「ふーん……あそこが休憩所か」
アグラバインから借りた地図に書いてある文字を確認しつつ、建物に少しずつ近づいていく。
「見た目は、山小屋よりかはマシって所か……おお、ちゃんと水辺があるんだな。広さは結構あるから、休憩所にはもってこいって事か」
建物の2階部分の半分ほどは、水辺の上に突き出るように建っているようだ。その広さをとっても、きっと多くの旅人達にとって憩いの場となっているのだろう。
「さて、どんなもんか……ん?」
もう少しでたどり着ける距離になったので、足早になろうとした時。首の部分を中心にして、草刈り機の刃の様な物を回転させているロボットらしき物体が、休憩所の方から飛んできた。
「え……はあっ!?」
今の光景に俺は唖然として足を止める。ロボットは俺の近くまで飛んできて、目の前で何処かへ消え去った。
「なんだ、今のは?」
俺たちが前にいた世界ですら、見たことの無い技術で作られていそうなロボットだった様に見えた。
「ってか、ここって昔の西洋クラスの文明じゃなかったのか?」
レルムの村どころか、あれだけ栄えていたゼラムでさえ、あんな物は見かけなかっただけに、衝撃もすさまじいものがあったが。あれの正体が何なのか、何となくだが理解できる。
「おそらく、あれが召喚術なのだろうな……取りあえず、近づいてみるか」
ロボットが飛んできたのは、水辺の方からである。街道から少し低い場所に休憩所があり、建物や水辺が見えても、俺のいる場所からは何が起きているのかよく分からない。そのため、俺は慎重に近づいてみる事にする。
「ん? 何か聞こえるな」
休憩所に近づくにつれ、誰かの叫び声や、何かの金属音が聞こえてくる。どうやら誰かが何かと戦っているようだ。
「ふむ、これ以上進むのは危険そうだが……ここまで来たんだ。腹をくくって行ってみるか」
これまで以上に気配を殺して近づいてみる。何が起きているのか理解出来る所まで近づいてみると、やはりそこでは戦闘が行われていた。
「片方は賊だと分かるんだが、もう片方がなぁ……」
賊と思われる方は、レルムの村で出会った奴らと格好が変わらないため判断できたが、問題は賊と戦っている相手だ。
同じ様な服装をした男女が3人に子供が2人……そして我が目を疑いたくなるが、2足歩行のロボットが1体いる。子供の2人もよく見てみると、羽と尻尾を付けた奇抜な格好の少年と、ウサギか何かの耳と尻尾を付けた着物服の少女だ。
あと、どうやら同じ服装をしている3人の内、眼鏡をかけた男が、さっきのロボットを呼び出している――様子を窺っている最中に黒い石を取り出し、何かを呟いた後。あのロボットが出てくるのを目撃したからだ。
「あれが召喚術……というやつか?」
一体どういうメカニズムなのか? 知識がないのでさっぱりだが、興味はある。ああいう風に俺たちも呼ばれたのか? ロボットは勝手に消えていくが、俺たちは何故消えないのか? あの黒い石が媒介なのだろうか? 頭に疑問が浮かんでは消えていく。
「テメエらそこまでだ!」
「ん?」
賊の方から声が聞こえてきた。どうやら、召喚術の事を考えている間に進展があった様だ。
「こいつをどうにかされたくなかったら、武器を捨てろ!」
どうやら、着物を着た子供を賊の方が捕まえたらしく、人質にとって脅している様だった。
「ハサハ! くっ……卑怯だぞ!」
「卑怯だと? ひゃはは! ありがたい褒め言葉だねぇ」
人質に取った男の横にいる奴が、下卑た笑みを浮かべて笑い出した――ん? あの声にあの笑い方、見た事ある様な……、
「あ! あいつはまさか、アメルを捕まえていた賊か!」
アグラバインに殴られた部分が痣になっている。やはりあの男で間違いなさそうだ。しかし、また同じ手を使うとは、根性の腐った奴である。
だが、有効な手である事に間違い無いのも確かだ。現に人質を取られた方は、抵抗を封じられて武器をその場に落としている。
「これでいいんだろ! ハサハを放せ!」
剣を持っていた青年が声を荒げるが、賊の方は笑みを浮かべるばかりで、ハサハと呼ばれた小さな女の子を放そうとしない。
「全く手間を取らせやがって。抵抗せずに素直に従えば、身ぐるみ剥ぐだけで済んだのになぁ……」
そう言って男達は、下品な笑い声を上げ始める。
「な、何よ! 何が望みなわけ!?」
ナイフと思われる短剣を地面に落とした少女が、その笑い声に食って掛かる。
「そうだな……取りあえず、お前は服を脱いでもらおうか」
「え――」
「な!」
その言葉に少女は驚いた顔をする。
「そうすれば、こいつを解放してやるよ」
「ふざけるな!」
眼鏡をかけた男が激昂しているようだったが。
「ふざけてなんかいねぇよ。そこにいる奴はまだガキだがよ、女には変わらねぇからな……くっくっく、楽しみだぜ」
賊は好色な笑みを浮かべて言い放つ。人質に取られた方からしたらこれ以上ない最悪の状況だ。
「トリスにそんな事を、させるもんか!」
「別に構わないんだぜ? 代わりにこいつが痛い目に遭うだけだからさ……イヒヒヒ!」
剣を持っていた青年が、庇うように少女の前に立つが。賊はその行為を見て、着物を着た子供にアメルの時と同じ様に、剣を突きつけた。
「おにいちゃん……おねぇちゃん……」
子供は助けを求めながら泣いている様だ……流石にあんな状況では無理も無い。まだ子供なのだ、死の恐怖を感じれば、ああもなろう。
「――お兄ちゃんどいて」
「トリス!」
「私は、大丈夫だから」
「でも……」
「ハサハが死ぬのは、私も嫌だから」
「トリス……」
そう言って、トリスと呼ばれた少女は兄らしき青年を押しのけて前に立つ――あの少女、度胸があるな。いや仲間思いなのか? どちらにしろ、あの子が脱いでも恐らく意味が無いだろう……ああいう連中は約束など守らない類の輩だからだ。
「しかし、どうやって助けるべきだ?」
俺はさっきから、あの着物の子を助け出す算段を考えているが。人質の場所が悪く、確実な方法が無い。堂々と登場して、殺せるものなら殺せという手もあるが、前回同じ手を使っているだけに、今度は本当に手を出しかねない。無事に助けだすにはそれではいけない。俺がいる場所は両者より階段15段程高い所にいて、さらに物陰に隠れている。両者とも会話の聞こえる方を見ているため、こちらに気が付かれる心配はないが、時は一刻を争う事態だけに焦りも生まれる。
「君はバカか! そんな事をしたからって、あいつらは約束を守るものか!?」
「でも、あたしがやらなかったらハサハが危ない目に遭うじゃない」
「それだって時間の問題――」
「ハサハに、少しでも怖い思いをさせたくないの」
「……クッ!」
そんな事を考えながら、辺りを見回している間にも、向こうでは話が続いている。どうやらメガネの男も俺と同じ考えだった様だが、今の彼女を止める事は出来ず、黙ってしまった。
「話は終わったか? それならさっさと脱ぐんだな」
「そうだ! さっさと脱げよ!」
「こっちは、待ってやっているんだぞ!」
「わ、分かっているわよ!」
賊たちに囃し立てられ、少女は震える手で服を脱ぎ始めようとしている――
「……これ以上は本当に不味い! だが、手立てが――いや、1つある。あるんだが……」
その方法とは身体能力を向上させる事である。まあ、向上させると言っても、イメージ――普段から鍵を掛けて抑えている鎖の様な物を外すイメージ――して、力を強くさせるだけだが……。
過去に色々あって、頭の中でイメージすれば、自分の意思で自由に調節出来る様になった。なので、階段15段程の高低差あるこの状態でも、強化された筋肉があれば、着地の衝撃を耐えて即座に行動出来るはずだ。
もちろん、いい事ばかりでなく。普段使う分以上の力を使うので後に相当負担がかかるのがネックである。
だが、小さな子供を助けるために、自分の身を犠牲にしようとする少女の行いを見た俺には、目の前の光景をただ黙って見ている事などもはや出来ない。一瞬躊躇したが、力を少し解放する事にする。小さい頃から死に物狂いで鍛えてきた。力が使えなくても他人に負けない様に努力してきた。さらに召喚された事による強化と力を借りれば、ここから跳躍しても人質の目の前に飛び込めるはずである。
俺は、一度深呼吸をして心を落ち着かせ。イメージする。自分の体に巻きついた無数の鎖を少しだけ引きちぎるイメージを。3本程引き剥がしたところで、体に力が漲ってくるのを俺は感じた……召喚された力も合わさって、やはり少ない力でも十分な力を確保できた。
「よし、これならいける」
そう呟きながら、俺は助走を付け飛んだ――目標は人質の目の前。最初の奇襲による一撃で人質を助けるため、力を込めた。
(ああ、また誰も助けてくれないのかな)
トリスは目の前で起きている状況に、また諦めとも絶望ともとれる感情が心の中で湧き上がっていた。
トリスは物心が付いた時には浮浪児で、聖王国の北部の町で暮らしていた。両親の顔は覚えておらず、いつ捨てられたのかも分からなかった。一緒にいたマグナを兄と頼り2人で行動した。拾うか、貰うか、盗むか。生きていく為の選択肢はこれしかなかった。もちろんそんな2人に町の人間は優しくはなく、誰も手を差し伸べてはくれず、盗んだのが見つかれば殴られもした。多くは兄のマグナが庇ってくれたがトリスも大小数え切れないほどの傷を受けた。
大きなきっかけは、10歳の時だった。道端に自分の髪と同じ紫色の綺麗な石が落ちていた。その余りの綺麗さに心が惹かれたのか、トリスが手を伸ばし、その石を掴んだ瞬間。その石を中心に大きな光が生まれトリスは目を開いていられなくなり目を瞑った。そして大きな音と共に光が更に大きくなった時、何かを感じたからか近くにいたマグナが抱きしめてくれた。その暖かさに包まれていると、大きな音が聞こえなくなり、光も消えた。もう大丈夫だろうと目を開けてみると……半壊した町の姿がそこにはあった。その光景を自分がやったのだと理解する前に、マグナを連れてその場から離れた。何か途轍もない事をやってしまった事だけは理解できたからだった。
その事件から2日後、その石を手放す事も出来ず2人で震えていると。同じ様な格好に、鋭い目付きをした怖い人たちが現れ、マグナと一緒に馬車の中に入れられた。馬車に乗るのも町の外に出るのも初めてであったが、これから自分達がどうなるのだろうという恐怖で、外の景色など見る事も出来なかった。
2日間馬車に揺られ、止まった所で降ろされると。目の前に目を細めて微笑んでいる初老の男性がいた――それが、あたしたち2人の師範になるラウル・バスクと言う召喚師との出会いであった。
[蒼の派閥]――世界の真理の探求を目的とする召喚師の組織で、国からの依頼や仕事に研究、後進の教育もしている。その組織に、あたしたちは強制的に召喚師見習いとして所属させられ勉強の日々が始まった。
勉強をして分かった事がある。トリスが拾った石は、[サモナイト石]と呼ばれる召喚術を行使する為に必要な魔石であり、魔力があっても制御の出来ない者が迂闊に触ると暴発する可能性があるそうだ……つまり、あの時町が壊れたのは、トリスが召喚術を使う素質があり、サモンナイト石を持ってしまったせいだという。蒼の派閥に連れてこられたのも、そういう人間を見つけたら野放しにせず、二度と同じ過ちを起こさせぬ様にする為に、教育しなければならない派閥の方針があったためである。
うすうすとだが自覚していた事を、勉強によって証明された日から、トリスの心が張り裂けそうになった。自分達と同じ様な人を生んでしまったのかも知れないし、もしかしたら死人が出ていたのかも……その事まで考えると夜な夜な体の震えが止まらなかった。
トリスを更に苦しめたのは、蒼の派閥にいた者たちである。[成り上がり]という、平民出身者に対する蔑称を使って、陰口を叩くのに始まり。授業で分からない事があった時や、召喚術の失敗をした時など人がいる前でも罵られた。幹部の人間や先輩の召喚師、遂には同期の者たちにまで事あるごとに言われ続けた。町にいた時のように、手を出される事は余りなかったので、身体的な問題はそれ程無かったが、繰り返される行為に心は悲鳴を上げていた。
そんな中でも潰れる事無く過ごせたのは、町の時とは違い2人きりではなかったからだ。どんな時も優しいラウル師範、師範の養子で、自分達にとっての兄弟子でもあるネスことネスティ。ネスの先輩で数少ない理解者である3人の先輩。人数自体は少ないけれど、そんな事を気にしないでいいほど、色々と助けてくれた人たちがいた。
特に兄弟子のネスは毒舌家で「君はバカか!」とよく叱られたけど、自分達の世話を焼いてくれた。他の同期と一緒に勉強するのが嫌で、授業を度々抜け出しては、昼寝をしたりサボったりして、迷惑をかけてしまったにもかかわらず。見捨てるような事はなかった。のんきで楽観的で前向きな性格と人に言われる2人でも、この人たちがいなかったらきっと潰れていた事だろう。
そんな生活を派閥の中で始めて7年目になる今日、派閥での生活に変化が訪れた。
正式な召喚師になるための試験が行われたのである。試験は、[護衛獣]と呼ばれる召喚師の身を守り、身の回りの世話をする為の召喚獣を呼び出し、派閥の用意した敵を協力して倒すという内容である。トリスはバルレルという悪魔の少年を、兄であるマグナはハサハという狐の妖怪の少女を無事に呼び出し、見事に試練を乗り越え正式な召喚師になった。
正式な召喚師になって、これで少しは師範やネスに恩が返せたと喜んだのだが、それは甘かった。
「これからお前達は、見聞の旅に出て貰う。なお、この旅の期限はない。蒼の派閥の召喚師として相応しい活躍をした時に、この任務は終了となるだろう」
2人の試験を担当した幹部のフリップ様からの言葉は、自分達の事実上の追放であった。その言葉に、共に話を聞いていたラウル師範や兄弟子のネスが憤慨していたが、トリスは意外と冷静にその任務を受ける事が出来た。
追放されたわりに、冷静でいられたのは……いきなりこの場所に連れて来られて、召喚師になる事を強制された時と何も変わらない。自分で選ぶ事など出来ない、ただ同じ事の繰り返しだったからだ。
胸が酷く痛んだ気がしたけど、その痛みから目を逸らし、旅支度をしてマグナとバルレルにハサハ、監視役として同行する事になったネスとその護衛獣のレオルドと言う機械兵士の6人で派閥の建物を後にした。
7年もいたにも関わらず、サボる時以外は外に余り出なかったため、詳しくなかったゼラムの町をネスの説明を聞きながら歩き、一通り見て回ってから外に出る。街道を南沿いに進んで[港町ファナン]という町を目指して歩き出したが、トリスにはいまだ大きな不安があった。
それは人との触れ合いである。生まれた町と、蒼の派閥で出会った人が殆どであるトリスにとって、外の世界に期待をするのと同じ位、恐怖があった。自分でも前向きに考えて、頭の中から打ち消そうとした。だが、どうしても生まれた町の人々の反応が脳裏に浮かぶ。同情する様な視線を向けるが誰も手を差し伸べてはくれず、見下した様な冷たい目を向けられたりしたあの日々を。
流石に最初から人に頼ろうとはトリスも思ってはいない。しかし、何か事件に巻き込まれたりした時、助けてくれる人はいるのだろうか? とつい考えてしまう。
そう、例えば……今現在起きているこの状況でもだ。
「そうだな……取りあえず、お前は服を脱いでもらおうか。そうすれば、こいつを解放してやるよ」
襲い掛かってきた盗賊がハサハを人質に取り、こちら側の武器を放棄させた後、トリスに服を脱ぐよう指示してきたのだ。
迂闊だった、街道を歩いている最中に休憩所を見つけたトリスは、マグナと一緒に何の考えもなしに飛び込んで水を飲み、風景を眺めて、旅の思いでの1つにしようとした。そこに、旅人を狙う盗賊たちが潜んでいるとは知らずに……。
戦いになり、こちらは召喚術を使って抵抗したが、向こうの数は多く戦いに慣れていないトリスたちは、疲労による一瞬の隙を突かれ、ハサハを人質に取られる失態を犯したのだった。
「ふざけるな!」
「ふざけてなんかいねぇよ。そこにいる奴はまだガキだがよ、女にはかわらねぇからな……くっくっく、楽しみだぜ」
マグナやネスが何とか阻止しようとしてはくれるが、人質を取った向こうが有利な事は明らかだ。自分が言う通りにしなければ、ハサハが解放される事はないとトリスは確信した。
前に出て庇ってくれたマグナや、忠告して止めようとしたネスを遮って、盗賊たちの前に出る。
「話は終わったか? それならさっさと脱ぐんだな」
「そうだ! さっさと脱げよ!」
「こっちはよ、待ってやっているんだぞ!」
それと同時に男達からの野次が飛ぶ、トリスはこれから行う行為を考え屈辱に身体が震える。
子どもの頃に浮浪児だった影響か元々のそういう体系なのか(自分では否定したかったが)、同年代より明らかに自分の女性的な部分の発育が遅れているのはトリスも自覚していた。マグナは別としてもネスも兄弟子の立場から、問題児を叱る様だったし。ラウル師範も子供に対する扱いだった……実際にトリスたちは子供なので間違ってはいないのだけど。
何にせよ、女性としての扱いなどこの世に生を享けてから殆どなかったトリスにとって、こんな形で女だと認識されるのは悔しかった。本当の事を言えばこんな嫌な事など放り投げて、ここから逃げてしまいたい――だけど、
(ハサハを守りたい……あたし達が勝手に呼び出しておいて、いきなり怖い目になんか遭わせたくない)
出会ってまもない自分を、「おねえちゃん」と笑顔で呼んで慕ってくれたハサハを見捨てる事など、もっと嫌だった。
トリスは両腕に付けているガントレットを外して地面に置いた。
「まさかそれで許して貰おうとか思ってねえだろうな……次は上の服を脱ぎな」
「クッ……」
男の言葉に歯を食いしばって耐える、人質さえいなければ相手の顔をぶん殴っている所だ。トリスはボタンを外して蒼の派閥の制服を脱ぐ。残されたのは下に来ていた紫色のシャツとタイツ……あとは下着だけである。タイツ越しとはいえ、下着を見られるのが嫌なので、シャツを下に引っ張って隠しながら盗賊たちを睨みつける。
「約束通り脱いだわ――さあ、ハサハを返して!」
見られている事に我慢しながらも、気丈にトリスは叫ぶが。
「はあ? 何を言ってやがる。本番はこれからだろうが」
そう言いながら下卑た笑みを見せる盗賊の言葉に、予想していた事とはいえ、トリスは絶望感から悲鳴を上げたくなったが、何とか押さえ込む。
「そうだそうだ! 純情ぶっていないで、さっさと脱げや」
「なんなら手伝ってやろうか! ヒャハハハ!」
「い、いらないわよ! 自分でやるわ!」
下品な言葉を放つ男達にそう啖呵を切っても。屈辱と恥辱に顔は赤くなり、体の震えが大きくなる。怖い、恥ずかしい、情けない――何より悔しい。
派閥での見習い時代は、召喚術を覚える事より、体を動かす戦闘訓練を積み重ねてきた。体を動かす訓練の方が座学より好きだったからだ。ネスに言うと怒られると思うけど正直召喚術より自信がある。それに召喚術だって最低限の訓練はしてきたのだ。普通の一般人だった昔に比べて、だいぶ強くなっているのだ。
(そうやって手に入れた力をどうして役に立てられないの――ハサハも助けてあげられない。あたしはこんなにも無力だったの……でも、こいつらに負けたくない!)
気を少しでも緩めてしまうと、涙がでそうになる自分の心をトリスは叱咤した。あんな下種な奴らを喜ばせたくなかったし、ハサハがこっちを見ているのだ。そんな弱気を見せるわけには行かなかった。
(でも、もう無理だよ――)
しかし。それでも、まだ戦いの経験も殆どない、17歳の少女であるトリスが受け止めるには無理があった。今までの疲労や苦しみから、心は折れかけていた。
(お兄ちゃん、ネス……誰か、誰か助けて!)
心の中で来る筈がないのは解っていても、それでもトリスは助けを強く求めながら、シャツをたくし上げ様とした時だった。
トリスの願いに合わせるように、ハサハを捕まえている男の目の前に何者かが飛び込んできた。どうやら男の様だが、トリスはそれを見て動きを止める。
「……は?」
それは向こうにとっても予想外だったらしく、全員が動きを止めて飛び込んできた謎の男を見る。そしてその一瞬が勝負を分けた。
飛び込んできた男は、左手でハサハを捕まえている男の頭を掴み、右手の拳を男の腹に打ち込んだ。男は短い悲鳴を上げて気絶し、ハサハを離す。それを殴った男が受け止めこちらに振り返って跳躍し、トリスの横に降り立った。
「ほら、もう安心だよ、お嬢ちゃん」
「……」
硬かった表情を少し緩めて、男がハサハに語りかける。驚きの連続にハサハも泣き止み、困惑した顔を男に向ける。
「ほら、大丈夫だから。お兄さんの元に行きなよ」
「……うん、ありがとう……」
男がもう一度優しい言葉をかけると、我に返ったハサハは、マグナの元に走り出した。トリスはその間、男の顔を直視し続けた。何かいま目の前で信じられない事が起きた気がするのに、頭が上手く回らない。
「あんたも……ツッ!」
その男がこちらに視線を向けた時、トリスの姿を見て苦しそうな、そして申し訳なさそうな顔をする。
(どうして……そんな辛そうな顔をしているの?)
そんなトリスの疑問に答える事無く、男は身に付けていた旅人用のマントを外して、トリスの体を隠すようにマントで覆ってくれた。男の体温もあって暖かかったが、トリスはそれ以外にも、何か不思議な安心を感じた。
「済まなかった……もっと、もっと早く助けられれば、こんな辛い格好にさせなかったのに。取りあえず、それでも羽織っていてくれ、あんな奴らすぐに片付けてやるから」
「う、うん……ありがとう」
トリスは何とか言葉を返したが、内心では疑問に溢れていて、それどころではなかった。
(どうして……心配してくれるの? 見ず知らずの他人なのに……)
そんな事を思っている間にも、男は盗賊たちの方に体を向ける。さっきまでの優しい瞳ではなく、敵意のある鋭い目をして。
「な、なんだ。テメエ!」
「ただの、通りすがりのお人好しだ……そして」
その男の視線に及び腰になりながらも、盗賊の1人が声を上げると。男は何でもないふうに声を上げ、一度こちらを見て、
「君のあの子を助けたいと思う強い気持ちと、勇気ある行動に敬服し、ぜひ力になりたいと願った者だ」
そう言って微笑みながらそんな事を言ってのけた。その時、トリスの体を何ともいえない衝撃が通り抜けた。足に上手く力が入らずに座り込んでしまう所で、男が体を支えてくれる。
(暖かい、それにこんなに優しく触れてくるなんて……あたしを知らない人なのに)
本当はすぐ離れなければいけないのに、何故か離れたくない奇妙な感覚に、トリスは戸惑った。
「そこの剣を持っていたあんた、この子を頼むよ。あんたの分まで暴れさせて貰うからさ」
「あ、ああ!」
兄であるマグナはそう言いながら駆け寄り。トリスは男の手から離れて、マグナに体を預けられた。
「せっかくの人質を……舐めた事しやがって!」
「ふん、何処に行ってもやる事が同じの単細胞に言われたくないな」
「な、なんだと!」
「おい、お前――まさか、俺を覚えてないのか?」
「あん?」
「あれだけ脅したのに、まだ懲りないようだな……」
男がそう言った事で、盗賊の男が何かを思い出したのか。急に真っ青な顔になって声を張り上げた。
「て、テメエは! あの時の……ど、どうしてここに!」
「今頃思い出したか――まあ、こっちにも色々都合があってな。覚悟して貰うぞ」
そう言いながら、男は刀を抜き一歩踏み出そうとした時、ネスとバルレルとレオルドが男の横に立って同じように武器を構えた。
「どなたか分からないが、妹弟子を助けてくれた事に感謝する。こちらも協力させて頂く、マグナはそのまま2人を頼む」
「わ、分かった」
「私モ、あるじ殿ト共ニ加勢イタシマス」
「ヘッヘッヘ、下らない事しやがって……覚悟は出来ているんだろうなァ!」
「一緒に戦ってくれるのはありがたい。さあ――ぶっ潰してやろうぜ!」
そう言って男を先頭にネスたちも武器を構えて走り出す。
「ひ……ヒイィィィィィ!」
もはや人質も無く、戦意を喪失した残りの盗賊たちなど敵ではなく、4人は次々と気絶させていく。盗賊たちの悲鳴を聞きながら、警戒してくれているマグナに向かって、トリスは思った事を口に出した。
「ねえ、お兄ちゃん……あたし見つけられたかも」
「え? 一体何を?」
「あたしが、この旅で見つけたかったものと言うか……あたしにとっての希望かな?」
生まれた時から傍にいた兄妹だからなのか、その言葉と表情だけでトリスの言いたい事を理解したマグナは男の方に視線を向けながらトリスに聞く。
「それは、あの人の事?」
「うん、だってあの人は元浮浪児で、成り上がりだって蔑まれてきたあたしに勇気を持つきっかけをくれた……不安から救い出してくれた人だから」
「そうか、トリスがそう言うなら、そうなんだろうな」
「うん」
あとで、しっかり名前を聞こう。どんな事がこれから先あったとしても、絶対に忘れる事がないように。盗賊を蹴散らし終わって、こちらに戻ってくる彼を見ながらトリスはそう決心した。
何の関係もない人が、あたしを助けてくれた。トリスの心の中にある不安が小さくなっていき、心が晴れやかになり、世界が広がった。トリスは自然と笑みを浮かべ、体中に力が漲ってくるのが分かった。
「助けてくれてありがとう!」
「妹とハサハを助けてくれてありがとう!」
「本当に助かったよ、助勢してくれて感謝します」
「ゴ協力、感謝イタシマス」
「ケケケ! ニンゲンの癖に中々やるじゃねえかァ、オイ!」
「……ありがとね」
「いや、もう少し早く助けていればもっとよかったんだけどな」
あれから数分と経たずに盗賊たちを打ち倒し、全員を縛り上げた所で改めて礼を言われる事になった。礼を言われる事自体は別に構わなかったのだが、
「そんな事ないよ! 助けて貰えるなんて思ってなかったんだから……凄く嬉しかったの」
「いや、それはまあ旅人ぐらいしかこんな所に寄らないだろうし、そう思うのは仕方がないだろ?」
「でも、旅人だって助けてくれるか分からないだろ? あんな状況じゃあ素通りされたって文句言えないよ」
「まあ、それはそうだが」
いきなり複数から礼を言われるのに慣れていないせいで、少し戸惑いながら返事をする。まあ、それ自体は仕方ない事だし、こうなるかもしれないと予測していたが……、
「ねえ! あたしの名前はトリスって言うの!」
「俺の名前はマグナって言うんだ」
「名前を教えて欲しいな!」
「名前を教えてくれないかな!」
さっきの会話から兄妹と思われる2人が……俺に対して物凄く食いついてくる――自己紹介はする流れになるとは思っていたが、こんなに名前を聞きたがっているのはどういうことだろうか?
「いが――あ、いや。樹だ、樹って言うのが俺の名前だ」
ついつい、アメル達やリラの時の様に名字から言いそうになったので、慌てて訂正して名前を告げる。
「イツキ――イツキだね! うん、覚えたよ」
「イツキか! いい名前だね」
「そ、そうか。そう言って貰えると嬉しいが……」
俺の名前を聞いただけで、目の中に見える輝きが増した2人に、思わず後ろに下がろうとしたが……即座に両腕を掴まれて大きく動けなくなる。
「ちょ……お、おい!」
「イツキって、1人で旅をしているの?」
「俺たち今からファナンっていう港町を目指すんだけど――もし良かったらさ、一緒にどう?」
「は? い、いや」
「お兄ちゃん、それいい提案だよ! ねえ、一緒に行こうよイツキ!」
いや、ファナンって何処だよそれ? って、いうか。こいつはトリスだっけか? 何処がいい提案なのかまるで意味が分からんぞ?
何やら興奮しすぎて周りが見えていないのか、次々とおかしな事を言いはじめる2人に、もはやついていく事が出来ず、眼鏡をかけた男の方に助けを求めると。鬼も裸足で逃げ出す程の形相でこちらに近づいて来ていて、2人の頭に拳骨を叩き込んだ。どうやら、助けを求める必要ななかったらしい。
「いぃっ!」
「たぁっ~!」
2人は余程痛かったのか、俺から手を離して頭を抱えて座り込む。俺はその間に、少し距離を開けておく。
「君たちはバカか! 助けて貰った彼に迷惑をかけるとは、どういうつもりだ!」
「ネ、ネス……」
「だって」
「だってじゃない! もう少し落ち着きを持てといつも言っているだろ! ……済まなかったな、僕の名前はネスティ・バスク。蒼の派閥の召喚師で、2人の兄弟子に当たる者です」
「これは、どうも丁寧に。2人にも言ったが、俺の名前は樹。以後よろしく……ん? いま、召喚師と言ったか?」
いま、俺たちにとって非常に大事な単語が聞こえた気がしたので、ネスティに聞きなおす。
「ん? ああ。蒼の派閥の召喚師だが……召喚師に何か用でもあるのか?」
ネスティがそう言って頷くのを見て、俺は予想外の出会いに一瞬驚きながらも、自分の運のよさに感謝した。
「ああ、そうだ。実は召喚師に会って聞きたい事があったんだ。しかし、まさか召喚師にこんなに早く出会えるなんてな」
「そうですか。それなら、ここで立ち話もなんだし、事情も含めてゼラムで食事でもしながら話をしませんか?」
「え? ネス、ファナンに行かなくていいの?」
「マグナ、まずは彼らを騎士団に突き出すほうが先だ。それにそんな事をしている間に、夜になってしまうだろうからな。今日はゼラムにある派閥の部屋で休む事にしよう」
そのネスティの説明に、俺は何か引っかかる物を感じた……何だ? 何に引っかかったんだ? 騎士団、食事、夜……ん? 夜の食事――。
「あ!」
俺の突然の声に、ネスティ達を驚かせてしまったようだが、俺も俺でやばい事を思い出しそれどころじゃない。外の景色に目を向けると、晴れていた空の色が少しずつ夕焼けに染まってきている。その光景を見て、アメル達に夜までには極力帰ると言ったのを思い出したからだ。
「いきなりで済まないが、急用を思い出した! 申し訳ないが、そいつらを騎士団に渡すのはお願い出来るか?」
今から走っても、間に合うか分からない。急いで自分の荷物を持って、ネスティに聞く。
「あ、ああ、構わない。事情は知らないが。見た限り、急ぎの用なのだろう?」
「そうか、助か――」
「ええー! 何処に行っちゃうの!?」
「一緒に飯だけでも食べようよ!」
俺のお礼を遮る形でまたも2人が声を上げた。ええい、しつこい奴らだ。
「先約があるんだ、食事も急ぎの用事に含まれているんでな……済まない」
別に謝る必要はないのだが、俺の説明で、本当に残念そうな表情をした2人には言った方がいいと思い、声に出して謝罪した。
「う、ううん! 約束しているんだったら仕方ないよ。なあ、トリス」
「そうだね。本当は一緒に食事でもしながら、色々な話がしたかったんだけど……ねえ、また会えた時に一緒に食事を――ううん。話だけでも出来ないかな……ダメかな?」
そう言ってさっきより声はトーンダウンしながらも、何処か懇願するような目をしたトリスを見た瞬間、懐かしい者に出会えた時の喜びのような。そんな不思議な感情が湧き上がり、俺は困惑した。
何故初めて会った人間を懐かしいと感じたのか、おそらく目を見た時からだと思ったが、言葉が上手く出てこない。
「……ダメだよね、いきなりだったし迷惑だったよね。ごめんなさ」
「いや! 問題ない、約束しよう。必ず、また会えた時は話でもしながら食事をしよう」
俺がすぐに返事を返さなかったのを、拒否と認識したのか。段々と元気が無くなっていくトリスを見て、俺は謝ろうとするトリスの言葉を遮って、すぐに約束を取り付けた。そう言わなければいけない思いで頭が一杯になった。何故だと答えを探しても答えがわからない。
それに自分にとって[約束]とは、とても大きな意味を持つ大切な言葉だったはずだ。おいそれと気軽に使う気などなかった。
けれども、トリスの表情が見る見るうちに笑顔に変わっていくのを見て、今回はその言葉を使って正解だったのだと思える。そう思えてしまった事にも、俺は戸惑った。
まあ、いいか。答えが出ない以上、俺は取りあえずこの事は後にして、今は目の前の相手に集中する。
「うん、約束だよ! 期待してるからね」
「ああ、俺は普段はレルムの村にいる。もし寄る事があったら尋ねて来てくれ。確かファナンって町に行くんだよな? そっちの都合が片付いてからでいいからさ」
「レルム村?」
「えーと……」
俺の出した村の名前が分からないのか、揃って首を傾げている2人を見て、ネスティの方に視線を向ける。ネスティも言いたい事が分かったのか、ため息を吐いた後、頷いた。
「行った事はないが、村の場所も村への道も把握はしている」
「それじゃあ!」
そのマグナの嬉しそうな反応に、ネスティは苦笑しながら告げる。
「ああ、レルムの村には問題なく行けるだろう。まあ、この旅は君たち主導の任務になるのだから、君たちが行きたいのなら予定に組み込むさ。彼も僕たち召喚師に用があるみたいだしね」
「やったぁ!」
そう言って、手を万歳の形で上にあげ、体全体を使って喜ぶトリスの姿に、俺もつられて口元を緩めた。
「そういう訳だから、僕たちがイツキの住んでいる家を訪ねるから、それまで待っていて貰えるか?」
ネスティの言葉に断る理由などない。俺は首を縦に振りつつ答える。
「ああ、それで構わない。それにお願いしたのはこちらだからな。よろしく頼む」
「分かった。それならファナンにいく前にそちらに向かう事にしよう……1週間以内に行けるようにするさ」
それで話はついた。後は急いでじいさんの家に戻るだけである。
「それじゃあ、またな」
俺はそう言って、荷物を持ってレルムの村に向かって走り出した。おそらく走っても夕食には間に合わないだろうが、歩いて帰るよりはだいぶマシになるはずだ。
「うん、またね! 絶対に会いにいくから待っててよね!」
トリスのそんな言葉を背中で聞きながら、俺は声の変わりに手を上げて答え、レルムの村を目指して駆け続けた。
「ようやく着いたな……はあ、疲れた」
休憩所を出てから俺はひたすら走り続けた。賊やはぐれ召喚獣に襲われる事も考慮して、途中でしっかり休憩を挿みはしたが。それでも走って帰って来たので、ゼラムに行く時より1時間以上は確実に早く戻ってこれたはずだが……予想していた通り辺りはもうすっかり夜になり、いつも食べる夕食の時間には間に合わなかった。まあ、道中で獣の鳴き声は聞こえたものの、遭遇して襲われたなんて事も無く、無事に辿り着けたのでまずは一安心である。
「まあ、事情を話して一言謝れば問題ないだろう……ただいま」
じいさんの家の前でそう呟きながら息を整え、俺は玄関のドアを開ける。そこにはちょうど同じタイミングで、居間から渚が出てきたのが見えたので声をかける。
「おお、渚。今帰ったぞ」
ドアの開いた音でこちらを見た渚が、相手が俺だと気が付いて、早足で近づいて来た。
「樹! やっと帰ってきたのか!?」
「ああ、ちょっと色々あって遅く――」
「悪い事は言わない。急いで部屋に逃げた方がいい――居間には夜叉(やしゃ)がいるぞ」
俺の元に近づいて来た渚が、両手で俺の両肩を掴み、俺の話を遮りながらそんな変な事を言い出した――ってかいきなり夜叉ってなんだよ夜叉って。
「……は? 夜叉? ヤック?」
「ヤック? ああー、それはタイでの呼び方だろ? 夜叉だが性別的にはヤクシニーの方だ」
冗談交じりに惚けて見たが、思っても見ない返しを渚がしてきた。俺は感心しながら口を開く。
「へえ、女性の事はヤクシニーね……それにしても、そんな事までよく知っていたな」
「いや、前に何かの本で見て偶々な――って、今はそんなくだらない事を言っている場合じゃないんだよ!」
そう言って、俺の両肩を揺らして必死さをアピールしてきたが、居間に夜叉と言われてもさっぱりである。とそこで、俺は思いついた考えを口に出した。
「もしかして、このリィンバウムに夜叉が召喚されたのか?」
[召喚術]等と呼ばれている術なのだから、生物だけじゃなく物や服等の非生物や神様だって召喚されてもおかしくはない。渚が夜叉だと言い張るのだから、資料等に載っている夜叉像に似ているのだろう。
「ちょっと怖そうではあるが、それでも俺は見てみたいぞ」
俺がそう言うと、渚は少し呆れた顔をしたあと、少し困ったような表情に変えながら、
「いや、本物の夜叉が召喚されたとかじゃなくて……寧ろアメルちゃんに光臨したと言うべきか」
「アメルに? どういう事だ?」
「いや、説明は後でも出来るから取りあえず部屋に逃げ――」
「あら、イツキさん。おかえりなさい」
そんな渚の言葉を遮る形で、居間から出てきたアメルが、俺に話しかけつつ近づいて来た。
「ああ、ただい……ま?」
アメルの方に顔を向けつつ返事をしたのだが。何だかアメルの様子がおかしい事に気が付いた。声も笑顔もいつも道理のアメルに一瞬見えたが、何かいつもと違う。上手く言えないが、その笑顔から何故か妙にプレッシャーを感じる。
「随分遅かったんですね、もうみんなは先に夕飯を食べちゃいましたよ」
「ああ、ちょっと厄介事に巻き込まれてな」
「厄介事ですか、それは女性が関わっていたりしましたか?」
アメルが何故かそんな事を聞いてきた。どう返答しようか一瞬迷ったが、実際にあの場に女性がいて危ない目にあっていたのだから、間違いではないと判断して答える。
「ああ、確かに女性は関わっていたな」
俺がそれを言った途端、俺の両肩を掴んでいる渚の手が震えたのが分かり。どうかしたのかと渚の方を見ると、青い顔をした渚が目だけで何かを訴えかけてきた。
「女性……ですか。もしかして食事でもしましたか?」
「まあ、確かに食事に誘われたな」
渚の方を見ながら、アメルに返答すると。渚の顔が歪みさらに訴えかける視線が強くなった。俺がそんな渚を怪訝に思いながら見つめ返す――何か危険を伝えてきているのはわかるが、それが何なのかさっぱりわからん。
「……他にも、何か誘われたりしましたか?」
「ん? ……ああ、一緒に旅に出ようとか言い出していたなあいつは」
その言葉で渚の両腕の力が強まり、額は汗で凄い事になっている。青い顔も合わさって、まるで病人の様だ。
「おい、渚。何処か具合でも悪いのか?」
「い、いやそんな事はないぞ!」
そんな狼狽えた状態で言われても説得感がないんだが……。そんな事を思っていると、
「ナギサさん」
「ひゃ、ひゃい!」
今度はアメルが渚に話しかけた。アメルの何でもない呼びかけに、思いっきり動揺している渚。その様子を見て、これは恐らく渚がまた何か余計な事でも言い出したのだろうと、判断した。
「私は言いましたよね? イツキさんが帰ってきたら教えてくださいって……」
「い、今帰ってきたんだよ! だ、だから今から伝えに行こうと!」
渚が怯えた声でそんな言い訳じみた事を言い始めた。そこまできて俺は、漸くアメルを見た時の違和感の正体に気が付いた。
「そ、そうだ。俺は用事を思い出した! それじゃあ」
そう言って渚が脱兎の如く、その場から逃げ出したが、俺はそれさえも気にしなかった。それよりも目の前にいるアメルである。
「まあ、ナギサさんは後でもいいですよね」
アメルの目が、何故か全く笑っていないのである。
「まずは、イツキさんからですよね……ねえイツキさん?」
表情は笑顔なのに、目が笑っていない。これは怖いと思うわけだ――まったく渚の奴、何を言って怒らせたのか知らないが、こっちにまで巻き添えを食う事になるとは……相変わらず、はた迷惑な奴だ。
余り気が乗らないが、仕方がない。アメルの怒りを静める方向で、まず事情を聞いてみるか。
「な、なあアメル……何かあったのか?」
「何か……ですか。それに答える前に私からも聞きたい事があるんですけど、いいですか?」
こっちから聞いたんだから、そっちが先に答えろと言いたかったが、ここで反発されても嫌なので頷く事にする。
「それじゃあ、とりあえず居間の方で話を聞かせてください……ゼラムで何があったのかをね」
そう言って、アメルはこちらに背を向けて居間に歩き出した。
「でも、あいつは一体何したんだか」
「何か言いましたか?」
「い、いや。何も」
「そうですか」
小声で呟いただけなのに、居間に向かって歩き出していたアメルに聞こえたのか、いきなり振り向かれて聞いてきた。俺は内心驚きながらも表情には出さずに答える――くそ、地獄耳か!
今度は内心で突っ込みを入れるにとどめて、居間に入るべく、アメルの背中を追いかけた。
居間に入ると、逃げ出した渚以外の全員が椅子に座っていた。椎名やじいさん、ロッカは俺を見て安堵の表情を浮かべたが、リューグからは何故か睨まれた。
俺は椅子に座り、アメルは台所へと向かう。恐らく夕食を持って来てくれるのだろうと考え、4人に軽く挨拶だけして、アメルが来るのを待つ。
「随分遅かったな、イツキよ」
「遅くなって申し訳ない。色々と事情があって……な」
「話を聞かせて貰えるんだろうな?」
声をかけてきたアグラバインに返事をしていると、リューグが割り込んできた。
「もちろんだ。アメルが来てからしっかりと――お、ちょうど来てくれたみたいだな」
そう言いながら、台所の方から戻ってきたアメルを見る。そこで俺は驚くものを目にした。
作ってくれた料理を、トレイにでも乗せて持って来てくれたと思っていたが、何故か右手に皮を剥いてさえいない芋が1つ、握られていたのである。
「アメル……その手にある芋はなんなんだ?」
嫌な予感をひしひしと感じるが、顔には出さずに聞いてみると。
「このお芋さんですか?」
そう言いながら、俺の目の前に芋を静かに置いて俺の対面に座り、
「もちろん、イツキさんの夕食ですよ」
語尾に音符でもつきそうな軽快な声と気持ちのいい笑顔で、普段のアメルからは想像できない非情な事を宣言され俺は反応出来ずに固まる。
「は? あ……ええ!?」
俺のそんな態度を見て、アメルは笑顔を引っ込めて真剣な顔になり、
「イツキさんが今日は外に出かけたって聞いて……私、心配だったんですよ!」
急に怒り出した。
「イツキさんが強いのは知っていますけど、外だって危険なんです! 私がいればその場で止めたのに……みんなはイツキさんだから大丈夫だって言うし、ナギサさんにいたっては「綺麗な女性に食事でも誘われている」とか「どこかで昼寝でもしている」とか、そんな変な事を言いながら笑って大丈夫だって言うし――」
渚の奴、余計な事を! だからあいつはこの場から逃げたのか……そして、ここまできて漸く気が付いたのだが、どうやらアメルが怒っている対象は渚ではなく俺だったようだ。
「私はそんな事はないって反論しました。イツキさんがこっちとの約束の時間を守らず、そんな事にうつつを抜かすような事はしないって。そう言ってもナギサさんが気楽に構えているのが何だか悔しくて、イツキさんが帰ってきて遅れた事情を聞けば、ナギサさんの考えが間違っているって言えると思っていたのに……」
そこまで勢いで言いきった後。アメルは突然、目を細めて笑顔でこちらに顔を向けた。いきなりの変化に驚きつつも、怒った顔より何故か凄みを感じ、俺は肌が粟立った。
「イツキさんは無事に帰って来てくれました。それは嬉しかったんです……でも、イツキさんは玄関で言いましたよね?」
「な、何か言ったっけ?」
何故か口に出してはいけない気がして、誤魔化すように言うが、アメルにそれは効かないようで、
「はい。[女性]に[食事と旅を一緒に]と、誘われたんですよね」
「あ……いや、それは」
「誘われたんですよね?」
「はい、確かに。その通りです」
無理だと悟った俺は、事実を認めた。まさか、さっきの会話がアメルの怒りの元凶だったとは……それに目の錯覚だろうか? それとも渚に事前に言われた影響なのか、頷いてからアメルの背中に夜叉が見える気がする。この気迫に押されてなのか、アグラバイン含めて誰も会話に口を挿まない。さっき割り込んだリューグでさえ、腕を組んで目をつむり黙り込んでいる……よく見ると、腕が震えている様に見える。
俺を援護してくれそうな椎名に視線を向けると、こちらに無理だと首を横に振られた。完全に孤立無援である。
「イツキさん、何処に視線を向けているんですか? 今は私と話をしているんですよ?」
「あ、ああ。そうだな」
そう言って俺がアメルに視線を戻すと、満足そうに一度頷いてから、口を開く。
「さあ、イツキさん。話を聞かせてくださいね? もちろん事実を捻じ曲げず、真実だけをですよ?」
ああ、誰にでも優しい奇跡の聖女は、一体何処に行ってしまったのだろうか? 無事に部屋に戻れる事を祈りつつ、俺は村を出てからの一部始終を説明する事になった……。
結論から言うと、俺は無事に解放されて部屋に戻って来る事が出来た。
最初は怖い笑顔を張り付かせて、話を聞いていたアメルだったが。リラと一緒にいちゃもんつけた奴らに襲われた時や、休憩所での戦いの話をしだすと、表情は見る見るうちに心配した顔付きに変わり、怪我の心配をしてきたが大丈夫だと伝えると、安堵の表情を浮かべた後。
「本当に、心配だったんですからね!」
と、心配された。
何だかんだと言ってはきたが、アメルの中で占めていた気持ちの大部分は元々心配から来ていたのだろう――まあ、休憩所で助けた奴らに食事や旅に誘われた事についても正直に話した時は、少しムッと顔を膨らませていたが。
アメルに話し終わった後、アグラバイン達からも。
「まあ、無事に帰って来てくれて何よりじゃな」
「次からは、もっと気をつけて下さいね」
「アメルに余計な心配を掛けさすんじゃねえぞ!」
「まあ、樹なら大丈夫だと思っていたさ」
などと、1人を覗いて心配された言葉に礼を言って、話し自体は終わり。アメルがちゃんと作ってくれていた料理を頂いて、部屋に戻ってきた。
あのままアメルが納得しなかったら、本当に芋1つだったかもしれないと思うと恐ろしい。
「アメルを怒らせるのだけは、気を付けないとな……」
不測の事態というのは起こるものだから、どうしようもない時だってある。まあ、それでも気を付けておいて損する事もないだろう。
それにしても、ただの買い物で終わるはずが、随分色々な事があった。リラとの事に始まり、召喚師のグループとの邂逅など予想の範囲外である。
まあ、大変ではあったが。その分、リラやマグナにトリスなど人の良さそうな人達と知り合えたのは、良い事だと思う事にした。
それにしても、ハサハという子供を怪我の1つなく助け出せてよかった。あの時、休憩所を覗きに行って見ようと考えた自分を褒めてやりたくなる。誰かの為に自分を犠牲にしようと考えたトリスにも、何もなくて安心した。
トリスの事を考えてふと思い出した。トリスに懇願された目を見たあの時、何故か既視感を覚えた時の事を考える。
「あの目――どこかで見た事が。一体何処で……ああ、駄目だ。何かモヤモヤするな」
喉まで出掛かっているもどかしい感じに少しイラついていると、
「……あの、樹さん?」
「何だ? 渚?」
足元の方から俺を呼ぶ声が聞こえたので、視線を下げる。そこには逃げ込んだ部屋から引きずり出して、俺の部屋で正座させている渚の姿があった。
もちろん引きずり出したのは俺だ。こいつが余計な事を言わなければ、あそこまでアメルが怒る事もなかったかもしれないのだ。肝心の渚だが、すでに部屋に引きこもって今日を乗り切ろうとしていた様だったが、そうはいかない。椎名にドアの前で呼び出しをさせ部屋の鍵を開けさせる。椎名なら問題ないだろうと、油断した渚がドアから首を出した所でそれを掴んで引きずり出し、俺の部屋まで連れ込んで正座させた。
「いつまで俺は、こうしていればいいんでしょうか?」
渚が俺にへりくだって言ってきているが、どうせそれで少しでも俺の怒りを静めようという、浅はかな考えである。
「もちろん、俺がいいというまでだ」
許す気のない俺が、口元を緩めながらそう言ってやると、渚の顔から血の気が引いていく。
「くそ! どうしてこうなったんだ!?」
そう言いながら、床を叩いて悔しがる渚。もうへりくだるのは止めるようだ。まあ、確かに無駄なので、正しい選択だろう。
「自業自得って言う言葉を知ってるか?」
「そんな言葉は、俺の辞書には無い!」
正座をした状態で、胸を張りながら堂々と答える渚の頭を鷲掴み、睨みつけながら言ってやる。
「なら忘れないように、頭に叩き込んでおけ。解ったな」
「オ、オッケーボス」
何故か片言で答えた渚に内心で呆れながらも、手を離す。まあ、こいつにはこれ位でいいだろう。
召喚されてから6日、明日で一週間になる。最初は色んな事に神経を使っていたため渚も大人しかったが、口が軽くなって地が出てき始めたという事は。心に余裕が生まれてきたのだろう……きっと俺や椎名の心にもだ。
こういう時こそ、気を引き締めていかなければならない。少しはこの世界に慣れたが、まだまだ解らない事も多い物騒な世界なのだから。
取りあえず、親切で心の優しいアメル達に今日も感謝しながら、俺はベットに入り横になって眠る事にした。
「あれ? もしかして樹は寝るつもりなのか? な、ならもう帰ってもいいよな、いいんだよな? 返事が返ってこないからいいと、勝手に判断させて貰うぞ!」
そう言って渚が立ち上がりそうな気配を感じたが、何故かすぐに地べたに這いつくばった。
「ぐおお、足が……足が痺れた。た、助けてくれ樹、肩が震えてるって事は起きているんだろ? 頼む、助けてくれ! いつきぃぃぃー!」
そんな、渚の声を無視していると。俺に助けて貰う事を諦めたらしく、這いつくばった状態で、ドアに近づき何とか立ち上がる。
「へへーん! ここまで来ればこっちのもんだぜ! じゃあな樹!」
足の痺れも取れたようで、上機嫌になった渚が、そう言って意気揚々と出て行った……が、ドアが閉まる前に、渚を呼ぶ声が部屋にも聞こえてきた。
「ああ、ナギサさん。ここでしたか」
「ゲッ! あ、アメルちゃん!」
声から察するにアメルが渚を見つけたらしい――そう言えば、確か渚が去った直後にアメルが玄関で「後で言いか」みたいな事を言っていたのを思い出した。
「イツキさんとの話は終わりましたが、渚さんとの話は終わっていませんよ?」
「ヒイ!」
「さあ、これからゆっくり話をしましょう。時間はまだまだありますからね?」
「い、いやあぁぁぁぁぁ!」
俺は一度立ち上がって閉まりかけのドアを閉じて、もう一度ベッドに寝転ぶ。
これから渚には地獄が始まるのだろう、そんな光景が予想できる悲鳴を子守唄に、俺の意識は闇に沈んでいった。