鉄火の銘   作:属物

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第十話【レッドスレッド・イズ・ブラッドカラード】#3

【レッドスレッド・イズ・ブラッドカラード】#3

 

市松模様のタイルは冷たい脂汗で額と接着されている。真冬のセトモノは脳味噌が凍りつく程に冷たい。それでも男は顔を上げない。上げたくない。上げさせないでくれ。脳味噌が氷結する方が幾らかマシだ。「ねぇ」「アィッ!?」男の願いも無視して、奇妙に歪んだ合成音声が呼びかける。

 

年齢不明の、しかし幼い声に恐る恐る顔を上げた。タイル貼りの床にタイル貼りの壁、特有の施術用椅子と合わさればそこが『元』診療所であったことがよくわかる。元? そう、元だ。血と汚濁とグラフィティで塗り潰されたまま営業する診療所なぞ聞いたことがない。

 

サイケデリックに染色されたナース服と、その端々から覗く違法サイバネもそれを示している。そして院長用の豪奢な椅子に腰掛ける人影が再び口を開いた。「わたし、あと5人欲しいって言ったよね?」「ハイッ!!」BIFF! 相槌に頭をタイルへ打ち付ける。両手のサイバネがカチカチと震える。

 

「じゃあ、なんで無いの?」「ゴメンナサイ!」BIFF! 頭蓋を床で鳴らしても、突き刺さる視線は揺らぎもしない。自分は連続婦女ハイエース誘拐殺人犯として、裏社会にフリーライドする肉食魚のはずだった。いいオンナを好き勝手にハイエースして、クスリと暴力で好き放題にオモチャにする。

 

正に一般人という雑魚を食い荒らす、容赦なき人食いサイバネマグロだ。しかし、今や活け造り予定のスシネタ予備軍でしかない。「なんで無いのって聞いてるんだけど?」「ハイ、ゴメンナサイ!」BIFF! 何故なら不機嫌な声を発する影こそが、真なるネオサイタマの最上位捕食者なのだから。

 

自分のワガママが許されていたのも、この怪物がバックにいたからだった。「お前、もういい」そして今、ワガママお許し御免状は消え失せた。「アィェッ!? ゴメンナサイ! ゴメンナサイ! ゴメンナサイ!」BIFF! BIFF! BIFF! 叩頭礼で命乞い、続けてドゲザで縋り付く。

 

お願いだからオタスケください。全身全霊で訴える。だが当然、許されない。影が椅子から腰を上げる。手術灯に照らされて大理石紋様の装束が光る。「アィェェェ……」誰かが掠れた悲鳴を上げた。それを責める事は出来まい。脅威なる恐怖を目の当たりにすれば誰もが泣き叫び失禁する。

 

その恐怖を……ニンジャの恐怖を! 「「「アィェェェ……!」」」オペラ悲劇めいて悲鳴の合唱が部屋を満たす。ニンジャは指揮者気取りで指を動かす。グギュン! 「アイェッ!?」サイバネの両腕が意に反して応えた。神経パルスの停止信号を無視し、鉄の指がぎこちなく開閉する。

 

ハッキング? ウィルス? 違う。モーターは煙を噴いてまで主人に忠実に動いている。超常の外力がジョルリ人形めいて操っているのだ。フシギ! 「ヤ、ヤメテ」自慢のサイバネは握った肉を一瞬でザクロの有様にする。それを超える超自然の力が、自分の頭蓋に添えられたマニピュレーターに込められていた。

 

「ヤメテヤメテヤメテヤメテ!」「うるさい」毎秒1センチで頭骨に鋼鉄がめり込んでいく。「アーッ! アーッ! アーッ! アバーッ!」ザクロが弾けた。柔らかな中身が飛び散り、列をなしたドゲザに降り注ぐ。「「「アイェェ……!」」」掠れた悲鳴が手術室を満たした。

 

ニンジャは不快そうに脳漿の滴を払い、指揮棒めいて指を振るう。「汚い。拭いて」原色サイバネナースがぎこちない動きで飛び散った汚れをふき取る。その顔に浮かぶのは嫌悪と苦痛と絶望のカクテルだ。そしてそれを眺める邪悪な目には、優越感と悦楽のミックスジュースに満ちている。

 

「で、ナンデ?」「ハイ! スンマセン! 頭おかしいカラテマンに邪魔されました! スンマセン! 別のスケ5人用意します! スンマセン!」ゴキゲンな今しかない。決死の覚悟でドゲザの一人が理由とオワビを叫んだ。股間が生暖かく濡れるが、かまってられない。

 

「別のじゃダメ」「えっ!? でも誰なのか判らなバババッ!?」決死の覚悟の通り、彼の死は決まった。ザクロ頭になった死体のサイバネが、彼の頭を二つ目のザクロにしたのだ。再び飛び散った脳味噌を死んだ目で機械化看護婦が拭う。「あの子、おんなじのを欲しがってるの」「アィェッ! わかりました!」

 

「すぐね。すぐよ。でないと……」死体二つのサイバネが蠢き、指先を生き残りのヨタモノに突きつける。死んでも助からないと全員に告げる。「……おんなじにするわよ?」「「「ハィェェェッ!!」」」返答と悲鳴の合いの子が手術室に響きわたった。

 

 

【鉄火の銘】

 

 

【鉄火の銘】

 

 

「未だにオシャレはよくわかりませんが、そんなにブランドものって要るんですか?」シンヤの伸ばした足が壁にぶつかった。物置めいて狭い。なにせ元物置だ。「コーディネートには要ることあるけど、オシャレにはそこまで必要ないかな。実際は『ブランドもの持ってる私スゴイ』ってのが殆どだったもの」

 

とは言え家主の住職、子供ら、キヨミの部屋を考えると残りはここしかない。「そこら辺は男もあんまり変わらないですね。ゲームとかマンガとか、バイクとかシューズとか。それで楽しむより他人と比較することを楽しんでた連中が多々いましたよ」揺れる黒錆のハンモックを寝転がったまま足先で止める。

 

「でも誰かに自慢したりするのはやっぱり楽しいんだよね。我が家でも妹がそんな感じ」「ウチの姉もなんか買い物する度に見せびらかしてましたよ。それで反応しないとコブラツイストで、気にいらないと卍固めです」それは痛そうと笑う声にこちらも笑い声を合わせる。やはり昔話は楽しいもの。

 

クリスマスに買ったIRC携帯端末は古くて重くて邪魔くさいが、個人的な会話が出来るのは助かる。これが共用電話だったなら、聞き耳立てた子供らがさぞかし大声で騒いだだろう。なんらやましいことなんかないのに。何故かキヨミの冷え切った笑顔が脳裏に浮かぶ。なんらやましいことなんかないのに。

 

「幸い、こっちの家族は膨れっ面するくらいで助かります。その分、見る面倒もマシマシなんですがね」おワセなことにオシャレに気を使い始めた下の妹が目蓋に浮かぶ。無意識に口角が上がった。少し寂しい気もするが成長の証だ。喜んでおこう。とは言え、まだまだエミには愛くるしいが適切な形容詞だが。

 

「……?」ふと、電話口から声が聞こえてこないことに気づいた。「……!」気づいた途端に鉛めいた沈黙が胃にのしかかる。「アー……あのー……「ねぇ」……アッハイ」ドブを墨汁で煮詰めた声が聞こえた。「……こっちの話、聞きたくないって、私、言ったじゃよね?」(((あ、地雷踏んだ)))一発で判った。

 

「……だいたいアンタはなんでこっちのことそんなに楽しそうに話せるの? 無理矢理連れてこられて何がおかしいの!? 言葉はおかしいし、文化もおかしいし、月までおかしいし、頭がおかしくなりそうなんだけど!! そもそもネオサイタマってなに!!? 東京湾埋め立てただけで東京じゃん!!!」「ハイ」

 

「天気も世界も家族も全部紛い物よ!他人の目がある時だけ父親気取りは金を稼ぐ以外何もしない!ソファーを温める以外にできる事ないの?善意面した自称母親は命令に従わないと喚き散らして泣き出すし!『貴女の為』ってセリフ、全部『自分の為』の言い訳じゃない!」「……ハイ」

 

「それに何より突然湧いた妹!階段から他人を蹴り落として被害者顔できるってどんだけ面の皮が厚いの!?どいつもこいつも害虫か寄生虫の方がよっぽど人間的よ!あんなもの本当の家族じゃない!ごっこ遊びの偽物未満じゃない!」「…………ハイ」

 

「あんな偽物の家族なんか要らない! 血も心も何にも繋がってない家族詐欺よ! ……血の繋がった本当の家族は綺麗で優しくて暖かかった。あんな冷え切った汚物じゃない。本当の家族の所に帰りたい。だから、あんな家族もどきは皆死んじゃえばいいんだ!!」「オイ」

 

かつての自分でも口にしなかったコトダマ。他人の家族とはいえ流石に聞き捨てならない。「いい加減にしろよ」「ッ!」多少の愚痴なら聞くがモノには限度がある。そこまで言ったらイクサだろうが。「俺はアンタの痰壺じゃないんだよ。そんなに吐きたいなら便器相手にやってくれ」溢れる殺意を無線通信で叩きつけた。

 

「…………るさいうるさいうるさい!! アンタに何がわかるのよ!? ニンジャの力で散々いい思いしてるクセに! チョップ一振りして見せれば誰でも漏らして何でも差し出し命乞い! そりゃ世界の王様気取りでさぞかしいい気分よね! なんの力も無いまま苦しんでる人間の気持ちなんて判る気もないんでしょ!」

 

耳をつんざく大爆発の返答に、氷点下の冷や水を浴びせかける。「ああ、判りたくもないね。だから一人で喚いてろ。他人様を愚痴の垂れ流しに巻き込むな」「……ッッッ!!!」ブツン。ツー、ツー、ツー。爆縮めいた沈黙は回線の切断音で途切れた。単調な電子音が無言を代弁する。

 

シンヤは手の中のIRC携帯端末を能面顔で見つめる。「……」CRACK! 価格と頑丈さで端末を選んだ自分を褒めてやりたい。「…………」CRACK! お陰でニンジャ筋力で握り締めても修理に出さなくて済む。「ザッケンナ…………」CRACK!! もっとも、ケースの買い替えは必須になったが。

 

「……ザッケンナコラーッ! チャースイテッオラーッ! ナニサマッテンダコラーッ! ナメッテンノカオラーッ! ザッケンナコラーッ!! ザッケンナコラーッ!! スッッッゾコラァァァーーーッ!!」ヤクザスラングの絶叫が響く度に、黒錆色の前衛的オブジェが生まれ、育ち、歪み、絡まり、砕け、散る。

 

「ハーッ、ハーッ……! もういい! スシ食う! 好きなだけ食う! 肉も食う! ソバも……ソバはいいや」ストレスのままに扉を行儀悪く蹴り開ける。「そんで寝る! 歯磨いたら寝る! もう寝る! オヤスミ!」「シンヤ兄ちゃん、オヤスミなの?」視線を下に向けると驚いた顔の小さな影。

 

子供たちの一番下、オタロウだ。「あー、オタロウ。どうかしたか?」「シンヤ兄ちゃん、どうかしたみたいだったから」あれだけ散々に叫んだのだ。そりゃ子供らも心配の一つや二つするだろう。バツが悪くて頭が痒くなる。「その、ちょっと、イラっとすることがあってな」「でもおっきな声だったよ?」

 

どうやら随分と不安がらせてしまったようだ。腰を落とし、視線を合わせ、頭を下げた。「ビックリさせてゴメンナサイ。心配してくれてアリガト。でも、もうダイジョブだ」「うん、ダイジョブ。でもゴメンしないの?」だから今謝ったのでは? シンヤはいぶかしんだ。

 

「だってシンヤ兄ちゃん、ケンカしたんでしょ?」そっちか。シンヤには電話越しに感情を垂れ流された記憶しかない。いや、多少は言い返したから口喧嘩と言えなくもない。「まぁ、それっぽいことは」「じゃあゴメンナサイしなきゃ。シンヤ兄ちゃん、『お互い奥ゆかしく』っていつも言ってるよ」

 

「ウーム」「ケンカは奥ゆかしくないよ?」確かに子供らにいつも言ってることだ。それを当人が守らないのでは説得力皆無だ。(((しかし)))アレを言われてなお謝るのか? 正直いい気分はしない。平均的ニンジャなら謝罪代わりに首をチョップで刎ねるレベルだ。その後は赤黒がニンジャを刎頸するだろうが。

 

「シンヤ兄ちゃんもナカヨシしなきゃ!」「かもな」ボクがやらなきゃと使命感たっぷりのオタロウはふんすと鼻息を荒くする。どうにもその幼い顔を見ていると嫌な気持ちが維持できなくなってしまう。……許容し難い戯れ言を聞かされたのは事実だ。だが、それにバイオフグ並の毒舌で返したのもまた事実だ。

 

雑談で嫌な話を聞かされたなら『ヤメテください』『ハイ、止めます』で終えるのが筋だろう。なのにヤメロと言う前に悪意たっぷりの罵声で返せば、ケンカが始まり関係が終わる。「オタロウの言うとおりだ。アリガトな。次に会ったら謝るよ」「うん!」詰まるところ、お互いに奥ゆかしくなかったのだ。

 

暫く間を置いてから連絡しよう。そして謝罪して謝罪させよう。そう決めた。TELLL! シンヤの決意を聞き届けたように、IRC携帯端末が電子音で鳴き出した。「オタロウ、すまんが電話だ」「うん、ちゃんとゴメンしてね!」先の電話相手ならそうするところだが、連絡は生憎カイシャからだ。

 

亀裂まみれの端末を拾い上げる。ケースの買い替えは急いだほうがいいだろう。「ハイ、モシモシ。カナコです」「ドーモ、シンヤ=サン。ナンブです」珍しい相手からの連絡だった。普段ならあのウキヨめいた社長秘書が会社の窓口だった筈。「ナンブ=サンからなんてどうしたんですか?」

 

「急ぎの案件でな。リベン社がハイエース共と女ニンジャに襲われた。N要員が求められとる」「……!」その隠語はコネコムのニンジャ戦力、すなわちブラックスミスの投入を意味する。「頼めるか?」「ハイヨロコンデー!」センスのない黒錆色の部屋着が霞み、慈悲のない黒錆色のニンジャ装束が現れた。

 

 

【レッドスレッド・イズ・ブラッドカラード】#3おわり。#4に続く。


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