鉄火の銘   作:属物

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堕ちなし意味あり山場なしですが新章開始です


第三部【快銘乱麻を断つ】
序章【フィールドデイ・イン・エブリデイ】#1


【フィールドデイ・イン・エブリデイ】#1

 

「ドーモ、コネ・コムです! 労働力をお届けに参りました!」マニュアル化された快活を響かせリクルートスーツの青年が勝手口のドアを開いた。水揚げマグロの目をした事務員が胡乱げに見つめる。数秒を経てようやくニコニコを顔に張り付けた年若い青年が派遣会社に依頼した期間労働者であると理解した。

 

この豆菓子製造会社「セック」は年4回のセツブン・ポイント向けの炒り豆に特化している。それ故に繁期と閑期の差が極端に激しいのが特徴だ。今は繁忙期の最盛であり、ほぼ全員が24時間残業をこなしている。事務員もここ1週間ほどまともに寝た記憶がない。2日前から紫の老婆が肩に乗ったままだ。

 

「エー、契約書はこれですね。作業はマニュアル読んでください」「判りました!」説明する気力もない事務員は受け取った労働契約書を一瞥もせずにフォルダに放り込んだ。自己啓発テキスト通りにハキハキ答える声が脳に響く。パルサーからの深海落語を語る老婆と合わさり酷くウルサイ。

 

工場へと向かう労働者を後目に死んだ目の事務員は仕事に戻った。事務UNIXに手書き紙データをタイプする苦行はいつ終わるとも知れない。繁忙期始めはネオサイタマ・トレンディのパンプスを買おうとか、オキナワ旅行をしようとか欲望を色々と膨らませていた。だが今はただ眠りたい。

 

きっと今なら快眠を理由に人を殺せる。眼前で竜脈とインターネットの神秘的交合を合唱しだした紫婆三匹を手を振ってかき消した。限界はとうに超えた。さらに越えねばならない。違法スレスレの激辛カキノタネをバリキドリンクで流し込み、彼女は再びUNIXのCRT画面に舞い戻る。

 

カタカタカタ……。蛍光緑の文字列が蠢くガラス面に波紋が走り、オーロラ色の論理ニシキゴイが跳ねては腐った飛沫をとばす。ドブ色ガラスの水滴を防ごうとするが、確率論的に偏在する手を扱いきれない。紙面にかかった半透明の染みは手書き文字とゲシュタルト崩壊してこちらを見つめている。寝たい。

 

「作業終わりました!」紫老婆共のビジネス三角関係を聞き流す彼女の脳味噌を耳障りに元気よい声が刺し貫いた。炒り豆袋詰め熟練労働者が比較にならないほど早い。自我研修を仮定しても異常である。だが過労と徹夜のタッグで機能停止寸前になっていたニューロンが理解できたのは字面だけだった。

 

終わり? 寝ていいの!? 寝ていいのね!! 寝よう。キーボードに突っ伏した彼女の肩を労働者が揺すぶる。「スミマセン、完了のハンコお願いします」「自分で捺して」寝かせろ。海岸に乗り上げて自決を図る汚染イルカめいた捨て鉢さに、労働者も何か思う処があったのか無記名の契約書と筆を差し出した。

 

「追加の契約をして頂けるならタイピング労働もやりますが?」何も言わずに筆をひったくり、彼女は契約書に名前をショドーした。スズリから墨が飛び散るがそんなことはどうでもいい。後で上司から減俸を言い渡されるかも知れないがそれもどうでもいい。こいつに押しつければ寝れるのだ。

 

「オネガイシマス」「ハイヨロコンデー」手書き用紙の山をスライドさせ終えると同時に彼女は床に崩れ落ちた。即座に響きだしたホワイトノイズめいた超高速打鍵音も、シュレッダー投入速度で高さを減じる紙山も彼女の意識にはない。あるのはリノリウム床の冷たさと眠りの闇に落ちる開放感だけだった。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

ガラスのショウジ戸を開けば我が家の香りが鼻をくすぐる。つまりソバの臭いだ。カナコ・シンヤが両手に抱えた荷物を床に置き合成革靴を揃えていると、カッポギ・エプロンで手を拭きながらキヨミが姿を現した。「キヨ姉、ただいま」「シンちゃんおかえりなさい、お仕事ご苦労様。それは?」

 

疑問を帯びた視線の先には巨大サイズのデラックス炒り豆詰め合わせがある。「派遣先で追加の仕事とトラブルがあってね、こいつはオワビに貰ったんだ」トラブルの内容は炒り豆ライン部門長に追加仕事のタダ働きを強要されたことと、部門長を締め上げすぎて失禁させたことである。別に嘘は言ってない。

 

年が年だけにフレッシュ新入社員よりも親のスーツを着せられたハイスクール生に見えるシンヤは、ルポライターに付き纏られたり、派遣先に給金を渋られることが多い。今回も年齢を理由に給料をDX炒り豆セットで誤魔化されかけ、支払いを求めると労働基準年齢違反でコネ・コムを訴えると脅されたのだ。

 

当初の契約内容の炒り豆袋詰めと自主的に申し出たタイピング肉体労働は兎も角、トラック積み上げ作業、書類整理、工場清掃までやらせておいてこの仕打ち。部門長を捻る手と睨む目にも力が入ろうというもの。思わずご自慢のアルマーニ(偽物)のズボンが失禁で台無しになるまで締め上げてしまった。

 

お陰でオフィス清掃まで追加労働する羽目になったのは間違いなく自分のウカツだった。まあ、給料のほかにオワビとしてデラックス炒り豆詰め合わせを両手一杯に貰えたから今回は良しとする。果てなく続く毎日のソバ料理に疲れた子供たちにはこれが救いのカンロとなるだろう。

 

「「「ただいまー!」」」「おう、おかえり」「皆、おかえりなさい」噂をすれば影法師と勝手口から小さな影が三つ飛び出した。防弾ランドセルを投げ捨ててPVCレインコートを脱ぎ捨てるのはイーヒコ、ウキチ、エミの三人。言うまでもなく家族であるトモダチ園の子供達だ。

 

なお、オタロウはまだ未就学で中学生のアキコはまだ学校である。「シン兄ちゃん、これなに? 食べていい?」「炒り豆だよ。食ってもいいけど飯の後な」挨拶もそこそこに玄関脇に置かれたデラックス炒り豆詰め合わせに真っ先に気づいたのは、食欲を人生の主題としているウキチであった。

 

「やった! じゃあ、俺ショーユ空豆もーらい!」ぐっとガッツポーズを決めるウキチは間髪入れずに大入り袋へと手を突っ込む。「ズルイ! アタシ、チョコ小豆ちょうだい!」「コーヒ大豆ある?」思い思いに騒ぎ立てながら他の二人も早取り競争にすぐさま参加する。

 

「アキコちゃんとオタロウちゃんの分も忘れないでね!」「「「ハーイ」」」散々に詰め合わせをかき回す子供達には、キヨミの注意も聞こえているのかいないのか。苦々しいというには少々甘口のため息をつくシンヤ。その袖をエミが引っ張った。「ねえ、シン兄ちゃん。オジチャンの分も貰っていい?」

 

「ああ、好きなのもっていきな。仏殿に供えるなら住職さんに一言告げてからな」「うん!」キャンプ襲撃で慕うワタナベを亡くしてからエミは長らく鬱いでいた。だが学校に通うようになって漸く消化できたのか、今までの明るさを取り戻しつつある。こうして自ら弔いができるのもその兆候だろう。

 

エミの後ろで好みのフレーバー炒り豆を手に入れて意気揚々なウキチ。「キヨ姉ちゃん、晩ご飯何?」「焼きオソバよ」その顔が目に見えて沈んだ。ここ数ヶ月ソバ以外の主食を食った覚えはない。トモダチ園の頃からゴハンと言えばソバだった。その内、食事と書いてソバと読むようになるだろう。

 

「また~!?」「スシ食べたい!」「せめてソバ以外で……」完全に飽きが来ている子供達の口から非難の声が漏れるのも当然だろう。しかし貼り付いた笑顔のキヨミはそれを許さない。「オソバはね、とても美味しくて、沢山食べれて、体にいいの。すごくいい。い い わ ね ?」「「「アッハイ」」」

 

瞳孔の開いたキヨミにオセッキョされて、子供たちの瞳が見る見る濁る。思わず顔を覆うシンヤの目も濁りそうだ。どうしてああもソバ狂いとなったのか。ユウジンの経営悪化以来、食材の九割が廃棄ソバになっていたのが原因か。死んだ目で毎日メニューを考えていた日々がキヨミを追いつめたのだろう。

 

しかしダイトク・テンプルに居を移し、コネ・コムに就職してから食事情は大幅に改善されている。亡きワタナベとの約束を守り、浮浪者キャンプ解散後にタジモ村長が立ち上げた派遣会社コネ・コム。『顧客・企業・社員三方向良し』のスローガンを謳うネオサイタマでは絶滅危惧種のホワイト企業だ。

 

シンヤもスペシャリストとして家族全員を養うに十分な給金を貰っている。もう赤字家計簿を気にすることなくソバ以外も食ってもいいだろう。というかいい加減別のものが食いたい。「あー、皆。そのうちスシでも食いにいくか?」途端に子供達の表情が輝いた。それを見るシンヤの表情も和らぐ。

 

「やった! 俺大トロ食べたい!」「あたし、イクラ・キャビアがいい!」「オーガニック・タラバーカニは?」目の玉が飛び出て静止軌道に達する金額のスシネタを、好き勝手に要求する子供達。シンヤの笑顔が凍り付き、瞳孔が散大した。「我が家にそんな金はない。い い ね ?」「「「アッハイ」」」

 

TELLLLLL! TELLLLLL! 子供達をニンジャ眼力で締め上げていると、モダンレトロな電話が金切り声を上げた。かつては最新を気取っていた古くさい受話器をキヨミが取り上げる。「モシモシ、トモダチ園です……いますが……ハイ、判りました。シンちゃん、カイシャからお電話よ」

 

差し出された受話器を首を傾げつつシンヤは受け取った。追加契約と追加作業の件についてだろうか。それに関しては帰りがけに電話連絡済みのはずだが。「ハイ、モシモシ。カナコです。書類は明日提出予定「至急、N要員が求められています」被せられた電話オペレーターの声にシンヤの台詞が止まった。

 

「ハイ、場所は………ハイ、捜索も……ハイ、ヨロコンデー」事務的で端的な遣り取りは瞬く間に終わった。受話器を戻した合成皮革靴に足を戻す。「またお仕事なの?」「ああ、急ぎなんだ。スマンけど食事は先に済ませてくれ」苦々しく歪んだ表情をシンヤは安心の微笑みに無理矢理戻して答えた。

 

フェイクレザーを突っかけるシンヤにイーヒコから焦りを帯びた声が飛ぶ。「シン兄ちゃん、約束は!?」「帰ってからでカンベンな! いってきます!」しかし余程急ぐ用件なのかおざなりに返すとシンヤは玄関から飛び出した。「「「いってらっしゃい!」」」家族の声を追い風にしてシンヤは走り出した。

 

「やる気の起きない仕事だな、ホント」ぼやく声も降りしきる雨も置き去りに、影は一歩また一歩と加速する。ギアを上げる度にその姿は輪郭を失い暗がりへと溶けていく。超自然の繊維が絡みつき、シルエットは闇の色合いに染まる。そして遂に闇と一つになる瞬間、影の口元を赤錆めいたメンポが覆った。

 

「イヤーッ!」黒錆色の装束を纏ったシンヤ……すなわちニンジャ『ブラックスミス』は超常の速度で跳んだ。降り注ぐ重金属酸性雨を残像を残しながら、ネオサイタマの夜を黒錆色の風が吹き抜けていく。しめやかに、密やかに、音もなく、迅く。

 

【フィールドデイ・イン・エブリデイ】#1おわり。#2へ続く


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