樹が村を逃げ出してから3時間後。ケイブルは自分の天幕で直属の部下であるレイ3兄妹の長男、レイヤーから報告を聞いていた。
「無事に火の始末も終わらせ、森への被害も最小限に抑えました。この駐屯所まで火が来る事はありません」
レイヤーの報告を聞いて、安堵の表情をケイブルは浮かべた。北から吹いていた風が急に南東からのものに変わったのは、樹という名前の少年と戦っている時だった。
レルム村の北にケイブルたちの駐屯所はあり、風の勢い次第では家を燃やす炎が森にも移って駐屯所まで届く可能性もあった。それを防ぐためにあの時戦いを中断して、部下に指示を出したのだ。
元々の標的であったレルム村の聖女アメルは、一部の冒険者たちと共に村を脱出しておりそちらには追撃隊を出している。標的がいない以上、村での戦闘行為もそれほど重要ではなくなったのも戦いを止める理由になった。
「そうか、ご苦労だったな。それで村の状況は?」
「村に住んでいた住民と宿に泊まっていた旅人たちは、ほぼ全滅させたと報告がありました。村の外に逃げ出した者もいくらかいたようですが、村の外で待機させていた者たちが始末させましたし、運よく逃げおおせたのはホンの少数ではないかと思われます」
「それでは聖女の行方は?」
「追撃している者達からの報告がまだありませんが、逃げた方向から考えますとゼラムで間違いないと思います」
レイヤーの言葉にケイブルも腕を組みながら大きく頷いた。
「十中八九ゼラムだろうな。ゲームと一緒なら奴らはゼラムにあるギブソンと言う名の召喚師の家に逃げ込むはずだ」
ゲームをやっていて先を知っているケイブルにとっては、これから起こる出来事は殆ど分かっている。イレギュラーな人物たちが大人しくしてればという前提であるのだが。
「隊長の知らぬ者たちも混ざっている中で、全く同じ行動をするでしょうか?」
レイヤーもその前提には気が付いていたのであろう、ケイブルの中にある不安を口に出した。
「まあレイヤーの考えは尤もだが、レルム村の近くにはゼラムの町しかないし、あそこは蒼の派閥の召喚師にとって大きな拠点なのだ。イレギュラーが混じっていようとも、今回の逃亡先は十中八九ゼラムで間違いないだろう」
それなので、今回に関しては安心していいだろうとケイブルは考えていた。おそらくある程度はゲームと同じ様に進んでいくだろうし、道から外れるかもしれない時は介入して誘導させればいいのだ。
今はそれよりも確かめなければいけない事があった。
「そういえばイオス殿とゼルフィルド殿が部隊を率いてゼラムに入り、聖女の捜索を行うそうです……我々はどうするのですか?」
「今回は特例で認めたが、基本的に我が傭兵団はルヴァイドたち黒の旅団の任務遂行をサポートする事とその監督だ。雇い主からも極力戦いには関与するなと言われているからな。ゼラムへは俺とレイ3兄妹のみを連れて行く」
「3人ともですか?」
ケイブルがいない間の指揮を取る3人を全員連れて行く事にレイヤーは疑問を感じたのだろう、そんな質問を口にする。
「そうだ。3人とも連れて行くのは、確かめねばならない用事に備えるためだ」
「用事ですか?」
「ああ」
ケイブルはそう頷きながら、ニヤッと笑いながらレイヤーに伝えた。
「マグナたち一行を監視させるために、ゼラムに潜ませていた部下のコレルの所だ。何故ゼラムからあいつらが出て行くときに報告しなかったのか問いただすのだ」
レイヤーに目的地を伝えた次の日。ケイブルは昼食を取った後、レイ3兄弟を引き連れてゼラムを出発し4時間ほど時間を費やしてゼラムの裏路地に辿り着いた。裏路地に来たのはそこでコレルと落ち合うからである。
コレルの家に行くと事前に連絡を入れたのだが、「訳あって家は難しくこちらの指定した場所でよろしくお願いします」という連絡が来たためだ。ケイブルが了承したので口には出さなかったが、レイヤー達は不満だった様だ――まあ、態度を見れば一発なのだが。
「しかし、来るのが遅くないですかね?」
「レイクーの言う通りよ、隊長を待たせるなんて部下失格よ!」
「2人ともそこまでにしておけ。遅れているのも何か理由があるかもしれないのだからな」
「そうは言ってもまだ宿も取ってないし、時間は待ってはくれないぜ兄貴?」
「そうだとしても、待つしかないだろう」
「確かに兄さんの言う通り、待つしか選択肢がないものね――はぁ~、早く来ないかしら」
ケイブルはそんな事を言い合っている兄妹の会話を聞きながら前を見つめていると、遠くから1人の男が近づいて来ているのが視界に映った……その姿は間違いなくコレルだとケイブルは確認し、3人に声を掛ける。
「3人とも、コレルが来た。静かにしていろ」
ケイブルの言葉で3人も、こちらに向かってくるコレルを確認し口を閉じた。
「ケイブル隊長、遅れて申し訳ありません!」
歩いて10歩ほどの距離で停止したコレルが、謝罪しながら頭を下げてきた。
「気にするな、まだそれほど時間は経っていないからな」
「ハッ! ありがとうございます」
ケイブルの言葉に顔を上げたコレルは、そう言いながら敬礼する。
「……ん?」
そのコレルの姿を見て、ケイブルは何故か大きな違和感を覚えた。
「コレル、どういう事か説明して貰うぜ。何故報告を怠った?」
謎の違和感のせいで急に黙ったケイブルを不思議に思いながら、レイクーが話を進めるため口を開いた。
「はい、その事ですが……実は今まで私の周りを謎の集団が嗅ぎまわっておりまして、その集団の対処に追われてしまっていたのが原因です」
「謎の――集団?」
レイアーの疑問に、はいと答えながら頷くコレル。
「ふむ、それでそいつらは何者なのか判明したのか?」
レイヤーの問いに今度は首を横に振りながら俯くコレル。首を横に振った時と、俯いている様子から気落ちしているのが窺える。
「一生懸命調査しておりますが、まだ判明しておりません」
「コレルの言い分は分かったが――それでも今回の失態が、村1つ滅ぼす結果になるかもしれないと分かっていただろ! 事前に伝えておいたのだ、知らなかったとは言わせねえ。この失態、どうするつもりだ!」
「そうよ! ここまで準備して、この重要な任務も貴方だからと任せた隊長の信頼も裏切って――覚悟は出来ているんでしょうね」
「謝って済む問題ではない事は分かっております! どんな罰でもお受けいたします!」
レイクーとレイアーが殺気を放ちながらコレルを糾弾する。普通の人間なら震えて動けなくなるほどの殺気ではあったが、コレルはそれを正面から受け止めながら土下座をして謝罪した。おそらく任務を失敗した時点で、相当の覚悟はしていたのだろう。責任感の強いコレルなだけはある。
「隊長、どうしますか?」
……ここまで誠実に謝り、覚悟を決めているコレルを見てレイヤーは決定権を持つケイブルに視線を向ける。他の2人もケイブルを窺う、どういう決定をするのか気になるのだろう。
だがケイブルは、そのコレルの対応を見て違和感が強くなる所か警戒心が生まれてきた。見た目、話し方、雰囲気のどれをとってもコレルに間違いはない訳なのだが。
「……」
理由を言えと聞かれたら、感としか言えないあやふやなものである。だがケイブルは生まれてから28年間で培ってきたその感を信じて、行動を移す事に決めた。
「隊長? どうなされたんです?」
「大丈夫ですか?」
「……ああ聞こえているよ」
不安そうな顔をするレイアーとレイクーを安心させるように微笑んだ後、ケイブルはコレルを立ち上がらせて目を見ながら話しかけた。
「正直に言えば首を刎ねてもいいのだが、状況が状況だっただけに仕方があるまい、今回は特別に許す」
その言葉を聞いて、3人が驚愕した顔をケイブルに向ける。ケイブルの長年の想いを知っている3人なだけに、信じられない言葉だったのだろう。そんな表情を浮かべている3人を気にせずにコレルが礼を言う。
「あ、ありがとうございます! まさか許されるとは思っておりませんでしたので、何と言って喜べばいいのか――」
「ああ、もうその事はよい――それより」
コレルの慌てぶりを見て、ケイブルは内心で上手くいったと笑みを浮かべる。いまから行う一連の流れには、相手に考えさせる時間を極力与えてはならないからだ。
だから、ケイブルは次の一手を打つ。
「お前の彼女のアイナはどうしているんだ?」
「は?」
コレルは何を言われているのか分からない顔をした。
「何だその反応は? 俺が仲人になって婚約の約束をしたあのアイナだよ。お互いに別の任務で最近会えていないのは知っているが、お前と手紙の交換をしているという話はアイナから聞いているぞ?」
「あ、ああ。アイナですか……最近は謎の集団の方が気になっていたので、手紙は送っていませんでした」
かなり困惑した表情をしながらそう答えるコレルに、ケイブルもそれはそうだろうと分かったように頷いてみせる。
「そうかそうか、しかしそれでは彼女も寂しいだろうに」
「いえ、それは任務なのですから、我慢して貰いますよ。お互いに状況は理解していますからね――信頼していますし」
そう言ってコレルは照れながらもそう語る。レイ3兄妹はケイブルたちの会話に、こんな所で突然始まった会話の内容に唖然としている。いや、レイヤーは何かに気が付いたのか腕を組んで難しい顔をしていた。
「そうかそうか、それでもお前たちには辛い事をさせてしまっていたな」
そんな様子を確認した後、ケイブルはすぐに視線を戻し。申し訳ない顔をしながらコレルに1歩2歩と近づいていき、
「本当に――済まなかったなぁ!」
そして剣が届く範囲にまで近づいた時、ケイブルは剣を抜いてコレルの体に向かって剣を振るった。
「うわぁ!?」
コレルはそれを何とか回避しながら後ろに下がる。
『隊長!?』
「黙っていろ!」
ケイブルの突然の行動に驚き、声を上げる3人を黙らせてコレルの方に視線を向ける。
「隊長何を――いきなり何をするんです!」
上官に攻撃されるとは思っていなかったのだろう。そういう驚きの表情でコレルがこちらを見る――そのわりには上手く回避したものだが。
ここまできたら、もう偽る必要はないだろう。ケイブルは殺気を放ちながらコレルが驚くであろう言葉を叩き付けた。
「隊長だと? コレルの皮を被った偽者を、俺は傭兵団に入れた覚えがないがな」
「なっ!?」
「えっ!? 偽物?」
「あの男はコレルではないのですか!?」
ケイブルの言葉に、目を見開くコレル。レイ兄妹たちもケイブルの言葉に驚き、困惑した顔を向ける。
「ケイブル隊長! 私は偽物では――」
「確かに、何から何までコレルと同じだ。でもな、いくら不測の事態が起きても最初の方針を変えずに動くのがコレルだ……それに――コレルにはアイナという彼女などいない」
コレルが何かを言い切る前に、ケイブルが口を挟んで真実を告げてやった。
「!?」
「鎌をかけてみたんだが。予想通りだったな」
そう、ケイブルはとっさに思いついた嘘を使ってコレルを試したのである。ケイブルが知っているコレルであれば、アイナの話などしても何の事か分からない反応をしただろう。だが、目の前にいる男はこの話に乗ってきた。ケイブルと話を合わせる為である……それはつまり、このコレルは偽者である証拠になったのだ。
「さあ、そろそろ本性を現したらどうだ偽者? 名乗る時間くらいは与えてやるぞ」
剣を突きつけながらコレルを見据える。レイ兄妹たちも事態を飲み込んだのか剣を抜いて、ケイブルの後ろに近づいて臨戦態勢に入っている。
「フ、フフッ……流石[紫電(しでん)傭兵団]の隊長さんだ。こんなに早く見破られたのはあんたが初めてだよ」
最初は呆然としていたコレルだったが、すぐにさっきまで見せていなかった不敵な顔を浮かべてこちらに視線を向ける。その雰囲気はもうコレルのものではなかった。
「それがお前の本性か」
「その通り。まさかこんな初歩的な罠に引っかかるとは――ばれるとは思っていなかったから油断していたとはいえ、情けない限りだ……しかし何故分かった?」
「ただの感だよ、違和感を少し覚えただけだ。お前の変装は完璧だったさ」
「感――か。感の一言で俺の忍術が破られるというのは尺ではあるが、お前ほどの達人になら見破られるかもしれないというのは勉強になったな」
「忍術? まさか貴様はシルターンの忍びか」
偽者の呟いた事にケイブルは表情には出さなかったが内心で驚いた。忍者などというのは予想外であった為だ。
[鬼妖界シルターン]――龍や鬼、妖怪が住み。文化や風習は中世の日本を思わせる世界。リィンバウム以外で唯一、人間が住んでいる世界でもある。普通の人間以外にも、龍神や鬼神に仕える[道の者]と呼ばれる宮司や巫女に、侍や忍びもいまだに存在しており、召喚術によってこのリィンバウムの世界にやってくる事はよくあるのだ。
ここで問題なのは、何故シルターンの忍びがここにいるかである。
「おっと、少し話し過ぎたな――まあ、時間を稼げたと思えばいいか」
偽者は、そう言いながら指をパチリと鳴らす。
「一応準備しておいて正解だったな」
ケイブルたちの話す声以外何も聞こえない静かな場所にその音は響き、その音のすぐ後に周りの物陰から数人の人影が姿を現した。全身黒尽くめで目元以外の顔を隠し、ナイフをチラつかせているその姿から暗殺者の類である事は予想が付いた。
『隊長!』
レイヤーたちが、ケイブルを守るように囲みながら武器を構える。気配を後ろや上からも感じるので、どうやらここから見える全ての通路や屋根にも敵がいるらしい。少なくとも10人は超えるだろう。
「これだけの人数を揃えるとは、いったい何処の組織だ? 俺を知っていて警戒しているという事は、紅き手袋や黒い十字架か? それとも蒼き処刑台――いや、あそこは2、3週間前に何処かの組織に潰されたと聞いたから、紅か黒か?」
戦いが始まる前に、疑問に思った事を問いかけてみる。いま挙げた名前は、金銭と引き換えに裏の仕事を何でも請け負う裏の組織の中でも大きな所だ。その中でも紅き手袋は一般人にも知られているほど有名な組織だ。
名前を挙げた組織とは傭兵団を結成してから、仕事で何度か交戦もしているので向こうに顔を覚えられていてもおかしくはない。そういう意味合いでケイブルは名前を出したが、偽者は首を横に振り少々苛立った表情でとんでもない事を言い出した。
「あんな理想も大義もない金目当ての小さい所と、我々を一緒にされては困る」
「小さい、だと?」
ケイブルは偽者の言葉に疑問を覚えた。紅き手袋と黒い十字架はこの世界では1、2を争う規模を誇る組織だからだ。それを小さい等と言えるその意味を考えたとき、ケイブルは頭を殴られたような衝撃を覚えた。
「まさか――お前たちはあの!?」
「そう、おそらくあなたの想像通りだと思いますよ――さて、これ以上ここにいても意味はないので……おさらばさせて貰うよ」
偽者の男がそう言った途端、暗殺者の何人かが丸い玉をケイブル達の地面付近に投げつけた。その玉は地面に当たると、白色の煙を噴出し始めてケイブルたちの視界を塞ぐように広がった。
「これは、煙幕か!」
さっきの話から逃げる可能性の方が高いとはいえ、これでは一方的に攻撃される恐れがあるとケイブルは判断して、即座に動き出そうとしたが聞こえてきた声に足を止めた。
「俺の忍術を見破ったのだから、褒美として逃げる前に名前位は教えておくよ――俺の名はターマ。仲間からは[鏡のターマ]って呼ばれてる。また会った時はよろしくなケイブルさん」
ターマと名乗った男はそんな自己紹介を最後に撤退を開始したのか、段々と気配が遠ざかっていくのをケイブルは感じた。
「野郎!」
「よせレイクー! もう遅い」
追撃しようとしていたレイクーを止めながら剣を納める。ケイブルたち以外の気配が完全に消えたからだ。数分もしない内に煙は風で流れていったが、予想通りターマと名乗る男と暗殺者は消えており、影も形もなかった。
「隊長、大丈夫ですか?」
「ああ、問題ないレイクー。煙にも毒が入っていなかったようだし、ひとまずは安全だな」
「そうですか。それで隊長、さっきはかなり驚いていたようですが。ターマという男がいる組織というのはどういう――」
「まて、レイクー。それよりも先にコレルの無事を確認する」
レイクーには申し訳無いが、先にコレルの件を片付けねばならないとケイブルは判断してレイクーの疑問を待ってもらう。3人もケイブルの言葉で事態を理解し、表情が険しくなった。
「そうか、あいつが偽物だっていうのなら本物のコレルは――」
「ああ、だから今すぐ向かうぞ!」
そう言ってケイブルを先頭にコレルが住んでいる部屋を目指して走り出した。
おそらく時すでに遅いとは誰もが考えていたが、誰もそれを口に出す事はしなかった。
裏路地から離れて数分後、コレルが住んでいた家にはすぐに辿り着けた。マグナたちを監視させる為に一般住宅街の中で、蒼の派閥の入口が見渡せる場所に建っている部屋を借りていたため、同じ一般住宅街の裏路地から出てきたケイブル達にとってその場所はたいした距離ではなかったからだ。
「隊長、鍵が掛かっています」
中に敵がいる可能性を考えて、ケイブルの前に出たレイクーがドアに手をかけるが、鍵がかかっているらしく開かない様だった。
それは想定していたので、即座に指示を出した。
「蹴破れ!」
「了解です――オラァ!」
ケイブルの言葉にレイクーが即座に反応してドアを蹴破って中に入る、ケイブルも後に続いて中に入り目の前に広がった光景に舌打ちをする。予想通りというべきなのか、血を流して倒れているコレルを発見した為だ。
「どうだ、レイヤー?」
すぐに駆け寄ったレイヤーが脈を測り、呼吸を確認していたが。すでに事切れているのが分かったらしく、首を横に振った。ケイブルも近づいて様子を見てみたが、背中を何かで切られた傷が致命傷になったのだろうとコレルの死体を見て感じた事だった。
「コレルの遺体を外に出せ、墓を作るぞ」
「了解です」
そう言ってレイヤーとレイクーが動き出す。
「コレル……」
レイアーが悔しさを滲ませた顔をしてコレルの方を見ている。その表情を見てコレルはレイアーが率いる部隊の一員であった事をケイブルは思い出した。
「必ず仇は取るぞコレル、だからレイアーも思い詰めるなよ。焦らずその機会を待つぞ」
レイアーの肩に手を置いてレイアーを労わる。レイアーは無言で頷き、運び出されるコレルを見続けた。
その後4人で簡単な墓を作り、近くに咲いていた花を1輪添えた。
「コレルに向かって、敬礼」
そう言ってコレルの墓に敬礼をし、それが終わるとケイブルは振り返って3人を見た。
「よし、お前たちもご苦労だった。前から決めておいた通り、あとは俺に任せてお前たちは先にルヴァイド達の所に戻れ」
「しかし、先の奴らがまだいるかもしれません。お一人では危険だと思うのですが」
「兄上の言う通りです、せめて我々の誰か一人だけでも護衛に」
レイヤーの心配する声にレイアーも続く。声には出さなかったがレイクーの表情からも同じ意見なのだろう。
「レイアーの言いたい事も分かる。だが、お前たちには部隊を纏めておいて貰わなくてはならないからな、やはり1度戻ってもらう。まあ心配するな、俺を誰だと思っている」
ケイブルの変わらない意思を感じて、3人は不満そうではあったが頷いた。
「……了解です、ご武運を」
3人を代表してレイヤーがそう言葉を発した後、ケイブルが頷いたのを確認して3人はケイブルから離れていく。3人が見えなくなるまで見送った後、もう一度だけコレルの墓を見る。
「お前が死んだのは俺のせいだ。俺が死んだら必ず謝りに行く。それまでしばらく待っていてくれよな」
今はコレルの問題より、聖女の件を優先する。
ケイブルはゼラムに来ているイオスの部隊と合流するため、繁華街の方に歩き出した。
レルムの村から脱出して2度目の夜を迎えた。2度目の夜はベッドでゆっくりできそうだと渚は安堵していた。
1度目の夜は森の中で過ごした。樹とアグラじいさんが囮になって脱出してきたが、森を進んでいる最中に先導していたフォルテがこれ以上無理だと判断して休ませたからだ。
村からも大分離れたし追っ手の気配も感じない。という建前もあったが、それ以上に皆の疲労が限界だったのが一番大きいのだろう。
事実、あれ以上追っ手を気にしながら逃げるのは無理だったと渚自身も感じていて、あそこでフォルテが言ってくれて助かったというのが本音だった。
数時間ごとに交代で見張りをしながら様子を見て、夜が明け始めた頃に移動を再開し、日が見える頃にはゼラムに辿り着いた。
渚と椎名にとって初めてのゼラムであったが、興奮よりも安心の気持ちが強かった。何故なら移動中も休憩中も常に見えない追っ手を気にしながらだったので心身ともに疲れ切っており、町を見回る余裕も無かったからである。
ゼラムに入ってからはネスティの先導によって移動し、辿り着いた先が現在お世話になっているギブソン・ジラールという名の召喚師の家である。
何でもネスティが世話になった先輩らしく、ネスティは「頼れるのは此処しかなかった」と言っていた。マグナやトリスも「とっても頼りになる先輩たち」だと太鼓判を押していた。
先輩たちとマグナやトリスが言った理由は、この屋敷にはギブソンさん以外に、ミモザ・ロランジュという名の女性も一緒に住んでいるからだ。
ギブソンさんと同じく召喚師でまだ少ししか話をしなかったが、2人とも懐の広い人物だった。
戦って逃げてきた為、誰が見てもボロボロで関わりたくはないような状態であったにもかかわらず、笑顔を見せて家に入れて休める場所を提供してくれた。いくらそのメンバーの中に後輩たちがいたとしても、何も聞かずにここまでしてくれるだろうか? この部分だけでも、2人は大きな人間なのだと渚は感心した。
家……というより邸宅と呼んだ方がいい規模の家に彼らは2人で住んでいる。2階建てのこの邸宅は逃げてきたメンバーをそれぞれ個室に入れてもまだ部屋が余っているし、玄関も庭もテラスも立派で風呂とトイレも綺麗だった。
2人が凄い財力だったとしても、何故こんなに広い場所を家に選んだのか? 名字が違うようだが2人は結婚しているのか、それとも同棲中なのか? 自分の中にある好奇心が強くなってきて興味が尽きない。
そんな事まで考え始めると、そもそも何故召喚されてしまったとか話が色々大きくなってしまいそうだと渚は感じて、気分転換するために宛がわれた部屋を抜け出して、2階の廊下を目的も無く歩く。
そして、歩きながらどうしようかと渚が考えていると、何処からとも無く話し声が聞こえてきて、意識をそちらに向ける。
「イツキ――今頃、どうしているのかな……お兄ちゃん、大丈夫だよね?」
「ああ、きっと大丈夫だよトリス。イツキは約束してくれたんだから、きっと明日にでも会えるさ!」
「……うん、そうだよね」
そういう会話が聞こえてきた方向に視線を向けて、その先が2階にあるバルコニーだと渚は気が付き近づいてみる。この邸宅のバルコニーも中々に広く、家具は1つのテーブルと2つの椅子しかないが、10人は楽に寛げそうなスペースはある。観葉植物が置いてあり見栄えも悪くは無い。更に今夜はお月様も綺麗な満月で周りを優しく照らしてくれていて心が落ち着く。
そんなバルコニーで話していたのは、流砂の谷の件で知り合いになった兄妹で召喚師をやっているマグナとトリスの2人だった。
「よう、お二人さん。こんな所で何を話しているんだ?」
渚の声に2人は同時に振り返り、渚の顔を見て2人は顔を綻ばせた。
「あ、ナギサ。こんばんは」
「ちょっとイツキの事で話をしてたの」
「樹か」
先ほど聞こえてきた会話からそうだろうとは思っていたが、聞き耳を立てられていたというのも嫌なものだろうと渚は判断して、いま初めて聞いた様な顔をしながら答えた。
「今日、イツキは帰って来なかった――いや、そもそもイツキにはギブソン先輩たちの家に行く事を伝えてないし……俺たちもネスに言われるまで、その事には気が付かなかったんだけどさ」
「だからさ、イツキも今頃はゼラムの何処かで困っているんじゃないかって――不安なの」
そう言いながら、本当に不安そうな表情をしている2人を見て渚は疑問を覚えて首を傾げた。2人の話しぶりからすると、ゼラムに辿り着いているのは確定済みに聞こえたからだ。
この村に辿り着く事より、レルムの村で囮として戦っている方が危険だというのは渚でも分かる事だ。安否は気にしていないのかと渚は2人に聞くと、
「ナギサの言う通り、確かにそっちの方が危ないと思うしそっちの事だって心配しているんだけど――」
「イツキは無事だって思えるの。どうしてそう思えるのかっていうのは、上手く説明できる自信がないんだけどね」
「なるほど、そういう訳か」
そう言って自分たちでも不思議だという表情をする2人だったが、何故か大きく頷いて納得している渚にどういう事かと説明を求めてきたので答えるために口を開いた。
「つまり、2人は絶対に戻ってくると約束した樹の言葉を信頼しているんだよ。だから、それよりもこの場所を伝えていない事の方が気になるんじゃないかな」
渚自身も友人の樹の事が気にならないといったら嘘になる。だがレルムの村で囮の話をしている時の樹にはどこか余裕があった。樹には囮をしても問題ないと判断していたに違いない。
樹は生まれた時から普通の人とは違う人生を歩いてきている。こういう所での場数も渚や椎名より多く経験しているのだから、非常事態で発せられる樹の発言に渚は疑問に思って聞く事はあっても、間違いはないと思っている――少なくとも、自分や椎名よりはマシであろう、と。
だから樹が帰ってくると渚は疑ってはいない。マグナとトリスも理由は違えども渚の様に樹の事を信頼しているから、そこの部分に関しては余り不安になっていないのだろう。
「信頼――か」
「うん、ナギサの言う通りだと思う。だってあたし達」
『イツキの事は信頼してるからね』
渚のそんな言葉に2人はどこか嬉しそうな顔をしながら、そろって樹への想いを口に出した。
「うーん……樹と出会ってまだ3日くらいだよね? 樹の事をどうしてそこまで信頼できる様になったんだ?」
樹からも話は聞いていたので、2人が危ない所を樹に助けられているのは知っている。だから2人が樹に好意を持っていても何の不思議もない。
(だが、それでもここまで信頼を寄せられるものか?)
2人が人を信じやすい性格なのかもしれないが、どうもそれだけではない気がすると渚の感が告げている。
その為、2人に聞いたのだが、
「やっぱり、あたしたちを助けてくれたからかな――」
その言葉を皮切りに始まった2人の説明を聞いて、渚は納得すると共に内心ではこれからの状況に頭を抱えたくなった。
2人の話は樹から聞いていた話と違いはなかった。賊に襲われていた所を樹が助けたのがキッカケで、それ以降も流砂の谷やレルム村の森の中でアメルと一緒に話をしたのも聞いてはいた。
(だが、だがな! 助けた状況や、お前の発言のことごとくを俺は聞いてないぞ!?)
トリスはマグナの護衛獣であるハサハを人質に取られていて、それを盾に服を脱ぐよう命令されていた。手も足も出ないまさに絶体絶命なそんな状況で颯爽と助けに現れた樹。
そんな樹が「ただの、通りすがりのお人好しだ……そして、君のあの子を助けたいと思う強い気持ちと勇気ある行動に敬服し、ぜひ力になりたいと願った者だ」などと、どこかの物語の主人公が使う様な台詞を言ってのけた樹の事を信頼したくなるのも無理はない。
それにマグナとトリスが「助けてくれた」と言う時の表情から、2人にとって[助ける]という行為に何か大きな意味があったのだろう。それを樹が大きく刺激したのだという事も渚は理解した。
正直に言って樹という男は、基本的に無表情でそれ程お喋りな訳ではない。表情もそれほど動かさず、動かしても口元を緩めたり尖らせたりする程度だ。普通の人から見れば、冷たい人間という印象を与える事だろう。
実際は熱い心を胸には秘めているし、優しい心も持ち合わせてはいるが……それを知っている、または理解しているのはごく1部の者たちだけである。それは様々な事情から、樹が知り合いを極力作らない様に普段から振る舞っている成果でもあるのだが。
だが、樹の行動にも例外は含まれている。それは困っている人がいて、自分がやらねばと思った時には見返りも考えずに手助けをしようとする所である。
それがキッカケで好意を持った人物たちの例がマグナやトリス、地球にいた時でいうなら召喚された日の放課後に樹を呼び出し告白した、同じ高校の女生徒などだろう――樹は女生徒を助けた事事態忘れていた様だったが。
一見すると知り合いを増やしたくないのに、知り合いを作るキッカケを自ら作り出している樹の行動には矛盾があるのは誰の目にも明らかだろう。それでもその行為を辞めないのは、ひとえに中学の時に出会った樹の心に大きな変化を与えた少女の強い信念に感化され……いや、悪い言い方をすれば調教された成果であるともいえる。
(おい、この遠い世界でも見えているか? お前が信じた想いを樹は立派に受け継いでいるようだぞ)
渚はそんな事を考えながら空を眺めて、たそがれたい気持ちになったが。今は目の前の2人と樹の関係をどうしていこうかという事が優先するべき事なので、もう一度そちらに意識を向けた。
学校での告白の件は樹にとって記憶に残らない人物だったから、好きとか嫌い以前の相手であったし、振ったとしても問題ないと判断しての行動だろう。だが、いまは色々と厄介事に巻き込まれている。学校に通っていた時とは違い、仲間たちとお互いに協力していく事が増える――つまり接点も多くなるのだ。
樹もそれは分かっているだろうから、いきなりマグナ達をぞんざいな扱いにする事もないだろう。現に人付き合いが余り好きではないあの樹が、異世界での身の振り方を考えて多くの人と普通に接して来たのだ――それでも、できるだけ1人の時間を作ろうとしていたようだったが。
(これは、面白い事になるかもしれないな)
何にせよ今の事件が起きている間は、このメンバーで活動していく事になるだろう。その間に、狭い世界で残りの人生を過ごそうとしている樹を外の世界に引きずり出すため、簡単には切り捨てられない程の仲になった知り合いを増やしてやろうと渚は画策する事にした。日本にいた時にもいつか実行しようとは思っていたが、いまが最大のチャンスだろうと判断したからである。
その為に、まずはこの目の前にいる2人だ。今の時点で既に樹の事を好意的に見ているのだから、あと一押し二押ししても問題はないだろう。
「そうか。2人の話を聞いて、樹の事をどうしてそこまで信頼できたのかはよく分かった……それにしても2人が羨ましいな」
渚は早速その第一手を仕掛けた。
「羨ましい?」
「ああ、2人は樹からペンダントを預けられただろ?」
「あ、うん。これの事だよね?」
「このペンダントに何か意味があったのか?」
トリスが樹から預けられていたペンダントを取り出し、マグナもそれをまじまじと見る。2人が予想道理食い付いたと内心でほくそ笑みながら、2人からは真面目な話だと思わせる様な表情と声色で渚は話を続けた。
「実はここだけの話なんだが……そのペンダントは樹にとって大事な物なんだよ、どんな時も肌身離さない程のね。それを一時とはいえ2人に預けた――この意味は分かるよな?」
「不安になっていたあたし達を安心させる為に」
「イツキが――俺達を信頼して預けてくれたって言う事か」
2人の答えに渚はすぐに頷いてみせた――もちろんこれは渚の嘘である。どうして樹があの時渡したのかは、理由を聞けていないので本当の所は分からない。
「そうか、俺達だけの一方通行じゃなかったんだな」
「イツキがそう考えているなんて、全然分からなかったけど――そうだったんなら嬉しいな」
だが、2人の様子を見れば取りあえず今の言葉で正解だっただろう。勘違いから始まる付き合いだって世の中には沢山あるのだから。
「あいつは、出会った頃から自分の気持ちをあまり表に出さない奴だったからな。表情や言葉だけじゃあ簡単に分からないと思うから、出会って間もない2人が分からなくても仕方がなかったと思うぜ。2人をいつ信頼する様になったのかは俺もよく知らないけどよ――」
そこまで言って渚もペンダントを見つめながら言葉を続けた。
「トリスちゃんの手にあるそのペンダントは、樹が信頼を寄越している証拠って事さ。俺や椎名も苦労したって言うのに、ほんの数日で信頼を手に入れた2人が羨ましいって言うのはそう言う理由さ」
理由は分かってくれたかと聞くと、2人はとてもいい笑顔で大きく頷いてくれた。俺の話が余程嬉しかったようで、もし2人が犬だったら、ブンブンと音が聞こえるほどに尻尾を振っていたに違いない。
そんな光景を思い浮かべて、渚も釣られて笑顔を見せた。
「樹はこれからもそっけない態度を取ると思うけどさ、仲がいい俺たちでも普段からそんな感じだから――話をしたい時は気にせずガンガン近づいた方がいいよ……もちろん、この事は俺たち3人の内緒でな」
「イツキってシャイなんだね。うん、分かった! こっちから積極的に話しかけてみるよ」
「それにちゃんと内緒にするさ! こんな話をしていたって知ったら、また恥ずかしがりそうだしね」
樹にこの話がばれない様に釘も刺したし、今日はこの辺でいいだろうと渚は考える――まだ時間はあるのだ、焦る必要はない。
「っと、話が逸れちまったな。まあ俺も樹はゼラムまで来ていると思うからさ、明日にでもなったら探してみようぜ」
「そうだね、皆で探せばきっと見つかるさ」
「そうと決まったら、今日はもう休まなくちゃね!」
「そうだなトリス。そう言う事だから、俺たちはもう行くけどナギサはどうする?」
あっという間に寝る事を決めた2人に苦笑しながらも、渚は首を横に振る。
「俺はもう少しここにいるよ。先に戻っていてくれ」
「分かった、じゃあねナギサおやすみ!」
「今日は色々教えてくれてありがと!」
そう言って2人は元気良くバルコニーから出て行った。
「取りあえず、今回は成功かな?」
2人が去っていった方を見ながら渚は安堵しつつそう呟いた。
樹も2人を好意的に見ていると無事に勘違いしてくれたようだし、作戦は大成功だろうと渚は得意満面の表情を浮かべた。
「まだ色々と、克服しなきゃいけない事もあるけど……2人には何とか頑張って貰うとしようか。フォローもするしな」
そんな独り言を言いながら、バルコニーから未だに慣れない外の景色を見渡す。日本式の家とは違う家々の数々、考え方や普段の暮らしから見える大小様々な文化の違い。
日本から召喚されてまだ9日しか経っていないのだ、この世に生を受けてから日本でしか生きてこなかった渚にとって、すぐに慣れろというのが無理な話だった。だが、様々な事件に巻き込まれていて実に刺激的な日々だと渚は満足しながら笑みを浮かべた。
一年前に起きた、あの事件から今まで……自分たちはどこか時が止まってしまった様な気分になっていた。それが召喚という想像もしなかった行為で動き出そうとしている。
「いや、今の考え方は俺らしくない。正確に言うと面白い事が始まった――だな」
人が死んでいるのに、不謹慎だと思われるかもしれない。だが、それでも渚自身の心はこれからもまだまだ続くであろう事件の数々が楽しみでならないのだ。
身近な人間が傷つき、死ぬかもしれない。もしかすると最初に自分が死ぬかもしれない。冒険者であるフォルテたちより圧倒的に弱い。マグナ達同様まだまだ剣の腕は素人同然なのだ。そのマグナ達だって召喚術が使えるし生まれてきた世界が違うのだから覚悟の差もあるだろう。
つまり、俺と椎名が最弱なのだ。誰かが死ぬとしたら真っ先に死ぬのが自分達だと渚は理解していた。
それでも。
「時が止まった様な気分を抱えて、ただ惰性で生きていくよりは遥かにマシだ! 俺はただ楽しく生きたいんだ」
樹がマグナやトリスの行動にあたふたとしている姿を見るのは楽しい。それがきっかけで樹が知己を増やし、誰かに感化されてまだ見ぬ顔を見せてくれたらもっと嬉しい。家族として触れ合っていたアメル達と一緒にいるのも楽しかったし、フォルテ達やギブソン達とも知り合っていくにつれて楽しい事が見つかるだろう。護衛獣たちなんて、その見た目だけでもすでに見ていて楽しい。それに此処は異世界だ面白くない筈がない。
面白くないのなら、面白くすればいい。面白いのなら、もっと面白くなればいい。
昔の自分が願った信念を思い出し、渚は新しい物を見る度に心をウキウキさせていた子供の頃の様にその瞳を輝かせ、笑い声を上げた。
渚の行動の結果がどのような結末を生むのかは……今は誰にも分からない。