鉄火の銘   作:属物

40 / 110
第八話【ハート・キャント・ダイド・ブラック】#1

【ハート・キャント・ダイド・ブラック】#1

 

パ ァ ン

 

水が弾けるような、あるいは手を打ったような音だった。そう聞こえたのは道理だろう。弾け飛ぶ人体の八割は水分で、拳が着弾したのは肉体なのだから。超音速の衝撃を伴う剛拳は、柔らかなトーフめいて肉も骨も粉々に吹き飛ばした。無数に千切れた肉片と高らかに吹き上がる血潮が真っ赤な雨を降らす。

 

溢れかえる赤は命の色であり、まき散らされたそれは逆説的に明確な死を表現している。辺りに降り注ぐ緋色の量は、一般的成人男性の体積に匹敵しているだろう。だからそれは、被害者の命が尽きたと明言している。だからそれは、被弾者の肉体が原形を留めていないと断言している。

 

だからそれは……呆然と降りしきる血の雨を見上げた、”無傷”のエノモト・エミの生存を表していた。そう、無傷! 元ソウカイ・シックスゲイツ筆頭の狂乱ニンジャ『インターラプター』が全力で拳を振るったというのに! キヨミが、コーゾが、その身を捨てて子供達を守りきったのか!? 

 

否。女性一人、男性一つ、高々二つの肉体だけで防げるほどタタミ・ケンは甘くはない。ならば、何故? 「アァ、アバッ」それは脳漿をこぼしながら退くインターラプターが示していた。殴りつけた筈の拳も腕もひしゃげてへし折れ、上半身の半分がバイオ生物に食い破られた様に吹き飛んでいる。

 

事の一瞬をニンジャ動態視力の持ち主が見たならその目を疑っただろう。拳を振り抜く刹那、『インターラプター』の目に灯った人間性の光を目の当たりにして! そして……ALAS! 半身粉砕を代償に『ワタナベ』が成し遂げた、人体構造学上不可能なタタミ・ケンの180度ベクトル転回を目にして! 

 

……嘲うウォーロックに肉体を奪われ、守るべき人々を手に掛けさせられた。魂を踏みにじる後悔と悲嘆の中、泣きじゃくる子供へと拳を振るおうとする自身を見せつけられた。それに血とアンコで描かれた、あの夜の絶望の再現。だが全てではない。助けを呼ぶエミの声は確かにワタナベに届いた。

 

故に約束は、エミは守られた。(((約束を、エミちゃんを必ず守るよ)))トモノミ・ストリート浮浪者キャンプのヨージンボー『サカキ・ワタナベ』は、その命を以てソウカイ・ニンジャ『インターラプター』の魔の手から、幼いエノモト・エミを守ったのだ! ゴウランガ! ゴウランガ! ゴウランガ!! 

 

想像を超えた光景に誰も理解が追いついていない。突然取り払われた確実な死に、トモダチ園の誰もが呆然としている。それはニンジャ達も同じ事。血を吐きながらチョップを交わしていたニンジャスレイヤーもスクローファも、半死半生のまま悲劇を待ち望んでいたガルスも惚けるばかり。

 

違うのはただ一人だけ。ボロクズになった黒錆色のニンジャ装束からは血が滴り、ひしゃげた赤錆メンポからは苦痛の荒い息が漏れる。スリーステップ・ジツを食らい記憶も名前も喪った。立つ理由も戦う意味も消え失せた。なのに! だと言うのに! 「シンちゃん……!」『彼』は家族を背にして立っている! 

 

記憶を取り戻した訳ではない。ジツは未だ効果を及ぼしている。『彼』は自分が立っている訳すら理解できていない。(((何を寝ている!? カラテパンチ千本追加! さあ、立て!)))だがその耳には叱責の声が響いていた。声の主も台詞の意味も、記憶を失った『彼』には一つたりとも判らない。

 

しかし、肉体は何千何万と繰り返した正解を教えてくれた。例え記憶を失おうと、その血肉はカラテパンチを覚えている。(((拳を握れ!)))例え過去を消されても、その拳はカワラ割りパンチを覚えている。(((カラテを構えろ!)))例え名前を奪われようとも、その細胞はデント・カラテを覚えている! 

 

名前とは、自分を明示するものであり、自己を規定するものであり、自身を記述するものである。だが、それならば明示される自分とは、規定される自己とは、記述される自身とは何だ? それは血肉に焼き付いた記憶であり、細胞に積み重ねられた鍛錬であり、魂に刻まれた経験だ。そう、それが! それこそが! 

 

カ ラ テ な の だ ! ! 

 

「アバアァーッ!」エミを救う為に『ワタナベ』は魂を燃やし尽くし、人間性の灯は姿を消した。内臓をまき散らしながら『インターラプター』が捻った半身から残った巨腕を振るう。だが心配はいらない。「イヤーッ!」トモダチ園のヒーローは! もう一人のヨージンボーは! 今ここに立ち上がったのだ! 

 

ドゴム! ザムラ・カラテ攻めの奥義タタミ・ケンと、デント・カラテ基本にして奥義へと至るカラテパンチ。爆音めいた激突音を轟かせて互いの拳が正面衝突する。空間そのものが弾き飛ばされたと思わせる衝撃が、コンクリ片と空気を球形に押しのけた。床に広がる流血が巻き上がり再び血の雨を降らせる。

 

「アバアァーッ!」「イヤーッ!」ドゴム! 即座に二度目の撃音が響きわたる。恐るべきはインターラプター。並のニンジャなら即死確定の重傷でこれほどのカラテを振るうのか! だがそれに応じる『彼』も負けてはいない! 拳に拳を叩きつけ、真っ正面から応じてみせる! 

 

「イヤーッ!」「アバアァーッ!」「イヤーッ!」「アバアァーッ!」「イヤーッ!」「アバアァーッ!」「イヤーッ!」「アバアァーッ!」「イヤーッ!」「アバアァーッ!」「イヤーッ!」「アバアァーッ!」「イヤーッ!」「アバアァーッ!」「イヤーッ!」「アバアァーッ!」

 

息すらつけぬ、瞬きもできぬ、超音速の拳の応酬! 「イヤーッ!」「アバアァーッ!」(((引き手は打ち手以上に速くなさい)))一打ごとにカラテを鍛えた日々が蘇る。「イヤーッ!」「アバアァーッ!」(((考え抜いたカラテパンチを千発打ちなさい)))一撃ごとにカラテを重ねた記憶が舞い戻る。

 

打ち続けるカラテパンチがニューロンを発火させる。(((教えた全てはカラテパンチです)))その度に脳細胞に焼き付けたインストラクションが再生される。(((全ては一撃に収束します)))

 

耳の奥に響く音声と瞼の裏に映る光景は、過去へ過去へと遡っていく。脳裏に浮かぶのはカラテパンチを教わった最初の日。殺人技術であるデント・カラテを教わる意味をオールドセンセイから問われた。

 

『貴方は何の為にカラテを学びますか?』ネオサイタマ、暗黒なエネルギ、ドクロの月。(((理不尽に抗う為です)))名を思い出した記憶から自分の答えを思い出していく。

 

『貴方は何の為にカラテを鍛えますか?』キャンプの住人、トモダチ園、家族。((大切な者を守る為です)))名を取り戻した光景から自分の言葉を取り戻していく。そして最後の問いが、最後の答えが、ニューロンを塗りつぶした忘我を突き破り顕れる!

 

『貴方は何の為にカラテを振るいますか?』デント・カラテ、ウサギの月、ブラックスミス……カナコ・シンヤ! 「ただ、己である為だ!」『彼』は、カナコ・シンヤは、ブラックスミスは自分の名を握りしめて叫んだ!

 

精神を覆っていた白い霧は消え去った。鮮明なる世界の中、ブラックスミスはデント・カラテを構えた。拳は打つべき形を作り、足は立つべき位置を取る。積み重ねたカラテの全てと、取り返した記憶の全てが、がっちりと噛み合って取るべき答えを教えている。ブラックスミスは迷いなくそれに従った。

 

「イィィィヤァァァーーーッ!!」カラテパンチを打つ音も姿も無かった。あるのはシャウトとインターラプターの胸の痕だけ。イアイドーの最高段位者はカタナを腰に帯びたまま相手を両断するという。この一撃は正にそれ。オールドセンセイが編み出した、カラテパンチの極限にしてデント・カラテ奥義。

 

その名を曰く、『セイケン・ツキ』! 

 

ドッ……ォォォオオオンッ! 「アバァァァーーーッ!!」着弾痕から死が全細胞に響きわたる! それはインターラプターだけが聞こえる滅びの歌だ! カラテ衝撃波が荒れ狂い、頑強極まりない肉体を貪り尽くす! 半身に開いた大穴のみならず、目から、鼻から、口から、全ての穴から血という血が噴出する! 

 

「アバッ」溢れかえる血溜まりの中、血の噴水と化したインターラプターは膝を突き崩れ落ちる。ザンシンを続けるブラックスミスと、自分の血に溺れるインターラプターの視線が交差した。(((サヨナラ!)))その目の奥に、紐めいて痩せたニンジャが断末魔と共に倒れる姿を幻視した。

 

インターラプターは……ワタナベはひれ伏し首を差し出す姿勢で倒れた。それはドタンバに臨む罪人か、或いは死を希うドゲザか。「ワタナベ=サン、今まで本当にありがとうございました」ブラックスミスは片膝を突き、その頭めがけ拳を引き絞る。「ダメ!」わき腹に軽い感触がぶつかった。

 

「シン兄ちゃんダメ! オジチャンだからダメ! ダメ!」顔を向けるまでもない。顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしたエミが、ブラックスミスを押し留めようと必死に抱きついている。モータルの子供でしかないエミの目には、襲いかかってきたインターラプターが突然半分になったとしか見えなかった。

 

だが、認識すらできない刹那の中でも、ワタナベが灯した人間性はエミの無意識にサブリミナルめいて跡を残した。だからブラックスミスの言葉で気づけたのだ。『インターラプター』の内に捕らわれた『ワタナベ』が命を捨てて自分を救ったのだと。そして今『ワタナベ』に兄がトドメを刺さんとしている。

 

「ダメ、ダメ、ダメ……」「シンちゃん、お願いだからやめてあげて」「エミ、キヨ姉」泣きじゃくる妹と駆け寄った姉の懇願に、ブラックスミス、すなわちシンヤは構えを解いた。ウォーロックは今のセイケン・ツキで死んだ。もうインターラプターが襲い来ることはない。確証はないが確信はある。

 

そして、再びワタナベが立ち上がることもない。タタミ・ケンのオウンゴールと叩き込まれたセイケン・ツキは、ワタナベの命をほぼ全て奪った。シンヤがカイシャクをせずとも、もう数分と持たないだろう。「オジチャン、オジチャン」エミがシンヤから離れ、倒れるワタナベへと寄り添う。

 

致命傷を負ったワタナベが何かを呟いた。末期の言葉か最期のハイクか、余りに小さく不明瞭な言葉。「私はダイジョブだよ。オジチャンのお陰でダイジョブだよ」応えたエミが血で汚れることなど厭わずにワタナベを小さな全身で抱きしめる。「エミ、ちゃん」節くれ立って堅い手がゆっくりと動いた。

 

自分の血で塗れた手で、弱々しく緩慢にエミを抱き返す。エミを見つめるワタナベの顔は穏やかに笑んでいた。「アリ、ガト……サヨ……ナ……ラ」瞳孔が散大し、全身から全ての力が失せる。湯気めいたエクトプラズムが立ち上り、空中で音もなく爆発四散した。今、ヨージンボーが逝った。

 

「ヒッ……ヒッ……」声も上げられずにエミは泣き崩れる。キヨミはその体を抱きしめ背中をさすった。全ての涙を流しきれるよう何度も何度も繰り返して。シンヤはワタナベの両目を閉じると涙を堪えるように天井を仰いだ。「ワタナベ=サン。貴方の魂が、家族とキャンプの想いに包まれてあるように」

 

「アバッ……間違い、だ」ニンジャ性を乗り越えた人間性の声を否定するように、ほぼ死体のガルスが絶望混じりに呻く。スリーステップ・ジツの効果から脱せれる筈はない。眼差しを賜り、限りなく強化されたスリーステップ・ジツはニンジャからすら名前と記憶を奪い去り、敬虔なる使途へと『名付け』る。

 

それは偉大なる方の慈悲であり審判だ。「アリエ、ナイ……アバー」それを乗り越えるなどあり得てはならない。だからガルスは現実を拒否するほかにない。自分の名前を捨てて『名付け』られたガルスには、もう天使ニンジャとしての役割以外何一つないのだから。

 

「スクロー、ファ=サン、が勝てば」ガルスは残った唯一の可能性である仲間にすがりつく。だがその耳に届くのは絶望だけだ。「アッババババババァァァーーーッ!」同じ天使ニンジャが発する苦痛にまみれた末期の声。それはコロナビールのキャップめいてクルクルと宙を舞う同胞の首が叫んでいた。

 

【ハート・キャント・ダイド・ブラック】#1終わり。#2へ続く


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。