鉄火の銘   作:属物

25 / 110
第三話【トロード・ザ・ホイール・オブ・フォーチューン】#4

【トロード・ザ・ホイール・オブ・フォーチューン】#4

 

「それで、シンヤ=クンは何の用なんだい?」「そのオクスリと病気の件についてです」覚悟を決めたシンヤの返答にワタナベの目つきが変わった。依存症患者を前に気軽に口に出す話題ではない。そしてシンヤも気軽に口を出したわけではない。バッグから取り出した資料をワタナベへと手渡す。

 

「これを見てください」それはケバケバしい原色チラシの束と、低俗雑誌のスクラップだった。『夢の薬物中毒治療技術』『被験者の声:今までより遙かにいいです』『ネオサイタマ医科大学教授は語る。「患者が減る」』どれもこれも妄想と誤認をファジー表現でくるんで真実を真似た物ばかりだ。

 

資料を一瞥したワタナベの目が呆れと失望に染まったのは当然だろう。「調べてくれたのは嬉しいんだがね」「いえ、もう少し付き合ってください。裏付けがあります」曖昧な作り笑いを浮かべて資料を突き返すワタナベの手を制すると、シンヤはノートの付箋ページを開いた。

 

ノートを一目見たワタナベの目が見開かれた。『血中バイオ成分透析治験』『治験結果:治験対象30人中9割の血中バイオ成分低減を確認。4割が死亡、5割に後遺症』『ネオサイタマ医科大学スギタ研究室記録』参考にした資料はやや古かったがその出所は確かな物だった。

 

「医科大学専門予備校の私設図書館で見つけた資料の書き写しです。あのチラシとスクラップはこいつの飛ばし記事だったんです」違法オハギの材料である危険バイオアズキと非合法バイオサトウキビはどちらも違法バイオ生物だ。バイオ成分透析による血中アンコ除去の可能性は十分以上にある。

 

無論、これは飛ばし記事に書かれた夢の治療ではなく、4割が死んで5割が後遺症に苦しむ未完成の技術だ。これに縋っての健康体など夢物語と言えよう。だが被験者がモータルでなくニンジャならば、それもドラム一杯のガトリング掃射に耐える圧倒的ニンジャ耐久力の持ち主ならば、決して不可能ではない。

 

そう、『ニンジャ』耐久力の持ち主ならば。「ワタナベ=サン並のタフガイなら十分に可能性はありますよ。俺もタフな方ですから判ります」「君はやはり……!」シンヤのカラテを目にして以来、ワタナベはその正体を常に疑い続けていた。確信を得て身を乗り出すワタナベに、シンヤは肩を竦めるだけ。

 

謎めいて笑うシンヤを問いただそうと、ワタナベは口を開き……再び閉じた。喉まで出掛かった言葉を無理矢理飲み干す。この場には無関係のエミが居る。それにウォーロック同様の理由で案を出したなら、必ずソウカイヤの名前を出す筈。キャンプでの日々を鑑みればシンヤもまた無関係だろう。

 

シンヤへの疑いが晴れれば思考は新たな治療に舞い戻る。「しかし、これなら……いや……だが」提示された新しい可能性に、狼狽したワタナベの視線がテントを泳ぎ回る。心中で天秤が揺れ動く様は外からも見て取れた。ウォーロックが示したソウカイヤでの治療はこれよりも遙かに確実なものなのだろう。

 

それはソウカイ・シンジケートへの再入会の代価でもある。裏社会を牛耳るソウカイヤで最強と呼ばれたニンジャから、場末の浮浪者キャンプのヨージンボーへの転落。かつて味わった栄光を再びこの手に出来る。オハギに溺れ全てを失った『インターラプター』には余りにも眩しい誘惑だった。

 

だが同時にソウカイヤに戻ると言うことは『ワタナベ』の寄り所であるキャンプを離れて、悪徳と殺戮の日々に戻ることを意味している。もしもソウカイヤに頼ることなくオハギ中毒を治療できたなら、ヨージンボーとして皆が慕うこのキャンプで日々を過ごせる。何よりここには……

 

「ねぇオジチャン、もしかして病気が治るの!?」ワタナベの横合いから驚きと喜びを帯びた頑是無い声が響いた。呆然と視線を向ければ、さっきまで放って置かれてぶーたれていたエミが向日葵が咲いたような満面の笑みでワタナベを見つめている。「オジチャン、ヨカッタネ! オハナちゃんも喜ぶよ!」

 

先日このテントに家出した際、エミはワタナベの独白を聞いていた。かつて妻子が居た事。今は二人がどっか行っちゃった事。その原因はオハギに、つまり病気のオクスリにある事。その病気が治るとシンヤは言うのだ。ならオハナちゃんは嬉しいに違いない。だってアタシは嬉しいもの!

 

子供特有の自他を区別しない脳天気で無責任な言葉は、ワタナベの心臓を震わせた。衝撃の余り空白に覆われた顔から、独白めいて向かう先のない言葉がこぼれ落ちる。「娘と……オハナと会えるんだ。来月の誕生日に会う約束をしているんだ」幼いエミは自分に向けた言葉だと勘違いして大喜びで答えた。

 

「じゃあオハナちゃんもっと喜ぶよ! だって病気が直ったならずっと一緒にいられるでしょ!」雷に打たれたような一瞬の震えがワタナベの全身に走った。ニューロンに喜びのパルスが駆けめぐる。家族と過ごす日々を夢に何度見たことか! 娘と妻を両手に抱く感触を、空の手に何度想像したことか!

 

茫漠な表情に歓喜の渦が沸き上がる。「そうだ、オハギ依存を断って真っ当な人間に戻る。おれは、家族を取り戻すんだ!」厳つい顔に随喜の涙を滴らせながらワタナベは輝かしい未来へ向けて全身で吠える。唐突な大声に驚きながらも、オジチャンが嬉しいなら嬉しいとエミも楽しげに手を叩いて応える。

 

「ねぇオジチャン、来月にオハナチャンと会うんだよね?」不意に拍手を止めてエミが声を上げた。不意打ちに驚きながらそうだと答えるワタナベから、エミはその向こうの写真へと視線を動かす。「アタシもついて行っていい? アタシ、オハナチャンと友達になりたいの!」それこそがエミの目的だった。

 

無邪気な願いに豆を撃ち込まれた鳩めいた表情を浮かべるワタナベ。「ッ!……いいとも、きっとエミちゃんはオハナと親友になれるよ」「ホント!?」だが、次の瞬間には優しい笑みを浮かべて大きく頷いた。小さくまん丸な頭を節くれ立った大きな手で撫でられて、エミは柔らかに表情を溶かす。

 

幸福のアトモスフィアに包まれるテントの中、シンヤだけが吐き気を堪えながら張り付けた笑顔で二人を見つめていた。ワタナベの言葉は、死体に咲いた花めいて汚らわしい嘘だった。別れを彩る花めいて優しい嘘だった。散りゆき枯れる花めいて哀しい嘘だった。

 

幸せそのものの二人から顔を逸らし、天井を見つめてシンヤは『真実』を吐き出したい衝動をただ一人耐える。帰るべき家族の存在とソウカイヤ所属の矛盾から目を逸らしているワタナベも、そもそも何も知らないエミも『真実』には気づかない。ただ一人、シンヤだけがワタナベの見る夢の正体を知っている。

 

『真実』は不発弾に似ている。舗装された記憶の下で、過去の底に埋もれて誰もから忘れられている。だがそれは唐突に爆発四散し、愛しい日常の全てを跡形もなく吹き飛ばす。例えば『真実』に無遠慮に触れたとき、例えば『真実』に繋がる事実を目の当たりにしたとき、信管は自らの役割を思い出す。

 

それ故に、その居場所を唯一知っているシンヤにも『真実』を解体することはできなかった。血と暴力の果てで現実と夢の狭間に生きるワタナベに、どうやって『真実』を受け入れさせると言うのか。二度の人生併せても30年少々。そのどちらも学生だったシンヤに『真実』を軟着陸させるのは余りに荷が重かった。

 

「ワタナベ=サン、病気が治ったら皆とカイシャを興しませんか?」だからシンヤに出来ることは約束を通して、現実に錨を降ろさせることだった。かつて自分も真実を突きつけられ、現実から目を背けかけたことがあった。膝を屈しかけた時、家族との約束を納めたオマモリ・タリズマンが自分を救ったのだ。

 

キャンプには様々な前歴を持った浮浪者がいる。ある者はコーバ工員の経験があり、ジャンク品再生に優れる。ある者はドサンコ出身で危険バイオ生物狩猟の経験がある。彼らの技術や経験とシンヤが持つ『原作』知識、『前世』の知恵、ニンジャの力を利用すれば有効性の高い商売は幾つか思い浮かぶ。

 

例えば、食用になるバイオ生物の狩猟や、バイオ生物を餌にしたアルビノワニの養殖。例えば今回のイクサの経験を利用しての対ヨタモノ専門の安価な警備業務。「カイシャ? そんな余裕はあるのかい?」だが、ワタナベはエミを撫でる手を止めてシンヤの案に疑問を呈する。今はそれどころではないのだ。

 

提唱者であるシンヤを中心にキャンプはヒョットコ襲来への対策を打っている。それは最小限に抑えているとはいえ皆に負担を強いていることに違いはない。即座に生活への影響はないが、皆を逆さにして揺すってもトークンの一枚も出ない程度には余裕がない。

 

「後の話です。ヒョットコ来襲時に予定通り避難だけですませるなら、キャンプは放棄せざるを得ません」シンヤの言葉にワタナベは太い首を捻る。ならば尚の事そんな余裕はないはずではないのか。だが、その目に思いこみと自分に酔った光はない。真っ直ぐにワタナベと現実を見つめている。

 

「だからこそカイシャを興すべきなんです。これから厳しい状況が連続します。その時、キャンプ同様に皆を纏める物が必要です」バイオイワシは数だけの弱い魚だ。マグロ、イルカ、ラッコとあらゆる生物の餌にされている。だがイワシは滅びない。数を生かす『群』の作り方を本能で知っているからだ。

 

トモノミ・ストリート浮浪者キャンプも同じ理由で生まれた。弱い浮浪者達が己の身を守るために、吹き溜まりめいて自然と寄り集まったのが始まりだった。それがタジモ村長やロン先生、ワタナベといった大黒柱となるメンバーを得て、吹き溜まりに芽が生えるように健やかなキャンプは形作られていった。

 

これからは「ヒョットコ来襲」という危機と「キャンプ解散」という苦難が襲いかかる。その時、それぞれが逃げ惑い散逸すれば誰一人マトモな未来を得られないだろう。だが、キャンプに代わる器を用意できたなら、そしてそれに収めるキャンプの人間達を守り切れたなら、明日が開ける可能性は十分にある。

 

ましてや防衛計画を立ち上げたその初めからシンヤはキャンプの人々を守るつもりだった。それも単に命を守るだけではなくその先の未来ごと守る。そうでなければキャンプの人々と絆を深めた家族に顔向けが出来ない。そのためにシンヤが考えたのが「企業設立」という案だったのだ。

 

「確かにその必要はあるな」頷くワタナベの四角い顔に自嘲混じりの苦笑が浮かんだ。「若者はいつでも明日やることを見ているな。年寄りが思うことはいつも昨日の後悔ばかりだ」説得の成功にシンヤは静かに安堵の息を吐き、凝った背筋を伸ばした。

 

「そういうのやめましょう。一度で十分ですよ」「そうだな」気の抜けた笑いが互いに漏れ出る。会話のせいで撫でる手が止まって不満顔のエミも、二人が笑うのを見て嬉しそうに笑む。ようやくシンヤもテントの幸福な空気にとけ込めた。そう思えた。だが、次の瞬間! 

 

DING-A-LING! DING-A-LING! テントの外、広場の方から繰り返し鳴り響くハンショウの警報が全てを現実へとたたき落とした。鳴り響くのは火災時の音色とは違う音。防衛計画で定めた、もう一つの緊急警報のリズムだ。

 

「これは!?」「ブッダム! 連中が動いたんです!」表情を歪めて立ち上がるシンヤの声に、ワタナベもまた角張った顔を堅めた。防衛計画を通してシンヤが何度と無く警告したヒョットコの襲来。それが現実となったのだ。「オジチャン……」「心配はいらない、オジチャン達がエミちゃん達を守るよ」

 

安全なはずのキャンプに響く危機を知らせる鐘の音に、エミは体を縮込ませて怯える。その小さな体を大きな両腕で軽く抱き上げるとワタナベは広場に向かって駆けだした。(((やはりハヤイ過ぎる! 今までの準備で間に合うのか?)))内心の迷いを振り切るように、ワタナベに続いてシンヤは一陣の風となった。

 

【トロード・ザ・ホイール・オブ・フォーチューン】終わり


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。