鉄火の銘   作:属物

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序章【フィールドデイ・イン・エブリデイ】#3

【フィールドデイ・イン・エブリデイ】#3

 

「遅くなってスマンね」「しょうがないわよ、お仕事なんでしょ?」深夜を越えて夜食になってしまった夕食を終えたシンヤは、カッポギ・エプロンの背中に謝罪の声をかけた。「そりゃそうだけどさ」家事全般を受け持つキヨミの朝は早い。だから普段は夜も早いのだが、こう遅くては体調を崩しかねない。

 

どうしてこう遅くなったかというと、依頼者が急性NRSを越えてブッダの国まで逝ってしまっていたからだ。一時狂気どころか不定の狂気に陥った依頼人を前にこりゃただ働きかと頭を抱えかけたが、幸いなことにホワイト企業のコネ・コムは依頼人のアフターサービスも完備している。

 

コネ・コムの診療所で産業医師のリー先生に「治療」してもらった結果、依頼人から何とか金庫の番号を引き出すことが出来た。最終的にコネ・コムは依頼料と他社の秘密を手に入れ、シンヤは臨時賞与を頂き、現在も治療中の依頼人は未来を拾った。コネ・コムのスローガン通りに三方向良しである。

 

だが、かかった時間はシンヤとしても余り考えたくない。名前の通りに深夜近い時間になってしまったのだ。仕事だから家族は納得してくれているがいい気は全くしない。「体に悪いから先に寝ててくれよ」「今日は用事があっただけよ」バツ悪げに顔を歪めたシンヤにクスクスと笑い声をこぼすキヨミ。

 

「私よりよっぽどアブナイなことしているのに、シンちゃんは心配性ね」「俺はニンジャだからダイジョブなの」ニンジャの自分ならデント・カラテと機転でどうにかなる。それより手の届かないところで家族がアブナイ方がよっぽど怖い。このように思考は相応にシリアスだが、外見は思春期相応の拗ねた顔。

 

唇を尖らせたシンヤの声音にキヨミの忍び笑いが音量を上げた。姉にはニンジャになっても適わないし世話に成りっぱなしだ。憮然の顔で頬杖ついたシンヤの耳に弟のアイサツが届いた。「オカエリ」「タダイマ……って起きてたのか」視線の先には顔に同じく憮然と書かれたイーヒコがいる。

 

「約束したじゃん」「いや、忘れた訳じゃないがもう遅いだろ?」言い訳じみているが実際忘れたわけではない。単に子供たちは全員就寝中だと思っていただけだ。「ふーん、そっか」しかしジューウェア姿の弟にはそう受け取ってもらえないようで、疑念と不服の色が強まるばかりだ。

 

疑いたければ茶柱でも疑うとコトワザにもある。説得の言葉を諦めてシンヤは声をかけた。「アー……約束通りやるか?」「やる」「準備は?」「した」返答に躊躇いも間も無かった。準備万端で夜遅くまで待っていたイーヒコにシンヤは少々の驚きを覚えた。

 

カラテを覚えたいと言い出したのはイーヒコだが、文句とイチャモンが大得意の弟がこうもやる気だとは。正直言うとその内言い訳作ってサボり出すと勘定していたのだ。これはコンジョを入れねばなるまい。シンヤは頬を張ってセルフキアイを入れると、黒錆色の普段着を同色のジューウェアに作り直した。

 

「じゃ、やるか」「うん」「アー、キヨ姉スマンけど……」「皿洗いはやっておくから気にしないで」これだからキヨミには頭が上がらないのだ。「スマンね」「ダイジョブよ」「シン兄ちゃん、早く!」「おう、今いく」イーヒコが口にしたとおり、テンプルの裏庭にはトレーニング準備が万端だった。

 

コンクリートブロックの上に段と積まれたソフトカワラが並び、飛散防止に敷かれたブルーシートも、シャトルラン用カラーコーンも用意されてる。「いつもの通り柔軟ストレッチ体操したら基礎トレ50本5セット。終わったらカワラ割りパンチを同じだけ。休憩はセットの間に取るように」「ハイ」

 

トレーニングメニューを指折り数えるシンヤの言葉に素直に頷くイーヒコ。アキコ辺りが見たら頭を殴り過ぎたかと反省するだろう位には珍しい。「じゃ、ハジメ」「ハイ!」しかし、カラテトレーニングを初めて以来これに対するイーヒコの文句は出てきてない。今日も真剣な様子で鍛錬を初めている。

 

「イーチ、ニーイ、サーン!」全身を折り曲げて筋を延ばす弟を横目に、シンヤもまた虚空に拳を打ち込み始めた。「イヤーッ! イヤーッ!」パアン! パアン! 一打ごとに空気が爆ぜる。人体が容易く砕ける速度と威力だ。だが求めるものとは違う。想像するのは、巌めいた巨体と対峙したあの瞬間。

 

受け継いだ全てのインストラクションと積み重ねた全てのカラテ。二つが完全に噛み合った時、答えは自ずから導き出される。「イヤーッ! イヤーッ! イヤーッ!」パアン! パアン! パアン! 集中のあまり柔軟から鍛錬に移った弟の姿も忘れ、降り始めた重金属酸性雨の存在にも気づかない。

 

全てをカラテパンチに収束させて内なる探求を続けるシンヤ。そして答えは、姿を現す。「イィィィヤァァァッーーー!!!」ただ、シャウトだけが響いた。イーヒコの目には何も見えなかった。しかし、カラテパンチで砕けた雨粒が拳の残像を残す。超高速カメラ写真を思わせる神秘的な刹那が瞬く。

 

ドオン! 直後、カラテパンチの着弾点が球形に膨れ上がった。取り残されたカラテ衝撃波が全エネルギを解放したのだ。落ちる雨だれも濡れた土も全て吹き飛び、異界めいて乾ききった空漠が生まれる。これがデント・カラテの「一撃必殺(ワンパンチ・ワンキル)」を体現する、基本にして奥義『セイケン・ツキ』だ!

 

(((この感触だ)))絶え間なく降り注ぐ重金属酸性雨に塗り潰されて、儚くも別世界めいた空間は消え失せた。カラテ排熱で湯気の立つ息を吐き、シンヤは拳を握り固める。切り札中の切り札であるセイケン・ツキは、最初の一発を除けば鍛錬中でしか成功していない。ただトレーニングあるのみだ。

 

SPLOOOSH! 「酷い雨!」「ブッダ! 急いで家に入れ!」だが、天はシンヤの決意を嘲ったようだ。突然雨足が爆発的に強まり、ゲリラ的重金属酸性豪雨が天から降り注いだのだ。多少の大雨なら滝行と思えば我慢も出来るが、オールド東京湾を逆さにしたような怒濤の土砂降りでは流石に無理がある。

 

ようやく成功した処にこの仕打ち。雲向こうのドクロ月はショッギョ・ムッジョと笑い転げているに違いない。雨が止むまでトレーニングは到底無理だ。「うっわ、ビショビショだ」「濡れ鼠だなこりゃ」急いでテンプルに駆け込んだものの、二人ともドブに浸かったネズミの様である。

 

「ほれ、こいつで拭いとけ」「シン兄ちゃんアリガト」シンヤは重い息をこぼし、タタラ・ジツ製テヌギーを手渡した。濡れた体を拭き、黒錆色の乾いた衣服に着替える。「天気予報が外れたな」「うん」「今日は休むか?」「ううん」「じゃ、止むまで休むか」「うん」

 

幸い、ウォーロックは死んでソウカイヤへの情報伝達も防がれた。だから、少しくらい休んでもいいだろう。縁側に腰を下ろして雨上がりを静かに待つ。濃いイオン臭と雨音が辺りを包む。空を見上げても滝そのものな集中豪雨でネオン光すら見えない。見えるのは時折弾ける雷だけだ。

 

「ねぇ、シン兄ちゃん」「なんだ?」オキナワ家族旅行でも行けたらなとボンヤリ考えるシンヤに、イーヒコの熱を帯びた視線が向けられる。意味なく他人を見下し自分を特別視する思春期特有の目つきではない。この先の人生と己の在り方に悩む真剣な青春の目だ。弟の本気を前にシンヤも居住まいを正す。

 

「ちゃんとカラテやってるつもりだけど、強くなった気が全然しないんだ。ホントに強くなれるのかな?」「そうだな。階段を一段上っても高くなったとは思えないけど、二階には着実に近づいているだろ? それと同じさ」デント・カラテを身につけるには時間と努力がいる。一朝一夕に手に入るモノではない。

 

「それは判るけど……」シンヤの返答を聞かされても、その顔には納得の二文字は見られない。躊躇うようにマグロめいて口を開いては閉じ、イーヒコはようやく言葉を絞り出した。「その、なんていうか、カラテ鍛えてたら、さ。ヤクザやニンジャが来た時に何か出来るのかな、って思って」

 

「フーム」真摯極まりない弟の目にどう答えたものかとシンヤは首を捻る。適当に答えていい事柄ではない。しばらく考え込んだ末、シンヤは口を開いた。「『何か』の内容にもよるな」「内容?」「倒したいのか、守りたいのか、逃げたいのか。何かをしたいならそれに適した強さが要る」

 

「デント・カラテは殺人技術だ。相手をぶちのめす以外なら別の手段をとった方がいい。イーヒコは何をしたいんだ?」「僕は……」質問に質問を返されてイーヒコは口ごもる。自分自身、何をしたいのかよく判っていないのだ。あるのは言葉に出来ない惨めさと焦燥感だけだ。

 

「何でシン兄ちゃんはカラテを始めたの?」なので質問に返された質問をさらに質問で打ち返した。「俺か。俺は……俺自身を制御できる強さが欲しかった。感情や欲望に振り回されない自分でありたかったんだ」かつてシンヤは吹き上がる暗黒なエネルギのままに他人へと暴力を振るったことがあった。

 

相手はシンヤへイジメ・リンチをしていたヤンク達であり、マケグミ同士故大きな事件になることはなかった。だが、それはキヨミの涙とコーゾの心痛を産んだ。そして自らの行いを理解したシンヤは後悔と自省の果てにキヨミと約束を誓い、全てのエネルギをデント・カラテに注いで昇華していたのだ。

 

尤もニンジャソウルの憑依に感情の暴走、ソウカイスカウトの襲撃と想像の埒外が連発したせいもあり、約束を守りきることは出来なかった。それでも交わした約束とそれを納めたオマモリ・タリズマンはシンヤの人間性を守り抜いてくれた。今のシンヤがあるのはカラテを始めた決意と約束があったからだ。

 

「僕は……」シンヤの言葉に張りつめたイーヒコから感情が零れ出る。浮かぶのは表面張力の限界まで注がれたサケを思わせる表情だ。そしてサケはマスへと流れ落ちた。「僕は、コワイからって動けない僕がイヤだ。どんなに怖くても行動できる人間になりたい。恐怖より強くなりたい! コワイに勝ちたい!」

 

浮浪者キャンプが襲撃を受けたあの日、エミはワタナベを救おうと飛び出した。キヨミはエミを助けに走った。コーゾは家族の盾になろうとした。シンヤは命を懸けて家族の敵と戦い、勝利した。イーヒコは……何もしなかった。出来なかった。

 

当然のことだ。義務教育も終えてない子供に誰も何も求めない。だが、思春期特有の万能感で「自分はデカイことが出来る」と信じていたイーヒコには頭を冷凍マグロで殴られたようなショックだった。幼い妹が行動を起こしておきながら、いつも大きな口を叩いていた自分は失禁しながら泣き叫ぶばかり。

 

セプク出来るならしたい程に情けなかった。だけど怯える自分はセプクもケジメも出来ないに違いない。自身の惰弱ぶりに自信全てが消え失せた。それでも自分の中に残ったのは、恐怖を越えて家族を守るあの背中。だからイーヒコはシンヤに頼み込み、デント・カラテを教わり始めたのだ。

 

「そうか、そうだな。ビビって何も出来ないのはキツイよな」「……うん」手渡された黒錆色のハンカチで滲む涙を拭いイーヒコは頷いた。シンヤは最初から動けた類の人間だ。だから弟の気持ちが判るわけではない。だが、家族が目の前で踏みにじられようとしている時に身動き一つとれないとしたら。

 

そして、それが自分が弱かったからだとしたら。イーヒコの覚えた後悔と屈辱は想像するに難くない。兄としてそれを拭う手伝いくらいはしてやりたかった。「だったら、基礎カラテと一緒に経験を増やすことだ。つまり実践と実戦だな」「ヨタモノとケンカとか?」「そいつはまだ早い」

 

(((さて、ヨタモノのケンカでも見物させるか? いや、暴力に対する心構えができていない。それにデント・カラテを修めきってない俺より、センセイの元でカラテを積むべきだ。ならドージョーに話を持って行くか? けど、ソウカイヤに手繰られる危険がある。それにどの顔晒してヒノ=サンに会えば……)))

 

さてどうするかと、シンヤは一人思考に沈む。「シン兄ちゃん、晴れたよ」何時しか雨は止んでいた。顔を覗かせたドクロの月は全て無駄と二人の姿を嗤うかの様。ニタつく白けた月へと獰猛に笑い返すとシンヤはジューウェアを羽織った。努力は着々、結果を御覧だ。「じゃ、続きやるか!」「うん!」

 

【フィールドデイ・イン・エブリデイ】終わり

 


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