俺たちがリィンバウムの世界に召喚されてから、早くも3日が経とうとしていた。アメルは初日に言っていた通り、仕事で家を開けていてこの3日間、顔を見ていない。リューグとロッカも自警団が忙しいらしく、朝起きて出かけ、夜に帰ってくる生活を続けている。
結局、アメルが何の仕事をしているのか俺は知らない。まあ、俺たちはじいさんの仕事の手伝いや家事――主に掃除、洗濯、料理などを手伝いながら、色々こちらの世界の事を学んでいる所だ。
こちらの世界について、少しずつ理解出来る事が増えた。
まず俺たちは人間ではなく、召喚師に呼ばれた召喚獣と呼ばれる事になるらしい。そして――召喚師が死んだ、もしくは召喚師の下から逃げた者たちの総称を[はぐれ]と呼ぶらしく、どうやら召喚師の見付からなかった俺たち3人も「はぐれ召喚獣」という分類に入るようだ。
あと、驚いた事に衣食住に関しても、地球にある物とそう大差はなく、寧ろ名前が違うだけでバンドエイドやタバコ、食べ物や飲料水など、変わらない物が多くある様だ。服に関しては、アジア風と言うよりは西洋風の農民の衣装に近い。
武器も確認した限りでは、ナイフ等の短剣、剣、大剣、槍、斧、弓、杖などを見つけた。話や本で銃、ドリル、刀、武具等もあるそうだ――まあ、刀は自分で持っているわけだが。
向こうの世界と大きく違う事といえば、やはり召喚術だろう。こればかりは専門的な人に聞く必要がある。椎名が「まるでファンタジーの世界に紛れ込んだようだ。そしてファンタジーなら魔法は無いのか?」と言って色々調べていたようだが、魔法という言葉自体見つからなかったらしく落ち込んでいた――椎名の言う魔法とは召喚術のそれなんじゃないのか? と、椎名に聞いてみたが違うらしい。俺にはよく分からん話だ。
まあ、それは置いておいて……今この村には村の規模の2、3倍は優に超える人間が滞在しており、その多くが午前中から夕方まで大きな家に向かって、長大な列を作っている。人と余り関わりたくないので無視していたが、興味はある。もしかしたらあの列の中に、召喚師の1人や2人はいるかもしれない……が、そのあまりの人数の多さに、とてもじゃないが探す気にはならない。きっと渚辺りが、あの列に興味が湧いた時に見つけるだろうと勝手に思い込んで無視を決め込んだ。
そんなこんなで、俺たちは4日目の朝を迎えた……。
「じいさん、おはよう」
「ああ、おはようイツキ」
俺が起きて居間に来てみると、朝食の準備を済ませたアグラバインがいた。3人の中で一番朝が苦手なはずの俺であったが、今日は珍しく最初だったようだ。
「いただきます。それで、今日はどうすればいいんだ?」
朝食に用意されたパンを一口食べて飲み込みながら、今日の仕事の確認をするため尋ねてみた。ちなみに、堅苦しい敬語はやめるように言われている為、初日からじいさんって気楽な呼び方で統一しているが、特に何か言われた事はない。最低限の礼さえ忘れていなければ、本当に気にしないらしい。
「ああ、召し上がれ。お前さん達はワシの手伝いをして欲しいのだが、いいかの?」
「問題ないと思う。家に住まわせて貰っているんだし、それぐらいの事は手伝うさ」
「そうか、すまんの」
「いえいえ。でも、昨日までやっていた家の方は大丈夫なのか?」
俺たちはこの3日間、この村にやってきた大量の旅人が泊まる家を作る手伝いをしていた。最初、仕事の方はどうしようかと思っていたが、寧ろ人手不足で助かったらしい。
「その家を作る材料が足りなくなってきたのでな」
「なるほど、そういう事か」
アグラバインは木こりをやっているらしく、建設の仕事の合間によく大きな木を持ち運んでいる姿を見てきた。筋骨隆々なあの姿は、日々の仕事の賜物なのだろう。そんな事を考えていると居間に椎名が入ってきた。
「樹、アグラじいさん、おはようございます」
「おう」
「ああ、シイナもおはよう」
俺たちと挨拶を交わしてシイナも椅子に座り、俺たちが先に頂いていた朝食に手をつける。
「椎名、今日はじいさんの方の手伝いらしいが、問題ないよな?」
「いただ……ん? ああ、大丈夫ですよ」
「そうか、シイナも済まないな」
「気を使わなくても大丈夫ですよ……いただきます」
言いかけで、気持ち悪かったのか、もう一度言い直してパンを食べ始める。その後、話をしながら朝食を済ませたが、渚が起きてこない。
「ご馳走様です。しかし、渚はまだ起きてこないのか?」
遅れて食べ終わった椎名も同じ事を思ったようで、居間の入口の方を見ながらため息を吐いている。
「まあ、昨日も遅くまで起きて色々調べていたようじゃったし、疲れているのだろう。寝かせておいてやれ」
「分かりました。取り敢えず、メモを残しておきます」
「そうじゃな、そうしておいてくれ」
じいさんの仕事を手伝ってくるという書き置きを残して、俺たちはじいさんの後に続いて家を出た。書き置きは、リィンバウムの世界の字を使っている。
これも不思議な話なのだが、この世界の文字を見せて貰った時、知らない字のはずなのに何故か頭の中で日本語に変換できたので、読む事が出来た。だから汚い字にならないように、綺麗な字を書く練習だけで済んだ。
言葉も通じる事から考えると、召喚された時に何かが起きたのだろう……細かい事は分からないが、大いに助かる話なので、あまり深く考えないようにした――考えなくても言葉は通じるのだ。今はその事実だけあればいい。
玄関から外に出る、今日もレルム村は雲一つない空から、太陽の日差しが燦々と降り注がれている。じいさんの家はこの村の中で一番高い所に建っており。さらに少し離れた所にあるので、綺麗な景観を一望する事が出来た――つまり、あの長蛇の列がよく見えるのだ。あの列が3日経っても減らないのだから、いまだに外から人が集まってくるのだろう。
「相変わらず、凄い人数だよなあれ」
椎名も同じ考えを――いや、あれを見れば誰でもそう思うか。そう考えた所で、今日はアグラバインが近くにいるのだから、せっかくだしあの列の事を聞いてみるか。
「じいさん、前々から思っていたのだが、あれは何の列なんだ?」
「ああ、あれは……聖女の奇跡を頼って来た奴らの列じゃ」
いつもと違い、怒りやら悲しみやら憤りやら色んな感情が合わさった様な、複雑な顔をしているアグラバインが気になったが、それ以上にアグラバインの言葉に俺と椎名が一瞬固まった。
「聖女の……」
「奇跡、ですか?」
「ああ。あらゆる病気や怪我を、奇跡の力で治す事で出来る聖女がいるんじゃよ」
奇跡の力で治す。その言葉に一瞬体に衝撃が走り、心臓が高く跳ねたような錯覚に陥った。
(それな――!?)
俺は頭を強く横に振り、一瞬でも考えてしまいそうになった事を頭から振り払う。今の行動がばれない様に、感心した風を装って息を吐き、落ち着かせながら会話を続けた。
「じゃあアメルは、その聖女のお付きの仕事か何かなのか?」
何となく、聖女の身の回りで一生懸命世話をしているアメルの姿が脳裏に浮かぶ。その姿は簡単に想像できたのだが、じいさんが俺の質問に首を横に振り、意外な答えが返ってきた。
「いや、アメルが聖女なんじゃ」
「……へ?」
予想外の答えに、俺と椎名の間の抜けた声が重なる。最初の1日目だけの印象でしか語れないが、よく笑う何処にでもいそうな少女にしか見えなかったのだが……。
「嘘じゃないぞ」
「いや、何処をどう見ても普通の女の子にしか見えなかったから」
椎名の言葉に、俺も同意するように頷く。「そう見えるじゃろう?」とアグラバインが前置きを置いて聖女になった経緯を語りだした。
「今から大体1年位前から、急にその力がアメルの中で目覚めてしまってな。全てが治せる訳ではないが、大きな都市にでも行かないと治せない病気や怪我も治してしまうから、村の人間たちからも重宝された。それがいつの間にか、外の人間にも話が伝わり押しかけてくる様になった……[レルムの村には怪我や病気を治す奇跡を起こせる聖女がいる]とな。そこに村長含めた村の者が、アメルに聖女という神輿を担がせ、やってくる旅の者が村に落す金を狙う様になった」
アグラバインはそこで一度区切り、アメルがいる他の家より大きい家を苦々しく見つめた。
「ワシらは反対した、アメルの事はどうするのだとな。だが、奴らは村の事を考えろと声を強くした……何より、アメルがそれを引き受けてしまった。あの子は優しすぎたんじゃよ」
「そうだったんですか、だから全然帰れなかった訳だ」
椎名も辛そうな表情でアグラバインと同じ方向を見る。俺はそれを聞いて、初日での台所の光景を思い出した。
(だからあの時、嫌な顔をしていたのか……そんな事はないって言っておいて、アメルも嫌なら嫌と言えばいいのに)
アメルの断れない性格が悪い方に作用されたようだ。いや、誰かが被る犠牲なら、自分がと思ったのかもしれないな。
「村の者の言う通り、あれだけの人数が来るのだ。村は潤ったが……」
「その代わり、1人の女の子の自由がなくなる。それは許すべきじゃないな」
「だが、アメルが構わないと言っておる……それに困っている誰かを助けたいと望んでいる、あの子の気持ちは本気じゃからな」
「強くは言えないんですね」
「……そういう事じゃ」
そう言って、じいさんは斧を抱え直して歩き出した。話はそれで終わりと言う事だろう。俺たちも苦い気持ちを抱えながら、アグラバインの後を追う形で歩き始めた。
「皆あぁぁ! た、大変だ!」
仕事を始めて2時間位経った頃、大声で俺たちを呼びながら、渚がこちらに向かって走ってくるのが見えた。
「あの野郎、今頃来やがった……」
「でも、今の呼び方。何かあったんじゃないか?」
確かに何か焦っているような感じだったが――まあ、すぐ近くに見えるし、事情を聞けば分かる事だ。そう思ってから1分としないうちに、息を切らした渚が俺たちの元に来た。
「ハアッ、ゼエー、ハアッ……」
「どうしたんだ渚、そんなに慌てて? お前が遅刻にそこまで罪悪感を感じる男だったか?」
「と言うか、罪悪感の意味が分からないんじゃないか?」
「ああ、そうだな。その可能性もあるな……済まなかった、渚。もう少し子供でも分かりやすい言葉を使うよ」
「お、お前ら……言いたい放題、言いやがって……って、そんな事より大変なんだ!?」
「何が大変なんだ?」
「村に山賊が現れて、聖女を人質に取ったんだ!」
「何じゃと!?」
「ロッカとリューグが、アグラじいさんに伝えろと俺に言って、飛び出したまま帰って来ないし、アメルもこんな状況なのに帰って来ないからさ……俺も焦っちゃって」
「渚、その聖女がアメルなんだよ」
「へ? ……マジ!?」
「ああ、それがな」
「椎名、説明は後にしろ。今は村に戻る方が先だ」
椎名が渚に説明しようとするが、肩に手を置いて止めさせると、
「アメルはやらせん!」
そう声を張り上げて、アグラバインが走り出した……道具を投げ捨てて。
「お、おいじいさん――渚、椎名、俺たちも急ぐぞ」
「ああ」
「ま、また走るのか……」
俺たち3人もじいさんに遅れないよう走り出し、アグラバインを追って村へと向かった。
走っている途中でじいさんに追いつき、取り敢えずじいさんの家まで戻って来た。じいさんの家が離れていた事が幸いしたのか、この辺りには山賊は来ていない様だった。
「……あそこに集まっているようだな」
家の外から村を見回すと、中央の広間に多くの人間が一箇所に集められている。その周りに何かしらの武器を持っていると思われる、男たちがいるのを確認できた。
「見付からない様に、近づいてみよう」
俺の提案に3人が頷き、俺たちはやつらの死角から死角へ移動しながら近づく事に成功した。最後の死角になるだろう誰かの家にまでは近づけた。これ以上近づくと誰かに見付かるだろう。しかし捕まっている人や、山賊の顔が全員分かる位まで近づけたので十分だ。
広間の様子を窺って、分かった事がある。俺たちの正面に、アメルとその首筋に剣を突きつけて村にいる人間を牽制している男が1人。右手の方に村人や旅人が座らされている。ロッカやリューグたち自警団員は縛られていた。アメルを人質に取られては、動く事が出来なかったのだろう。左の方はこの村の食料や金銭、金になりそうな物が積まれており、それを10人位の男が物色しながら騒いでいる。
どうやら聖女が狙いというよりも、金目の物が狙いだったようだ。聖女の噂で人が集まっていたのだ。前々から計画でも練って狙っていたに違いない。旅人達は人数が多すぎて縛られていない者も多くいたが、山賊たちの狙いが金目の物だと分かったからか、嵐が過ぎるのを待つ気なのだろう。
「アメルを拘束している男、村人たちを見張っているのが5人。それに物が集まっている所の人数合わせると16人か……」
想像していたより、人数が少ない。どうやったのか知らないが、アメルさえ人質に取れればいけると踏んだからこそ、この人数なのだろう。
「おのれ……あやつら!」
じいさんがそう言いながら、前に飛び出そうとしたので、慌てて肩を掴んで踏みとどませる。
「待てよじいさん。何も考えないで飛び出しても、人質を持つ向こうの方が有利だ。ロッカたちと同じ目に会うぞ」
「ではどうしろと言うんじゃ、このまま黙って見ておれと言うのか!?」
「だから、落ち着けって。俺に任せてくれ、考えがある。」
「……分かった」
そう言って少しは落ち着いたのか、じいさんが腰を下ろし、こちらを見つめてきた。俺がどう動くのか値踏みしているような目でだ。
「まず最優先にすべきは、アメルの救出。次にロッカたちを含めた、縛られている人たちの安全確保。山賊の撃退はその後でもいい」
「ああ、そうだな」
椎名の同意を横目で見ながら、俺は説明を続ける。
「まず、じいさんには奴らに見つからない様に、アメル達の背中の方へ回り込んでくれ」
「その後は?」
「俺が正面から出て囮になって油断させるから隙を窺って、後ろから強襲してアメルを救い出してくれ。じいさんが助けた方がアメルも安心するだろうしな」
「囮じゃと……大丈夫なのか?」
「言いたい事は分かるが、大丈夫だ任せてくれ」
「そうか、それなら頼む」
「渚も、じいさんと同じ様にここから離れて、出来るだけ人質の近くまで移動してくれ。それで俺が呼ぶまで待機」
「はあ? 待機だ?」
「アメルを助けた時に、アメルの代わりに別の人質を取ろうと行動する奴を叩いて欲しい。まあ、じいさんがアメルを助けるのと同時に動いてくれてもいい」
「あいよ、そう言う事ね」
「それと、村人を監視している5人の注意が俺にそれている様なら、縛られている奴の縄を切ってやってくれ。もちろん、切っても行動を開始するまでは縛られた振りをして貰ってくれよ」
「りょーかい」
「椎名は俺の後ろにいて、これを持っていてくれ」
そう言って、俺がいま持っている唯一の武器である刀を椎名に渡す。
「何故これを? まさか、丸腰でいくのか?」
「丸腰の方が、奴等は油断すると思うからな。それで俺が合図したら、俺の方に向かって投げてくれ。その後は渚の方のサポートをしてやってくれ。」
椎名が俺の言葉に、緊張した面持ちで頷いた。死角から死角へと言葉で言うのは簡単だが実際は難しい筈なのに、意外と簡単に移動出来てしまった……これはそれほどまでに相手は油断しきっている証拠だろうと思う。それを利用しない手はない。
「渚、お前に人を殺す覚悟はまだないだろうから刀を使わず。じいさんの家から持って来ていた、刃引きした剣を使え……無理はするなよ、普段の稽古とこの2日で教わった事を思い出せよ」
「ああ……ってわざわざ緊張させる様な事を言うな!」
「それだけ口答えできれば大丈夫だな。さて、じいさん。じいさんが成功するかどうかが一番大事だ、頑張ってくれよ」
「任せておけ、アメルは必ず助け出す」
「それじゃあ、俺は10分後に行動を開始する。俺が引き付けるからしっかり頼んだぞ2人とも――よし! それじゃあ行動開始だ」
俺の宣言をきっかけに、アグラバインと渚は山賊の視線を気にしながら、俺たちの元を離れていく。
「樹」
「大丈夫だ、俺に任せておけ。それより、合図を出したら刀を頼むぞ」
「あ、ああ……抜かりはない」
そう言ってロッカから譲って貰った、刃引きしてある槍を震えながらも握り締める椎名。異世界生活の2日目から、渚と椎名はロッカたちと鍛錬を始めた。リューグの宣言どおり、2人がすぐに負けて、俺も引きずり出されるだろうと思っていたが。椎名が引き分けに持ち込んだらしく、俺は無理に出なくてもよくなった。
予想外の展開に、どう言う事かと事情を聞いてみると。渚も椎名も地球にいた時より、身体的に色々強くなった事が解ったらしい。特に動体視力がよくなったのが功を奏し、攻撃一辺倒だった渚はあっさりカウンターの餌食になったそうだが、防御を固めて、逃げに回った椎名をリューグは時間までに倒しきれなかったらしい。椎名の言葉を聞いてから、刀を使って1人で訓練をしてみたら、予想以上に体が動き刀も鋭く振れた。想像以上の効果を実感する事が出来た。
それを踏まえて、椎名には槍を持たせた。刀よりリーチがある。それだけの理由でも槍を使う利点が強い。立ち回りや捌きは、稽古と実戦の繰り返しで身につけて貰うしかない。
「頼もしい限りだ」
緊張と恐怖から硬くなっていた様だが、ぎこちないながらも笑顔を見せたので、何とかなるだろう――まあ、椎名には負担をかけさせるつもりはない。
俺はそう思いながら、山賊たちを見据える。恐怖からか、目じりに涙をためているアメルを見て俺は手を強く握り締める。アメルを人質に取っている優位性から緩みきっている奴ら。そこに勝機があるはずだ。
俺は心を落ち着かせながら、約束の10分を待つ事にした……。
「そろそろだな……」
大体10分経った事を椎名と一緒に確認してから、俺はもう一度、椎名と目を合わせる。
「樹、大丈夫かな?」
「大丈夫だ、俺を誰だと思っている」
椎名は相変わらず固い笑顔だったが、10分もの間、不安を耐えられたのだから大丈夫と思う事にする。俺は立ち上がり、広間にいる全員から見える場所へ足を踏み出した。
「こんな真っ昼間のいい天気の中。そこで一体、あんた達は何をやっているんだ?」
その場にいる全ての目が、声を発した俺の方に向けられる。
「イツキさん!」
「イツキ! お前、何してやがんだ!」
「い……イツキさん」
俺を知っているアメルたちが声を上げる。
「何だ、テメエは?」
「それはこっちの台詞さ。大の大人が女の子1人を人質に取らないと、強奪も出来ないのかね? 全く情けない」
俺の突然の登場に、山賊共が少々驚いた様だったが。その中でアメルを捕まえている男が、怪訝な顔をしながら俺に話しかけてきた……勝手に話しかけてきたと言う事は、こいつがリーダーだろうか? 取りあえず挑発を繰り返して様子を見る。
「何だと!?」
「本当の事だろ? 今の状況を見れば、誰だってそう思うぜ」
俺の言葉にリーダーらしき男がこっちを睨みつける……が、俺の全身を眺めたあと、すぐにイヤらしい笑みを見せながら言う。
「何だかしらねえが、よく見ると変な格好してやがるな。おい! ついでに、こいつの身ぐるみも剥いじまいな!」
「果たして出来るかな?」
「おいおい、たった1人で何粋がってやがる坊主」
「しかもこいつ丸腰じゃねえか!」
「ヒャッヒャッヒャ! 餌が、自分から飛び込んでくるとはな!」
そう言いながら、金品を物色していた10人のうち、3人ほどが、緩慢な動きで近づいて来る――全く舐められたものだ。
無防備な姿勢で、動かずに待っている俺に、一番近くまでやって来た男が手を伸ばしてくる。それを瞬時に打ち払い、懐に移動して相手の鳩尾に肘鉄をぶちかます。
無言で崩れ落ちる男を無視して、呆然としている2人目に低い体勢で近づき、顎に向けて下から突き上げるように掌低打ちを放つ。掌低打ちを喰らって浮かび上がった2人目の横を通り、3人目を狙う。
3人目は攻撃する姿勢になったが、武器を抜いていなかったため、そのまま拳を突き出してきたが、俺はそれを避けつつ、腕を掴み、一本背負いで投げ飛ばした。
「グェ!」
投げられた3人目は受身も取れずに、情けない声を上げて気絶した――あと、13人。
「…………」
辺りに一瞬静けさが漂う……誰もが驚きの表情を見せており、声を上げる事が出来なかったからだ。ここで俺は、後7人に減った男の方に体の向きを変え、右手の指4本でこちらに来るように挑発する。
「もう終わりか?」
俺の声で正気を取り戻し、挑発に顔を真っ赤にした山賊共は、それぞれ獲物を持って俺に向かって走り出した……予想通り、村人側にいた男達も俺が背中を見せて油断していると思い込んだか、動き出した気配を感じる。
「挑発して、正面から来るのは5人か……椎名!」
「任せろ!」
左手側に隠れていた椎名が飛び出してきて、俺に向かって刀を放り投げる。俺はそれを左手で受け取り、そのまま後ろを向いて、村人側の方に走る。動いているのが3人だと確認した瞬間に跳躍し、一番奥にいた男を着地と同時に斬り倒す……と言っても鞘から抜かずに攻撃したため、骨の折れる感触しかしなかったが。振り向き様に1人を斬り、瞬時にもう1人も斬り倒す。
5人の方に目を向けると、3人が戦闘不能になるのを見たからか、2人ほど足を鈍らせている。それを見て、先に来た三人の元に走り、剣を振るう男の攻撃を避けながら胴に一閃。横から突き出された剣を弾き飛ばし、もう一人の攻撃は相手の背の方に転がって避ける。そいつが振り返ると同時に刀で胸を突き、弾かれた武器を拾おうとした男に跳躍し、斬り捨てた。背後から殺気を感じて刀を後ろに向ける、振り下ろされた剣と刀の鞘のぶつかり合う音。鍔迫り合いになる前に、刀から手を離し姿勢の崩れた男の片腕を取って担ぎ上げて、もう1人の男に投げ飛ばす。受け止めてしまった男が、抱き止めたまま地面に倒れた隙に近づき、地面にスタンプを押す様に踏みつけた。情けない声を上げて、最後の2人も気絶した――あと、5人。
向かってきた男達を倒した所で、刀を拾い上げ今度はアメルの方に向き直る。
「ば、馬鹿な!」
向こうのリーダーと思われる男が、ありえないと言わんばかりの驚愕に満ちた顔をしている。
「さあ、彼女を放して貰おうか」
俺がそう言って、近づいた時。
「よ、寄るんじゃねえ!? こいつがどうなってもいいのか!」
男はそう言って、アメルの首もとに突き付けた剣を更に近づけて脅してきた。
「……」
俺が無言で足を止めた事に気を良くしたのか、醜い顔を更に歪ませた笑みを浮かべる。
「ヒヒヒ! そうだよなぁ……こいつが死んだら困るよなぁ! 殺されて欲しくなかったら、その刀を地面に捨てな!」
調子に乗って饒舌に話し始めた男から視線を外し、アメルを見据える。
「ごめん、なさい。イツキさん……ごめんなさい」
自分のせいでと思っているのか、謝りながら、遂に目じりから零れる涙に心を痛めたが。少しでも安心させるように、出来る限り笑って見せる。俺のその顔に驚いたのか、涙を止めて大きく目を開いたまま、こっちを凝視するアメルに、今度は強い意志をぶつける。
(俺に任せろ、必ず助けてみせる!)
俺の思いが直接届いたかは分からないが、強い意志を持った目で小さくだが頷き返すアメルを見て、大丈夫だろうと思い、もう一度男を見据えながら口を開く。
「何をもたもたしてやがる。さっさと武器を捨てて、降伏しろ。でないと娘を殺すぞ!」
「寧ろ、お前の方が降伏するべきなんじゃないか?」
「な、何を言って」
「この場をお前が支配できている理由は、その子を人質にとっているからだ、その人質を殺したらどうなると思う」
「あ……え、ええ!?」
「ここにいる大勢の旅人達がさ、その子を目当てに村に来ているんだ。それを殺そうとしていると知ったら、そいつらがどうなるだろうな?」
それを聞いた男が、恐る恐る旅人たちの方に目を向けると、相当な数の旅人からの殺気を当てられていた事に気が付いたようで、顔が青ざめ始める。
「ほら、どうした? 殺してみろよ? そうしたらお前も、お前のお仲間も一緒にそれはもう無残な目に会うんだろうなぁ」
「よ、よせ! そんな目で見るなキサマら!」
「クックック、ほら、どうしたよ? やるのか、やらないのか?」
「ひ、ひいい! やめろ……ヤメロォォォ!」
恐慌状態に陥ったのか、男が首に当てていた剣を、旅人の方に向けて降り始めた――その瞬間を、俺は見逃さなかった。
「じいさん!」
「うおぉぉぉぉ!」
俺の声とほぼ同時にアメルの後方から、獅子のような咆哮を上げて、アグラバインがアメルを助けるために猛然と駆け出した。それと同時に俺が男の右手に向けて鞘を投げた。
「な!? 何だ、テメエは……ガア! な、何だ……!?」
後ろに注意の逸れた、男の右手の甲に鞘が当たり、その衝撃に剣を落とすのを見て、俺はこの戦いの終わりを感じた。
「アメルから、離れろおぉぉぉ!」
「ま、待ってく……グベェェ!」
アグラバインの拳による渾身の一撃を頬に食らった男は放物線を描き、金品のある辺りにまで飛び込んでいった。すぐにロッカたちの方を確認すると、渚が上手く動いたらしく、残りの2人の山賊も伸びていた。視線を戻すと、金品の方の山賊たちは吹き飛んできたリーダーを抱えて凄い速さで逃走していた。今から追いかけても森に入られたら、土地勘の無い俺では逃げられるだろう……。
「アメル! 無事で……無事でよかった」
「おじいさん……おじいさん!」
何より、家族がお互いの無事を喜び合う姿を見ては、追いかけるのもどうでも良くなった。
「まあ、伸びている山賊たちを拘束する方が先だな」
そう呟きながら、刀を拾った俺は歓喜に沸く広間の中で行動を開始する事にした……。
随分と無表情な子だ。アグラバインが、最初にイツキと出会って強く思った事がそれであった。
自己紹介から始まり、リューグとナギサの諍いを止める時も、アメルの料理に美味しいと言った時も、イツキの表情は本当に動かない。例外を上げるとすれば、困った顔くらいだろうか?
声を聞けば美味しいという感情も感じる事が出来た、仲裁に入り謝る時も、心から謝っている事が伝わってくる。だが表情を見ると、本当にそう思っているのかと疑問に思ってしまう。
自分達を警戒しているから、あんなに無表情なのかと思った事もあったが、この3日間であれが普通の状態の様だと言う事が分かった。ナギサやシイナと話す時も自分達と変わらない事に気が付いたからだ。
無表情な理由の1つは眉なのだろう。昔の友人が「眉は顔の中で、最も表情が分かりやすい」と言っていた。いつも仏頂面のリューグでも眉は動くというのに、イツキは動かない。その為、特に笑うと酷い事になる。あんな笑い方をするならしない方がいいとさえ思える。リューグからの敵意が取れないのは、多分そういう所が関係していて信用できない男と思われているからだろう。
普段から冷静な男だと思っていたが、想像以上であった。アメルが山賊に襲われたと話を聞き、実際にその光景を見て、衝動的に飛び出してしまいそうになった自分を止めたのが、あの無表情な顔で冷静に広間を見て、指示を出したイツキの言葉だった。
自分は昔、国に使える騎士だった事がある。その頃から冷静に判断する事の大切さを教わってきていたのにも関わらず、孫娘の事でつい自制を抑えられなかった事に恥じた。だからこそイツキの冷静さには舌を巻いた。
そして、あの戦闘で見せたイツキの力だ。イツキに任せてみようと、イツキの指示に従って、アメルたちの後ろに回り込み、そこからイツキの行動を見る。イツキを囮にする案には提案したのが本人だったとはいえ、やらせて良かったのだろうかと頭を悩ませたが、実際に見てみるとイツキの動きは素人の者ではなかった……というより数々の戦いを経験してきた自分の目から見ても相当な実力者である事がわかる。そこにいる誰よりも圧倒的な強さを見せたにも拘らず、まだ余力を残している様に見えたからだ。
しかし、アグラバインの中で何よりも印象に残ったのは、アメルを助ける直前に見たあの力強い瞳と、笑顔だった。普段の眉一つ動かない顔ではない、もっと見る者の心に安心感を与える文句のない笑顔であったのだ。あんな笑顔ができるのなら、普段はどうしてああも表情が動かないのか理解できなかったので、いずれ聞いてみようとアグラバインは思った……だが、今は礼を言うほうが先だろうと、アメルを落ち着かせてから探してみると、イツキは伸びている山賊たちを縛り始めていた。この広間が村人旅人の違いなく、歓喜の声が満ちている中。我関せずと表情変えずに作業していたのにまた驚いた。その姿に、自警団の連中も手伝い始め、全員が縛り終わる頃には、今度はイツキの姿は見えなくなっていた。近くにいたシイナに何処にいるのか聞いてみると、
「あいつなら、先に帰りましたよ。あと、伝言で――今回の手柄を全て差し上げますので、後の事をお願いします――との事です」
その言葉にもアグラバインは目を疑った。今回、無事に成功させた功労者であるイツキが辞退するとはどう言う事なのだろうか?
「あいつはああ見えて、相当なものぐさでして。面倒事が押し付けられるなら、何でもいいと考えての行動だと思います」
自分の困惑する表情を見て、シイナが苦笑しながら説明してくれた。シイナには自分が困惑すると分かっていたらしい。
「そんなに分かりやすかったか?」
「昔から、こう言う説明やフォローをするのは、俺たちの役割だったんで、慣れているだけですよ」
確かにさっきの話し方から年季を感じるので、大分前からイツキはああいう感じなのだろう。しかし、イツキの思惑に乗るつもりはない。イツキがいなければ今回の様な成果を上げられなかっただろう。他にも手はあったかもしれないが、結果としてイツキの作戦で戦い、勝ったのだ。イツキが称賛を浴び、村の皆にも覚えられた方がアグラバインは嬉しかった。
その後、アグラバインは村の皆に素直に話した。あの活躍を目の前で見ていただけに、皆が納得するのに時間はかからなかった。ナギサとシイナは顔を引き攣らせていたようだが、アグラバインは気にはしなかった。
「ぜひ、村を代表して礼を言いたい」
と言う村長を連れて、アグラバインたちは自分の家に戻る事にした。リューグやロッカは誘導のため現地に残り、ナギサとシイナも手伝って行く事になったため、アメルと村長を連れて家に戻る。アメルも今回の騒動で少し早い帰宅が出来たからだ。
家に入り、居間に入ってみると。イツキは本を読んでいた。相変わらず勉強に余念がないなと感心していると、気配に気づいたからかイツキが顔を上げる。
「ああ、じいさんたちおかえり……ん? そちらの方は?」
「ただいま、イツキ。こちらはこの村の村長じゃ」
「ワシはこのレルム村の村長をやっている者じゃ。今日の礼を言いに来た。本当に今回はありがとう。感謝の念に堪えん」
村長がそう言った途端、イツキの顔が曇り、アグラバインに視線を投げる――本当に嫌なのだな。アグラバインは苦笑しながら頷く。イツキはため息を吐いた後、村長の方に顔を向けた。
「礼などいい、俺が勝手に助けたくてやっただけだしな。それにアメルの助けたのはじいさんだ」
「いや、話はアグラバインから聞いた。今回の救出劇、全部お前さんのおかげだと言う事は村の者も分かっている。何とか礼をしたいのじゃが……」
それを聞いて、イツキは顔を一瞬歪める……と、言っても。いつも見ていたので何とか分かる程度である――まあ、あれでは村長は気づくまい。
「……では1つ、お願いがあるのですが」
「何かな?」
「アメルを、普通の女の子に戻してあげたいんだが」
その言葉に、アグラバインは言葉を失い、ただイツキを見つめた。イツキの目はいつもより強い意志の力を感じさせる――つまり、本気でイツキはそれを提案したのだとアグラバインは分かった。
(自分がいつか言わなければ……そう思っていた事を、まさかイツキが言うとは)
視線を横に向けると、村長も驚きに目を見開いている。アメルに至っては、瞬きすら忘れたのか呆然とした表情をしていた。
「……どういう意味かな」
「わざわざ、聖女として祭り上げさせていたのを辞めて、普通の村娘に戻して欲しいと言っている」
村長に言葉に、毅然とした態度で返すイツキ。しかし、村長は首を横に振る。
「何故?」
「もはや今までの経緯で、この村の外の至る所で聖女の噂は広がっている。聖女を辞めても、アメルの力を求めてまだまだ人はやって来るだろう……あの人の列を見れば分かるだろう? その者らの為にも、今更辞めるわけにはいかないのだ」
その物言いに、アグラバインは激高しそうになる自分の感情を何とか押さえ込んでいた。村長の言うそれが詭弁でしかないのは分かっているのだが、いま話をしているのはイツキだ。会話の邪魔をする訳にはいかない。
「では、聖女をいつまで続けさせるんだ?」
イツキもどうやら相当怒っているらしい、珍しく表情が険しくなっている。
「無論、アメルが力を失うか、辞めたいと言いたくなるまでだな」
「あんた達が無理にお願いし続ければ、アメルの事だ、断れないはずだ。それに、力を失うと言うが。それなら今日いきなり、力を失った事にしたって問題ないはずだが?」
「そんな嘘、いつばれるか分からないではないか」
「ばれる? 力自体弱くなった、人を集められる程の力はもう無い、とか色々理由を作って誤魔化してやればいいじゃないか? そんな協力が出来ないほど、この村の結束は弱いのか?」
「そ、そんな事は……」
イツキの言葉にしどろもどろになる村長。上手い言い訳が言えないのか視線も落ち着かないようだ。その姿に、イツキは目を細めながら、
「……村の利益が減るから、辞められないんじゃないのか?」
村人が決して触れない話題を、振り始めた。
「そ、そんな事はない!」
その言葉に、即座に反応した村長であったが、顔が赤くなっている……ムキになって反論したのは、そういう後ろめたい事もあるからだと、アグラバインは理解した。
「どうだかな。その気になれば、辞めさせる事くらい訳はないだろ? 言い訳使って逃げるなよ」
「言い訳なんぞ言っておらん!」
「それなら、あんた達はアメルの人生をどうするつもりだ? 力さえ失わなければ、一生聖女として縛るつもりか?」
「そ、それは……」
「この村が貧困に喘いでいたのなら、村の事情だから俺も強く反対はしないし、出来ない。だが、アメルが聖女になる前から、この村は普通に生活できていたそうじゃないか?」
「…………」
「村の為に人生を潰させる資格があんた達にあるのか? ある訳が……」
「イツキさん、もうやめて!」
イツキが村長に畳み掛ける様に発していた言葉を止めたのは、話の中心にいたアメルだった。
「私の事なら大丈夫だから。心配してくれた事は嬉しいけど……私は聖女を続けたい」
「それは、お前の本心から言っている言葉か?」
「うん。困っている人がいたら助けたい。助けた人の笑顔を見るの、私は好き。その為の力があるのなら、私は続けていきたい」
アメルの横顔から、そしてその瞳から本気で聖女を続けたいという気持ちが伝わってくる。イツキもその瞳に、珍しく驚いているようだった。
「しかし……」
「アメルがそう言っているのだから、私としても、その意見を尊重してこのままで行こうと思う。この事に変更はない」
イツキが戸惑った事を勝機と見たのか、村長はそれが最終決定だと宣言し、それ以降の言葉を打ち切った。
「……なら勝手にしろ。俺は元々、礼などいらない。アメルたちに助けてもらった恩返しだと思ってくれ」
そう言い捨てて、イツキは居間を出て行ってしまった……居間に悪い空気だけを残して。結果的にイツキに迷惑をかけてしまった。
「アメル。これからは毎日家に帰れるように、もう少し余裕を持たせる事にする。あんな事があったばかりだし、この家の方が安全なはずだ」
「はい、お気遣いありがとうございます」
「いや、いいんだよ……済まなかったな」
村長はそう言い残して、家を出ていった。村長にも、思う所があったのだろう。それでも、空気が変わる事はない。
「イツキさん……」
アメルは村長が出て行っても、イツキが出ていった方を見続けていた。アグラバインは後悔した、礼を言うばかりか、色々と悪い事をさせてしまったからだ。外が夕方から、夜の時間にもうすぐ変わろうとしている。まるで、今の自分たちの気持ちのように、心に暗く苦いものが広がっていった。
パチンと、乾いた音が辺りに響いた。
いま、聞いた音を文字で表現すれば、たった3文字で済む。そんな簡単な音だ……だが、実際に平手で頬を打たれた「あいつ」にとっては、音以上の衝撃があったはずだ。
「私が! いつ助けてくれって言ったのよ!」
それが、苛めから助けた子だったのなら余計に。
「……私が、勝手に助けたかっただけ」
その言葉を聞いた女の子が、怒りに燃える瞳をさらに燃え上がらせ、もう1度手を振り上げて頬を打った。「あいつ」は避ける素振りも見せずに黙ってそれを受けた。
「この、偽善者!」
最後にそう言い残して、苛められていた子が走り去っていく。
ここは、俺たちが召喚される前に住んでいた町の高架下。もうすぐ夜になり、闇がこの街を支配する時間が近づいて来ている。そこに俺と「あいつ」が立っていた。
(ああ、またこの夢か。もう何度も何度も繰り返し見てきたあの夢だ……)
俺が叩かれた「あいつ」を見て夢だと認識した時、
「……あはは、叩かれちゃった」
そう言ってこちらを振り返った「あいつ」は困った顔をしていた――まあ、昔あった事を、夢で見ているだけなので。行動も話す内容も一緒であるのだが。
夕日が沈んできており、暗くなって来ているというのに、目の前の「あいつ」の顔は不思議とよく見えた。
「なあ、俺が言うのもなんだけどさ。どうみてもさっきの奴の言う通りだと思うんだが……そんな偽善的な行為、繰り返して辛くねえの? 顔見る限り、どう考えてもこれ以上こういう事を続けるのは辞めた方がいいと思うのだが……お前の為にもならないって」
俺は一言一句間違わずに、あの時言った言葉を続ける。何度も経験している夢なので、自分の台詞も間違えないで出来る自信はある。
「あはは、いっちゃんが言うなら、そうなのかもね」
「いっちゃん言うな。恥ずかしいから樹と呼べって何度言ったら分かるんだよ、お前は」
「でも、いっちゃんは、いっちゃんだし」
「相変わらず、訳の分からん女だな」
「じゃあそんな女に、いっちゃんはどうして付いてきてくれるの?」
「う……そんな事どっちでもいいだろ! さっきまで落ち込んでいたくせに、口の減らない奴だ!」
「あはは! 顔真っ赤にしたって、説得力ないよ!」
違う、これは夕日でそう見えるだけだ、決して顔が赤くなっている訳では……そんな言葉を口も出せずに、悪態をついていると、
「あー、笑った笑った! ……ありがとね、落ち込んでいた私を元気づけようとしてくれたんでしょ? 口は悪いけど」
「口が悪いってのは余計だ!」
そう言うと、「あいつ」は急に真顔になって俺を見ながら、
「多分、いっちゃんがいなかったらさ。私、持たなかったかもって思う時があるんだよね」
「……」
そんな事は無いと、言いたかったが、「あいつ」の目は何時になく、真剣だった。
「いつも助けていたつもりが、いつの間にか私が助けられている事が多くなっていたからさ……だからさ、ありがとね」
そう言って、いつもの様に申し訳なさそうな顔をする。勝手に人を巻き込んでいながらだ……だが、俺はそんな顔を見ていたくないから言ってやる。
「つーかさ、当たり前だろ」
「え?」
(いつもこの夢を見ている時、思っていたけど……何でこいつはそこで首を傾げるんだよ! そこは空気読んで分かるところって、いつもお前が言ってる事だったじゃねえか!?)
などと、声に出してやりたいが、そんな訳にもいかない。
「俺たち、友達だろ? 友達は助け合うもんだって、お前がいつも言っていた事だろう?」
「っ!? ……うん、そうだ。そうだったね」
そう言って、太陽にも負けない程の輝く笑顔で嬉しそうに頷く「あいつ」――この笑顔が見られたのなら安心していいだろう。
「いっちゃん。私はこれからも続けるよ!」
「はあ、言うと思ったよ……周りから偽善者って言われてもいいのか?」
「うん。だって、偽善だって善である事に間違いないもの! 困っている人を見捨てたくない。だから助けたいんだ」
そう言って、曇りのない綺麗な瞳を煌めかせる「あいつ」を羨ましい俺は目を細めながら、微笑む。俺には無いものを持っている「あいつ」が羨ましかったし、素直に尊敬出来るからだ。
「それに、なによりね――この信念が、いっちゃんと私を巡り合わせてくれたんだしね!」
そう言って、笑う「あいつ」の顔を、俺は死ぬまで忘れる事は無いだろう。何故なら俺はこの笑顔に救われ、今もまだ生き続けていられるのだから……
そして、俺は目の前が真っ暗になっていった。
「ん? ……夢、から覚めたのか」
俺は立ち上がって、窓の方に目を向けると。寝る前に見えていた夕日は沈み、夜の帳が下りていた。どうやら村長との会話の後、何も考えたくなくて、横になったのだが、いつの間にか寝てしまっていたらしい。
何故、あの夢を見たのだろうか? 何度か見ていたと言っても、最近は見ていなかったのだが……アメルの言葉とあの瞳に彼女と重なるものでもあったからだろうか? そんな事を考えていると、部屋の扉が開く音が聞こえて振り返る。
「あ――起きていたんですね。イツキさん」
そこには、お盆の上に食事の入った食器を乗せた、アメルが入口に立っていた。
「ああ、それは夕食か?」
「はい。皆はもう食べちゃいましたけど。イツキさんは寝ていたので、持ってきちゃいました」
「そうか、わざわざありがとうな。そのうち食べるから、机の上にでも置いておいてくれればいいよ」
そう言って、この部屋に置いてある机を指さすと「はい」と返事をしながら、アメルはお盆ごと置く……が、アメルはこっちを見たまま部屋を出ようとしない。何か言いにくそうにしているので、こちらから聞いてみる事にした。
「何か用か?」
「あの、さっきは言えなかったんですけど……今日は助けてくれて本当にありがとうございました」
「ああ、気にするな。さっきも言った様に、俺たちを助けてくれた事への恩返しだと思ってくれればいい」
「それでも、お礼が言いたかったんです」
「そうか、あんたも律儀だね」
俺がそう言いながら、ベットに腰を下ろす。アメルは、そんな事は無いですよと照れながらも言葉を続ける。
「それに、さっきの事でもお礼を言いたかった……嬉しかったんです。あんな風に言ってくれたのが。イツキさんが初めてだったんですよ?」
「そうなのか? まあここに住んでいる連中は、口にしないだけで、そう想っていてくれていると思うけどな」
アメルの気持ちを理解している為、口には出さないが。アグラバインたちの姿を見れば、誰もがそう思うだろう。今回の事がなければ、俺だって言わないでいたかもしれない。
「ハイ! 私もそう思います。おじいさん達は、私の我が儘を聞いてくれているんですよね」
「だろうな……しかし、このままで本当にいいのか? 正直今回の様な事が、また起きないとは言い切れない。安全面の事を考えても、やはり聖女を辞めるべきだと思うのだがな」
「確かにそこの所は、心配ですけど。ロッカやリューグたち自警団の皆さんも気を付けてくれると言っていますから……それに、私を頼ってここまで来た人たちを、見捨てるなんて私には出来ませんから」
「そうか。さっきも言ったが、アメルがそう思うのならそれでいいんだけどな。まあ、愚痴とか手伝って欲しい事とかあったら聞いてやるよ。たまには気分転換する事も大切だしな」
「そうですね。今はまだ思いつきませんから……もし、思いついた時が来たら、付き合って頂けますか?」
「ここに住まわせて貰っているんだ。それ位お安い御用さ。我が儘でも何でも言ってくれ」
「それじゃあ、その時はお願いしますね」
そう言って、微笑を浮かべながら、アメルは部屋を出ていき、部屋は静かになった。俺は机の近くの椅子に座り、アメルの作った料理を頂く事にした。せっかく、彼女が作ってくれたのだ。冷めてしまわない内に頂くとしよう。
「……うん、美味しいな」
作ってから時間が少し経っていたようで、少々冷めてしまっていた。それでもイツキにとって、頬が落ちそうなほどの美味しさに、無事に助けられた事も相まって、お腹も心も満足感に包まれたのだった。