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視点:小瀬川白望
(……目指すは
私は何を切ろうか考えているやえを見ながら、そんな事を心の中で呟く。やえの表情を見る限り、今やえはとても困惑しているだろう。そりゃあそうだ。引き分けでこの"ナイン"を終わらせる事は常識的に考えてみれば不可能だ。そんな事をやろうとしている人間が目の前にいれば、誰だって困惑する。事実、私も最初に赤木さんと"ナイン"をやった時、赤木さんが全戦引き分けを狙っているのに気付いた私は酷く困惑していた。私はてっきり赤木さんが勝ちに来るとばかり思っていたので、その時の私は随分と驚いていた。
赤木さんは、この全戦引き分けを私相手に何度もやってのけている。というか、私との勝負全てを全戦引き分けで終わらせている。最後にやったのが小6の頃であったため今はどうかは分からないが、当時の私は何度も止めようと試みたが、結局止められる事ができなかった。因みに生前の時も、アルツハイマーで麻雀のルールが分からないほど記憶を失った赤木さんはこの"ナイン"で全戦引き分けを果たした。何度も赤木さんが全戦引き分けを果たしているのを見て感覚が麻痺してきそうだが、この全戦引き分けが起こる確率は36万2880分の1。天和が約33万分の1であるから、天和よりも薄い確率だ。
信じられない話だが、実際に赤木さんは成功させている。全盛期の頃の赤木さんにとって、それくらい朝飯前なのだろう。さっきも言った通り、脳を十分に働かせる事のできない状態……つまり、直感と運だけでそれをやっているのだから。
故に、私が赤木さんに並んでいるかどうかを知るためには、私も同じ条件でなければいけない。無心……とでも言うのだろうか。とにかく私は何も考えずに牌を切っている。ただ私の直感と運に身を任せて、淡々と打つのみだ。
この全戦引き分けを果たす事ができれば、私は少なくとも直感と運だけで見れば赤木さんに並ぶ事が出来ている事の証明となる。追い越しているかどうかはまだ不明であっても、だ。
(……さあ、私は今何処にいる……)
実際は私はやえと闘っている。しかし、私が真に闘っているのは本当はやえではない。やえには申し訳ないが、私は別の相手と闘っている。赤木さんという『神域』と闘っているのだ。
「……これだ」
そんな事を考えていると、やえが手牌から一牌を切ってきた。どんな事があろうと平常心を貫いてきた私であったが、この時ばかりは私は非常に緊張していた。確かに、ここで私が全戦引き分けを成功させれば、部分的に私は赤木さんに追いついたという事になるかもしれないが、逆に失敗してしまったら、それは私が赤木さんにまだまだ及んでいないという事の裏付けという事になる。そう考えれば、ここで失敗はしたくない。
珍しく私は震えるほどの緊張感を感じながら、牌を開く。それと同時にやえも牌をひっくり返す。私が選んだ牌は{⑦}で、やえの選んだ牌も{⑦}。これで三連続引き分け。ここまでの確率は504分の1、約0.2%だが、それでも目標の36万2880分の1には程遠い。むしろ遠すぎるくらいだ。
残り枚数は六枚。一回だけで見ればだんだん確率は高くなっていくかもしれないが、あくまでそれは確率上での話。実際のプレッシャーは最初の時以上のものだ。
(あと……六回……)
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視点:小走やえ
(……次は何を切るべきか)
これで勝負は四回目。私の先攻となる。ここまでで切った牌は{⑥⑦⑧}といずれも上位の牌。普通ならこの上位ばかり切られた状況で最強の{⑨}を打つとも考えにくい。ならば、私はここであえて{⑨}を切ってみるのも面白い。
(さあ……どうする?)
私は{⑨}を切る。それを確認した白望は相も変わらずノンストップで牌を選んで切る。そして、私と白望は同時に牌をひっくり返すと、そこには二枚の{⑨}があった。流石、白望といったところか。
というより、もはや白望は何も考えてはいないのかもしれない。全てを自分の直感に任せているようにも見える。まあ、私がどう推察したところで、答え合わせができるわけもないのだが。
そうして、この後も私と白望は"ナイン"を続けたが、白望が私と異なる牌を切ることはなかった。気がつけば、私の手牌は残り三枚となっていた。ここで白望が私と同じ牌を出す事に成功すれば、見事白望は引き分けを達成する事となる。
確かに、それは祝福されるべき快挙だ。だが、私はただ黙ってその達成を見ているだけという事はできない。あくまでも、本気で考えて、打つ。それが礼儀というやつだ。王者たるもの、八百長など私のプライドが許さなかった。
「どうぞ」
すぐさま牌を切った白望が私に向かってそう言う。私はそれを聞いて、手牌へと目を落とす。
私の手牌には{①と②と④}。この中から何を切るかという事だが、私は必敗の{①}を切り飛ばした。これが普通の勝ち負けを競う勝負であったら私はもっと考えていただろう。しかし、これはあくまでも白望が引き分けで終わらせることができるか否かの勝負なのだ。考えていても仕方ない事。ならば私も、自分の直感に身を任せてみよう。
そうして私は{①}を切り、白望がさっき出した牌に手をかける。私と白望が同時に牌をひっくり返すと、白望の手の近くには{①}が置いてあった。
(……本当に、やってのけた)
私は一瞬、頭の中が真っ白になった。まさか、本当にできるとは思っていなかった。およそ18万分の1。そんな紙のように薄い確率を、白望は引く事ができたのだ。私は何かを発しようとしたが、思うように声が出ない。
しかし、ここで白望はそんな私に向かってこう言った。
「……やえの番だよ」
一瞬、「え?」と聞き返したくなるほど私は不意をつかれた。何故、やる必要があるというのだ。もうこれで引き分けは決まったというのに、一体これから何をしようというのだ。
私は疑問に思いながらも、私は{②と④}の二枚の中から一枚を適当に切り飛ばした。困惑していたため、私は今自分で何を切ったのか分からなかった。
それを見た白望は、さっきと変わらず牌をノータイムで切り飛ばす。私は半ば混乱気味に自分の切った牌をひっくり返す。白望がまだひっくり返そうとしていないのに、だ。私が切っていた牌は{④}であった。これも今初めて知った事だ。こうして牌を開いた今も、未だに白望が何をしようとしているのか分からない。私は困惑しながら白望の方を見た。
「えっ……」
するとどうだろうか、白望の頬に涙が流れていたではないか。よく見ると白望の手は震えていた。あまりの唐突さに、私は思わず声に出してしまう。いったい何があったというのか。それを白望に聞こうとすると、白望は私ではない何かに向かってこう呟いた。
「……届かなかった」
それが誰に向かって言っている事なのか、私には理解できなかった。だが、私に向かって言った事ではないという事はなんとなく理解した。
こうしている今も尚、白望は涙を拭おうとはしなかった。自分で気付いていないのかは分からないが、私は立ち上がって白望の涙をそっと拭いてあげた。すると白望は私に向かってこう言った。
「……ごめん、やえ……ちょっと風に当たってくるね」
そう言って白望は立ち上がり、私の家の玄関へと歩き始めた。私は引き止めようとも思ったが、何故かここで白望を引き止めてはいけないという気がして、私は止めようと出した手を引っ込めて、外へ出て行く白望を呆然と見ていた。
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視点:小瀬川白望
届かなかった。今の私では、全然。たった一回の違いではあるが、数字にすれば18万と36万の違い。天と地の差だ。私はやえの家の近くにある公園のベンチに座って、赤木さんに話しかけた。
「……赤木さん」
【……どうした】
「どうしたら、私は赤木さんに届くと思う……?」
すると赤木さんは【ククク……】と笑ってから、私に向かってこう言った。
【……ずれてるぜ。白望】
あと一歩のところで届かなかったシロ。(分かっていると思いますが、シロは二筒を出しました)
赤木はシロに何を伝えるのか……
いいところで次回に続きます。