鉄火の銘   作:属物

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第八話【ファイア・アンド・アイアン・ヘッドオン・コリジョン】#3

【ファイア・アンド・アイアン・ヘッドオン・コリジョン】#3

 

遙かな古代、始まりのカンジは神秘なる象形文字であったという。ならば古代人が草原を焼き尽くす野火の中に見た恐怖は『火』の形をしていたに違いない。「AAARGH……」そして倒れ伏したブラックスミスと、膝を屈したヤングセンイの目の前で轟々と燃える人影もまた、同じ形を現していた。

 

「AAARGHHH!!」遺伝子に刻まれた恐怖を以て影が叫ぶ。何人たりとも我が前に生きるを許さず。何故なら殺す。全て殺す。殺すべし。一方的に惨殺し、無差別に虐殺し、自動的に鏖殺する。慈悲も自我も何もない、がらんどうの殺人鬼械。或いは人型の災害か。

 

違う。過ぎた表現だ。「お前、そんな大層なもんじゃないだろ?」目の前にいるのは、死神を気取り、超ニンジャ存在を唱い、ソウルと妄念に呑まれた……「なあ、バカラテ王子?」……只の子供(ガキ)だ。床を舐めたまま、ブラックスミスは牙剥く獣めいて笑う。

 

頸椎をへし折られ、首から下の感覚は一切合切無くなった。拳を握っているのか、手を開いているのかすら判らない。ノレーンにツッパリ。ヌカに五寸釘。どれだけ力を込めようとしても、力みの存在すら掴めない。それ程の重体だ。何もできない。諦めるしかない。「ザッケンナコラ……ッ!」ふざけるな。

 

黒塗りの死体が立った。形式上とはいえ教え子を表するには余りに酷い言葉である。しかしブラックスミスの背中を見るヤングセンセイの脳裏に浮かんだ表現は余りに適切であった。ブードゥー製か、或いはロメロ仕立てか。見えぬ糸に吊された半死人(ゾンビ)は、素人ジョルリ芸未満のデント・カラテを構える。

 

ブザマとしか呼び様のない構えだ。オールドセンセイが見れば叱咤の声を上げるだろうか。否、上げるのは医者を呼ぶ声に違いない。顔を見れば判る。「フーッ、フーッ、フーッ」ニューロン過負荷を堪える荒い呼吸。留めようとも震える視線。何より目鼻耳から気力と共に絞り出される血を見れば判る。

 

それは死人を叩き起こしたカラクリと同じ理由だ。全身を塗り潰していた熱傷の赤は身体中を包む黒錆色の装甲に隠された。装甲は外骨格としてその身を支え、人工筋肉としてその身を動かしている。つまりこれはジツで作ったパワード武者鎧なのだ! 

 

しかし、そんなことが出来るのか? ……出来ない。その筈だ。だから今、ブラックスミスは顔中の穴という穴から血を噴いている。血を噴きながら立っている。千切れた神経の代わりに、秒コンマ単位の分解と形成で無理矢理に装甲関節を動かしているのだ。

 

頸椎をへし折られて尚も、鎧を支えに立ち上がるその姿は、中の人が燃え尽きるまで戦い続けたソナエ・ニンジャクラン高弟に似る。或いは死体となっても殿を果たしたヨロイ・ニンジャクランの近衛兵に準えよう。つまり、今のブラックスミスは死兵か。

 

否。『カラダニキヲツケテネ』今、その胸にあるのは死の覚悟ではない。友と共に、生きて帰る。エゴを貫く覚悟だ。「随分と、フーッ、燃えてる、フーッ、じゃないか」「ARRRGHHH!!」そしてエゴを以って立ち向かうのは、目前で轟々と燃え盛る、自称死神だ。

 

自身の名前を捨てた死神気取りは、望みの通りにエゴすら失った純粋な殺戮存在と成り果てた。今はサイバーボーイめいた無思考の涅槃の中で、白痴の法悦にでも浸っているのだろうか。先の断末魔じみた絶叫を聞く限り、とてもそうは思えないが。

 

それに真っ赤な火面の下が、指差して笑える惚け面でも、眉をしかめる情けない泣きべそ顔でもブラックスミスがやる事に違いは無い。冷や水代わりの拳骨で、バカヤロウ(無二の親友)を目が覚めるまで思いっきりブン殴る。それだけだ。

 

そう、すべきことは判っている。「フゥーッ……! さて、バカラテ王子をどうぶん殴ってやるかね」問題は『どうやって』だ。背中には深手のヤングセンセイ。目前には狂えるコピーキャット=サン。そして自分は四流文楽の有様。いかに勝つか。いや、いかに戦うか。その水準だ。

 

「ARGHHH!」「ヌゥーッ!」更に問題がもう一つ。それをする余裕がない。それを考える暇もない。右から左から、四肢の形に固めた炎が振るわれる。腰も肩も入っていない。ちびっ子のケンカめいた風車パンチだ。暴走するソウルはコピーキャットのカラテまで上書き保存したらしい。

 

鼻で笑える粗雑さ加減は到底カラテとは呼べない代物だ。これがデントカラテとは口が裂けても言えやしない。「ARGHHH!」「ヌゥーッ!」「ARGHHH!」「ヌゥーッ!」「ARGHHH!」「ヌゥーッ!」それを避けるも防ぐもできずに浴び続けるブラックスミスもデントカラテにはほど遠い。

 

立って、構える。慣れぬジョルリ人体劇はそれだけでニューロンを焼き切りかける程に酷使した。追加の酷使は出来て一、二度。超えれば鼻血と血涙と意識が飛ぶ。希少なチャンスだ。守りは論外。だが攻めるにしても何処を狙う? 「ARGHHH!」「ヌゥーッ!」暴れる紅蓮は思考の隙を与えてくれない。

 

いくら白帯未満のパンチであろうと、カトン付きで浴び続ければ徐々に不利(ジリープア)だ。「……ッ!」それは背に庇われているヤングセンセイにも判った。痛みと傷に霞む目でも見て取れる。だが何もできない。意識を保っているだけでも奇跡に近い。更にニンジャ相手にイクサとなれば奇跡でも不足だろう。

 

だから何もできない。道を違えた弟子が自分達を殺そうとしているのに、それを仲を違えた弟子が止めようとしているのに、自分は何一つできない。自分はカラテのセンセイなのに、庇われていることしかできない。

 

「違う」もう一つだけある。成すべきことがある。見る。見据える。見届ける。このイクサの全てを、その結末まで。闇に落ちる意識に活を入れ、靄のかかる視界で目を凝らす。黒錆一色に染まった影と、紅蓮一色に燃える影を必死に見つめる。

 

(((一色?)))火色のみで描かれた筈の人影に、一点の染みが残っている。赤々と燃ゆる影の中で、ただ一つ、紅蓮に染まらぬ黒がある。「あれは」ヤングセンセイは覚えている。病床のインストラクションを覚えている。最期の言葉を覚えている。愛弟子に手渡されたモノを覚えている。

 

ブラックベルト。それはオールドセンセイが託したカイデンの証だ。それはヒノ・セイジに託されたデントカラテを受け継ぐ許可証だ。それは未だ腰にある。狂気の緋に燃やされることなく、黒々と存在を主張し続けている。それは、つまり、彼は、まだ……。

 

「カナコ=サン、あれを……ブラックベルトを……!」ヤングセンセイが微かな声を振り絞った。ブラックスミスは黒錆鎧の軋む音で返した。ぎしり、と弓めいて全身が引き絞られる音だ。何をするかは知っている。誰にするかも判っている。何処をするかは今知った。どうするのかも今判った。

 

そして何時するかは……今しかない! 「イィィィヤァァァ───ッッッ!!!」引き絞られた弓が解き放たれる! 放つは自身を質量弾として打ち出す弾道跳びカラテパンチ! 自身の血で染めた黒錆色の矢は紅蓮をめがけて突き進む! 崩壊する黒鎧に吹き出す鼻血と血涙が混ざり合い、赤黒の残影が宙に描かれた。

 

「ARRRRGHHH!!!」対する紅蓮の両腕が付き出され膨れ上がる! (((引くか!)))猛炎の噴流が黒錆色に迫る! (((効くか!)))業火の濁流が黒錆色を飲み尽くす! (((怯むか!)))肺腑が焼ける! (((死ぬか!?)))角膜が煮える! (((生きる!!)))(エゴ)が燃える! 

 

残り距離タタミ2枚、1枚、接触……今! 拳がブラックベルトに、実体に触れる。同時に足の裏が地面に触れる。『地に足を着けなさい。パンチは拳以外の全てで打ちます』教えの通りに大地を踏みしめる。

 

『間接を自覚する。さもなくば手打ちです』抗力を伝達する。『三本の矢は太く重い。拳に束ねた矢をつがえなさい』エナジーを収束する。『相手を打つのではありません。その先を打つのです』カラテを体内に置き去りにする。

 

デントカラテ奥義『セイケンツキ』。デントカラテ基本技『弾道跳びカラテパンチ』。敵体内に衝撃力を置き去りにするカラテと、自身を質量弾とするカラテ。二つを一つにする。要塞砲に等しいカラテが紅蓮の体内で弾ける。ドッッッォォォオオオン!! 一人にしか聞こえない爆音が全細胞を震わせた。

 

「ARRRRGHHH───ッ!?」悲鳴と併せて血のように赤を吐いた。絶叫と併せて血のように紅が爆ぜた。「いい加減に目ぇ覚ませ! セイジーッ!」ブラックスミスは……カナコ・シンヤは、この声が届くように、悲鳴よりも絶叫よりも大きな声で、叫んだ。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

毛羽立ったタタミ、破れたショウジ窓。窓向こうには新月の海。かつてここは廃寺めいた静寂な黒に包まれていた。だが今、ローカルコトダマ空間を包むのは、バチバチと爆ぜる赤だ。それ以外何も見えない。「グワーッ! グワーッ!? グワーッ!!」そして静寂に代わり響きわたるのは苦痛にまみれた絶叫だ。

 

「グワーッ!」叫び声の主はこのローカルコトダマ空間の主でもあった。過去形だ。管理者ID(自身の名前)を否定してしまった彼に、定義を変える権限はない。ゲスト(部外者)として新たな主の暴虐に振り回され、情けない悲鳴を上げてのたうち回るだけだ。

 

「オゴーッ!?」時折、悲鳴に汚らしい吐瀉音が混じる。火の点いたタタミが汚物に染まって……ない。吐くのは先日の夕飯ではない。真っ赤な血でもない。「オボボーッ!」真っ赤な炎だ。吐く度に文字通り呼吸器が火で焼かれたように痛む。燃えさかる反吐は周囲の火炎と混ざり、一層火勢を強めていく。

 

内から外から紅蓮に炙られた彼は、熱気にあおられる羽毛めいて、紅蓮の火に七転八倒転げ回る。転げた拍子に天井に描かれた超ニンジャ存在の象徴が目に入った。『忍殺』それは絶対の殺戮者を示す二文字だ。それが焦熱に炙られて、滲み、滴り、嘲るように歪んでいる。涙で視界も滲んでいる。

 

(((ナンデこうなった? 何がこうなった?)))炎が答えた。「お前が誤った」炎はセンセイの顔をした。「お前が偽った」下級生の顔をした。「お前が傷つけた」センパイの顔をした。「お前が汚した」父の顔をした。「お前が辱めた」母の顔をした。「お前が殺した」姉の顔をした。

 

「お前が全部だ!」親友の顔をした。「お前のせいだ!」理想像(ヒーロー)の顔をした。「お前が悪い!」自分の顔をした。「全部悪い!」全部嗤っていた。彼を嗤っていた。返答も否定も出てこない。出るのは涙と嘔吐だけ。「オボーッ!」胸をかきむしり、血のような炎を吐いた。かきむしる指が0と1に崩れた。

 

その背後で炎が人型をとる。「グワーッ!」紅蓮で描かれたニンジャブーツがうつ伏せる彼を踏みつける。CRACK! 「アババッ」CRACK! 「アバーッ!」CRASH! 「アババーッ!」脊椎が音を立ててひび割れていく。苦痛の悲鳴を上げる顔を、顔一杯に嘲笑を湛えた自分がのぞき込む。

 

紅蓮の鏡像は薄っぺらい憤怒を顔に張り付けて叫ぶ。「エセヒーロー! ヒーローゴッコ! お前のせいだ! お前が悪い! ゴートゥー・アノヨ!」彼を切り裂いた裏切りを悪意的三文芝居で再演する。かつては叫び声を上げて抗がった。今や無意味な抵抗すらできない。こぼれた涙は瞬く間に蒸発した。

 

「「BHAHAHAHA!! HA-HA-HA!!」」背中の虚像と併せて、卑しい笑い声が二重に響く。「グワーッ!」石蹴りめいて蹴り飛ばされても何もできない。ただ胎児めいて、或いは虐められっ子めいて丸まるだけだ。膝を抱える手が腰に触れる。そこにはベルトがある。託された黒帯がある。

 

託された言葉がある。『カラ、テを……己……に』最期の言葉はまだ胸の内に残っている。まだ続きを聞けていない。ぎりり。噛みしめる歯が音を立てる。短くなった指でブラックベルトを握りしめる。その姿を二つの紅蓮がせせら笑った。目前の自分自身と、背面の理想像(ヒーロー)がベルトに手をかける。

 

「ヌゥゥーッ!」有らん限りの力で抗う。「お前には何もできない」その姿を嘲り笑う。「お前には何も無い」自分の姿が蔑み笑う。「お前は無い」理想像(ヒーロー)の姿で見下し笑う。「お前は無だ」二人そろって卑しく笑う。「無駄」嗤いながらベルトを引き剥がしにかかる。

 

「無駄」堪える。「無駄」抱え込む。「無駄」握りしめる。「無駄」抵抗する。「無駄」抵抗する。「無駄」抵抗する。「無駄」「無駄」「無駄」「無駄」ブラックベルトが緩む。体から離れていく。二人の嗤いが深まる。何もできない。何もしてない。あの日と何一つ変わらない。絶望が心を満たしていく。

 

瞬間。

 

ドッッッッォォォオオオン!!

 

衝撃。

 

体内に置き去りにされたカラテ衝撃波が炸裂した。腰のブラックベルトを基点に、痛みの波が全身を走った。「グワーッ!?」痛みが自我の輪郭を浮き彫りにする。薄れて消えていた指の先までくっきりと現れる。そのまま指先を超え、痛みを伴う衝撃は空間中に響きわたった。

 

「「グワーッ!?」」一瞬、火炎全てが散った。紅蓮の影二つも跡形もなく消え失せた。彼はそれに気づかなかった。『いい加減に目ぇ覚ませ! セイジーッ!』それよりも重要なことがあったからだ。

 

痛みがニューロンを発火させる。脳裏に映像が弾ける。(((ヤルキはあるのか!? さぁ起きろ! カラテを構えろ!))) 絶望しているヒマなどないと過去が告げる。何度も殴られた。殴った。殴り合った。腰のベルトを締め直し、指先の感覚を握りしめる。握り拳を形作る。

 

「ザッケンナコラ……ッ!」拳は打つべき形を作り、足は立つべき位置を取る。記憶の影を見定める。虚空に爛々と光る両目が殺意に輝き、牙を剥くタイガーめいてそいつは笑った。『ブチノメス』と。自分も飢えた猛獣めいて喜々と微笑んだ。『ブッコロス』と。

 

「……な徒労ゴクロ……だねぇ?」「今更……ってユウジ……気取りか?」やっと復活した影が妄言をほざく。だが火炎の罵声も真っ赤な嘲笑も今や遠い。胸の内が紅蓮に燃えて、世界が相手と自分とカラテだけになる。積み重ねたカラテと学び鍛えた記憶が、がっちりと噛み合い正しい答えを教える。

 

「イィィィ……」腹の底で煮えたぎる熱がシャウトと共に噴き上がる。己の全てを賭けてもいい。お前にだけは負けてたまるか。言葉にならない言葉を叫び、全身全霊のカラテをぶつけ合った。それは真っ赤に色づいた青春の一幕。二度とは見れぬ昨日の夢。だが、今……。

 

「……ヤァァァ───ッッッ!!」時計の針は同じ時を指し示した。カラテパンチを打つ音も姿も無かった。打つ手も引く手も見えぬまま響くシャウトだけが一撃の存在を告げていた。ドッォォォオオンッ! 空間に取り残された衝撃が炸裂し、炎を悉く打ち払う! 紅蓮の影は断末魔すら上げられずに消え失せる! 

 

それは全身を包む炎も、名前を失くした紅蓮の怪物も、例外なく消し飛ばした。「オハヨ、“ヒノ・セイジ”=サン。いい夢でも見たか?」「……オハヨ、“カナコ・シンヤ”=サン。ああ、悪い夢をたっぷりな」そして残るのはただ己の身。セイジはぶつけ合った拳をゆっくりと外した。

 

【ファイア・アンド・アイアン・ヘッドオン・コリジョン】#3おわり。#4へ続く。


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