まだ火曜日という現実。
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視点:神の視点
「……落ち着いた?」
小瀬川白望が福路美穂子の事をそっと抱擁しながらそう言う。福路美穂子はようやく涙が止まったようで、右手で眼の辺りを拭ってから小瀬川白望に「はい……ありがとうございます」と言う。しかし、そう言う彼女の右目は閉ざされていた。それに気づいた小瀬川白望が何かを言おうとする前に、福路美穂子は小瀬川白望にこう言った。
「すみません。ああ言われた後にこうやって眼を閉じてるのは失礼かも知れませんけど、小さい頃からやってたらいつの間にか癖になってたみたいで……」
「ああ、成る程ね……それなら仕方ないか」
「はい。こうしてると気分が落ち着くので……それに、ミステリアスな感じがしていいじゃないですか?」
「え?そ、そう……だね」
(天然さん、なのかなあ……っていうかミステリアスな感じってどんな感じなんだろ……)
小瀬川白望が他の人からしてみればそっくりそのまま言いたいセリフを心の中で呟きながら、福路美穂子の方を見る。ミステリアスな感じがすると言われても、ミステリアスな感じというものを知らない小瀬川白望にとっては理解し難いものであったが、取り敢えず同調する事とした。
そうしたところで、小瀬川白望の腹の虫が鳴った。そういえばと小瀬川白望はまだ夕飯を食べていないという事に気づいた。夜になるまで麻雀をやっていたが、夕飯の事などもはやどうでも良い域にあったのだが、ここにきてその重要性を思い出した。
福路美穂子は何故か自分の腹が鳴った訳でもないのに、少しほど顔を赤くしながら「まだ夜ご飯、食べてないんですか……?」と小瀬川白望に向かって聞く。小瀬川白望は「うん……」と答える。こういう時もし食材があれば小瀬川白望のために腹の足しになるものを作ってあげる事ができたのにと福路美穂子は心の中で若干悔やむが、小瀬川白望は立ち上がって福路美穂子に「さあ、行くよ」と言って手を差し伸べる。
「あ、あの……どこへ?」
「あー……ここのホテル、バイキングとかあるんだよね。まだやってると思うから、大丈夫だと思うよ」
「でも、私は……」
「多分大丈夫じゃないかな……福路さんも代金必要ないだろうし……」
小瀬川白望の言っている事の根拠は全く持って感じられなかったが、取り敢えず福路美穂子は小瀬川白望に言われるがままついていった。
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「ふう……ご馳走様」
小瀬川白望はそう言って両手を合わせる。福路美穂子はまだ食べている途中ではあったが、さっきから全然福路美穂子の腕は動いていなかった。
(本当に白望さんって何者なのかしら……こんな豪華な料理、食べた事なんてないわ……)
(それに、予約しているわけでもない私が来ても白望さんが事情を説明すればあっさり許可してもらったし……分からないことばかりだわ……)
「……食べないの?」
福路美穂子がそんな事を考えていると、小瀬川白望がそう言って福路美穂子の料理が盛られている器を指差す。福路美穂子は「も、もういいわ……色々といっぱいいっぱいだもの……」と言う。
「じゃあ、部屋に戻ろうか」
小瀬川白望はそう言うが、福路美穂子はもうそろそろ帰らなければといった事を気にしていた。このホテルに来たのも、自分が頼んだことだが、小瀬川白望に連れてこさせられたからであるし、何より福路美穂子は塾からの帰りである。親にあらぬ心配をかけさせたくないという思いから、そろそろ帰ったほうが良いのではないかと思ったが、小瀬川白望に手を握られると何故か思考が停止してしまい、正常な判断ができなくなってしまった。
そうして二人はさっきまでいた部屋まで戻ろうと、ホテル内の廊下を歩いて右折しようとしたところで、小瀬川白望にとって見覚えのある人物が突き当たりのところにいた。そう、時を同じくしてこのホテルに入った辻垣内智葉である。
「あ……」
「えっ……?」
小瀬川白望がまず思ったのは、どうして辻垣内智葉がここに居るのかという事である。対して辻垣内智葉は、何故このタイミングで小瀬川白望と運悪く遭遇してしまったのかという焦りが生じていた。いや、もはやその焦りが生じるよりも前に辻垣内智葉は反射的に拳を放っていた。本来ならばばったり敵と遭遇してしまった時の武術であるのだが、辻垣内智葉の一瞬の心の動揺と、自分がここに居たという事実を小瀬川白望から隠そうという防衛反応によって思わず拳を放ってしまった。
「サト……!?」
辻垣内智葉の拳は小瀬川白望の顎を捉え、スパァン!と綺麗な形で打ち抜いていった。小瀬川白望はいきなり物凄い速度で顎を殴られた事で若干ではあるが足が地から離れた。そして辻垣内智葉の名を言い終える事すら許されずに気を失い、背中から地面に倒れた。そうしてやっと辻垣内智葉が冷静になった時には、既に気を失って動かなくなっていた小瀬川白望と、口に手を当てて驚愕する福路美穂子がいた。
(……ヤバいヤバいヤバい……!)
反射的に小瀬川白望を殴ってしまったと辻垣内智葉が気付くと、折角冷静になったはずの心は再び焦りによって動揺していた。そうしてどうしたら良いのか分からなくなった辻垣内智葉は、取り敢えずこの場から遠ざかろうとして反対方向に向かってチーターのような速さで駆けて行った。
「え、あの……」
福路美穂子が辻垣内智葉に向かってそう言うが、辻垣内智葉はもうその時には居なくなっていた。福路美穂子は気絶している小瀬川白望を見て、(どうしよう……)と思いながらも、小瀬川白望の事を担いで行くしかないと悟った福路美穂子は、気絶している小瀬川白望の事を担いで、目的の部屋へと向かった。
次回も長野編。
特に理由のない智葉さんの拳がシロを襲う……