鉄火の銘   作:属物

21 / 110
第二話【メイク・アリアドネズ・クルー】#2

【メイク・アリアドネズ・クルー】#2

 

日中のトミモト・ストリート浮浪者キャンプには人がいない。大半の浮浪者は安全な昼間に空き缶拾いを済ませるからだ。残っているのは、自発的休暇中の者か、怪我人・病人か、それを治療する医者だ。とは言っても浮浪者キャンプにいる医者はロン先生ただ一人なのだが。

 

「ご迷惑おかけしました」「こちらこそご迷惑を」そのロン先生の診療所テント前で、黒錆色のフロシキを背負ったシンヤと救助した浮浪者はオジギを繰り返していた。シンヤからすれば気絶させた挙げ句に後遺症を残すところだった。謝らずにはいられない。

 

逆に浮浪者からしてみれば恐ろしいカルティスト・ヨタモノ集団から救ってもらった恩義がある。頭を下げずにはいられない。「イエイエ、私こそ」「イエイエ、自分こそ」なので診療所前の奥ゆかしいオジギ合戦が止む様子はない。「いい加減にしてくれないかね?」「「ドーモ、スミマセン」」

 

合戦をミズイリしたのは診療所の主であるロン先生だった。昼食を中断しての治療を終え、好物のフトマキ・ロールを口にしようとした所でこれだ。温厚篤実なロン先生と言えども多少は血が上る。オジギ連打の先をロン先生に向けてシンヤと浮浪者は診療所を離れる。

 

「スミマセン」「イエイエ……これやってたらキリがありませんね」「ですね」最後に互いに頭を下げあうと、シンヤと浮浪者は分かれた。シンヤが目的地に向けて足を進める度に、背後のフロシキからスクラップめいた金属音が響く。「壊れてないよな?」思わずシンヤはぼやいた。

 

先にも書いたように日中のキャンプには人が少ない。目的の人物は直ぐに見つかった。探し人はテント前で直にコンクリに腰を落として、サケ瓶から中身を呷る老人だった。「ワシは何も間違っとらん! テロリストはテロリストじゃ!」『美しみ味』と印字されたサケ瓶が床に叩きつけられ甲高い悲鳴を上げる。

 

「それを議員の息子だとグダグダ言いおって! ワシが射殺してやらにゃならんかったというのに、あの恩知らずども!」虚空に向けて愚痴をまき散らす老人の前に、ややうんざりした顔のシンヤはフロシキを下ろした。「ナンブ=サン、昼間からサケ飲んで倒れても知りませんよ?」「これは水じゃ」

 

実際、ナンブからはアルコール臭はしない。シンヤのうんざり顔に呆れが混じった。「なんでそんなん飲んでクダ巻いているんですか」「アルコールはロン先生に止められとるからの。で、モノは手には入ったのか?」皺の隙間から放たれる眼光が色を変えた。シンヤは返答代わりにフロシキの結び目を解く。

 

姿を見せたのは、ドリル付きホームガードパイク、バールめいた鈍器、サイバネ榴弾砲などの危険武装の数々だ。全てオカメ・クランとオシシ・クランのヨタモノが持っていた武装だ。「ウーム、どれも安物粗悪品のオモチャばかり! ワシが湾岸警備隊にいた頃は100万はする武装を使えたというのに!」

 

ぶつぶつと懐古主義的な愚痴を漏らしながら、ナンブはシンヤが持ち帰った武装を確認する。「ここは湾岸警備隊じゃなくて浮浪者キャンプです。使えますか?」「……使わざるをえんじゃろう。他にない」懐古発言をシンヤは一言で切って捨てると、ナンブへ改めて視線を向ける。ナンブは苦々しく呟いた。

 

ナンブはこの浮浪者キャンプの自治防衛組織長だ。『原作』知識を通じて浮浪者キャンプがヒョットコ・クランの標的になることを知っていたシンヤは、村長であるタジモに掛け合い各種対策を打ち立てた。その一つが元湾岸警備隊員のナンブ率いる自治防衛組織だ。

 

だが、組織を立ち上げた所でヒトとモノがなければ何事も立ち行かない。ヒトはナンブ同様の荒事経験者をキャンプから見繕い、モノはこうしてシンヤが武装をかき集めているのが現状だ。どちらも全く足りていない。それでも生き残りをかけ、自動カンヌキ装置やナリコの設置などの努力を続けている。

 

「あとはオヌシが持ってきた博物館級の年代物で数だけでも揃えるわい。で、ヨタモノ共は本当に来るのか?」「来ます」『原作』を知るシンヤと違い、キャンプの大半はヒョットコ襲撃を信じていない。昨日までの安全が明日も続くと信じている。自治防衛組織の中心であるナンブですら半信半疑だ。

 

ソンケイあるヨージンボーのワタナベの口添えが無ければ、タジモも耳を傾けなかっただろう。だが、ヒョットコは来るのだ。そのワタナベがいる限り、首謀者である「ウォーロック」は諦めはしない。ソウカイヤ最強と呼ばれた「インターラプター」を手駒とするために必ず動く。

 

さらに言うなら、その事実はワタナベの隠す過去に直結している。それが明らかとなれば全てが終わるだろう。それを口にすることはできない。「倍のヨージンボーで、連中の狩りは不首尾に終わっています。そしてキャンプの人間は組織だって行動している。直ぐにネグラの存在に感づくでしょう」

 

だからシンヤは可能な限り最もらしく聞こえる論理で説得にかかる。「ボーナスゲームのつもりで突っ込んでくるヨタモノ連中をスイスチーズにすると言うわけか! ハッハ! 血が沸き立つわ!」湾岸警備隊時代の記憶が蘇ったのか、ナンブは獰猛な笑みを浮かべた。

 

「軍曹、直ぐに訓練を再開するぞ!」「俺はヨージンボーです。仕事があるので戻ります」記憶が蘇りすぎたのか、湾岸警備隊のノリで指揮を始めるナンブ。冷めた顔でナンブの台詞を無視し、シンヤはキャンプ出入り口へと向かった。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

シンヤが再び出入り口をくぐったのは、夜が来てしばらくしてからだった。落ちる日と共にキャンプへ帰る浮浪者達を誘導し、時間外にも空き缶拾いを続けようとする者を連れ戻し、人数と住民票の照らし合わせを終えて、ようやく本日のヨージンボー業務は終了した。

 

「ただいま、キヨ姉」ソバとダシの香りを胸一杯に吸い込みながら、シンヤは調理場で夕飯の支度をするキヨミへと帰宅の挨拶を返す。スリコギで混ぜている鍋の中身を見るに、晩飯はソバガキ・ポレンタらしい。隣の鍋ではオスマシ・スープに焼き固めた魚肉ハムと輪切りのバイオタマネギが浮いている。

 

シンヤの胃袋が一刻も早くと夕飯を要求した。「おかえりなさい、シンちゃん。ねぇ、エミちゃん見なかったかしら?」「エミ? なんかあったの?」今、キャンプに帰ってきたシンヤが、一日をキャンプで過ごす子供達の居所を知る由もない。「まだ勉強会で宿題をやっているんじゃないか?」

 

再び社会に戻った時のために、子供達は元学習塾講師の元で義務教育の内容を学んでいる。公立学校に通っていた頃よりも教え方が丁寧で判りやすいとアキコ等は喜んでいる位だ。「さっき聞いてみたけどそこにも居ないのよ」「理由はわかる?」となると居所は理由によるだろう。

 

「その、オタロウちゃんのオモチャをエミちゃんが壊しちゃったらしくて。そしたら急にいなくなっちゃったそうなの」鍋を混ぜる手を止め、愁眉を作るキヨミ。「帰ってきたばかりで悪いけど、エミちゃんを探してもらえないかしら」「判った、直ぐに見つけるよ」

 

胸を叩いて心配するなとシンヤは笑って見せた。それなら心当たりがないわけではない。「オネガイ」頭を上げるキヨミに、気にするなの意味を込めて手を振るとシンヤはニンジャの速度で駆けだした。幾ら巨大な地下空間とはいえ、ニンジャ脚力なら隣近所と変わらない。

 

バッファロー革とビニールを複雑に継ぎ接ぎした、奇妙だが堅牢なテントは直ぐに見つかった。「スミマセン! ワタナベ=サンはいらっしゃいますか?」ドアもチャイムもないテントが基本の浮浪者キャンプでは、入室前に一声かけるのが礼儀だ。タジモが定めた奥ゆかしいルールをシンヤも当然守っている。

 

家主であるワタナベは在室だったようで返答は直ぐにきた。「シンヤ=クンか! ちょうど良かった、入ってく……」「入っちゃダメッ!」ワタナベ以外も在室だったようだ。聞き覚えがあるどころではない甲高く幼い声。探し人のエミに他ならない。シンヤが予想した通りここへ逃げ出していたようだ。

 

「ワタナベ=サンが良いと言ったので入りますネー。オジャマシマス!」「ドーゾ」エミは拒否しているが、家主は許可している。なので冗談めかした声音でシンヤは入り口を開いた。目に入ったのは、酷く困った顔でアグラするワタナベと、その背中に小猿めいてしがみついているエミの姿。

 

「ダメって言ったのに、シンお兄ちゃんナンデ入っちゃうの!? オジチャンもナンデ入れちゃったの!?」歯を剥いて威嚇する顔も実に子猿めいている。エミの抗議を無視してシンヤは当人に呼びかけた。「何やってんだ、エミ。キヨ姉も心配してたし、ワタナベ=サンを困らせてどーすんだ。家に帰るぞ」

 

「ヤダッ!」シンヤの差し出した手を拒否するように、エミはワタナベの肩に顔を埋める。ワタナベ同様の困り顔になったシンヤは、とりあえずワタナベに頭を下げた。「ドーモ、スミマセン。ワタナベ=サン、家のエミがご迷惑をおかけしているようで」

 

「いや、気にしないでくれ。シンヤ=クン。私は迷惑を感じてなどいないよ。ただ……」二人の視線は、威嚇活動を再開したエミに移った。「あのな、エミ。オマエが強情張るとワタナベ=サンが迷惑するんだぞ」「オジチャン、迷惑じゃないって言ったもん!」

 

リップサービスめいた定型文から揚げ足を取り、帰宅を拒否するエミ。どうしたものかとシンヤは頭を掻いた。「ウーム」意地を張る妹をどう説得したものか。唸りながらシンヤは考え込む。何にせよ、当人と話す他にはないだろう。

 

「オジャマシマス」「ドーゾ」シンヤはワタナベの正面に腰を下ろした。それはエミの正面でもある。「エミ、お前がオタロウのオモチャを壊した話はもう聞いているぞ」「アタシ悪くないもん!」即座に自己正当化の台詞が投げ返された。どうやら原因はこれで間違いないようだ。

 

「なら、家に帰ってオタロウにそう言えばいいさ。エミは悪くないんだろ?」想定を越えた台詞に、エミは驚き顔で兄を見つめる。シンヤにはエミの言葉を頭ごなしに否定する気はない。そして一方的にエミの味方をするつもりもない。

 

「自信を持って真っ正面からオタロウに私は悪くないって言ってやればいい。エミが悪くないんならそれで済む話だ」そうだろとシンヤは妹へ同意を求める。だがエミはワタナベの肩に顔を伏せるばかりだ。「実際、エミも自分が悪かったって判っているんだろ?」

 

静かにシンヤはエミの頭頂部へ語りかけた。無謬だと本気で思っていたなら、エミはトモダチ園のテントに居るはずだ。全方位から責められワタナベの下に逃げ込む可能性も存在はするが、シンヤはキヨミが絶対にそんなことをしないと知っている。

 

ならワタナベ=サンの所へ逃げ出して、その肩に顔を伏せている理由は、エミ自身の罪悪感に他ならない。「自分が悪いって口にするのが嫌だってのは判る。俺だって嫌だったよ」「シンヤお兄ちゃんも?」独白めいたシンヤの言葉に、エミは顔を上げて聞き返す。シンヤは目を閉じて頷いた。

 

「そりゃそうさ。キヨ姉に、トモダチ園の皆にドゲザして謝る時、ホントに辛かったよ」現実世界からの転生者であるシンヤにとってもドゲザは重い。それをしなければならない程の行いを家族にしてしまったという罪悪感も重かった。だが、それでもシンヤはドゲザをした。

 

「でもな、エミ。ちゃんとゴメンナサイを言わないと、いつまでも辛いままだ。それも家族と仲違いしたままでな」自分の行いの責任をとるために、そして家族と絆を結び直すために、覚悟を決めてシンヤは頭を床に叩き付けたのだ。

 

「ずっと家族と仲が悪いままってのは本当に辛いんだ。俺はドゲザよりそっちが嫌だった。なぁ、エミ。お前はどうだ? ゴメンナサイを言うより、オタロウと仲直りできないまま、辛いままの方がいいか?」「……ゴメンナサイの、方がいい」伏せた顔から漏れたのは小さな声だった。

 

モータルなら聞き落とすだろう小さな小さな声。だがシンヤはニンジャ聴力で確かに捉えていた。ワタナベの肩から僅かに上げた顔には涙が滲んでいた。「なら、家に帰るか」「うん」洟を啜る音と共にエミは頷いた。「ほれ、洟かめ。ワタナベ=サンの肩についちまうぞ」

 

ワタナベの背中から離れたエミは、シンヤの差し出した黒錆色のハンカチーフを受け取ると、耳に厳しい音をたてて洟をかんだ。腰を上げたシンヤは、改まって直立すると深くオジギした。「ワタナベ=サン、改めてご迷惑をおかけしました」「オジチャン、ゴメンナサイ」エミも背後から頭を下げた。

 

「いいんだ。仲直りできたなら、それでいい」前後から謝罪をされたワタナベは、片手を上げて二人のオジギを制した。その顔は岩石めいて重く、同時に海溝めいて深い。「……シンヤ=クンはスゴイものだな。おれには、できなかった」重苦しい笑みを浮かべたワタナベは二人を見ていなかった。

 

視線の先はテント内にいくつも張られた色褪せた写真の一つに向けられている。キモノ姿の美女と、その手に抱かれた4つ程の幼女。あどけない笑顔がエミと何処か似ている。「デッカーとしてネオサイタマを守ることが家族のためだと、そう信じていた」

 

ワタナベは視線を手のひらに落とす。分厚く堅い手は小刻みに震えている。「家庭を顧みずオハギに縋ってまで、毎日仕事に明け暮れた。知らないうちに色んな物がこの手からこぼれ落ちていったよ。妻はオハナを、娘を連れて出て行った。それも一週間も経ってようやく知ったんだ。当然の報いさ」

 

ポケットから取り出したタッパーを開くと、どす黒いオハギが並んでいる。危険な甘い香りがテントに満ちた。「シンヤ=クンは本当に立派だ。若くして一家の大黒柱をやっている。おれは家族を守れなかった。支えになれなかった。本当にダメな、情けない男だよ」

 

ワタナベの独白にシンヤは何も言えなかった。真実を知る自分がどんな慰めを口にしようと、それは唾棄すべき欺瞞でしかない。結局ワタナベはオハギを取らずにタッパーを閉じると、後悔と自嘲に沈んだ声でエミに声をかけた。「エミチャン、家族が待ってる家に帰りなさ「ダメじゃないもん!」

 

台詞を遮る甲高い否定の声に顔を上げれば、涙を滲ませて頬を大いに膨らませたエミの顔がある。「オジチャン、いい人だもん! ダイジョブだよ!」「おれは、そんな……」次に自嘲の声を遮ったのはシンヤの言葉だった。「そういうのやめましょう、ワタナベ=サン」

 

口を出すつもりはなかった。それなのに言葉は口を突いて出た。「あなたが口添えしてくれなければ、キャンプの防衛計画はオモチ絵のままでした。ワタナベ=サンはそれだけ信頼されているんです。このキャンプを守ってきた結果なんです」ワタナベの肩が震えた。オハギ禁断症状とは異なる震えだった。

 

「子供に慰めてもらって、同情してもらって……本当に、本当に情けない」「だからワタナベ=サン、やめましょう」震える肩にシンヤは手を置いた。筋肉ではちきれんばかりに膨れ上がった堅い肩だ。この場所を守り続けてきた男の肩だ。例え過去が真実がどうあれ、彼が身を挺してここを守ってきたのだ。

 

「トモダチ園じゃ、誰かを蔑んじゃいけないって教えています。誰かを蔑んだら自分を、その相手を信じる人を蔑むことになるからです。だから、あなたを信じているキャンプの皆を蔑まないでください」涙を堪えたワタナベは深く深く息を吸って、長く長く吐いた。「そうだな、その通りだ」

 

「オジチャン、苦しいの? さすってあげるね!」心配顔のエミがある意味間違っていない解釈の下、ワタナベの背中を撫でさすり出した。「エミちゃん、アリガト」「ドーイタシマシテ!」礼の言葉は掠れた声音だった。エミはそれに気づくことなく、一所懸命に大きな背中をさすっていた。

 

【鉄火の銘】

 

【鉄火の銘】

 

天気予報通り、重金属酸性雨は夜中になって降り出した。地上のネオン光が降りしきる雨に乱反射し、ネオサイタマの空は薄明かるい靄で包まれている。四角形に切り取られた空から汚らしい雨水が降りしきる。シンヤの対酸コートと静電場防御帽子に繰り返し跳ねる。

 

葬式のネンブツチャントより単調な雨音は、昼間の疲れと相まって強烈に眠気を誘った。フートンへと誘う睡魔を頭を振って振り払い、シンヤはベッコウ・スィートの欠片を口に放り込んだ。合法糖類でキヨミが作った子供達のオヤツを、一つ二つ貰ってきたのだ。特徴のない糖蜜めいた甘さが口中に広がる。

 

疲れた脳味噌に糖分は文字通りにカンロだった。鉛めいて重苦しく脳を縛っていたニューロンの疲労が、甘味と共に溶けだしていく。「整理しよう」月も星も雲さえもよく見えない空を眺めながら、シンヤは虚空に向けて呟いた。グンテ代わりに黒錆色のグローブで包まれた手で、空中に文字を描き出す。

 

「一つ、防衛計画の進行状況」人も物も不足している防衛隊は形を整えるので手一杯だ。タジモ村長が会議で言ったように迎撃は諦めるしかない。脱出までの時間稼ぎのみとする他はない。幸い、避難訓練は実施済みで非常口も準備している。二人分のニンジャ戦力と併せれば最低限の時間は得られる。

 

「一つ、ワタナベ=サンの戦力化」そこで重要なのがワタナベの取り扱いだ。襲撃の首謀者ウォーロックは「インターラプター」の取り込みを図っている。真実を告げられればワタナベが敵に回りかねない。説得用の資料は集まりつつあるが不十分だ。本番までに足りなければ、後は感傷に賭けるしかない。

 

「一つ、戦後のトモダチ園」完全迎撃に成功しない限り、襲撃後は結果に依らず浮浪者キャンプが解散となるだろう。そうなれば次のトモダチ園の行き先を考えておかなければならない。それにウォーロックが自分の存在を知れば、最悪ソウカイヤがキャンプにやってくる。急ぎ準備と相談が必要だ。

 

(((いっそ逃げるか?)))不意に言葉が浮かんだ。キャンプも居場所も全部捨てて、家族だけと二度目のヨニゲを図る。考えなかったと言えば嘘になる。当初は必要な金銭を蓄えて『原作』前に逃げ出すつもりだったのだ。だが、キャンプ住民との交流を深め、家族が腰を落ち着ける間にその気は失せた。

 

子供達に勉強を教えてくれている初老の元塾講師。防衛計画の要に自ら志願したナンブ老人。己のカラテで救った新入りの住人。『原作』では、彼らは顔も形も出なかった。『浮浪者キャンプの住人』という背景の一部でしかなかった。だが、彼らは地に足を付けて日々を懸命に生きている『人間』だった。

 

ロン先生から応急処置を教わるキヨミ。タジモ村長に子守歌を聴かされて泣きやむオタロウ。そしてワタナベに懐くエミの姿。彼らと家族は心を通わしている。彼らを見捨てて逃げ出すことは、家族の思いを裏切ることだ。家族だけを連れて逃げて、住人を残して逃げて、恩人を見捨てて逃げる。

 

そうして行き着く果てはジゴク以外にはない。否、逃げ続ける限り何処もジゴクだ。自分は家族を守るために立ち上がった。それなのに自ら家族にジゴクを巡らせるなど、道路を横切る鶏よりナンセンスだ。自ら定めた『家族を守る』誓いは公衆便所の落書き以下になり果てる。

 

(((だからここで戦うしかない)))静かな決意と共に、堅く握りしめた拳を胸に当てる。約束の納められた位置、オマモリ・タリズマンの場所だ。そこから放たれる幻の熱が心臓を暖める。体中に思いが、エネルギが、カラテが、呼吸と共にゆっくりと循環していく。

 

「ハイ、風邪引いちゃうわよ」不意にコートに跳ねる雨が止んだ。重金属酸性雨そのものは降り続けている。頭上に差し出された故障LED傘が雨を防いでいるだけだ。光らない持ち手を握ったキヨミは、センタ試験勉強を頑張りすぎる子供を見るような心配を笑顔の下に隠している。

 

「ニンジャだからダイジョブさ」口ではそう言いながらも、シンヤは大人しく傘を受け取った。実際、考え事に時間をかけすぎて多少冷えてきている。ニンジャと言えども場合によっては病気になるのだ。ニンジャ耐久力がある分、それを超えた病気は致命的だ。なによりキヨミの心配を無碍にしたくなかった。

 

故障LED傘の花が二輪並んだ。降りしきる雨音が、クラッシュアンドビルドの隙間に生まれた空白の工事現場を埋めていく。雨足は強まることなく、川のせせらぎにも似た有音の静寂が場を満たす。トミモト・ストリートの喧噪も遠く、ここが猥雑なるネオサイタマではないかのようだ。

 

正方形に切り取られた空は、ネオン光に照らされて一枚天井を張った様。インガオホーと嗤うドクロの月も重金属雲の向こうだ。世界から二人が静かに切り離されたように思える。(((このまま何処か遠くへ行けたら……)))ここで戦うと決めたはずなのに、憧憬にも似たセンチメントが胸中に浮かんだ。

 

「きっとダイジョブよ。シンちゃんならやれるわ」ポエットでナイーブな感傷は、家族の暖かなコトダマに包まれて溶けていく。この暖かみを守るためにこそ戦うのだ。静かに一つ息を吸って吐く。センチメンタルはイオン臭の夜風に混ざって消える。シンヤは力強く笑って返した。

 

「ああダイジョブだ。皆が協力してくれている。上手くいくさ」それっきり二人は口を開かなかった。奥ゆかしく互いに何も口にしない。言葉は必要なかったからだ。沈黙に苦痛はなく、代わりに柔らかなお互いの息づかいがあった。ただ、しめやかな時が夜の間に流れていった。

 

そして、二人が夜中に出て行ったことをアキコに散々からかわれたのは次の日の話である。

 

【メイク・アリアドネズ・クルー】終わり


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。