鉄火の銘   作:属物

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第七話【ザ・ブラック、ストップ・ヒズ・ランナウェイ】#5

【ザ・ブラック、ストップ・ヒズ・ランナウェイ】#5

 

「なんじゃ、キヨミ=サンじゃぁないんか。サケ買ってくるようお願いしたんじゃがのう」「住職さんはボンズでしょうに」コーゾの昼休みに合わせた事もあり、シンヤの帰宅は酷く中途半端な時間になった。子供らはまだ学校に居るかもう遊びに出たかのどちらか。キヨミは夕飯準備の買い物に外出中である。

 

出迎えたのは昼寝超過のダイトクテンプル住職ただ一人であった。「ボンズだからなんだというんじゃ。メシも食う。クソもする。肉を食えば旨い、酒を飲めばこれまた美味い。何にも変わらん」超一流の破戒僧は昨日も今日も寝て食って呑んで自堕落に過ごしている。

 

一事が万事この様なのに、周囲にはボンズ殿と慕われ、たまに書くショドーは好事家を唸らせ、さらに稀な説法はヨタモノが改心して涙を流すと言う。生まれもった才覚か、ブッダのえこひいきか、それとも人知れず積みに積んだ功徳の賜物か。シンヤには判らない。

 

「そりゃそうかも知れませんが、それを良しとするなら、何のためのボンズなんですか」だからと言って身近な大人が毎日アルコールの匂いを漂わせているのは子供達の教育上良くない。なので無駄と知りつつも、いちいちツッコミをせざるを得ない。

 

もっとも、突っ込んだシンヤは毎度毎度口先のアイキドーで容易くひっくり返されているのだが。「そんなものはない」「ハイ?」こんな風に。「いにしえのボンズはこう言った、『森羅万象悉仏性(一切合切皆ブッダ入り)』と。ボンズを特別扱いする理由なんぞ何処にもないわ!」

 

「じゃあご近所から『住職さんに』って貰ったお菓子は皆で分けましょう、そうしましょう」イヤミをチクチク刺してもまるでカエルの面に水と同じ。堪えるどころか呵呵と笑って応える始末だ。「ウム! それで良い! だからワシはサケを飲む! ボンズは肉を食う! オイランを抱く!」

 

「単なる言い訳にしか聞こえませんよ」「そりゃそうよ、言い訳よ。『世人がそうだから』なぞ三流の言い訳。一流の恥知らずならば、世人に菜食禁酒貞節を強いて、自分だけ肉食う酒呑むオイランと寝る理屈を尻から捻り出すもの。豪華絢爛な上座でふんぞるボンズ気取りなんぞ大抵それよ」

 

普段の倍量を超える屁理屈にシンヤのカンニンブクロが熱を帯びる。流石に長い。そろそろ終いにしろ。今日も悩み事があるんだ。視線に無意識の敵意が乗る。「一体全体何が言いたいんですか?」「無駄話」気づいているのかいないのか。住職はなんの躊躇もなくカンニンブクロに着火した。

 

「いい加減にしてください。それならもうする必要ないでしょう」シンヤの頭が煮え始める。今度は苛立った声を意図して発した。恐らくはニンジャ圧力も放射してるに違いない。言葉をまだ知らぬ赤子ですら、いやだからこそ感じ取れる明確な怒りの感情。

 

だが、それを前にした敬虔なるボンズは真っ正面から若きニンジャを見つめ返した。「いいや、オヌシの面を見る限り、無駄話はもう少し入用だ」ゼンモンドーの高段者は口先のみで殺人鬼を捻じ伏せ、言葉のみでカルティストの洗脳を解くと言う。

 

誇張表現の過剰宣伝と思っていたがどうやら無理でも無茶でもないらしい。蛍光ボンボリを反射する禿頭の輝きが背後のブッダハローと重なる。「……どういう意味ですかそれ」「眉間に寄ったシワがガチガチに固まっとるわ」反射的に手をやれば、指先には確かにシワ山脈の感触がある。

 

「話してみぃ。酒飲んだ後の吐き気と同じじゃ。耐えれば辛さが続くだけよ。吐いたものの美しさを考えれば躊躇う気も判らんではないが……吐かねば楽にはなれんぞ?」どっかと腰を落とした僧衣姿が賢者の顔でアルカイックに微笑んだ。

 

「……吐いて解決するんですか?」「フム?」だがシンヤの腹の底で凝り固まった我執はそう簡単に解けてはくれないようだ。頑なに暗い目がそれを示している。

 

「吐いた処で責任おっかぶせるだけでしょう。ゲロの処理と同じです。自分でやらなきゃいけない事を他人に被せてほっかむりする訳にはいきません」誰にも吐けぬと口にしていながら、その呟きは吐き捨てるような口調だった。

 

「ウムッ! えらいっ! えらいぞぅ! なんと責任ある態度!」先までの真面目ぶった態度が嘘のように冗談めかして手を叩く住職。「ならば家族も他人か?」しかしその舌鋒の鋭さは変わらず。たった一言でシンヤの腹の底を突き刺した。

 

「ッ! ……家族だから迷惑かけたくないんですよ」「フム、まぁ、そうだろう」硬い態度を崩しつつも未だシンヤは拒絶を続ける。「で、それは迷惑なのか?」「ハイ」そこを切り開くのが住職の口から飛び出す言葉のナイフだ。ブディズム仕立ての大鉈がザクザクと胸の内へ切り込んでいく。

 

「家族にそう聞いたのか?」「……」聞けている筈もない。言えぬと口にしたばかりなのだ。「フム、まぁ、迷惑だとしよう」弱り切ったシンヤの沈黙を住職は敢えて攻めずに受けに入る。

 

「しかしワシは家族ではない」だからこそするりとコトダマが耳に滑り込む。「しかもワシは他人でもない」これこそ本家本元ゼンモンドーのワザマエ。「故に迷惑かけずに話せるぞ?」

 

君は一人じゃない。そう言われた。君一人だけが頑張っているんじゃない。そうとも言われた。だから一人で抱え込むな。そう言外に言われたのだろう。

 

ソモサンと笑って聞く顔に、シンヤはセッパとようやく頷いた。「……判りました」全面降伏、無血開城、敵軍投降。なんとでも言え。人間を遥かに超えたニンジャになった。なのに勝てない大人が何故こうも多いのか。苦い溜息を長々と吐くと、胸の内が幾らか軽く感じた。

 

──

 

「……例え話ですが、こんな感じです」「さようか」コーゾに話したものと同じ話を聞き終え、住職は深く静かに呟いた。冷え切った外気めいて凛と張り詰めた静寂が響く。「フム、整理しよう」「アッハイ」意図しない不意打ちに豆鉄砲で狙撃されたハトの顔で頷くシンヤ。住職は気づく事なく言葉を続ける。

 

「まず、その御仁をオヌシが助けるか否かは、オヌシしか決定権がない。オヌシが決めるべき問題だ」「ハイ」事実である。他人、住職、家族、他誰かしらに決めてもらった処で実際に行動するのはシンヤなのだ。誰にどう言ってもらおうと、シンヤがやらなければ誰もやらない。

 

「次いで家族に迷惑か否かもワシには判らぬ。先に言ったようにワシは他人ではないが、家族でもない。ならば家族に聞く他にない」「……ハイ」事実である。誰が断じた処で実際に判断するのはトモダチ園の家族達なのだ。誰がどう言おうと彼らが迷惑と思わなければ、それは迷惑ではない。

 

ならば住職が話すべき事は何か? 「ならばオヌシが引っかかっておる『依怙贔屓(えこひいき)』の話をすべきだろう」「えこひいき、ですか」胃の腑にコトダマがすとんと落ちた。有毒光学スモッグめいた不可視不定形の不快感が、確固とした塊となって手の中に落ちたかの様だ。

 

「さよう。誰かを見捨てて、別の誰かを助ける。身勝手な差別、ワガママな選別、すなわち『えこひいき』よ」「確かにそうですね」「えこひいきなんぞしたくない。万人に平等公平でありたい。夢の如く素晴らしい話。故に夢物語よ」「そんなに無茶ですか」そりゃぁそうだと頷く顔が悪党の嗤いを形作る。

 

「ならばオヌシ、家族も平等公平に見捨てられるか?」悪尉面を象った歪み笑いが視界を埋める。顔が近い。「それは……出来ません」家族に胸を張って生きる為にこそ、平等公平でありたいのだ。平等公平である為に家族を見捨てるならば本末転倒もいい処。それは狂人の行いに他ならない。

 

住職は好々爺で狒々爺な平素の顔に戻して頷く。「万物にルールを通すならば、自分も家族もルールで裁かねばならん」しかしそれすら作った顔なのか。その目は深山の洞穴湖めいて深く澄む。「サトリを開いたブッダすら、誰もは判らぬと己を特別扱いして一人境地を楽しんでいた」視線の先のブッダ像はただ一人、涅槃の幸福の中でザゼンを組んでいる。

 

「人が有限である以上、必ず取捨選択の時が来るものだ」「なら、えこひいきしても良いと?」必ず産まれる問いに、住職は首を横に振って答えた。「良いとは言えぬ。悪いとしか言えぬ。だが不可能を強いるのも、奇跡を乞い願うのも、どちらもブディズムでは無い」

 

「人に出来るのは自覚し、減らす、その努力だけよ」例えば不殺傷(アヒンサー)は紛れもなく善行だ。だが、草一つも殺さずに飢えて凍えて死ぬべきだとも、虫一つも殺さずに霞のみで生きれるようになるとも、誰にも言えない。言ってはいけない。

 

「もし、えこひいき一切無く、万物万人全てを等しく裁くモノがあるとしたら……それはただ『死』のみだろう」キング・エンマのしかめ面がジゴク絵の底から現世の悪党たちを睨みつけている。いずれ地獄の猟犬を引き連れて、デス・オムカエが貴様の頸を刈りに行くぞ。未だ裁かれぬ罪人達へと告げている。

 

「のぅ、オヌシは『死神』にでも成るつもりか?」シンヤの脳裏に赤黒の影が明滅する。一つは憎悪の目をして不浄の炎を振るい、一つは狂喜の声を上げ紅蓮の炎を放つ。 「死神には成れません、成る気もありません。ですが……」まるで二色の炎が胸中を黒く焼き焦がすように思える。

 

再びシンヤの目は暗い光を帯びていた。「納得しとらん面だな。しかし納得できんのならそれで良い」「ハイ?」容易く解ける悩みではない。理解していた住職に驚きはない。再びシンヤの意表を突いて、固執した心の隙間に言葉を差し込む。

 

「納得できぬとは『これは悪し』と言える基準があると言うことだ」水平チョップで虚空に基準線を引く。途端に『そこから上』と『そこから下』が出来上がる。基準がなければただの虚空。上とも下とも決められない。

 

「そして基準があるならそこから納得の答えを逆算もできよう」基準線で何かを二つに分ける。その一方を不正解と感じるなら、もう一方にこそ正解がある。不正解が判る時、人は無自覚だとしても望む正解を知っているのだ。

 

「人はな、聞きたい話しか聴かぬし、欲しい答えしか求めぬ」住職は指で形作った眼鏡でシンヤを見つめる。表情と動作は道化のそれ、声音と両目は賢人のそれ。

 

「つまり既に聞きたい話も欲しい答えもオヌシの内にあると言うことだ」誰もが色眼鏡をかけて望みの世界を見ている。色眼鏡を外した生の光景など見たくはない。ならば望む光景はその色眼鏡のレンズにこそあるのだろう。

 

「オヌシ自身を見つめ、オヌシ自身に問え。オヌシのエゴの底にこそ、求める答えはある」そして色眼鏡を外さねば色眼鏡そのものを観る事は出来ない。生の光景がいかに見難くとも、生の自分がいかに醜くとも、ご都合良い虚像に縋って目を逸らす限り、自分の望みは観えぬまま。

 

「ワシに出来るのはそれを探り出す、ほんの一助よ」「己のエゴ……俺はどうしたい、か」手のひらを見つめる。拳タコで粗く形作られた手だ。さほど大きくもない手だ。多くを取り落としかけた手だ。しかし家族を守る為の手だ。硬く、固く、握る。

 

それはカラテパンチの形だ。デントカラテ・ドージョーで初めに習った形だ。友と何度となくぶつけ合せて交わした形だ。「さよう。まず、それよ」握り拳にもう一つ手が重なる。意外なほど傷の多い手だった。あかぎれに墨が染み込み、刺青めいた紋様が描かれている。

 

それは自堕落な普段の姿からは想像もつかない、働き続けた者の証だ……自堕落? 普段の姿? どれだけこの人を自分は知っているのだろうか。自分の知らぬ間にどう生きているのだろうか。

 

(((俺は何も知らない。この人も、家族も、自分自身すら)))ならばどうする。ならばどうしたい。握る拳が熱を帯びる。拳から手首へ、熱が伝わっていく。手首から肘へ、肩へ、背骨へ、腰椎へ、丹田へ。熱が広がっていく。丹田から股関節へ、股関節から膝へ、足首へ、足裏へ、大地へ。熱が流れていく。

 

それはカラテパンチの逆回しだ。大地へ踏み込む反動を軸に、全身のカラテをナックルパートに収束させる……その反転。拳に込めた熱を全身へと流し込み、大地を踏み締める力に変える。

 

シンヤの目にもはや暗い色は無い。不純物を叩き出した鍛鉄の如く、重々しくも強い光が有った。「バカ長いオセッキョはこれで終わりじゃ」ヨッコラショとジジくさい掛け声で住職は腰を上げた。自室に帰るその背中に向けてシンヤは深く深く頭を下げる。「……ありがとうございます」

 

「礼はよい。それよかサケでも買っとくれ」「それはお医者さんと相談してください。止められてるんでしょう?」「ドクターとボンズが密談してたら、マッポにワッパをかけられるわ!」呵呵と大笑う住職の足が止まった。振り返った目は強い。それを見返す目も強い。

 

「家族とは話しておけよ」「ハイ」もう一度、袈裟に向けて首を垂れた。今度は振り返る事なく、住職はフスマの向こうに消えた。

 

【ザ・ブラック、ストップ・ヒズ・ランナウェイ】#5おわり。#6へ続く。


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