鉄火の銘   作:属物

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第二話【クリーピング・アイズ・フロム・フット】#2

【クリーピング・アイズ・フロム・フット】#2

 

 

「「「お目かけください、お目かけください。メガミ様」」」薄暗い地下室に精一杯古めかせた若い声がコダマする。「「「わたしたちは貴女の眼差しを心に留めます。わたしたちは貴女から目を背けません」」」

 

彼女らが何に祈るのかは不明だが、文句の通りに『目』をかけられているのは確からしい。周囲に敷き詰められた調度品から無数の眼球文様が睨めつけ、カルティズム・ショドーのカケジクが『いつも見ている』『目を離さない』と唱いあげる。

 

そして何より壁一面を覆う巨大な『目』のエンシェント・カンジが、瞬きすらなく尊大なる視線を少女達に注いでいた。思春期特有の黒魔術趣味というには少々偏執狂的過ぎる光景といえよう。ペケロッパ・カルトを知るものならその静かな熱狂に相似形を見いだしたかもしれない。

 

「「「お目かけください、お目かけください。メガミ様。お目かけください、お目かけください。メガミ様」」」それは正しい。これは卒業と共に忘れ去る秘密めかした青春の思い出ではない。悪徳の一本筋が通ってしまった本物の邪宗邪教だ。

 

「皆様の真心の籠もったお祈り、誠に素晴らしいものでした」パチパチと手を叩く音が響く。導師(グル)だ。『目』を張り付けたアイマスクで顔はようとして知れない。だが少女達はその眼球紋様を見た途端、誰もが陶然とした尊崇の表情を浮かべた。

 

「メガミ様もきっと目をつけてくださるに違いありません」「グル・センセイ……!」「センセイ」「導師」少女達は両目を覆う奇っ怪なアイサツで敬意と信奉を示す。彼女もまた同じ動作を以て応えた。手首に垂らした『目』鎖の群れがシャリシャリと鳴り、シンピテキをより一層高める。

 

「グル・センセイ、わたしは信仰者を4人増やしました!」「センセイ、わたしは今回の奉仕金を倍にしてます!」「導師、わたしは集会を邪魔した用務員を追放しました!」花に群がる蝶めいてパステルカラーの制服達が導師(グル)にすがりつく。差し出される蜜がさぞかし甘いに違いない。

 

……そう、甘いのだ。導師(グル)がタイマイ甲羅めいた欠片を懐から取り出す。「よくできしたね。ご褒美をあげましょう」「ください……お願いです……」「もっとガンバる……ガンバリますから……」可憐と言っていいうら若き少女たちが舌を突きだし請い願う。目を覆わんばかりに扇情的でふしだらな光景だ。

 

導師(グル)は細く笑み、アンバーの粒を舌に落とす。「ふふ。カワイイ」「アアー……あまーい……」ベッコ・アメ。琥珀めいたカラメル結晶はゲートウェイに最適だ。ウブな生娘の手を優しく引いて、ドラッグの世界にじっくりと沈めてくれる。

 

「……あま」「おいひいよぉ……」「ああ、なくなっちゃう……」事実、この儀式に耽溺する少女等は全員残らず依存症に浸かっていた。全員に飴を配り終えると導師(グル)は金鎖をたなびかせて両手を掲げる。「さぁ、名残惜しいですが今日の儀式はお開きです」

 

錦糸眼球紋様ショールがスポットライトを浴びて妖しく煌めく。まさしくブードゥー邪教の伝道者に相応しい。「誓願とイッポンジメで終えるといたしましょう」「「「ハイ、センセイ!」」」両手を重ねて両目を覆い、瞼の闇を見つめる。

 

「「「わたしたちはメガミズムに従います」」」「「「わたしたちはメガミズムに殉じます」」」「「「わたしたちはメガミズムに捧げます」」」旧校舎地下室を単調な唱和が満たす。宗教的一体感が高血糖で蕩けた脳髄を満たしていく。

 

「「「わたしたちはメガミズムです!」」」「「「わたしたちがメガミズムです!!」」」「「「わたしたちもメガミズムです!!!」」」気づけば唱和は絶叫に変わっていた。熱狂は最高潮に達し、トランス状態に至った少女たちはガクガクと痙攣を繰り返す。

 

揺れ動く少女らの視線は壁から送られる『目』線を捉えようと動き回る。裏腹に壁の眼球紋様は不動のままで、少女らの狂乱を傲岸に見下していた。

 

目神教(メガミズム)』の文字と共に。

 

ーーー

 

コツ、コツ、コツ。小さな影が薄暗い廊下を歩く。トンネルめいた長い通路はモルグめいた陰鬱を宿していた。ある意味当然と言えるだろう。ここは博物館の展示品を横流しする秘密通路だったのだ。尤もそれを知るものは人影を除けば、もう一人もいないのだが。

 

人影は歩きながら手首の装身具を外した。ショールを脱いで折り畳んだ。アメ入りの小袋を隠しポケットにしまい込んだ。最後に両目を覆う『目』のアイマスクを外した。コンクリート打ちっ放しの階段を上り、無愛想な鉄のドアを開く。

 

そこには清潔で品の良い、そして無機質な部屋があった。本棚には分厚い学園史が並び、ガラスケースには各大会の表彰盾や記念ワキザシが飾られ、『不如帰』の見事なショドーが外光を反射する。生徒会長室というテンプレートを張り付けたかのような一室であった。

 

それに不似合いな隠し扉から現れた影は、眩しそうに手でひさしを作る。「ブラインド」「……ハイ、ヨロコンデー」端的な命令に従い大窓に障子戸が降ろされた。逆光が薄れ、影の姿が露わになる。

 

柔らかにうねる黒髪、上品に着こなしたパステルの制服。学園指定のパンプスですら気品溢れる。上から下まで校則を遵守したまさしく生徒の規範そのものだ。生徒会長にふさわしい立ち姿と言えよう。

 

「椅子」「ハイ……ヨロコンデー」ただしその表情は例外である。他人を見下すことに慣れきった傲慢な支配者のそれだ。学園中から慕われる品行方正にして公正明大な生徒会長とは到底思えまい。

 

「按摩」「ハイ、ヨロコンデー……」そしてエルゴノミックチェアに腰掛け足を組む様は、若きヤクザ・クイーンと呼ぶ方がよほど似合う。ましてや指導すべき立場の男性教諭に足を揉ませ、その頭を踵の置き場にする光景は、学園の退廃と腐敗を如実に顕していた。

 

生徒会長が長い息を吐く。吐息は艶やかな侮蔑を帯びている。「バカなアカチャンの取り扱いはホント疲れるわ」「……ちょっとやめないか。それはよくない」教諭は苦しげに顔を歪めた。耳にするだけで苦い悪罵を足蹴にされながら聞くのだ。しかも自分たちが導く筈の生徒から。

 

だが教諭の苦しみすらデカダンスに染まった会長には娯楽の一つ。小悪魔めいて愉しげに嗤う。「あら、今日はずいぶん反抗的なのね」「もう……やめないか。とてもよくない」だから教諭は血のように制止の言葉を吐いた。今更というにも遅すぎる。だが退廃と腐敗の行き着く先は破滅だけなのだ。

 

「じゃあ辞めましょうか?」「え」生徒会長はあっさりと首肯した。「ならNSPDあたりに全部自首して白日のもとに晒すべきよね?」「えっ」何故なら全てはアソビに過ぎないからだ。赤青白に土気色。次々に変わる教諭の百面相を弄ぶ。

 

「そうなると当然『コレ』も司法に晒さないといけないわねぇ?」「ウッ……ウゥ」生徒会長は生徒手帳を、正しくはその中の写真を見せつける。中身は……おお、ブッダ! ……あまりにも痛々しい、中年の危機の女装姿であった! 

 

……マケグミの底辺下層に産まれながらも、父母の犠牲と血の滲む努力とブッダの慈悲により、お嬢様学校の教諭にまで成り上がったネオサイタマドリームの体現者。しかしその代償に、彼は定期的に女装姿で校内を徘徊しないと満足できない心身となっていたのだ。

 

この事実が一度明らかとなれば、懲戒処分は免れない。それでは文字通り身体を切り売りして死んだ両親に申し訳がたたない。故に餌を取り上げられた犬めいて、唯々諾々と生徒会長に従うしかなかったのだ。

 

がっくりと項垂れた教諭へ勝ち誇った嘲笑を向ける。「あら? イヤなの? センセイなのに? 生徒を導くより保身が大事?」「……ッ!」死体蹴りめいた追撃にも肩を震わせ歯を食いしばるしかない。事実だからだ。耐えねば両親に顔向けできない。しかし耐えれば良心に顔向けできない。

 

「コドモもオトナもオネエサンも、み〜んなイディオットばっかりね」「……」「あら? 『それはよくない』『ちょっとやめないか』って言わないの? センセイなのに?」容赦なく慈悲なく言葉で嬲る。虫の足を引き抜く幼児めいて、被害者の指を切り落とすサイコパスめいて。

 

「……もう……ヤメテください」泣くような縋るようなか細い声だった。なんたる情け無い有様か。当人が一番判っていた。教諭の心は折れた。命じれば大人しくドゲザすらするだろう。セプクならば喜んで実行するに違いない。

 

「ダ・メ」「おお……ブッダ……」だが、させない。おお、上位者を踏み躙る悦楽よ。啜り泣く教諭“キョンイチ”を見下して、生徒会長“ナツヨ”は醜く表情を歪めた。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

……やっぱり来るんじゃなかった。

 

「それでね、メガミ様のお告げに従ったら途端に母様も父様もケンカを辞めてくれたのよ」「はぁ、それで探し物なんですが」それを求めて誘いに乗ったのだが、クラスメイトはカルト語りにひたすら夢中だった。到着から10分足らず、ユウは既に十回は胸の内で後悔の溜息を零した。

 

「だって母様の指輪がお告げの場所から見つかったのだもの。きっとメガミ様が目をつけてくださっていたに違いないわ」「あぁ、それで私の探し物なんですが」すぐに見つかると甘い見通しを立てた、クラスメイトの誘いに乗った、シンヤに連絡しなかった。後悔の種は尽きない。

 

「だからね! メガミ様からお告げを頂けば、きっとユウ=サンの探し物も見つかるの!」「ええ、それはすごいですね」「ええ! とてもスゴイのよ!」どれかひとつでも潰していれば、こうして旧校舎の地下倉庫でカルト小話を延々と聞かされることも無かっただろう。

 

ガラス玉めいたキラキラお目々からうんざり顔で視線を逸らす。なのに周りにはお『目』々だらけだ。視線をどこに向けても眼球紋様の装飾と目が合ってしまう。どの『目』もキラキラキラリと輝いて、瞼の裏まで残光の『目』が覗いてくる。

 

「あら? 今日は初めての方がいらっしゃるようですね?」「グル・センセイ!」「センセイ!」突然、嬌声が上がった。幾つもの熱っぽい視線に倣って目線を向ければ、『目』のアイマスクで顔上半分を覆った、神秘的演出の人影がいた。誰かは判らないが、このカルトの中心なのは確からしい。

 

「グル?」「私たちにメガミズムを授けてくださったセンセイよ!」なるほどカルトのぐるって訳ね。間違った、しかし少しだけ間違ってない理解をするユウ。そこに『目』線が突き刺さる。新種の虫を観察するような、無機質で興味深げな視線だ。

 

「はじめまして。ウトー=サン。私はメガミズム集会を統括しています、グルです」「……ドーモ、ウトー=ユウです」両眼を覆う奇っ怪なアイサツにユウは頭を下げて応えた。言外でカルトに入る気はないと告げている。

 

「ユウ=サンは初めてですので、簡単ですが説明と入会の儀式を行いましょう」「……」だがグルは気付く気もないのか、鷹揚に頷くと当然のように宗教解説を始めた。無論、ユウに入ると言った覚えはまるでないのだが。

 

「まず、天には『目』があります」……いきなりかっ飛ばして来たなぁ。ユウの目は遠かった。だが濁った目のユウを誰も気にしてない。信者が求めるのはグルの独演会なのだ。

 

「天と言っても単に上空といった即物的な話ではありません。形而上学で語られるべき場所、真理のある所です」ついて来れるかと言わんばかりにカルト説話はどんどん加速していく。ユウは当然ついていけない。ついていきたくもない。

 

「『目』の主であるメガミ様は、ある時悪しき未来を見ました。卑小な感傷と愚劣な怨念が、唯一なる王に汚濁を塗り付ける光景です」「コワイ!」「ああ!」ユウの気持ちを他所に、グルのご高説に取り巻き達が追従して追随する。あの男を取り巻く12使徒気取りなのだろう。

 

「故にメガミ様は下界に『目』を向けまし……三人の天使を遣わして、悪しき未来を取り除く使徒……我々はメガミ様の眼差しを心に留め……教えは宗教を超えて一つの主義……」昇天した彼の人めいてお話は明後日に飛び立つ。

 

(((早いこと終わってくれないかなぁ……)))それをひたすらに聞かされるユウは一昨日の方角へと自我を飛ばして聞き流していた。壊れたラジオめいたオカルト・ネンブツが右から左へ通り抜ける。よく眠れそうだが、きっと宗教的悪夢を見るに違いない。緑の三つ目も幻覚に参加しそうでイヤだ。

 

だが、白昼夢めいて飛ばしていた意識は唐突に引き摺り下ろされる。「……して()()()()()()()()の座より、メガミ様の眼差しは降り注ぐのです」「……!?」叩き起こされたユウは無理矢理に無表情を形作った。そうしなければ驚愕に表情を歪めていただろう。

 

『原作』と言う形而上学の真実を知るユウはグルの告げた黄金立方体の名前を知っている。『キンカク・テンプル』ニンジャソウルの在処だ。

 

どうせ黒魔術趣味が高じたカルト宗教なりきり遊びと考えていた。だがこれは暇を持て余したお嬢様の戯れなどではない。歴史の闇が不意に触れる感触に、ユウの背筋が凍りつく。目神教(メガミズム)はペケロッパ・カルト同様、間違いなく真実に……ニンジャ真実に触れているのだ! おおナムアミダブツ! 

 

「さて、メガミズムの概要をお伝えできました。次は入会の儀式を「お断りします」だから間髪入れずにユウはNOを告げた。

 

ーーー

 

「入会を? 断る?」「私、宗教違うので」『前』は浄土真宗だし今は無宗教だ。もとよりカルトに入会のつもりなどない。ニンジャ真実に関わりあるなら尚のこと。一刻も早くシンヤ=サンに伝える必要がある。そしたら、ちょっと褒めてくれるかもしれないし。

 

「貴女……!」「なんてこと!?」「ゴメンしなさい!」使徒気取りが殺気だつ。血の気の多い者はスタン懐剣を抜いたり電動ナギナタに手を伸ばしている。ユウはジュドーに自信があるが、この人数と武装相手は少々無理だ。だから代わりに()()()()を抜いた。

 

「なんのつもりです?」友人気取りで裏切られた気分のクラスメイトが首を傾げた。学園に告発でもする気だろうか。たしかにメガミズムが知られてしまうのは極めてよくない。だがその前に押さえ込んで告げ口できないようにすればいいだけのこと。

 

(((高血糖の悪夢を見れば、背教徒でも信心深くなれますわ)))被害者様のおつもりで憎悪をたぎらせるクラスメイト。だがユウは生徒手帳を掲げたまま微笑むだけ。幾つもの刃を目の前に小揺るぎもしない。不遜な態度に徐々に困惑と疑惑が増していく。

 

BEEP! 「「「ッ!?」」」突然の電子音にざわめく信者たち。ユウは逆の手を差し出した。BEEP! BEEP! そこには矩形波のアラーム音をがなりたてるIRC端末があった。そのまま生徒手帳と端末を並べて見せつける。

 

「最近のIRC端末はもっと小さいそうですね。この生徒手帳に収まるくらい」「嘘をつかないで! ここには電波が届きません!」「中継機が有っても?」「……ッ!」ユウのハッタリである。端末は手元の一個だけで、中継機なんて持ってない。

 

しかし信者達は箱入りのお嬢様だ。ネットワーク技術に詳しい筈もない。だから否定も肯定もできない。だから信者達の脳裏に危険なもしもが浮かぶ。

 

もし通信が外部に繋がっていたら? もし学園にメガミズムがバレたら? もし自分らが砂糖依存症だと知られたら? 『疑いだすとキリがない』コトワザの通り疑心は暗鬼を産み、暗鬼は不安を膨らませていく。

 

「私は探し物に来たんですよ。それだけです」お前達を告発する気はない。ユウは言外に告げる。信じられるはずもない。だが『もしも』が確かなら、従わねば破滅の他はない。不安と疑心に苛まれる信者達は無言で立ち尽くすのみ。

 

「探し物でしたら私が伺いますよ」「グル!?」「センセイ、ナンデ!」烏合めいてざわめく小鳥達。片手を上げて黙らせるとグルは慈悲深い声音で話し始めた。「ヒガシ=サン。貴女がお友達のニシ=サンを助けると言いながら集会に飛び込まれた事を覚えていらっしゃいますか?」

 

「あれは私の大きな過ちです……ゴメンナサイ……」スポーツ感のある短髪少女が俯いて肩を震わせる。グルはその肩に優しく手をかける。『目』の装飾チェーンが肩にかかる。ユウの目には幾つもの『目』がへばりつく様に見えた。

 

「けれど貴女は今こうして正しき道を歩んでいます。ウトー=サンにも機会があるべきです。そして眼差しの意味に気づけば、すぐに正しき道に入ります」入る気はないと言った筈だが? ユウはいぶかしんだ。

 

「気持ちは変わるものです。話し合えば必ず判ってもらえます。判ってください」判りたくない。ユウにすれば当然、拒否だ。その耳元にグルは唇を寄せた。

 

「入り口には電波センサを隠してあるんですよ」耳打ちされた言葉にユウの表情が引きつる。センサがあれば通信がされてないことは明白。つまりハッタリはバレていたという事だ。

 

「端末には録音機能もありますが?」「当然持ち帰る必要はありますね」グルは悪あがきを軽く踏み潰すとユウの手をそっと引く。今や立場は逆転した。縛られて耳からカルト教義を流し込まれたくなければ従う他にはない。

 

(((グルは信者とは別の出入り口を使ってる筈)))チャンスはある、助けは来る。彼はきっと気づく、来てくれる。願望と希望の合いの子を言い聞かせ、ユウはグル専用の出入り口を潜った。

 

ーーー

 

覚悟を決めて踏み込むユウ。そこは一切の逃げ場なき『目』線のキルゾーン……ではなかった。「……?」大正ロマンに整った部屋の中には『目』の一つもない。僅かに有るのはフクスケ、マネキネコ、ダルマの目玉だけ。掛け軸も『不如帰』『まりゑ』『トモヱ』といったありふれた文字ばかりだ。

 

ビクトリアンをベースに和魂洋裁に仕立て上げた気品ある一室と、温室育ちな御令嬢をたぶらかすカルト宗教の導師。印象がどうにも噛み合わない。「ドーゾ」「アッハイ、ドーモ」疑問符を頭上に浮かべながら、勧められるままに腰を下ろす。

 

改めて周りを見渡すと衝立とビヨンボで出来た壁、隙間からはコンクリートの他にパイプとバルブが見える。倉庫機械室をオイランめいた化粧壁で覆っているのだ。それだけではない。土偶、エレキテル、ウキヨエ。ガラスケースに飾られた元博物館倉庫の品々が目に入った。

 

そしてガラスケースの一つには……(((あれは!)))……探していたインフラ古地図があるではないか! これは『ヒョウタンからオハギ』と言えよう。そして『タイガークエスト』となるやもしれぬ。隣室にはカルティストが控え、同室にその親玉が待ち構える。

 

地図を手に入れて五体満足で帰還するのは中々の難題だ。ユウは喉の奥で唸る。その目の前に紅いチャが出された。角砂糖付きだ。「冷める前にドーゾ」虎穴に入らずんば虎子を得ず。ユウは覚悟を決めて飲み干す。美味しい。

 

詳しくはないが良い茶葉なのだろう。ユウの顔から険しさが抜け落ちる。その様子を眺めていたグルは自然に『目』(アイ)マスクを外した。その下には……ALAS! なんたることか! 生徒会長のナツヨ=サンではないか! 

 

「!?」ユウもこれには驚きを隠せない! そう、淫祠邪教(メガミズム)ドラッグ(違法糖類)を広めたのは、こともあろうに生徒の規範たる生徒会長であったのだ! これもまた古事記に記されたマッポーの一側面なのか!? 

 

「驚いたかしら?」「……ええ、意外ですね」だが理には適っている。生徒も教諭も信頼する生徒会長ならば、ドラッグ汚染とカルト宗教の疑いを抱かれることはまずない。信頼を逆利用して宗教への誘導も容易いだろう。

 

「繰り返しになりますけど、宗教はお断りしますよ」「ええ、構わないわ」予防線を張るユウにナツヨは微笑んで余裕を見せる。「私もゴメンだもの」「ぐるなのに?」「グルだからよ」気づけば互いにお嬢様らしい言葉遣いは投げ捨てられていた。

 

「代わりに私と手を組まない?」ナツヨが艶やかに微笑む。予想外のお誘い、だが想像外ではない。「どうして私を?」「バカな信者たちとは違うからよ」正体を現した生徒会長は耳を塞ぎたくなるような悪罵を涼やかに唄う。

 

……ユウにすれば正直言えばカルト入信同様ノーサンキューだ。犯罪に手を出して失望されたくはない。だが跳ね除ければ探し物は手に入らず、危険に取り囲まれたタノシイな未来が待っているだろう。

 

「……」さて、どう応えるべきか。肯定以外考えてもいない顔に対して、ユウは答えあぐねていた。もちろん口先だけの肯定を返す事はできる。だが、ネオサイタマでの契約や約束は極めて強い力を持つ。

 

かの殺戮者ですらハンコ一つで絶体絶命野球対決に放り込まれたほどだ。その場凌ぎのお為ごかしで回答したら、カルトの仲間入りに確定というのはゴメンだ。黒錆のスリケンに断罪されるのは嫌だ。

 

ユウの無言を躊躇いと判断したのか、ナツヨは説得にかかる。「ねえ、養殖される側にいたら食われるだけよ」だがそれは支配者、カチグミ、見下す側のコトダマだ。「食べる側に来なきゃ、延々とマケグミのまま」ディストピアを嫌い、ネオサイタマを嫌い、この世界を嫌うユウには届かない。

 

否、届いた。「サラリマンみたいな家畜になりたいの?」「……!」彼女の逆鱗に届いてしまった。

 

「社畜ってよく言ったものね。カイシャの食い物になるために生きてるんだもの」反応に手応えを覚えたナツヨは責め立てる。それがカンニンブクロを直火で炙る行いとも知らずに。

 

「ちょっとでも頭があれば脱出先を探すのに、カイシャに根を生やして動こうともしない。ロボトミー済みかしら。まさしく無()ね」いや、そもそも知る由もない。ユウの『前世』の父がサラリーマンだったなどとは。その『前世』の記憶を心の支えにしているとは。

 

「負けが決まった家畜か、勝ちを得られる牧場主か。答えはもう決まってるわね」「ええ、お断りよ」だから間髪入れずにユウはNOで蹴り返した。

 

 

【クリーピング・アイズ・フロム・フット】#2おわり。#3に続く。


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