前置きはなしでどうぞー!
「和平交渉をしにいくのです!」
唐突に我がクラスの委員長、甘粕真与が声を上げた。歳の割には小さいその身体を目一杯に張り、大きく見せている……つもりらしい。
「わ、和平?」
目の前でポーズを決めていた委員長に恐る恐る声をかける。もう一度言うが、本当に唐突な話だった。なので状況どころか意味すらも分からない。
オレの
「あ、そっか。孫さんは転入したてだから、分からないんですよね。私としたことがうっかりしてました。じゃあ、クラスの頼れるおねーさんたる私がバッチリ説明してあげちゃいます」
得意そうに胸を張るその姿に、クラスの温かい視線が集まる。オレも自然に表情を綻ばせていた。妹ができたらこんな感じなんだろうな、とか思いつつ。
そんな空気には気づかない様子で、彼女は得意げにむふーっと息を吐くと事のあらましを説明してくれた。
曰く、Sクラスは各学年の中で学業の成績優秀者だけが入ることを許される特別なクラスである。
曰く、成績が落ちればすぐに入れ替えが起こる。競争意識は非常に高い。
曰く、スポーツなどの実技も優秀な文武両道クラス。
曰く、エリート意識の強さからFクラスとの関係は最悪――などなど、おおまかな概要と関係を話してくれた。委員長の言葉を補助するように、他のクラスメイトも口々に言う。その大半がFクラスに対する不満だった。
(なるほど。要するに、エリートを鼻にかけて自分達の優秀さを誇り、逆にFクラスとかを見下すから仲が悪いってことだな。話を聞くに、地球に来た時のべジータさんみたいな人たちで構成された集団……って感じか)
なんとなくイメージはできた。そこで横にいた大和が顔を寄せてくる。
「(そいつらと和平……まぁ、無益な争いはやめましょうって言いに行くんだよ。今回も今までと変わらず上辺と形だけだろうが、やらないよりいいって委員長がな。だから孫、お前も一緒に来てくれ。転入の顔見せとオレや委員長のボディガードを兼ねてな。それぐらいならいいだろ?)」
「(わかった)」
大和の言葉に首肯して席を立つ。風間ファミリーの勧誘を蹴ってから数日経つが、彼らはことあるごとにオレに接してこようとしてきていた。リーダーの翔一など毎日突撃してくるから、ちょっと困りものだ。
大和もこうやって積極的に関わりを持とうとしてくる。彼もお互いの橋渡しとなるように努力しているのだろう。オレも聞かれたとき答えられることは答えているから、お互いに話すことも多くなっていた。
彼はファミリーの頭脳的なポジションであるらしい。リーダーである翔一やバトル担当の百代さんも彼の意見には一目置いているようだし、ファミリーがある種の団体である以上、彼の存在は不可欠なのだろう。
話を戻そう。ここまでの話からわかったが、両クラスの中の悪さは相当なものであるようだ。エリート意識の強い者とそうでない者との溝は、どこの世界でも根深いものであるらしい。委員長が尽力しているようではあるが、ここまでの
それでも諦めないのは、やはり彼女の優しい心ゆえだと思う。その結果がどうあろうと、その頑張りだけは応援したいと思った。
そんなことをしているうちにSクラスの扉の前に来た。隣のクラスだから当然の早さだが、距離が近くて仲も悪いのでは居心地が悪い。仲良くできればそれにこしたことはないのであるが。
「じゃ、行くぞ」
声と同時に大和がSクラスへ踏み込む。同時に複数の視線がオレ達へと向けられた。
少しだけ意識を強くし、視線に宿った感情をそれとなく読み取ってみる。だがそんなことをしなくとも、クラスに満ちた空気ですぐにわかってしまった。
侮蔑。嘲笑。驕り。侮り。
見受けられた感情に友好的なものはほとんどない。ただクラスに入っただけでこの有様だ。今まで仲良くできなかったという理由にも頷ける。
と、視線の多くが自分に向けられていることに気づいた。小さいながら聞こえてくる声に耳を澄ませる。
「(おい、アイツが例の……)」
「(ええ。下等のFクラスに入ったっていう……)」
「(あら、けっこうなイケメンじゃない)」
「(顔の傷もワイルドでいいかも。目つきが少し鋭すぎるけど)」
「(うっわ、ホントに片腕だぜ……気味悪ぃな)」
「(かわいそ。下民とはいえ一生あのままなんて……同情するよ、くっくっく)」
どうやら自分に関するヒソヒソ話だった。とはいえ、あからさまに聞こえる声で喋っている人もいる。
と、その中からひときわ大きな声が近づいてきた。
「ほほほ、山猿どもがまたノコノコとやってきおった」
声のするほうを振り向く。
そこには、見慣れない服を身に纏った少女が一人佇んでいた。確か、あれは着物、とかいう服だったはずだ。この日本で古来より伝わる伝統的な衣装だと読んだ本に書いてあった気がする。
そんな伝統を重んじる服装をした少女は、口元を長い裾で隠したまま、クスクスとこちらに冷笑を飛ばしていた。
そのまま着物の裾を大げさに振り、扇子で再び口元を隠す。
「おお臭い臭い。相変わらず下賎な臭いのする奴らじゃ。貴様らのような下々の人間なぞ本来ならば出入りすら許されんのじゃが、今回は特別に許可をしてやらなくもない。さあ、額を地に擦り付けて此方に請うてみよ」
芝居がかった仕草でこちらを見据える少女。一方的過ぎて反応に困る。オレはどう対応したものかと頬を掻いて、大和たちに向き直った。
しかし大和たちはすでに慣れたもので、
「(無視無視)ああ、いた。井上、話し合いはどこでやるんだ?」
「(幼女以外はいらん)おう、こっちだ。ま、適当に座ってくれ。あ、委員長はこちらの席で!!」
「(気づかずスルー)えっ? で、でも私だけこんな立派な椅子に座るわけには……」
「何を言うんですか! あなた以外にここにふさわしい人間などいません! ささ、遠慮なく!」
「あ、ありがとうございます、井上ちゃん。ほら、孫さんも座って下さい」
「あ、ああ……(いいのか直江? 彼女、固まったまま震えてるが……)」
「(ほっとけ。いつものことだ)」
「こらぁーっ!! 此方を無視するとは何事じゃ――――っ!!」
先ほどの優雅さはどこへやら、少女がいきなり爆発した。整っていた顔を憤怒に歪め、目じりには大粒の涙も浮かんでいる。
本当になんなんだこの子?
「なんだよ不死川。意見があるなら挙手してからにしてくれ」
「黙るのじゃハゲ! 此方をないがしろにしおってからに、こやつら無礼がすぎるぞ!」
「自分からケンカ売っといて無礼も何もねぇだろ。っていうか、ハゲって言うな」
「あははははは! ハゲー!」
「こらこら、人を指差しちゃいけません。っていうかユキ、俺をこうしたのはお前だろうが」
井上がとなりでぴょんぴょん撥ねる少女に半眼を作る。ユキといわれた少女は、そんなことなどお構いなしに笑い続けていた。大和によれば、白い髪と赤い目が特徴的な少女が榊原小雪、地団駄を踏む彼女は不死川心というらしい。
不死川はなんでも日本でも有数の名家の出だそうだ。このクラスのメンバーとしては典型的な家柄を重視する少女だとも。そういえば、この国の経済誌を読んでいた時に名前が出ていた気がする。
だが、オレが驚いたのはそんなことではない。二人の気の強さだ。
結構強い。脚運びとか立ち振る舞い、重心の置き方などが洗練されている。大和に尋ねると、やはりそれはあたりだったらしく、不死川は柔術、近接での投げや寝技を主体とした戦闘スタイル、榊原は戦い方こそ不明だが、身体スペックはかなり上とのことだった。やはりここには強い人が多いな、と今更ながらに感心する。
とはいえ、このままでは話が進まない。どうにか話を戻そうとした時、さらにわめき続ける彼女の傍に誰かが寄ってなだめていた。彼女も少し落ち着きを取り戻したようで、不満そうな顔をしながらもこちらに干渉してくることは無くなった。
(くすっ……)
(ん……?)
その人と目が合う。オレよりも背が高く180センチはありそうな背丈に、少し癖のある髪型が特徴的な美青年だった。女性に人気があるのだろう。こちらを見て微笑むその姿に、クラスの女子の何人かが恍惚とした表情を作っている。穏やかな性格であることも彼の眼差しから十分に理解できた。
だが、オレは彼の表情に何か引っかかりを感じていた。いや、正確には彼の雰囲気からだ。穏やかにしか見えないその様子に、どことなく感じた違和感。
だが、それも一瞬だけ。すぐにこちらから視線を外し、隣にいた少女たちと会話を始めていた。
先ほどまでの後ろ暗い気配など微塵も感じられなくなっている。
(気のせいか?)
視線が外れた後も、オレは注意深く彼を観察する。だが、その考えをまとめるより先に大和が口を開いた。
「さ、時間もないし、話し合いをはじめるか」
「そうだな。周りの視線も痛ぇし。転入生もいることだし、とりあえず自己紹介からやるぜ。俺は井上準。Sクラスでは――」
言って席に着く二人。もう自己紹介をはじめている。オレと委員長もそれに続こうとして、
『――――待てぃ!!』
唐突に割って入ってきた声に動きを止めた。そしてまたもや唐突なことに、楽器による高い音と廊下から赤い毛氈がすーっと此方に転がってきて道を作る。
今度は何だろう?
本日何度目になるかわからない疑問を浮かべていると、敷かれた赤毛氈の上を誰かが歩いてきた。
「ハゲに直江大和! そのような場には、我の存在が必要不可欠であろう! 我の許可なしに勝手に始めるな!」
「はいはーい。すぐ道を開けてくださいねー! 開けないと物理的に真っ二つにしちゃいますよー♪」
威厳のある声の後、可愛い声色でずいぶんと物騒な台詞を聞いた気がする。だが、そんなのは瑣末なことだった。
目の前に現れた青年と後ろに傅く女性。教師ではなさそうなので消去法で生徒であるようだ。Fクラスであればどう見ても生徒には見えないが、このSクラスでは自然に溶け込んでしまっているから不思議である。
思わず大和と顔を見合わせると彼は苦笑した。
(お前もわかってきたみたいだな。このクラスがどういうところか)
(まぁ、こうも続けばな)
アイコンタクトで意思疎通する。そんな中、目の前にいた井上が目を半眼にしながら疲れたように零した。
「だからハゲと言うなと……って、九鬼じゃねぇか。今日は会議があるから早退するって言ってなかったか?」
「うむ。我もそのつもりだったのだがな。先方が急に予定が立たなくなってしまったらしく、こうして戻ってきたというわけだ。我とて学生の身、学ぶことは無数にある。その本分は勉学であるからな」
「さすがです! 英雄さまぁあああああ!!」
高速の拍手が木霊する。なんというか、独特な人が多いな。
「止めなくていいのか?」
「言って止まるようなヤツらなら俺も苦労しないさ。そんな無駄なことをしている暇があったら、俺は純粋無垢な2-F委員長を眺めて心を洗うことに専念する」
……この人も含めて。
とりあえず、そのことは横においておこう。追求するとキリがなさそうだし、何よりドツボに嵌りそうな気がする。オレは話題転換の意味も兼ねて先ほどから気になっていた彼の方を向いた。
「君は?」
「ん? なんだ貴様、我を知らんのか? そういえば初めて見る顔だが」
視線を向けられた彼が此方へと振り向く。
整った顔立ちと額に走ったバッテン状の十字傷が特徴的な少年だ。髪は短く切りそろえられ、自信の満ち溢れた表情はただ立っているだけだというのに威風堂々とした気迫を放っていた。
着ているのは、もはや制服とは呼べないような独特な意匠の施された金色のスーツだ。普通ならば派手の一言なのだが、彼が来ていると何故か自然に見えてきてしまう。
かなりの風格を持つ少年だった。オレを目の前にして首を傾げる彼に横にいたお付の人らしき女性が耳打ちする。
「英雄さま。どうやら、彼が最近話にあった転入生かと」
「ほう。一子どののクラスに隻腕の男子生徒が編入したとは聞いていたが、貴様だったのだな。ならば我の事を知らないのも詮無き事。致し方ない、この場で我自ら説明してやろう! あずみっ、トランペットを吹け!」
【 パパラパッパラ~~~~!! 】
突然トランペットが鳴り響いた。というか、お付の人が全力で吹いていた。
さらに片手では金色の紙吹雪を教室中に舞い散らせている。なんとも器用なものだ。
その中で彼は腕を組み、改めてオレの目の前に立つ。そして、自信以外感じられない大声で言い放った。
「フハハハハハ! 我降臨せり!」
「ハァ……もう好きにやってくれ」
井上が頭を抱えながら肩を落としている。呆れているのだろうが、その反応から察するにこれはそう珍しいことでもないようだ。半分諦めた雰囲気を出している辺りいい証拠である。
そんな中で一人立つ彼が、此方を見下ろしながら口を開いた。
「我が名は九鬼英雄!! 民を統べる王となるべくして生まれた男だ! この名とこの背に走る昇り龍、よくその身に刻み込むがいい!! フハハハハハハハハハ!!!」
高らかに笑い声を上げながら背中に描かれた龍の刺繍をこれでもかと見せ付ける少年、もとい九鬼英雄。井上の出している空気をすっぱり無視、というか気づいてすらいないようだ。いろいろと苦労しているんだなぁと視線を送ると、同志を見つけたような眼差しでサインを送って来た。
それに軽く返しつつ、オレは一つだけ気になった単語を訊ねにかかる。
「九鬼……もしかして、あの九鬼財閥の?」
オレは聞き覚えのある苗字を思い出しながら言葉を返した。
九鬼。ここに来て間もないオレでも、新聞や経済誌などで知っている名前だ。
オレはこの世界の生まれではない。戸籍は鉄心さんに用意してもらった半ば偽造モノであるし、今に至る経緯などは一切説明できない。明らかに不審、というか正体不明の人間である。
無論、出自や経歴はオレが黙っていればバレることはないだろう。だがこの世界の知識に関してあまりにも無知では、不自然を通り越して異常になるのは明白だった。そこで、この世界における基本的な常識や政治・経済体系もある程度は理解しておかねばと、オレは深夜まで続く修行の合間や授業の休み時間に暇を見つけては、その手の情報も積極的に収集していた。
自分の目的である元の世界への帰還にも役立つことがあるかもしれない。元より勉学は嫌いではなかったし、新しいことを知るのは楽しかったから、今ではそれなりの常識を身につけたつもりである。
そしてそれらで知識を増やしている際、必ず出てくるのがこの九鬼という名前だったのである。政界、経済界、株式市場……ありとあらゆる場所で睨みを利かせるビッグネームだ。元の世界であれば、ブルマさんのカプセルコーポレーションに匹敵するほどの。
少し齧っただけのオレでさえこうなのだ。周囲の人間の彼に対する印象は推して知るべしだろう。
と、従者のように構えていた女性が前に出てくる。そして、にこやかに此方を一瞥してから口を開いた。
「その通りです♪ あなた達とは世界が違うお方なので、気安く接しないでくださいね♪」
「は、はぁ……」
内容はちっともにこやかではなかったが。やはりこのクラスの人は少しばかり変わっているなぁと思いつつ、目の前に立つ女性を観察する。体捌きや移動の仕方、気の強さを見てオレは目を細めた。
「(この人、かなりできるな……いつでも動けるように身体を若干低く構えているし、余裕のある服には武器なんかも隠してそうだ)」
「(……なんだコイツ。パッと見隙だらけにしか見えねぇのに、仕掛けろと言われたら躊躇しそうになる雰囲気を纏ってやがる……前に見たときは気配も出で立ちも普通だったからあまり注意してなかったが……いったい何モンだ?)」
少しばかり訝しげな色を表情に乗せ始めた彼女に苦笑しながら視線を移す。自然と彼女の主、九鬼英雄に目がいった。クラスの中心で胸を張る彼はやはりこのS組のリーダーなのだろう。人をまとめ上げる才能も豊かであるようだ。
だが、それだけではない。このクラスの中では女子が強そうなので目立たないが、男性の中ではかなり強い部類に入る気を持っている。だが、彼を見ていると、ふと微かな違和感に捉われた。
(かなり鍛えてある……けど、彼の気の流れは何かおかしい……澱んでいる、のか……?)
長年気の使い続けてきた自分が気づいた違和感。それは彼の中にあるその流れの不自然さだった。
彼の気にはおかしい点がいくつもあるが、突出しているのは肩の付け根辺り。そしてそこから腕の半ば過ぎに及ぶぐらいまでの部位だ。何箇所かを起点にして、まるで何かに堰きとめられているかのように気力の流れが不自然になっている。普通の人間にこんなものが自然発生するはずが無い。
大きい澱みは肩だ。そこを中心として腕全体にその影響が出てしまっている。あれでは、何もしていなくとも身体全体に大きな負担が掛かってしまうだろう。
オレはこれに似たものを見たことがある。というか、体験したことがある。
そう、今はなきオレの左腕。それを失ったときだ。
あの時、オレはなんとか一命を取り留めた。だがそのあと腕がなくなったことが原因で、身体の気にも大きな偏りができたことがあった。パワーを上手く引き出せず、コントロールも若干変化していたことを覚えている。
修行による調整でそれは改善されたが、その時の気の流れが今の彼の腕と非常によく似ているのだ。そこまで考え、オレは一つの結論に達した。
(怪我……それも慢性的なもの……か?)
あれは古傷というより、常時怪我をしているようなものだ。今でもなお修復しようと身体は働いているはずだが、怪我の仕方があまりに複雑すぎたのか回復できていないように見える。
(だが、俺の腕のように完全に固着したものじゃない。それなら……アレが使えるかもしれないな)
あごに手を当てながら、オレは自分の持ち物の仕様用途について考えていた。
と、そこに一人の学生が近づいてくる。体つきは並。メガネをかけ、その奥から自信に満ちた光を放つ瞳がこちらを見据えていた。
「君が転入生?」
聞こえた名前はまぎれもなくオレの物。名前を呼ばれて彼の顔をまじまじと見た。
口元が不自然に吊り上がっている。オレがあまり好きではない類の笑みだった。
「ようこそ川神学院へ。それにしても、この時期に転入とは些か興味を引かれるね。もしかして、その腕や顔の傷と関係あるのかい?」
「へ? いや、まったく関係ないが……」
「ふぅん、そうなんだ? ボクはてっきり他で大きな問題を起こしてそこにいられなくなったから、こっちに逃げて来たのかと思っていたよ。まぁ素行も頭もいいらしいし、庶民にしては合格かな。腕がないのは同情するけど、一体どんなことをしたらそんなになるんだか。ククク……今度、じっくりと聞いてみたいね」
口元に手を当てて忍び笑いを零す男子生徒。見ると、それに同意するように遠巻きに笑っている人が何人かいた。
オレはどうしたものかと頬を掻く。だが、その時凄まじい一喝が辺りの空気を切り裂いた。
「貴様、無礼であろう! 初対面で相手の身体的特徴、それもどうしようもないことを
「!? く、九鬼くん……ボ、ボクはそんな……」
「言い訳無用だ、さっさと非礼を詫びろ! Sクラスの品格を貶めたいのか!」
「くっ……わ、わかったよ……」
渋々というのがもっともふさわしい態度で謝罪を述べる生徒。心からのものではないことは考えなくても分かる。オレが苦笑しながらそれを了承すると、彼は面白くなさそうな表情で去っていった。
周りで見ていた者たちの目が少しきつくなり、こちらをさらに意識しているのが感じられる。刺々しくなってしまった雰囲気に井上がため息を吐いた。
「空気が悪くなっちまったな……自己紹介はとりあえず済ませたし、そろそろ締めるか」
「そ、そうですね……あまり押し付けるようにしても意味はありませんから、今日はここでお開きにしましょう」
「! は、はいっ! 2-F委員長!(お、俺の意見を聞いてくれた……感無量だぜ!!)」
慈愛に満ちた表情で光輝く井上。大和がそれを半眼で見つめながらオレに目配せしてきた。
ここらが潮時。引き際が肝心。彼の目はそう言っている。
オレも別段残る理由はないし、彼のアイコンタクトに対してすぐに頷いた。
唯一つ、この場で見つけた『気がかり』を解消させてもらってからだが。
「九鬼」
「ん?」
声に反応して九鬼英雄がこちらを向く。俺はそれを確認すると、携帯していた小袋から非常用の仙豆を一粒取り出し、彼に向かって放り投げた。控えていた従者の彼女が一瞬迎撃の姿勢を見せたが、オレに殺気や邪気がないことを瞬時に汲み取ったのだろう、警戒態勢のままその身を押し留めている。
そして仙豆は軽やかな弧を描き、彼の手に収まった。
「? なんだこの豆は?」
「……もしもオレ達の言葉など信用できない、オレ達とは分かり合えないと言うのなら、それをすぐに捨てろ。だが少しでも信じれると思うのなら、それを食べてみてくれないか」
掴み取った仙豆を訝しげに見る九鬼英雄。クラスの連中が見守るなか、オレは続けた。
「安心してくれ、身体に害のあるものは一切入っていない」
「馬鹿かてめ……コホン、あなた馬鹿ですか♪ 下等なFクラス出身が何を言ってるんでしょうね?」
思わず出そうになったのであろう暴言を押し留めつつ、従者忍足あずみが前に出てくる。クラスの連中も似たような疑心に満ちた眼差しでこちらを見つめていた。
彼女の顔には笑みが浮かんでいたが、まるで貼り付けたような不自然なものだ。その瞳からは修羅のような怒りと抑えきれなかった僅かな殺気が洩れている。
普通の人間なら腰を抜かしそうな凶悪すぎる笑み。だが、オレはそれを真っ直ぐに見返す。そのことにほんの少し目を見開きつつも、彼女は油断無く構えながら言った。
「こんな脈絡も突拍子も無いことを罠で無いとを疑わないバカがどこにいるんですか? こんな雰囲気の中では小学生だって信用しませんよ? そうでなくても、英雄様はこのクラスの頂点に立つ御方。そんな怪しげなもんを食べさせられるわけねぇだろうが」
途中からやや本性が見え隠れしているあずみが吠える。だが悟飯はそれにかまわず英雄を見つめた。
先ほどまでの笑みを消し、鋭い目つきで此方を射抜くように見てくる。その態度は尊大だが、感じる覇気は本物だ。さすが自らを王と称するだけはある。まさに自他共に認めるカリスマの持ち主だと言えた。
「……確か孫悟飯と言ったな。何の目的があって我にこれを渡した?」
「多くは言えない。だが、君に必要なものだと思ったから渡した」
「我に必要なものだと? 王であり、すべてが手の届くところにある我に今更何が必要だというのだ?」
「――――右肩」
「「っ!?」」
変化は劇的。主従二人そろって息を呑んだのがはっきりと分かった。忍足あずみなどは、当の本人よりも驚愕が隠しきれない様子だ。
おそらくは彼らにとって相当の秘密だったのだろう。決して揺るがなかった瞳からも動揺が感じられる。
オレは場がややこしくなる前に言葉を紡いだ。
「もちろん、100%と元に戻るとは断言できない。だが可能性があるとしたら、オレが持っているものではそれだけだ」
彼の腕。気の澱みやそれをとりまく流れは相当複雑なことが分かる。それなりに動かせるようになっているのは治療の成果ではあるだろうが、やはり今の医学では完治させられない類の怪我なのだろう。
英雄が一歩前に出る。そして、此方の瞳を真っ直ぐに見つめて言った。
「……その言葉、嘘偽りはないと誓えるか?」
「オレの……戦士の誇りにかけて」
王。その肩書きと彼にどことなく既視感を感じていたオレだったが、その理由が今はっきりとわかった。
彼は似ているのだ。強く、厳しく、そして誰よりも誇り高かった、あのサイヤ人の王子に。
性格とかそういうことではない。自分の生き方に誇りを持ち、振り返ることなく進んでいく心の在り方。それを彼も持っていて、同じように生きようとしていたというだけ。
不意に懐かしさがこみ上げてくるが、今は少しややこしい状況だ。後ろに控えている大和と委員長のこともある。早々に切り上げた方がいいと判断した。休み時間ももう終わるし、そろそろ頃合だろう。
「時間か……今日は帰る。だが今日の結果を踏まえてもう一度会合を開きたい時は、Fクラスに言いに来てくれ。行こう、二人とも」
「お、おい、待てよ孫!」
「あ、はいっ! それではみなさん、失礼致しましたっ!」
踵を返したオレに続いて、大和と委員長があわてて駆けてくる。勝手に終わらせてしまったが、あれ以上は話し合いにはならなかっただろうから別にいいだろう。一旦仕切りなおして日を改めたほうが建設的な話ができると思うし。
オレはわずかだけ振り返り、Sクラスの方に視線を向ける。
(あとは、彼次第……だな)
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
悟飯が去ってから数秒後。いまだ混乱が満ちたSクラスはかつてないほど荒れていた。
「英雄さま、騙されてはなりません!」
その中心となっていたのは、英雄の従者である忍足あずみであった。いつもの彼女からは中々見られないほどに平常心を失っている。彼女はなおも言い募った。
「これはきっとFクラスの罠です! 私達の要である英雄さまから攻め落とし、Sクラスを瓦解させる作戦に違いありません!!」
「ふむ。それがなんなのかはわからんが、此方たちSクラスへの仕返しである可能性は非常に高いの。頭の足りない山猿のしそうなことじゃ。ホッホッホ」
嫌味ったらしく笑う不死川心の言葉に頷くSクラスの面々。いつも周囲を見下してきた彼らにとって、その最たる存在であるFクラスなど、自分達に復讐をしに来る相手でしかないのだ。それ以外何が考えられると言うのか。
英雄は手に持った豆をじっと見つめている。何かを考えるような、だがまだ踏み込みきれないような、僅かなためらいがそこに見て取れる。
そのまま膠着状態になろうかというとき、一人の人物が英雄に近づいて言った。
「食べてみてはどうですか、英雄?」
優しげな微笑を零して彼は言う。それは先ほど悟飯に笑いかけた少年、英雄が唯一親友だと明言する存在、葵冬馬だった。Sクラスの中心的人物である彼の意外な発言に、場に大きな動揺が走る。
あずみも驚いていたが、次の瞬間には唾を飛ばさんばかりに食って掛かった。
「あ、葵冬馬!?(てめぇっ、何のつもりだ!?)」
「これが私の知っているものと同じであれば、彼が英雄に渡した理由にも説明がつきますからね」
「……冬馬、お前はこれが何か知っているのか?」
「ええ、少しばかりですが。彼はここに来る以前、『重傷』を負って葵紋病院に『数日間』入院してましてね、その際にとあるものを残していったのです。見覚えがありますからおそらく同じものでしょう。それにそうであれば、彼が『今ここに来れた』証拠としては確実なものになります」
意味深に笑みを深める葵冬馬。言葉の意味はわからない部分も多いが、Sクラスの参謀である彼がクラスのリーダーで親友でもある英雄に不義理を働くとは考えにくかった。それが英雄にとってデリケートな問題が絡んでいるとなれば尚更だ。病院の名前を出したからには彼なりに推測とある種の確信を持って行動しているのだろう、と。
「まぁ、食べてみればはっきりしますよ。心配はありません、罠を仕掛けるにはタイミングが露骨すぎますし、彼の持ち物を検査した際には間違っても毒物はなかったですから。使い方の分からないものはありましたが。とはいえ、私も実際に見たわけではありませんし、最後は英雄の意志次第ですけどね」
「ふざけないでください! そんな不確かな推測で英雄さまにもしものことがあったらどうする気ですか! 大体あなたは「黙っていろあずみ!!」!? ひ、英雄さま……!?」
自らの激昂を一喝されたあずみが目を見開いて主へと視線を向ける。英雄は悟飯から受け取った仙豆を掌に乗せてじっと見つめ、そしてそれを握りこんでから顔を上げた。
「我もこれまで伊達に九鬼の名を背負って生きてきたわけではない。その立場上、様々な人間を見てきた。言葉を交わしたぐらいでは分からぬことも多いが、その者の性分ぐらいある程度は掴めよう。奴は我と相対してからから最後まで、一度たりとも目を逸らさなかった。どれほど睨みつけようと、真っ直ぐに此方を見据えていた。何かを企む人間の目ではない」
「で、ですが、英雄さまに万が一のことがあったら……!」
「そこまでだ、あずみ。いくら我の身を案じてのことであろうとそれ以上は許さん。奴は自らの誇りを持ち出してまで我にコレを渡してきたのだ。我が同じ重みの誇りで応えぬのは、王である以前に人間として無礼であろう。それに、あれほど純粋で曇りの無い瞳は初めて見た。奴が嘘をついているようには見えんのだ。なればこそ、民の誠意に対して我には応える義務がある。たとえ児戯に等しき結果に終わろうともな。それが王の責務というものだ」
「ひ、英雄さま……」
固い決意と王としての役目を果たさんとする主の姿に、あずみは何も言えなくなってしまった。英雄は自分の従者が黙ったのを確認すると、再び仙豆へ目を落とす。そしてそのまましばらく見つめたあと、意を決したように口へと運んだ。
豆を噛む鈍い音が辺りに響く。周囲が固唾を飲んでそれを見守っている。そして、それを咀嚼して飲み込んだ瞬間、
「っ!!? こ、これは……!?」
英雄は目を見開いた。身体の中で何かが脈動した感覚。身体の中に何か強い力が生まれ、静かに満ちていく。
両手を交互に見ながら、英雄は言葉を失っていた。
「ひ、英雄さまっ!? やはり何か毒が!? おのれぇ! Fクラス!!」
彼の様子に目を剥いて怒りを露にするあずみ。今にもFクラスに向かってスタートを切りそうな彼女を、不死川心たちSクラスのメンバーが震え上がりながら見つめる。だが、英雄はわずかに目を瞑った後、いつになく真剣な瞳になって顔を上げた。
「――――構えろ、ロリコン」
「ロ……いつものこととはいえ、いきなりご挨拶だな。一体なんだ「我が構えろと言ったのだ! 早くせんか!」な、なんだっつうんだよ……よいせっと……」
余裕の無い英雄の声に気圧されつつも、準は構えを取る。その瞬間、英雄は動いていた。
「ほわちゃぁあ―――――っ!!!」
一瞬で肉薄した英雄が右拳を繰り出す。それはガードの上から準の体を軽々と吹き飛ばした。数メートル吹き飛ばされた準が、痺れる腕をさすりながら怒りの声を上げる。
「いっつ――――っ!? いきなり何しやがるっ……って、おいおい九鬼! お前、『そっちの腕』で何やってんだ!?」
「ひ、英雄さまっ!? なんということを……そんな全力で打ち込んだら、今度こそ腕が――!」
我に返った準とあずみが狼狽したように彼に詰め寄った。準は病院絡みで聞いていた話から大いに慌て、彼のことを誰よりもよく知るあずみは過去の忌々しいトラウマから顔を青くする。
だがそんなことなど全く聞こえていないかのように、英雄は自らの手を見つめていた。自分に起きたことを信じることができない、そんな感情が彼から溢れている。そして呆然とした様子で、独り言のようにつぶやき始めた。
「……ない」
「え?」
「……痛みが、ないのだ……どんな時でも我を苦しませていた鈍痛がまるでなくなっている……どう動かしても痺れはおろか、違和感すら感じない……それどころか、感覚も完全に元に戻っているぞ……!!」
「ほ、本当でございますかっ、英雄さまっ!?」
先ほどとは違った声色で驚くあずみ。準も彼の言葉に目を見開いた。
「な……マジなのか!? お前の腕は、どんな医者も匙を投げたもんだったはずじゃあ……!?」
「ああ、そのはずだ。それがまさか……信じられん……」
自分の腕や肩を擦りながら、英雄はそう零す。その時、彼の脳裏にはかつての苦い経験が思い出されていた。
まだ英雄が幼かった頃、彼は一つの夢を持っていた。
それは、プロ野球選手になるという夢。その投手となり、マウンドに立つという夢。
子供の頃に誰もが一度思い描き、そして諦めていく夢だ。だが、英雄はそれを夢にするつもりはなかった。そのために厳しい練習にも耐え、彼はめざましい速度で成長していった。
幸い彼には選手たちの誰もが羨む強い肩と才能を持っていた。だから彼は頑張った分だけ成長し、周りはそんな彼を持て囃した。
だがある時、富裕層を狙って起きたテロに英雄は巻き込まれた。死者が何百人にも上る、テロの中では最悪クラスの被害を齎した大惨事。死んでいった人間の方が多かった状況で、しかし彼は生き残った。
その生命力の強さ、生きたいという信念、そして類稀なる強運。それらすべて、誰もが舌を巻くほどのものだったことは間違いない。
しかし、その代償として彼の右腕には後遺症が残ってしまった。もちろん腕や指を失ったわけではないし、日常生活にはほとんど支障もない。だがその怪我は、彼の命であった投手への夢を断ち切るには充分すぎるものであった。
当時、野球への夢を命と同じぐらい大事にしていた彼にとって、それはとても辛いことだった。彼の夢は、文字通り殺されてしまったのだから。自分の人生で最大の挫折と苦痛を味わったに違いない。
しかし、それが僅か一瞬。たった一粒の豆でひっくり返される時が来るなど、いったい誰が考えただろう。
英雄たちの動揺が伝染し、困惑するSクラス。その中で葵冬馬が変わらない微笑を称えたまま肩を竦めた。
「やはり予想通りでしたか。悟飯くんから聞いたところによると、英雄が食べたのは仙豆と言って彼の家秘伝のアイテムだそうですよ。その効力も聞いていた通りだ。現代の最新医学ですらどうしようもなかった英雄の腕を一瞬で治すとは、本当に興味が尽きないですよ」
様々な感情を瞳に宿らせ笑う冬馬。そんな彼を準が半眼で見つめていた。
「それには同意するがよ……若、俺その話聞いてないんだが?」
「おや、ユキから聞いていませんか?」
「初耳だ」
「お~、そういえば冬馬この前そんなこと言ってたっけ。伝えておいてって言われたけど、準だからまあいいかって思っちゃったよ~、アハハハハ!!」
「どうしてそうやって意味もなく反抗的になるんだ! そんな子に育てた覚えはありません!」
キャピキャピと笑う小雪を準は疲れたように諭す。冬馬はそんな二人を見て微笑すると、英雄へと歩み寄った。
「病院も一粒研究用に譲り受けてはいるんですが、いくら解析しても成分は普通の豆と変わりませんでした。それでいて培養がまったくできなかったもので、正直お手上げだったのですよ。おそらく何か他に秘密があるんでしょうが……これ以上は無粋ですかね。とりあえず、今は悟飯くんに感謝しましょうか」
「孫、悟飯……」
ゆっくりと顔を上げる英雄。その顔はわだかまりが消えたようにすっきりとし、晴れやかなものとなっている。彼の去っていった扉の方を向くと、突然走り出した。
慌てた足取りで走り、半ばぶつかるように扉を開ける。そして従者のあずみの静止の声も聞かずに彼は外に出て行った。慌てて追っていった彼女を視界に治めながら、冬馬はふぅとため息をつく。
(……英雄を救ってくれたこと、感謝致しますよ悟飯くん。太陽のような存在感で人を引き付け、月のように静かに誰かを照らしてくれる……本当に不思議な人だ……私には、少し眩しすぎますけどね)
今だ困惑が満ちたSクラスに苦笑した。そしてもう一度、扉へと視線を向ける。
今はただ、親友の幸福を祈って。
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「なぁ孫、さっきのいったいどういうことだ?」
「おねーさんにも説明して下さいです~!」
Sクラスから帰る途中、オレは二人の質問攻めにあっていた。
まぁ仕方のないことだろう。あの場面での会話を理解できていたのは、オレ以外ではあの九鬼英雄の関係者だけだ。どうやら秘密にしていたことだったようだから、ここで言うのは憚られた。
「うーん……すまないが、俺の口からはちょっとな。ま、あんまり気にしないでくれ。別に二人にとって不利益になることはないから」
なので当たり障りの無い返答をするにとどめる。実のところ、オレも彼の気の流れから推測したにすぎないため、その概要については知らないに等しい。なので詳しく説明しろと言われても困ってしまうのだ。
だが二人は聞き分けがよい部類の人間だったようで、オレの言葉からなんとなく事情を察したようだ。
「孫さんがそう言うなら……」
「了解。気にはなるけど、なんかプライバシーに触れてるっぽいからやめとくよ。それ以前に、意外と頑固な孫が簡単に口を割るとは思えないしな」
「助かる」
それ以上踏み込むことなく、二人はすぐに引き下がった。委員長は持ち前の優しさと思慮深さから、大和はある程度の推測の上に自分の利害とオレの性格を計算に入れたゆえの結論だろう。理解が早いというのは強みであるが、両者の性質の違いにオレは苦笑を零した。
そのままFクラスの扉に手を掛ける。あの声が聞こえたのは、まさにそんな時だった。
「孫悟飯殿!!」
廊下の隅まで響き渡るような声に反射的に振り向く。果たしてそこには、つい数十秒前に見た少年、九鬼英雄が荒い息を零しながら立っていた。周りの生徒は何事かと足を止めて此方に向き直り、委員長たちも驚いた様子で彼を見つめている。
オレは正面から彼を見据えた。肩を上下させながら、手を開いては閉じ、開いては閉じる。それを繰り返している。おそらく、精神的なものから息が上がっているのと似たような状態になっているのだろう。
瞳には様々な感情が入り混じっているのが見て取れた。真っ直ぐに此方を見据えつつも、ゆらゆらと揺れているその眼差しは彼を知るものなら目を丸くして驚いたに違いない。
口元も引き結ばれたり開かれたり、かと思えば何か言いかけようとしたりと、せわしなく動いていた。どうやら感情が高ぶりすぎて、上手く言葉が出てこないようだ。
彼の右肩から手足、そして全身を見やり、その変化を確認していく。先ほどまで彼の身体を覆っていた不自然さが消えていた。どうやら、彼に仙豆はちゃんと役目を果たしてくれたらしい。
そのことに安堵の息を零して、オレは今だ感情の整理がつかない英雄に笑いかけた。
「よかった。ちゃんと治ったみたいだな」
「っ!?」
その目が大きく見開かれる。様々な色を宿していた瞳が驚きの一色に染まった。
見たことのない英雄の表情に、誰もが困惑する。だが、本当の驚きはここからだった。
「く、九鬼……!?」
「九鬼さん……」
後ろの二人が言葉を失ったように英雄を見つめる。彼らの視線の先、此方に相対する英雄の両頬に一筋ずつ涙が流れていたのだ。人前で泣くなど考えられない人物のまさか所業に誰も言葉を挟めない。
気づいているだろう。だが彼は拭おうともせず、たた佇んでいた。静かにゆっくりと流れ落ちていく心の雫。それは誇り高き王が自らの奥底に封じ込めていた叫びだったに違いない。
英雄は涙を溢れさせたまま、誰もが驚く中悟飯に向かって深く頭を下げた。
「……至高の施し、かたじけないっ…………我はこの恩を決して忘れん……! 九鬼の名に賭けて必ず……必ずそなたに返そう!!」
あっけにとられ、どよめきすら上げられない一同。だが、そのなかで悟飯だけはしっかりとその言葉を受け止めていた。
「……ああ。これからよろしくな、九鬼」
「……うむ! こちらこそよろしく頼む、悟飯殿!!」
どちらからともなく、出された手が交わった。
固く、固く結ばれた両者の手。オレは彼の復活を喜ぶように、彼は自らの幸福を噛み締めるように、その力が緩むことは無い。どちらともなく笑みが零れ、その時には彼の涙はもう影も形もなくなっていた。
まもなく4月の終わりに差し迫ろうとしていた、春もうららな日。王を目指す少年と、英雄の血を引く戦士の青年は邂逅を果たす。
それは、彼らが互いに新たな友を見つけた瞬間であった。
第6話でした。
このところ忙しくて……というのは言い訳ですが、本当に忙しい日々ってあるんですねぇ……
この土日は休み返上で働き、明日休みだったはずなのに……なんと仕事が入ってしまったんですねぇこれが!(怒)
なんであの人は自分の仕事やってこないんだよぉおおおお! 穴埋めは誰がするんだぁああああ! 私なんだぞぉおおおお!
出来ないならはじめから出来るとか言うなぁああああああ!
はぁはぁ……と、魂の叫びでした。事情の詳しい内容は想像して下さい。
気力を使い果たしたので、今回はこれにて。
それではまた次回にて!