鉄火の銘   作:属物

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第五話【ザ・レッド・スピード・トゥ・ジゴク】#1

【ザ・レッド・スピード・トゥ・ジゴク】#1

 

「エーラッシェー!」「ワースゴーイ、ナンカスゴーイ」模造宝石めいて輝くストリートのネオン。そこから一本、裏路地に入れば化粧を落としたエンシェント・オイランの顔に似る。極彩色の逆光に浮き彫りとなる、ゴミと害虫、犯罪と堕落。そんなネオサイタマの日常風景の中、一つの影が駆けていた。

 

「ハァーッ! ハァーッ!」荒い息の音が忘れ去られた廃ビルに響く。影は溺れるように喘ぎ、もがくように走っていた。それは発狂マニアックの妄想に捕まった哀れな市民か。或いは殺人中毒者の視界に入った不運な浮浪者か。影はそのどちらでもあり、どちらでもない。

 

「どこだ、どこから来る……」影を追うのは確かに発狂マニアックの殺人中毒者だ。だが影は市民でもなければ浮浪者でもない。煤けた装束が、焦げ付いたメンポがそれを示している。影の名は”スケープゴート”。ヤクザすら歯を鳴らしてドゲザする、恐るべきソウカイヤのニンジャエージェントだ。

 

「奴は異常だ! おかしい! 俺は判るんだ!」だが今、歯を鳴らしているのはスケープゴートの方だった。生け贄の山羊めいて息も絶え絶えに逃げ惑う。ニンジャなのにナンデ? 誰もが抱く疑問はスケープゴートの問いでもある。応えるように記憶が想起される。思い出したくもない、恐怖の記憶が浮かび上がる。

 

……それはいつもの仕事だった。提携しているヤクザ事務所からの集金作業。上の目は厳しくてピンハネ蓄財もできやしない。最悪、シックスゲイツの手が下される。何が悲しくてニンジャが取り立てをしなければならないのか。ニンジャなのにレッサーヤクザと何も変わらない……ニンジャなのに!

 

だからその日、スケープゴートは酷く苛ついていた。とりあえず集金先のジンギスカン・ヤクザクランに難癖付けて2、3人殺してやろうと思うほどに苛立っていた。それを敏感に感じ取ったのだろう。ひきつった愛想笑いでジンギスカン・ヤクザクランのオヤブンは余興を勧めてきた。

 

それは不用意なサラリマン一家を対象にした、手の込んだ家庭破壊残虐ショーであった。夫婦の目と耳を塞いで囚人のジレンマを実践させる。すると愛し合い庇い合っていた筈の夫婦が、疑心暗鬼と恐怖の果てに、耳が腐るような罵声をぶつけ合い互いの人格を蔑みあうのだ。それも我が子の目の前で!

 

壊れた両親を見つめる壊れた子供の顔は、実にスケープゴートを愉快にさせた。声を上げて笑う彼にジンギスカン・ヤクザクランの連中も安堵の追従笑いをあげる。その時だった。壁の家庭円満を意味するブッダエンジェルが泣き出した。自壊したバーミヤン渓谷の大仏群めいて自らの無力に涙したのか?

 

否、油絵を溶かしたのはマハーデーヴィーの悲嘆ではない。それを示すように部屋の気温は跳ね上がり、廃仏毀釈めいた様の壁絵が燃え裂かれた。焼ける空気の中、全員の背筋にはドサンコの吹雪よりも冷たい汗が流れた。憎み合っていた夫婦は無意識に子供と互いを抱きしめ、ヤクザはチャカ・ガンを構えた。

 

そして壁の亀裂を紅蓮に覆われた両手が押し広げる。そこから覗くのは、「忍」! 「殺」! ナムアミダブツ! その瞬間、スケープゴートは集金任務も、ソウカイヤも、誇りも、何もかも捨てて窓から飛び出した。松明めいて燃え上がるヤクザビルを背後に、背中を焦がす真っ赤な視線から全力で逃げ出したのだ。

 

……そう、逃げ出した。「「アィェーッ!?」」今の自分同様に恐怖の声を迸らせて。或いは目前のNRS(ニンジャ・リアリティ・ショック)患者めいて泣き叫びつつ。「ブッダミット!」「アバーッ!」恐怖を誤魔化すように不運な浮浪者をカラテ殺す! 「イヤーッ!」「アババーッ!」部屋の隅で震えるホーボー集団も同様にスリケン殺!

 

「フー、そうだ、俺はニンジャだ、強いんだ。奴は殺せばいいんだ」血を滴らせた両手を弄び、セルフメディテーションを行うスケープゴート。ニンジャらしく残虐な殺戮行為で彼はヘイキンテキを取り戻した。「どうやって?」「アィッ!?」しかしそれは十秒と持たなかったが。

 

背中から聞こえた恐怖が心臓を鷲掴みにする。「ククク、教えてくれないか? アイサツ前に逃げ出す臆病者のサンシタが、絶対的ニンジャ殺戮者をどうやって殺すのか」震えながら振り返った先には、紅く焼け付く殺意。「ドーモ、スケープゴート=サン」そして思い出すだけで悲鳴を上げる恐怖の二文字。

 

「俺はニンジャスレイヤーです」赤黒い悪夢がそこに立っていた。「ド、ドーモ、ニンジャスレイヤー=サン。スケープゴートです」無意識がスケープゴートの掌をすり合わせる。竦む肩で交わすアイサツはまるで命乞いの様だ。だが本当に命乞いをしたところで助かりはすまい。死ぬか、殺すか。その二択だ。

 

「それで、どうやってこの俺を殺すんだ?」ゆっくりと赤黒のニンジャはカラテを構える。裏社会ヒラエルキー最上位のニンジャをも超える、超上位存在をアッピールする。「ニンジャを殺すニンジャを殺す? 冗句だな、ククク……」怯え竦むニンジャを嘲笑い、逃れられぬ恐怖を煽り、絶対の死を見せつける。

 

だがコトワザにもあるとおり、追いつめられたネズミはネコに噛みつくものだ。「こうやってだ! イヤーッ!」限界を超えた恐怖が逆にヤバレカバレの覚悟を決めさせた! 血に染まった両手が奇っ怪なカラテサインを描く! 「ヌゥッ!?」途端に転がる死体から冒涜的な黒い靄が沸き上がり襲いかかる!

 

これぞスケープゴートのヒサツ・ワザ、『サクリファイス・ジツ』である! 「イヤーッ!」「グワーッ!」哀れな被害者のエッセンスで作り上げられた、おぞましい黒い子山羊が赤黒の殺戮者を押し包んだ。「死ね! ニンジャスレイヤー=サン! 死ね!」唯一の勝機を掴むべく、血が出るほどに固く印を結ぶ。

 

「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」血涙を流し、鼻血を吹き、ニューロンを焼きながら、スケープゴートは全ての力をジツに注ぎ込んだ。「グワーッ! グワーッ! グワーッ!」カラテサインを繰り出す度に黒い子山羊は反自然的存在感を増す。内に収めたニンジャを貪らんと蠢く様は宇宙的恐怖そのものだ!

 

(((ニンジャスレイヤー=サンに勝てる、勝てるぞ!)))スケープゴートの脳裏に希望の火が灯る。ソウカイヤの敵にして、帝王ラオモト・カンの不快害虫であるニンジャスレイヤー。それを打ち倒しとなればキンボシ・スゴクオオキイは確実だ。ボーナスどころか一足飛びのシックスゲイツ入りも期待できる。

 

だが武田信玄なら奥ゆかしく目を伏せて呟いただろう、『勝ち誇った奴が負ける』と。勝利の寸前は、同時に敗北の一歩手前でもあるのだ! 「コズミック・クロヤギの胃袋が貴様のオブツダンだぁーッ!」勝利を確信する目には映っていない。垣間見える赤黒いニンジャブーツから放射状に走った床の亀裂が!

 

BLAM! 「イヤーッ!」銃声めいたソニックブーム音と共に黒い子山羊が弾け飛んだ! 「グワーッ!?」ジツの反作用がスケープゴートのニューロンを引き裂く。手の中に入れた筈の勝利は、ドライアイスめいて何一つ残さずに揮発した。(((ナンデ?)))残ったのは幾多の意味を持つ一つの問いだけだ。

 

ナンデ、ジツが破れた? それはカラテである。地を踏みしめた反動を起点に、全身のカラテをナックルパートに収束させたカラテパンチが絡みつくジツを打ち砕いたのだ。ナンデ、自分は破れた? それもカラテである。優れたジツを持とうとカラテなしではネコにコーベインと同じ。負けるべくしての負けだ。

 

そして……「死ね、ニンジャのクズめ!」「ナンデ?」自分が死ななければならない? 「ニンジャであるだけで十分な理由だ!」それに理由などない。少なくともスケープゴートには何一つ関係がない。ニンジャが理不尽にモータルを殺すように、不条理な赤黒の狂気でスケープゴートは死ぬのだ。

 

「死にたくない……タスケテ……!」「助けないのがニンジャスレイヤーだ! 死ね!」予想の通り、命乞いは許されない。死ぬか、殺すか。二択は今、選ばれた。「ニンジャ殺すべし! イヤーッ!」「アバーッ!」紅蓮に燃えるチョップが内臓ごと焼き捌く。

 

「サヨナラ!」生きながらに焼き肉用カルビを体感できるのは実に希有な体験だったろう。そして秒を数えるより早く死ねたのはブッダの慈悲に違いない。この世で二度と無い心地を味わいながら、一瞬でスケープゴートは爆発四散した。

 

―――

 

「ハァーッ、ハァーッ」スケープゴートの爆発四散を確認した赤黒いニンジャは肩で息をする。勝ちはした。だが辛勝だった。これでは失敗と変わらない。何故? 理由は一つ。「純度が、足りない!」ニンジャスレイヤーと名乗る赤黒のニンジャ、すなわち”ヒノ・セイジ”からすれば他に考えられない。

 

人間性コンタミネーション、精神的夾雑物。今のままでは真のニンジャスレイヤーとは到底言えない。やはり儀式の完遂は必要不可欠だ。枠しか残っていない窓から遠くマルノウチ・スゴイタカイビルが見える。重金属酸性雨に煙るオベリスクへと、セイジはスケープゴートの首を掲げた。

 

「初代ニンジャスレイヤー=サン、偉大なる始祖よ。今、新たに一匹のニンジャを殺しました。残り二つの首と邪悪なるモータルの血を捧げ、儀式を必ず果たします。クリスマスイブの夜までお待ちください……!」マントラ、或いはネンブツめいて、アドレナリンに浸かったセイジは恍惚とうわ言を唱える。

 

「始まりの人よ! 今宵も闇の中、ニンジャを刈って狩って勝っ」TELLL! 懐のIRC端末が電子ベルで声を上げた。トランス祭儀を中断させられてセイジは不快げに目を細めた。支配するNSS(ニンジャスレイヤー・シンジケート)のハッカーからだ。「モシモシ、ニンジャスレイヤー=サン。標的ニンジャ死亡を確認。今日も勝利ですね!」

 

「……言いたいことはそれだけか?」「アィーッ!? ゴメンスンマセンモウシマセン!」セイジの苛立ちを滲ませた声に、電話先のNSSハッカーは泡を食って謝罪を繰り返す。声以外が電話の向こうに伝わらないのは幸運だ。もしセイジの表情を見たなら、股間を濡らして助命嘆願のドゲザをしたに違いない。

 

「まぁいい」「アリガトゴザイマス! アリガトゴザイマス!」ニンジャの怒りを向けられればモータルは実際死ぬ。NSSハッカーは営業サラリマンめいてオジギを繰り返しているだろう。「ニ、ニンジャスレイヤー=サンは強くてカネモチで実際慈悲深いです。これはもうオリジナルを超えたのでは?」

 

しかし営業トーク力はないようだ。半端なゴマスリを垂れ流されて、セイジの眉根に不愉快の谷が刻まれる。「ダマラッシェー!」「アィェーッ! ゴメンクダサイアイスミマセンモウシワケアリマセン!」一喝を叩きつけられて倍する勢いで電話向こうは謝罪をまくし立てる。失禁ドゲザは確実だろう。

 

「侮辱は許さん、リスペクトと敬意を忘れるな!」「アリガトゴザイマシタ!!」一事が万事この調子だ。神聖なる超ニンジャ存在にシツレイを働いても、謝れば済むと思っているのか。自分が誰に仕えているかを一度『わからせてやる』べきだろう。戻ったら、しかるべきケジメをくれてやる。

 

「それで、何の用だ?」「えー、エート、ですね、僕ら頑張ってるんですよ。けど、その」電話先の声は煮込んだオモチより歯切れが悪い。粗雑なヨイショを繰り返した理由はこれか。「さっさと話せ」「アー、モータルの血がですね、ほんの少し、チョットだけ、後チョッピリ足りないんです。でも……」

 

モータルの血。それを集める目的は重サイバネ治療か、はたまた合法ドーピング用途か。少なくとも一般的なニンジャやハッカーと関わりある用途ではない。超自然のジツに使う訳でもない。では、何のために? 答えはセイジがうわ言の中で口にしている。そう、儀式である。

 

クリスマスイブの夜、マルノウチ・スゴイタカイビルを爆破する。その瓦礫にモータルの血を敷き、()()13(不吉)のニンジャの首を捧げ、ニンジャスレイヤー生誕を完全に再現する。これによってオリジナルからニンジャスレイヤー性は禅譲され、自分こそが完全なる理想像(ヒーロー)……真のニンジャスレイヤーとなる。

 

セイジは正気か? 無論、狂気だ。だがそれは第三者視点での話。全ニンジャを超越し支配する、唯一絶対の理想像(ヒーロー)が同時に二つ存在する矛盾。そしてドラゴン・ドージョーへの味方行為を筆頭とする、オリジナルの不完全なニンジャ殺戮行為。それら全て解決する御都合いい回答こそが、セイジにとっての絶対な真実なのだ。

 

「ですからね、僕らは悪くないんですよ! でもヤクザ傭兵がしっかり働いていないんですよ! それで……」「それで、なんだ?」「シ、シツレイシマスオジャマシスオユルシクダサイゴカンベンクダサイ!」「だから、なんだ?」「アィーッ!?」「泣きわめけば許されるとでも?」「アィェェェ……!」

 

泣き言を喚き散らしていたNSSハッカーは、か細い悲鳴を最後に声が途絶えた。自分の失禁跡に浸かって気絶しているのだろう。「モ、モシモシ! お電話代わります!」恐怖に上擦った声で別のハッカーが電話に出る。「そうか。それで、血はどうする気だ?」人が代わってもセイジに追求を緩める気はない。

 

「だ、代案があります!」「言え」「死んでいい奴を殺させてもっと血を確保します! パンクスとか、悪いカネモチとか、ジョックとか!」ヤクザ傭兵に殺させるモータルは重犯罪ヨタモノに限定している。かつてセイジを救ったニンジャスレイヤーが、ニンジャだけを殺してセイジを生かしたからだ。

 

セイジはそれに倣い無辜の市民を傷つけず、ヨタモノ殺しでモータルの血を確保している。だが、それでは儀式の日までに必要な血が集まらない。「社会の敵です! 悪い奴です! 殺していいです! ヨタモノと同じです!」言い訳じみた熱弁を聞き流し、彼方のマルノウチ・スゴイタカイビルに問いかける。

 

「ニンジャスレイヤーなら、どうする? ニンジャスレイヤーなら、どうやる?」(((ニンジャスレイヤーならどうする……ニンジャスレイヤーならどうやる……)))耳の奥で内なる声がコダマする。(((ニンジャスレイヤーなら……ニンジャスレイヤー……ニンジャスレイヤーに慈悲はない……!)))

 

「そうだ、慈悲はない」(((慈悲はない……)))バウッ! バウッ! 拳を握り開く度、センコ花火めいて火の粉が舞う。ニンジャ殺戮を阻害する者をニンジャスレイヤーは許さない。間違いない。自分が一番知っている。なぜなら自分はニンジャスレイヤーを宿している。だから自分はニンジャスレイヤーなのだ。

 

そもそもネオサイタマに無辜の者などいない。誰もが罪から目を逸らし、悲鳴から耳を塞ぎ、心を閉ざして生きている。この灰色のメガロシティでは誰も彼もが共犯者だ。そんな堕落モータルの血を敷いて、真に世界を支配すべき超ニンジャ存在が現れる。実に理に適っている。ならばもう生かす理由など無い。

 

「殺すべし……」((((殺すべし……))))それは狂人の理だ。そしてそれを指摘する者はない。籠手に蠢く紅蓮が絡みつく。くべる犠牲者を求めて生けるカトンが鎌首を上げる。部屋中が赤に満ちる。転がるモータルの死体、抱えたニンジャの首、床に延びる己の影。全てが緋色に照らし出される。腰に巻いたブラックベルトを除いて。

 

手渡されたカイデンの証だけは、紅蓮に染まることなく黒々と己の存在を訴えていた。「……モシモシ」「あいつら生きる価値なんか無いですよ! 皆殺せばいいんですよ! 町が綺麗になるんですよ!」吐き出す言葉に自己中毒でも起こしたのか、NSSハッカーは狂気じみてルサンチマンへの攻撃を訴えている。

 

「ダメだ」「え」セイジは一刀両断した。「ニンジャスレイヤーに過ちはない。あってはならない。絶対正義存在だ。その再誕には一片の瑕疵も許されん。その下に敷かれるのは疑いなく邪悪な血が相応しい」「アッハイ」一切の反論を受け付けぬ声音に、燃え上がっていたNSSハッカーも曖昧に頷くのみ。

 

「だが遅れも許さん。俺も参加する。いいな?」「ハ、ハイ、ヨロコンデー!」焼き固められた狂気にNSSハッカーは怯えながら答える。気が付けば耳の奥で響く声は消えていた。重金属酸性雨に煙るマルノウチ・スゴイタカイビルへと一礼して、セイジは闇に消える。全てを嘲笑うドクロ月だけが残った。

 

ザ・レッド・スピード・トゥ・ジゴク#1おわり。#2へ続く。


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