鉄火の銘   作:属物

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第六話【リファインド・マレイス・ロブ・トライアムス】#1

【リファインド・マレイス・ロブ・トライアムス】#1

 

「ザゼンを追加してくれ!」「二つで十分です! 判ってくださいよ!」避難所に仮設された医療テントはパニックの渦中にいた。キャンプ唯一の医者であるロン先生が、患者の見回り中に突然倒れた為だ。ごった返す医療テントの喧噪のせいで発見が遅れ、負傷者の治療は大きく滞ってしまった。

 

多少の簡易医療技術を教えられたとはいえ、臨時看護士は素人に毛が生えたような者ばかり。応急処置なら兎も角、重傷の者には手も足も出せない。根本的な解決が出来ない以上、患者には痛み止めのZBRや鎮静用のザゼンを処方して、意識を失ったロン先生が起きるのを祈るしかない。

 

だから患者の一人が居なくなったことに気づかなかった。ずっと気を失っていたノリタが突如立ち上がって医療テントから姿を消したことと、そして彼のスペースでロン先生が倒れていたことを関連づける者も居なかった。彼がロン先生の首をネンリキで締め上げて気絶させたなど誰一人想像もできなかった。

 

そのノリタは腰を屈めた姿勢で人目を避けつつ堡塁の隙間を縫って駆け抜ける。一流アスリート選手を思わせる、流れる水めいた滑らかな走りぶりだ。これだけの健脚があるならパルクールを覚えてヒキャクに転職する道もあるだろう。だが、ノリタにそんな未来はない。もう彼はノリタではないからだ。

 

哀れなノリタの人格はニンジャ「ウォーロック」の憑依で跡形もなく砕けて消えた。「ええ、よくもやってくれましたね!」過酷な浮浪者生活で年齢以上に老いた顔に浮かぶ、怪物的な憎しみの表情がそれを示している。ウォーロックの脳裏に浮かぶのは、数十秒前に与えられた敗北と恐怖の瞬間だ。

 

「ええ、やってやりますよ!」ニンジャとなって以来、一度たりとも発したことのなかった恐怖の声はウォーロックの心に消えない敗北感を刻みつけた。屈辱という血を流し続けるその傷を癒すには、その下手人であるサカキ・ワタナベの全てを奪い踏みにじるしかない。

 

そのためなら幾つ傷を負っても構わない。迸る激情に身を任せ、トーチカの合間を激流めいて走る。川が海へと至るように道が広場へと至った。そこからは今にもトライハームの二人に飛びかかろうとする三忍がかいま見える。ノリタは鉄砲狭間を足場に焼け焦げた無人の堡塁へと軽やかに駆け上がる。

 

「ノリタ=サン?」隣の堡塁から臨時防衛隊員が知り合いの奇行にいぶかしんだ表情を浮かべる。ノリタは疑問の視線の一切を無視して、積み上げられた土嚢に仁王立ちする。血走った目で彼が見つめるのは只一人、キャンプの全てを守る巨大な背中の持ち主。ヨージンボーのサカキ・ワタナベ。

 

岩石めいたそのシルエットに向けて、憎悪のままにノリタは両腕をつきだした。だが三忍ともノリタの存在に気づかない。紅白ニンジャを確実にしとめるために、全感覚を標的に集中しているのだ。彼らの中ではウォーロックは既に処理された扱いとなっている事もあるだろう。

 

それを知るウォーロックに牙剥く獣めいた笑いが浮かぶ。勝ちを確信した瞬間にこそ最大の隙が出来るものだ。そして何より勝利の美酒に口を付けた瞬間に、それを汚れた地面にぶちまけられるほどの屈辱はない。どちらもついさっき経験したばかりだからよく判る。

 

ノリタは突き出した両手の指を鉤爪めいて硬直させ、視界中心に捉えたソリッドな影法師に爪を立てた。腹の底で煮えたぎる憎悪が言葉となって口から漏れる。「さあ、やってやりましょう! イヤーッ!」「グワーッ!?」ワタナベの口から唐突な苦痛の声が迸った。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「グワーッ!?」突如響きわたる絶叫に誰もが出所を探して眼球を動かす。防衛隊員とキャンプ住人は声の出所であるワタナベへと視線を向けて、ニンジャ達は声を出させた出所を目線で探る。

 

「あれか!」いち早くそれに気づいたのはブラックスミスだった。彼が目を向けたのは、堡塁の上で仮想の粘土をこねくり回すノリタの姿だ。指先だけで想像上の球体を形作るような、あるいは球形のリモコンで遠方のUNIXを操作するような繊細かつ異様な動きをしている。

 

(((引っ掻いている?)))ブラックスミスのニンジャ視力はより正しく指先の動作を見て取った。「イヤーッ!」「グワーッ!?」その指先が掻き毟るのはワタナベの頭蓋、その奥だ。距離も位置関係も無視して立てた爪を動かす度にワタナベが苦しみでのたうち回る。

 

「イヤーッ!」その隙を狙って追いつめられた紅白ニンジャが動いた。片足のガルスはシャウトと共にカカシめいた姿勢で一本足跳躍し、顎を無くしたスクローファは無言のまま大型獣めいて四足歩行で駆ける。「そちらは任せる! イヤーッ!」それを見逃すニンジャスレイヤーではない! 

 

ニンジャスレイヤーはブラックスミスに一声かけると同時にカラテを構えて躍り掛かった。「ハイ、ヨロコンデー!」応えたブラックスミスも即座に異形のスリケンを生成し、弓めいて上体を引き絞る。狙う先は堡塁の上で奇妙に指を動かすノリタだ。それが原因であることは間違いない。

 

「イヤーッ!」ならば、まずは物理的に止めるまで。オーバーハンド投球姿勢でブラックスミスがスリケン・チャクラムを放った。護法童子の車輪めいて高速回転しながらスリケンは虚空を走る。だが、これで自分が死ぬ事すら無視するように、ノリタは迫るスリケンを一瞥もしなかった。

 

「グワーッ!」スリケン・チャクラムがノリタの額に突き刺さった。さらに、その回転力と切れ味を持って頭部を1:2に分断する。当然、即死である! 倒れるノリタを確認し、ブラックスミスはワタナベの肩を支える。「ワタナベ=サン! ダイジョブですか!?」「ああ、ダイジョ……グワーッ!?」

 

ブラックスミスの心配に応えようとした次の瞬間、ワタナベは再び苦痛に仰け反る! 「まさか!?」周囲を見渡すブラックスミスの目に、再び指先を奇っ怪に蠢かせる人影が映った。無論死んだノリタではなく、また別のキャンプ住人だ。だが謎めいた指の動きも、浮かべる憎悪の表情も同一である。

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」ブラックスミスは反射的にスリケンを投げ打って殺す。だが、背筋に冷たい汗が流れる。ワタナベの反応からして、今の二人を乗っ取り動かしたのは間違いなくウォーロックだ。キング同様にフドウノリウツリ・ジツで憑依した人間を端末に何らかのジツをかけているに違いない。

 

問題は憑依できる相手が後何人いるのか、そして憑依されるのが誰かだ。ヒョットコは既に全滅した。ならば憑依の対象は? 数秒前に始末した二人を思い浮かべれば答えを出すまでもない。ブラックスミスの不安はすぐさま現実のものとなった。

 

「はああ、ああ、あ」「オイ、ダイジョブか!?」別の堡塁である防衛隊員が突然うずくまり痙攣を始めた。心配する同僚が彼を揺するが反応はない。始まりと同様に唐突に痙攣は停止する。何事もなかったかのように立ち上がる防衛隊員。しかし、痙攣していた彼の内面には決定的な大事が起きていた。

 

BLAM! 「アバーッ!」突如拳銃を抜き同僚を撃ち殺した防衛隊員は、先の二人の焼き直しのように彼は両腕を突き出す。「イヤーッ!」叫び吼えるその顔に浮かぶのもまた、憎しみと怒りにまみれた人ならざるニンジャの表情であった。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

ただ一人を除き、誰も知るもののないネオサイタマの何処か。そこには論理・物理的に秘匿された秘密のゼン・キューブが設置されている。そしてソクシンブツ・オフィスを彷彿とさせる閉鎖空間の中央で、その主であるウォーロックはザゼンを続けていた。

 

そこは常ならば静的トランス状態の長い呼吸音だけが響く静寂空間だ。しかし今は普段とは異なる音がかき乱している。「ハァーッ! ハァーッ!」それはウォーロックの発するハイペースな荒い息の音であり、そしてその両目から流す血涙の滴る音であった。

 

基本的にウォーロックは危険を冒さず無理も無茶もしない。安全地帯からリスクなし、かつ一方的にリターンをかすめ取る。それがウォーロックのあり方であり、このゼン・キューブにも、フドウノリウツリ・ジツにもその方針が現れている。

 

「イヤーッ!」しかし今のウォーロックはその限りではない。ハンショウめいて狂い打つ心臓も、顔を伝う幾つもの流血も無視してフドウノリウツリ・ジツを行使する。神経を責め立てるニューロンフィードバックの灼熱感が襲いかかり、異常上昇した血圧で顔中から血が吹き出す。

 

フドウノリウツリ・ジツに直接的なリスクはない。苦痛、窒息、飢餓、そして死すら受け持つのは憑依の対象だ。しかしそのためには相応の下準備が必要不可欠。UNIXをハックするためにバックドアを用意するように、憑依対象のニューロンに専用の入り口を設けておくのだ。

 

それ無しで視聴覚乗っ取りしか行っていない対象に、憑依を強制すればどうなるか。それは覗き穴から全身をねじ込むが如き不可能行為である。それを無理強いた代償がウォーロックを襲う、精神をヤスリ掛けするようなニューロンダメージなのだ。

 

「判ります、判りますよ! 貴方の精神に走る亀裂の感触がね!」そうであっても、血に塗れたウォーロックが浮かべるのは酷薄にして獰猛な笑顔だ。そこに苦痛への躊躇いは一切ない。自分に恐怖を与えたワタナベを踏みにじり、屈辱を晴らす悦びが、苦痛を越える活力を与えてくれているのだ。

 

「ホホホ!」憑依した防衛隊員の視界を通して、苦痛にうずくまるワタナベをウォーロックは狂笑と共に眺める。ミラーリンクしたニューロンから命じられ、防衛隊員は両手で邪悪なサインを形作った。そして特別製のジツ……『フラッシュバック・ジツ』がワタナベへと再び行使された! 

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」オハギと殺戮で形作られた脳神経回路が強制励起され、ワタナベの神経を苦痛と変わらない快楽が塗り潰す! 「イヤーッ!」「グワーッ!」家族の死と後悔で形作られた脳神経回路が強制励起され、ワタナベの精神を自殺を希う程の絶望が押し潰す! 

 

完治したはずの元薬物中毒患者が、不意の刺激により薬物無しでトリップする事がある。瞬間回想(フラッシュバック)と呼ばれるその現象を再現するのが、この恐るべき『フラッシュバック・ジツ』だ。ウォーロックは紅白ニンジャから聞き出した、モービットなるニンジャの情報よりジツの着想を得た。

 

それは薬物に溺れて過去から逃げるインターラプターに非常に効果的だと気づいたのだ。「グワーッ!」ウォーロックの予想通りにワタナベは堪えられない苦しみに転げ回る。痛みで痛みを紛らわせようというのか抱えた頭を床に叩きつけた。ひび割れたコンクリート同様にその精神もひび割れつつあるのだ。

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」これ以上のロウゼキはさせぬと、ブラックスミスの放つ原因除去スリケン・トマホークが憑依防衛隊員の首を落とした。サイタマ・シャンパンを思わせる噴血と共に後ろ向きに倒れる。しかしウォーロックは遙か遠く何処とも知れず。本質的な原因の除去は到底不可能だ。

 

「ホホホ! ガンバリますね、無駄ですけど! イヤーッ!」「ヤメロー! グワーッ!」また一人また一人と憑依先が死ぬが、血を吐きながらもウォーロックは次々に憑依を繰り返す。ワタナベへのニューロン攻撃は止まず、幾本となくタガネを打ち込まれた大岩めいてその精神に無数の亀裂が走る。

 

「イヤーッ!」「グワーッ!」ブラックスミスの行為も所詮は対処療法に過ぎない。次から次へと現れる憑依者にひたすらスリケンを撃ち込み殺すが、事態は悪化の一途をたどるばかり。ブラックスミスの表情が絶望に歪み、ワタナベの顔は苦痛に歪み、ウォーロックの相貌は狂喜に歪む。

 

「ブッダ! 誰が操られているんだ!? アイツか!?」「ヤメロー! 友達なんだぞ!」最早誰の顔からも勝利の昂揚は消え失せて、絶望の悲嘆が顔を覆い尽くしている。「俺じゃない! 俺じゃ……はあああ」BLAM! 「何をグワーッ!?」まき散らされる狂気と混沌が、輝かしい凱歌を汚していく。

 

「ブッダム! イヤーッ!」「グワーッ!」敗北と同じ苦渋を噛みしめながら、ブラックスミスはひたすらにスリケンを投げ続ける。「コココーッ!」更なる苦難が高らかに哄笑を上げ、朝日の代わりに悪夢を唄う邪悪な雄鳥が頭上を飛び越えた。

 

【リファインド・マレイス・ロブ・トライアムス】#1終わり。#2に続く


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