鉄火の銘   作:属物

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エピローグ【フォーチューン・ウィーブ・エピローグ・フロム・ティアーズ】#1

【フォーチューン・ウィーブ・エピローグ・フロム・ティアーズ】#1

 

目が覚めた。酷く息苦しい。何度呼吸をしても酸素が体に入ってこない。まるで肺が半分になったようだ。二日酔いと悪夢の二倍掛けで吐き気が胃を掴んでいる。二度と思い出したくないような最低の夢だった。だが夢は夢だ。後輩の説得でオハギは絶った。現実ではない。

 

再就職祝いにしこたま飲んだサケが残っている。頭痛の鐘を散々鳴らして抗議する体を無視してフートンから身を起こす。元後輩の家でサケに潰れていつまでも寝ころんでいる訳にはいかない。重い頭を振って二日酔いを振り落とそうとしていると、薄暗い部屋に光が射し込んだ。

 

『オジチャン、起きたの? ダイジョブ?』開いたフスマの隙間から、心配げに小さなシルエットがのぞき込んだ。ダイジョブだと笑ってみせる。ちょっと夢見が悪かっただけさ。それでも不安は晴れないのか幼い影は近寄って来た。『すごくうなされてたよ。そんなに怖い夢を見たの?』

 

(((オジチャン、ヤメテ! コワイよ! ヤダ、ヤダ、ヤダ!)))『オジチャン……?』薄暗がりの中で怯えるように不安がる顔が、最悪の夢と重なる。否、夢と現実がひっくり返る。夢は現で、現実こそが夢幻。オハギも殺人もやめる事はできず、この子に触れた手は抱きしめることなくその首を手折った。

 

罪の記憶のままに首に手を伸ばした。柔らく暖かで、そして脆い命。だが、それは記憶からもう一つをも呼び起こした。(((オジチャンは! オジチャンは! 優しい人だもん!!)))『俺はオハナちゃんに……お父さんにもお母さんにも、酷いことをしたんだ』溢れた声も涙も震えていた。

 

『痛かったよな……怖かったよな……』ずっと逃げてきた。だから言えなかった。偽りの記憶で塗り固め続けて弔いすらできなかった。『ごめんよ、ごめんよ、ごめんよ! ゴメン、ゴメン、ゴメン……」アンコと殺人の快楽に逃げ続け、一度も口に出せなかった言葉。

 

だが胸の内でくすぶっていた謝罪の言葉は、漸くその口から解き放たれた。ワタナベは不意に気づいた。寄り添ってくれているのが、自分が手に掛けたオハナでないことに。「私はダイジョブだよ。オジチャンのお陰でダイジョブだよ」それが最後まで自分を信じてくれたエミであることに。

 

ワタナベを安心させようと泣き顔を必死で堪えて、エミは小さな両手で大きなヨージンボを抱きしめる。「エミ、ちゃん」全身から命が抜け落ちていくのがわかる。あと少しだけ動いてくれ。祈るように腕に残る力全てを込める。バイオアリを殺せないほど弱く、バイオスラッグより遅い。それでも動いた。

 

「アリ、ガト……サヨ……ナ……ラ」小さな体を弱々しく抱き返す。柔らく暖かで、そして脆い命。自分が救えた、自分を救った命。視界はとうに真っ暗で、耳も無音に塗り潰されていく。(((カラダ……ニ……キヲ……ツケ……テ……ネ)))最期の言葉は伝わっただろうか。ああ、君の未来に幸多からんことを。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

ポク、ポク、ポク「ナ~~ム、ア~~ミ、ダ~~ブツ~~。ナ~~ム、ア~~ミ、ダ~~ブツ~~」ダイトク・テンプルのお堂に、メトロノームめいたモクギョビートとネンブツチャントの独唱が響く。モクギョを叩きネンブツを唱うのは、ボンズ擬きと内心シンヤが呼んでいたダイトク・テンプルの住職だ。

 

「ナァ~~~ムゥ~~~~」しめやかに奥ゆかしく死者を送る古式に則ったソウシキ故に、ネンブツとモクギョは厳かながらも単調で強烈に眠気を誘う。だが、寝息を立てているような無関係者はいない。正座で並ぶキャンプ住人は皆、赤く腫らした目で遺影となった防衛隊集合写真をしかと見つめている。

 

「ショーコーを」「ハイ」住職の合図を受けて立ち上がったタジモ村長がセンコに火を点す。センコから立ち上る煙は死者をアノヨへと導くという。キューカンバー馬とナス牛に乗り彼らは天の国へと向かう。ケミカル合成センコとバイオ野菜とは言え、そこに込められた思いに違いはない。

 

リー先生とナンブ隊長が村長に続きセンコを立てる。一つ、また一つとセンコが灰の器に並んでいく。センコの数は故人を忍ぶ人の数だ。だから街頭でセンコを立てて貰うように依頼するソウシキもある。だが、このソウシキでその必要はない。キャンプの全員が想いを込めてセンコを立てている。

 

厳粛にショーコーは続き、トモダチ園の番が巡ってきた。普段は騒がしい子供たちもこの時ばかりは騒ぐ様子もなく、亡くなった人々のためにセンコを立てて両手を合わせる。「……ねぇ、シン兄ちゃん」ショーコーを終えて席に戻ったシンヤの袖を、一際赤い目をしたエミが引っ張った。

 

「それは今必要なこと……みたいだな。なんだ?」シンヤは潜めた声で窘めるがエミの真剣そのものの目に叱る声を喉の奥に引っ込めた。「オジチャンは、どうしてゴメンって言ったの?」幼いエミにはワタナベの譫言めいた台詞の意味が判らなかった。その時は自分を危険に晒した事かと思っていた。

 

だが、涙と共に思い返せば思い返すほどにそれが自分に当てた言葉ではないように思えて仕方なかった。でも知りたかった。もしそれが知っている人なら、自分がオジチャンの代わりにその言葉を伝えたかった。だから同じ言葉を聞いただろう兄に答えを聞いたのだ。

 

「……ワタナベ=サンはオハナチャンとお父さんお母さんに酷いことをしてしまったんだ。きっとそれを謝ったんだよ」どう伝えるべきか一瞬言い倦ねたが、シンヤはそのままに告げた。エミはウォーロックの嘲笑う言葉を聞いて尚ワタナベを信じた。それなのに適当な表現でぼやかす気にはなれなかった。

 

「じゃあオジチャンはもう辛くないんだよね? オハナちゃんとお父さんとお母さんと、ちゃんと仲直りできたんだよね!?」どれだけ流しても尽きない涙がまた溢れ出した。(((ちゃんとゴメンナサイを言わないと、いつまでも辛いままだ。それも家族と仲違いしたままでな)))脳裏にエミに告げた言葉が蘇る。

 

幾多のツジギリを重ねた挙げ句、愛した幼子とその両親すら殺したオハギ中毒のフォールンデッカー。数え切れない人々を手に掛けた暴虐なるソウカイニンジャ『インターラプター』。ジゴク行きは道理だろう。だがそれを知っても『サカキ・ワタナベ』の死をキャンプの誰もが惜しみ誰もが悼んだ。

 

「ああ、そうさ」胸に押しつけられたエミの頭を優しく撫でる。「ワタナベ=サンは今、安らかなんだよ」エミの涙と共に、シンヤの胸に暖かいものが染みていく。読経の声に混じり一つ、また一つとすすり泣く声が増えていった。

 

【フォーチューン・ウィーブ・エピローグ・フロム・ティアーズ】#1終わり。#2へ続く


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