鉄火の銘   作:属物

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序章【フィールドデイ・イン・エブリデイ】#2

【フィールドデイ・イン・エブリデイ】#2

 

眠りを知らないネオンに照らされる重金属酸性雲は、今日も壊れたTVノイズの色合いだった。降りしきる重金属酸性雨は細い路地裏の上に架かるケーブルから規則正しい雨だれを響かせている。メインストリートの猥雑な夜景が照らす路地裏は、薄明かりと雨のリズムでどこかゼンめいた感傷を感じさせる。

 

「ハァーッ! ハァーッ!」その感傷を水たまりを踏みしめる音が唐突に乱した。重金属酸性雨に浸食されたコンクリートの水たまりを巻き上げて男が青ざめた顔で走っている。剃り残しの無精ひげに深い隈が張り付いたその顔は典型的なマケグミに見える。だが大きな違いが一つ。

 

驚くことに彼は対酸加工帽子も静電気シールド済みコートも身につけていない。重金属酸性雨が降り続けるネオサイタマで、対策をしないことは緩慢な自殺と同じだ。だが、彼にとっては関係のない話だった。いつか来るかも知れない病死よりも、彼の背を追う者の方が遙かに恐ろしいのだから。

 

彼は企業ゴシップ専門のフリーライターだ。会社がひた隠す闇を暴き社会の制裁を与える第四の権力の使者……と自称しているが、実際は反撃の望めない中小企業を食い物にするハイエナジャーナリストに過ぎない。ここの処は手頃な獲物が見つからず、低俗誌出版社に駄文を押しつけて口に糊する毎日だった。

 

ドンブリ・ポンの虹色マグロ・ドンブリにも嫌気がさして、集めたネタでゆすりたかりに手を出そうかと考えていたある日。とある急成長する新興派遣企業の求人から彼は金のニオイを嗅ぎ取った。過労死前提を偽る労働条件、重役専用の特別な福利厚生、未経験者優遇の裏にある自我研修。

 

どれもこれもネオサイタマではチャメシ・インシンデントな社畜募集広告でしかない。それ故、彼は逆説的に急成長を促した「何か」の存在を感じ取った。会社周りを毎日うろつき回り、社員にギリギリ合法な取材訪問を繰り返し、日刊コレワの三面にも載らない噂話をかき集める。

 

そして遂に彼は深淵に隠された真実を見つけた。それは業界の再編成が生じるだろう超弩級の厄ネタ。人生史上最上級のゴシップを得て彼は震えた。社会正義の味方という自称が真実となり、マケグミの自分がヒーローとなれるのだと。だがコトワザにあるように、井戸の中身を覗きすぎれば落ちるもの。

 

深淵は既に彼を見つけていた。徹夜で厄ネタをまとめ終えてケモビールを煽ったその時、窓向こうの目と合った。非人間的な体温のない目。PVCとガラスの目。絶叫と共に書類を投げ出し、何も身につけずに路地裏へと駆けだしていた。彼の生存本能は優秀だった。「全部捨てて逃げろ」と肉体へ命じたのだ。

 

(((あんなものあるはずがない。こいつは夢だ、フィクションなんだ。そうだ夢だ。目が醒めれば、部屋で酔い潰れているんだ)))彼は泣き出しそうな心境で現実を否定する。いや、実際に泣いている。鼻水を垂れ流し、口から泡を吹き、涙をこぼしながら走っている。

 

頼みの綱だったIRC携帯端末はずぶ濡れで沈黙したままだ。停止前に送ったSOSが届いたのか彼には知る由もない。端末を故障させた重金属酸性雨は今度は彼の命を止めにかかっている。最初は冷たいだけだった雨だれは、いつしか肌に触れる度に激痛を放ち、飛沫を吸い込んだ喉は焼けるように痛む。

 

だが、それでも彼は足を止めない。彼を追う目をそれほどまでに恐れているのだ。恐怖に駆られて振り返る度、ゴミ箱の影に、電柱の後ろに、閉じた窓の奥に、闇と同色の影を見る。いつ暗がりから出てきて自分の喉をかっ切るのか。深淵からあの目が見ている。俺を見ている。

 

俺を殺すために、サンズ・リバーの向こう側へと送るために、足音を立てずに俺の後ろからやってくる。あんなことしなけりゃよかった。しなきゃよかったんだ。名誉がなんだ。ヒーローがなんだ。命あっての物種だ。生きてたって何にもいいことなかったが、死んだら悪いことすらないのだ。

 

彼は後悔した。名誉欲と英雄願望に目が眩んだことを。親の小言を聞かなかったことを。会社の闇に手を出したことを。センタ試験の勉強をせずマケグミになったことを。正義の使者と欺瞞の大口を叩いていたことを。これまでの人生を。何もかも全てを。ソーマトリコールめいて思い返してもう一度後悔した。

 

雨足が急激に強まり視界が曇る。狭まった視界は足下のコンクリートブロックを隠し、足を引っかけさせた。雨に濡れた路地裏に体を打ちつける。立ち上がろうとするが、長い間重金属酸性雨を浴びたためか両手に力が入らない。仰向けになって、腰を落とすのが精一杯だった。

 

恐怖と苦痛、そして緊張の連続で半ば放心状態に陥った彼は、ぼんやりと両手を眺める。両手を見てみると重金属酸性雨に焼かれて水膨れた肉は衝撃に潰れて抉れている。他の所もさほど違いはないだろう。放っておけば命を失うのもそう遠い先の話ではない。だがそれより早く死は彼の背中に追いついた。

 

街頭ボンボリの光が陰り、彼は呆けたまま視線を上げた。目があった。PVCで出来た体温のない目があった。彼の中の全てがちぎれ飛び、彼は掠れた絶叫を上げた。「アイェェェ……」もはや彼の恐怖を感じるべき精神は焼き切れていた。だが、それでも彼は声を上げざるを得なかった。

 

なぜなら、彼の生存本能が恐怖し、彼の細胞が恐怖し、彼の遺伝子が恐怖したのだ。たとえ彼がフィクションで『それ』を知らずとも、彼は声を上げていただろう。本能に、細胞に、遺伝子に刻みつけられていたのだから。その恐怖は……ニンジャの恐怖は!

 

「ナンデ! ニンジャナンデ! アイェェェーェェェ!!」喉よ涸れよと泣き叫ぶ彼を無感動に見つめ、黒一色のニンジャは異形の長得物を振りかぶった。弱者を踏みにじる喜悦も圧倒的強者としての優越感もその目にはない。あるのはただバイオゴキブリに殺虫剤を振りかけるバイト店員めいた義務感だけだった。

 

そしてニンジャは異様な長物を事務的に振り下ろす。彼の頭は腐ったトマトめいて潰れる、筈だった。「イヤーッ……!?」だがそうはならなかった。彼とニンジャの合間に突き立った投げヤリが、武装の描く円弧を阻害したのだ! カラテ条件反射に従いニンジャは即座に回転ジャンプで距離をとる。

 

そうして出来た空間の隙間に、もう一つの影が降り立った。黒一色のニンジャによく似た色合いの、しかし別物である黒錆色をした影。闇夜を人型に切り取ったかのようなシルエットに、赤錆めいたメンポが不吉な月食めいて浮かび上がる。メンポ。そう、メンポだ。つまり影もまたニンジャなのだ!

 

黒錆色のニンジャは先手を打って両掌を合わせた。「ドーモ、初めまして。コネ・コム社特殊案件対応要員のブラックスミスです」「こちらこそ初めまして。ハケン・ヘゲモニー社雇用エージェントのダーティウォッシュです」ブラシめいた異形の武器を縦に構えて返礼するダーティウォッシュ。

 

僅かな驚きと興味。熱のないその目に初めて感情の色が浮かんだ。「ほう、コネ・コム。ほう、なるほど。新興派遣会社が四季報ランキングを駆け上がった背景には企業ニンジャの存在があった訳か。しかし何故邪魔をする?」「仕事だ」年季の入った嗄れ声に、若い声音は端的に切り返す。

 

「ほう、この実際安いドブネズミはお前たちの周りも嗅ぎ回っていたというのに、なんともマジメなことよ」「依頼も果たす、儲けも上げる、給金も頂く。やることはやるさ、サラリマンなんでね」ブラシ槍を弄ぶダーティウォッシュに軽口を返しつつ、ブラックスミスは後ろも見ずに何かを投げる。

 

それは突き立つと同時に一瞬で広がり、降り注ぐ重金属酸性雨からジャーナリストを守った。クナイの骨組みと装束の皮膜で作られた黒錆色のパラソルを興味深そうに眺めるダーティウォッシュ。「ほう、感心感心。ジツも中々。我が社に転職する気はないか?」「暗黒コーポで奴隷労働は御免被る」

 

スカウトに対するブラックスミスの返答にはニベも素っ気もない。肩を竦めたダーティウォッシュは漆黒デッキブラシを構え直した。「ほーぅ、慈悲を拒否するなら致し方ない。イディオット上司の尻拭いにも飽きた処よ。若人にイクサの機微を教えるのも先人の努め。社則に基づき貴様を馘首してやろう」

 

「弊社はホワイト労働を売りにしていてね。喜んでくれ、アンタにもサンズリバーの渡し賃は出るぞ」「ほう! それはなんとも嬉しいことよ! イヤーッ!」ダーティウォッシュが流水めいて滑らかなヤリ・ドー基本の突きを放つ! 「イヤーッ!」即応したブラックスミスは即席生成ロングヤリで受け止める!

 

「アィェェェ……」黒錆色のクナイ・スピアと漆黒の殺人ブラシが繰り返し火花を散らす。半神的存在が殺し合う超常の光景に、精神と膀胱が緩みきったジャーナリストは泣き声と小便を漏らすばかり。「ほうほうほう! 若いのによく練られたカラテよのぅ!」「そいつはドーモ! お礼は風穴でいいかい!?」

 

楽しげなダーティウォッシュの台詞と、苦みを帯びたブラックスミスの軽口。互いの声音が示すが如く戦局はダーティウォッシュに傾いている。長得物から判るようにヤリ・ドーに長けるダーティウォッシュに対し、小器用にクナイ・スピアを扱ってはいるがブラックスミスは至近距離のデント・カラテ専門だ。

 

「しかし武器のカラテは少々足らぬな!」「言われなくとも判ってる!」出来ることなら懐に飛び込み、カラテパンチ連打で粗挽き肉にしたい処。しかしこと狭い路地裏ではリーチに優れる重金属メタルブラシが圧倒的に有利なのだ。故に得意でもないヤリの間合いで不利なイクサをせざるを得ない。

 

焦れる若ニンジャの心境を読みとった老練なヨゴレニンジャはブラシの柄を捻る。「そしてイクサの経験も不足よ!」キィィィィンッ! 途端に響く高速回転音! ブラシに仕込まれたマグチ電動機の小型高出力モータが、先端部をドリルめいた速度で回転させたのだ! 更に壁面清掃の動きでブラシを大きく回す!

 

擦り付けられた先端部がフライホイール・カタパルトめいて加速! テックの回転運動にカラテの直線運動を加えた殺人螺旋運動直突きがブラックスミスめがけ突き出された! 「イヤーッ!」「ヌゥーッ!」想像外の速度と軌道に反射的にブレーサーで受け止めるブラックスミス! ビリヤードめいて水平に滑る!

 

耳障りな音と共に火花が飛び散る! おお、高速回転する重金属ブラシがブレーサーを見る見る削っていくではないか! ニンジャ筋力で撥ね跳ばそうにも回転圧力で身動きがとれず、下手に退けば次なる突きで顔面を擦り下ろされる。スピアをコンクリに突き立て圧力に耐えるが、最早状況はオーテ・ツミか!?

 

勝利を確信したダーティウォッシュは乾いた笑声をあげる。逃れようなどなく後は死を待つだけ。必勝の形だ。「ほう、何とも幸運なことにハイクを詠める時間はあるようだぞ」「そいつはチョージョー。感動的なやつを考えておいてくれ」だが見よ! ブラックスミスの目には諦めの色どころか焦りすらない!

 

ニンジャ第六感に従い老獪なダーティウォッシュは警戒を強める。だが! なんと! 「イヤーッ!」「ナニーィッ!?」回転ブラシを受け止めたままブラックスミスの両腕が脱皮したではないか!? フシギ! 積み重ねたイクサ経験値すら越える異常光景にダーティウォッシュの意識に刹那の空白が生じる!

 

それはニンジャのイクサにおいては決定的な一瞬だ! 「イヤーッ!」その一瞬の合間にブラックスミスは両腕の距離まで間合いを詰める! 残像めいて取り残された両腕を回転ブラシが粉々に砕くが既に意味はない。しかし脱ぎ捨てられた両腕から舞い上がる黒錆色の繊維片はトリックの正体を教えていた。

 

ニンジャ洞察力の持ち主ならばこのカラクリにお気づきだろう。ブラックスミスはユニーク・ジツであるタタラ・ジツで生成したロクシャク・ベルトを地面に突き立てるクナイ・スピアと両腕に結びつけて固定。そしてニンジャ小手内部に装束繊維を増産し、最小限の摩擦で両腕を引き抜いたのだ!

 

これはヘビ・ニンジャが用いたモヌケ・ジツか? 或いはセミ・ニンジャのウツセミ・ジツ? 何にせよ戦況はリバーシめいてひっくり返された。既に二人はヤリ・ドーの距離ではなく、デント・カラテの間合いにある! 「イヤーッ!」ダーティウォッシュは持ち手を変えて、コンパクトな連突きで対処を試みる!

 

だが、それよりもデント・カラテの鉄拳は遙かに速い! 「イヤーッ!」「グワーッ!」カラテパンチが右肩間接を射抜く! 衝撃に漆黒デッキブラシを持つ右手が緩む! 「イヤーッ!」「グワーッ!」カラテパンチが左肩間接を射抜く! 衝撃に漆黒デッキブラシを持つ左手が緩む!

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」カラテパンチが胸骨と心臓を打ち抜く! 衝撃に意識が遠のき、両手から漆黒デッキブラシがこぼれ落ちた! 無防備となった漆黒の人影めがけ最期の一撃が放たれる! ドオン! 「イィィィヤァァァッ!!」「アバーッ!」轟く衝撃音と共にダーティウォッシュは水平に吹き飛んだ!

 

必殺の一撃を受けダーティウォッシュはボールめいて路地裏を撥ね跳ぶ。重金属酸性雨を弾き飛ばしながら滑る体を、額を揉むブラックスミスの靴裏が強制停止させた。ダーティウォッシュは血を吐き痙攣する。「アバッ、ハイクを、詠むのは、ワシ、か」「ああ、そうだ。ダーティウォッシュ=サン」

 

「尻拭イ/果テニ、我ガ血ニ/汚レ死ヌ……いつか、お前も、こう、なろう」「最期は家族に見守られての、タタミ上で大往生と決めている」汚泥の底で幾多のジゴクを見てきたヨゴレニンジャはハイクと共にノロイめいた予言を告げる。しかし、それはブラックスミスの鋼鉄な信念を傷つけるには能わない。

 

光を失う両目に驚愕と羨望が瞬く。「ほぅ……! それは、何とも、羨ま、しい、ことよ。カイシャ、ク、を」「イヤーッ!」ブラックスミスのカワラ割パンチがダーティウォッシュの顔面を打ち抜いた。「サヨナラ!」ニンジャソウルの爆発四散に拭われて、泥めいた皮膚感覚が虚空に溶け消える。

 

流れ去る感覚を見送ったブラックスミスは額の中心を押さえた。キャンプ防衛戦以後、ニンジャを相手取る度に現れる額の裏を引っかく違和感も消えていく。眉根を揉みつつ、死体の隣に立て掛けた鋼鉄ブラシに弔いを意味する黒布を結びつけた。約束通り黒布には六枚のトークンを包んである。

 

これでカロン・ニンジャの渡し船に乗れるだろう。「ナムアミダブツ」ブラックスミスはしめやかにブラシと屍に掌を合わせた。だが、一度ニンジャソウルを宿した者に安らかな死後が待つ筈もない。人間を止めてニンジャとなれば共感を失い慈悲を捨て去り人間性すら容易く手放す。

 

行き着く果てはジゴクか虚無か。何にせよブッダの慈悲はあり得ない。自分とてヨタモノやヤクザとは言えモータルを手に掛けておきながら、一片の後悔すら感じていないオバケの類。つまり、これは自己満足の為の独りよがりな儀式だ。

 

それでもブラックスミスは、シンヤはこれをやめる気はなかった。ニンジャと成り果てて共感や慈悲は失ったが、礼節も感傷も家族もまだ手の内にある。仮にもアイサツを交わした相手に唾を吐きかける趣味はない。最後の最期まで家族に恥じない自分であり続けるつもりだ。

 

「で……これ、どうしようか」「イヒヒッ、すくーぷだ。イヒッ、ひーろーだぞ」簡単な弔いを終えて振り返ってみれば、依頼人のニューロンは恐怖で完全に焼き切れていた。この様からどうやって依頼料を回収するのか。テングの国の住人を前に、シンヤはイクサよりも深いため息をついた。

 

【フィールドデイ・イン・エブリデイ】#2終わり。#3へ続く。


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