鉄火の銘   作:属物

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第四話【カタナ・フォーリン・トゥ・アビス】#2

【カタナ・フォーリン・トゥ・アビス】#2

 

キリリリ! 一つ。鉄が削れる音が響く。二つ。弾けた冷却鉱油が鼻につく。三つ。カツブシめいた切り屑が舞う。四つ。SNAP! 五つ。飛んできた金属片を片手で弾く。六つ。「アブナイなので気をつけてください」七つ、八つ。弾いた手で指さす先には安全標語ポスター『危無い作業』。九つ。

 

「スイマセン」金属片を飛ばしたスミダ・コーバ工員が形式的に頭を下げた。十。「お気になさらず」十一。シンヤは手を振って答える。十二個のメタルコケシが完成。彼の上司の舌打ちを無視して鋼材から十三個目のメタルコケシを削り出す。その手つきには一切の迷いがない。恐ろしく手早く、かつ丁寧だ。

 

しかしその表情は注意散漫。コーバ・フェデラルの工場でメタルコケシを作っている間も上の空だった。圧倒的な生産速度に驚く周囲の声も、対立派閥コーバの敵意のこもった視線や妨害も悉く無視している。考え事をしているのだ。フェデラルやコネコム、友人や家族についてでもない。個人的な考え事だ。

 

それは……ニンジャだった。脳裏に浮かぶのは出会った敵対ニンジャ達の顔。古い順にフラグメント、ウォーロック、トライハーム。それこまでいい。連中は狙いがあって動いていた。問題はそれ以降。ダーティウォッシュ、シャイロック、ユージェニック等々。驚くほど多くのニンジャと接触している。

 

ソウカイニンジャとのニアミスも少なくない。だが、自分はニンジャスレイヤー=サンと違って積極的にニンジャを追ってはいない。ニンジャは闇に潜む存在であり、ソウカイヤは隠匿・沈黙・制圧を持ってネオサイタマ支配している。なのに多い、余りに多い。まるでニンジャ存在を引き寄せているように。

 

あるいは、自分が引き寄せられているのか。心当たりはない。だが引っかかるものはある。ニンジャ接触前後で脳裏に走る掻痒感覚。対象のニンジャ可能性を断じれるほどの精度だ。ソウカイニンジャから逃げる助けともなっている。この感覚はトライハーム殺害後から生じるようになった。

 

そして同時期から接触頻度が跳ね上がっている。奴らの死が自分に何らかの影響を及ぼしたのか? そもそも奴らの死に対して違和感が拭えない。死体も痕跡も残さず、何故か爆発四散の瞬間だけが記憶にない。連中は本当に死んだのか? ニンジャ第六感は「否」と告げている。

 

奴らは自分と同じ転生者だ。そしてクレーシャに名前とソウルを売り渡し『偉大なる方』とやらのために暗躍していた。『偉大なる方』、そして転生者をこの世界に突き落とした何者か。その二つが同じものならば? ……ザ・ヴァーティゴ=サンという前例もある。第4の壁を通る者がいてもおかしくはない。

 

それに現実世界からソウルを回収された転生者という実例がここにいるのだ。次元を越えて動く超存在ならば、爆発四散しつつあったトライハームを回収することも不可能ではなかろう。この考えに確証はない。推論に仮説を重ねた信憑性の低い結論だ。だが直感は肯定している。

 

そして、自分達をネオサイタマに突き落とした超存在が居ることも、転生者を手駒とする何者かがいることも、その目的が『原作』を主人公を殺すこと以外不明なことも事実なのだ。どれもこれも決して疎かにしていい問題ではない。今はただ……備えよう。

 

ガシャリ。視界の端でメタルコケシが音を立てて崩れ落ちた。反射的に手を差し伸べて受け止める。置き場所のバランスが悪いか? 「こりゃまずいな」確かに置き場所のバランスが悪い。山と積まれたメタルコケシのフジサン。そこから一つが転げ落ちたのだ。

 

無意識作業でノルマを大幅超過したらしい。シンヤはどうしたものかと苦く笑う。とりあえずは完成品置き場に持って行くべきだろう。ニンジャバランス感覚を駆使してカートに詰め直す。「オーイ、シンヤ=サン。ちょっとメタルコケシを持ってきてくれ」完璧な箱詰めを果たした処でお呼びがかかった。

 

「すみませんがこれオネガイシマス」「アッハイ」メタルコケシを一本引き抜くと余りの生産量に唖然としていたお隣にカートを押しつける。(((先の金属片の借りということでここは一つ)))誰にと言うわけでもなく内心で言い訳ると、シンヤはゲンタロの待つ事務室へと向かった。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「えーっと、そこを右だよな」うら寂れた路地裏、ゴミとパイプとケーブルで出来上がった薄闇の中を進むシンヤ。「ちょっとオジャマシマス」道ばたで眠る浮浪者を跨ぎ越え、上書きを繰り返された混沌グラフィティを通り過ぎる。『○アン『オバカ』タイ×安『全員GO!』泰『俺の『俺のだ』お国』

 

サイケ色彩を塗り重ねた偶然のカオスは、映像ドラッグ的めいて平衡感覚を妖しく揺さぶる。その上、元濃緑の番地表示はどれもが錆と落書きで役目を放棄していた。慣れた現地の人間以外は容易く現在地を失うだろう。ゲンタロから受け取った懐の地図を取り出し眺める。同時に当時の記憶が蘇ってくる。

 

……「代理連絡、ですか?」熱い梅味コブチャを啜りシンヤは問い返す。パイプ椅子に腰掛けたゲンタロは首を縦に振った。「ああ。俺が勧誘と面談に行く予定だったが、急な用件が入ってな」「しかし何故自分なんですか? コネコムに依頼より、フェデラル社員の方が安く上がるかと」シンヤは首を傾げる。

 

「フェデラル社員ですむなら依頼しないさ」そりゃそうだ。当然の言にシンヤは頷く。「その御仁はワザマエ相応に気位も高くてな、実力を認めた職人の話しか聞かないんだ」営業に回された工員の内、お眼鏡に適ったのはゲンタロただ一人。代理で行ける人間がフェデラルには一人もいないらしい。

 

だがゲンタロの認めたシンヤのメタルコケシなら、十分に彼を納得させ得ると考えたのだ。「まあ、流石にフェデラル参加の合意書にハンコを捺させろとは言わない。次回の面談予定を結んできてくれればいいさ」ならば人付き合いの得意でない自分でも何とかなるだろう。

 

「最後に一つ。そのお人のお名前をお伺いしても?」「”マガネ・クロイ”=サン。知る人ぞ知るネオサイタマ随一の刀匠だ」ゲンタロを認め、ゲンタロが認めた超一流の刀鍛冶。ドウグ社のワザマエを目にして以来の、プロフェッショナル技術を見たい気持ちが再びムラムラとわき上がって来た。

 

「その仕事、やらせていただけますか? 本社には自分の方から話します」「こちらからも頼むよ、オネガイシマス」「こちらこそ、オネガイシマス」温くなったコブチャを呷ると、シンヤは了承の意味を込めて頷いた。

 

……「ここを曲がって左に、あった」目当ての量産コンクリビル『十八箱』はそこにあった。シンヤの現住所であるダイトク・テンプルに随分と近い。地下に向かう階段横には、古めかしいミンチョ体の案内看板が張り付けられている。『地下にマガネ・スタジオ』案内看板の文字は最終目的地を示していた。

 

カィン、カィン、カィン、カィン……2ビートの鎚音が地下に響く。それが響く度、古めかしく神秘的なアトモスフィアが工房を包む。鉄打つ音を響かせるのは偏屈と頑固を鍛造して作ったような老人だった。体格も顔つきもまるで違うのに、サブロ老人とその背中は重なった。

 

「オジャマシマス。コーバ・フェデラルの者です。マガネ=サンはいらっしゃいますか?」手みやげの菓子折り袋を掲げ、敵意がない旨をアピールする。現代ではマナー旧家が伝える古きエド仕草だ。「おお、ゲンタロ=サンか……違う?」「ハイ、代理のカナコ・シンヤという者で「帰れ」

 

マガネは一瞥だけして鉄打ちに戻った。聞いていた以上の堅物だ。「一応、代理としてきた者ですから帰れと言われ「帰れ、トーシロはオジャマだ」取り付くニベもない。このまま帰るわけにも行かないシンヤは話の足がかりを探して後ろから覗き込む。刀匠らしく沸いた鉄を打ち据えてカタナを形作っている。

 

「そんなにキアイ入れて作るカタナですか?」「トーシロには判らん」マガネは振り返りもせずに言い放った。シンヤは鎚で打たれカタナへと転じる途上の鉄を見つめる。ただ、見つめる。「……確かに『新興ベンチャーが箔付け用に依頼した見栄え最優先のファッションカタナ』ぐらいしか判りませんね」

 

「なんと?」「トーシロにはファッションカタナにそこまでキアイ込める理由が判らないってことです」打ち刀と比べ酷く細長い形状は一般的なイアイドーを想定してないと告げている。その上、鎚のリズムは加工性に優れるが強度に劣る軟鋼の炭素含有率を示していた。これは実用品でなく装飾品のカタナだ。

 

加えて言うならそのデザインは伝統のカタナ様式から大きく外れる。そんなカタナを喜んで携えるのは新興ベンチャーの成金と相場が決まっている。シンヤとソウルの感覚はそう見て取った。「トーシロの戯れ言ですよ、聞き流してください」これを偏屈な超一流刀匠が請けた理由までは判らなかったが。

 

「あと、これをゲンタロ=サンが見せといてくれと」二本のメタルコケシを菓子折りの袋から取り出してマガネの脇に置く。素人目には何の違いもない量産品のメタルコケシだ。鉄打つ手を止めてマガネはその表面を指でなぞる。「オヌシが作ったのはこれか」マガネは一方をシンヤへと突き出した。

 

メタルコケシを受け取り指先で確かめる。確かに自作品に違いない。「ええ。トーシロ作にしてはよくできてますか?」「作りだけはな」シンヤの意向返しにマガネの鼻が鳴った。技術力だけは認められたらしい。「ソウルがまるで籠もっとらん。カタナなら叩き折っとる」しかし機嫌は取れなかったようだ。

 

「無個性の量産品ですから。それにまだゲンタロ=サンの様にはいきませんもので」「口だけは一人前か」「半人前ですよ。口も、物作りも、カラテも。何度も思い知らされてます」シンヤは握った拳をじっと見つめる。多くを取りこぼしかけた、さほど大きくもない、自分の拳。まだまだなのだ、今もまだ。

 

マガネはその姿を無言で見つめる。そしてシンヤの方へと向き直った。「それで、何の用件だ?」「本日、面談に来れなかった謝罪をゲンタロ=サンから預かってます。それと次回の面談の日程を決めたいと」「律儀な人だ」ネズミのオリガミメールと菓子折りを手渡す。中身は白アンコのドラヤキだ。

 

「奥に休憩室があるからそこでコブチャでも飲んでいろ」「いえ、もしよろしかったら、カタナ作りを見学させてもらえませんか?」マガネの表情が不可思議と歪む。「オヌシの言うとおり、こいつはファッションカタナだ。実際、実戦なら役立たずよ。伝統美もなし。そんなもの作る様を見てどうする?」

 

「だからこそ見たいです。伝統プロトコルから外れた非実用品に、刀匠『マガネ・クロイ』がどうソウルを込めてみせるのかを、この目で見たい」マガネは再び炉と鉄に向き直った。その表情は見えない。「……勝手にせい」「勝手にします」少なくともその声色に敵意はなかった。

 

銑鉄を打つ鎚音が繰り返し響く。赤熱した黒金から火花が幾度となく舞う。六代目マガネ・クロイが小槌を振るう度、折り返し層を重ねる度、単なる鉄塊はほんの少しづつ鋼のカタナへと近づいていく。エッジを切り落とせばそのシルエットは剣のそれへと姿を転じていた。

 

火造りの出来映えに頷いたマガネは、更に荒く研ぎ上げて輪郭の解像度を上げる。『伝統』『真打ち』『機密』ショドーのお札で封じられた壷に筆を挿し、刀身をキャンパスに秘伝の焼刃土で未来の刃紋を描く。鍛錬と才能に裏打ちされた筆遣いは、大胆と細密を両立した書道家(ショドリスト)のそれと等しい。

 

そして炉で赤熱するまで業火に炙られた刀身を……SIZZLE! 油臭い蒸気が工房を満たす。冷たい鉱油で焼き入れられた刃金は、悲劇に晒された英雄めいて堅く強くその身を引き締めた。ぼろ切れで纏った油を拭えば、遂に一振りのカタナがこの世へと顕れる。

 

「ワォ……ゼン……!」美しい。意図せず感嘆がこぼれた。シンヤがこのコトダマを使うのは生まれて二度目だった。それほどのものだった。まだ研ぎも磨きもしていない、鉄の棒と等しいカタナ。霞がかかった刃紋は目を凝らせば僅かに見える程度だ。だがそれが、それほどまでに、美しかったのだ。

 

反りのない真っ直ぐな形状と霞がかった刃紋は総体で一つの美を描いていた。これを研ぎ上げればどれほどに輝くのか。朧月めいた刃紋がどれほどに美しく姿を現すのか。否、むしろ研ぎに出すことなく雨月めいて内なる刃紋を思い描きたい。未完成であるが故に完成した芸術作品。そう思わせるカタナだった。

 

「切れぬカタナだぞ?」衝撃に身を震わせる若造に老刀匠は意地悪く笑ってみせる。「いえ、確かに切りました。私のソウルを真っ二つにして『魅』せました……オミソレ、シマシタ」シンヤは深々と頭を下げた。刃を付けていない、ただの鋼鉄製木刀。だがエッジは要らぬ。

 

非実用の極みながらも、それが美しさの極限を顕している。ネオサイタマ屈指の刀匠マガネ・クロイのソウルがここに在った。「精進して『魅』せい、若いの」呵々と笑うその姿は、まさにカタナに才能と人生を捧げ尽くした鍛冶師の頂であった。

 

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「オジーチャン!」感動に打ち震えるシンヤの耳に突然、声変わり前の甲高い声が響いた。声の方向へと視線を向ければ、鍛冶場に場違いな幼い少年の姿。「カタナできたの!?」「アオイちゃんか!? よう来たよう来た!」突然、日本最高峰の刀匠が消えた。そこには只の孫バカ老人がいた。

 

どうやらマガネの孫で”アオイ”と言うらしい。「おやつは高級タイガーヨーカンが有「カタナ見せて!」これじゃこれじゃ!」トーシロ以前にカタナの危険性すら理解してなさそうな子供に、嬉々として出来立てのカタナを差し出す。刃の無い鉄の棒だからいいが、今のマガネは実用殺人刀でも渡す勢いだ。

 

「ワー! キレイ!」「そうじゃろ! そうじゃろ!」頑是無い孫の賞賛にアンコシチューで煮詰めたオモチめいて甘々に溶け崩れている。職人の頂点でも孫はカワイイ過ぎるのだろう。頭痛が痛い顔でシンヤは頭を振った。先までの超一流職人はどこへ行ったのやら。孫が帰るまで帰ってこないだろう。

 

ため息を吐くシンヤのニンジャ感覚が不意にもう一人の存在を告げた。「あれ? シン兄ちゃんじゃん! どーしたの?」振り返ればいつも見かけるイガグリ頭。見覚えがある所ではない毎日見慣れた顔は、トモダチ園の子等のちょうど真ん中。弟の”ウエシマ・ウキチ”だ。

 

「仕事だよ、仕事。ウキチこそ何でここに?」「アオイ=サン家に遊びに来たんだよ」返答も中途にそのまま鍛冶場に入ろうとするウキチ。弟のシツレイに眉根を寄せて苦言を告げる。「おい、マガネ=サンの迷惑になるから勝手に入るじゃないぞ」「ダイジョブダイジョブ、アオイ=サンも入ってるんだし」

 

「お前はマガネ=サンのお孫さんじゃないだろ。一言聞いてからだ」不服げにウキチの頬が膨れる。だが、トモダチ園の大黒柱は子供たちのワガママに容赦しないのだ。「ハイハイ、わかりました!」先に目を逸らしたのはウキチだった。「アオイ=サン! オレも入っていいよな?」ただし、尋ねたのはアオイにだが。

 

「いーよ!」「アオイちゃんのお友達かい? えーよ!」得意満面のドヤ顔で胸を張るウキチ。今度不服げな顔をするのはシンヤの方だ。マガネ=サンに聞くのが筋だろう。だが、実際マガネ=サンから許可は得ている。「これでいいよね!」「判った。ただ次は主のマガネ=サンに聞けよ?」「ハーイ」

 

「ねぇねぇ、これスゴイだよ! キレイだよ!」「エッジ無いし、これカタナなの?」カタナへの興味の差か、目を輝かせて興奮するアオイに対し、ウキチは気のない様子だ。「ないけどキレイだよ!」「んー、そうかな」それとも審美眼の差か。弟を貶めたくはないが、美に対する敬意がないのは確かだ。

 

思い出せばダイトク・テンプルでも木魚でサッカーやろうとしていたし、ジャングルジム代わりにブッダ像に昇ったこともある。シンヤとしては弟のカルマが心配でならない。「なぁ、これでチャンバラ・ゲームできない? エッジもないし、いいよね?」だからこそこんな台詞が出てくるのだろう。

 

「いいわけ無いだろ! ダメ!」「ええよ! ええよ! 存分にやりなさい!」真逆の返答が双方から飛んだ。「アブナイでしょう!? それに売りものでしょうに!?」刃がないとはいえ鋼の棒である。当たり所如何では子供の骨程度軽く折れる。首に当たれば命も危ない。

 

「ワシが監督する! それにまだ期日まである! また作るわい!」思わずツッコむシンヤだが、孫の遊びの方が万倍大事とふんぞり返ってマガネは答えた。孫がらみだと途端にオフィシャルとプライベートを区別できなくなる。これの何処がネオサイタマで一二を争う刀匠なのか。

 

「オジーチャンの大事なものならいいよ」「アオイちゃんはほんっとに優しい子じゃのう……!」公私の区別は年齢1/6の孫の方がついているらしい。そっと差し出すカタナを受け取り、マガネは感動の涙を拭った。それを見るシンヤの目は冷たい。24時間連続感動ソープドラマを見せられている気分だ。

 

「えー、やんないの? じゃあシン兄ちゃん、代わりになんか作ってよ!」「俺は万能ベンダーマシンじゃないんだぞ」口ではそう言いながらも何を作るか考え始めている。シンヤも中々に甘いのだ。「安全な得物を作ってやるからチャンバラ・ゲームはそれでしなさい」「ワーイ!」「アリガト、ゴザイマス!」

 

「アオイはいい子じゃなぁ、ほんっとにいい子じゃなぁ!」「……確かにいい子ですけど、ああも甘やかしていると悪い子になりかねませんよ?」感涙をこぼすマガネにあきれた声音で注意を促すシンヤ。シンヤもまた一家を預かる大黒柱。躾と叱咤の重要性は理解している。

 

だが子育ての責任から離れたマガネは、そんなことはきれいさっぱり忘れたらしい。「ワシのアオイになんか文句あるんか!?」「マガネ=サンにあるだけです」孫可愛さに熱く燃え上がるマガネに、シンヤの視線は氷点下まで冷え込んだ。そもそもフェデラルの用件はどうなった。

 

「いいか、あの子はな、ほんっとにいい子なんじゃよ! わかるか!?」「アッハイ、わかります」これは永くなるな。ニンジャ第六感がそう告げた。そして逃れられないとも教えてくれた。シンヤの目が見る見る輝きを失う。それは撲殺済みの水揚げマグロか、あるいは生け簀で捌きの時を待つハマチか。

 

「いっつも礼儀正しくてな、こんなに小さい時からちゃーんとアイサツしてくれるのよ」「ハイ、ソーデスカ」どちらにせよ、キリミとなって行き着く果ては同じ酢飯の上だ。その後は胃袋の底。未来などない。あるのは長い長いジゴク巡りだけ。

 

「アオイはな、ワシの作ったカタナが大好きでな。オジイチャンの跡を継ぐって言ってくれたんだよ。アオイがな、七代目になりたいって、ワシに言ってくれたんだ」「……ハイ、ソーデスネ」孫自慢は何時間も続いた。夕飯の時間が近づき、ウキチは一人でダイトクテンプルに帰った。

 

ドクロの月が天頂から嗤う頃、疲労困憊のシンヤはようやく帰路に就いた。帰り道に襲ってきたヨタモノ偽装アサシンは苛立つシンヤの手で、自分が呼吸していることを心底後悔することとなった。じつに最悪の一日であったが、キヨミ謹製の夜食兼夕飯のソバは暖かかった。

 

【カタナ・フォーリン・トゥ・アビス】#2おわり。#3へ続く。


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