階部分の天井程の高さまでの大きなガラスに囲まれているため、外からでも店内の様子がよく見える。ランチタイム前なのでガラス越しの席に腰掛ける人も居なく、店内は割と空いているようだった。店先に出たエメラルドグリーンと白のストライプの雨除け、ガラスが埋め込まれたグリーンの扉、そして扉に置かれた黒板には白いマグカップに注がれたコーヒーの絵と一緒に『ランチタイム11:00から セットドリンク1杯おかわり無料』と可愛らしい丸文字で書かれていた。
扉を開けると内側につけられていたドアベルがカランッコロンッと小気味好い音が鳴る。その音を聞き正面のレジに立っていた店員はこちらに振り向き「いらっしゃいませ」と朗らかな営業スマイルと共に迎え入れてくれた。
「お二人でよろしいでしょうか?」
「あぁ、はい」
「畏まりました。それではご自由に空いている席にお座り下さい」
店内を見渡すと外から見た通り客は少なかった。パソコンと向き合っているスーツの男が腰掛けている店の奥のトイレ近くの席に以外は空いているようだ。俺たちは話が聞かれないよう、店の外がガラス越しに見渡せる二人テーブル席に向かい合って座る。
「ご注文がお決まりになりましたら、お呼び下さいませ」
「じゃあとりあえずブレンドコーヒー、ホットで。山背さんは、決まってる?」
「私はミルクティでお願いします」
「畏まりました。ブレンドコーヒー1つとミルクティ1つですね」
「はい」
店員に注文を済ませるとサイレント・マジシャンに向き直る。初めて入る喫茶店にキョロキョロとしていたサイレント・マジシャンだが、俺の様子に気付き話の続きをするために姿勢を正す。
「……正体に気付かれたのか?」
「どうでしょうか……嫌な力は感じましたが、本質を見抜く力は無かったと思います」
「嫌な力?」
「多分ですけど……十六夜さんと同系統の力だと思います」
十六夜アキ。デュエルアカデミアの学年合同デュエルで対戦した当時中学二年生の少女。あれから学年が一つ上がり今では中学三年生のはずだが、未だに彼女は学校を休学中と聞く。その彼女のデュエルの腕は同世代では飛び抜けたものがあり相当な苦戦を強いられた。だが俺を苦しめたのはデュエルの実力だけではない。
「……カードを実体化させる能力か」
「はい」
デュエル中に召喚したモンスターをソリッドビジョンでの映像ではなく文字通り実体化させる能力。それによりモンスターの攻撃は実体を持ってプレイヤーを襲う。その能力の恐ろしさは身を以て体験済みだ。しかしそんな能力の持ち主となるとやはり十六夜と関係があるのだろうか? いや、この事実だけでそれを結びつけるのは早計か。
「失礼致します。コーヒーのお客様は、こちらでよろしいでしょうか」
「あっ、はい」
丁度いい会話の切れ目に店員がやってきた。俺の前には清潔感のある真っ白な受け皿に乗せられた空の白いコーヒーカップが置かれる。空っぽのそのカップに銀のポットに入れられたコーヒーが注がれていくと、コーヒーカップからは湯気と一緒にコーヒーの香ばしい香りが広がっていく。
「お好みでそちらのシュガーポットのお砂糖とこちらのミルクをお使い下さい」
「分かりました」
続いてサイレント・マジシャンの前に受け皿に乗った白いティーカップが置かれる。その中にまず小さなポットに入れられたミルクが注がれていく。そして次に白いティーポットから紅茶が注がれる。俺の前はコーヒーの香りでいっぱいのため分からないが、サイレント・マジシャンの穏やかな表情を見ればその香りがどのようなものか容易に想像できる。
「以上でご注文の品はお揃いになりましたでしょうか?」
「はい、大丈夫です」
「それではごゆっくりどうぞ」
お辞儀をして店員は戻っていく。なかなか丁寧な接客だ。そうなると自然とコーヒーの味の期待値も高まる。別にブラック派では無いのだが、一口目はそのまま頂く事にした。
コーヒーカップはあらかじめ熱してあったらしく人肌よりも温かい。口をつけたコーヒーも一気に口に含むには少し熱かったが、それでも呑めなくも無い熱さだった。
口に広がる苦み、そして後から訪れるコーヒー独特の酸味。コーヒーにそこまでの拘りはなかったが、ブラックのまま呑んで美味しいと感じたのは初めての事だった。それは酸味よりも苦みが効いているコーヒーの方が好みだったからかもしれない。
「ふぅ、美味しいですね」
「そうだな。適当に入った店だったけど当たりだったみたいだ」
サイレント・マジシャンもミルクティーの味に満足しているようで何よりだ。流れで二口目を口に運んでいたが、やはりこのままでも美味い。食堂を伝い胃に流れ込んだコーヒーの熱が体を内側から温めていくのを感じる。
「それと、これは不確定なんですが……」
ティーカップを皿に置きながらサイレント・マジシャンは紅茶を味わう優しい表情から打って変わった硬い表情で口を開く。コーヒーを満喫するあまり本題を見失っていたが、彼女がこうして切り出してくれたおかげで意識を再び切り替える事が出来た。
「気になった事は全部言ってくれ」
「はい。その男はこっちを見て何か呟いたんです。口の動かし方しか見てないんで確証はないんですが……」
「……なんて言ってるように見えた?」
「おそらく“見つけた”って」
「……見つけた、か」
随分と雲行きの怪しい話になってきた。サイレント・マジシャンを見つめていた男が十六夜と同じ力を持っていると言うだけでもキナ臭い話だと言うのに、それがサイレント・マジシャンを見知っているとなるといよいよ問題だ。しかしサイレント・マジシャンが実体化して行動を開始したのはつい最近の事。こんな短期間でサイレント・マジシャンを探すとなるその動機はなんだ?
「……まさかファンか?」
「違うに決まってるじゃないですか!」
「いや、あながちそうも言いきれないぞ? 山背さんは異性を惹き付ける魅力があるからな」
「ふぇっ?」
そんなことを言われると思っていなかったのか、なんとも間抜けな反応が返ってくる。それを自覚してないところがまた厄介でもあり、彼女の良さでもあるのだろう。もしもこれが自覚ありだったらあざといだけだ。
「マス、あっ、八代君も……そう、思いますか?」
「ん? そうだな。俺もそう思うぞ」
「そ、そうですか……」
小さい声でそう返事をすると、サイレント・マジシャンは顔を下げながらミルクティーに口をつける。ミルクティーの熱のせいか白い髪から顔を見せている耳が赤くなっていた。
俺もここらでコーヒーにミルクを足して呑んでみるか。店員が置いてくれた白いミルクピッチャーを軽く傾けると黒いコーヒーの色が変わっていく。底の見えない黒だった色は内側から広がる白い煙のような流れに触れ茶色に変化していった。それをかき混ぜると『融合』のイラストのように黒と白が混ざり合いバニラモンスターのカードの色になったところで落ち着いた。
それを口に運んでいる時、カードの裏面のデザインが頭に浮かんだ。あのデザインはコーヒーを混ぜている時にでも思いついたのだろうか? そんなどうでもいい疑問は口に含んだコーヒーと一緒に流れていった。ミルクを入れた事で味全体の角が取れマイルドになりこれはこれで美味しい。
「っと、話が逸れたな。その男に心当たりは?」
「……はっ! はい、どこかで見た事があるような気がしないでもないんですけど……思い出せません」
「そうか……特徴は?」
「え〜っと、サングラスをかけてました。全体的に長めの褐色の髪で、特に長い前髪を右に流しているのが印象に残っています。服は……どこにでも居るようなグレーのスーツでした」
「ん〜……俺にも心当たりは無いな……」
「すいません、私がちゃんと覚えていれば……」
「いや、気にするな。ただ今後その男を見つけたら直ぐに教えろ。それと今後接触を仕掛けてく可能性もある。警戒を怠るなよ」
「わかりました」
恐らく確実にこの男は近いうちに何か仕掛けてくる。俺はそう確信していた。しかし動機がまるで分からない。冗談半分で言ったサイレント・マジシャンのファンと言うのが本当に今のところ濃厚な程だ。いや、実際にそうだったらどれ程良い事か。だが現実はそんなに甘く無い事など嫌というほど分かっている。
「はぁ……まぁぼちぼちランチタイムみたいだし、とりあえず昼飯にするか。このランチセットで良いか?」
「あっ、はい。大丈夫です」
「よし。あの、すいません!」
「はい! 只今お伺いします」
呼びかけると気持ちのいい返事が返ってくる。店員がやってくる間に他のメニューを眺めているとコーヒーの種類が以外に豊富な事に気付いた。中でもブルーアイズマウンテンと言うのは一杯3000円もするらしい。『青眼の白龍』の攻撃力と値段をかけているのだろうが、果たしてこれを頼む人間が居るのだろうか? 少し世界の広さを感じた。
「お待たせしました」
「ランチセット二つお願いします」
「畏まりました。ではセットメニューからお食事とドリンクの方をお選び下さい」
「俺はビーフカレーとブレンドコーヒーで」
「私はミックスサンドとミルクティーをお願いします」
「はい。ドリンクはいつお持ちすればよろしいでしょうか?」
「食後で」
「畏まりました」
注文を受けた店員は厨房の方へ戻っていく。ランチタイムに入った事でちらほらと客が増えてきたので店員も忙しそうだ。話題に区切りがついたのはちょうど良かったらしい。
そんな様子を眺めているとサイレント・マジシャンとこの前一緒に飯を食べに行った事を思い出した。あの時は何故だが彼女はガチガチに緊張しているようだった。しかし今の彼女からはそんな緊張している様子は見られない。
「? どうかしましたか?」
「いや、この前飯を食べに行ったときの事を思い出してな。あの時はやたらガチガチだったけど、やっぱり体調悪かったのか?」
「えっ? あっ!」
俺がそんな指摘をするとサイレント・マジシャンは皿に戻す途中だったティーカップを落とした。幸いティーカップは割れる事無く受け皿の上に着地したが、カチャンと言う甲高い音が店内に響き渡った。見ればサイレント・マジシャンの瞳は動揺しているのか揺れており、顔も赤みを帯び始めている。
「あ、あわわっ」
「ど、どうした急に?」
「な、なな、何でもないでしっ! も、もも、問題ありまっ! んんっ、せんっ!!」
「??」
滅茶苦茶テンパっていらっしゃる。噛みまくった事がまた恥ずかしかったのか、ますます顔は赤くなっている。そんな両手をスカートに下ろしてモジモジされてながら“何でもない”と言われても説得力が無い。
「……ちょっ」
「ちょ?」
「ちょっと、お、おトイレに行ってきますっ!」
「お、おう」
そそくさと逃げるように席を飛び出すサイレント・マジシャン。彼女にシャイな一面があるのは知っているが、たまにそのツボが分からなくなる時がある。それとあんまり大きな声でトイレに行くって言う方が女の子としては恥ずかしい気もするのだが……
「…………」
店内の時計を確認するとまだ11時10分。飯を頼んでからまだ時間は経っていない。サイレント・マジシャンがいつ戻ってくるかは読めないが、飯が運ばれてくる頃には戻ってくるだろう。彼女のティーカップを見ると綺麗に飲み干していた。俺も残り僅かなコーヒーを一気に飲み干すと手を挙げて店員を呼ぶ。
「すみません、水を二つ頂けますか?」
「水ですね。畏まりました」
忙しくなってきているのにしっかりと営業スマイルを忘れないのはこの店の社員教育の賜物なのか、それともあの店員がしっかりしているのか、またはその両方か。何れにしても接客される側としては見ていて気持ちの良いものだ。
店内の木に拘った内装も好印象である。テーブルや椅子は勿論、床も手入れが行き届いており天井の照明の光を跳ね返している程だ。
また来ても良いな。
総じて俺はそう評価した。初めての喫茶店だったが引きは最高だったみたいだ。
「っ!!」
視線を感じる。いや、向けられている視線に今気付いたと言うべきか。別に少年漫画のように裏世界の死線を数年潜ったことで殺気を感じ取る事が出来るようになったなんて事はない。だが、向けられている視線には多少敏感にはなった。
どういう意図で俺を見ているかは不明だ。だがこうして現在進行形で見られ続けている。やはりこちらが視線に気付いていると相手に悟られるのはまずいか。こう言う時にサイレント・マジシャンがいればと思うが、無い物ねだりはしても仕方が無い。
目だけを動かして周りを確認してみるが、店内にはそれらしい人物は居ない。一体どこからこの視線は来るんだ? どこから向けられているか分からない視線に込められたのが敵意なのか、それとも興味なのかは分からない。しかしどんな意図であれ得体の知れない視線が纏わり付くこの感じは不快だった。頼みの綱のサイレント・マジシャンは何時戻ってくるかは分からない。仕方ない。こうなったらこちらから動くしか無いか。
覚悟を決めた俺はまず大きく伸びをした。出来る限り自然に。何気ない感じで背もたれに寄りかかり、真上に伸ばした手で体を持ち上げるようにしながら背中の筋肉を弛緩させる。最初は思いっきり目を瞑ったまま、体が十分解れてきたら薄ら目を開け背後の様子を確認する。
「…………」
居ない……か。
しかし背後からでは無いとこの視線はどこから来ているんだ? これで店内からここを見れる場所はすべて確認したはず。それに対して相手が反応した様子は無い。視線はまだ俺に向けられているのを感じる。
体を起こすと今度は頭をゆっくり回すことにした。これは特に何か意図があった訳ではなく体が自然に動いたものだ。首の骨が体の中でポキポキとなるのを聞きながらグルリと頭を一周させる途中、何気なく外に視線を向けると……
「うぉっ!」
こちらを見ていた下手人達が見つかった。それはあまりにも大胆に堂々とこちらを間近で見ていた。当然俺が驚き体を跳ね上がらせたのも相手に気付かれている。ガラスを隔てたすぐ側でこちらを見ていたのだから。
二人とも身長は俺の胸の高さに届かないくらい。一人はライトグリーンの髪を後ろで結んでいる少年でこちらが気付くと嬉々として手を振っている。もう一人は同じくライトグリーンの髪でそれを左右頭の横で結んでいる少女だ。視線を向けると申し訳無さそうに頭を下げた。
俺はこの二人を知っている。以前チンピラに絡まれているところを助けた双子の兄妹、兄の龍亞と妹の龍可。三ヶ月ぶりの思わぬ再会だった。
———————―
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————
「初めまして。龍可と言います。それで」
「俺、龍亞。俺がお兄ちゃんでこっちが妹。俺達双子なんだ〜!」
「ふふっ、私は山背静音です。八代君とは同級生です」
「まぁ、そう言う事だ」
あれから昼食を済ませて俺達は合流した。昼食をしている間この兄妹は近くのカードショップで時間を潰していたらしい。サングラスをかけた小太りな店主のやっている怪しい店だったが、品揃えはなかなかだった。
「えぇ〜! 二人でご飯食べてデートしてたからてっきり八代お兄ちゃんの彼女かと思ったよ」
「ふぇっ!?」
「違うぞ。俺達は付き合ってない」
「そうなんだ〜。じゃあこの前の狭霧さんって人が彼女?」
「……なんでそうなる」
「そうじゃ無いの?」
「違うな」
「なんだ〜、そうなんだ〜」
そう言う龍亞はつまらなそうに手を頭の後ろに組む。
「あっ! そう言うのってあれでしょ。“ぷれいぼ〜い”ってヤツ!」
「こ、こらっ! 龍亞!」
「……一体どこでそんな言葉を覚えたんだ?」
「え? “月決”買いに行った時に前に並んでる人が持ってた雑誌の名前がそうだったから、どういう意味だろうって後で調べて……」
「あぁ……もういい」
思わず頭を抱えた俺の反応は正常なはずだ。この年で“プレイボーイ”の意味を知っているとはとんだおませさんなようだ。そしてサイレント・マジシャン。お前には後で意味を教えるから年下の龍可にその意味を聞こうとするのはやめてくれ。
それからも他愛ない話をしながら歩いていくと目的の場所に着いた。話している途中に気になった事と言えば、妹の龍可の方がサイレント・マジシャンをチラチラと見て何か話そうとしてはやめるという事を繰り返していた事くらいか。女の子同士じゃないと話し辛い事なのかとも思いそれに触れる事はしなかったが。
まぁそれはそうと、
「……トップス住みだったのか」
「おっきいお庭ですねぇ……それにプールまである……」
俺たちは目の前の光景に目を疑っている。
双子に連れて来られたのはこのネオ童実野シティの中でも富豪達が住むトップスと呼ばれるエリア。高層ビルが立ち並ぶこのエリアの中でもトップクラスに高いビルの屋上に俺たちは来ていた。
狭霧と住んでいるマンションが犬小屋に感じられる程広いこの住居に圧倒される。目の前の庭のプールも学校の25メートルプールだって目じゃないくらいの大きさだ。そんな住居にこの双子の子ども二人で住んでいると聞いた時は、ここを初めて見た時と同じくらい驚いた。一体彼らの両親は何を考えているのだろうか。
「ごめんなさい。龍亞のわがままに付き合ってもらって」
「挑まれたデュエルから引くのは性分じゃないだけだ。気にする事は無い」
「こんな凄いところに来たのは初めてだったので、私は寧ろ嬉しいですよ」
「そう言ってもらえると助かります」
妹の方の龍可と言う少女はそう言うと頭を下げる。このようなところを見るとやはり最初に会った時の印象通りしっかり者のようだ。サイレント・マジシャンはそれを見て「き、気にしないで頭を上げて下さい」とオロオロしていた。誰にでも敬語なところが何とも彼女らしい。
「お待たせ〜!」
テンションが高めで家から飛び出してきたのは兄の龍亞と言う少年。腕にはしっかりとデュエルディスクが付けられている。余程このデュエルを楽しみにしていたのか、満面の笑みを浮かべていた。
「へへっ、見て俺のデュエルディスク! カッコいいでしょ?」
そう言って龍亞が左腕に装着してあるデュエルディスクを掲げてみせる。使っているのはボースカラーがホワイトでフレームがブルーのデュエルディスク。腕に嵌める部分はラグビーボールのような楕円形になっていて、そこにモーメントが搭載されているようだ。楕円形の部分には一回り小さな黄色の楕円形がよく映えており、ジュニア向けの良いデザインと言えるだろう。
ただ、そのデュエルディスクは少しサイズが大きかったのか、掲げている龍亞の腕から少しズレてバランスを崩していた。流石に八才の子どもにデュエルディスクというのは世間でも早いのだろう、と考えたところで一つ気になる事が出来た。それは“この世界ではデュエルモンスターズに何才の頃から手をつけるのか”という事。俺自身は丁度今のこの双子くらいの時だった気がする。もしこの子達も始めたばかりの初心者ならトラウマを与える事になりかねない。これはデュエルをする前に確認しておいた方が良さそうだ。
「君たちは何歳からデュエルモンスターズを始めたんだ?」
「えっとねぇ……二才ぐらいの頃からはもうデュエルしてたかな」
「っ!」
「それで龍可はね。なんと三才の時に出場したデュエルキッズ大会の決勝まで行ったんだ!」
「っ?!」
「もう、龍亞やめてよ」
「へぇ〜龍可ちゃん凄いんですねぇ」
のんびりした調子で感心しているサイレント・マジシャンだが、その一方で俺は戦慄していた。二才からデュエルモンスターズの英才教育を受け、三才でキッズ大会の決勝までいく程の実力。大会の規模は分からないが、少なくとも大会の決勝まで行く時点で類希なる才能の持ち主であることは分かる。そしてそれからさらに五年の年月を経た今、一体彼女がどこまで成長しているのかは計り知れない。
「まぁでも実は龍可よりも、本当は俺の方が隠れた実力を持ってるんだけどね」
「そうなんですか。じゃあ龍亞君もデュエルしたら強いんですね?」
「まぁね。なっていっても将来はキングになる男ですから」
「ふふっ、それは将来が楽しみです」
「へへへっ!」
「はぁ……龍亞ったら直ぐ調子に乗って……」
サイレント・マジシャンに褒められて照れ笑いを浮かべる龍亞。そんな様子を見て龍可は呆れたように溜息を漏らす。
この様子から判断するに龍亞の実力は彼の口から語る程のものでは無さそうだ。だが、仮に妹である龍可にそれ程の実力があったのなら、兄である龍亞にもそれ相応の実力があってもおかしくは無い。
「ほら、八代さんも呆れて笑ってるじゃない」
「うるさいな、龍可は! それじゃあそろそろ始めようよ!」
「……あぁ分かった」
つい笑みを浮かべてしまったことを呆れていると捉えられてしまったが、その実は違う。一体この少年にどこまでの実力があるのか。もしも早熟な天才デュエリストであるならば、本気で戦える相手と言うこと。そう、俺は純粋にこのデュエルが楽しみになっていたのだ。
互いに距離をとって向かい合う。サイレント・マジシャンと龍可はベンチでこのデュエルを観戦するようだ。今まで戦ってきた相手の中で誰よりも小さい相手だ。だが相手がまだ年端もいかない子であろうとも当然デュエルで手を抜く気は毛頭無い。一人のデュエリストとして全力を出すことを胸に誓いデュエルの開始を宣言した。
「「デュエル!」」
デュエルディスクから先攻のランプが知らされる。これが相手のことを何も知らない状態であれば、先攻を譲ると言う選択肢もあった。だが、相手が唯の少年デュエリストではなく天才少年デュエリストの可能性がある以上は、そのような舐めた真似は出来ない。故に俺は堂々と先攻でデュエルを進める。
「先攻は俺のようだ。ドロー」
手札は微妙なところだ。モンスターが多過ぎる。せめて召喚反応のトラップが欲しいところだが、無い物ねだりは意味をなさない。6枚の手札からこのターン出来得る最善の手を導き出す。
「『サイレント・マジシャンLV4』を攻撃表示で召喚」
地面から吹き上がるように白い光が立ち上る中、現れたのは俺のデッキのエースの白魔術師。まだ魔力を十全に体に蓄えていないため幼い姿をしているが、場に居るだけでも頼もしさを感じる。
サイレント・マジシャンLV4
ATK1000 DEF1000
当然だがここのソリッドビジョンの『サイレント・マジシャンLV4』の中には山背静音としてベンチに座っている彼女は入っていない。普段の様子とは違い動きが随分と機械的に感じるのはそのためだ。
「カードを2枚伏せてターンエンド」
デュエルディスクにセットカードを挿入したことで、二枚の裏側のカードが出現した。
伏せたのは攻撃反応型のトラップが2枚と偏っている状態だが、この手札では他にどうしようもない。相手の手札にフィールドの魔法・罠を一掃する『大嵐』が握られていた場合、一気に劣勢に立たされるが、それは運が無かったと割り切るしかない。その場合の被害を抑えるために1枚を手札に残しておくと言う選択もあったが、相手の手札に『大嵐』がある可能性よりも、魔法・罠1枚を破壊するカードを握っている可能性の方が高いと判断したためにこの選択をしたのだ。本当はここで『大嵐』対策のカードを握っておけば、こんな不安になることは無いのだが……
「俺のターン、ドロー! シャッキーン!」
俺の中のそんな懸念など知る由もなく、龍亞はデュエルディスクから勢いよくカードを抜き取った。カッコ良く決めているつもりなのか、カードを抜いた右手の肘を伸ばしきり肩と平行になるところでポーズをとる。しかしデュエルディスクの重さで体がふらつき転びそうになっていた。
「もう、カッコばかり付けちゃって……」
「う、うるさいぞ、龍可!」
「相手がドローしたことにより『サイレント・マジシャンLV4』に魔力カウンターが一つ乗る。そして自身に乗った魔力カウンターの数×500ポイント攻撃力を上昇させる」
サイレント・マジシャンLV4
魔力カウンター 0→1
ATK1000→1500
これも兄妹でよくあるやり取りなのだろう。気を取り直して龍亞は自分の手札を確認していく。すると彼は段々と悪戯っぽい笑みを浮かべていた。
「んふっふっふ〜! 八代兄ちゃん、どうやら運が無かったみたいだねぇ」
「……何?」
「悪いけどワンターンキル、決めちゃうよぉ?」
「っ?!!」
突然のワンターンキル宣言に心臓が跳ね上がった。この状況で自信を持ってワンターンキル宣言が出来ると言うことは、まず考えられるのは初手に『大嵐』を握っていて且つ大量展開が出来る状態にあると言うこと。もしそうだとしたら手札誘発の妨害の札を持たない俺にそれを止める手だては無い。
固唾を呑んで見守る中、龍亞のターンが始まった。
「手札のモンスターカード『D・ボードン』を墓地に送って、魔法カード『ワン・フォー・ワン』を発動! 効果でデッキからレベル1のモンスターを特殊召喚するよ! 『D・モバホン』を攻撃表示で特殊召喚!」
龍亞の場にまず出てきたのは黄色い折りたたみ式の携帯電話。それは場に出るや否や変形を始めて人型のロボットに早変わりした。液晶部分が縦半分に割れ翼のように肩から飛び出ていた。押しボタンの1から6は胴体部分に、それよりの下のボタンは下半身に分かれている。
そんな変形を目の当たりにして龍亞は「うぉ〜カッチョ良い!」と一人テンションを上げていた。
D・モバホン
ATK100 DEF100
この一手目だけで龍亞のデッキは察しがつく。下級モンスター中心のテーマデッキ“D”。この『D・モバホン』を核にモンスターを大量展開するデッキが主流だったはず。つまりこのスタートはこのデッキとしては最高のものと言えるだろう。
だが、俺はここで疑問を抱く。どうして『大嵐』を握っている訳でもないのにワンターンキル宣言を出来たのだろうか? もし俺が召喚反応型のセットカードや手札からの妨害するカードを握っていたらこのワンターンキルは成立しないはずだ。そうだと言うのに龍亞の表情からは不安を一切感じない。まるでそんなものが無いことはハナからお見通しとでも言うように。
「っ!」
まさか、俺が何を伏せたかと言うのを一瞬で看破したと言うのか? いや、だが俺が見せた札は『サイレント・マジシャンLV4』のみ。いくらなんでも判断材料としては少なすぎるはず。しかし、ではどうしてこんなにも迷い無くターンを進められるのか? 俺の中の疑問など露知らず、龍亞は次の手に移っていく。
「”D”のモンスター効果はそのカードの表示形式で変わるんだ。モバホンは攻撃表示の時、ダイヤルの1から6で止まった数字分のカードを捲り、その中にレベル4以下の”D”モンスターがあったら特殊召喚できるんだ。いっくぞー! ダイヤル〜オ〜ン!」
龍亞の宣言を受けて『D・モバホン』の胸部の1から6のボタンが次々に光り出す。本来の効果はサイコロを振って出た目の数だけデッキを捲ると言うものなのだが、ソリッドビジョンではその演出が変わるようだ。
この効果は出た目が大きければ大きい程、モンスターを特殊召喚できる可能性は高まる。ただ、出た目が小さいからと言っても確実に失敗するとも限らないし、逆に大きかったとしても確実に成功するとも限らない。結局のところこの効果は運の要素が強い。しかしそれでもワンターンキル宣言をしたと言うことはこの効果が不発になっても問題はないのだろう。
そしてそのダイヤルの光は一つの数字に止まった。
「2に止まった! 2枚捲るぞ。ん〜……よーし! 俺の捲ったカードはレベル4! 『D・ラジオン』を攻撃表示で特殊召喚!」
効果によって場に現れたのは黒の携帯ラジオ。それはフィールドに現れると変形し、アンテナ部分が顔となった人型ロボットに姿を変える。余談だがこんな変形するロボットにも関わらず、種族は雷族なのが不思議でならない。
D・ラジオン
ATK1000 DEF900
『D・ラジオン』は一見するとレベル4のモンスターにしてはステータスが低い。いや、実際は『D・ラジオン』だけのステータスが低いのではなく、”D”シリーズのモンスターは下級モンスターで構成されていてそのステータスは全体的に低い。だが、『D・ラジオン』にはそれを補う特殊能力が備わっている。
「『D・ラジオン』が攻撃表示で場に存在する時、自分の場の”D”モンスターの攻撃力は800ポイントアップする。これによりラジオンの攻撃力は1800に、モバホンの攻撃力は900になるよ」
『D・ラジオン』の体から迸る電気のようなオーラが『D・モバホン』に降り注ぎその体が少し大きくなる。同様にオーラを放っている『D・ラジオン』の体も膨れ上がった。
D・モバホン
ATK100→900
D・ラジオン
ATK1000→1800
これで『D・ラジオン』の攻撃力は下級モンスターの中でも遜色無い攻撃力となった。しかしこの攻撃力の上昇を計算に入れずにワンターンキルの宣言がされていることを考えると、おそらく手札には攻撃力上昇系の装備魔法とアタッカーとなる別のモンスターを握っているのだろう。
龍亞の残りの手札は4枚。その内1枚を攻撃力上昇系のカード、もう1枚をアタッカーとなるモンスターとするならば、あとの2枚の内の少なくとも1枚はこのセットカードに対応するカードのはず。仮に『D・モバホン』の効果を失敗していてもワンターンキルが出来る手札となると、俺の場のサイレント・マジシャンの攻撃力1500を突破してライフを削りきるには最低でも攻撃力5400のモンスターを用意しなければならない。しかしそれを2枚の手札で実現するのは不可能なはずだ。かと言って手札を3枚それに割けば1枚で俺の妨害に対応しなければならない。『大嵐』を除いてそのようなカードがあるのか、俺は甚だ疑問だった。
「どんどんいくよ〜! マジックカード『ジャンクBOX』を発動! このカードは自分の墓地から”D”と名のつくレベル4以下のモンスター1体を選択して特殊召喚出来るんだ! 呼び出すのは『ワン・フォー・ワン』のコストで墓地に送っておいた『D・ボードン』! 攻撃表示でふっか〜つ!!」
墓地から引き上げられたのは白のスケートボード。ボードの部分は一切変形しなかったが、ローラーの付いている面が変形し前輪が腕に、後輪が脚になって人型に変わった。二足歩行をするその姿はボードを背負った人のように見える。
D・ボードン
ATK500→1300 DEF1800
「『D・ボードン』が攻撃表示で存在する時、自分の場の“D”モンスターは相手にダイレクトアタックが出来る。これでワンターンキルの布陣は整ったぞ!」
なるほど、初めから狙いはこれか。確かにこれならば『D・ラジオン』がなくとも、後はアタッカーとなるモンスターの攻撃力が3400もあれば事足りる。それに今となっては場のモンスターの攻撃力の合計は4000。何も出さずとも俺のライフを削りきれる。ただ、このままバトルに入るなら俺の伏せた『聖なるバリア -ミラーフォース-』が黙っちゃいない。これを一体どうやってかいくぐってくるのか。
「ふふっ、ただあんまりいっぱい攻撃しちゃうと苦しいだろうからね。一発で決めてあげるよ」
「あ〜あ、すっかり調子に乗っちゃって……」
得意げな表情でそう宣言する龍亞。そして流れるように残り3枚となった手札の内の1枚に手をかけると、それをデュエルディスクの上に乗せた。
「ここで! さらに俺は『D・ラジカッセン』を攻撃表示で召喚!」
ボディが赤のラジカセがモバホンとボードンの間に現れると、それも変形し人型へと姿を変えた。さらに場のラジオンの効果を受け体から電気を迸らせる。
D・ラジカッセン
ATK1200→2000 DEF400
これでラジカッセンの攻撃力は下級モンスターの中でも高打点と言える域に達した。さらにラジカッセンは攻撃表示で場に存在する時、二回の攻撃が可能となるモンスター。これで確かに4000のライフを一体のモンスターで削りきる事は可能になった。
ここまでの使った手札は『ワン・フォー・ワン』、『ジャンクBOX』、『D・ボードン』、『D・ラジカッセン』の4枚。俺の予想が当たっているならば残り2枚のうちの1枚は攻撃力を上昇させるカードのはず。しかし最後の1枚で一体どうやって俺の妨害札を封殺してくるのかが読めず焦りだけが募っていく。
「さらに装備魔法『団結の力』を『D・ラジカッセン』に装備! この『団結の力』の効果で装備モンスターは自分の場のモンスターの数×800ポイント攻撃力がアップする! 俺の場のモンスターは4体! よって攻撃力が、えっと、えっとぉ……」
「はぁ……3200でしょ」
「そう! 3200ポイントアーップ!!」
「…………」
『団結の力』の効果を受けた『D・ラジカッセン』の大きさは一気に2倍以上に膨れ上がり、体からは常に電気が迸っている。溢れるエネルギーが抑えきれていないと言った様子だ。
D・ラジカッセン
ATK2000→5200
ここまでは予想通り。問題はここからなのだ。
これで残り1枚の手札で俺のセットカードに対応しなければならない。『サイクロン』や『ナイトショット』など魔法・トラップを1枚破壊するカードを1枚では俺のセットカード2枚を対処する事は不可能。いや、『聖なるバリア -ミラーフォース-』をそれで破壊された場合、攻撃の順番次第ではワンターンキルは成立するか。しかしそれならばモンスターを展開する前に発動するのが定石。
モンスターの破壊を防ぐ『我が身を盾に』ならばこの状況は納得がいくが、それでは俺のもう1枚のセットカードをカバーしきれていない。
楽しげにデュエルを進めていく龍亞だが、その裏で彼が一体何を企んでいるのかが読めず俺は混乱していた。
「よぉーしっ! これで終わりだぁ! 『D・ラジカッセン』でダイレクトアタァック!!」
何のためらいもなく行われた攻撃宣言。
それに従い『D・ラジカッセン』は体から溢れ出ている電気をその両腕に集めていく。
高圧な電流が弾ける音が大きくなっていくにつれて、その両腕に集められた電気の輝きは膨れ上がっていく。攻撃力5000オーバーのモンスターの攻撃前の圧の凄まじさを改めて感じる。
腕に集められた電気はやがて手に収束していき、両手にサッカーボール程の光球まで圧縮されていった。そして電流が弾ける音が止んだ時、隣の『D・ボードン』が動き出した。
スケートボード形態になった『D・ボードン』は『D・ラジカッセン』を上に乗せると勢いよく上空へと飛び上がる。その高度はおよそ5メートル程。さらにそこから『D・ラジカッセン』はジャンプする事でより高度を稼いでいく。そして一般的な一戸建ての家の高さを軽く超えるくらいの高さから『Dラジカッセン』は勢いよく右手の光球を投げ下ろしてきた。
俺目掛けて向けて落ちてくる光球は落下につれて段々とそのサイズを膨らませているのが見てとれる。
龍亞の様子を見れば既に勝利を確信したとばかりに余裕の笑みを浮かべていた。
既に大人が抱えきれない程の大きさまで膨れ上がった光球が頭上に迫っている。最早迷っている時間は残っていない。俺は咄嗟の判断でカードを発動させていた。
「と、トラップ発動! 『魔法の筒』! 相手の攻撃を無効にし、その攻撃力分のダメージを相手に与える!」
俺と光球の間に人が軽く三人は入れてしまうような巨大な筒が二つ出現する。一方は入り口を光球と向かい合うように、もう一方はその入り口を龍亞に向けて。
衝突が起こったのはその直後だった。
筒ごと俺を押し潰そうとする光球とその光球を吸い込もうとする筒のせめぎ合い。筒の口径よりも巨大な光球だったが、ゆっくりと筒の口径に収まるように圧縮されていき最後はすっぽりと中に飲み込まれていった。
「へっ?」
その光景を見て間抜けな顔をさらす龍亞。
一瞬見えたその表情も眩い光に寄って見えなくなった。龍亞に向けられていた筒から先程吸い込まれた光球が放たれたのだ。
二つの筒は決して物理的に繋がっている訳ではないのだが、片方の筒で受けた攻撃がなぜかもう片方の筒から飛び出していく。まさに魔法の筒である。
さて、これを龍亞はどうやって捌くのか。
光球が進んでいくのを見ながら固唾を呑んで見守っていると
「うわぁぁぁぁ!!!」
爆発と共に聞こえてきたのは盛大な悲鳴だった。
龍亞LP4000→0
光が収まり龍亞がいた場所を見ると、そこには大の字で伸びている龍亞がいた。
「えっ……?」
それがデュエル終了後の俺の最初の言葉だった。
———————―
——————
————
「こ、今度こそ! 俺のターン、ドロー!」
初めのデュエルをしてからもう十回目のデュエルだろうか。龍亞と言う少年は既に十連敗を喫しているのにも関わらず俺にデュエルを挑み続けていた。
このデュエル間俺が受けたダメージは僅かに600。
しかし、それにも関わらず、この少年はめげること無く俺に戦いを挑み続けていた。いや、最初に負けたときは半泣き状態だったし、今も悔し涙を堪えている状態か。
こうなったのも全ては俺の失言のせいなのだろう。
————————こんなものか……
デュエルが終わった後、俺がそう呟いたのを聞かれてしまってからだ。デュエルが終わった直後は半泣きだった龍亞だが、なんとかその涙を引っ込め無理矢理作った笑顔でこう言ってきたのだ。
————————ね、ねぇ! も、もう一回! もう一回やろう!
“挑まれたデュエルからは決して引かない”
その信条があるため、そう言われたら俺に断るという選択肢はない。
最初は“子どもの負けず嫌いならあと数回勝てば諦めるだろう”と思っていた。だが、実際はそうして今の今までこうしてデュエルを繰り返している。実力の差が圧倒的であることは目に見えているはずなのに。
「『D・ラジオン』を攻撃表示で召喚。効果で攻撃力が800ポイントアップする」
今回のデュエルで最初に現れたのは黒の携帯ラジオ型の“D”モンスター。今日だけでこのモンスターの変形する姿はもう何度見た事か。
D・ラジオン
ATK1000→1800 DEF900
初手で『D・ラジオン』をたてられるというのはギリギリ次第点と言った所だろう。一番の理想は初手でのシンクロ召喚まで漕ぎ着くこと。十回もやればそんな回もあったが、調子に乗って次のターンに何の警戒も無しに突っ込んできたので『次元幽閉』で処理させてもらった。悪いとは思っていない。
「これでターンエンドだよ」
何も伏せないとは罠を初手では握れなかったか。
これは案外手札事故が起きている可能性もあるな。
「俺のターン、ドロー」
と言ってもこちらの初手はあまり良くはないので、あまり偉そうな事を言えたものではない。
まぁそれでも龍亞には十分厳しい盤面が整えられそうなのだが。
「『マジシャンズ・ヴァルキリア』を守備表示で召喚」
白い光の魔方陣から出現したのは腰まで伸ばした艶のあるオレンジ色の髪の美少女。小顔で身長もそこそこ、手足も長く、出る所の出たその体型はまさに女性の理想なのだろう。肩や胸元、太ももを大きく露出させている特徴的なグリーンに寄ったブルーの魔術師の衣装は少々子どもには刺激が強いか。
マジシャンズ・ヴァルキリア
ATK1600 DEF1800
『マジシャンズ・ヴァルキリア』の守備力は『D・ラジオン』の攻撃力と同等。相手の攻撃を防ぐには丁度いいカードだ。
「さらに永続魔法『強欲のカケラ』を2枚発動する」
この札は初手に2枚も欲しくなかったものだった。デッキの性質上このうちの1枚は相手の行動を阻害する罠の方が良い。だがこのデュエルにおいてはそんな妨害する罠よりも重要なこのカードが引けたので文句はない。
「そしてフィールド魔法『魔法族の里』を発動」
「うぅ、またそのフィールド……」
デュエルディスクにフィールド魔法を入れると周りの景色が変わっていく。
太い木々が広い間隔で立ち並び、その根元や巨木の中には魔法使いが暮らす長閑な住居がいくつもある。鉄筋コンクリートで造られたビルや建物が建ち並ぶ普段の町並みと比べ、この里の景色は自然との調和を感じさせる優しさを感じるものだ。
「カードを1枚伏せてターンエンドだ」
そしてこのフィールドこそが龍亞とのデュエルで完封試合を重ねたキーカード。
このカードは俺の場のみに魔法使い族が存在する場合、相手は魔法を使用できなくなるという効果を持つ。そして龍亞のデッキには魔法使い族が入っていないため、このカードを発動された場合は俺の場の魔法使い族を処理するか、このカードを破壊しなければ魔法を使えない。そうした状態の中では俺の妨害系の罠を破壊するような魔法カードを使用できなくなるため、結果こちらのモンスターを処理するトラップが直撃し、場ががら空きになったところを攻撃してあっさりと勝利、となるわけだ。実際にこれで4ターンで決着がつく事もあった。
「俺のターン! ドロー!」
ただこのカードにはデメリットもあり、自分の場に魔法使い族が存在しない場合、今度は自分の魔法が封じられてしまう。
しかも今回の伏せは相手の行動を妨害するカードではないので少々の不安を感じていた。
「『D・ラジカッセン』を召喚。ラジオンの効果でラジカッセンの攻撃力もアップする」
龍亞が繰り出してきたのは『D・ラジカッセン』。
『D・ラジオン』がいる中では下級モンスターの中でもトップクラスの攻撃力を誇るモンスターとなる。
D・ラジカッセン
ATK1200→2000 DEF400
召喚反応系の罠がなかった事で安堵する龍亞の様子が表情の変化で見てとれる。
「バトルだ! 『D・ラジカッセン』で『マジシャンズ・ヴァルキリア』を攻撃!」
迷いなくされた攻撃宣言。
『D・ラジカッセン』は両手に集めた野球ボール程の電気の球を『マジシャンズ・ヴァルキリア』に向けて投げ放つ。『マジシャンズ・ヴァルキリア』はそれを魔法障壁で受けようとするが、それもあっさり砕かれ短い悲鳴を上げて破壊された。
「よしっ! これで八代お兄ちゃんの場から魔法使い族がいなくなったから、魔法が自由に――」
「甘い! 『マジシャンズ・ヴァルキリア』が戦闘で破壊された時、トラップカード『ブロークン・ブロッカー』を発動。元々の守備力が攻撃力よりも高い守備表示モンスターが戦闘で破壊されたとき、そのモンスターと同名モンスターを2体まで自分のデッキから表側守備表示で特殊召喚する」
先程『マジシャンズ・ヴァルキリア』がいた場所の両脇に光の魔方陣が描かれ、そこから二人の『マジシャンズ・ヴァルキリア』が姿を現す。俺の前で互いの杖をクロスさせる二人はまるで俺を守っているようだった。
マジシャンズ・ヴァルキリア1
ATK1600 DEF1800
マジシャンズ・ヴァルキリア2
ATK1600 DEF1800
「『マジシャンズ・ヴァルキリア』は他の魔法使い族を攻撃対象に選べなくする効果を持つ。その『マジシャンズ・ヴァルキリア』が2体揃った今、魔法使い族への攻撃宣言は封じられる」
「そんな……」
召喚反応型のトラップも攻撃反応型の妨害トラップもなく完全に油断が生まれた瞬間でのこの布陣に項垂れる龍亞。
「うぅ……ターンエンド」
相変わらずセットカードは無し。これを見る限り今回もまたあっさりと勝負がつく可能性がある。
ただそれでも龍亞の目にはまだ闘志が宿っていた。
この時俺は単なる子どもの負けず嫌いでは無い何かを感じ始めていた。