帰ってきました……
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視点:神の視点
(はあ……一体どうしてあんな事しちゃったのかしら……)
(何故俺はあんな事を……)
食器を洗い終え、ソファーに座って頭を抱える須賀京太郎と竹井久。二人は未だにさっきの『あーん』事件について後悔を抱いていた。何故勢いだけでやってしまったのだろう、何故自分が恥ずかしい事をしているという事に気付けなかったのだろう。そんな自責の念が二人の脳内を埋め尽くす。
((でも……))
(嬉しかったのは嬉しかったんだけど……さあ)
(役得だったけれども……)
確かに、二人とも嬉しいという感情は抱いている。しかし、その後に跳ね返ってくる羞恥と後悔がそれを上回っているのだが。小瀬川白望はそんな二人を見て「何かあった?」と聞くと、二人は口を揃えて「「なんでも……ない、です」」と答える。
(何があったんだろ……まあ、いいか。なんかだんだん身体がダルくなってきたし……)
何があったか気になってはいたが、それがどうでもよくなるくらいの眠気が小瀬川白望の元へやってきた。小瀬川白望がウトウトしているのに気付いた竹井久は「白望さん、大丈夫?」と声をかける。小瀬川白望は「うん……何とか大丈……」と、そこまで言いかけてテーブルに突っ伏した。突然突っ伏した事によって二人は驚いて小瀬川白望の元へと駆け寄るが、彼女かは寝息を立てて瞳を閉じていただけであった。疲れていたのだろうか、それとも何か別の理由があったのかは知らないが、三年前に小瀬川白望が急に倒れたのを見ていた事のある竹井久からしてみれば心配以外の何物でもなかった。
しかし小瀬川白望が気を失っているのではなく、ただ眠っているだけだという事を確認すると、竹井久は小瀬川白望の事を心配の目ではなく、どこか愛おしく見ていた。
(本当に麻雀を打ってる時とは別人ね……まあ、麻雀打ってる時もカッコいいんだけどさ、こういう可愛い一面も……アリね)
そこまで考えて、竹井久は須賀京太郎の方を向いて戒めるようにこう言った。
「いくら寝顔が可愛いからって、襲っちゃダメよ。須賀くん」
「まだ何も言ってませんけど!?というか、竹井さんもそれは同じでしょう!」
須賀京太郎が若干顔を赤くしながら、そう反論する。竹井久は「ふふ。冗談よ、冗談」と言っていかにも須賀京太郎を弄んでいるように見えるが、実際は竹井久自身が小瀬川白望の事を襲いたい衝動に駆られているため、須賀京太郎に向かって戒めると同時に自分に言い聞かせているだけなのであったのだが。
(……全く。反則よ。反則。こんな無防備な姿見させられて、何もしないって一体どういう生殺しよ……)
竹井久はそんな欲望に塗れた文句を心の中で吐いていると、須賀京太郎が少し遠慮気味に「あの……竹井さん?」と竹井久に声をかける。
「ど、どうしたの?須賀くん」
「いや……白望さん、あの体勢で寝て体痛めたりとかするんじゃないかなって思って……それに」
「それに?」
「俺たちの理性も危険ですからね。少し物理的に距離を置いた方が賢明かと……」
それを聞いた竹井久は少し残念に思いながらも、確かにこのままでは色々と危ない状態であったので、コクリと頷き「分かったわ。そうしましょう」と言って立ち上がった。そうして須賀京太郎は小瀬川白望が座っている椅子を小瀬川白望を乗せた状態で引き、小瀬川白望をそのままお姫様抱っこのような体勢で抱える。寝ている状態からいきなり抱き上げられたが、小瀬川白望は意にも介さぬといった感じでスヤスヤと寝ている。須賀京太郎はそんな彼女を微笑ましく見つめながら、竹井久に連れられて寝室へとやってきた。
「よっと……」
須賀京太郎がそんな声を上げながら、小瀬川白望をそっとベッドの上に寝かせる。寝かせる時に彼女の髪から発せられるシャンプーの香りがほのかに香ったが、なんとか須賀京太郎の理性は保たれていた。そうして須賀京太郎と竹井久はホッと一息して部屋を後にしようとすると、寝ている小瀬川白望が何かを発した。
「……さ……た……」
「「えっ?」」
須賀京太郎と竹井久は驚いて後ろを振り返り、小瀬川白望の方を見ると彼女はやはり眠っていた。恐らく夢でも見て、寝言でも呟いたのだろう。やっと理性を休ませることのできるチャンスが到来したというのに、小瀬川白望が何の夢を見ているのか気になってしまったのだ。やはり人間というのは好奇心には勝てないようで、須賀京太郎と竹井久は小瀬川白望の側にそっと近寄り、耳を立てる。すると小瀬川白望は口を開いてこんな事を呟いた。
「久……須賀くん……」
「なっ、……〜〜!!//」
竹井久と須賀京太郎は自分の名前を呼ばれて心臓が波打つ。ただでさえ危ない心のブレーキが、音を立てて崩壊していくのが感覚でわかった。しかし、アクセルは踏まない。ギリギリのところで踏みとどまった二人は、ダッシュでリビングへと逃げ出した。
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「じゃあ……またね、久」
「お……お邪魔、しました……」
「じゃ、じゃあ……ね//」
そして二時間以上経ち、起き上がった小瀬川白望は須賀京太郎と共に帰ろうとしていた。小瀬川白望はぐっすり寝ることができて、表情からは分かりにくいが、かなり元気そうであった。
しかし、須賀京太郎と竹井久はそれどころではなかった。あれから心のブレーキは壊れてしまって、あとは自分のリビドーとの戦いが二時間以上。心身ともに疲れ切っていた。
無論、そんな事が起こっていたなどとは知る由もない小瀬川白望はそんな二人を疑問そうに見つめていた。
(……どうして二人はそんなに顔を真っ赤にしてるんだろう。どこか疲れたような感じだし……)
荷物を纏めている最中も小瀬川白望は自分に注がれている二人の視線を感じ取っていて、疑問に思っていたのだが、その疑問が解決する事はなかった。原因であるという事も知らずに。
そんな解決するはずのない疑問……敢えて言い換えるとするなら自分が犯人の探偵推理ゲームを心の中に抱えながら、竹井久の家を後にする。そうして小瀬川白望と須賀京太郎は暫く歩いていた。小瀬川白望は近くにある雀荘へ。須賀京太郎は自分の家へと向かって。
しかし、彼らは竹井久の家を出てから一言も言葉は交わさなかった。須賀京太郎は自制していたからで、小瀬川白望はそもそも会話が無いという事自体に気まずさを感じていないからであった。端から二人の事を見れば、さながら破局寸前のカップル。内容は全然違うが、第三者から見ればそんな風に見えるほど、気まずそうな状況であった。
そうして彼らの口が開かれたのは須賀京太郎と小瀬川白望の進行方向が異なった時であった。
「私、こっちだから……」
「そ、そうですか……じゃ、じゃあ。これで」
須賀京太郎はそう言って小瀬川白望とは別の方向に向かって進もうとする。小瀬川白望がこの地の者では無いという事は竹井久から聞かされている。須賀京太郎にとってこれで会うのが最後だというのは少し……いや、かなり悲しいものであったが、須賀京太郎には一歩踏み出す勇気はなかった。たった一言、たった一言の言葉を発するだけで、全然違う結末を辿っていただろうに。連絡先を交換さえしていれば、もう会う事は無いという悲しい結果では終わらなかっただろう。
しかし、須賀京太郎は踏み出す事はしなかった。いや、それだと少し語弊がある。しなかったのではなく、できなかったのだ。何故だかはわからない。ただ、言葉を発しようという勇気が持てなかった。ただそれだけであった。
「……須賀くん」
「えっ……?」
しかし、小瀬川白望は須賀京太郎を呼び止める。須賀京太郎が踏み出せなかった一歩を、小瀬川白望が代わりに踏んで詰め寄った。須賀京太郎が振り向くと、そこには携帯電話を持った小瀬川白望が立っていた。
「連絡先、交換してなかったでしょ?」
「え、いや……なんで」
須賀京太郎がそう言うと、小瀬川白望は首を傾げて「なんでって……」と言い、須賀京太郎の問いに答える。
「私が交換しようと思ったから。理由なんて無いし……必要じゃ無いでしょ」
それを聞いた須賀京太郎は、顔を赤くする。そうして小瀬川白望と連絡先を交換している最中、須賀京太郎は心の事でこんな事をつぶやく。
(……やっぱり、敵わなないなあ……この人には……)
次回も長野編。
久の回短いって……?むしろ他の人たちが長すぎるんですよ……