鉄火の銘   作:属物

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第六話【キャッチアップ・イフ・ユーキャン?】#4

【キャッチアップ・イフ・ユーキャン?】#4

 

Linとオリンが鳴った。か細くも美しい残響が、センコの優しいインセンスと相まって、ドージョーを清めていく。ヤングセンセイはただ一人、オブツダンに片手略礼した。最後の生徒が去ってから何日が経ったのか。ただかつての栄光を求むるように、毎夜毎夜人間を離れた教え子を探し歩く。

 

それは魂をゆっくりとヤスリがけするかのような日々だった。喉に綿を詰め込まれ続けるような毎日の中、何度なく自身の無力と無能を突きつけられた。そして同時に己自身を繰り返し繰り返し見つめ直した。

 

無知の知を知り、無能の能を能うる。今、ヤングセンセイを観るものが居れば、元ボンズの経歴を想像するだろう。目を逸らす事なく苦悩と向き合い続けた者だけが持つ、深く静かなセイシンテキを彼は纏っていた。

 

……かつてヤングセンセイは祖父よりデント・カラテドージョーを受け継いだ。だが祖父であるオールドセンセイからデント・カラテを継承できなかった。才能か? 実力か? 努力か? その全部か? 理由は知れなかった。

 

だから逃避めいて経営にのめり込んだ。生徒数が大幅増大、各種トーナメントを総嘗め、スポーツ関連事業の急速拡大。カラテ以外は悉く上手く行った。だが、継承者でない事実に代わりはない。

 

故にヒノ・セイジへと無自覚に理想を押し付けた。自分に似て人付き合いの上手い、しかし自分に無いカラテの才覚がある持つセイジを祀り上げて、劣等感を埋めようとした。

 

故にカナコ・シンヤへと無意識に祖父を重ね合わせた。祖父に似て対人関係の下手な、かつ自分が得られなかったカラテの実力を持つシンヤを嫌って、身勝手に遠ざけた。

 

して、その結果は? 今のザマだ。シンヤどころかセイジのセンセイにもなれず、全ての門下生を失った。ならばせめて、自身の責任を取らねばならない。無理強いた期待で押し潰した愛弟子を見つけ出し、その凶行を止めなければならない。形だけ名前のみのブザマなセンセイもどきであったとしても。

 

故に今日もまた彼は夜の街にてドージョーを離れた弟子を探し歩くべく準備をしていた。「……?」その背を冷え切った風が撫でる。扉を閉め忘れたか? 吹き付ける風は肌を切るように冷たい。振り返ると開ききった扉から冬の冷気が忍び込んでいた。

 

だが凍える風の出所はそこではない。「!」扉の向こうに人型に凝った血が居た。肺を刺し貫くような冷たい殺意は、この赤黒の影から吹いていたのだ。「ドーモ、俺はニンジャスレイヤーです。今日はデントカラテ・ドージョーへ放火に来ました」両手を合わせた影は慇懃無礼にそう告げた。

 

「……ドーモ、ヒノ・セイジ=サン」ヤングセンセイはその影を知っていた。その影こそが探し続けていた愛弟子であることも知っていた。痛みを堪えるように息を吸って、覚悟と共に息を吐く。そしてギプス片手で不器用に構える。祖父から学び受け継ぎ、しかし修めきれなかったデント・カラテを構える。

 

「そんな事はさせません。ここはデント・カラテを学び学んだ者達の神聖なドージョー。それに形だけであったとしても、私は貴方のセンセイなのですから……!」その構えを見つめる赤光が瞬き、表情が歪んだ。だがそれは刹那のこと。

 

「違う、違う、違う。俺はニンジャスレイヤーだ。ニンジャスレイヤーは成す。誰にも止められなどしない」赤黒のニンジャもカラテを構える。それはデント・カラテでありながらデント・カラテでない。バイオバンブーをサイバネ接合された大樹めいて歪なカラテであった。

 

それを目の当たりにして、ヤングセンセイの胸を更なる痛みが刺す。ヒノ=サンは自分と違い祖父のカラテを悉く受け継いだ、真のデント・カラテ継承者だった。だが彼はニンジャと言う怪物に成り果てて、そのカラテもまた歪み果てた。

 

「そして成る。貴方を殺し、友を殺し、全ての感傷を殺して儀式は成り、俺は真のニンジャスレイヤーと成るのだ」赤黒のニンジャは朗々と、切々と狂気そのものの自論を語る。妄念を焚べて赤々と燃えるその目をヤングセンセイは真っ直ぐに見返した。

 

「繰り返しましょう。させはしません」「俺も繰り返そう。成す。そして成る。真のニンジャスレイヤーに……!」問答は無用。交わす言葉は尽きた。ならばカラテ交わすのみ。空気が冷え切った殺意で歪む。室温が10は下がったと感覚が訴えた。浮き上がる歯を食いしばり、笑い出す膝をキアイで締める。

 

「イヤーッ!」ヤングセンセイが跳んだ! それはデント・カラテ基本にして奥伝『弾道跳びカラテパンチ』だ! 自身を砲弾として打ち出す、二の打要らずの質量打「イヤーッ!」「グワーッ!?」人体がボールめいて飛んだ。上下に分断されたと錯覚する程の衝撃。

 

不可思議の顔で拳を眺める様を見て、ヤングセンセイはやっと殴られたと理解した。次の瞬間、吐気と苦痛が内臓で爆発する。今すぐ夕飯を床にぶちまけて、泣き叫びながら転がり回りたい。お願いだからさせてくれ。ハラワタ総意の悲痛な訴えを『イクサ中』の一言で叩き斬る。

 

ただし一部のみ採用。立ち上がる前にワームムーブメントで距離を取る。当然、ニンジャはそれより速い。「イヤーッ!」「グワーッ!」再びヤングセンセイはくの字になって空を飛んだ。サッカーボール代わりに前蹴り一発だ。今度はなんとか認識できた。

 

「オゴゴーッ!」消化器官は裁可を待たずに独自判断で内容物を全て排出した。空中飛行中にスプリンクラーめいて元夕飯がぶちまけられる。吐瀉物を触れる端から昇華させつつ赤黒い死が迫る。「オゴーッ!」拭う暇も止める暇もない。接地と同時に後転。バッテラ・スシが軌跡を描いた。

 

すぐさま体勢を整える。いや、整えようとした。間に合わない。目の前で手刀を振り上げている。防御も間に合わない。死を理解した脳髄がソーマ・トリコールで絶叫をあげる。間に合え。粘つく加速感覚の中でも振り下ろされる一刀は霞む速度だ。間に合え。断頭チョップの軌道にギプスの腕を差し込む。

 

「アバーッ!」繊維強化カルシウム製のギプス、ボルト接合の上腕骨二本、30年近く鍛え上げた筋肉。全部まとめて真っ二つ。一つ残らずアイシングクッキーより容易く割られた。ついでに鎖骨と肋骨上半分、片肺も半分ほど割られた。「アバッ」悲鳴めいた喀血が零れる。切り口から血と共に呼気が漏れる。

 

それを見つめる紅い目は……困惑と驚愕に明滅していた。隙。勝機。此所しかない。今しかない。「イ”ヤ”ーッ!!」残る体力全てを込めてシャウトを吐いた。残る精神力全てを搾り出して踏み込んだ。残るカラテ全てを賭けて拳を突き出した。

 

デント・カラテ始まりにして終わりのベーシックムーブ『カラテパンチ』。それはヤングセンセイのカラテ人生において最良最高の一撃だった。だがモータルにとっては最上級のカラテでも、ニンジャにとっては『やや危険』でしかない。

 

「!? ……イヤーッ!」不意を突かれた筈の赤黒は驚くほど滑らかに動いた。両手が真円を描き、突き出した直線を柔らかく逸らす。恐らくは無意識のカラテだろう。ニンジャになる前からも、ニンジャになってからも、積み上げ続けた鍛錬がその身体を動かしていた。

 

「イヤーッ!」更にもう一周。両手は小さな円をなぞる。併せての動きは螺旋を象った。サークルガードが攻撃の為の防御ならば、それは防御の為の攻撃である。「グワーッ!」正にアカチャンの脆い関節をへし折るかの如くのベイビーサブミッション。肩が音を立てて外れ、肘は逆向きに折り畳まれた。

 

カラテ振るう力全てを奪われて、ヤングセンセイは血溜まりに崩れ落ちた。「アバッ……ヒュー……アバー……」致命の深手を負って呼吸すらままならぬ。断末魔の痙攣か、身体が意味もなく震え出す。「貴方を、なぶる、つもりは……」掛けられた声も震えていた。

 

殺意を込めて超ニンジャ存在のカラテを振るった。その筈なのに、無意味に苦しめただけだった。何故? 理由は震える声が告げていた。赤黒のニンジャ……否、セイジにも判っていた。「違う、違う、違う! ニンジャスレイヤーに感傷はない! 有ってはならない!」だからこそ声を荒げ、否定する。

 

それを否定する為にここに来たのだ。「だから殺す! 感傷を殺す! 貴方を殺す! そして真のニンジャスレイヤーと成る!」その目を紅蓮に染めて、決意と殺意で迷う心を塗り潰す。「ヒノ、サン……」焼け付く緋色の目を、ヤングセンセイの視線が真っ直ぐに刺し貫いた。

 

その目が彼の祖父と、記憶の中のオールドセンセイと重なる。耳の奥で微かに最期のインストラクションが響く。『カラテを……己に……』その続きを知ることは出来ない。なのに期待する自分がいる。感傷に縋る惰弱な己が未だ胸の中で息を潜めている。耳をそば立て、ヤングセンセイの言葉を待っている。

 

「ヒノ=サン……貴方の言う、真の……ニンジャ、スレイヤーが、何、なのか、私には……判りません。けれど、貴方が……それに、成れない、こと……だけは、判ります」血混じりで吐く言葉は途切れ途切れの苦しげなものだった。しかしそこに込められた意思は明確で一片の曇りもない。

 

「何が言いたい……?」空気がどろりと濁る。息すら出来ぬ程に濃厚な殺意だ。これこそニンジャの本気の怒り。並みのモータルならば、自ら息を止めて目を潰すだろう。死にかけている筈のヤングセンセイは、真正面からそれを受け止めていた。そして一切の怯懦なく、真っ直ぐに言葉を教え子へと返した。

 

「己……から、目を、逸らしては……偽者にしか、成れは、しません……! 私が、貴方の……センセイに、成れなかった、ように!」闘争は言語以上のコミニケーション。ヤングセンセイは、交わしたカラテを通してセイジの欺瞞を看破していた。それはかつての自分とまるで同じだった。

 

もしも、もっと早くに自分を見つめ直し、自己欺瞞を辞められていたならば。真にセンセイとして有れる道もあったのかも知れない。セイジとシンヤをドージョーの二枚看板として、デント・カラテを未来につないでいく。そんな道も有ったのかも知れない。その道は自分の手で失った。

 

しかし、それでも自分はセンセイだったのだ。一片のソンケイすら抱かれていない一時だけの紛い物でも、自分はセンセイであったのだ。(((だから、最期のその時まで、私はヒノ=サンのセンセイで有らねばならない!)))残る生命を総動員して赤黒の影を真っ正面から見据える。

 

その目前で殺意が爆発した。「それが貴様のハイクか! 十を数えるより先に忘れてやろう! 誰にも顧みられる事なく死ぬがいい、センセイ気取りめが! 焼け死ねぇっ!」忿怒が両腕から火炎となって鎌首をもたげた。牙剥く紅蓮を帯びたチョップは、今度こそヤングセンセイを両断して絶命させるだろう。

 

明示された死を前にして二度目のソーマト・リコールが始まる。今度は抵抗の手段すらない。出来るのはマゾヒスティックに引き伸ばされた最期を味わうことだけだ。「イヤーッ!」焼き殺し斬り殺さんと紅蓮が迫る。鮮やかな死人花の色が赤黒の影すら覆い尽くした。真っ赤な死が視界を染める。

 

「イヤーッ!」瞬間、闇が赤に覆われた視界を拭った。窓から飛び込んだ黒錆色の闇が、赤錆色の咆哮と共に赤銅色の拳を振るったのだ。「グワーッ!?」襲い来る紅蓮は認識外のアンブッシュに苦悶の声を上げて吹き飛ぶ。

 

「貴方、は……!」「黙っててください」黒錆色をした影は赤黒のニンジャを追撃する事なく、手早くヤングセンセイに応急手当を施していく。折れた腕に添え木を結び、割れた肺腑を覆い、切り落とされた腕は繋ぎ合わせた。ニンジャどころかモータルにとっても襲い掛かるに十二分な時間だ。

 

しかし赤黒のニンジャからも反撃は無かった。代わりに狂喜の嗤いを浮かべていた。「ククク……クハーハッハッ! なんたる僥倖! アブハチトラズとはこのことか! 諸共殺されに来るとはなんとも義理堅い! 望み通りに素っ首撥ねて儀式に使ってやろう! 喜べ、ブラックスミス=サン!」

 

「義理堅いのは確かだがね、アブハチトラズは大間違いだ。お前は全て逃して枕を涙で濡らすのさ、カラテ王子」ヤングセンセイの応急処置を済ませて黒錆色の影……ブラックスミスが向き直る。その顔を覆うのは黒錆のニンジャ頭巾、そして赤錆のメンポ。

 

『ブラックスミス』は、それを剥ぎ取り投げ捨てた。下の素顔が現れる。二束三文の雑魚面に殺人マグロの目。見飽きるほどに見慣れた顔が、見覚えのある顔でそこにいた。「ドーモ、ヒノ・セイジ=サン。カナコ・シンヤです」対峙したたった一人の親友へと、『カナコ・シンヤ』はアイサツを投げた。

 

「……違う! 違う! 違う!! ドーモ、ブラックスミス=サン! 俺は! 俺が! ニンジャスレイヤーです!!」一拍の間を空けて返って来たのは激烈な反応だった。先のヤングセンセイ同様の自己定義とチョップを突きつける。

 

「……ああ、そうかい。そんなに呼んで欲しけりゃ、呼んでやるよ」シンヤは目前のニンジャを見据えた。『カナコ・シンヤ』の顔を赤錆メンポと黒錆頭巾が覆い、『ブラックスミス』がカラテを構える。

 

 

「ドーモ、ニンジャスレイヤー……モノマネ野郎(コピーキャット)=サン。ブラックスミスです」

 

 

名前間違い! 漢字間違いに次ぐ程のタイヘン・シツレイだ! だが()()()それを成す! 「貴様ァッ!」「来い、バカラテ王子! 目ぇ覚めるまで、ぶん殴ってやる!」BONG! 赤銅色の拳をぶつけ合わせて挑発の手招き。

 

赤錆色の上に浮かべる表情は、吹き上がる紅蓮よりなお濃い怒りの色だ。対する赤黒の顔色は対峙する黒錆色をよりドス黒く染まっている。二人はネガポジ反転のデントカラテを構える。かたや実戦で鍛え上げた重厚なる正統派デント・カラテ。かたや殺意で刃を増した猛烈なる殺人改善デント・カラテ。

 

二人の空間をニンジャ圧力が歪めていく。お互いの全身にカラテが満ち……弾ける! 「「イィィィヤァァァーーーッッッ!!」」CRAAASSSH!!! 鏡写しの弾道跳びカラテパンチ! 固めた拳がぶつかり合い、号砲がわりの轟音が響いた!

 

【キャッチアップ・イフ・ユーキャン?】#4おわり。


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