鉄火の銘   作:属物

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第五話【フェイト・リバース・ライク・ザ・ワープ】#3

【フェイト・リバース・ライク・ザ・ワープ】#3

 

「あ、あ、あ、あ」絶望がワタナベの口から漏れる。あの日、全てを壊した日。後輩にツジギリとオハギを悟られて、自首して罪を償って欲しいと涙ながらの説得を受けた。だが、背中を預けた部下への信頼も、デッカーとして胸に抱いた誇りも、家族同然の三人への愛も、禁断症状の前には塵と同じだった。

 

(((オジチャン、ヤメテ! コワイよ! ヤダ、ヤダ、ヤダ!)))耳の奥で最期の声が蘇る。記憶の中、涙と鼻水でグチャグチャになった顔を掴む。柔らく暖かで、そして脆い命。ゆっくりとその首を捻る。「やめろ……やめろ……」細い首はすぐに限界に達した。干菓子めいた軽い音と共に絶命の感触が伝わる。

 

弱々しい抵抗と命の灯火が失せていく。人殺しの堪えがたい喜びが脊髄を走り抜け、オハギと合わさった得も言われぬ無上の快楽が満ちる。そこには後悔も悲哀もなかった。「おねがいだ……やめてくれ………」愉しかった。心から愛する者をその手で殺しておきながら、ただひたすらに愉しかったのだ。

 

「細い首をへし折った感覚! 泣き叫ぶ顔を殴り潰す感触! 最高の瞬間だったでしょう!?」最高潮に達したウォーロックの弁舌が響きわたる。その言葉の通りだった。オハギの効果が消え失せるまで、殺人とアンコの快楽の中でワタナベは絶頂し続けていた。

 

そして、めくるめく悦びから目覚めてみれば愛おしみの骸が転がるばかり。犯した罪業から逃げるにはその原因に縋るしかなかった。どす黒く甘美な快楽はほんの一時だけ罪を忘れさせた。それが切れれば瞬く間に記憶が自分を押し潰しにかかる。ニンジャとなり果て繰り返され続ける殺戮とオハギ。

 

罪悪感から逃れるための錯覚はいつしか現実とすり替わっていた。(((家庭を顧みずオハギに縋ってまで毎日仕事に明け暮れた。妻はオハナを、娘を連れて出て行った)))妄想に従いワタナベはソウカイヤを抜けた。家族と過ごした鮮明な嘘を語り、自ら手折った娘との再会を心待ちに過ごす日々。

 

だが優しい夢物語は儚くも消え失せ、遂に残酷な『真実』が突きつけられた。「オハギは……オハギは何処に」逃げ出す方法はあと一つだけ。腰にある筈のタッパーを震える指で探る。だが、そこには何もない。オハギは全て捨ててしまった。依存を断ってやり直せると、胸を張って家族と会えるのだと信じて。

 

「思い出せましたか? 貴方はオハギに耽溺する殺人嗜好者なんですよ!」のし掛かる過去の重さは容易くワタナベの膝をへし折り太い背骨を粉々に砕いた。ワタナベの砕けた心をウォーロックは丹念に一つ一つ擦り潰す。踊る声音から隠す気もない残虐な慶びが溢れている。

 

「愛する家族? ヨージンボー? 全部幻想です。貴方の居るべき場所はソウカイヤに他ならない。これがその証拠になります!」一家惨殺写真を中心に負けず劣らずのゴア殺人写真の群が次々に映し出される。「これで貴方がどんな人なのか、キャンプの皆さんにもよーく判ってもらえたでしょう!」

 

被害者の映像は皆弱々しい女子供ばかり。ある者は砕けたコンクリ片と混じり合いし、ある者は半身をカラテで抉られている。そして写真に映る下手人は全て、人殺しの狂喜に顔を染めた『インターラプター』だった。暴かれた自らの過去を前に、全てを失った『ワタナベ』の頬を透明な涙が伝う。

 

息を止めるほどの積み重ねたソンケイも、巨石めいた揺るぎない存在感もどこにもない。身の毛もよだつ『真実』に怖れをなして、恐怖に濁った数え切れない視線がキャンプ中から放たれる。それは容易く疑惑の視線と声を受け止めて見せた筈の背中を、炙られたスイスチーズめいて貫いて心臓へと突き刺さる。

 

最早、彼を誰も彼を信じられない。いや、全員ではない。「ワタナベ=サン! 約束を思い出してグワーッ!」「イヤーッ! お静かに!」ガルスの胴回し後ろ蹴りに吹き飛ばされながらブラックスミスはワタナベに必死に呼びかける。かつて自分も己の汚らわしさに打ちのめされ、邪悪な誘いに屈しかけた。

 

しかし、家族との約束はドヒョーリングに踏み留まる力をくれた。家族でもない自分とのカイシャ作りの約束が、何処までワタナベの支えとなるのか。望み薄だがそれ以外に可能性はない。「そうだ……エミちゃんと約束したんだ、必ず守るって」呼びかけでワタナベが思い出したのはエミとの約束だった。

 

空っぽの表情にうっすらと感情が浮き上がる。「それでエミちゃんをオハナと合わせるんだ……約束を、約束を果たす……」だが合わせるオハナはもう居ない。自分が殺したのだ。約束は守れない。「約束を思い出してください!」呼ぶ声も全て心をすり抜けていく。かき集めようとした心が再び崩れていく。

 

崩れるワタナベと支えようとするブラックスミスを横目で眺めて、スクローファは下卑た嗤いに震える。「グブブ! そら二人が大変だぞ! 言うことはないのかね?」「俺が口出しする問題ではない! イヤーッ!」悪意にまみれた声を決断的に切って捨て、ニンジャスレイヤーは亜音速ケリ・キックを振るう。

 

『原作』と違い事情を何一つ知らなかったニンジャスレイヤーにワタナベへとかけられる言葉はなかった。ウォーロックが入れ知恵によりヒョットコ襲撃を早め、その結果ワタナベから話を聞く機会を得られなかったのだ。未だ治らぬ傷と併せて『原作』を知る紅白ニンジャの作戦勝ちと言えるだろう。

 

同じく『原作知識』を持つブラックスミスが居なければ、キャンプ住人の屍山血河の中でワタナベは屈していたに違いない。だがそのブラックスミスの呼びかけも空しく、打ちのめされたワタナベは膝を折った。心折れたワタナベに出来たのは体を丸めて顔を伏せることだけ。

 

戦うことも耐えることも、立ち上がることすらできやしない。(((オジチャン、ヤメテ! コワイよ! ヤダ、ヤダ、ヤダ!)))だが、啜り泣いて耳を塞いでも脳裏にこだまし続ける断末魔は止んでくれない。(((オジチャン、ヤメテ!)))「オハナ……やめてくれ……」(((オジチャン、ヤメテ!)))

 

(((オジチャン、ヤメテ!)))「オハナ頼む……おねがいだから……」どれほど請い願おうと声は繰り返されるばかり。「やめてくれとは異な話! ヤメテヤメテと言われたのも、それでもやめなかったのも貴方の方ではありませんか!?」更に傷口に酸毒を擦り込む讒言を喜び勇んでウォーロックが唄う。

 

(((オジチャン、ヤメテ!)))(((オジチャン、ヤメテ!)))(((オジチャン、ヤメテ!)))「オジチャン!」ワタナベの鼓膜が幻聴と同じ音で震えた。頭蓋の中で響きわたる末期の悲鳴が現実へと現れたのか? それとも恨めしいワタナベを呪い殺すべく、哀れなオハナがオバケとなって姿を見せたのか? 

 

「オジチャン」音源はそのどちらでもなかった。顔を上げた視線の先にあったのは、小さな両目いっぱいに涙を湛えて何度も洟を啜るエノモト・エミの幼い顔だった。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「オジチャン」ワタナベの視線の先で、声を発したのは涙を拳で拭いて洟を啜るエノモト・エミだった。オハナではない。だが同じ様に思っていた。必ず守ると、必ずオハナと合わせると、彼女と約束をしたのだ。だが約束は何一つ守れそうになく、ウソツキの自分に合わせる顔など何処にもなかった。

 

「エミちゃん、俺は……」「オジチャン!」顔を再び伏せようとするワタナベに涙ぐんだエミは全身で叫ぶ。避難所でもウォーロックの大演説は聞こえ、映された写真も見えていた。幼いエミに全ては判らなかったが、オジチャンの所に行かなきゃと止めるキヨミの手をすり抜けてここまで駆けてきたのだ。

 

「これはこれは! インターラプター=サンととっても仲良しなエミちゃんじゃありませんか!」だが彼女の声に反応したのは心挫けたワタナベではなく、新しい獲物がきたと心躍らせるウォーロックだった。舌なめずりの音が聞こえんばかりの喜悦に満ちた声をスピーカー越しに奏でる。

 

「エミ! そこから早く逃げろ!」「口を挟むな!」宙を舞うガルスと目にも留まらぬカラテを交わしながら、ブラックスミスは必死の形相で叫ぶ。家族を守るためにこそ戦っているのだ。その家族が慕う相手の為とは言え危険の渦中にいる。一刻も早く逃がさねば! だがガルスの存在もあり容易には近づけない! 

 

「やめてくれ、この子は関係ないんだ」「いーえ、貴方がソウカイヤを逃げ出したのはその脆弱なる人間性のせい。その拠り所は全て取り払わないと!」僅かな力を振り絞り、ウォーロックに懇願するワタナベ。エミとの触れ合いと約束は間違いなく彼の心を救っていたのだ。

 

だからこそウォーロックがそれを許すはずもない。「それでエミちゃんはインターラプター=サンに約束を守って欲しいと? ええ、彼は義理堅い方です。直ぐにでもオハナちゃんに合わせてくれますよ」ワタナベの嘆願を一蹴し、違和感を覚えるほど優しげにエミに語りかける。

 

その声音もワタナベを持ち上げる言動も、絶望に叩き落とす下準備に他ならない。「彼が貴方の首をへし折ってね! 貴方はオハナちゃんとアノヨで会えて嬉しい! 彼は貴方をくびり殺せて嬉しい! これぞウィン-ウィンですよ! ホホホ!」直ぐ様に自ら化けの皮をはぎ取り、おぞましい本性を見せつける。

 

冒涜的宣言に怯えるエミを満足の笑みで眺めつつ、ウォーロックは白煙越しに指揮者めいて腕を振り上げた。「ではインターラプター=サンに殺ってもらいましょう! イヤーッ!」「グワーッ!」再び奇っ怪なるジツが行使され、ワタナベのニューロンが筆舌にし難いほどの苦痛で埋まる。

 

「グワーッ!……あま……グワーッ!」否、断続的に襲いかかる感覚は苦痛のみではない。その合間にウォーロックの甘い誘惑が注がれる。「辛いでしょう? 苦しいでしょう? 思い出すでしょう? さあ、殺すのです! それで本来の貴方に戻れます!」(((殺せば楽になるのか? もう苦しまなくて済むのか?)))

 

救いを求めることすら忘れた貧者のような目で『インターラプター』はゆらゆらと力なく立ち上がる。その虚ろな目を見つめ、ブラックスミスは唇を噛みしめた。呼びかけは無力極まりなく、約束も彼を引き留められなかった。もう時間はない。拳を胸のオマモリ・タリズマンに当て決意を殺意へと変える。

 

ブラックスミスに迷いは……ある。(((エミには二度と許してもらえないだろうな)))よりにもよって妹の目の前で慕う相手を殺すしかないのだ。だが今はそれを振り捨てるほかない。両目に悲壮な覚悟を灯し、ただ独りでイクサ場に立ったエミを守るべく足を踏み出す。その前にガルスが立ちふさがる。

 

「除け」「断る」偉大なる方の願う目的まで後数歩。ここを通させるわけには行かない。そしてブラックスミスも願う家族の安寧の為、全てを排除してエミを守り抜く覚悟を固めている。ここを通らない訳には行かない。息を止める程のカラテが空間を塗りつぶし、二人の間で時が張りつめて止まった。

 

「イヤーッ! グワーッ! イヤーッ! グワーッ! イヤーッ!」「グワーッ! イヤーッ! グワーッ! イヤーッ! グワーッ!」一瞬の静寂の後、一切のダメージを無視した全力全開の殴り合いが始まった! 臆して防御に回った側が死ぬ、命知らずのチキンレースだ! 折れた歯とメンポが吹き飛び、胃液と血反吐がまき散らされる! 

 

歯の根まで揺らすイクサの轟音に思わずエミは身を竦ませる。「エミちゃんはお兄さんの言うとおりにお逃げなさい! 彼はコワイコワイ殺人鬼! 捕まったら殺されてしまいますよ!」その耳に親切ぶったウォーロックの煽りが届く。顔を上げれば薬物中毒者の歩みと表情で近づく『インターラプター』の姿。

 

「ほらそこに! さあ、逃げて逃げて!」チャイルド・スナッフを期待するウォーロックが囃し立てる。だがワタナベの顔を見つめてエミはあえて前に出た。怖くないはずがない。トイレを済ませていなければ下着を濡らしていただろう。だが涙を滴らせながらも、エミは歯を食いしばって首を横に振った。

 

「ヤダ! アタシ、オジチャンと一緒にいる!」もしかしたらオハナちゃんとは会えないのかもしれない。それはオジチャンがとてもコワイことをしたせいなのかもしれない。「オジチャンは! オジチャンは!」それでも頭を撫でてくれた、あの節くれ立って大きい掌は「優しい人だもん!!」暖かかったのだ。

 

「その優しい優しいオジチャンにこれから殺されるんですがね!」それは頑是無い子供のワガママだった。現実を否認し自分の望みだけを叫ぶ言葉は、センタ試験から逃げ出して都合の良い妄想に逃げ込むヒョットコと何も違いは無かった。だからウォーロックは幼い叫びを嘲った。

 

不意に視界が陰った。顔を上げれば小さなエミでも届く距離に巌のような巨体がある。ギュウと体を縮こませて両目を瞑ると絞り出された涙が頬を伝った。節くれ立った大きな手がゆっくりと近づく。その手は父のハラワタをまき散らした。その手は母の頭蓋を殴り砕いた。その手は娘の細い首を手折った。

 

そして、その手はついにエミの頬に触れ……流れる涙を優しく拭った。涙に濡れた瞼を開けば、そこにあったのはいつもと変わらぬ優しい『ワタナベ』の笑顔。「コワイ思いをさせてゴメンよ、エミちゃん」「オジチャン」溢れた涙が再び頬を伝う。だが、その滴の意味は違った。

 

【フェイト・リバース・ライク・ザ・ワープ】#3終わり。#4へ続く。

 


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