鉄火の銘   作:属物

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第三話【トロード・ザ・ホイール・オブ・フォーチューン】#1

【トロード・ザ・ホイール・オブ・フォーチューン】#1

 

「ホータールノーヒーカーリー」医科大学専門予備校併設の私設図書館で一般開放時間終了を知らせるメロディが響いた。学生とおぼしき若者達は資料を本棚へと戻し鞄へノートを詰め込む。シンヤも同じく『薬物中毒者治験記録集』と書かれた分厚いハードカバーを閉じると静かに本棚へ差し込んだ。

 

不意に口から深い息がこぼれた。幸運にも目的に使える資料を見つけ、書き写す作業に躍起になっていたのだ。資料の大半は薬中患者を使用した新薬治験の記録だったが、その中に透析技術について載っていたのは幸いだった。被験者は死んでたが目的には十分なので良しとしよう。

 

酷使の結果、微妙に焦点の合わなくなった目頭をシンヤは繰り返し揉む。ニンジャ耐久力があるとはいえ、休みも取らずに日がな一日中調査を続ければ少しは疲労する。ましてやこの調査の時間を空けるためここの所働きづめだった。しかし、支払った苦労と安くない使用料の甲斐は十分あった。

 

この資料を用いればプレゼンに十分な説得力が加わる。夢物語ではなく実現可能性のある話として、感傷に縋ることなく相手を説き伏せられるだろう。成功の予感に口の端を歪めながらシンヤは黒錆色のバックにノートを放り込むと、出入り口ゲートの行列に並んだ。

 

BEEP! 「アイェッ!?」「ちょっといいですか?」疲れた肩を回しながら順番を待っていると、ゲートから響いた唐突なビープ音が鼓膜を叩いた。顔だけ横から出して見ると、パンクヘッド学生の両肩が左右から捕まれる姿が目に入る。「お、横暴だぞ! 僕の父は日刊コワレ報道部のグワーッ!?」

 

ペンは剣よりも強いそうだが、スタンジュッテよりは弱いようだ。有無を言わさず首筋に叩きつけられた高圧電流の衝撃に、失禁痙攣しながらパンクヘッド学生は崩れ落ちる。学生を手早く処理した警備員が鞄の中を探ると、『出す禁』シールが張り付けられた資料が何冊か出てきた。

 

ここでは資料は持ち出し厳禁だ。「ありました」「では献体室に」そして違反者は医学生向け献体として文字通り血肉で代償を支払う。お陰でこの予備校のネオサイタマ医科大学入学率はトップクラスだそうで、それを知った他の予備校では浮浪者誘拐によって献体を徴収しているらしい。

 

「タ、タスケテ!」照明を落とした献体室の扉から、救助を求める声が聞こえる。麻酔薬をケチったのか、ベッドに縛り付けられた献体の一つが目を覚ましたのだ。だがその声に答える者はいない。悲痛な叫びに目を反らすことすらなく、出荷されるオイランドロイドめいて誰もが無表情のままゲートを潜る。

 

その中でただ一人、シンヤは複雑な顔で献体室へと目を向けていた。ニンジャ暗視力ならば、暗がりの中で絶望と恐怖を張り付けた若い顔もよく見える。今の献体と同じ学生だろう。マンビキ・シーフなゲーム感覚の小遣い稼ぎのつもりだったのか、はたまた生活に困りヤバレカバレで盗みに手を出したのか。

 

どちらにせよ彼らに未来はない。かつてシンヤがいた『前世』の日本と違い、ネオサイタマでは犯罪者の私的処刑などチャメシ・インシデントの一つでしかない。ここは死刑廃止が論争となりうる無方向性の慈悲が美徳の世界ではない。悪徳と混沌のディストピアであるネオサイタマなのだ。

 

目的達成の可能性に弾んでいた心が急速に沈み込むのを感じながら、シンヤはアワレな犯罪加害者から視線を外した。出入り口のゲートを過ぎれば、夕闇を塗りつぶして煌々と輝くビル群が窓から目に入る。幾千の労働者の人生を燃やした夜景は、処女の血を啜って若さを保つ妖女めいて美しくもオゾマシい。

 

(((本当にロクでもない世界だな)))ネオサイタマと比べれば遙かにマトモな『前世』を知るだけに、コールタールめいた嫌悪感がシンヤの心中に沸き上がる。道理の通らない理不尽に怒りと憎しみを感じるのは精神が健全な印だろう。「スゥー、ハァー」だがシンヤは深呼吸でそれを抑えた。

 

動機が如何に道理にかなっているとしても、憤怒と憎悪に支配されれば行き着く果ては大儀を掲げて暴力を振るう怪物だ。一度それになりかけた身としては、二度三度と同じ失敗を繰り返すのはゴメン被る。守るべきは大儀でも正義でもなく、家族なのだ。命も、体も、心も、魂も家族の全てを守る。

 

シンヤは約束を納めたオマモリ・タリズマンに拳を当てて誓う。そのためにも当面の目的である、ワタナベの説得を完遂しなければならない。だが、その姿を見つめる白けた半月は残酷な悲劇を待ちわびる様に重金属酸性雲の隙間から嗤っていた。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

「ただいま」「あ、シン兄ちゃんお帰り!」「あーやってこーやってそーやって……」調べ物を終えたシンヤがテントに帰ってみれば、ウキチとイーヒコはパズルめいた何かしら相手に睨めっこの真っ最中だった。特に血走った目でパズルを見つめるイーヒコは、集中しすぎてシンヤの帰宅にも気づいていない。

 

「イーヒコがご執心みたいだけど、そりゃなんだい」「タジモ=サンから貰ったパズル。怪我人見つけたお礼に貰ったんだ」ウキチ曰く「ムスメ=サン・イン・ザ・ボックス」という木製スライドパズルで、今日の勉強会が終わってからオタロウも交えて三人で遊んでいたのだという。

 

ただ、幼いオタロウには難しかった様で直ぐに隣のテントに帰ってしまった。一方、こんなの簡単に出来ると豪語したイーヒコは一時間前からパズルに掛かり切りだそうだ。トモダチ園で一番勉強が出来て頭がいいと自負しているイーヒコには、パズル如きに手こずるのはプライドが許さないらしい。

 

シンヤからすればイーヒコは知識量と屁理屈のこね方はともかく、頭の回転速度や発想力は他の面々より下だと思っている。ただ、それを口に出したことはない。子供たちの暴君であるアキコが、拳骨と共に文句と暴言に交えて散々に口にしているからだ。

 

「怪我人とは穏やかじゃないな。暴動にでも巻き込まれた人なのか?」「知らない。スッゴイ怪我だったけど事情を聞くのは奥ゆかしくないって、タジモ=サンが言ってた」対酸コートをクナイ・スタンドに掛けながら投げたシンヤの問いを、ウキチは左右に首を振って否定する。

 

シンヤは暴動を怪我の理由に挙げたが、トモノミ・ストリートでは大規模暴動やイッキ・ウチコワシの破壊活動は意外と少ない。皮肉なことにヒョットコ・クランという恐怖が、憎悪を一手に引き受けてくれているためだ。実際、ヨージンボーとしてパトロール活動を行っているシンヤも出くわしたことはない。

 

そうなれば、後はヨタモノに襲われて命辛々逃げ出したあたりだろうか。(((殺しすぎて新しいヨタモノが出たか?)))シンヤの脳裏に疑念が浮かぶ。シンヤはパトロール活動と共に、ヨタモノの間引きを適宜実施している。ヨタモノはバイオ生物と異なり分裂や増殖はしない。殺せば殺した分数が減る。

 

そしてヒョットコ・クラン襲来の時に頭数が少なければそれだけ防衛はやりやすくなる。そう言うわけでシンヤはヒョットコを筆頭とするヨタモノを見つけ次第、人目の付かない所でカラテ殺す様にしているのだ。だが数が減り過ぎれば、バイオ野生生物同様に空いたニッチを狙った他地域のヨタモノが動く。

 

殺しすぎないように加減しているつもりではあったが、やりすぎた可能性は十分にある。ならば加害者がヨタモノなのか、そうだとしたらどんなヨタモノなのか聞く必要がある。怪我人ならロン先生の所にいるはずと行き先を考えながら、コートを再びスタンドから取ったシンヤはウキチに声を掛けた。

 

「ロン先生の所にちょっと行ってくる。夕飯までには戻るよ」「晩ご飯6時だってキヨ姉ちゃん言ってたよ!」テントのノレンを潜るシンヤは片手を上げて判ったとそれに答えた。「これならイケル?……ブッダ! ダメだ。じゃあこうして」結局最後までイーヒコはシンヤの存在に気づかなかった。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

皮膚に当たる風を感じていぶかしんだシンヤは足を止めた。トモノミ・ストリート浮浪者キャンプは巨大な廃棄地下施設を元にしている。そのため換気ファンを回さない限り、皮膚で感じるほどの空気の流れは生まれない。そして日に2回の給排気以外では節電のためにファンは動かさない。

 

それでもシンヤの皮膚感覚は流れる風の存在を確かに伝えていた。それもファン作動時のホコリが混じった空っ風ではない。肌にへばりつくような粘性の触感を帯びている。『前世』に『家族』と行った熱帯植物園の空気が思い浮かぶ。熱帯のジャングルから熱気を抜いたような冷たく湿った感触だった。

 

誰かが加湿機でも使っているのだろうか。カチグミ向けにオーガニックアロマ加湿機は存在しているし、ゴミから廃品を再生して使う浮浪者もいる。しかし、風の触感には違和感が混じっている。ただの湿り気とは違う粘性で生々しい違和感。ロン先生のテントに近づくにつれ、違和感は明確になっていった。

 

同時に鉛を注いだかのように両足が重くなる。夕飯の手伝いやら資料整理やら、「ロン先生のテントから離れる」ような些事ばかりが次々に脳裏に浮かぶ。強いて重い足を動かすシンヤにも、自分がロン先生のテントに行きたがっていないことは理解できた。しかしその理由が思い当たらない。

 

いっそ感覚に従って帰ろうか。強まる一方の拒否感に遂にそんな考えが脳裏に浮かぶ頃、ロン先生のテントが近くに見えた。瞬間、テントから轟と突風が吹き抜けた。重苦しく粘る寒々しい風が、吹き荒れながら全身の肌にべったりと張り付いて撫で回す。だが、コートの裾一つ、髪の毛一本も動かない。

 

今までニンジャとの接触回数が少なかったシンヤはそれに気がつかなかった。だが、ようやく皮膚に触れる風がこの世の物でないことに気が付いた。この世の物でないならば、それはアノヨの物……すなわちコトダマ空間の代物である。そう、超自然の存在しない風は「ニンジャソウル感知能力」の現れなのだ!

 

そして体にへばりつく冷風は熱を失った返り血の感触に酷似していた。血風を放つソウルの持ち主にして怪我人として浮浪者キャンプに現れるニンジャ。シンヤはただ一人しか知らない。『原作』の名を持つ運命の女神が、ハラワタに冷たい手を差し込んだ。音もなく血の気が引き、全身の体温が下がる。

 

先日見た赤黒の影がその人ならば、最悪家族を遺して爆発四散することになる。先に遺書を用意すべきだった。粘つく血を帯びた風を全身で味わいながら、シンヤはテント前に青ざめた顔で立ち尽くしていた。浮かび上がった死の予感に呆然と立つシンヤの前で、不意にテントのノレンが上がった。

 

「おや、シンヤ=クン。随分と顔色が悪いようだが診察かね?」テントの主であるロン先生は一目でシンヤの不調を察してみせた。「とりあえず中に入りなさい。ちょうど他の患者の治療も終わったところだ。君も診よう」「あ」っという間もなく立ち竦むシンヤはテントの中に引っ張り込まれる。

 

消毒アルコールが香るロン先生のテントの中は、ネオサイタマに散在する零細診療所そのものだった。事務机に医学書棚、聴診器や注射器といった一般的な物から、小型コケシポンプ・ダルマ圧力装置・赤十字チェーンソーなど素人目には用途の判らない医療道具が整理整頓されて並んでいる。

 

そして事務机の反対側には医療用ベッドが一つ。深い怪我をした男が目を閉じて座っている。テントに入って以来、シンヤの感覚は自分が血風の嵐の中にいると訴えていた。その出所が目の前の怪我人であるとも告げていた。強靱で剛力な筋肉に覆われた肉体は、何重もの包帯が痛々しく巻かれている。

 

肩口と胸からは生乾きの血が赤黒く滲み、未だ男の傷が閉じきっていないことを示している。「スゥーッ! ハァーッ!」だが、上半身裸の男は傷を気にすることもなくアグラ姿勢で深く強い呼吸を繰り返している。ただの深呼吸とは違う、息吹く大地めいた力強い呼吸だ。

 

シンヤはそれが「チャドー呼吸」だと知っている。そして男がチャドー呼吸で傷を癒し、亡き師の家族を探そうとしている事も知っている。ワタナベにその行方を訪ねる事も知っている。甘言に誑かされたワタナベと対峙する事も、甘言の主がキャンプを襲う事も知っている。『原作』から全てを知っている。

 

唐突にチャドー呼吸を止めて男が目を開いた。シンヤと男、二人の視線が交錯する。男の目は死人のそれだった。男は理不尽に失われた者を贖うために生きている。男は理不尽に踏みにじった者を殺すために生きている。故にその眼差しは憎悪を原動力にカラテを以て殺意を顕す、『死』そのものに他ならない。

 

シンヤは初めて出会った筈の男を知っている。『原作』で何度となく活躍を読みふけったからだ。「ベイン・オブ・ソウカイヤ」「地獄の猟犬」「ニンジャ殺す者」……そして『原作』こと「Twitter小説『ニンジャスレイヤー』の主人公」。彼こそがフジキド・ケンジ、彼こそがニンジャスレイヤーだった。

 

【トロード・ザ・ホイール・オブ・フォーチューン】#1終わり。#2へ続く。


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