【ザ・ブラック、ストップ・ヒズ・ランナウェイ】#4
ネオサイタマが産まれる以前。雲をも凌ぐアサクサ・バベルの地は興隆を極め、365日灯火の絶える夜は無かったと謳われた。しかし爛熟した果実めいて悪徳の蔓延るアサクサの姿は、江戸守護卿ドゥーク・マサカドの勘気に触れ、配下の大鯰によってアサクサ・バベルは崩れ落ちたと言われている。
これ以降、人々はマサカドの怒りを恐れ、長らくアサクサの地に高層ビルディングが建つことは無かった……「と、言う逸話を考えると、学生向け新メニューの名前に『バベル・オソバ』はちょっと相応しくないんじゃ」「フーム、なかなかにアドバンギャルかと思ったんだが」
「ならばオサカのタワーを題材にして『ソバtoX』というのはどうかな?」「ちょっとわからないです」場所は老舗ソバ屋『
「実際安い上とてもボリューミーで美味しかったんで、中身はダイジョブだと思います。あとは何処でどうやって売るかですね」公園を離れた後、シンヤはお一人様な昼食を済ませるべくアサクサまで足を運んだ。
「フーム、ドンブリ・ポンみたく人気バンドとタイアップは出来ないな。どうしたものか」そしてご無沙汰していたコーゾとイチノマタで再開し、近々発表予定の学生向け新作メニューを手繰ることとなったのだった。
なお、新作ソバ『バベル・オソバ(仮名)』は視線を上げねばカキアゲの頂点が見えぬ程のデカ盛りでありながら、ワンコインと極めてリーズナブル。摩天楼めいたカキアゲに敢えてたっぷりと「鬆」をいれることで、サイズに見合わず口当たりは驚くほど軽く、出来上がりもドンブリ・ポン並に早い。
具材はオキアミとバイオネギと実際安いが、オキアミ塩辛と炙りネギをふんだんに使用して低コストでありながら非常に味わい深い仕上げであった。安く、美味く、多く、早く。ワガママなまでの要求を満たした傑作メニューと言えよう。
しかし慈悲無きマッポーの世は弱肉強殺。即ち弱ければ食われ、強くとも囲んでボーで殴り殺されるものだ。故にこそ新商品には奥ゆかしく波風立てないプロモーションが必要になる。十分な根回しも無い無名商店の新商品が爆発的人気を集めるとどうなるか。
話題が広まるや否や、重箱の隅をドリルで貫くが如きサブマリン特許訴訟で手足を縫い止められ、偶然に極めて類似した自称オリジナル商品に市場を食い荒らされ、最期は突然に無差別殺意を抱いた自爆アナキストに店舗をカミカゼされる。それがネオサイタマの常である。
そう言うわけで新作オソバを頂いたシンヤは、発起人のコーゾと共に井戸端新商品開発会議をしているのであった。「フーム」「ウーン」しかしセンスの無いシンヤとセンスの古いコーゾでは、知恵を絞っても出涸らししか出てこない。
『三人集まったらボディサットバ級』とコトワザには言うが、二人だけではアイデアの神様は降りてこないようだ。なので
シンヤは毎週の電話連絡でたまに話をする程度で、毎月イチノマタに顔を出すのはほぼ全てキヨミである。改めてみると中々に薄情とも取れる。「ハハハ、スミマセン。色々ありまして。今日はお昼時に少しばかり時間が空いてしまったんです」バツ悪くシンヤは誤魔化すようにお愛想の笑いを浮かべる。
「そうだったのか。てっきり何か話したいことでもあったのかと思ったよ」何の気のない、何て事ない一言だった。実際、シンヤはそんなつもりは毛頭なかった。なのに言われてみればそうとしか思えなかった。
「あると言えば……あります」だからなのか、言葉は半ば自動的に口から滑り出していった。シンヤ自身でも驚く台詞に、コーゾは初めから知っていたとでも言うように優しく頷いた。「話せるなら話してもらえないかい?」
「その、例えばの話、なんですが」滑らかに飛び出した初めの台詞に対して、続く言葉は絞り出すように酷く訥々したものだった。「助けたい人がいるとします。けどそいつは犯罪に手を出してしまっている……違う、ほぼ確実に手を出しちゃいけない相手に、手を出してます、間違いなく」「フム」
つっかえつっかえで婉曲的な例え話は、話すシンヤの方も苦痛を感じるレベルで判りにくい。「だから、その人を助けてしまうと、周りに大変な迷惑が、それどころか被害がかかってしまうんです」「ウム」しかしコーゾは時折の相槌を除いて、ただただ静かに耳を傾けていた。
セイジはランドシャークを狙って追い回し、焼き切り殺した。そしてランドシャークは『ソウカイヤへの口利き』を命乞いに使っていた。つまりセイジは既にソウカイヤに牙を剥いていたのだ。だから自分の弱さを言い訳にする。だから自分の周りを逃げ口上にする。だから自分の胸中から目を逸らす。
「そうする理由も恐らく判ります。けど、だからと言って、いやだからこそ、止めるのは難しい」セイジがそうする理由は『
「それだけじゃない。前にも似たような事を考えて、結局は助けないことにした人もいます」「ホゥ」オウガ・コールド・スティール……モータードクロ……ドウグ社……サブロ老人……マキノキ。イメージが脳内を走り抜ける。彼を助けようとすれば恐らく助けられるだろう。
代償はソウカイヤとの明確な敵対、その一点。その一点を理由に、見捨てる選択をした。家族の重さを知っているのに、家族の重さを知っているから、世話になったサブロ老人の息子を見殺しにするのだ。
「なのに、それなのに、その人を助けに行ってもいいんでしょうか……?」「難しい……とても難しい問題のようだね」話し終えたシンヤは顔を伏せて地面に視線を落とした。聴き終えたコーゾは目を閉じて天を仰いだ。「すべきか、すべきでないか。助ける相手か、自分の周囲か。ジレンマの辛さはとてもよく判るよ」そして、真っ直ぐにシンヤを見つめて口を開いた。
「言える事としては……そうだね、周りが大事なら手を引いて社会に任せるべきだろう。しかしそれでも助けたい人なら救うべきだ。どちらの場合でも、周りによく相談して欲しい」まるで、いや正に一般論。玉虫色に染まったどうとでも取れる回答だ。街頭アンケートでも同じ結論が出るだろう。
「そう、ですか」自分は何を期待していたのだろうか。自分は何に失望しているのだろうか。理解不能の落胆と共に理不尽な怒りがこみ上げてくる。(((この人は何がわかっているんだ?何も……)))「『判ってないくせに、判ったような口を聞くな』かな?」
「!?」腹の底で吐いた筈の言葉が、口から出るより先に耳に飛び込んできた。視線を上げれば、中年の丸顔が茶目っ気たっぷりに片目を閉じて微笑んでいる。「私もね、シンヤ=クンがトモダチ園で暮らし始めてからずっと一緒に暮らしていたんだ。キヨミ=サンと同じぐらいツキアイは長いんだよ?」
忘れてるかもしれないけれどね、とコーゾは笑う。実際、シンヤは忘れていた。途端に顔に血が昇る。許されるならドゲザしたいくらい恥ずかしい。赤く火照った顔をもう一度伏せた。「その、ウェー、あの、エー、えっと……スミマセン」謝罪の言葉もつかえてばかりでまともに出てこやしない。
「ハハ、いいんだ。誰だって知ったかぶりで語られれば腹が立つものだ」だがコーゾは笑いながら手を振って構わないと告げた。「私だって金策に走り回っていた頃、誰かに訳知り顔で語られてたら、カンニンブクロに火がついていたと思うよ」改めてシンヤを真っ直ぐに見据える。
その目は重金属酸性雲を吹き飛ばす台風めいて強く、そして青空めいて澄んでいた。気圧されたシンヤは知らず知らずに唾を飲み込む。「だからこそ、これ以上知らないままでは何も話せない。前のヨニゲの時もそうだった。何も聞けなかったから何も言えなかった」
「今度こそ力になりたいんだ。事情を教えてもらえないかい?」コーゾの言葉と共に、シンヤのニューロンには無数のコトダマと感情が溢れ出た。(((話していいのか?話すべきなのか?話して何の解決になるんだ?)))罪悪感が胸を締め付け、後悔が心臓を突き刺す。
(((ヨニゲの時もそうだった。話した処で危険に晒すだけ。単なる自己満足にしかならない)))掌にカラテを重ねた日々の熱が浮かび、拳にはぶつけ合った感触が蘇る。
(((それともカラテ王子を見捨てるお許しがそんなに欲しいのか?自分の意思で決めるべきだって判っているくせに、この期に及んで家族に縋るのか)))膝を折りにかかる無力感。ケツを蹴り上げる焦燥感。息をも出来ぬ閉塞感。
(((それとも家族のお墨付きが有りさえすれば友達でも見殺しに出来ると?マキノキ=サンはあんなに簡単に見捨てたクセして)))それでも尚、記憶は目蓋の裏に鮮やかに浮かぶ。全身全霊を賭けて全細胞を燃した、あの一瞬一瞬がニューロンを走り抜けていく。
「…………スミマセン」シンヤは三度頭を下げた。下げることしかできなかった。コーゾは寂しそうな力ない微笑みを浮かべた。「そうか。また話せる時が来たらその時は話してくれないかい?」「ハイ、スミマセン」ちらりとカブキ時計を見る。針はお八つ時を指していた。
そろそろ夕方の仕込みを始めなければならない時間だ。「昼休みもそろそろ終わりだ。最後に老人の……まだそんな歳じゃないんだが……ま、その、とにかくオセッキョを聞いて欲しい」「ハイ、ヨロコンデー」
「シンヤくんからすれば家族を守れるのは自分一人なのかも知れない。確かにイクサに臨んで拳を交わせるのは君だけだ。しかし、私たちも戦える。学習机で、台所で、帳簿で、カウンターで、それぞれの戦いをしている。家族を支えるべく戦っている。君は一人じゃない。それを覚えておいて欲しい」
(((この機会に家族と話をするといい。何かに打ち込むのは良いことだがね、家族のために「やる」仕事が、「やるべき」義務になって、仕舞いには「やってやってる」と不満を持つものだ。家族を言い訳に家族から目を逸らしてはいけないよ。私もそうだった。頑張ってるのは君一人じゃないんだ)))
ニューロンが刺激され、記憶が想起される。似たような台詞をつい数時間前に聞いたばかりだ。謹慎を言い渡したタジモ社長の言葉。不祥事を起こした部下に罰を下すというより、自我科の医者が療法を告げるような台詞だった。気を遣われている。いや、気をかけてくれているのだ。
シンヤは深々とオジギした。「アリガトゴザイマス。お休み時を邪魔してすみませんでした」頭を下げたのはこれで何度目になるだろう。バイオコメツキバッタにでもなった気分だ。「構わないよ。気が向いたらまた来なさい。次の新作メニューは自信作なんだ」真面目ぶった顔を崩してコーゾは朗らかに笑う。
シンヤも渋い顔を緩めて笑みを作った。「ハイ、楽しみにしてます。では、オタッシャデー」「オタッシャデー」シンヤは手を振りながらイチノマタを後にした。その背中に向けてコーゾは手を振っていた。見えなくなるまでずっと振っていた。
それから頬を張ってキアイを入れると、自分の戦場へと力強い足取りで帰っていった。
【ザ・ブラック、ストップ・ヒズ・ランナウェイ】#4おわり。#5に続く。